2012年05月11日
新連載「ちいさなかみさま」
本日発売の『ビッグコミック・スペリオール』(小学館)より、エッセーの新連載を開始します。
タイトルは「ちいさなかみさま」。
人間はとても弱い存在です。
だからこそ、人生の折々で、名もなき小さな神様にすがって生きています。
そうすることで、くじけそうな心を支えたり、悲しみを和らげたりして、再び生きていこうとするのです。
では、その「ちいさなかみさま」とは何なのか?
この連載では、私がこれまでの取材を通して見てきた「ちいさなかみさま」を毎回一つずつ紹介していきます。
隔週の雑誌で、さらに二回に一回の連載なので、月に一度の掲載となりますが、思い出した時に手に取って読んでいただけると嬉しいです。
2012年04月23日
新連載「浮浪児1945―彼らはどこへ消えたか」
今月から月刊誌「新潮45」(毎月18日発売)で、<浮浪児1945―彼らはどこへ消えたか>という連載を開始しています。
太平洋戦争末期から、1950年ごろまで、上野の地下道で暮らしていた浮浪児=ストリートチルドレンたちへのインタビューをもとにして、歴史から消された浮浪児たちがどう生きてきたかを描いています。
連載の冒頭で書いた、この原稿についての思いは以下です。(そのままコピー)
これから私が書くのは、戦後の上野駅の地下道に暮らしていた浮浪児たちの記録である。敗戦後、焼野原となった日本には家族を失った浮浪児が少なく見積もっても五千人はいたとされている。彼らは戦後の日本が生み出したもっともか弱い棄民だったにもかかわらず、それに関する記録がほとんど残されていない。
浮浪児たちは誰からも見捨てられる中で、地下道で知り合ったヤクザやパンパンや傷痍軍人たちと地べたを這うように生き抜いた。そして焼野原から上野の町が復興するまでを根底で支えてきたのである。
元浮浪児たちは現在、八十歳前後を迎えようとしている。私は当時の話を聞かせてもらう度に、これまで出会ったインドのストリートチルドレンを思い出した。インドが現在のような経済発展を遂げる前、汚れきった路地ではストリートチルドレンがマフィアや街娼や物乞いとともに必死になって生きていた。彼らの活力が倒壊しかけた貧しい町を根底から支えていたのだ。だが、町が発展しだすと、美しい町づくりを掲げて彼らを放逐した。
これは戦後の日本でも同じだった。浮浪児は敗戦の象徴であり、上野の町の復興を根底から支えた存在だったにもかかわからず、日本は復興と同時に彼らを追い払い、歴史から抹殺した。そして日本人もそれを良しとして戦後の「美しい日本」をつくってきた。私はここにこそ、汚点をひた隠しにして偽りの美しさを演出しつづけてきた日本の原点があるように思う。私たちが偽りの美しさと引き換えに切り捨てて目をそらしてきたものとはどんな風景だったのか。私はそのことを考え直すためにも、今浮浪児たちの証言を集め、その記録をここに書き残そうと思う。
連載は一年ほど続けた後に、単行本化する予定です。
もしみなさんの周りに元浮浪児、あるいは浮浪児と関わっていたことのある児童福祉施設の関係者などがいらっしゃいましたら、ぜひメールでご連絡下さい。
可能ならば、お伺いしてお話を聞ければと思っています。
どうぞよろしくお願いいたします。
太平洋戦争末期から、1950年ごろまで、上野の地下道で暮らしていた浮浪児=ストリートチルドレンたちへのインタビューをもとにして、歴史から消された浮浪児たちがどう生きてきたかを描いています。
連載の冒頭で書いた、この原稿についての思いは以下です。(そのままコピー)
これから私が書くのは、戦後の上野駅の地下道に暮らしていた浮浪児たちの記録である。敗戦後、焼野原となった日本には家族を失った浮浪児が少なく見積もっても五千人はいたとされている。彼らは戦後の日本が生み出したもっともか弱い棄民だったにもかかわらず、それに関する記録がほとんど残されていない。
浮浪児たちは誰からも見捨てられる中で、地下道で知り合ったヤクザやパンパンや傷痍軍人たちと地べたを這うように生き抜いた。そして焼野原から上野の町が復興するまでを根底で支えてきたのである。
元浮浪児たちは現在、八十歳前後を迎えようとしている。私は当時の話を聞かせてもらう度に、これまで出会ったインドのストリートチルドレンを思い出した。インドが現在のような経済発展を遂げる前、汚れきった路地ではストリートチルドレンがマフィアや街娼や物乞いとともに必死になって生きていた。彼らの活力が倒壊しかけた貧しい町を根底から支えていたのだ。だが、町が発展しだすと、美しい町づくりを掲げて彼らを放逐した。
これは戦後の日本でも同じだった。浮浪児は敗戦の象徴であり、上野の町の復興を根底から支えた存在だったにもかかわからず、日本は復興と同時に彼らを追い払い、歴史から抹殺した。そして日本人もそれを良しとして戦後の「美しい日本」をつくってきた。私はここにこそ、汚点をひた隠しにして偽りの美しさを演出しつづけてきた日本の原点があるように思う。私たちが偽りの美しさと引き換えに切り捨てて目をそらしてきたものとはどんな風景だったのか。私はそのことを考え直すためにも、今浮浪児たちの証言を集め、その記録をここに書き残そうと思う。
連載は一年ほど続けた後に、単行本化する予定です。
もしみなさんの周りに元浮浪児、あるいは浮浪児と関わっていたことのある児童福祉施設の関係者などがいらっしゃいましたら、ぜひメールでご連絡下さい。
可能ならば、お伺いしてお話を聞ければと思っています。
どうぞよろしくお願いいたします。
2012年02月22日
朝日カルチャーセンター
朝日カルチャーセンター新宿教室で、3回に分けてノンフィクション講座を開きます。
小説講座とか、自伝講座というのはよくありますが、ノンフィクションをきちんと教える講座というのはほとんど初めての試みなんだそうです。
それを聞いて、「ならば、やってみよう」と思い立ちました(笑)。
隔週で土曜日の夜、毎回1時間半行います。
ノンフィクション作家、ジャーナリスト、カメラマンなどになりたい人はもちろんですが、そうではなく出版の仕事をしたい、とか、単純にノンフィクションの世界に興味があるので知りたい、という人も参加できるような内容にしたいと思います。
メディアとは何か。僕の知っているノンフィクション世界の「裏の裏」までご案内します。
カルチャーセンターは少数精鋭で、和気あいあいゼミのような感じで進めていくことが多いらしいので、この講座でもみなさんと近い形で行いたいと思います。
個人的に色々としゃべったり、考えたり、検討したりしていく時間も十分作れると思います。お気軽にご参加ください。
■講座名
「メディア報道って何? ノンフィクションの作り方」
日時
2012年 4/7、4/21、5/12 合計3回
土曜日 18:30-20:00
■概要
講師 ノンフィクション作家 石井 光太
ノンフィクションはいかにしてつくられるのか。
テーマの発見から下調べ、取材、執筆までの流れを実体験を用いてお話します。その上で、みなさんには毎回1テーマでグループセッションを行ってもらいます。ノンフィクションに限らず、ジャーナリズム、編集、カメラマンなどを志したり、興味を持っている方にご参加いただければ幸いです。学生や別の職業の方から、現在メディアに勤めている方までが平等に楽しめてためになれる講座にします。
■4月7日 「アイディアの技術」
ノンフィクション、新聞ジャーナリズム、テレビニュース、雑誌ジャーナリズムは、発想も作り方も異なります。たとえば、同じ事件や災害を取材するにしても、企画の出し方も、立ち位置も、描き方もすべて異なるのです。まずは実体験からこれらの違いを明確にします。その上で、ノンフィクションとはどのようなものか、その魅力とは何なのかについて詳しくご説明していきます。
グループセッション:グループをつくり、「企画」を考えていきます。そしてそれをメディアに合わせて磨いていきます。
■4月21日 「取材の技術」
ノンフィクションでは、下調べと取材が非常に重要になってきます。各メディアごとにそれは異なります。全体を説明した後、私自身は国内取材においてどのように取材をしているのかについてお話します。たとえば、東日本大震災の取材とは何だったのかについて説明します。
グループセッション:グループごとにあるテーマに対して、どうすれば良い取材ができるかを考えてもらいます。
■5月12日 「執筆の技術」
前半は、海外取材の方法についてお話します。言葉の問題、取材の危険、外国だからこそのデータ集め特別な方法などです。また、写真を撮る際の方法についてもお話します。後半は、ノンフィクションの書き方についてお話します。作家によって書き方は違います。その違いが<作品の個性>となり、その作者であることに必然性が生まれるのです。様々な作家の例を挙げて、文章表現における個性の出し方を解説します。
グループセッション:グループに分かれて、自分たちが編集者になり、「どの作家に何を書かせたいか」といことを発表していただきます。
★申込み、詳細については、以下からお願いいたします。
朝日カルチャーセンター
http://www.asahiculture.com/LES/detail.asp?CNO=153624&userflg=0
小説講座とか、自伝講座というのはよくありますが、ノンフィクションをきちんと教える講座というのはほとんど初めての試みなんだそうです。
それを聞いて、「ならば、やってみよう」と思い立ちました(笑)。
隔週で土曜日の夜、毎回1時間半行います。
ノンフィクション作家、ジャーナリスト、カメラマンなどになりたい人はもちろんですが、そうではなく出版の仕事をしたい、とか、単純にノンフィクションの世界に興味があるので知りたい、という人も参加できるような内容にしたいと思います。
メディアとは何か。僕の知っているノンフィクション世界の「裏の裏」までご案内します。
カルチャーセンターは少数精鋭で、和気あいあいゼミのような感じで進めていくことが多いらしいので、この講座でもみなさんと近い形で行いたいと思います。
個人的に色々としゃべったり、考えたり、検討したりしていく時間も十分作れると思います。お気軽にご参加ください。
■講座名
「メディア報道って何? ノンフィクションの作り方」
日時
2012年 4/7、4/21、5/12 合計3回
土曜日 18:30-20:00
■概要
講師 ノンフィクション作家 石井 光太
ノンフィクションはいかにしてつくられるのか。
テーマの発見から下調べ、取材、執筆までの流れを実体験を用いてお話します。その上で、みなさんには毎回1テーマでグループセッションを行ってもらいます。ノンフィクションに限らず、ジャーナリズム、編集、カメラマンなどを志したり、興味を持っている方にご参加いただければ幸いです。学生や別の職業の方から、現在メディアに勤めている方までが平等に楽しめてためになれる講座にします。
■4月7日 「アイディアの技術」
ノンフィクション、新聞ジャーナリズム、テレビニュース、雑誌ジャーナリズムは、発想も作り方も異なります。たとえば、同じ事件や災害を取材するにしても、企画の出し方も、立ち位置も、描き方もすべて異なるのです。まずは実体験からこれらの違いを明確にします。その上で、ノンフィクションとはどのようなものか、その魅力とは何なのかについて詳しくご説明していきます。
グループセッション:グループをつくり、「企画」を考えていきます。そしてそれをメディアに合わせて磨いていきます。
■4月21日 「取材の技術」
ノンフィクションでは、下調べと取材が非常に重要になってきます。各メディアごとにそれは異なります。全体を説明した後、私自身は国内取材においてどのように取材をしているのかについてお話します。たとえば、東日本大震災の取材とは何だったのかについて説明します。
グループセッション:グループごとにあるテーマに対して、どうすれば良い取材ができるかを考えてもらいます。
■5月12日 「執筆の技術」
前半は、海外取材の方法についてお話します。言葉の問題、取材の危険、外国だからこそのデータ集め特別な方法などです。また、写真を撮る際の方法についてもお話します。後半は、ノンフィクションの書き方についてお話します。作家によって書き方は違います。その違いが<作品の個性>となり、その作者であることに必然性が生まれるのです。様々な作家の例を挙げて、文章表現における個性の出し方を解説します。
グループセッション:グループに分かれて、自分たちが編集者になり、「どの作家に何を書かせたいか」といことを発表していただきます。
★申込み、詳細については、以下からお願いいたします。
朝日カルチャーセンター
http://www.asahiculture.com/LES/detail.asp?CNO=153624&userflg=0
2012年02月17日
ノンフィクション連続講座 第2回
【ノンフィクション連続講座 第2回】
開催日時
3月25日(日)14:00 〜17:30(開場13:30〜)
開催場所
シナリオセンター
東京都港区北青山3-15-14
http://www.scenario.co.jp/
開催内容
〇パート1 14:00〜15:30
高木 徹 氏(TVディレクター)×石井 光太 氏
「ドキュメンタリーとノンフィクションは相反しない」
〇パート2 16:00〜17:30
藤原 新也 氏(写真家/作家)×石井 光太 氏
「現実を熟視し続ける身体性」
参加費:3500円(当日会場支払い)
定員:100名
主催:youlabo
共催:河出書房新社 シナリオセンター
お申込み・詳細
http://youlabo.net/
開催日時
3月25日(日)14:00 〜17:30(開場13:30〜)
開催場所
シナリオセンター
東京都港区北青山3-15-14
http://www.scenario.co.jp/
開催内容
〇パート1 14:00〜15:30
高木 徹 氏(TVディレクター)×石井 光太 氏
「ドキュメンタリーとノンフィクションは相反しない」
〇パート2 16:00〜17:30
藤原 新也 氏(写真家/作家)×石井 光太 氏
「現実を熟視し続ける身体性」
参加費:3500円(当日会場支払い)
定員:100名
主催:youlabo
共催:河出書房新社 シナリオセンター
お申込み・詳細
http://youlabo.net/
2012年02月15日
世にも奇妙な≪世界の戦争都市伝説≫
本日より、幻冬舎のWEBマガジンでの連載が開始されました。
「世にも奇妙な≪世界の戦争都市伝説≫」
世界には戦争にまつわる様々な怪談、噂、都市伝説があります。
しかし、それをきちんと読み解いていくと、隠されていた戦争の真実、戦災者たちの心情、加害者の罪の意識などが浮かび上がってきます。
毎回2つずつ戦争都市伝説を挙げ、そこからその戦争の裏を考えていく企画です。
更新は、毎月1日と15日の2回です。どうぞご覧ください。
なお、昨年12月より徳間書店の文芸誌『読楽』で津波の直後の体験を記した「津波の墓標」の連載を行っています。
4月からは新潮社の総合誌『新潮45』で日本の戦後の浮浪児の連載を開始。おそらく同じ月には某漫画誌でエッセーの連載も開始します。
お楽しみに。
2012年02月13日
渋谷でのトークイベント動画
最近、なぜか動画がよくつくられる。そういう風潮なのだろうか。
先日渋谷の書店で行った蔵前仁一さんとの新刊イベントの動画(NHK出版主催)がUPされた。
ちょっと長いですが、暇なときに見ていただけたらと思います。
ちなみに、この日は風邪をひいていて無理に声をだしてしゃべっていたら、翌日にまったく声が出なくなった。。。
この動画は1/5です。
つづきを見たい方は以下をご覧ください。
http://www.youtube.com/watch?v=6YT-NECR7-8&feature=player_detailpage&list=UL6YT-NECR7-8
先日渋谷の書店で行った蔵前仁一さんとの新刊イベントの動画(NHK出版主催)がUPされた。
ちょっと長いですが、暇なときに見ていただけたらと思います。
ちなみに、この日は風邪をひいていて無理に声をだしてしゃべっていたら、翌日にまったく声が出なくなった。。。
この動画は1/5です。
つづきを見たい方は以下をご覧ください。
http://www.youtube.com/watch?v=6YT-NECR7-8&feature=player_detailpage&list=UL6YT-NECR7-8
2012年02月09日
『遺体』関係者動画
1月14日に岩手県釜石市で行った『遺体――震災、津波の果てに』(新潮社)のトークイベントの動画の【完全版】がUPされました。
本に出てくる千葉さんと柴崎さんが「3.11の遺体安置所の光景」を1時間ほど語っています。
本に描いたエピソードやそれ以外の話など、本人たちの口から生で聴けます。
3.11から早くも11カ月。今一度、あの日の出来事を考えていただければと思います。
1/4
2/4
3/4
4/4
本に出てくる千葉さんと柴崎さんが「3.11の遺体安置所の光景」を1時間ほど語っています。
本に描いたエピソードやそれ以外の話など、本人たちの口から生で聴けます。
3.11から早くも11カ月。今一度、あの日の出来事を考えていただければと思います。
1/4
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3/4
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2012年01月30日
2012年の新刊2冊
一月に出した新刊2冊の広告です。
『ニッポン異国紀行』は、NHK出版の福田直子さんと日本各地を飛び回り、在日外国人の生態を負った異色ルポです。
新書なんですが、紀行&ルポ形式で、約300ページとボリューム満点です。日本各地で出会った在日外国人も面白かったけど、ルポをしている最中の珍道中も思い出があって面白かった。
また、バタバタと取材したいなー。
『アジアにこぼれた涙』は、2011年12月で休刊となった『旅行人』に連載していたものです。
編集長の蔵前仁一さんからは、処女作を出す前から応援していただいていて、この作品も処女作以前の作品がたくさん盛り込まれています。僕にとっての、いわば「第二の処女作」です。
写真70枚付なので、写真紀行文みたいな感じです。

ニッポン異国紀行―在日外国人のカネ・性愛・死 (NHK出版新書 368)
クチコミを見る
異郷で亡くなったら遺体は冷凍空輸される!?
夜逃げ補償つきの結婚仲介ってどういうこと??
タイ人ホステス御用達の「美女になる油」とは!? ――――
海外のスラムや路上を数多く取材してきたノンフィクションの俊英が、
在日外国人たちの知られざる生態を追って全国を駆け巡る。
そこに浮かび上がってきたのは、日本人も知らない、この国のもう一つの姿だった!
「グローバル化社会」「異文化交流」のスローガンが取りこぼしてきた
リアルな人間模様をすくい上げ、
新しい視点から、変容しつつある日本文化に光を当てた迫真のルポ。

アジアにこぼれた涙
クチコミを見る
アフガントラックに絵を描く父子、
ジャカルタのゲイ娼婦、
インド、フィリピンのストリートチルドレン、
テロリストに息子をさらわれたイラク人。
アジアの底で生きる人々の希望と絶望を描き出した10の物語。
アジアの路上や売春宿やスラムで生きる人たちは、どんな涙を流しながら生きているのだろうか。それは、喜びなのか、絶望なのか、希望なのか。著者が海外で撮ってきた写真をふんだんに紹介しながら、アジア各地を歩き回るビジュアル・ルポルタージュ。『旅行人』に5年にわたって連載したものに書き下ろしを加えて単行本に。未発表写真70枚収録。
『ニッポン異国紀行』は、NHK出版の福田直子さんと日本各地を飛び回り、在日外国人の生態を負った異色ルポです。
新書なんですが、紀行&ルポ形式で、約300ページとボリューム満点です。日本各地で出会った在日外国人も面白かったけど、ルポをしている最中の珍道中も思い出があって面白かった。
また、バタバタと取材したいなー。
『アジアにこぼれた涙』は、2011年12月で休刊となった『旅行人』に連載していたものです。
編集長の蔵前仁一さんからは、処女作を出す前から応援していただいていて、この作品も処女作以前の作品がたくさん盛り込まれています。僕にとっての、いわば「第二の処女作」です。
写真70枚付なので、写真紀行文みたいな感じです。

ニッポン異国紀行―在日外国人のカネ・性愛・死 (NHK出版新書 368)
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異郷で亡くなったら遺体は冷凍空輸される!?
夜逃げ補償つきの結婚仲介ってどういうこと??
タイ人ホステス御用達の「美女になる油」とは!? ――――
海外のスラムや路上を数多く取材してきたノンフィクションの俊英が、
在日外国人たちの知られざる生態を追って全国を駆け巡る。
そこに浮かび上がってきたのは、日本人も知らない、この国のもう一つの姿だった!
「グローバル化社会」「異文化交流」のスローガンが取りこぼしてきた
リアルな人間模様をすくい上げ、
新しい視点から、変容しつつある日本文化に光を当てた迫真のルポ。

アジアにこぼれた涙
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アフガントラックに絵を描く父子、
ジャカルタのゲイ娼婦、
インド、フィリピンのストリートチルドレン、
テロリストに息子をさらわれたイラク人。
アジアの底で生きる人々の希望と絶望を描き出した10の物語。
アジアの路上や売春宿やスラムで生きる人たちは、どんな涙を流しながら生きているのだろうか。それは、喜びなのか、絶望なのか、希望なのか。著者が海外で撮ってきた写真をふんだんに紹介しながら、アジア各地を歩き回るビジュアル・ルポルタージュ。『旅行人』に5年にわたって連載したものに書き下ろしを加えて単行本に。未発表写真70枚収録。
2012年01月24日
イベント動画
先日、『遺体―震災、津波の果てに』(新潮社)関連のイベントを釜石市で行ってきました。
被災した桑畑書店さんから呼ばれ、本で書いた野田さん(市長)、千葉さん(民生委員)、芝崎さん(住職)をお招きし、僕がナビゲート役になり、お三方に遺体安置所での出来事を語っていただきました。
実際に、津波で家族を失われた方々も多く来てくださっていました。みなさん、自分のご家族が安置されていた「遺体安置所」で何が起きていたのかがわからず、それを知りたいという思いで聞きに来てくださったようです。
今回、ニュース記事として、イベントの様子が公開されました。
2時間のうち、たった10分程度のダイジェスト版ですが、動画も入っています。
千葉さん、芝崎さんの名前の声が入っていますので、よろしければご覧ください。
■報道されなかった「遺体安置所」の現実 ノンフィクション作家・石井光太らが釜石市でトークイベント開催
2012/1/23 12:04
東日本大震災から10か月以上が経過した。住民4万人のうち1100人以上の死者・行方不明者の犠牲が出た岩手県釜石市では、いまもなお行方不明者の遺体捜索が行われている。その釜石の遺体安置所を基点にして、膨大な死とそれに直面する人々の取材を重ねて書き上げたルポルタージュ『遺体 ―震災、津波の果てに』(新潮社)の著者でノンフィクション作家の石井光太さん(34)が、2012年1月14日に岩手県釜石市の青葉公園商店街、復興ハウスでトークイベントを行った。
「神も仏もないのか…」
イベントでは、石井光太さんがナビゲート役となり、野田武則釜石市長の他に、同書に登場する仙寿院僧侶の芝崎惠應さん(55)や民生委員の千葉淳さん(71)らが登壇。甚大な被害を受けた釜石市の遺体安置所をめぐって、ご遺体のため、そして遺族のために、ひたすら奔走してきた当事者たちが個人的な体験や想いを語った。
僧侶の芝崎さんは、目の前でおばあさんが助けを求めて手を振りながら津波に流されるのを黙って見ているしかないという経験をしたという。「その様子を見ていた近所の男性が『神も仏もないのか』と横でつぶやいた時、返事をすることができませんでした。僧侶として本当は言ってはいけないことですが、まさしくその通りだと思ってしまった。人間は非常に無力で、無情を感じました」と当時の状況を振り返った。
2012年01月11日
ノンフィクション連続講座
イベントのお知らせです。
■タイトル
「ノンフィクション連続講座」
※主催・河出書房新社、シナリオセンター、YouLabo
■内容
著名なノンフィクション作家やジャーナリストは数多くいます。
しかし、その作品がどのように企画され、取材が行われ、執筆されているのかという「舞台裏」についてはほとんど知られていません。
そこで、石井光太が聞き手となり、四名の著名なノンフィクション作家、ジャーナリストをお招きし、その一部始終を詳しくお聞きします。
■日程
第一回 2月19日
松本仁一氏、森達也氏
第二回 3月25日
藤原新也氏、高木徹氏
※聞き手はいずれも石井光太。
■開催場所
シナリオセンター@表参道
(東京都港区北青山3-15-14 http://www.scenario.co.jp/)
■詳細&申込み
http://youlabo.net/
これだけの方々から貴重なお話をうかがえる機会はめったにありません。
上記の四氏に憧れてきた僕としては、思う存分いろんなことをお聞きして勉強したいと思います。
ノンフィクション、ジャーナリズムといったものに興味のある方は、ぜひお越しくださいますようお願いいたします。
■タイトル
「ノンフィクション連続講座」
※主催・河出書房新社、シナリオセンター、YouLabo
■内容
著名なノンフィクション作家やジャーナリストは数多くいます。
しかし、その作品がどのように企画され、取材が行われ、執筆されているのかという「舞台裏」についてはほとんど知られていません。
そこで、石井光太が聞き手となり、四名の著名なノンフィクション作家、ジャーナリストをお招きし、その一部始終を詳しくお聞きします。
■日程
第一回 2月19日
松本仁一氏、森達也氏
第二回 3月25日
藤原新也氏、高木徹氏
※聞き手はいずれも石井光太。
■開催場所
シナリオセンター@表参道
(東京都港区北青山3-15-14 http://www.scenario.co.jp/)
■詳細&申込み
http://youlabo.net/
これだけの方々から貴重なお話をうかがえる機会はめったにありません。
上記の四氏に憧れてきた僕としては、思う存分いろんなことをお聞きして勉強したいと思います。
ノンフィクション、ジャーナリズムといったものに興味のある方は、ぜひお越しくださいますようお願いいたします。
2012年01月02日
謹賀新年2012
あけましておめでとうございます。
去年は、めまぐるしく一年が過ぎ去りました。
ざっくり書くと……
1月にコロンビアでの子供兵の取材から帰国。
すぐに絵本『おかえり、また会えたね』(東京書籍)を出版。そして、コロンビアの子供兵の原稿を書き終え、『飢餓浄土』(河出書房新社)の発売日を迎えたと思ったら、その日に東日本大震災発生。
小学館週刊ポストの後押しを受けてすぐに現地入り。そこから約2か月半被災地に滞在しながら、週刊誌、月刊誌にルポを書き、そのさなかの4月に新作『ルポ 餓死現場で生きる』(ちくま新書)を発売。
取材が終わって東京に戻ってきたら、その月に『絶対貧困』(新潮文庫)の文庫版を発売。
そこから2カ月で『遺体』(新潮社)を書き上げ、10月に発売。
書き終わったその月から、『ニッポン異国紀行』(NHK新書)『アジアにこぼれた涙』(旅行人)と徳間書店の新雑誌『読楽』での新連載「津波の墓標」を執筆。
で、12月下旬からは『新潮45』の新連載(タイトル未定)、幻冬社Webマガジンでの連載(タイトル未定)の準備……。
(上記、雑誌やムックなどの仕事については割愛。書籍のみ)
という感じでした。
ふり返ってみて、一番印象に残ったのは当然のことながら東日本大震災でした。
年末にテレビを見ていたら、ある歌手が「震災の後、歌うことしかできない自分自身に対して、『こんなことをしていていいのか』と思った」と言っていました。
(ちょうど来年春にスタート予定の連載<戦後の浮浪児>の取材ノートを整理していたこともあり、「美空ひばりもそんな思いを抱きながら歌っていたのかもなー、なんて思いました)
これは、書いている人間も同じで、あの震災の直後現場に身を置いている間、ずっと「こんなことをしていていいのか」と思っていたはずです。
僕自身も遺体安置所で働いている人たちに話を聞いている時、被災地で遺体捜索をしている人たちを追いかけている時、遺族の家にお邪魔して話を聞かせてもらっている時、ずっと「こんなことをしていていいのか」と思っていました。
この疑問は、震災に限らず、すべてのノンフィクション取材において当てはまります。
そして、取材を終え、執筆を終え、本を出したとしても、「取材対象者がこれを読んでどう思うか。傷つけることになりはしないか」という後ろめたさとして残ります。
ノンフィクションを書く、あるいは「現実」の中で仕事をするという仕事は、そうした罪を背負うことと同義なのです。
(だからこそ、本を書いてほめられたとしても心から嬉しいと思ったことは一度もありません。賞賛されたり罵倒されたりして感じる喜怒哀楽より、取材対象者が読んでどう思うかという不安の方が圧倒的に大きいのです)
今回は日本を舞台にすることで、あらためてそのことを教えられた気が気がします。
とはいえ、僕としては文章を書いて生きていくと決めた時点でそうした「書くことの原罪」を背負うことを覚悟しています。
なので、とにかく今は、一つ一つの仕事に全身全霊を込めて向かっていくことしかできません。
それは、今年も同じです。
2012年に何が起こるかはまったくわかりませんが、とにかくズンズンまい進し、僕にしかできないことを全身全霊を込めてやり遂げていきたいと思っています。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
追記
1月14日に『遺体』の舞台となった釜石市でトークイベントを行うことになりました。よろしければお越し下さい。
http://www.shinchosha.co.jp/event/#20120114_01
去年は、めまぐるしく一年が過ぎ去りました。
ざっくり書くと……
1月にコロンビアでの子供兵の取材から帰国。
すぐに絵本『おかえり、また会えたね』(東京書籍)を出版。そして、コロンビアの子供兵の原稿を書き終え、『飢餓浄土』(河出書房新社)の発売日を迎えたと思ったら、その日に東日本大震災発生。
小学館週刊ポストの後押しを受けてすぐに現地入り。そこから約2か月半被災地に滞在しながら、週刊誌、月刊誌にルポを書き、そのさなかの4月に新作『ルポ 餓死現場で生きる』(ちくま新書)を発売。
取材が終わって東京に戻ってきたら、その月に『絶対貧困』(新潮文庫)の文庫版を発売。
そこから2カ月で『遺体』(新潮社)を書き上げ、10月に発売。
書き終わったその月から、『ニッポン異国紀行』(NHK新書)『アジアにこぼれた涙』(旅行人)と徳間書店の新雑誌『読楽』での新連載「津波の墓標」を執筆。
で、12月下旬からは『新潮45』の新連載(タイトル未定)、幻冬社Webマガジンでの連載(タイトル未定)の準備……。
(上記、雑誌やムックなどの仕事については割愛。書籍のみ)
という感じでした。
ふり返ってみて、一番印象に残ったのは当然のことながら東日本大震災でした。
年末にテレビを見ていたら、ある歌手が「震災の後、歌うことしかできない自分自身に対して、『こんなことをしていていいのか』と思った」と言っていました。
(ちょうど来年春にスタート予定の連載<戦後の浮浪児>の取材ノートを整理していたこともあり、「美空ひばりもそんな思いを抱きながら歌っていたのかもなー、なんて思いました)
これは、書いている人間も同じで、あの震災の直後現場に身を置いている間、ずっと「こんなことをしていていいのか」と思っていたはずです。
僕自身も遺体安置所で働いている人たちに話を聞いている時、被災地で遺体捜索をしている人たちを追いかけている時、遺族の家にお邪魔して話を聞かせてもらっている時、ずっと「こんなことをしていていいのか」と思っていました。
この疑問は、震災に限らず、すべてのノンフィクション取材において当てはまります。
そして、取材を終え、執筆を終え、本を出したとしても、「取材対象者がこれを読んでどう思うか。傷つけることになりはしないか」という後ろめたさとして残ります。
ノンフィクションを書く、あるいは「現実」の中で仕事をするという仕事は、そうした罪を背負うことと同義なのです。
(だからこそ、本を書いてほめられたとしても心から嬉しいと思ったことは一度もありません。賞賛されたり罵倒されたりして感じる喜怒哀楽より、取材対象者が読んでどう思うかという不安の方が圧倒的に大きいのです)
今回は日本を舞台にすることで、あらためてそのことを教えられた気が気がします。
とはいえ、僕としては文章を書いて生きていくと決めた時点でそうした「書くことの原罪」を背負うことを覚悟しています。
なので、とにかく今は、一つ一つの仕事に全身全霊を込めて向かっていくことしかできません。
それは、今年も同じです。
2012年に何が起こるかはまったくわかりませんが、とにかくズンズンまい進し、僕にしかできないことを全身全霊を込めてやり遂げていきたいと思っています。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
追記
1月14日に『遺体』の舞台となった釜石市でトークイベントを行うことになりました。よろしければお越し下さい。
http://www.shinchosha.co.jp/event/#20120114_01
2011年12月17日
蔵前仁一さんとの対談動画
拙著『地を這う祈り』(徳間書店)は、世界の最底辺の暮らしぶりを写真とエッセーで紹介するフォト・エッセー集です。
これまで僕の本は活字がほとんどで写真はつかってきませんでしたが、本書ではまったく反対に、路上生活者、物乞い、スラム、戦場、虐殺、物売り、恋愛、排せつ、遺体、祭り、麻薬など貧困にある生活のすべてを写真とともに紹介しています。
もちろん、これまで『物乞う仏陀』『神の棄てた裸体』『レンタルチャイルド』などで描いた人々も登場します。
実は、先日この『地を這う祈り』という本をめぐって、「旅行人」の蔵前仁一さんとの対談が行われました。
蔵前さんにこの本の中から気になる写真を何枚か選んでもらい、そこから二人で「旅で直面する衝撃・旅を活字にすること・現実を映像化すること」などについてとことん話し合っています。
蔵前仁一さんは、僕が作家として処女作を出す前から縁があり、応援してくださいました。
そのことについてもちょっと触れていますが、いずれにせよ、僕のことをもっともよく知る方の一人だと思います。
お時間のある時に、見ていただければ嬉しいです。
■対談パート1
http://youtu.be/Jdx5jI_IcK4
■対談パート2
http://youtu.be/Yh-o-1GF6Hc

地を這う祈り
クチコミを見る
これまで僕の本は活字がほとんどで写真はつかってきませんでしたが、本書ではまったく反対に、路上生活者、物乞い、スラム、戦場、虐殺、物売り、恋愛、排せつ、遺体、祭り、麻薬など貧困にある生活のすべてを写真とともに紹介しています。
もちろん、これまで『物乞う仏陀』『神の棄てた裸体』『レンタルチャイルド』などで描いた人々も登場します。
実は、先日この『地を這う祈り』という本をめぐって、「旅行人」の蔵前仁一さんとの対談が行われました。
蔵前さんにこの本の中から気になる写真を何枚か選んでもらい、そこから二人で「旅で直面する衝撃・旅を活字にすること・現実を映像化すること」などについてとことん話し合っています。
蔵前仁一さんは、僕が作家として処女作を出す前から縁があり、応援してくださいました。
そのことについてもちょっと触れていますが、いずれにせよ、僕のことをもっともよく知る方の一人だと思います。
お時間のある時に、見ていただければ嬉しいです。
■対談パート1
http://youtu.be/Jdx5jI_IcK4
■対談パート2
http://youtu.be/Yh-o-1GF6Hc

地を這う祈り
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2011年12月09日
『遺体』について大切なお知らせ
『遺体―震災、津波の果てに』について、重要なお知らせがあります。
現在本書は6刷が決まっていますが、来週早々にも刷り上がる予定の5刷から本文に登場する名前が一部変わります。
その経緯について、以下ご説明いたします。
先日、私のもとに一通のメールが届きました。
釜石市に暮らす小野寺さんという30代の男性でした。
そのメールには、「『遺体』の中で津波で死亡したと書かれている赤ちゃんは自分の子供かもしれない」とありました。
大まかに言えば、やりとりした内容は次のようなものでした。
<本文中で書かれている「生後100日で死亡した相太君」は、私の息子だと思います。
本に書かれているように、3月11日、津波が襲ってきた日、妻は生まれたばかりの赤ちゃんを抱えて逃げようとしました。
けれど、途中で妻は津波にのまれて赤ちゃんは手から離れてしまった。そして、母親だけが助かったのです。
私が勤務先から帰ることができたのが翌日でした。
生まれて間もない赤ちゃんが津波にのまれたと聞いて、必死に捜し回りました。
すると、瓦礫の中に、赤ちゃんの遺体を見つけたのです。
私は号泣しながら自分の手で抱き上げ、家で遺体の顔などについた泥をお湯で洗いました。
その後、私は勤務先に行かなければならず、家を離れました。
その間に、自衛隊の方がやってきて、息子の遺体は祖父母とともに安置所に運ばれました。
そして、本文に書いてあるように、医師の小泉先生に検案書を書いてもらい、管理人の千葉さんなどに声をかけてもらったのです。
こうした経緯は、『遺体』に書かれている<相太君>の話とほとんど同じです。
当時、生後間もない赤ちゃんの遺体は、うちの息子以外に安置所にいませんでした。そのことを考えても、<相太君>はうちの子供だと思います。
息子の本当の名前は「雄飛」という名前です。
本のあとがきには、「故人については仮名で記している」と書かれているので、おそらく、「雄飛」を「相太」にしているのだと思います。
ただ、もし本当に私の子供だとしたら、その記録が本に載るのならばありがたいと思っています。
そこで以下のお願いを聞いてくれませんか。
1、仮名ではなく、本名の「雄飛」にしてもらうことは可能でしょうか。
(こちらは、私がメールを読んでそう望んでいるのだと考えてご提案し、小野寺さんの方からも「本文中の表記を「雄飛」に直していただけるなら、私たち夫婦にとってこんなに嬉しいことはないです」とのことでした)
2、息子は「生後100日」ではなく、「生後54日」でした。こちらも訂正することは可能でしょうか
よろしくお願いいたします>
本書のあとがきにも書きましたが、私は『遺体』を書くにあたってプライバシー保護のため登場する故人の名前はすべて仮名にいたしました。「相太」というのも仮名でした。
しかし、小野寺さんとしては、亡くなった赤ちゃんが本に記録として書き残されるのは「ありがたい」し、「本名」で書いてもらった方がいい、ということだったのでしょう。
それで確認も含めてメールを送ってこられたのです。
ただ、メールをもらった時点では、私はこの赤ちゃんが本当に小野寺さんのお子さんかどうか断言できませんでした。
というのも、赤ちゃんは自衛隊とともに祖父母の手によって安置所に運ばれてきたのですが、その時私は現場に立ちあっておらず、運ばれてきた時の詳細については後日管理人の千葉さんやその他数名の安置所の関係者からインタビューによって聞き取ったことだったからです。
安置所の関係者は、赤ちゃんのことをよく覚えていました。
それは、生まれたばかりの赤ちゃんだったということと、ご両親が毎日会いにやってきて遺体の前で涙を流していたことが印象的だったのでしょう。
お母さんは安置所にやってきては、遺体に向かって「助けることができなくてごめんね、ごめんね」と泣いて謝っていました。
管理人の千葉さんはお母さんに「毎日会いに来てあげてください。きっとお子さんも喜んでいますから」と慰めました。
そこにいた人々には忘れられない光景だったのです。
ただ、震災発生後間もない混乱状態での出来事だったので、あとから聞いても関係者は赤ちゃんの本名を憶えていませんでした。
数百の遺体を扱わなければならなかったから、仕方のないことです。
そこで、私はこれらのインタビューをまとめて「相太」という仮名で本の一部で描いたのです。
本当に、「相太」君は「雄飛」君なのか。
私は新潮社の担当編集者にメールの内容をつたえた上で、相談して調査してみることにしました。
できれば、小野寺さんのご希望に対してできるだけのことをしたい。
それが私と編集者の思いでした。
それで手分けして、釜石市の役所や安置所の関係者に再度取材をしてみることにしました。
その結果、「相太」君は「雄飛」君であると断定してよいだろうという結論に達しました。
以下が理由です。
・釜石市で同時期に「0歳」で亡くなったのは1名しかいなかった。(市の回答)
・関係者からも「おそらく、そういう名前だったと思う」という回答を得られた。
・私が所持する火葬リスト表の名前や火葬日もそれらと一致する。
こうしたことから、私は編集者と話し合い、そして再度小野寺さんに了解を取った上で、5刷から「相太」を「雄飛」君という本名に書きかえることにしました。
一方、<生後100日>の件については、本当に悩みました。
小野寺さんとしては、<生後100日>と<生後54日>は意味合いがまったく違います。
もし、54日でなく、100日生きることができたら、どんなにかよかったでしょう。それが父親の思いなのです。
そうした無念さをつたえるためにも、小野寺さんは54日に変えてほしいと願うのは当然のことです。
しかし、私は編集者と深く話し合った結果、<生後100日>の文章はそのままにすることにしました。
それはノンフィクションとしてどうしても変えられない以下の事情があったためです。
私がインタビューした関係者は、間違いなく「生後100日というメモがあった」と証言していました。これは複数の人が証言しています。
私も本書では「赤ちゃんが生後100日だった」と書いているわけではなく、「赤ちゃんの遺体に生後100日というメモが貼ってあった」と書いています。
小野寺さんはこうしたメモはなかったとおっしゃっていました。
しかし、遺体が安置所に運ばれてきた時、小野寺さんはいませんでした。小野寺さんが安置所へ行ったのは勤務先からもどってきた翌日以降のことです。
つまり、安置所の関係者たちが目にした時の日にちと、小野寺さんが見た日にちにズレがあるのです。
これは、小野寺さんが勤務先に行っていた間に、<生後100日>という過ったメモが貼ってあった可能性があることを示します。
だとしたら、「ノンフィクション作品」である限り、「<生後100日>というメモが貼ってあった」という記述は正しいということになり、そこを書き換えるわけにはいかなくなるのです。
そこを書き換えたら、「関係者の証言で構成したノンフィクション作品」であるという前提が崩れてしまうのです。
私は編集者と相談し、この作品を関係者の証言で構成している以上、関係者の証言通り描き記すのが道義ではないかと判断し、小野寺さんに了解を取ってそのままにすることにしました。
小野寺さんもご理解くださいました。
とはいえ、先にも書いたように、小野寺さんにとっては、100日と54日には大きな差があります。
わずか46日の違いとはいえ、雄飛君にとっては倍の人生を送れたことになり、親御さんは倍の時間子供とともに過ごせたのです。
その思いを考えると、「生後100日のメモがあった」と書いたままにしておくことが、小野寺さんの心に傷を残すことになりはしないかと懸念いたしました。
そうしたことを考慮した上で、本の記述を変えることはできないものの、このブログでその経緯と実情をすべて明かすことにしたのです。
このブログをアップするまで、私は小野寺さんと何度もメールのやりとりをして、当時の状況を詳しく聞きました。
生後一カ月半の「雄飛」の写真も見せていただきました。
あの日からの日記も読ませていただきました。
雄飛君の笑顔は、写真を見ただけでも赤ちゃんの温かさや香りがつたわってくるようなかわいらしいものでした。
お母さんは、雄飛君をどんなにか守りたかったことでしょう。
津波に流されて、雄飛君が自分の腕から離れてしまった時、どんなことを思ったでしょう。
父親である小野寺さんは、瓦礫の中で自分の息子の遺体を発見した時、どんな気持ちだったでしょう。
その後、何を考えながら赤ちゃんの顔についた汚れをお湯で洗ったのでしょう。
そして、ご夫婦が安置所へ毎日訪れ「助けてあげられなくてごめんね」と謝りつづけた時の気持ちはいかばかりだったでしょう。
小野寺さんから体験談を聞く度に、私は津波の被害を受けた人たちの胸の内を考えました。
小野寺さんだけでなく、被災した人の数だけこうした経験があり、それぞれの苦悩を背負っているのです。
私としては、そうした小さな個人の思いや物語を大切にして記録したいと思い、『遺体』を書き上げました。
おそらく今年の末、そして来年の1周忌には、メディアはある程度大きく津波を取り上げるでしょう。
しかし、それを過ぎてしまえばメディアに津波の映像が登場することは少なくなり、人々の記憶から津波のことは急速に薄れていくはずです。
しかし、忘れないでいただきたいのは、『遺体』で書いたことはすべて事実だということです。
そして、小野寺さんのようなご遺族は他にも何万人とおり、それぞれが小野寺さんのようなつらい過去を背負いながら生きているのです。
その生きている場所は、私たちが暮らしている同じ日本なのです。
私は小野寺さんからメールをいただき、雄飛君の本名を載せてほしいと言われた時、小野寺さんの二つの思いを聞いたような気がしました。
一つが、雄飛君が生きた証を残してあげたいということ。
そして、もう一つが、こうした現実があったことを、多くの人の記憶に知ってもらいたいということでした。
前者はかなえられましたが、後者は定かではありません。
この本がどれだけ多くの方に読んでいただけるかわかりませんし、いつかは絶版になるのが本の宿命です。関心が薄れていけば次第に読まれることも減っていくでしょう。
しかし、もしみなさんが『遺体』あるいはこのブログを読んで何か一つでも感じたことがあれば、それを津波を経験した人たちのためにも、語りついでいただければと願っています。
それが被災した小野寺さんをはじめとした、大勢の人たちの願いをかなえることになるのですから。
現在本書は6刷が決まっていますが、来週早々にも刷り上がる予定の5刷から本文に登場する名前が一部変わります。
その経緯について、以下ご説明いたします。
先日、私のもとに一通のメールが届きました。
釜石市に暮らす小野寺さんという30代の男性でした。
そのメールには、「『遺体』の中で津波で死亡したと書かれている赤ちゃんは自分の子供かもしれない」とありました。
大まかに言えば、やりとりした内容は次のようなものでした。
<本文中で書かれている「生後100日で死亡した相太君」は、私の息子だと思います。
本に書かれているように、3月11日、津波が襲ってきた日、妻は生まれたばかりの赤ちゃんを抱えて逃げようとしました。
けれど、途中で妻は津波にのまれて赤ちゃんは手から離れてしまった。そして、母親だけが助かったのです。
私が勤務先から帰ることができたのが翌日でした。
生まれて間もない赤ちゃんが津波にのまれたと聞いて、必死に捜し回りました。
すると、瓦礫の中に、赤ちゃんの遺体を見つけたのです。
私は号泣しながら自分の手で抱き上げ、家で遺体の顔などについた泥をお湯で洗いました。
その後、私は勤務先に行かなければならず、家を離れました。
その間に、自衛隊の方がやってきて、息子の遺体は祖父母とともに安置所に運ばれました。
そして、本文に書いてあるように、医師の小泉先生に検案書を書いてもらい、管理人の千葉さんなどに声をかけてもらったのです。
こうした経緯は、『遺体』に書かれている<相太君>の話とほとんど同じです。
当時、生後間もない赤ちゃんの遺体は、うちの息子以外に安置所にいませんでした。そのことを考えても、<相太君>はうちの子供だと思います。
息子の本当の名前は「雄飛」という名前です。
本のあとがきには、「故人については仮名で記している」と書かれているので、おそらく、「雄飛」を「相太」にしているのだと思います。
ただ、もし本当に私の子供だとしたら、その記録が本に載るのならばありがたいと思っています。
そこで以下のお願いを聞いてくれませんか。
1、仮名ではなく、本名の「雄飛」にしてもらうことは可能でしょうか。
(こちらは、私がメールを読んでそう望んでいるのだと考えてご提案し、小野寺さんの方からも「本文中の表記を「雄飛」に直していただけるなら、私たち夫婦にとってこんなに嬉しいことはないです」とのことでした)
2、息子は「生後100日」ではなく、「生後54日」でした。こちらも訂正することは可能でしょうか
よろしくお願いいたします>
本書のあとがきにも書きましたが、私は『遺体』を書くにあたってプライバシー保護のため登場する故人の名前はすべて仮名にいたしました。「相太」というのも仮名でした。
しかし、小野寺さんとしては、亡くなった赤ちゃんが本に記録として書き残されるのは「ありがたい」し、「本名」で書いてもらった方がいい、ということだったのでしょう。
それで確認も含めてメールを送ってこられたのです。
ただ、メールをもらった時点では、私はこの赤ちゃんが本当に小野寺さんのお子さんかどうか断言できませんでした。
というのも、赤ちゃんは自衛隊とともに祖父母の手によって安置所に運ばれてきたのですが、その時私は現場に立ちあっておらず、運ばれてきた時の詳細については後日管理人の千葉さんやその他数名の安置所の関係者からインタビューによって聞き取ったことだったからです。
安置所の関係者は、赤ちゃんのことをよく覚えていました。
それは、生まれたばかりの赤ちゃんだったということと、ご両親が毎日会いにやってきて遺体の前で涙を流していたことが印象的だったのでしょう。
お母さんは安置所にやってきては、遺体に向かって「助けることができなくてごめんね、ごめんね」と泣いて謝っていました。
管理人の千葉さんはお母さんに「毎日会いに来てあげてください。きっとお子さんも喜んでいますから」と慰めました。
そこにいた人々には忘れられない光景だったのです。
ただ、震災発生後間もない混乱状態での出来事だったので、あとから聞いても関係者は赤ちゃんの本名を憶えていませんでした。
数百の遺体を扱わなければならなかったから、仕方のないことです。
そこで、私はこれらのインタビューをまとめて「相太」という仮名で本の一部で描いたのです。
本当に、「相太」君は「雄飛」君なのか。
私は新潮社の担当編集者にメールの内容をつたえた上で、相談して調査してみることにしました。
できれば、小野寺さんのご希望に対してできるだけのことをしたい。
それが私と編集者の思いでした。
それで手分けして、釜石市の役所や安置所の関係者に再度取材をしてみることにしました。
その結果、「相太」君は「雄飛」君であると断定してよいだろうという結論に達しました。
以下が理由です。
・釜石市で同時期に「0歳」で亡くなったのは1名しかいなかった。(市の回答)
・関係者からも「おそらく、そういう名前だったと思う」という回答を得られた。
・私が所持する火葬リスト表の名前や火葬日もそれらと一致する。
こうしたことから、私は編集者と話し合い、そして再度小野寺さんに了解を取った上で、5刷から「相太」を「雄飛」君という本名に書きかえることにしました。
一方、<生後100日>の件については、本当に悩みました。
小野寺さんとしては、<生後100日>と<生後54日>は意味合いがまったく違います。
もし、54日でなく、100日生きることができたら、どんなにかよかったでしょう。それが父親の思いなのです。
そうした無念さをつたえるためにも、小野寺さんは54日に変えてほしいと願うのは当然のことです。
しかし、私は編集者と深く話し合った結果、<生後100日>の文章はそのままにすることにしました。
それはノンフィクションとしてどうしても変えられない以下の事情があったためです。
私がインタビューした関係者は、間違いなく「生後100日というメモがあった」と証言していました。これは複数の人が証言しています。
私も本書では「赤ちゃんが生後100日だった」と書いているわけではなく、「赤ちゃんの遺体に生後100日というメモが貼ってあった」と書いています。
小野寺さんはこうしたメモはなかったとおっしゃっていました。
しかし、遺体が安置所に運ばれてきた時、小野寺さんはいませんでした。小野寺さんが安置所へ行ったのは勤務先からもどってきた翌日以降のことです。
つまり、安置所の関係者たちが目にした時の日にちと、小野寺さんが見た日にちにズレがあるのです。
これは、小野寺さんが勤務先に行っていた間に、<生後100日>という過ったメモが貼ってあった可能性があることを示します。
だとしたら、「ノンフィクション作品」である限り、「<生後100日>というメモが貼ってあった」という記述は正しいということになり、そこを書き換えるわけにはいかなくなるのです。
そこを書き換えたら、「関係者の証言で構成したノンフィクション作品」であるという前提が崩れてしまうのです。
私は編集者と相談し、この作品を関係者の証言で構成している以上、関係者の証言通り描き記すのが道義ではないかと判断し、小野寺さんに了解を取ってそのままにすることにしました。
小野寺さんもご理解くださいました。
とはいえ、先にも書いたように、小野寺さんにとっては、100日と54日には大きな差があります。
わずか46日の違いとはいえ、雄飛君にとっては倍の人生を送れたことになり、親御さんは倍の時間子供とともに過ごせたのです。
その思いを考えると、「生後100日のメモがあった」と書いたままにしておくことが、小野寺さんの心に傷を残すことになりはしないかと懸念いたしました。
そうしたことを考慮した上で、本の記述を変えることはできないものの、このブログでその経緯と実情をすべて明かすことにしたのです。
このブログをアップするまで、私は小野寺さんと何度もメールのやりとりをして、当時の状況を詳しく聞きました。
生後一カ月半の「雄飛」の写真も見せていただきました。
あの日からの日記も読ませていただきました。
雄飛君の笑顔は、写真を見ただけでも赤ちゃんの温かさや香りがつたわってくるようなかわいらしいものでした。
お母さんは、雄飛君をどんなにか守りたかったことでしょう。
津波に流されて、雄飛君が自分の腕から離れてしまった時、どんなことを思ったでしょう。
父親である小野寺さんは、瓦礫の中で自分の息子の遺体を発見した時、どんな気持ちだったでしょう。
その後、何を考えながら赤ちゃんの顔についた汚れをお湯で洗ったのでしょう。
そして、ご夫婦が安置所へ毎日訪れ「助けてあげられなくてごめんね」と謝りつづけた時の気持ちはいかばかりだったでしょう。
小野寺さんから体験談を聞く度に、私は津波の被害を受けた人たちの胸の内を考えました。
小野寺さんだけでなく、被災した人の数だけこうした経験があり、それぞれの苦悩を背負っているのです。
私としては、そうした小さな個人の思いや物語を大切にして記録したいと思い、『遺体』を書き上げました。
おそらく今年の末、そして来年の1周忌には、メディアはある程度大きく津波を取り上げるでしょう。
しかし、それを過ぎてしまえばメディアに津波の映像が登場することは少なくなり、人々の記憶から津波のことは急速に薄れていくはずです。
しかし、忘れないでいただきたいのは、『遺体』で書いたことはすべて事実だということです。
そして、小野寺さんのようなご遺族は他にも何万人とおり、それぞれが小野寺さんのようなつらい過去を背負いながら生きているのです。
その生きている場所は、私たちが暮らしている同じ日本なのです。
私は小野寺さんからメールをいただき、雄飛君の本名を載せてほしいと言われた時、小野寺さんの二つの思いを聞いたような気がしました。
一つが、雄飛君が生きた証を残してあげたいということ。
そして、もう一つが、こうした現実があったことを、多くの人の記憶に知ってもらいたいということでした。
前者はかなえられましたが、後者は定かではありません。
この本がどれだけ多くの方に読んでいただけるかわかりませんし、いつかは絶版になるのが本の宿命です。関心が薄れていけば次第に読まれることも減っていくでしょう。
しかし、もしみなさんが『遺体』あるいはこのブログを読んで何か一つでも感じたことがあれば、それを津波を経験した人たちのためにも、語りついでいただければと願っています。
それが被災した小野寺さんをはじめとした、大勢の人たちの願いをかなえることになるのですから。
2011年11月14日
遺体を映すべき?
『遺体―震災、津波の果てに』を読んで下さった方々から、よく「なぜメディアは遺体を隠したんですか」と尋ねられる。
時にはインタビューを受けていて、記者本人から訊かれることもある。
実際、3.11の直後から取材をしていて、メディアが「隠している」というのは感じていた。
ある雑誌のカメラマンは当日に被災地に派遣されたとき、「とにかく遺体の写真を撮ってこい」と命じられたにもかかわらず、発売直前になって方針転換して遺体の写真以外のものを数多く撮ることを命じられていた。
あるテレビ局の関係者は、ひたらすら被災地の映像に遺体が映っていないかどうか何十回も調べさせられ、「絶対にない」というものだけを放送していた。
いろんなメディアでそうしたことが多かれ少なかれあったのだ。
とはいえ、僕自身、大手メディアが遺体を映す必要はなかったと思っている。
今回の災害は「天災」であり、「人災」ではない。戦争のような人災ならば「人間ってこんなひどいことをしているんだ」ということを知らせるために遺体を映す必要はあるかもしれない。
しかし、誰が悪いわけでもない天災において、個人や遺族のプライバシーを犠牲にしてまで遺体を大手メディアが流すべきではないと思う。
マスメディアは良くも悪くも情報を垂れ流しにする媒体だ。
これが高い料金設定の単行本や映画とは違う点だ。
マスメディアは読者、視聴者がもし「見たくない」と思っていても、見せてしまう。そういう性質をもったメディアなのだ。
かつて情報の発信源がマスメディアしかなかった時代においては、「現実をつたえる」という意味ですべてをありのままに流す必要はあっただろう。
しかし、現在はネットなど様々なメディアがあり、そこが好き放題いろんな情報を流している。遺体の写真だって探せばたくさんある。
そういう状況にもかかわらず、マスメディアが故人や遺族のプライバシーを踏みにじってまで遺体の映像を流す必要はないと僕は思っている。
「現実」を見たい人はマスメディアに頼るのではなく、自分で探して自分の選択で見るべきだ。
少なくとも、僕はそういう時代になっていると思う。
しかし、マスメディアは実際にそこまで考えて取材をしていただろうか。
そうだったらいい。ところが、僕はなかなかそうは思えない。
テレビはすべて横一列に同じ規制をかけて、同じようなニュースしか流さなかった。
新聞だって同じだ。深いちゃんとした記事がどれほどあったか。
たとえば、3月12日〜20日ぐらいまでは、ガソリン不足から遺体安置所へいけない家族が大勢いた。
そのおかげで、家族の中には遺体が悪くなっていくにもかかわらず、探しに行くことさえできずにいる人たちもいた。悔し涙を流す遺族に何人も会ったことがある。
(大体20日ぐらいから自治体が遺体安置所を巡る巡回バスを出した)
この時、いち早く、メディアが遺体安置所状況をつたえて「どうにかすべきだ!」と言えたはずではないか。
あるいは、火葬だって同様だ。
火葬ができなかったため、3月の末になっても安置所に放ったらかしになっていた遺体がたくさんあった。どんどん悪くなっていっていた。
この時、メディアは「感動の復興秘話」ばかり伝えるのではなく、「遺体がこんな状態になっている。ほかの自治体も全力で力を合わせてどうにかできないのか!」と訴えられたはずではないか。
遺体捜索をしていた人たちの問題だってある。
遺体捜索をしている人の中には、あまりに無残な遺体を目にして夜逃げ同然にいなくなってしまった人もいた。精神を病んだ人も大勢いた。
メディアは「現場では遺体がこんな状況になっていて、一般市民が捜索に駆り出されてこんな事態に追い詰められている。誰かもっと何かできないか」と言えたはずではないか。
私は、遺体を映せとか、残酷な現実を伝えろ、と言いたいのではない。
すべてのメディアが一律に「こうすれば問題ないだろう」という考えのもとで物事に規制をかけていくのではなく、一つ一つのメディアが「今はこうするべきだ」と考えて情報を発信していくことが必要ではないか、と考えるのだ。
もし全部が「こうすれば問題ないだろう」で行うのならば、極端な話NHKだけあればいいという話にもなりかねない。
にもかかわらず、マスメディアの人たちと話をしていると、まるで決まったセリフのようにこう愚痴を漏らす。
「ウチじゃ、そもそも無理だから」
「そういうのやりたいなら、自分で立ち上げてやるしかないよね」
「マスメディアってそういうのはできないからね」
あんたの所が無理なら他にどこがやるっていうんだ? と言いたくなるが、基本的にはすべてこの態度である。
それがサラリーマンだとか、会社組織の限界だとか言われれば、それまでだし、就職をしたことのない僕には口をはさむ資格はなくなってしまうのだが、ただ一つ言えることは以下だ。
「だから、人は君たちのメディアに魅力を感じないのだ。当然、そうなれば人はどんどんメディアから離れていく。結果として、世界はどんどん狭まっていくし、君たちに対する規制もどんどんきつくなっていく。それが現在のマスメディアじゃないの?」
そりゃ、内部にいれば「大人の事情」なんていくらでもある。
しかし、時と場合によっては、そうした「こうすれば問題ないだろう」ではなく、「今こうすることの方が大切なのではないか」と各々が自分たちの頭で考えて行動することが必要になるのだ。
特に、今回のような大災害の時はそれが当てはまる。
何度もくり返すが、遺体や残酷な情報を流せばいいということではない。僕自身は流すべきではなかったと思っている。
しかし、重要なのはそんな議論ではなく、「こうすれば問題ないだろう」という方針で一律に報じるべき事実をとらえてしまうのではなく、個々が「これこそが重要だからどう報じるか」と判断していくことなのだ。
だが、ほとんどの人はそうしなかった。みんな平時と同じように、大人ぶって物わかりのいいふりをしているだけだった。
「遺体は映すな」「残酷なところの情報は流すな」といった姿勢だけで報道を行っていた。
僕は遺体云々ではなく、そのことが何より情けなく思う。
★★『遺体』情報★★
以下、最近の情報です。ありがとうございます。
★ラジオ
TBSラジオ「キラ☆キラ」で小島慶子さんが『遺体』をご紹介してくださいました。
http://podcast.tbsradio.jp/kirakira/files/20111108_op.mp3
★日刊サイゾー
『遺体』がニュース配信されました。
http://news.livedoor.com/article/detail/6008508/
★「王様のブランチ」で文芸ランク2位になりました。
1位 謎解きはディナーのあとで
2位 遺体
3位 ジェノサイド
4位 かわいそうだね?
5位 舟を編む
★読売新聞(11月13日)の朝刊で紹介されました。
http://www.yomiuri.co.jp/book/raiten/20111114-OYT8T00640.htm?from=tw
時にはインタビューを受けていて、記者本人から訊かれることもある。
実際、3.11の直後から取材をしていて、メディアが「隠している」というのは感じていた。
ある雑誌のカメラマンは当日に被災地に派遣されたとき、「とにかく遺体の写真を撮ってこい」と命じられたにもかかわらず、発売直前になって方針転換して遺体の写真以外のものを数多く撮ることを命じられていた。
あるテレビ局の関係者は、ひたらすら被災地の映像に遺体が映っていないかどうか何十回も調べさせられ、「絶対にない」というものだけを放送していた。
いろんなメディアでそうしたことが多かれ少なかれあったのだ。
とはいえ、僕自身、大手メディアが遺体を映す必要はなかったと思っている。
今回の災害は「天災」であり、「人災」ではない。戦争のような人災ならば「人間ってこんなひどいことをしているんだ」ということを知らせるために遺体を映す必要はあるかもしれない。
しかし、誰が悪いわけでもない天災において、個人や遺族のプライバシーを犠牲にしてまで遺体を大手メディアが流すべきではないと思う。
マスメディアは良くも悪くも情報を垂れ流しにする媒体だ。
これが高い料金設定の単行本や映画とは違う点だ。
マスメディアは読者、視聴者がもし「見たくない」と思っていても、見せてしまう。そういう性質をもったメディアなのだ。
かつて情報の発信源がマスメディアしかなかった時代においては、「現実をつたえる」という意味ですべてをありのままに流す必要はあっただろう。
しかし、現在はネットなど様々なメディアがあり、そこが好き放題いろんな情報を流している。遺体の写真だって探せばたくさんある。
そういう状況にもかかわらず、マスメディアが故人や遺族のプライバシーを踏みにじってまで遺体の映像を流す必要はないと僕は思っている。
「現実」を見たい人はマスメディアに頼るのではなく、自分で探して自分の選択で見るべきだ。
少なくとも、僕はそういう時代になっていると思う。
しかし、マスメディアは実際にそこまで考えて取材をしていただろうか。
そうだったらいい。ところが、僕はなかなかそうは思えない。
テレビはすべて横一列に同じ規制をかけて、同じようなニュースしか流さなかった。
新聞だって同じだ。深いちゃんとした記事がどれほどあったか。
たとえば、3月12日〜20日ぐらいまでは、ガソリン不足から遺体安置所へいけない家族が大勢いた。
そのおかげで、家族の中には遺体が悪くなっていくにもかかわらず、探しに行くことさえできずにいる人たちもいた。悔し涙を流す遺族に何人も会ったことがある。
(大体20日ぐらいから自治体が遺体安置所を巡る巡回バスを出した)
この時、いち早く、メディアが遺体安置所状況をつたえて「どうにかすべきだ!」と言えたはずではないか。
あるいは、火葬だって同様だ。
火葬ができなかったため、3月の末になっても安置所に放ったらかしになっていた遺体がたくさんあった。どんどん悪くなっていっていた。
この時、メディアは「感動の復興秘話」ばかり伝えるのではなく、「遺体がこんな状態になっている。ほかの自治体も全力で力を合わせてどうにかできないのか!」と訴えられたはずではないか。
遺体捜索をしていた人たちの問題だってある。
遺体捜索をしている人の中には、あまりに無残な遺体を目にして夜逃げ同然にいなくなってしまった人もいた。精神を病んだ人も大勢いた。
メディアは「現場では遺体がこんな状況になっていて、一般市民が捜索に駆り出されてこんな事態に追い詰められている。誰かもっと何かできないか」と言えたはずではないか。
私は、遺体を映せとか、残酷な現実を伝えろ、と言いたいのではない。
すべてのメディアが一律に「こうすれば問題ないだろう」という考えのもとで物事に規制をかけていくのではなく、一つ一つのメディアが「今はこうするべきだ」と考えて情報を発信していくことが必要ではないか、と考えるのだ。
もし全部が「こうすれば問題ないだろう」で行うのならば、極端な話NHKだけあればいいという話にもなりかねない。
にもかかわらず、マスメディアの人たちと話をしていると、まるで決まったセリフのようにこう愚痴を漏らす。
「ウチじゃ、そもそも無理だから」
「そういうのやりたいなら、自分で立ち上げてやるしかないよね」
「マスメディアってそういうのはできないからね」
あんたの所が無理なら他にどこがやるっていうんだ? と言いたくなるが、基本的にはすべてこの態度である。
それがサラリーマンだとか、会社組織の限界だとか言われれば、それまでだし、就職をしたことのない僕には口をはさむ資格はなくなってしまうのだが、ただ一つ言えることは以下だ。
「だから、人は君たちのメディアに魅力を感じないのだ。当然、そうなれば人はどんどんメディアから離れていく。結果として、世界はどんどん狭まっていくし、君たちに対する規制もどんどんきつくなっていく。それが現在のマスメディアじゃないの?」
そりゃ、内部にいれば「大人の事情」なんていくらでもある。
しかし、時と場合によっては、そうした「こうすれば問題ないだろう」ではなく、「今こうすることの方が大切なのではないか」と各々が自分たちの頭で考えて行動することが必要になるのだ。
特に、今回のような大災害の時はそれが当てはまる。
何度もくり返すが、遺体や残酷な情報を流せばいいということではない。僕自身は流すべきではなかったと思っている。
しかし、重要なのはそんな議論ではなく、「こうすれば問題ないだろう」という方針で一律に報じるべき事実をとらえてしまうのではなく、個々が「これこそが重要だからどう報じるか」と判断していくことなのだ。
だが、ほとんどの人はそうしなかった。みんな平時と同じように、大人ぶって物わかりのいいふりをしているだけだった。
「遺体は映すな」「残酷なところの情報は流すな」といった姿勢だけで報道を行っていた。
僕は遺体云々ではなく、そのことが何より情けなく思う。
★★『遺体』情報★★
以下、最近の情報です。ありがとうございます。
★ラジオ
TBSラジオ「キラ☆キラ」で小島慶子さんが『遺体』をご紹介してくださいました。
http://podcast.tbsradio.jp/kirakira/files/20111108_op.mp3
★日刊サイゾー
『遺体』がニュース配信されました。
http://news.livedoor.com/article/detail/6008508/
★「王様のブランチ」で文芸ランク2位になりました。
1位 謎解きはディナーのあとで
2位 遺体
3位 ジェノサイド
4位 かわいそうだね?
5位 舟を編む
★読売新聞(11月13日)の朝刊で紹介されました。
http://www.yomiuri.co.jp/book/raiten/20111114-OYT8T00640.htm?from=tw
2011年11月08日
若き日の夢
ここ数週間、うれしいニュースが続々と入ってくる。
いや、僕のことではない。僕の友達のことだ。友達たちから「うまくいった!」という報が次々に入ってくるのだ。
■ある医師の場合
村上君という医師がいる。
会ったときはまだ医学生だった。
僕がまだ処女作を出す前、ミャンマー難民の取材をしていた時に出会ったのだ。
彼は夏休みを利用して一人きりでミャンマー難民の病院に寝泊まりし、教科書片手に難民の治療をしていた。
この顛末は、『飢餓浄土』(河出書房新社)という本に詳しく書いたので読んでいただきたいが、ともかく当時僕は本を書くために世界中を歩き回っている得体のしれないガキ。彼は単なる医学生でしかなかった。
で、夜な夜な屋台へ行っては将来の夢について語ったのだが、その時彼がこんなことを言った。
「僕の夢はアフガニスタンで医者をやることなんです。なぜアフガニスタンかって? なんだか、あの岩山に囲まれた荒野の風景が忘れられないんです」
もちろん、こんなことを言う人はゴマンといる。はき捨てるほどいる。しかし、99パーセントはならない。
医者になってそれなりの経験と待遇を得た後に、それをすててアフガニスタンで医者になるやつなんてふつうはいないのである。
村上君には悪いが、僕は心の底では「ま、口だけだろうなー」と思っていた。
ところが、村上君からその後もちょくちょく連絡がきて、留学を考えているとか、いろんな相談を受けた。
僕も気が付けば本を出したりしていた。
で、今回の震災から数日経った日、突然、村上君から連絡があり、こういわれた。
「石井さんですか。僕、いま震災で被害を受けた気仙沼に入っているんです。けど、あと一週間で、ここを離れてタイへ半年間留学するんですよ。それが終わったら、そのままアフガニスタンへ行きます」
で、彼は僕に気仙沼の医者を紹介した後、本当に被災地を離れてタイへ留学してしまった。
そして先日電話があり、突然こういわれたのだ。
「タイの留学が終わりました。アフガニスタンへ明日から行ってきます。石井さんと約束した通り、アフガンへ行くことになったでしょ。帰ってきたら、また飯でも食いに行きましょうー」
いま、村上君は世界一治安の悪い国アフガニスタンの空の下で医師として大活躍中である。
何年越しの夢だろう。最初に会ったのが僕がまだ25歳か26歳ぐらいの時だったから、かれこれ十年越しだろうか。
電話をもらった時、こんなことがあるんだなー、とうれしくなった。
■ある女子大生の場合
今年の冬だったろうか。防衛大にいた女子大生から相談を受けることがあった。
「私は防衛大を卒業します。しかし、本当にこのまま自衛隊に入るのがいいのかわからなくなりました」
で、彼女とたまたま会う機会があった。
たしか3.11の後、僕がたった1日だけ東京に戻ってきた日の夜だったと思う。
対談やら取材やらをこなした後、徳間書店の編集者と某女優さんとそのマネージャーと飲みにいくことになっていたのだが、そのとき彼女がわざわざ僕に会いに東京に出てくるというので誘ったのだ。たしか、防衛大の卒業式の数日後とかそんな感じだったと思う。
話を聞くと、彼女は僕のような仕事をしたいという。
しかし、僕のような仕事は非常にリスクがある。9割以上の人はろくに食べていくこともできない。成功する人なんてほんと一握りだ。
彼女はこのまま防衛大から自衛隊に入れば、信じられないぐらいのエリートコースを進める上、将来もかたい。それを捨てていいのか。
僕は言った。
「自衛隊なんてやめっちまいないよ。わざわざここまで来て僕に意見を聞きに来てるんなら辞めたいんだろ。さっさとやめちゃいな。で、5年以内に僕と一緒に仕事しようぜー。その代り、絶対約束をかなえろよ」
むろん、編集者からは「石井さん、変なこと言わないで下さいよー。彼女の人生を狂わせちゃまずいですよー」と言われた。
しかし、僕はたきつけて「やめろ」の一点張り。
そしたら、半年後、彼女は本当にやめてしまった。
で、就職活動。
最初はまったくうまくいかなかったらしい。
一般企業に勤めると言い出したり、大学院に行くと言い出したりした。しかし、僕はそのたびに「逃げないで目標に向かって進めよ」と言い続けた。
その間も編集者やら作家やらいろんな人を紹介してあげた。そういえば、蔵前仁一さんにも会わせたっけ。
そしたら、数日前、その女性から連絡が入った。
「某社(大手マスコミ)に受かりました! 5年以内に石井さんと仕事をするという約束が励みになっています」
うれしいことではないか。
思わず、夜中にもかかわらず、すぐに電話して「おめでとう!」と叫んでしまった。
たぶん、彼女はがんばるだろう。で、きっと5年以内(すでに1年過ぎたので4年以内だな)に、僕といっしょに仕事をすることになるだろう。
正直、早くその日が来ないかと待ち遠しく思う。
■別の女子大生の場合
これはたしか1年半ぐらい前だろうか。
僕の知り合いの女子高の教師をしている女性から連絡があり、こういわれた。
「うちの元生徒で大学四年の子がいるんですが、どうしても光太君に会いたがっている子がいるのでお願いします」
で、会うことになった。
その日、池袋でトークイベントがあった。
その前に初めて筑摩書房の橋本君(『ルポ餓死現場で生きる』の編集者)と会って打ち合わせをした後、その橋本君を誘ってその女子大生に会って一時間ほど話をした。
彼女は「私、途上国でフェアトレードができるカフェを開くのが夢なんです。けど、これから就職活動をしなきゃいけないという現実があって。どうすればいいでしょう」という。
僕はこういった。
「だったら、就職活動なんてすんなよ。今からアフリカへ行けよ。で、夢だとかいうカフェを開けよ。その代り、アフリカでも一番ひどい国へ行けよ。英語もまったく通じない国。そこで一人で必死になってやったら成功すると思うよ」
いつも通り、たきつけたのである。
そしたら、その後彼女は本当に就職活動を投げ捨てて、アフリカのルワンダへ行ってしまった。
またまた、このことを知った編集者からは非難の嵐である。橋本君はあきれ返り、その後紹介した徳間書店の大久保さんは「人の人生狂わせすぎですよ」を連発する。NHKの福田さんは「はぁ……」と声にならない声を発する。
ところが、またまた先日メールが来た。
「ルワンダでの生活がうまくいっており、夢だったカフェオープンを進行中。来年の三月には完成させる予定」とのこと。
万歳である。
彼女がカフェを開いたら、さっそくルワンダへ遊びに行こうと思う。
そんなこんなで、これ以外にもいろんな友達の「成功話」が舞い込んできた。
みんな考えうる一番厳しい道を選んで、それでちゃんとそこを歩いて行っている。こんな素晴らしいことはない!
こうした報告を受けるたびに、なんつーか、自分の子供が受験に受かったような純粋なうれしさがこみ上げる。
なぜ、こんなことを書いたのか。
先日の神戸のトークイベントが印象的だったからである。
神戸の書店で『遺体』のトークイベントをやったのだが、最後の質疑応答の際に、中学生が手を挙げて震えながら質問をしてきた。高校生からも質問を受けた。
僕は彼らの質問について、できるだけ丁寧に答えてあげた。僕は高校や大学でよく講演をやるので特に珍しい感じはしなかった。
しかし、トークイベントが終わり、打ち上げをしている最中、編集者や協力してくれた方々がその中学生や高校生たちのことを思い出してずっと語っていた。しみじみとこう言うのである。
「あの子たちにとって今日のイベントが本当に一生の思い出になるはず。これから先、本当にうまくいってほしい」と。
みんな、まるでその中学生や高校生の親みたいな顔である。
その時、何気なく僕が自分の携帯からPCのメールを見ると、驚いたことにトークイベントの際に質問をしてきた高校生からメールが来ている。
そのメールを以下に紹介する。
石井さんこんばんわ。突然のメール失礼致しますm(_ _)m
今日の海文堂でのトーク&サイン会に参加させて貰いました高校生です。
僕が始めて読んだ石井さんの著作は、『地を這う祈り』だったのですが、強烈な写真と文で僕の知らない世界が次々に開かれて行きました。同時に描かれている世界と石井さんに対して凄く興味が湧き、今日は参加させて貰いました!
少しの時間だったのでまだまだ石井さんの話を聞きたいので、ブログで過去にあったトークイベントの後の交流会にも機会があれば、参加させて貰いたいです。
大人になって石井さんと仕事が出来るぐらいになるように、日々自分を磨いていきます!
今日は本当にありがとうございました。
僕は常々、中学生、高校生、大学生に夢を与えられるような仕事をしたいという一心でやっている。
だからこそ、正直、これほどうれしいことはない。
あー、神戸に来てよかったなー、と純粋に思った。
きっと彼が就職して仕事が軌道に乗る頃、僕は50歳ぐらいになっているだろう。
けど、彼が突然目の前に現れて「あの時の高校生です。一緒に仕事をしましょう」と言ってもらいたい。だからこそ、ずっとがんばりつづけたいと思う。
そんな日が来たらどんなにうれしいことか。
そんな妄想を抱きながら、今日も僕はせっせと原稿を書き続けるのである。
若人よ、成せば成る!
★★『遺体』関連情報★★
★TBSラジオにて、荻上チキさんが『遺体』を紹介してくださっています。
<11月2日(水)「DigTag コラム・チキチキ塾」>のところで放送を聞くことができます。
http://www.tbsradio.jp/dig/sample.html
★『遺体』の感想がツイッターで上がっています。ライター&編集者の青山ゆみこさんがまとめて下さっています。
http://togetter.com/li/208220
いや、僕のことではない。僕の友達のことだ。友達たちから「うまくいった!」という報が次々に入ってくるのだ。
■ある医師の場合
村上君という医師がいる。
会ったときはまだ医学生だった。
僕がまだ処女作を出す前、ミャンマー難民の取材をしていた時に出会ったのだ。
彼は夏休みを利用して一人きりでミャンマー難民の病院に寝泊まりし、教科書片手に難民の治療をしていた。
この顛末は、『飢餓浄土』(河出書房新社)という本に詳しく書いたので読んでいただきたいが、ともかく当時僕は本を書くために世界中を歩き回っている得体のしれないガキ。彼は単なる医学生でしかなかった。
で、夜な夜な屋台へ行っては将来の夢について語ったのだが、その時彼がこんなことを言った。
「僕の夢はアフガニスタンで医者をやることなんです。なぜアフガニスタンかって? なんだか、あの岩山に囲まれた荒野の風景が忘れられないんです」
もちろん、こんなことを言う人はゴマンといる。はき捨てるほどいる。しかし、99パーセントはならない。
医者になってそれなりの経験と待遇を得た後に、それをすててアフガニスタンで医者になるやつなんてふつうはいないのである。
村上君には悪いが、僕は心の底では「ま、口だけだろうなー」と思っていた。
ところが、村上君からその後もちょくちょく連絡がきて、留学を考えているとか、いろんな相談を受けた。
僕も気が付けば本を出したりしていた。
で、今回の震災から数日経った日、突然、村上君から連絡があり、こういわれた。
「石井さんですか。僕、いま震災で被害を受けた気仙沼に入っているんです。けど、あと一週間で、ここを離れてタイへ半年間留学するんですよ。それが終わったら、そのままアフガニスタンへ行きます」
で、彼は僕に気仙沼の医者を紹介した後、本当に被災地を離れてタイへ留学してしまった。
そして先日電話があり、突然こういわれたのだ。
「タイの留学が終わりました。アフガニスタンへ明日から行ってきます。石井さんと約束した通り、アフガンへ行くことになったでしょ。帰ってきたら、また飯でも食いに行きましょうー」
いま、村上君は世界一治安の悪い国アフガニスタンの空の下で医師として大活躍中である。
何年越しの夢だろう。最初に会ったのが僕がまだ25歳か26歳ぐらいの時だったから、かれこれ十年越しだろうか。
電話をもらった時、こんなことがあるんだなー、とうれしくなった。
■ある女子大生の場合
今年の冬だったろうか。防衛大にいた女子大生から相談を受けることがあった。
「私は防衛大を卒業します。しかし、本当にこのまま自衛隊に入るのがいいのかわからなくなりました」
で、彼女とたまたま会う機会があった。
たしか3.11の後、僕がたった1日だけ東京に戻ってきた日の夜だったと思う。
対談やら取材やらをこなした後、徳間書店の編集者と某女優さんとそのマネージャーと飲みにいくことになっていたのだが、そのとき彼女がわざわざ僕に会いに東京に出てくるというので誘ったのだ。たしか、防衛大の卒業式の数日後とかそんな感じだったと思う。
話を聞くと、彼女は僕のような仕事をしたいという。
しかし、僕のような仕事は非常にリスクがある。9割以上の人はろくに食べていくこともできない。成功する人なんてほんと一握りだ。
彼女はこのまま防衛大から自衛隊に入れば、信じられないぐらいのエリートコースを進める上、将来もかたい。それを捨てていいのか。
僕は言った。
「自衛隊なんてやめっちまいないよ。わざわざここまで来て僕に意見を聞きに来てるんなら辞めたいんだろ。さっさとやめちゃいな。で、5年以内に僕と一緒に仕事しようぜー。その代り、絶対約束をかなえろよ」
むろん、編集者からは「石井さん、変なこと言わないで下さいよー。彼女の人生を狂わせちゃまずいですよー」と言われた。
しかし、僕はたきつけて「やめろ」の一点張り。
そしたら、半年後、彼女は本当にやめてしまった。
で、就職活動。
最初はまったくうまくいかなかったらしい。
一般企業に勤めると言い出したり、大学院に行くと言い出したりした。しかし、僕はそのたびに「逃げないで目標に向かって進めよ」と言い続けた。
その間も編集者やら作家やらいろんな人を紹介してあげた。そういえば、蔵前仁一さんにも会わせたっけ。
そしたら、数日前、その女性から連絡が入った。
「某社(大手マスコミ)に受かりました! 5年以内に石井さんと仕事をするという約束が励みになっています」
うれしいことではないか。
思わず、夜中にもかかわらず、すぐに電話して「おめでとう!」と叫んでしまった。
たぶん、彼女はがんばるだろう。で、きっと5年以内(すでに1年過ぎたので4年以内だな)に、僕といっしょに仕事をすることになるだろう。
正直、早くその日が来ないかと待ち遠しく思う。
■別の女子大生の場合
これはたしか1年半ぐらい前だろうか。
僕の知り合いの女子高の教師をしている女性から連絡があり、こういわれた。
「うちの元生徒で大学四年の子がいるんですが、どうしても光太君に会いたがっている子がいるのでお願いします」
で、会うことになった。
その日、池袋でトークイベントがあった。
その前に初めて筑摩書房の橋本君(『ルポ餓死現場で生きる』の編集者)と会って打ち合わせをした後、その橋本君を誘ってその女子大生に会って一時間ほど話をした。
彼女は「私、途上国でフェアトレードができるカフェを開くのが夢なんです。けど、これから就職活動をしなきゃいけないという現実があって。どうすればいいでしょう」という。
僕はこういった。
「だったら、就職活動なんてすんなよ。今からアフリカへ行けよ。で、夢だとかいうカフェを開けよ。その代り、アフリカでも一番ひどい国へ行けよ。英語もまったく通じない国。そこで一人で必死になってやったら成功すると思うよ」
いつも通り、たきつけたのである。
そしたら、その後彼女は本当に就職活動を投げ捨てて、アフリカのルワンダへ行ってしまった。
またまた、このことを知った編集者からは非難の嵐である。橋本君はあきれ返り、その後紹介した徳間書店の大久保さんは「人の人生狂わせすぎですよ」を連発する。NHKの福田さんは「はぁ……」と声にならない声を発する。
ところが、またまた先日メールが来た。
「ルワンダでの生活がうまくいっており、夢だったカフェオープンを進行中。来年の三月には完成させる予定」とのこと。
万歳である。
彼女がカフェを開いたら、さっそくルワンダへ遊びに行こうと思う。
そんなこんなで、これ以外にもいろんな友達の「成功話」が舞い込んできた。
みんな考えうる一番厳しい道を選んで、それでちゃんとそこを歩いて行っている。こんな素晴らしいことはない!
こうした報告を受けるたびに、なんつーか、自分の子供が受験に受かったような純粋なうれしさがこみ上げる。
なぜ、こんなことを書いたのか。
先日の神戸のトークイベントが印象的だったからである。
神戸の書店で『遺体』のトークイベントをやったのだが、最後の質疑応答の際に、中学生が手を挙げて震えながら質問をしてきた。高校生からも質問を受けた。
僕は彼らの質問について、できるだけ丁寧に答えてあげた。僕は高校や大学でよく講演をやるので特に珍しい感じはしなかった。
しかし、トークイベントが終わり、打ち上げをしている最中、編集者や協力してくれた方々がその中学生や高校生たちのことを思い出してずっと語っていた。しみじみとこう言うのである。
「あの子たちにとって今日のイベントが本当に一生の思い出になるはず。これから先、本当にうまくいってほしい」と。
みんな、まるでその中学生や高校生の親みたいな顔である。
その時、何気なく僕が自分の携帯からPCのメールを見ると、驚いたことにトークイベントの際に質問をしてきた高校生からメールが来ている。
そのメールを以下に紹介する。
石井さんこんばんわ。突然のメール失礼致しますm(_ _)m
今日の海文堂でのトーク&サイン会に参加させて貰いました高校生です。
僕が始めて読んだ石井さんの著作は、『地を這う祈り』だったのですが、強烈な写真と文で僕の知らない世界が次々に開かれて行きました。同時に描かれている世界と石井さんに対して凄く興味が湧き、今日は参加させて貰いました!
少しの時間だったのでまだまだ石井さんの話を聞きたいので、ブログで過去にあったトークイベントの後の交流会にも機会があれば、参加させて貰いたいです。
大人になって石井さんと仕事が出来るぐらいになるように、日々自分を磨いていきます!
今日は本当にありがとうございました。
僕は常々、中学生、高校生、大学生に夢を与えられるような仕事をしたいという一心でやっている。
だからこそ、正直、これほどうれしいことはない。
あー、神戸に来てよかったなー、と純粋に思った。
きっと彼が就職して仕事が軌道に乗る頃、僕は50歳ぐらいになっているだろう。
けど、彼が突然目の前に現れて「あの時の高校生です。一緒に仕事をしましょう」と言ってもらいたい。だからこそ、ずっとがんばりつづけたいと思う。
そんな日が来たらどんなにうれしいことか。
そんな妄想を抱きながら、今日も僕はせっせと原稿を書き続けるのである。
若人よ、成せば成る!
★★『遺体』関連情報★★
★TBSラジオにて、荻上チキさんが『遺体』を紹介してくださっています。
<11月2日(水)「DigTag コラム・チキチキ塾」>のところで放送を聞くことができます。
http://www.tbsradio.jp/dig/sample.html
★『遺体』の感想がツイッターで上がっています。ライター&編集者の青山ゆみこさんがまとめて下さっています。
http://togetter.com/li/208220
2011年10月29日
動画&トークイベント
『遺体――震災、津波の果てに』関連のお知らせです。
■動画
UstreamTVにて、『遺体』の取材裏や遺体安置所や遺体捜索のこびれたエピソードを話しました。
一時間ほどの番組ですが、もしご興味にある方がいらっしゃいましたら、ご覧ください。
J−cast「ザ・フライデー」
http://bit.ly/v81Ok4
■トークイベント
・11月13日(日) 立川
オリオン書房
http://www.orionshobo.com/topix/story.php?page=3&id=1604
※最初から最後まで僕がずっとしゃべりつづける感じのイベントです。『新潮45』の担当編集者も一緒に来るので(一緒に取材した方)、もしかしたらちょっと間に入ってもうこともあるかも(?)。
※「こういう話が聞きたい」というのがありましたら、事前にドシドシメールでもなんでもご連絡下さい。そちらを優先してお話ししますので。
■『遺体』のプロローグ
新潮社のHPにて、PC上から「立ち読み」が可能です。
まえがきや目次が気になる方は、以下をご覧ください。
http://www.shinchosha.co.jp/books/html/305453.html
そうそう、昨日新宿東口の紀伊國屋書店(本店)でトークイベントをした際、サイン本をたくさんつくってきました。
紀伊國屋書店の1Fに並んでいると思いますので、もしご興味のある方は是非。
■動画
UstreamTVにて、『遺体』の取材裏や遺体安置所や遺体捜索のこびれたエピソードを話しました。
一時間ほどの番組ですが、もしご興味にある方がいらっしゃいましたら、ご覧ください。
J−cast「ザ・フライデー」
http://bit.ly/v81Ok4
■トークイベント
・11月13日(日) 立川
オリオン書房
http://www.orionshobo.com/topix/story.php?page=3&id=1604
※最初から最後まで僕がずっとしゃべりつづける感じのイベントです。『新潮45』の担当編集者も一緒に来るので(一緒に取材した方)、もしかしたらちょっと間に入ってもうこともあるかも(?)。
※「こういう話が聞きたい」というのがありましたら、事前にドシドシメールでもなんでもご連絡下さい。そちらを優先してお話ししますので。
■『遺体』のプロローグ
新潮社のHPにて、PC上から「立ち読み」が可能です。
まえがきや目次が気になる方は、以下をご覧ください。
http://www.shinchosha.co.jp/books/html/305453.html
そうそう、昨日新宿東口の紀伊國屋書店(本店)でトークイベントをした際、サイン本をたくさんつくってきました。
紀伊國屋書店の1Fに並んでいると思いますので、もしご興味のある方は是非。
2011年10月27日
『遺体――震災、津波の果てに』刊行記念著者インタビュー

――『遺体―震災、津波の果てに』が刊行されました。三月十一日の直後に被災地に急行されたとうかがいました。当初はどんな状態でしたか?
東日本大震災の取材に出たのは、震災から三日が経った日でした。
交通が麻痺していたため、東京から新潟駅まで新幹線で行き、そこでレンタカーを借りて宮城県に入ったのです。
大雪が降りしきる被災地には、死の光景が延々とつづいていました。
流された車を開ければハンドルを握ったままの遺体が転がり落ち、瓦礫の下をのぞけば人間の手が挟まっている。
遺族が泣きながら「ここにうちの子供が埋まっているんです。
誰か引き上げてください」と叫ぶ。
そんな光景がいたるところに広がっていました。
――タイトルにもなりましたが「遺体」をテーマとしたのはなぜですか?
日本でこれだけ多くの遺体が一度に私たちの目の前に現れたのは、太平洋戦争以来でしょう。
自然災害ならば関東大震災以来八十八年ぶり。
私は被災地に広がる様々な死の光景を前にして「日本人はこの膨大な死をどうやって受け止めていくのか」ということが気になりました。
人々が死による心の傷を克服しないことには、復興や未来などないと思ったのです。
私が岩手県の釜石市にある安置所を基点にして、膨大な死とそれに直面する人々の取材をはじめたのは、こうした思いがあったためです。
――なぜ釜石が取材対象となったのでしょうか。
人口四万人の釜石市では、最終的に死者・行方不明者が千百名にも上りました。
廃校になった中学校が当初から遺体安置所になっており、ここで働き、遺体捜索を行ったのは、町で生き残った人たちでした。
彼らが家族や友人や隣人の遺体を掘り起こし、埋葬したのです。
私は震災直後から約三カ月間、彼らが見たり、行ったりしてきたことを間近で見つづけました。
――具体的にはどんな問題が出てきたのでしょうか。
最初の頃、遺体安置所には床に並べられないぐらいの数の遺体が置かれていました。
管理や搬送をしていた市民たちは必死になって自分の役割をこなしていました。
数日前まで市役所で働いていた人や、町の開業医といった人たちです。
しかも、遺体の数が多過ぎて、すぐに火葬できませんでした。
しかし、放っておけば全部腐ってしまう。
遺族は焦ってパニックに陥りました。
だからといって、どうすればいいのか。
そういったことにどう猊當未里劼鉢瓩立ち向かっていけるのか、というのが問題でした。
――本書執筆の最終的な動機は何だったのですか?
『遺体―震災、津波の果てに』の内容の一部は、週刊誌や月刊誌に掲載したものです。
その時読者からあった反応の多くは、被災地で生き残った人々がこんなにも必死に遺体と向き合っていたことを初めて知ったというものでした。
今回の震災報道では、良くも悪くも、遺体の実情は伏せられました。
報道されているように見えて、その全貌が表に出てくることはなかった。
過度なまでの自粛ともいえるでしょう。
しかし、被災者たちはその膨大な遺体に直面し、物理的にも精神的にも懸命に乗り越えようとした。
私は津波の現実に目を向けることは、遺体を前に奮闘した人間の姿を見つめることだと思っています。
そこにこそ、津波の恐ろしさと人間のたくましさがあると信じています。
本書を通じてそれを少しでも感じ取っていただければ嬉しいです。
※新潮社『波』より 2011年11月号
新潮社HP /『遺体―震災、津波の果てに―』 http://www.shinchosha.co.jp/book/305453/
2011年10月26日
新刊発売 『遺体――震災、津波の果てに』

本日、新刊『遺体――震災、津波の果てに』(新潮社)が発売になりました。
3.11で亡くなった人の数は約二万人。
津波によって一瞬のうちにこれだけの人間が命を落としました。
死者数でいえば、原爆投下以来の数であり、天災でいえば関東大震災以来のものです。
つまり、天災でいえば100年に1度の規模で、私たちの目の前に遺体が横たわることになったのです。
しかし、メディアは<遺体>については極力報じるのを規制しました。
「がんばれ」「復興」「いい国日本」の掛け声ばかりを流し、深刻な事態はすべて原発という「見えない災害」ばかりを論じてきました。
なぜか。
端的に言えば、現実を映して批判されたり、スポンサーが離れたりするのが怖かったということもあるでしょう。
あるいは原発の方が「現場に行かずに、遠くからいくらでも偉そうに論じらえるネタ」だったということもあります。
また今度機会を設けてお話しますが、様々な理由から被災地の<遺体>は消し去られたのです。
が、これは被災地の前線では、まったく違う光景がくり広げられていました。
被災地の最前線では、日夜人びとが遺体捜索、検死、遺族との対面、身元確認などに奔走していたのです。
自衛隊や警察はそこらに転がる遺体を回収したり、瓦礫の下から腐敗しはじめた遺体を掘り起こしていました。
市役所の職員や消防団員はそれらの遺体を安置所へ運んで泥を洗い落とし、遺族と対面させていました。
医師や歯科医は検死を行ったり、歯型確認を行ったりしていました。
遺族は、100体以上の遺体を一体ずつ見ていきながら家族を探していました。
安置所の管理人は、新しい遺体が運ばれてくるたびに「寒かったろ、ごめんね」とか「見つかってよかったね。なんとか家族を見つけるからね」と遺体に向かって語りかけることで尊厳を保ってあげようとしていました。
つまり、最前線の現場で繰り広げられていたのは、多くの日本人がそれ以外の場所で議論していることとはまったく違う世界だったのです。
そして現地の人々にとっての「復興」とは、2万の死をいかに見つけ出し、埋葬し、受け入れていくかということに他なりませんでした。
そうしたことから、私は今回<遺体>に着目して、被災者たちがこの2万の遺体にどう立ち向かい、受け止め、克服していったのかということを克明に描きました。
雪の降る中を、無言で赤ちゃんの遺体を運んで行った人々の嗚咽。
安置所で毎日遺体に向かって語りかけていた管理人の言葉。
そうした決して報じられることのなかった「姿」や「声」をつたえたいと思ったのです。
そこにこそ、震災の恐ろしさ、津波の被害、そして人間の天災に立ち向かう生き方があるように思えてならなかったのです。
この本が、100年に一度の大災害の真実を記録し、その事実をつたえる役割を担えればと思っています。
どうぞ本書をご一読の上、私たちが目をそらしていた「本当の被災地での出来事」を見つめて下さい。
★『遺体』の販売について
地域によって多少発売日が前後いたします。ご了承ください。
Webでは以下
・アマゾン
・楽天ブックス
・紀伊国屋bookWeb
2011年10月19日
見本を持って
明日、岩手県の釜石市へ行ってくる。
一足早く新作『遺体』の見本ができたので、本に登場する人たち約20人に届けてくるのだ。
(本というのは、発売の一週前に見本が出来上がり、先に関係者やメディアに配れるようになっている)
久々の釜石である。
たぶん、これでしばらく行かなくなるんだなと思うとちょっとさびしい。と、同時にあの激動の日々を思い出すと、いろんな人の涙が思い出されて胸が締め付けられる。
正直、胸が詰まるので、あまり行きたくないというのが本音だ。まぁ、いつも通り元気にふるまうだろうけど、どうにもいろいろ思い出してダメなんだよな。
被災した後も、あそこで暮らし続けている人は本当にすごいと思う。
釜石を取材の舞台にしたのは本当に偶然だった。
最初は小学館の週刊誌の取材で宮城県を中心に取材をしていた。震災が起きた段階から「遺体」をテーマにして本の執筆をやることは決まっていたのだが、その舞台をどこにするかはまったく決めていなかった。
そんな時、たまたま東松島の野蒜という被災地にいたところ、知り合いから電話がかかってきた。
僕の身を案じて電話をしてきてくれたのだが、その時にその人が何かの話のついでに「母親の同級生の旦那さんが釜石で歯科医をやっていて、なにか遺体にかかわる仕事をしているらしい。みんな大変だよねー」ということをボソッと言った。
僕はそれを聞いた瞬間に、「歯科医が遺体にかかわっているのならば、絶対に安置所での検死に違いない!」と思ってすぐさまその歯科医に連絡を取ってもらうように頼んだ。
そしたらその予想があたり、その人経由で安置所で働く方々を紹介してもらえた。それで、小学館の取材が終わってすぐに新潮社の取材に切り替え、編集者とともに釜石市の遺体安置所を取材することにしたのだ。
ノンフィクションの仕事をしていると、それぞれ思い出の地ができる。
取材者とあった場所とか、ずっと追っていた人が生まれ育った場所とか、何かに巻き込まれた場所とか。
僕は海外取材が長かったものだから、世界中にそういう場所があるのだが、正直な話あまりその場所に行きたくない。なぜならば、当時を思い出してつらい気持ちになるからだ。
たとえば、『レンタルチャイルド』で舞台にしたムンバイの町、『感染宣告』で感染者と一緒にいった新橋のマンション、『神の棄てた裸体』で行ったバングラデシュの公園や駅……。実は、なんとなく行きたくない。
何十年か経って死ぬ間際に回ってみられたらいいな、と思うけど、あまり早い時期に足を踏み入れたくない。まだ思い出がなかなましすぎるし、そこが大きく変わっているのを見るのが怖い。
少し前に、戦後上野駅の地下道で暮らしていた元浮浪児に話を聞いた際、「上野駅へは行きたくない。あの当時のことを思い出すし、変わっている上野を見たくないから」と言っていた。
上野が新しくなって、昔を知らない若い人たちが楽しそうに笑っているのを見ると、腹が立って仕方がなくなるらしい。
たぶん、程度の差こそあれ、似たようなことなのだと思う。自分の知っていた場所が変わっているのを感じ、当時の感情がフラッシュバックするのだ。
で、胸が締め付けられる。
その土地に住んでいれば変化をゆっくりと受け入れられるがけど、遠く離れたところにいると突然<変化>だけを見せつけられるのでなかなか受け入れられないのだろう。
僕は子供のころ、こういう戦争体験のある年寄りのことを「ガンコじいさん」と思っていた。
でも、今は僕がそうなりつつあるのかもしれない。
ただ、あの土地で巡り合った様々な人に再会できるのは、本当に楽しみだ。
わずか半年ぐらいしか経っていないんだけど、いろんなことを話したし、聞いたし、飲み食いもした。十年ぐらい住んでいたほど思い出がある。
そういえば、ミシマ社でインタビューを受けたとき「これからも釜石をずっと取材しつづけてほしい」と言われた。
取材をするかどうかは別にして、5年おきぐらいに通い続けたいかな。きっと当時、遺体安置所で必死になって働いていた人たちの子供が大きくなって開業していたり、結婚していたり、消防団員になって町を守っていたりするんだろう。
そういうのを見られるというのは幸せかもしれない。
一足早く新作『遺体』の見本ができたので、本に登場する人たち約20人に届けてくるのだ。
(本というのは、発売の一週前に見本が出来上がり、先に関係者やメディアに配れるようになっている)
久々の釜石である。
たぶん、これでしばらく行かなくなるんだなと思うとちょっとさびしい。と、同時にあの激動の日々を思い出すと、いろんな人の涙が思い出されて胸が締め付けられる。
正直、胸が詰まるので、あまり行きたくないというのが本音だ。まぁ、いつも通り元気にふるまうだろうけど、どうにもいろいろ思い出してダメなんだよな。
被災した後も、あそこで暮らし続けている人は本当にすごいと思う。
釜石を取材の舞台にしたのは本当に偶然だった。
最初は小学館の週刊誌の取材で宮城県を中心に取材をしていた。震災が起きた段階から「遺体」をテーマにして本の執筆をやることは決まっていたのだが、その舞台をどこにするかはまったく決めていなかった。
そんな時、たまたま東松島の野蒜という被災地にいたところ、知り合いから電話がかかってきた。
僕の身を案じて電話をしてきてくれたのだが、その時にその人が何かの話のついでに「母親の同級生の旦那さんが釜石で歯科医をやっていて、なにか遺体にかかわる仕事をしているらしい。みんな大変だよねー」ということをボソッと言った。
僕はそれを聞いた瞬間に、「歯科医が遺体にかかわっているのならば、絶対に安置所での検死に違いない!」と思ってすぐさまその歯科医に連絡を取ってもらうように頼んだ。
そしたらその予想があたり、その人経由で安置所で働く方々を紹介してもらえた。それで、小学館の取材が終わってすぐに新潮社の取材に切り替え、編集者とともに釜石市の遺体安置所を取材することにしたのだ。
ノンフィクションの仕事をしていると、それぞれ思い出の地ができる。
取材者とあった場所とか、ずっと追っていた人が生まれ育った場所とか、何かに巻き込まれた場所とか。
僕は海外取材が長かったものだから、世界中にそういう場所があるのだが、正直な話あまりその場所に行きたくない。なぜならば、当時を思い出してつらい気持ちになるからだ。
たとえば、『レンタルチャイルド』で舞台にしたムンバイの町、『感染宣告』で感染者と一緒にいった新橋のマンション、『神の棄てた裸体』で行ったバングラデシュの公園や駅……。実は、なんとなく行きたくない。
何十年か経って死ぬ間際に回ってみられたらいいな、と思うけど、あまり早い時期に足を踏み入れたくない。まだ思い出がなかなましすぎるし、そこが大きく変わっているのを見るのが怖い。
少し前に、戦後上野駅の地下道で暮らしていた元浮浪児に話を聞いた際、「上野駅へは行きたくない。あの当時のことを思い出すし、変わっている上野を見たくないから」と言っていた。
上野が新しくなって、昔を知らない若い人たちが楽しそうに笑っているのを見ると、腹が立って仕方がなくなるらしい。
たぶん、程度の差こそあれ、似たようなことなのだと思う。自分の知っていた場所が変わっているのを感じ、当時の感情がフラッシュバックするのだ。
で、胸が締め付けられる。
その土地に住んでいれば変化をゆっくりと受け入れられるがけど、遠く離れたところにいると突然<変化>だけを見せつけられるのでなかなか受け入れられないのだろう。
僕は子供のころ、こういう戦争体験のある年寄りのことを「ガンコじいさん」と思っていた。
でも、今は僕がそうなりつつあるのかもしれない。
ただ、あの土地で巡り合った様々な人に再会できるのは、本当に楽しみだ。
わずか半年ぐらいしか経っていないんだけど、いろんなことを話したし、聞いたし、飲み食いもした。十年ぐらい住んでいたほど思い出がある。
そういえば、ミシマ社でインタビューを受けたとき「これからも釜石をずっと取材しつづけてほしい」と言われた。
取材をするかどうかは別にして、5年おきぐらいに通い続けたいかな。きっと当時、遺体安置所で必死になって働いていた人たちの子供が大きくなって開業していたり、結婚していたり、消防団員になって町を守っていたりするんだろう。
そういうのを見られるというのは幸せかもしれない。
2011年10月14日
トークイベント告知
最近、「いいちこスペシャル」という酒が非常においしいことに気付いた石井です。
とにかく味が絶品で、ふわ〜とした甘さが口に広がるのです。ありゃ、やばいうまさですな。焼酎好きな人は何かのお祝いの時にでも買うとよいでせう。
さて、今日はイベントの告知です。
10月27日発売の新刊『遺体――震災、津波の果てに』(新潮社)の発売に合わせて、まずは神戸と東京で震災に関するトークイベントを行います。
<東京 ★ 紀伊國屋書店 新宿本店>
http://www.kinokuniya.co.jp/store/Shinjuku-Main-Store/20111014191606.html
<神戸 ★ 海文堂書店>
http://www.kaibundo.co.jp/
どちらも取材の裏側を徹底的にお話しします。
ご質問、ご要望等なんでも承りますので、ご遠慮なくおっしゃってください。
ちなみに、最近大学やらなんやらで頻繁に「津波と遺体」についての講演をしています。
その時、よく尋ねられるのが、「メディアはどうして遺体を隠したのか。あれは自主規制だったのか」という問題です。
これについてはいろんな見方があると思いますが、そういったこともトークイベントでは詳しくお話しするつもりです。
あと、ミシマ社のHPで今週から3週にわたって『遺体――震災、津波の果てに』についてのインタビューが掲載されることになりました。
発売前の特別インタビューです。
ここでは、ざっくりとどんな思い出取材をしたのか、現地はどういう状況だったのかということについて話をしています。
よろしければ、ご覧ください。
『遺体』インタビュー
http://www.mishimaga.com/hon-watashi/062.html
では、トークイベントの会場でお会いできるのを楽しみにしています。
とにかく味が絶品で、ふわ〜とした甘さが口に広がるのです。ありゃ、やばいうまさですな。焼酎好きな人は何かのお祝いの時にでも買うとよいでせう。
さて、今日はイベントの告知です。
10月27日発売の新刊『遺体――震災、津波の果てに』(新潮社)の発売に合わせて、まずは神戸と東京で震災に関するトークイベントを行います。
<東京 ★ 紀伊國屋書店 新宿本店>
http://www.kinokuniya.co.jp/store/Shinjuku-Main-Store/20111014191606.html
<神戸 ★ 海文堂書店>
http://www.kaibundo.co.jp/
どちらも取材の裏側を徹底的にお話しします。
ご質問、ご要望等なんでも承りますので、ご遠慮なくおっしゃってください。
ちなみに、最近大学やらなんやらで頻繁に「津波と遺体」についての講演をしています。
その時、よく尋ねられるのが、「メディアはどうして遺体を隠したのか。あれは自主規制だったのか」という問題です。
これについてはいろんな見方があると思いますが、そういったこともトークイベントでは詳しくお話しするつもりです。
あと、ミシマ社のHPで今週から3週にわたって『遺体――震災、津波の果てに』についてのインタビューが掲載されることになりました。
発売前の特別インタビューです。
ここでは、ざっくりとどんな思い出取材をしたのか、現地はどういう状況だったのかということについて話をしています。
よろしければ、ご覧ください。
『遺体』インタビュー
http://www.mishimaga.com/hon-watashi/062.html
では、トークイベントの会場でお会いできるのを楽しみにしています。
2011年10月13日
読書は格好悪い?
今日、某新聞社のインタビューを受けた際、「電子書籍になれば活字文化は復興するか」と言われた。
僕は、まったくそんなことを思わない。
たぶん、電子書籍化されたら、ますます離れていくだろう。
同じハードで、ゲームやネットやユーチューブができるのに、わざわざ金を払って活字を読む人が増えるとは思わない。
では、どうやれば活字文化が復興するのか。
小難しい意見はたくさんあるが、それらはさておいて、僕は「クール」という側面からこの問題を考えてみたい。
きっと活字文化が盛り上がるかどうかは、以下の二つの「クール」があるかどうかだ。
「読書をすることがカッコいいと思わせる環境をつくれるか」
「本を書いている人がかっこよく、憧れの的になれるか」
たぶん、この二点なのだ。
たとえば、僕が子供の時、電車の中で漫画を読んだり、ゲームをすることは恥ずかしいことだった。
本を読んでいれば、頭がよく見えたし、なんとなく格好がついたし、先生や両親からほめてもらえた。女性にもちょっとはかっこよく映ったかもしれない。
本が面白いかどうかという以前に、本がかっこうつける一種のアイテムだったのだ。
まずはそこから入り、その中で自分なりの面白い本を探し、自分なりの「感動」をさぐっていった。
これは、アイポッドだって同じだったはずだ。
アイポッドはウォークマンと比べて、特別「使い方が簡単」なわけでもなかったし、「音質がいい」わけでもなかった。
しかしなぜみんな買ったかと言えば、クールだったのである。持っていることがクールであり、それがいつしか全体的に持とうという空気になり、さらにそれが「持つことがいいこと」となったのだ。そして、それをきっかけに、それぞれの「感動」を見つけていった。
しかし、日本のメーカーは、「音質」やら「著作権」やらにこだわってアイポッドをつくれなかった。
既存の価値に執着して、クールであるものをつくらなかったためだ。人はクールであることを求めていたのに、まったく違うところに価値を置いてしまった。
たぶん、本の世界も同じなのである。
クールな読書という環境づくりをせず、「文学的価値」とか「歴史的意義」とかいって読者の求めているものとは違うところにばかり価値を置いて猛進してきた。
それゆえ、いつしか電車の中で本を読んだり、部屋に本を飾ったり、本の話をしたりすることがクールでなくなってしまった。
読書は特別な文化ではない。相撲のように国から保護されているわけでもない。
ゲームやネットや映画やケータイと変わらないものだ。つまり、絶対的な市場の中で、ある種の「感動」を与えて勝ち残るものだ。
しかし、その「感動」というのは必ずしも「文学的価値」「ゲーム的価値」「ネット的価値」にあるのではない。それに触れることがクールであるという環境があり、その中でクールである自分に酔いしれながらそれぞれの「感動」を発見していくことなのである。
その環境がなければ、人々が「感動」を探すことも、感じることも、人に言ったり自慢したりすることもなくなる。
そういう意味では、活字離れというのは、「読書=クール」という環境づくりをまったく無視してきた出版業界の責任も大きいと思う。
とはいえ、出版業界だけの問題ではないのも当たり前だ。
同じぐらい重要なのが「本を書いている人がクール」かどうかだ。
昔の作家は本当にかっこよかった。
ベトナム戦争時に、すべてを捨ててベトナムへ飛んだ開高健。
田中角栄という権力と真正面から戦った立花隆。
未開のインドを放浪して人間を食らう犬を取った藤原新也。
昔は、やっぱり憧れのヒーローがいたのだ。
だからこそ、読む人はその人についていこうとしたし、真似をしようとしたし、同じものを書いてやろうと思った。それがその世界を盛り上げてきたのである。
しかし、今はどうだろう。
イラク戦争が起きた時、若手作家が何をしたか。
東日本大震災が起きた時、若手作家が何をしたか。
ほとんどが東京の自宅にへばりついて、マスメディアと同じことを言うか、その反対意見を得意げに叫んだだけだ。
そんな人たちに憧れる子供がいると思うだろうか? いるわけがない。少なくとも僕が子供だったら、そんな大人になろうとは思わない。
そういう意味では、活字離れなんて当たり前の話なのだ。
もちろん、活字文化が衰退する原因はたくさんある。
しかし、小難しい話より、やはり多くの人は「クール」であることを求めるのだ。文化が力を持つには「クール」だと思わせているかどうかが一番大きなことなのだ。
別に本当に「クール」でなくてもいい。「クール」に見せればいい。そのためにやるべきこととは何なのか。
それは文学賞ばかり気にしたり、作家を先生扱いしてバカみたいな料理や酒をおごったり、発行点数を気にしてくだらない本をだしまくったりすることじゃない。
カッコよくない文化というのは、かならず滅びる。
しかし、カッコいい文化は、かならず盛り上がる。
それが世の鉄則ではないか。
まぁ、まったく格好よくない僕ではあるが、偉そうにそんなことを思ってみたりもするのである。
僕は、まったくそんなことを思わない。
たぶん、電子書籍化されたら、ますます離れていくだろう。
同じハードで、ゲームやネットやユーチューブができるのに、わざわざ金を払って活字を読む人が増えるとは思わない。
では、どうやれば活字文化が復興するのか。
小難しい意見はたくさんあるが、それらはさておいて、僕は「クール」という側面からこの問題を考えてみたい。
きっと活字文化が盛り上がるかどうかは、以下の二つの「クール」があるかどうかだ。
「読書をすることがカッコいいと思わせる環境をつくれるか」
「本を書いている人がかっこよく、憧れの的になれるか」
たぶん、この二点なのだ。
たとえば、僕が子供の時、電車の中で漫画を読んだり、ゲームをすることは恥ずかしいことだった。
本を読んでいれば、頭がよく見えたし、なんとなく格好がついたし、先生や両親からほめてもらえた。女性にもちょっとはかっこよく映ったかもしれない。
本が面白いかどうかという以前に、本がかっこうつける一種のアイテムだったのだ。
まずはそこから入り、その中で自分なりの面白い本を探し、自分なりの「感動」をさぐっていった。
これは、アイポッドだって同じだったはずだ。
アイポッドはウォークマンと比べて、特別「使い方が簡単」なわけでもなかったし、「音質がいい」わけでもなかった。
しかしなぜみんな買ったかと言えば、クールだったのである。持っていることがクールであり、それがいつしか全体的に持とうという空気になり、さらにそれが「持つことがいいこと」となったのだ。そして、それをきっかけに、それぞれの「感動」を見つけていった。
しかし、日本のメーカーは、「音質」やら「著作権」やらにこだわってアイポッドをつくれなかった。
既存の価値に執着して、クールであるものをつくらなかったためだ。人はクールであることを求めていたのに、まったく違うところに価値を置いてしまった。
たぶん、本の世界も同じなのである。
クールな読書という環境づくりをせず、「文学的価値」とか「歴史的意義」とかいって読者の求めているものとは違うところにばかり価値を置いて猛進してきた。
それゆえ、いつしか電車の中で本を読んだり、部屋に本を飾ったり、本の話をしたりすることがクールでなくなってしまった。
読書は特別な文化ではない。相撲のように国から保護されているわけでもない。
ゲームやネットや映画やケータイと変わらないものだ。つまり、絶対的な市場の中で、ある種の「感動」を与えて勝ち残るものだ。
しかし、その「感動」というのは必ずしも「文学的価値」「ゲーム的価値」「ネット的価値」にあるのではない。それに触れることがクールであるという環境があり、その中でクールである自分に酔いしれながらそれぞれの「感動」を発見していくことなのである。
その環境がなければ、人々が「感動」を探すことも、感じることも、人に言ったり自慢したりすることもなくなる。
そういう意味では、活字離れというのは、「読書=クール」という環境づくりをまったく無視してきた出版業界の責任も大きいと思う。
とはいえ、出版業界だけの問題ではないのも当たり前だ。
同じぐらい重要なのが「本を書いている人がクール」かどうかだ。
昔の作家は本当にかっこよかった。
ベトナム戦争時に、すべてを捨ててベトナムへ飛んだ開高健。
田中角栄という権力と真正面から戦った立花隆。
未開のインドを放浪して人間を食らう犬を取った藤原新也。
昔は、やっぱり憧れのヒーローがいたのだ。
だからこそ、読む人はその人についていこうとしたし、真似をしようとしたし、同じものを書いてやろうと思った。それがその世界を盛り上げてきたのである。
しかし、今はどうだろう。
イラク戦争が起きた時、若手作家が何をしたか。
東日本大震災が起きた時、若手作家が何をしたか。
ほとんどが東京の自宅にへばりついて、マスメディアと同じことを言うか、その反対意見を得意げに叫んだだけだ。
そんな人たちに憧れる子供がいると思うだろうか? いるわけがない。少なくとも僕が子供だったら、そんな大人になろうとは思わない。
そういう意味では、活字離れなんて当たり前の話なのだ。
もちろん、活字文化が衰退する原因はたくさんある。
しかし、小難しい話より、やはり多くの人は「クール」であることを求めるのだ。文化が力を持つには「クール」だと思わせているかどうかが一番大きなことなのだ。
別に本当に「クール」でなくてもいい。「クール」に見せればいい。そのためにやるべきこととは何なのか。
それは文学賞ばかり気にしたり、作家を先生扱いしてバカみたいな料理や酒をおごったり、発行点数を気にしてくだらない本をだしまくったりすることじゃない。
カッコよくない文化というのは、かならず滅びる。
しかし、カッコいい文化は、かならず盛り上がる。
それが世の鉄則ではないか。
まぁ、まったく格好よくない僕ではあるが、偉そうにそんなことを思ってみたりもするのである。
2011年09月20日
新プロジェクト
さて、本日で『遺体―震災、津波の果てに』の再校が終了。
基本的に僕の行う作業はこれで終わり。あとは、10月27日の発売日まで出版社や印刷所の方々が必死になって動いてくれるということになる。
取材開始から半年ちょっとか。長かったけど、もう突進でやったなー、という感じである。
今後は、ほかの単行本の仕事をまとめながら、いくつかの雑誌で開始する予定の新企画の取材へと取りかかる。ようやく、次のステップだな、と思う。
さてさて、10月〜12月は毎年トークイベントやら講演が多く(この時期は、特に大学や高校での講演が多い)、この3か月間で20本近くある。
ほとんどが大学内や勉強&研究会内だけの講演なので一般の人が入れるかどうかはわからないが、こちらとしては気分転換にはなる。
そういえば、その一つに、新しく発足するプロジェクトがある。
「世界の多様性プロジェクト」といって、いろんなテーマをワークショップ形式で行うものだ。仲のいい編集者山ちゃんの主催で行う。
以下、詳細なので、「話し合い」「ベンキョー」好きな人はふるってご参加してほしい。
■世界の多様性プロジェクト
http://youlabo.net/event/111015_poverty.htm
※今後、1、2カ月に1度の割合でテーマを変えてつづけられるそうです。
※ただ聞くだけでなく、一緒にあれこれ考えたり、ベンキョーが好きだという方はぜひ。
このプロジェクトは来年ミシマ社の戦争文化プロジェクト(プロジェクトがそのまま本になる)やさまざまな学術プロジェクトと融合して行われる予定なので、今後どうなっていくのか楽しみだ。
基本的に僕の行う作業はこれで終わり。あとは、10月27日の発売日まで出版社や印刷所の方々が必死になって動いてくれるということになる。
取材開始から半年ちょっとか。長かったけど、もう突進でやったなー、という感じである。
今後は、ほかの単行本の仕事をまとめながら、いくつかの雑誌で開始する予定の新企画の取材へと取りかかる。ようやく、次のステップだな、と思う。
さてさて、10月〜12月は毎年トークイベントやら講演が多く(この時期は、特に大学や高校での講演が多い)、この3か月間で20本近くある。
ほとんどが大学内や勉強&研究会内だけの講演なので一般の人が入れるかどうかはわからないが、こちらとしては気分転換にはなる。
そういえば、その一つに、新しく発足するプロジェクトがある。
「世界の多様性プロジェクト」といって、いろんなテーマをワークショップ形式で行うものだ。仲のいい編集者山ちゃんの主催で行う。
以下、詳細なので、「話し合い」「ベンキョー」好きな人はふるってご参加してほしい。
■世界の多様性プロジェクト
http://youlabo.net/event/111015_poverty.htm
※今後、1、2カ月に1度の割合でテーマを変えてつづけられるそうです。
※ただ聞くだけでなく、一緒にあれこれ考えたり、ベンキョーが好きだという方はぜひ。
このプロジェクトは来年ミシマ社の戦争文化プロジェクト(プロジェクトがそのまま本になる)やさまざまな学術プロジェクトと融合して行われる予定なので、今後どうなっていくのか楽しみだ。
2011年09月08日
武器輸出について
武器の輸出条件を緩和させようという動きがあるらしい。
今後、武器市場にはロボット技術がかなり導入されるだろうし、その技術は今の所日本が一番。
八方ふさがりの経済状況のなかで、軍需産業の進出が「復興」の足がかりになるかもしれない、と考えているのだろうか。
が、僕は、ほんと、これだけはダメなのである。
日本にいると、武器を輸出することがどういうことか想像できない。
しかし、戦争している国に訪れると、それが痛いほどわかる。
以前、コンゴでゲリラ兵に話を聞いたことがあった。
戦争で捕虜として捕えられたゲリラ兵に塀の中で話を聞いたのだ。
そのゲリラ兵は、僕が日本人だと名乗ると、「日本製は素晴らしい」と言った。
何が素晴らしいのかと尋ねてみると、車が素晴らしいと思う。よく言われることなので、とりあえず「ありがとう」と答えておいた。
すると、その兵士はニッと笑ってこう言った。
「日本車じゃないと、人間をすりつぶせないのだ」と。
耳を疑った。どういうことだろうか?
詳しく尋ねると、こう言うのである。
「人を殺す時に、できるだけ銃を使いたくない。弾がもったいないから。そのため、ナイフで殺すのだが、やっているこっちが気持ち悪い。そこでよくつかまえた人間を車で轢いて殺した。何度も何度も轢いて粉々にするのだ。しかし、韓国製の安い車だと人間が絡まってすぐに動かなくなってしまう。その点、日本製の車は何度轢いても、タイヤに人間の破片が挟まっても、ちゃんと動くから問題ないのだ。それ以来、人間を轢いて殺す時は『トヨタをやろう』というのが合言葉になった」
僕はこれを聞いた時、現地の人たちは日本製の車にどんな印象を抱いているだろうと思った。
海外では、「TOYOTA」などのマークがバカでかく書いてある。一文字がナンバープレートぐらいの大きさで6文字並んでいるのだ。誰がどう見てもTOYOTAだと一目でわかる。
村の人たちが自分たちの仲間や家族がその車に何度も轢かれてすりつぶされるようにして殺されるのを見た時、あるいは「TOYOTAをやろうぜ」という言葉を聞いた時、何を思うだろうか。
そして、日本に対してどんな印象を抱いているだろうか。
これは民需品が軍需用につかわれた例だ。
だから日本が悪いわけでも、TOYOTAが悪いわけでもない。
しかし、僕はこの時ほど「日本人」であることが恥ずかしく思ったことはなかった。とにかく恥ずかしく、国を出るまで一度も日本人だと名乗れなかった。
こんな体験、中国にある南京大虐殺記念館(中国政府の大げさなプロパガンダだとかいう人もいるが、僕はあそこで沸き起こる日本人であることの羞恥心というのは、そういう問題じゃないと思う)を見に行った時以来だった。
ただの自動車でコレである。もし日本製の地雷、銃、ミサイルが輸出されたらどういう光景が繰り広げられるのか。
もちろん、日本が軍需品を輸出しなくたって、他の国はするだろうし、戦争だって虐殺だってテロだってなくなるわけがない。
僕は「ラブ&ピース」を地でいくような理想主義者ではないので、大声で世界平和を訴えるようなことをするつもりはまったくない。
しかし、将来自分が海外へ行った時に日本製の武器で人が殺されている現実を目の当たりにしたいと思うだろうか。
あるいは、自分の子どもが大きくなって夢を抱いて海外へ行った時にそれに直面したいと思うだろうか。
日本製の武器でボロ雑巾のように殺された人の遺族に会ってどんな言い訳ができるというのだろうか。
国家がやっているというのは自分がやっているのと同じことなのだ。
僕は思う。
人間って、あるところでプライドを持たなくてはならないのではないか、と。
仕事をしていれば、「これをやれば儲かるし、注目される」というのは多々ある。
たとえば、震災の取材の時に遺体の顔が映ったむごたらしい写真を本や雑誌に載せれば、好奇心で買う人が少なからずいただろう。
メディアによっては、それでガツンと儲けられたかもしれない。しかし、遺族の気持ちも考えず、自然災害で死んだ人をそういうふうに扱ったら「人間終わり」である。だから、ほとんどそうしたことは行われなかった。
普段エログロ雑誌を出しているようなところだって、そんな馬鹿な真似はしなかった。倒産寸前の出版社だってそんなことはしなかった。これは、ある種の「プライド」だと思う。
これは何の世界だって同じことがいえると思う。
社会人として生きていれば、どこかで「これをやったらうまくいくだろうけど、その代わり人間終わり」という瞬間がある。
セールスにおいて老人をだますことも、スポーツにおける薬物も、口説く際に睡眠薬をつかうことだってそうだ。
普段どれだけバカなことをやっても、ふざけたことをやっても、そういう瞬間だけはプライドを持って一歩ひかなくてはならないことがあるのだ。
僕は国家における武器輸出の問題ってそれだと思うのだ。
たしかに武器を輸出することで利益がでるかもしれない。国としての力も上がるかもしれない。アメリカがほめてくれるかもしれない。つよい外交カードが持てようになるかもしれない。
しかし、これこそ「これをやったらうまくいくだろうけど、その代わり人間(国家)終わり」なのである。
僕は政治に文句を言ったり、誰かを批判したりするのは大嫌いであまりやりたくないのだが、あえて言いたい。
「人としての、あるいは国家としてのプライドを持て」と。
そんなプライドすら持てない人間が、復興だの、教育だの、未来だのと言う資格はない。
今後、武器市場にはロボット技術がかなり導入されるだろうし、その技術は今の所日本が一番。
八方ふさがりの経済状況のなかで、軍需産業の進出が「復興」の足がかりになるかもしれない、と考えているのだろうか。
が、僕は、ほんと、これだけはダメなのである。
日本にいると、武器を輸出することがどういうことか想像できない。
しかし、戦争している国に訪れると、それが痛いほどわかる。
以前、コンゴでゲリラ兵に話を聞いたことがあった。
戦争で捕虜として捕えられたゲリラ兵に塀の中で話を聞いたのだ。
そのゲリラ兵は、僕が日本人だと名乗ると、「日本製は素晴らしい」と言った。
何が素晴らしいのかと尋ねてみると、車が素晴らしいと思う。よく言われることなので、とりあえず「ありがとう」と答えておいた。
すると、その兵士はニッと笑ってこう言った。
「日本車じゃないと、人間をすりつぶせないのだ」と。
耳を疑った。どういうことだろうか?
詳しく尋ねると、こう言うのである。
「人を殺す時に、できるだけ銃を使いたくない。弾がもったいないから。そのため、ナイフで殺すのだが、やっているこっちが気持ち悪い。そこでよくつかまえた人間を車で轢いて殺した。何度も何度も轢いて粉々にするのだ。しかし、韓国製の安い車だと人間が絡まってすぐに動かなくなってしまう。その点、日本製の車は何度轢いても、タイヤに人間の破片が挟まっても、ちゃんと動くから問題ないのだ。それ以来、人間を轢いて殺す時は『トヨタをやろう』というのが合言葉になった」
僕はこれを聞いた時、現地の人たちは日本製の車にどんな印象を抱いているだろうと思った。
海外では、「TOYOTA」などのマークがバカでかく書いてある。一文字がナンバープレートぐらいの大きさで6文字並んでいるのだ。誰がどう見てもTOYOTAだと一目でわかる。
村の人たちが自分たちの仲間や家族がその車に何度も轢かれてすりつぶされるようにして殺されるのを見た時、あるいは「TOYOTAをやろうぜ」という言葉を聞いた時、何を思うだろうか。
そして、日本に対してどんな印象を抱いているだろうか。
これは民需品が軍需用につかわれた例だ。
だから日本が悪いわけでも、TOYOTAが悪いわけでもない。
しかし、僕はこの時ほど「日本人」であることが恥ずかしく思ったことはなかった。とにかく恥ずかしく、国を出るまで一度も日本人だと名乗れなかった。
こんな体験、中国にある南京大虐殺記念館(中国政府の大げさなプロパガンダだとかいう人もいるが、僕はあそこで沸き起こる日本人であることの羞恥心というのは、そういう問題じゃないと思う)を見に行った時以来だった。
ただの自動車でコレである。もし日本製の地雷、銃、ミサイルが輸出されたらどういう光景が繰り広げられるのか。
もちろん、日本が軍需品を輸出しなくたって、他の国はするだろうし、戦争だって虐殺だってテロだってなくなるわけがない。
僕は「ラブ&ピース」を地でいくような理想主義者ではないので、大声で世界平和を訴えるようなことをするつもりはまったくない。
しかし、将来自分が海外へ行った時に日本製の武器で人が殺されている現実を目の当たりにしたいと思うだろうか。
あるいは、自分の子どもが大きくなって夢を抱いて海外へ行った時にそれに直面したいと思うだろうか。
日本製の武器でボロ雑巾のように殺された人の遺族に会ってどんな言い訳ができるというのだろうか。
国家がやっているというのは自分がやっているのと同じことなのだ。
僕は思う。
人間って、あるところでプライドを持たなくてはならないのではないか、と。
仕事をしていれば、「これをやれば儲かるし、注目される」というのは多々ある。
たとえば、震災の取材の時に遺体の顔が映ったむごたらしい写真を本や雑誌に載せれば、好奇心で買う人が少なからずいただろう。
メディアによっては、それでガツンと儲けられたかもしれない。しかし、遺族の気持ちも考えず、自然災害で死んだ人をそういうふうに扱ったら「人間終わり」である。だから、ほとんどそうしたことは行われなかった。
普段エログロ雑誌を出しているようなところだって、そんな馬鹿な真似はしなかった。倒産寸前の出版社だってそんなことはしなかった。これは、ある種の「プライド」だと思う。
これは何の世界だって同じことがいえると思う。
社会人として生きていれば、どこかで「これをやったらうまくいくだろうけど、その代わり人間終わり」という瞬間がある。
セールスにおいて老人をだますことも、スポーツにおける薬物も、口説く際に睡眠薬をつかうことだってそうだ。
普段どれだけバカなことをやっても、ふざけたことをやっても、そういう瞬間だけはプライドを持って一歩ひかなくてはならないことがあるのだ。
僕は国家における武器輸出の問題ってそれだと思うのだ。
たしかに武器を輸出することで利益がでるかもしれない。国としての力も上がるかもしれない。アメリカがほめてくれるかもしれない。つよい外交カードが持てようになるかもしれない。
しかし、これこそ「これをやったらうまくいくだろうけど、その代わり人間(国家)終わり」なのである。
僕は政治に文句を言ったり、誰かを批判したりするのは大嫌いであまりやりたくないのだが、あえて言いたい。
「人としての、あるいは国家としてのプライドを持て」と。
そんなプライドすら持てない人間が、復興だの、教育だの、未来だのと言う資格はない。
2011年09月01日
本のタイトル
先日、東日本大震災に関する本のタイトルが決まったと書いたが、変更になった。
以下で、最終決定。
「遺体 ~ 震災、津波の果てに」
発売日 10月27日
版元 新潮社
もともとは「遺体安置所」というタイトルだったのだが、まぁ、いろいろあって変更した方が良いとなり、「遺体」というタイトルになった。
結果的にはこっちの方がしっくりくる感じもする。
今回の震災でもっとも「見えなかったもの」というのが<遺体>だった。
それを追ったルポも少なかったし、テレビなどでは流さなかったし、雑誌もほとんど載せていない。
この本では、遺体安置所と遺体捜索にスポットを当てて徹底的にこの「遺体」について描く。一瞬のうちに約三万人という未曾有の遺体が出た時、人間はどうその現実と対峙していくのか。それが本書のテーマだ。
そういうこともあり、タイトルをそのままズバリ「遺体」とすることになったのだ。
ともあれ、タイトルというのは結構最後まで悩む。
読んでくれている人は、すべて僕が決めていると思っているようだけど、意外に違うのだ。
著者にもよるだろうけど、ぼくはタイトルを考えずに書き始める。タイトルを先に決めることで、描く範囲をせばめたくないのだ(タイトルをはじめに決めると、どうしてもそれ以上話が膨らまなくなってしまう)。
だから、まったくタイトルを考えずに最後まで書き通す。
で、ひと段落つくのが初校ゲラが終わるころ。つまり発売の二カ月ぐらい前。通常、このときまでにタイトルを決めなければならないのだが、この頃、僕の頭の中は原稿の内容のことでいっぱいなので、タイトルを考えている余裕がない。
自然と、編集者を巻き込んで、あたふたとしはじめる。
僕自身の本でいえば、たとえば一番初めの本「物乞う仏陀」のタイトルは僕が考えた。
ただ、はじめは「物乞う仏陀 異形のシヴァ」という案があり、最終的には最後の部分を削ったのだ。
二作目の「神の棄てた裸体」は、これは僕が考えたわけではない。
たしか、これは編集の足立さんが決めたんじゃなかったっけな。いくつか案があり、その中から「これにしよう」と話し合って決めたんだと思う。
三作目の「絶対貧困」は、半分僕で、半分編集者。
もともとは現在サブタイトル(文庫版)になっている「世界リアル貧困学講義」だった。
ただ、直前になって、これじゃ教科書っぽい、ということになり、編集担当、編集長、僕の三人で市ヶ谷のルノアールでさんざんぱら考えた末に、本の中にあった「絶対貧困」という言葉をそのままタイトルにすることに決めた。
本が出た時に、ちょうど「貧困ブーム」になり、タイトルのせいもあって結構売れた。
四作目の「日本人だけが知らない日本人のうわさ」は光文社の編集長が決めた。
はじめは「世界ニッポン都市伝説」とかそういうタイトルだったと思う。正直、ノリで話したテーマがそのまま通ってしまって、半分ヤケになって書いたのだが、なんだかんだ結構売れたなー。
五作目「レンタルチャイルド」は、いろいろあった。
「月刊プレイボーイ」に連載していたときは「地を這う裸虫」だった。編集担当の中込氏と一緒に何度も明け方まで考えて苦し紛れにこうなった。
しかし、途中から「新潮45」に連載媒体が移った時、どうもこのタイトルが苦手だったので「レンタルチャイルド」に変えた。
で、単行本のときは編集の足立さんから「タイトルを変えよう」と言われて、何十個もタイトルを考えたのだが、あまりいいのがなく、最終的には「レンタルチャイルドという言葉を世に広めるぐらいの勢いで、そのままタイトルにしよう」ということで連載時のタイトルをつかうことで決定。
ただ、僕は今でもそうなのだが、カタカナが嫌いなのだ。文章を書くときも極力カタカナはつかわない。
(日本語を書くことを職業としている人間が容易にカタカナをつかうのは愚かだと思っている。日本語でいかにうまく表現するかが「腕」だろう。時々、校正や校閲でわざわざカタカナで直してくる担当者がいるけど、あれは止めた方がいい)
たとえば、「キスする」とは書かない。「濡れた唇を重ね合わせる」と書く。あるいは、「ハグする」とは書かない。「腕で腰のあたりを強く抱きよせる」と書く。
これはタイトルも同じで、カタカナが非常に嫌だった。しかし、この作品はカタカナにするしかないな、とのことで「レンタルチャイルド」にしたのだ。
「地を這う祈り」は、これは誰だっけな。編集担当の大久保さん&野間君コンビか、その上の編集長が決めたっけ?
最初は大久保さん&野間君コンビがだしてきた「むきだし」というタイトルだったのだが、これは僕が「変だよ。止めた方がいいんじゃねぇ?」と言って却下にした。編集部でも却下されたんじゃないかな(笑)。
で、いくつかの候補の中から「地を這う祈り」になったのだ。
ところが、後日談がある。
去年の秋、大久保さん&野間君コンビが、長野にあるうちの別宅に遊びに来た。深夜、寝ていたら、リビングルームで大久保さん(女)が一人メソメソしている声が聞こえる。なんだ? と思ってリビングルームに出て行ったら、泣きそうな声でこう言う。
「本棚にあった『月刊プレイボーイ』を見たら、連載タイトルが『地を這う裸虫』じゃないですか! 私、これ知らないで『地を這う祈り』というタイトルにしたんです。でも、以前そういう連載タイトルがあったんだとしたら、私がパクったみたいじゃないですか!」
僕としては「え? 知らなかったの?」って感じである。
てっきり知っていて、そこからタイトルを取ったのかと思っていた。ところが、彼女としては、まったく知らずに「地を這う祈り」というタイトルをつけて、あとで『レンタルチャイルド』が「地を這う裸虫」というタイトルだったことを知り、ショックを受けたようだ。
うーむ。編集者の乙女心は難しい。
まぁ、僕としては「気にすんな」と言ってさっさと眠ったが。
他は、どうだったっけな~。
「感染宣告」は、『g2』という雑誌に掲載する際に編集長が決めた。本にする時、最後の最後に担当者が「文芸的なタイトルにしよう」と言いはじめたけど、残り数時間しかなく、時間切れ。
絵本「おかえり、またあえたね」は東京書籍の担当編集者。
「飢餓浄土」「ルポ 餓死現場で生きる」は僕が決めた。年末から来年頭にだす「ニッポン異国紀行」は僕が決め、「アジアにこぼれた涙」は蔵前仁一さんが決めた。
そんな感じ?
ともあれ、本のタイトルというのは、かならずしも著者が決めているものではない、ということだ。
これがいい、と思っても、「会社的にダメ」とか「営業的に無理」ということもある。あるいは編集部の編集長が「タイトル付けの名人」みたいになっていて、基本的にその人がぜんぶ考える、ということもある。
(以前、ある新書編集部の本のほとんどすべてはそこの編集長がつけている、と訊いたことがあるなー。こういうことも、普通にあるのだ)
ちなみに、週刊誌とかだとほとんど編集部でタイトルを考える。週刊誌の場合「インパクト」がなければならないし、タイトルの付けたがが雑誌によって変わっていて特徴があるためだ。(月刊誌は違うけど)たぶん、僕がこれまで週刊誌に書いたルポで自分でタイトルをつけた経験は一度もないと思う。
ただ、今回の「遺体~震災、津波の果てに」というタイトルは、個人的には内容とドンピシャだと思う。
あとは、発売まで二カ月弱、最後の追い込みをやって終わりである。
今回の作品の編集担当は、「神の棄てた裸体」「レンタルチャイルド」を一緒に作った足立さん。
僕が二十代のころから付き合っている数少ない編集者の一人だ。処女作を出した直後に連絡をくれて、いきなり「新潮社から二作目を出さないか」と言ってくれ、あれこれ世話をしてくれた。なんだかんだ7年ぐらい一緒にやっている。
僕が出会った編集者のなかでもっとも優秀なうちの一人だ。僕は出版の世界でいろんな幸運に恵まれているけど、二作目でこの人に出会えたのはものすごく大きいし、勉強になった。僕はこの足立さんに全幅の信頼を寄せて、「自分にとっての傑作をつくる」という心構えでいる。
なんで、今回もこの企画を最初にお願いして通してもらった(毎度ながら、アッという間に通してくれた。足立さんに頼むと、とにかく話が早いし、一瞬でもっともやりやすい環境を整えてくれる)。あとは最後まで全力投球でやるだけだ。
以下で、最終決定。
「遺体 ~ 震災、津波の果てに」
発売日 10月27日
版元 新潮社
もともとは「遺体安置所」というタイトルだったのだが、まぁ、いろいろあって変更した方が良いとなり、「遺体」というタイトルになった。
結果的にはこっちの方がしっくりくる感じもする。
今回の震災でもっとも「見えなかったもの」というのが<遺体>だった。
それを追ったルポも少なかったし、テレビなどでは流さなかったし、雑誌もほとんど載せていない。
この本では、遺体安置所と遺体捜索にスポットを当てて徹底的にこの「遺体」について描く。一瞬のうちに約三万人という未曾有の遺体が出た時、人間はどうその現実と対峙していくのか。それが本書のテーマだ。
そういうこともあり、タイトルをそのままズバリ「遺体」とすることになったのだ。
ともあれ、タイトルというのは結構最後まで悩む。
読んでくれている人は、すべて僕が決めていると思っているようだけど、意外に違うのだ。
著者にもよるだろうけど、ぼくはタイトルを考えずに書き始める。タイトルを先に決めることで、描く範囲をせばめたくないのだ(タイトルをはじめに決めると、どうしてもそれ以上話が膨らまなくなってしまう)。
だから、まったくタイトルを考えずに最後まで書き通す。
で、ひと段落つくのが初校ゲラが終わるころ。つまり発売の二カ月ぐらい前。通常、このときまでにタイトルを決めなければならないのだが、この頃、僕の頭の中は原稿の内容のことでいっぱいなので、タイトルを考えている余裕がない。
自然と、編集者を巻き込んで、あたふたとしはじめる。
僕自身の本でいえば、たとえば一番初めの本「物乞う仏陀」のタイトルは僕が考えた。
ただ、はじめは「物乞う仏陀 異形のシヴァ」という案があり、最終的には最後の部分を削ったのだ。
二作目の「神の棄てた裸体」は、これは僕が考えたわけではない。
たしか、これは編集の足立さんが決めたんじゃなかったっけな。いくつか案があり、その中から「これにしよう」と話し合って決めたんだと思う。
三作目の「絶対貧困」は、半分僕で、半分編集者。
もともとは現在サブタイトル(文庫版)になっている「世界リアル貧困学講義」だった。
ただ、直前になって、これじゃ教科書っぽい、ということになり、編集担当、編集長、僕の三人で市ヶ谷のルノアールでさんざんぱら考えた末に、本の中にあった「絶対貧困」という言葉をそのままタイトルにすることに決めた。
本が出た時に、ちょうど「貧困ブーム」になり、タイトルのせいもあって結構売れた。
四作目の「日本人だけが知らない日本人のうわさ」は光文社の編集長が決めた。
はじめは「世界ニッポン都市伝説」とかそういうタイトルだったと思う。正直、ノリで話したテーマがそのまま通ってしまって、半分ヤケになって書いたのだが、なんだかんだ結構売れたなー。
五作目「レンタルチャイルド」は、いろいろあった。
「月刊プレイボーイ」に連載していたときは「地を這う裸虫」だった。編集担当の中込氏と一緒に何度も明け方まで考えて苦し紛れにこうなった。
しかし、途中から「新潮45」に連載媒体が移った時、どうもこのタイトルが苦手だったので「レンタルチャイルド」に変えた。
で、単行本のときは編集の足立さんから「タイトルを変えよう」と言われて、何十個もタイトルを考えたのだが、あまりいいのがなく、最終的には「レンタルチャイルドという言葉を世に広めるぐらいの勢いで、そのままタイトルにしよう」ということで連載時のタイトルをつかうことで決定。
ただ、僕は今でもそうなのだが、カタカナが嫌いなのだ。文章を書くときも極力カタカナはつかわない。
(日本語を書くことを職業としている人間が容易にカタカナをつかうのは愚かだと思っている。日本語でいかにうまく表現するかが「腕」だろう。時々、校正や校閲でわざわざカタカナで直してくる担当者がいるけど、あれは止めた方がいい)
たとえば、「キスする」とは書かない。「濡れた唇を重ね合わせる」と書く。あるいは、「ハグする」とは書かない。「腕で腰のあたりを強く抱きよせる」と書く。
これはタイトルも同じで、カタカナが非常に嫌だった。しかし、この作品はカタカナにするしかないな、とのことで「レンタルチャイルド」にしたのだ。
「地を這う祈り」は、これは誰だっけな。編集担当の大久保さん&野間君コンビか、その上の編集長が決めたっけ?
最初は大久保さん&野間君コンビがだしてきた「むきだし」というタイトルだったのだが、これは僕が「変だよ。止めた方がいいんじゃねぇ?」と言って却下にした。編集部でも却下されたんじゃないかな(笑)。
で、いくつかの候補の中から「地を這う祈り」になったのだ。
ところが、後日談がある。
去年の秋、大久保さん&野間君コンビが、長野にあるうちの別宅に遊びに来た。深夜、寝ていたら、リビングルームで大久保さん(女)が一人メソメソしている声が聞こえる。なんだ? と思ってリビングルームに出て行ったら、泣きそうな声でこう言う。
「本棚にあった『月刊プレイボーイ』を見たら、連載タイトルが『地を這う裸虫』じゃないですか! 私、これ知らないで『地を這う祈り』というタイトルにしたんです。でも、以前そういう連載タイトルがあったんだとしたら、私がパクったみたいじゃないですか!」
僕としては「え? 知らなかったの?」って感じである。
てっきり知っていて、そこからタイトルを取ったのかと思っていた。ところが、彼女としては、まったく知らずに「地を這う祈り」というタイトルをつけて、あとで『レンタルチャイルド』が「地を這う裸虫」というタイトルだったことを知り、ショックを受けたようだ。
うーむ。編集者の乙女心は難しい。
まぁ、僕としては「気にすんな」と言ってさっさと眠ったが。
他は、どうだったっけな~。
「感染宣告」は、『g2』という雑誌に掲載する際に編集長が決めた。本にする時、最後の最後に担当者が「文芸的なタイトルにしよう」と言いはじめたけど、残り数時間しかなく、時間切れ。
絵本「おかえり、またあえたね」は東京書籍の担当編集者。
「飢餓浄土」「ルポ 餓死現場で生きる」は僕が決めた。年末から来年頭にだす「ニッポン異国紀行」は僕が決め、「アジアにこぼれた涙」は蔵前仁一さんが決めた。
そんな感じ?
ともあれ、本のタイトルというのは、かならずしも著者が決めているものではない、ということだ。
これがいい、と思っても、「会社的にダメ」とか「営業的に無理」ということもある。あるいは編集部の編集長が「タイトル付けの名人」みたいになっていて、基本的にその人がぜんぶ考える、ということもある。
(以前、ある新書編集部の本のほとんどすべてはそこの編集長がつけている、と訊いたことがあるなー。こういうことも、普通にあるのだ)
ちなみに、週刊誌とかだとほとんど編集部でタイトルを考える。週刊誌の場合「インパクト」がなければならないし、タイトルの付けたがが雑誌によって変わっていて特徴があるためだ。(月刊誌は違うけど)たぶん、僕がこれまで週刊誌に書いたルポで自分でタイトルをつけた経験は一度もないと思う。
ただ、今回の「遺体~震災、津波の果てに」というタイトルは、個人的には内容とドンピシャだと思う。
あとは、発売まで二カ月弱、最後の追い込みをやって終わりである。
今回の作品の編集担当は、「神の棄てた裸体」「レンタルチャイルド」を一緒に作った足立さん。
僕が二十代のころから付き合っている数少ない編集者の一人だ。処女作を出した直後に連絡をくれて、いきなり「新潮社から二作目を出さないか」と言ってくれ、あれこれ世話をしてくれた。なんだかんだ7年ぐらい一緒にやっている。
僕が出会った編集者のなかでもっとも優秀なうちの一人だ。僕は出版の世界でいろんな幸運に恵まれているけど、二作目でこの人に出会えたのはものすごく大きいし、勉強になった。僕はこの足立さんに全幅の信頼を寄せて、「自分にとっての傑作をつくる」という心構えでいる。
なんで、今回もこの企画を最初にお願いして通してもらった(毎度ながら、アッという間に通してくれた。足立さんに頼むと、とにかく話が早いし、一瞬でもっともやりやすい環境を整えてくれる)。あとは最後まで全力投球でやるだけだ。
2011年08月20日
中傷もよしあし
ニュースを見ていたら、サッカー選手のGK川島永嗣が、ベルギーリーグの試合に出場中に「フクシマ、フクシマ」とからかわれて審判に猛抗議。試合後に涙を流した、と書いてあった。
サッカーにしても、野球にしても、最近は海外へ出る人が多くなっている。
それにともなって、こうしたこともどんどん増えているし、さらに増えていくだろう。
が、こうしたことは、何も日本人に限ったことではない。
黒人が欧米へいけば猿のまねをされるし、中国人がいけば「中国人、中国人」と馬鹿にされる。アメリカ人だって別の国にいけば、「世界の独裁者」と考えられて嫌われまくる。
もちろん、こうしたことはすべて偏見が生み出すわけで、偏見がいいわけがない。
しかし、偏見というのは人間なら誰もが持っているわけで、どんな時代でも「外へ出る」ということは、その偏見にさらされることなのだ。
日本にいる限りは、そういう体験をすることがない。しかし、一歩外に出れば、かならずそういう罵声を浴びせられる。
一般的には、こうしたことは「いけない」とされる。
しかし、僕は、これこそが外へ出た時に得られる一番の宝物だと思う。
異国の地で、たった一人こういう偏見を全身で浴びて、悔し涙を流さなければ、わからないことというのは山ほどある。
自分の価値観が崩れて、そこからいろんなものを再構築していこうとする。それは半端なことではない。逃げ場のないところで、死に物狂いで新しい価値観や考え方をつくる。
そうしたことでしか成長できない「人間性」というのは山ほどある。
この体験は、たった一人で海外で死ぬ思いで頑張らなければ、なかなか得られない。
ちょっとした留学やら、ちょっとした海外旅行でも、もちろんそれを感じることはできるが、より「逃げ場のない状況」に追い込んだ方がもっと大きなものをつかめる。
「逃げ場がない」というのがミソなのである。
偏見にさらされて悔し涙を流して、価値観が全部崩壊しても、逃げ込んだり、泣きついたりする相手がいないからこそ、それだけ必死になって新しい価値観や考え方を自分でつくっていく。
その積み重ねが、はじめて「人間」や「価値観」というものをつくっていく。
私事でまことに恐縮だが、僕は自分がそれをやれたことは本当によかったと思っている。
20代の前半。何もかも捨てて「作家になれなきゃ帰らない」と決めて、途上国のスラムやら難民キャンプやらを寝泊まりした。偏見だらけ、罵倒されまくり、つーか、いつ殺されるかわからない、という状況に自分を追い込んだ。
たぶん、今持っている自分の価値観の9割以上はそうやって積み上げてきたものだ。
もし僕が二度目の人生を送ることになったとしても、同じことをすると思う。
留学やら、インターンやら、研修やら、最近はいろんな制度がよくある。
夜のスタバにいけば、若い子たちが一生懸命に英語を勉強している。それはそれで非常によろしい。
しかし、僕からすれば、若いうちに海外へいくなら、決められた制度の枠組みでやるより、より大きな志をもって引き返せない状況をつくり、そこでビシビシ偏見に身をさらしなさいと思う。
理不尽なことをいわれ、罵倒され、中傷され、時には殴られ、時には盗まれ、時にはだまされる。しかし、逃げることができない。だからこそ、そこで別の自分自身を作り上げていかなければならない。
そういうところへ、自分を追い込んでみなさいと思う。
たぶん「大志を抱く」というのは、必然的にそうなることではないか。
大志を抱いて、本気で何かをやろうとすれば、そういう状況に身を置かなければならない。
学問だって、スポーツだってそうだろう。本を書いたり、映画を撮ったりということだって同じだ。
本気でやろうと思えば思うほど、自分を逃げ場のないところへ追い込み、偏見やら非難やらにさらされる。
その時は悔しくてしかたないが、10年経てば、その経験こそが「その人たらしめる経験」になるはずなのだ。
もちろん、外国人が日本人を「フクシマ」と呼ぶのは、いいことではない。
しかし、僕なんかは逆にそう言う馬鹿な外国人がいてくれた方が、海外にいる日本人はずっと伸びるのではないかと思う。
良いか悪いかではなく、そういう偏見が渦巻くのが世界の現実なのだ。私たちが暮らす日本だって、外国人からすれば偏見がうずまく誹謗中傷の世界に違いない。
だからこそ、外国へ単身わたって、そうした四面楚歌を「実際」に体験するということは、とても大きなことなのだ。
アメリカ人に「フクシマ」と言われながら原子力研究をすればいい。ソマリアの子供に「フクシマ」と言われながら国際開発をすればいい。中国人に「フクシマ」と言われながら通訳をやればいい。
その時はいろんなことに悩むだろうけど、10年後から考えれば、悩みから生まれた価値観、世界観というのは何にも代えがたいものになるはずだ。
なので、偏見やら非難やらはどんどん受けろと思う。
その代わり、逃げ道を作って、そこへ駆け込み、自分のくだらない価値観を守るようなことはするなかれ。
携帯電話で日本の友達に電話をして泣きついたり、日本語でブログを書いて同情のコメントを求めたりすることなかれ。
「日本人をフクシマなんて呼ぶ外国人は差別主義者だよねー」なんて同情をもらおうとするな。
差別を全身であびて、それこそが現実なのだと思い知った上で、じゃあ自分がそこから何をするかということを死ぬ思いで自分ひとりで考えてみろと言いたい。
そこにこそ、本当の意味でその人自身にしか持ちえない現実の価値観・世界観が生まれるのだ。
なので、冒頭に書いたニュースを見ると、僕なんかは「メディアが必死になって川島を擁護しなくてもいいんじゃない? むしろ、現実なんてそんなものなんだから、川島いい経験してんなー、がんばれー、ぐらいの目で見れば?」とか思ってしまう。
少なくとも、大志をもって世界に出て行っていこうとする人にとっては中傷されたり、差別されたり、理不尽な現実をつきつけられたりするということは、逆に有意義なことでもあるのだ。
サッカーにしても、野球にしても、最近は海外へ出る人が多くなっている。
それにともなって、こうしたこともどんどん増えているし、さらに増えていくだろう。
が、こうしたことは、何も日本人に限ったことではない。
黒人が欧米へいけば猿のまねをされるし、中国人がいけば「中国人、中国人」と馬鹿にされる。アメリカ人だって別の国にいけば、「世界の独裁者」と考えられて嫌われまくる。
もちろん、こうしたことはすべて偏見が生み出すわけで、偏見がいいわけがない。
しかし、偏見というのは人間なら誰もが持っているわけで、どんな時代でも「外へ出る」ということは、その偏見にさらされることなのだ。
日本にいる限りは、そういう体験をすることがない。しかし、一歩外に出れば、かならずそういう罵声を浴びせられる。
一般的には、こうしたことは「いけない」とされる。
しかし、僕は、これこそが外へ出た時に得られる一番の宝物だと思う。
異国の地で、たった一人こういう偏見を全身で浴びて、悔し涙を流さなければ、わからないことというのは山ほどある。
自分の価値観が崩れて、そこからいろんなものを再構築していこうとする。それは半端なことではない。逃げ場のないところで、死に物狂いで新しい価値観や考え方をつくる。
そうしたことでしか成長できない「人間性」というのは山ほどある。
この体験は、たった一人で海外で死ぬ思いで頑張らなければ、なかなか得られない。
ちょっとした留学やら、ちょっとした海外旅行でも、もちろんそれを感じることはできるが、より「逃げ場のない状況」に追い込んだ方がもっと大きなものをつかめる。
「逃げ場がない」というのがミソなのである。
偏見にさらされて悔し涙を流して、価値観が全部崩壊しても、逃げ込んだり、泣きついたりする相手がいないからこそ、それだけ必死になって新しい価値観や考え方を自分でつくっていく。
その積み重ねが、はじめて「人間」や「価値観」というものをつくっていく。
私事でまことに恐縮だが、僕は自分がそれをやれたことは本当によかったと思っている。
20代の前半。何もかも捨てて「作家になれなきゃ帰らない」と決めて、途上国のスラムやら難民キャンプやらを寝泊まりした。偏見だらけ、罵倒されまくり、つーか、いつ殺されるかわからない、という状況に自分を追い込んだ。
たぶん、今持っている自分の価値観の9割以上はそうやって積み上げてきたものだ。
もし僕が二度目の人生を送ることになったとしても、同じことをすると思う。
留学やら、インターンやら、研修やら、最近はいろんな制度がよくある。
夜のスタバにいけば、若い子たちが一生懸命に英語を勉強している。それはそれで非常によろしい。
しかし、僕からすれば、若いうちに海外へいくなら、決められた制度の枠組みでやるより、より大きな志をもって引き返せない状況をつくり、そこでビシビシ偏見に身をさらしなさいと思う。
理不尽なことをいわれ、罵倒され、中傷され、時には殴られ、時には盗まれ、時にはだまされる。しかし、逃げることができない。だからこそ、そこで別の自分自身を作り上げていかなければならない。
そういうところへ、自分を追い込んでみなさいと思う。
たぶん「大志を抱く」というのは、必然的にそうなることではないか。
大志を抱いて、本気で何かをやろうとすれば、そういう状況に身を置かなければならない。
学問だって、スポーツだってそうだろう。本を書いたり、映画を撮ったりということだって同じだ。
本気でやろうと思えば思うほど、自分を逃げ場のないところへ追い込み、偏見やら非難やらにさらされる。
その時は悔しくてしかたないが、10年経てば、その経験こそが「その人たらしめる経験」になるはずなのだ。
もちろん、外国人が日本人を「フクシマ」と呼ぶのは、いいことではない。
しかし、僕なんかは逆にそう言う馬鹿な外国人がいてくれた方が、海外にいる日本人はずっと伸びるのではないかと思う。
良いか悪いかではなく、そういう偏見が渦巻くのが世界の現実なのだ。私たちが暮らす日本だって、外国人からすれば偏見がうずまく誹謗中傷の世界に違いない。
だからこそ、外国へ単身わたって、そうした四面楚歌を「実際」に体験するということは、とても大きなことなのだ。
アメリカ人に「フクシマ」と言われながら原子力研究をすればいい。ソマリアの子供に「フクシマ」と言われながら国際開発をすればいい。中国人に「フクシマ」と言われながら通訳をやればいい。
その時はいろんなことに悩むだろうけど、10年後から考えれば、悩みから生まれた価値観、世界観というのは何にも代えがたいものになるはずだ。
なので、偏見やら非難やらはどんどん受けろと思う。
その代わり、逃げ道を作って、そこへ駆け込み、自分のくだらない価値観を守るようなことはするなかれ。
携帯電話で日本の友達に電話をして泣きついたり、日本語でブログを書いて同情のコメントを求めたりすることなかれ。
「日本人をフクシマなんて呼ぶ外国人は差別主義者だよねー」なんて同情をもらおうとするな。
差別を全身であびて、それこそが現実なのだと思い知った上で、じゃあ自分がそこから何をするかということを死ぬ思いで自分ひとりで考えてみろと言いたい。
そこにこそ、本当の意味でその人自身にしか持ちえない現実の価値観・世界観が生まれるのだ。
なので、冒頭に書いたニュースを見ると、僕なんかは「メディアが必死になって川島を擁護しなくてもいいんじゃない? むしろ、現実なんてそんなものなんだから、川島いい経験してんなー、がんばれー、ぐらいの目で見れば?」とか思ってしまう。
少なくとも、大志をもって世界に出て行っていこうとする人にとっては中傷されたり、差別されたり、理不尽な現実をつきつけられたりするということは、逆に有意義なことでもあるのだ。
2011年08月16日
執筆がもうちょっとでひと段落
ここ数カ月、東北震災の津波に関する本を書いていた。
今月末でひと段落し、10月26日ごろに発売といった流れである。
(本というのは、原稿が完成した後も、校正や印刷で2カ月ぐらいかかる)
題して
「遺体安置所〜震災と津波の果てに」
3.11から二カ月ぐらいの期間の安置所で起きた出来事を徹底的に描いていく作品だ。
しかし、こりゃ、疲れた。死ぬかと思った。(まだ終わってないが)
ノンフィクションというのは、取材によって悲しみとか現実の重さをめいいっぱい自分の中に取り込んで、それを作品という形に消化して、ズドンと大砲のようにぶっ放す。
当然題材が重たければ重たいほど、著者に負担がかかるのだが、今回は舞台が「遺体安置所」というだけあって、とんでもなくヘビーなものだった。
部屋の中には遺体安置所の写真、資料、死亡者リスト、火葬リスト、検死資料などが山積み。何週間も誰にも会わず、部屋から一歩も出ず、一日二十時間パソコンに向かっているという状態。
つまり、起きている時間ずっと「この死体の描写をどうしよう」「この遺族の嘆きをどう書こう」ということだけを考え続けて、何十回も書き直すのである。
僕はまともな精神の持ち主なので、さすがにこういう作業をつづけていたらぶっ壊れそうになった。
作品によって、作り手にかかるダメージはまったく違う。
たとえば、僕の作品でいえば「絶対貧困」なんかは小手先の技術でサクサクッと書けるものだ。
しかし、「レンタルチャイルド」なんかはまったく違う。なんつーか、全身全霊こめて死ぬ気でやらなければできない。
どっちが売れるかどうかは結果論だけど、作り方が根本から違うものなのだ。
たとえていえば、インターネットのコメント欄で中傷合戦のケンカをするのと、自分の腹を切って内臓をつかみだして、それを投げ合ってケンカをするのとぐらい違う。
今回の「遺体安置所」は後者にあたる作品であり、しかも2カ月で書かなければならず、まぁ、ノックダウンしたわけだ。
まぁ、何の仕事もつらいわけだから、僕の大変さなんてどうでもいいのだけど、今まだ僕の書斎には遺体安置所に関する資料が山のように積まれている。
今でも毎日目に止まるのが、遺体安置所の管理人が残したメモである。毎日遺体が安置所に運ばれてくるたびに、管理人がA4の紙の裏に記していた「遺体の配置図」のメモだ。
そこには次のようなことが記されている。
どこにどういう遺体があるか。
それは何番(遺体にはかならず番号が振られていた)。
名前が分かっているのは誰か。
メモを見ていると、同じ苗字の遺体が並んでいたりする。これは家族が全員死んでしまったケースだ。本来遺体は番号順に並べられていなければならないのだが、よく見るとそれだけは番号順に並んでいない。それが意味するのは、管理人が家族同士で並べてあげたいと思い、番号を無視して家族の遺体をまとめてあげているということだ。
あるいは、女性の名前の横に(妊婦9カ月)とか(生後100日)とか書いてある。管理人としては遺体のふくらみが腐敗によるガスではなく、妊娠によるものであることを忘れまいとして書いたのだろうし、赤ちゃんの死体が「100日生きた人間なのだ」ということを覚えておくために書いたのだろう。
こういう「ナマ」のメモというのは、本当にいろんなことを考えさせられる。一つのメモから何十個もの様々なことを考えさせてくれる。
メディアはこぞって「被災者の感動の作文」とか「思い出の写真」ということばかり言っているけど、遺体安置所のメモみたいなものを集めたっていいのではないか、と思う。
モノによっては、作文なんかより、ずっと色んなことを考えさせてくれるものかもしれない。
ふと思ったけど、こういう資料を集めて展示会なんかやっても有意義かも。
本の発売に合わせて書店なんかで展開してもらおうかな。もし「やってもOK」というところがあれば、ご連絡くださいませ。
あるいは関係者で「こういう資料があるけど提供してもいいよ」というものがあれば、どうかお願いします。
今月末でひと段落し、10月26日ごろに発売といった流れである。
(本というのは、原稿が完成した後も、校正や印刷で2カ月ぐらいかかる)
題して
「遺体安置所〜震災と津波の果てに」
3.11から二カ月ぐらいの期間の安置所で起きた出来事を徹底的に描いていく作品だ。
しかし、こりゃ、疲れた。死ぬかと思った。(まだ終わってないが)
ノンフィクションというのは、取材によって悲しみとか現実の重さをめいいっぱい自分の中に取り込んで、それを作品という形に消化して、ズドンと大砲のようにぶっ放す。
当然題材が重たければ重たいほど、著者に負担がかかるのだが、今回は舞台が「遺体安置所」というだけあって、とんでもなくヘビーなものだった。
部屋の中には遺体安置所の写真、資料、死亡者リスト、火葬リスト、検死資料などが山積み。何週間も誰にも会わず、部屋から一歩も出ず、一日二十時間パソコンに向かっているという状態。
つまり、起きている時間ずっと「この死体の描写をどうしよう」「この遺族の嘆きをどう書こう」ということだけを考え続けて、何十回も書き直すのである。
僕はまともな精神の持ち主なので、さすがにこういう作業をつづけていたらぶっ壊れそうになった。
作品によって、作り手にかかるダメージはまったく違う。
たとえば、僕の作品でいえば「絶対貧困」なんかは小手先の技術でサクサクッと書けるものだ。
しかし、「レンタルチャイルド」なんかはまったく違う。なんつーか、全身全霊こめて死ぬ気でやらなければできない。
どっちが売れるかどうかは結果論だけど、作り方が根本から違うものなのだ。
たとえていえば、インターネットのコメント欄で中傷合戦のケンカをするのと、自分の腹を切って内臓をつかみだして、それを投げ合ってケンカをするのとぐらい違う。
今回の「遺体安置所」は後者にあたる作品であり、しかも2カ月で書かなければならず、まぁ、ノックダウンしたわけだ。
まぁ、何の仕事もつらいわけだから、僕の大変さなんてどうでもいいのだけど、今まだ僕の書斎には遺体安置所に関する資料が山のように積まれている。
今でも毎日目に止まるのが、遺体安置所の管理人が残したメモである。毎日遺体が安置所に運ばれてくるたびに、管理人がA4の紙の裏に記していた「遺体の配置図」のメモだ。
そこには次のようなことが記されている。
どこにどういう遺体があるか。
それは何番(遺体にはかならず番号が振られていた)。
名前が分かっているのは誰か。
メモを見ていると、同じ苗字の遺体が並んでいたりする。これは家族が全員死んでしまったケースだ。本来遺体は番号順に並べられていなければならないのだが、よく見るとそれだけは番号順に並んでいない。それが意味するのは、管理人が家族同士で並べてあげたいと思い、番号を無視して家族の遺体をまとめてあげているということだ。
あるいは、女性の名前の横に(妊婦9カ月)とか(生後100日)とか書いてある。管理人としては遺体のふくらみが腐敗によるガスではなく、妊娠によるものであることを忘れまいとして書いたのだろうし、赤ちゃんの死体が「100日生きた人間なのだ」ということを覚えておくために書いたのだろう。
こういう「ナマ」のメモというのは、本当にいろんなことを考えさせられる。一つのメモから何十個もの様々なことを考えさせてくれる。
メディアはこぞって「被災者の感動の作文」とか「思い出の写真」ということばかり言っているけど、遺体安置所のメモみたいなものを集めたっていいのではないか、と思う。
モノによっては、作文なんかより、ずっと色んなことを考えさせてくれるものかもしれない。
ふと思ったけど、こういう資料を集めて展示会なんかやっても有意義かも。
本の発売に合わせて書店なんかで展開してもらおうかな。もし「やってもOK」というところがあれば、ご連絡くださいませ。
あるいは関係者で「こういう資料があるけど提供してもいいよ」というものがあれば、どうかお願いします。
2011年06月26日
【新刊】 『絶対貧困』が文庫化されました

『絶対貧困−世界リアル貧困学講義』が、新潮文庫になりました。
約2年前に光文社より出した単行本の文庫化になります。内容やデータについては一部新しく改訂されています。
本書は、僕の本のなかでは、今までで一番売れた本ですね。
それまでガッツリ硬派の本を書いてきましたが、僕としてはいわゆるノンフィクションを読まない層にも、こういう世界があるんだよ、ということを伝えたかった。
これまでの本のようなものを嫌がって読まない層にも、いろんなことを伝えたいと思っていたのです。
そこで思い立ったのが、講義形式で、笑って泣けて勉強になるような本でした。
大学受験の際に「実況中継」という予備校の先生が行っている授業を書籍化したシリーズがあったのを思い出し、ああいう本を高校生が読んでベストセラーになるのであれば、僕なりの目線で「貧困学」というものをつくって、それを中高生でも楽しめるように面白おかしく描いてみたらどうか、と思ったのです。
光文社の担当編集者に話をしてみたら、すぐに「面白い、いこう」ということになった。それで執筆に取り掛かったのです。
単行本の刊行は、2009年の3月でした。
これまで何度も書いてきましたが、僕が一般的な貧困問題の捉え方について「おかしい!」と思っているのは、あまりにも一元的にしかみられていないこと。
NGOなどが示す「かわいそうな、おなかをすかせた、助けるべき子供たち」というイメージです。
僕は実際に世界の貧困地をまわって、そういう人たちに出会ったことがほとんどなかった。少なくとも9割はまったく違う生き方、考え方をしていた。
彼らだって性欲があり、不倫もすれば、ケンカもする。援助なんていらねえという人もいれば、彼らなりの独特の料理や酒を考案して面白い仕事をする人もいる。他には、物乞いでうまく稼ぐ方法、売春のいかさま、オカマたちの特別な仕事、物売りのお給料、路上生活者のSEX、出産、トイレ、病気、生理用品……。
日本人にはまったく知られていないこういう「実像」を百数十枚の写真は図説をつかって、徹底的に描くことで、一般の人たちがもっている固定観念としてのイメージに疑問を投げかけようとしたのです。
僕としては、本書がベストセラーになったことを考えると、ある程度は当初の目標は達成できたのではないかな、と思っています。
それが、今回新潮文庫のシリーズとなり、より多くの人に読んでもらい、まったく違った観点から「貧困とは何なのだろう」「世界とは何なのだろう」「人間とは何なのだろう」ということを考えていただければと思っています。
目次は以下。
・スラム編
第一講 スラムの成り立ち
第二講 人々の暮らしと性
第三講 表の職業・闇の職業
第四講 貧民の流入と流出
・路上生活編
第五講 路上生活者とは
第六講 恋愛から婚姻
第七講 出産から葬儀
第八講 物売り
第九講 物乞い
第十講 ストリートチルドレン
第十一講 路上の犯罪
・売春編
第十二講 売春形態と地域
第十三講 売春婦の実態
第十四講 性の国際化
追記
今年の4月から出した『ルポ 餓死現場で生きる』(ちくま新書)は、『絶対貧困』の姉妹本です。
『絶対貧困』が貧困者の「生活」について書いたのに対し、『ルポ 餓死現場で生きる』は児童労働、子供兵、児童婚など社会問題から解き明かしたものです。
宜しければ、あわせて読んでいただければ幸いです。
2011年06月01日
NGO志願急増中?
数年前から、20代前半の若い人からこういう相談をよく受けるようになった。
「NGOをつくって、世界のために貢献したいのですが、どうすればいいのでしょうか」
そういえば、昔海外旅行をしている大学生には、ギラギラの野心に溢れた人が多かった。
作家になりたい、写真家になりたい、起業したい、教授になりたい、金と女を手に入れたい……。けど、5年ぐらい前から大きくかわった。NGOをやりたいと言う人が多くなったのだ。
僕は貧困をテーマにした本を何冊も書いているためか、頻繁にそういう相談を受ける。
つまり、世界の子供たちのために(あるいは平和のために)、自分の人生を捧げたいのですが、どうしたらいいですか、と。
こんなとき、僕は次のように答えることにしている。
「僕はNGOに入ったことがないし、真剣に考えたことがないのでわからない。ただ一つ言えるのは、もしあなたが本当にしたいと思っていて、将来それをなしとげるのであれば、おそらく僕なんかにアドバイスを求める前に自分で決めて行動しているはずだと思う。もし悩んだり、することがわからないのであれば、今はしない方がいいかもしれない。それでも、もしやりたいのならば、自分で答えを見つけた方がいい。人から与えられた答えで成功するわけがないから」
なぜこんなにNGOが人気がでたのかわからない。
たぶん、不安なんだと思う。NGO活動が悪いわけではない。もちろん、大志をもって世界を変えていく人は大勢いるはずだ。
しかし、あまりにみんながみんな「NGO」と口をそろえ過ぎる(特に高学歴で就職しない人)。たぶん、大方の人は大志でやっているというより、今の自分が不安だからやっているというのが本当なんじゃないかな。
NGO活動をしている限り、世の中では「立派」だと認めてもらえる。たとえ、一流企業に就職できなくても、あるいは血眼になってお金をかせがなくても、とりあえずはそこにいる限り「立派」だと言ってもらえて、安心感を得られる。
日本のタレントやロックンローラーが売れなくなった瞬間に慈善活動を始めるのは、その表れだと思う。
全部が全部そうだというつもりは毛頭ないが、一部の人にとっては「NGOは簡単に自分が認められる安心の地」なのではないか。
ただ、僕はあえていうけど、人に「NGOをやりたいけど、どうすればいいか」と尋ねるぐらいなら、まず社会に出て必死になって稼でみろ、と思う。
社会で泥だらけになって働く人間がいるからこそ、NGO活動なんて「美しい」ことができるわけであって、それを初めからパスして美しいことだけをやるのは、正直ズルイと思う。
まずは自分の力で泥だらけになってお金を稼ぎ、人から寄付金を募るのではなく、自分で稼いだお金で何かをやればいいと思う。
そうしなければ、本当の意味で国際貢献の重要さがわかるわけがないし、貢献できるわけがないと思う。
社会で100円稼ぐのがどれだけ大変なことか。
本当の世界の「現実」と向き合うことがどれだけ大変なことか。
その「現実」に対して自分が死ぬ思いで稼いだ100円を投資して何かを変えることがどれだけ大変なことか。
それを苦しみながら体験しなければ、「人のために」なんていう資格はない。
少なくとも、僕は20代の若い人から「NGOをやりたいが、どうすればいいか」と問われれば、かならずそう答えることにしている。
そんなことをする前に、あなたがまったく必要とされない世界に身を置いて、そこから這い上がって自分のポジションを勝ち取って、そこで1億円なり、10億円なり稼ぎ、そのお金をすべて投げうって行動をしてみなさい、と。
そうやってはじめて、何かを変えていくことができるのだと思う。
少なくとも、そういう世界で成功している人で、初めから他人に援助を求めようとしたり、現場にたった一人裸同然で立ちすくんだ経験がない人を、僕は聞いたことがない。
※もちろん、「休日だけちょっとボランティアをしたみたい」という人は別です。それはそれで、短い経験を通していろんなものを学んでいけばいい。これは、あくまでも「NGOで生きていきたい、世界を変えたい」という人に対して。
「NGOをつくって、世界のために貢献したいのですが、どうすればいいのでしょうか」
そういえば、昔海外旅行をしている大学生には、ギラギラの野心に溢れた人が多かった。
作家になりたい、写真家になりたい、起業したい、教授になりたい、金と女を手に入れたい……。けど、5年ぐらい前から大きくかわった。NGOをやりたいと言う人が多くなったのだ。
僕は貧困をテーマにした本を何冊も書いているためか、頻繁にそういう相談を受ける。
つまり、世界の子供たちのために(あるいは平和のために)、自分の人生を捧げたいのですが、どうしたらいいですか、と。
こんなとき、僕は次のように答えることにしている。
「僕はNGOに入ったことがないし、真剣に考えたことがないのでわからない。ただ一つ言えるのは、もしあなたが本当にしたいと思っていて、将来それをなしとげるのであれば、おそらく僕なんかにアドバイスを求める前に自分で決めて行動しているはずだと思う。もし悩んだり、することがわからないのであれば、今はしない方がいいかもしれない。それでも、もしやりたいのならば、自分で答えを見つけた方がいい。人から与えられた答えで成功するわけがないから」
なぜこんなにNGOが人気がでたのかわからない。
たぶん、不安なんだと思う。NGO活動が悪いわけではない。もちろん、大志をもって世界を変えていく人は大勢いるはずだ。
しかし、あまりにみんながみんな「NGO」と口をそろえ過ぎる(特に高学歴で就職しない人)。たぶん、大方の人は大志でやっているというより、今の自分が不安だからやっているというのが本当なんじゃないかな。
NGO活動をしている限り、世の中では「立派」だと認めてもらえる。たとえ、一流企業に就職できなくても、あるいは血眼になってお金をかせがなくても、とりあえずはそこにいる限り「立派」だと言ってもらえて、安心感を得られる。
日本のタレントやロックンローラーが売れなくなった瞬間に慈善活動を始めるのは、その表れだと思う。
全部が全部そうだというつもりは毛頭ないが、一部の人にとっては「NGOは簡単に自分が認められる安心の地」なのではないか。
ただ、僕はあえていうけど、人に「NGOをやりたいけど、どうすればいいか」と尋ねるぐらいなら、まず社会に出て必死になって稼でみろ、と思う。
社会で泥だらけになって働く人間がいるからこそ、NGO活動なんて「美しい」ことができるわけであって、それを初めからパスして美しいことだけをやるのは、正直ズルイと思う。
まずは自分の力で泥だらけになってお金を稼ぎ、人から寄付金を募るのではなく、自分で稼いだお金で何かをやればいいと思う。
そうしなければ、本当の意味で国際貢献の重要さがわかるわけがないし、貢献できるわけがないと思う。
社会で100円稼ぐのがどれだけ大変なことか。
本当の世界の「現実」と向き合うことがどれだけ大変なことか。
その「現実」に対して自分が死ぬ思いで稼いだ100円を投資して何かを変えることがどれだけ大変なことか。
それを苦しみながら体験しなければ、「人のために」なんていう資格はない。
少なくとも、僕は20代の若い人から「NGOをやりたいが、どうすればいいか」と問われれば、かならずそう答えることにしている。
そんなことをする前に、あなたがまったく必要とされない世界に身を置いて、そこから這い上がって自分のポジションを勝ち取って、そこで1億円なり、10億円なり稼ぎ、そのお金をすべて投げうって行動をしてみなさい、と。
そうやってはじめて、何かを変えていくことができるのだと思う。
少なくとも、そういう世界で成功している人で、初めから他人に援助を求めようとしたり、現場にたった一人裸同然で立ちすくんだ経験がない人を、僕は聞いたことがない。
※もちろん、「休日だけちょっとボランティアをしたみたい」という人は別です。それはそれで、短い経験を通していろんなものを学んでいけばいい。これは、あくまでも「NGOで生きていきたい、世界を変えたい」という人に対して。
2011年04月11日
3.11から1カ月
3.11から丸1ヶ月が経った。
直後から取材をはじめ、1カ月のうち約3週間被災地を歩き回っていたことになる。立ち話的な取材も含めれば、何百人という数の人の話を聞いたことになる。
この1カ月で被災地の様子は大きく変わった。
津波の直後はきれいだった遺体は、現在黒い腐敗した肉片となって瓦礫の下から見つかるようになった。
避難所や病院ではみんな新聞紙の上に便をして丸めて捨てていたのに、いまは仮設のトイレが常設されるようになった。
当初はマスコミと被災者しかいなかったホテルは、支援団体でいっぱいになり、ホテルというホテルが満室である。
地元のラジオはひたすら「尋ね人」や「メッセージ」だけを連呼していたのに、今は音楽やバラエティーもやるようになった。
被災地の瓦礫はかなり撤去され(それでも初めて見た人はびっくりするが)、かなりきれいになり、水も引いた。
いい意味でも、悪い意味でも、いろんなものが変わっていると思う。
ただ、それに伴って色んな問題が出てくると思う。
今日話をきいた人もそうだ。彼は高い建物の屋上に避難して、津波に巻き込まれずに済んだ。
(津波はその建物の3Fにまで達し、付近の一軒家をすべて飲み込んだ)
彼は避難していた屋上から一眼レフで津波が町を襲う状況を撮影していた。
すると、知り合いの男性が流れてきた屋根の上に立っているのが見えた。
彼はその男性の写真を撮った。屋根の上の男性はスーツを着たままじっとカメラのほうを向いていた。恐怖のどん底にありながらなんとか一命を取り留めたかもしれない、という表情だった。
だが、予期せぬことが起きた。数秒後、この男性が建っていた屋根が引き始めた波によって流されだしたのだ。そして、瞬く間に沖へと消えていってしまった。
数週間経って、その男性の死体が見つかったのだそうだ。
この写真を撮った人は、この男性の「最後の写真」を遺族に見せることができるだろうか?
遺族としては見たいという気持ちがあるかもしれない。
しかし、私もその写真をみたが、非常につらいものがあった。写真を撮られた屋根の上の男性の表情に、「助かるかもしれない」という感情と、「このまま暗い沖に流されて、死んでしまうかもしれない」という感情が入り混じっているのである。
おそらく彼は生きたまま沖に流され、やがて屋根が沈んだと同時に一寸先も見えない真っ暗闇の冷たい海水に放り込まれ、凍死したか、溺死したはずだ。決して楽な死ではなかったはずである。遺体だって魚に食われて原型を留めていなかっただろう。
それらすべての現実を思い描かせる写真を遺族に「最後の写真」として渡すことができるのか。
時がたつというのは、かならずしもいいことばかりではない。
それはそれなりに、複雑で悲しい物語がたくさん生まれるのである。
こうした物語はなかなか表にでてこないし、人は見ようとしないだろう。
だが、その物語は決して無視してはならないものであるような気がしてならない。
直後から取材をはじめ、1カ月のうち約3週間被災地を歩き回っていたことになる。立ち話的な取材も含めれば、何百人という数の人の話を聞いたことになる。
この1カ月で被災地の様子は大きく変わった。
津波の直後はきれいだった遺体は、現在黒い腐敗した肉片となって瓦礫の下から見つかるようになった。
避難所や病院ではみんな新聞紙の上に便をして丸めて捨てていたのに、いまは仮設のトイレが常設されるようになった。
当初はマスコミと被災者しかいなかったホテルは、支援団体でいっぱいになり、ホテルというホテルが満室である。
地元のラジオはひたすら「尋ね人」や「メッセージ」だけを連呼していたのに、今は音楽やバラエティーもやるようになった。
被災地の瓦礫はかなり撤去され(それでも初めて見た人はびっくりするが)、かなりきれいになり、水も引いた。
いい意味でも、悪い意味でも、いろんなものが変わっていると思う。
ただ、それに伴って色んな問題が出てくると思う。
今日話をきいた人もそうだ。彼は高い建物の屋上に避難して、津波に巻き込まれずに済んだ。
(津波はその建物の3Fにまで達し、付近の一軒家をすべて飲み込んだ)
彼は避難していた屋上から一眼レフで津波が町を襲う状況を撮影していた。
すると、知り合いの男性が流れてきた屋根の上に立っているのが見えた。
彼はその男性の写真を撮った。屋根の上の男性はスーツを着たままじっとカメラのほうを向いていた。恐怖のどん底にありながらなんとか一命を取り留めたかもしれない、という表情だった。
だが、予期せぬことが起きた。数秒後、この男性が建っていた屋根が引き始めた波によって流されだしたのだ。そして、瞬く間に沖へと消えていってしまった。
数週間経って、その男性の死体が見つかったのだそうだ。
この写真を撮った人は、この男性の「最後の写真」を遺族に見せることができるだろうか?
遺族としては見たいという気持ちがあるかもしれない。
しかし、私もその写真をみたが、非常につらいものがあった。写真を撮られた屋根の上の男性の表情に、「助かるかもしれない」という感情と、「このまま暗い沖に流されて、死んでしまうかもしれない」という感情が入り混じっているのである。
おそらく彼は生きたまま沖に流され、やがて屋根が沈んだと同時に一寸先も見えない真っ暗闇の冷たい海水に放り込まれ、凍死したか、溺死したはずだ。決して楽な死ではなかったはずである。遺体だって魚に食われて原型を留めていなかっただろう。
それらすべての現実を思い描かせる写真を遺族に「最後の写真」として渡すことができるのか。
時がたつというのは、かならずしもいいことばかりではない。
それはそれなりに、複雑で悲しい物語がたくさん生まれるのである。
こうした物語はなかなか表にでてこないし、人は見ようとしないだろう。
だが、その物語は決して無視してはならないものであるような気がしてならない。
2011年04月10日
震災関連の講演会
こんにちは。
Youlaboというイベント企画団体のお招きで、東日本大震災についての講演を行うことになりました。
以下詳細です。
宜しければ、お申し込みください。
終わってから、居酒屋で懇談会もあるそうです。
----------------------
■[緊急開催] ノンフィクション作家・石井光太氏が語る
被災地で見た「3・11」と「今」
東日本大震災により亡くなられた方のご冥福をお祈りしますとともに、被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。
3月11日に起きた東日本大震災から2カ月以上が経ち、マスメディア報道をはじめ、「復興」が語られるなか、
改めて東日本大震災とは何だったのかを立ち止まって、
そして被災者という人に立ち返って、考えるイベントを開催いたします。
開催日時:5月14日(土) 19:00〜21:00 (開場18:30〜)
開催場所:北沢タウンホール ミーティングルーム
(東京都世田谷区北沢2-8-18 http://kitazawatownhall.jp/map.html)
内容:
第1部 19:00 〜 20:00
「人間群像から被災地を見る〜「3・11」「今」の被災地風景〜」
講演: 石井 光太 氏 (ノンフィクション作家)
第2部 20:00 〜 21:00
「メディアは何を報じて、何を伝えなかったのか」
対談: 石井 光太 氏 × 武田 浩和 氏 (河出書房新社『飢餓浄土』担当編集者)
東日本大震災直後から被災地に足を運び、被災者ひとりひとりを追った、ノンフィクション作家・石井光太氏。
あの日、被災地では、何が起きていたのか。遺された人々は何に思いを馳せ、生き続けているのか。
支援者はどのような思いで、復興活動をしているのか。
そして今、被災地で暮らす人々は、何を思い、どのような生活を送っているのか。
石井氏が、被災地取材を通して、そして被災者という人間を通して見た「東日本大震災」について語る。
石井光太氏(ノンフィクション作家)
1977年生まれ。世界の貧困地域から国内HIVルポまで幅広く現場を歩き、『レンタルチャイルド――神に弄ばれる子供たち』(新潮社)、『感染宣告――エイズなんだから抱かれたい』(講談社)などのノンフィクションを発表。3月には、異国での噂・幻の深層を追った『飢餓浄土』(河出書房新社)を出版。震災直後から被災地取材を行い、週刊ポスト、月刊WiLLなどに寄稿。被災地取材については、積極的にブログ、ツイッターを通しても発信している。
http://www.kotaism.com/
参加費:2000円
定員:60名
※定員になり次第、締め切らせていただきます。
※終了後、近くの居酒屋で懇親会も行う予定ですので、
そちらもふるってご参加いただければ幸いです。
★申し込みは以下。
http://youlabo.net/
2011年04月06日
新刊紹介『ルポ 餓死現場で生きる』

ルポ 餓死現場で生きる (ちくま新書)
クチコミを見る
新刊のお知らせです。
本日より、『ルポ 餓死現場で生きる』(ちくま新書)が発売になります。
本作品は昨年の10月〜12月に連載していた作品に新たに二章付け加え、大幅な加筆、そして図録や地図を載せたものです。
『ルポ 餓死現場で生きる』(ちくま新書)
1章 餓死現場での生き方
2章 児童労働の裏側
3章 無教養が生むもの、奪うもの
4章 児童婚という性生活
5章 ストリートチルドレンの下剋上
6章 子供兵が見ている世界
7章 なぜエイズは貧困国で広がるのか
・内容紹介
飢餓に瀕して、骨と皮だけになった栄養失調の子供たち。
外国の貧困地域の象徴としてメディアに描かれている彼らも、ただ死を待っているわけではなく、日々を生き延びている。お腹がふくれた状態でサッカーをしたり、化粧をしたりしているのだ。
ストリートチルドレンや子供兵だって恋愛をするし、結婚をするし、子供を産む。「餓死現場」にも人間としての日常生活はある。
世界各地のスラムで彼らと寝起きを共にした著者が、その体験をもとに、見過ごされてきた現実を克明に綴る。
この本は、筑摩書房の橋本君から話をいただいて始まった企画です。
拙著『絶対貧困』(光文社)の姉妹編として、貧困地域に生きる子供にスポットを当てて、新書としてきちんとデータを入れながら描いてみよう。
そういう意図で始めました。
貧困国における子供の「栄養不良」「児童労働」「教育」「児童労働」「ストリートチルドレン」「子供兵」「エイズ」という七つの問題を、私なりの体験から統計をもとにして解説したものです。
作品のテイストとしては、3月11日に出した『飢餓浄土』などのような物語形式のルポルタージュというより、『絶対貧困』のような解説本としてお考えいただければと思います。世界の貧困国に生きる子供についての入門テキストです。
私として珍しく、NGOなどが語るテーマを真正面からついた本になりますが、NGOが決して語ることにない「子供兵の率直な感情」「子供たちの性生活」などについて赤裸々に論じています。
私たちが「餓死現場」だと思っている貧困地域。そこで子供が生きるとは、どういうことなのか。
世界の実情と多様性を、少しでも多くの方に知っていただければと思います。
4月7日より、全国の書店に一斉に並ぶ予定です。
追記
アジアンカンフージェネレーションの後藤さんとの対談がアップされました。ご覧ください。
http://bit.ly/eP6MaB
2011年03月30日
震災・津波取材から2週間

●取材から二週間経って
津波の取材をはじめてから、ツイッター(http://twitter.com/#!/kotaism)で見てきた光景をずっと書いてきた。
現地にいて思うのは、メディアが描く世界と、被災地にいる人々との<落差>だ。
たとえば、メディアはがれきの山の中におちているアルバムを保管する人のことを映しても、父親が死んだ息子のポルノ雑誌を見つけ出して涙する光景は報じられない。
見渡す限り廃墟となった町を映し出すことはあっても、そこに漂うヘドロや腐臭や下水の臭いなどについて説明することはない。
人を救う消防士や自衛隊が脚光を浴びても、物陰で嘔吐してながら遺体捜査をつづける彼らの姿が報じられることはない。
東京にもどって講演をしたり、インタビューを受けてそういう人たちのことを話すと、たいていその場にいる人たちから「聞いていて気持ち悪くなった」といわれる。
しかし、大切なことを忘れてはいないか。
気持ちのいい津波なんて存在しないのである。膨大な数の死者がでて、無差別に町が破壊され、人々が嘆いている。
そこに「気持ちのいいこと」なんかあるわけがない。
だが、そのなかで、人々は懸命に生きようとしている。
たとえば、嘔吐しながら遺体捜査をしてくれる人たちがいなければどうなるのだろう。
検死をしてくれる医者や歯科医がいなければどうなるのか。
彼らは決して光の当たらないところで苦しみながらも何とか津波の後片付けをしようとしている。そこから立ち上がる土台をつくろうとしているのだ。
僕は、そういう人たちが「気持ち悪い」といわれて目をそらされる世の中は異常だと思っている。
こういう人たちにこそ、光があたり、、どんな状況や思いのなかで津波の「負」を背負っているのかということを知られるべきだと思う。
これはツイッターに書いた光景についてもすべてそう思う。
真夜中の公園で下着を洗う女の子、がれきのなかで下痢に苦しむ人、転がっている使い古された生理用品。
こういう苦しみにこそ、津波の本当の姿があるように思うのだ。
むろん、全員が全員それを直視する必要はないと思う。
人間が生きるために「気持ちの悪いこと」から目をそらし、「気持ちのいいこと」に目を向けるのは当然のことだ。
だが、それだけではいけない。
やはり、本当の部分を知らせる<選択肢>がなければならない。
僕はその<選択肢>をつくるために、被災地をまわり、様々なレポートを書いているのである。
●予定
今回の取材の内容は、まず4月4日(月)発売の、『週刊ポスト』に掲載します。
その後、順次別の雑誌や緊急刊行本でもやっていく予定です。
また、一年以内に一冊本をまとめたいなとも思っています。
●取材予定
今週いったん東京に帰り、来週から再び被災地に入ります。
今回までは宮城を拠点していましたが、次回は岩手を拠点にして動いていく予定です。
大変なところ恐縮ではございますが、もし被災者、その家族、ならびに医師、歯科医、消防団などこの被災にかかわっている方で、お話をしてもいい、という方がいらっしゃいましたら、ご連絡いただければ幸いです。
kota_ishii@yahoo.co.jp
お住まいの場所は、宮城でも岩手でも構いません。可能な限りうかがってお話をお聞きしたいと存じます。
掲載誌や取材趣旨等、詳細にご説明させていただいた上で、ご納得のいく形でお話をお聞かせいただければと思っています。
無論プライバシー等はお守りいたします。
また、それ以外で私に何かできることがありましたら、お気軽にお申し付け下さい。
何卒よろしくお願いいたします。
2011年03月21日
闇とライト
テレビに映し出されている被災地は、復興の手が届いている。
ブルドーザーがやってきて瓦礫をどかし、炊き出しが行われている。
だが、そうじゃないところも多い。
海水が引かずに水浸しになり、瓦礫の山が残り、水も食料も電気もない。
そんな町のひとつに、ある半壊した家があった。
そこでは複数の家族が電気のないところで震えながら暮らしていた。
避難所に行ったら満員だったという。(もしかしたらワケがあって避難所にいけなかったのかもしれない。そういう家庭も意外に多い)
それで半壊した家にもどってきて、みんなで一箇所に集まって暮らしているそうだ。
だが、その家には電気が通っていない。ライトもない。
夜になると、外灯すらないため、一メートル先も見えない闇につつまれる。田舎の闇夜は深すぎるほど深い。気温は氷点下。
夜毎に余震が半壊した家をギシギシと揺らす。みんなそのたびに飛び起き、闇の中で抱き合う。
一人が言っていた。
「私たちには明かりがありません。もし夜中に大地震があり、津波がきたら、外は真っ暗闇なので逃げ出すことすらできないのです。余震が本当に恐ろしい。せめて逃げるために必要なライトと電池がほしいです」
メディアにはなかなか報じられないが、真っ暗な夜の底で、こうして余震に打ち震える家族はまだいると思う。
一々こうしたことを被災地以外の場所での買占め問題と絡めるのもうざったいので書かないが、そういう家族が今現時点でもいるということは忘れないでほしい。
巷では「もう十日目」だが、現地では「まだ十日目」という人も少なくないのである。
ブルドーザーがやってきて瓦礫をどかし、炊き出しが行われている。
だが、そうじゃないところも多い。
海水が引かずに水浸しになり、瓦礫の山が残り、水も食料も電気もない。
そんな町のひとつに、ある半壊した家があった。
そこでは複数の家族が電気のないところで震えながら暮らしていた。
避難所に行ったら満員だったという。(もしかしたらワケがあって避難所にいけなかったのかもしれない。そういう家庭も意外に多い)
それで半壊した家にもどってきて、みんなで一箇所に集まって暮らしているそうだ。
だが、その家には電気が通っていない。ライトもない。
夜になると、外灯すらないため、一メートル先も見えない闇につつまれる。田舎の闇夜は深すぎるほど深い。気温は氷点下。
夜毎に余震が半壊した家をギシギシと揺らす。みんなそのたびに飛び起き、闇の中で抱き合う。
一人が言っていた。
「私たちには明かりがありません。もし夜中に大地震があり、津波がきたら、外は真っ暗闇なので逃げ出すことすらできないのです。余震が本当に恐ろしい。せめて逃げるために必要なライトと電池がほしいです」
メディアにはなかなか報じられないが、真っ暗な夜の底で、こうして余震に打ち震える家族はまだいると思う。
一々こうしたことを被災地以外の場所での買占め問題と絡めるのもうざったいので書かないが、そういう家族が今現時点でもいるということは忘れないでほしい。
巷では「もう十日目」だが、現地では「まだ十日目」という人も少なくないのである。
2011年03月20日
震災津波取材★閑話休題
なぜ震災の被災地に行ったのか。
いろんな理由があるが、あえて一つだけを述べれば「今、やらないで、いつやるんだ」という思いがあったためである。
僕は長らく海外の貧困や戦争などをテーマにして文章を書いてきた。
子供のときからそれをやりたいと思っていた。ただ、子供のときにそれをやっている人たちにある「違和感」を覚えていた。
それは、普段大口を叩いているのにいざという時にやらない人がいるということだ。
人は大きく二つに分かれるかもしれない。
一つが、普段は世界平和や博愛について偉そうなことを語っているのに、いざというときに何もしない人。
もう一つが、普段は大それたことを言わないのに、いざというときに黙って立ち上がる人だ。
僕は小学生のころから、後者こそが一番カッコイイと思っていたし、自分もそうなりたいと思っていた。
しかし、実際、自分が成人になり、文章を書いて生きるようになると、それがどれだけ大変なことかわかった。
はっきりいって、何かをやらない方が100000倍楽なのである。
が、それは「大人の事情」である。
もし小学生の自分が今の自分を見ていたら、なんと言うだろうか。
きっと「ほんのわずかでも読者がついていてくれるのなら、現場に行ってできることをやってほしい」と言うだろう。
それならば、その通りに動かなくてはならない。
そう思ったのである。
とはいえ、誰の支援も受けずに現地に入るのは非常に難しい。
そこで、僕はつながりのある出版社に連絡し、「現地に行かせてくれないか」と言って回った。
そんなとき、小学館の柏原君が即座に、話を通してくれた。
彼とは「週刊ポスト」という雑誌で何度か一緒に取材をした仲だ。
まだ二十代の半ばなのに、やたらと落ち着いていて、飲み屋の人に「落ち着いていますね」といわれると、口癖のように「ああ、僕疲れてるんすよ」と答えるマイペースな人だ。
しかし、彼は内面ではかなり熱いものをもっていて、やりたいことをズバッと押し通している非常に優秀な編集者である。
その柏原君が、僕が「現地取材をしたい」と言った数時間後に電話をかけてきて、「編集長も石井さんにやらせたがっていますので、すぐに行ってくれませんか」と言ってくれたのである。
どこよりも早い決定だった。
実際、現地の状況は想像以上に大変だった。
取材云々の前に、インフラがストップしてしまっているので、まともにやっても立ち入れないのである。細かい情報もほとんどない。
が、柏原君はいろんな手を使ってそれを可能にしてくれた。多額の取材費をくれたうえ、現地に入っている人たちを紹介してくれ、ガソリン不足で困っていればガソリン缶を手に入れ、東京以東はないといわれていたプリウスまで手に入れてくれた。メールで随時データや情報をどんどん送ってくれた。
おかげで、好きなように取材ができている。
ここは全力をつくして取材を成功させなければならない。
というわけで、ほとんどすべての仕事をストップしてもらい、取材をすることにした。
予定では、再来週あたり写真とまじえたルポを書かせてもらうことになっている。詳細が決定したらお知らせしますので、しばしお待ちください。
しかし、つくづく思うが、僕は本当に編集者に恵まれている。
講談社の石井克尚氏は、僕がライバル社の小学館でやることになったと知るとすぐに電話をかけてきてくれえ「うちの会社の●●が現地の貴社を統括しているから連絡をとって情報を得るように」とアドバイスをくれたし(彼は一昨日から「g2」の取材で現地入りしている。4月半ば発売の号に掲載予定らしいので是非ご覧ください。ちなみに、僕はこの号で子供兵の原稿を書いています)、新潮社の足立さんは他社での仕事云々関係なく、被災地にいる知り合いを紹介してくれた。
NHK出版の福田さんは連載を急遽震災被害のルポに切り替えてもいいと提案してくれた。月刊WiLLの梶原さんもすぐに紙面を割いてくれた。集英社の中込氏も、新潮社の若杉さんも、みんないろんなふうに提案してくれた。河出書房の武田君は新刊「飢餓浄土」をだしてすぐにいなくなる不義理を許してもらったし、会社のツイッターで僕のことをツイートしまくってくれている。徳間書店の大久保さんにも雑用と無理を押し付けたが快諾してくれた。
そう考えると、本当に僕は周りにいる人たちに恵まれているなー、と思う。ありえないほど恵まれている。
だからこそ、なんとか僕なりの目線でこの震災をうまくつたえたいと願う。
僕は口が悪いので、メディア批判もするし、好き放題「もっと、こうすべきだ」とか「だから駄目なんだ」とかガンガン言ってしまうけど、こういう出版社の人たちに支えられて志を通すことを許してもらっているのである。
それを非常にありがたいと感じると共に、だからこそ全力をつくして恩を返したいと思うのである。
これからも、また現地報告をしていきます。
いろんな理由があるが、あえて一つだけを述べれば「今、やらないで、いつやるんだ」という思いがあったためである。
僕は長らく海外の貧困や戦争などをテーマにして文章を書いてきた。
子供のときからそれをやりたいと思っていた。ただ、子供のときにそれをやっている人たちにある「違和感」を覚えていた。
それは、普段大口を叩いているのにいざという時にやらない人がいるということだ。
人は大きく二つに分かれるかもしれない。
一つが、普段は世界平和や博愛について偉そうなことを語っているのに、いざというときに何もしない人。
もう一つが、普段は大それたことを言わないのに、いざというときに黙って立ち上がる人だ。
僕は小学生のころから、後者こそが一番カッコイイと思っていたし、自分もそうなりたいと思っていた。
しかし、実際、自分が成人になり、文章を書いて生きるようになると、それがどれだけ大変なことかわかった。
はっきりいって、何かをやらない方が100000倍楽なのである。
が、それは「大人の事情」である。
もし小学生の自分が今の自分を見ていたら、なんと言うだろうか。
きっと「ほんのわずかでも読者がついていてくれるのなら、現場に行ってできることをやってほしい」と言うだろう。
それならば、その通りに動かなくてはならない。
そう思ったのである。
とはいえ、誰の支援も受けずに現地に入るのは非常に難しい。
そこで、僕はつながりのある出版社に連絡し、「現地に行かせてくれないか」と言って回った。
そんなとき、小学館の柏原君が即座に、話を通してくれた。
彼とは「週刊ポスト」という雑誌で何度か一緒に取材をした仲だ。
まだ二十代の半ばなのに、やたらと落ち着いていて、飲み屋の人に「落ち着いていますね」といわれると、口癖のように「ああ、僕疲れてるんすよ」と答えるマイペースな人だ。
しかし、彼は内面ではかなり熱いものをもっていて、やりたいことをズバッと押し通している非常に優秀な編集者である。
その柏原君が、僕が「現地取材をしたい」と言った数時間後に電話をかけてきて、「編集長も石井さんにやらせたがっていますので、すぐに行ってくれませんか」と言ってくれたのである。
どこよりも早い決定だった。
実際、現地の状況は想像以上に大変だった。
取材云々の前に、インフラがストップしてしまっているので、まともにやっても立ち入れないのである。細かい情報もほとんどない。
が、柏原君はいろんな手を使ってそれを可能にしてくれた。多額の取材費をくれたうえ、現地に入っている人たちを紹介してくれ、ガソリン不足で困っていればガソリン缶を手に入れ、東京以東はないといわれていたプリウスまで手に入れてくれた。メールで随時データや情報をどんどん送ってくれた。
おかげで、好きなように取材ができている。
ここは全力をつくして取材を成功させなければならない。
というわけで、ほとんどすべての仕事をストップしてもらい、取材をすることにした。
予定では、再来週あたり写真とまじえたルポを書かせてもらうことになっている。詳細が決定したらお知らせしますので、しばしお待ちください。
しかし、つくづく思うが、僕は本当に編集者に恵まれている。
講談社の石井克尚氏は、僕がライバル社の小学館でやることになったと知るとすぐに電話をかけてきてくれえ「うちの会社の●●が現地の貴社を統括しているから連絡をとって情報を得るように」とアドバイスをくれたし(彼は一昨日から「g2」の取材で現地入りしている。4月半ば発売の号に掲載予定らしいので是非ご覧ください。ちなみに、僕はこの号で子供兵の原稿を書いています)、新潮社の足立さんは他社での仕事云々関係なく、被災地にいる知り合いを紹介してくれた。
NHK出版の福田さんは連載を急遽震災被害のルポに切り替えてもいいと提案してくれた。月刊WiLLの梶原さんもすぐに紙面を割いてくれた。集英社の中込氏も、新潮社の若杉さんも、みんないろんなふうに提案してくれた。河出書房の武田君は新刊「飢餓浄土」をだしてすぐにいなくなる不義理を許してもらったし、会社のツイッターで僕のことをツイートしまくってくれている。徳間書店の大久保さんにも雑用と無理を押し付けたが快諾してくれた。
そう考えると、本当に僕は周りにいる人たちに恵まれているなー、と思う。ありえないほど恵まれている。
だからこそ、なんとか僕なりの目線でこの震災をうまくつたえたいと願う。
僕は口が悪いので、メディア批判もするし、好き放題「もっと、こうすべきだ」とか「だから駄目なんだ」とかガンガン言ってしまうけど、こういう出版社の人たちに支えられて志を通すことを許してもらっているのである。
それを非常にありがたいと感じると共に、だからこそ全力をつくして恩を返したいと思うのである。
これからも、また現地報告をしていきます。
2011年03月19日
津波のにおい

戦場のにおいは、焦げ臭さと火薬臭が混ぜ合わさったものだ。
爆弾は家々を焼き尽くすし、銃は火薬をつかうので銃撃戦になるとそのにおいがたちこめる。
一方、津波のにおいは異なる。
津波は、潮と油のにおいである。
大量の海水や魚介類の死骸、そして車や民家から流れた油がそれらに混ざって重々しいにおいを漂わせる。
震災から1週間がたち、警察や消防士は、目に見えるところにある遺体をほぼすべて片付けた。
いまは土に埋まった遺体や、満ち潮とともに打ち上げられる遺体を集める作業に切り替わっている。
現在数千人の死亡が確認されているが、瓦礫の処理が進むにつれてどんどん新たな遺体が上がってくるだろう。
僕はこれらの遺体をすでに何十体と見たが(百以上いっているかもしれない)、どれも「津波のにおい」に満ちていた。腐った肉体のにおいではなく、なぜか津波のにおいがするのだ。
地中や海にずっと浸っていたことで、腐敗した皮膚にそれが染み付いてしまったのかもしれない。
今日目にした中学生ぐらいの女の子の遺体もそうだった。なぜか褐色になった四肢をまっすぐにピンと伸ばし、ドロドロとした津波のにおいを漂わせていた。
僕は何回か戦場に行って以来、「花火の音」と「火薬のにおい」がダメになった。
爆弾の音や、火薬のにおいのなかで血だらけになって死んでいく人を思い浮かべてしまうのだ。
一種のトラウマのようなものなのだろう。
たぶん、これから僕は津波のにおいも同様に苦手になるかもしれない。いやおうにも、ここ数日で見た何十という遺体を思い出してしまうからだ。
しかし、僕なんかどうでもいい。
問題は、津波にあいながらも生き延びた人たちだ。
彼らが津波のにおいをかいで思い出すのは、目の前で津波に飲まれてなくなっていった肉親や友人である。
そのトラウマはきっと一生涯つづく。いま、10歳の子はあと70年以上それに苦しむことになる。
世間では「心のケア」とか簡単にいわれるけど、全員が全員そんなもので楽になれるわけじゃない。
どんなケアを受けたって、潮や油のにおいをかいだ瞬間にそれを思い出すときがくるだろう。
日常の気持ちを楽にすることはできても、記憶の奥深くに焼きついたにおいというのは、なかなか消えないものなのだ。
僕は、この鼻腔の粘膜に焦げ付いたように離れない津波のにおいを、一、二年後にかならず本にしてまとめる。
においをつたえることが、被災地にきたことのない人に津波を知らせることになると思うからだ。
そのとき、読者は、「気分が悪くなる本を読んだ」と言うかもしれない。が、気分のいい津波なんて存在するわけがない。本当の津波というのは吐き気がするほど嫌なにおいに満ちたものなのだ。
僕はそのにおいを記憶にとどめるために、瓦礫の山の中を歩き続けているのである。
2011年03月18日
震災から一週間

震災が起きてから、一週間が経った。
取材でずっと現場にいるが、その間に状況がどんどん変わっていくのが一日おき、いや数時間おきに実感できる。
震災の直後は、みんな頭に血が上って「震災以外のことを口にするな!」という感じだった。
しかし、今じゃネットでは半分以上が震災以外の話になっている。
ある被災者は言っていた。
「最初はツイッターを見たらみんなが心配してくれていたのでうれしかったけど、最近のツイートはどんどん震災以外のことに話題がうつっている。なんだか自分たちが忘れられるような気がして見たくなくなった」
連休明けにはさらに震災の話題は少なくなり、一週間後にはさらに減り、一ヵ月後には別の話題になっているかもしれない。
これは、被災地でも同じである。
見渡す限り倒壊した建物群は、自衛隊や地元の建築会社によってどんどん片付けられている。
まず遺体の山が自衛隊や消防隊によってもっていかれ、今は瓦礫の山がブルドーザーではこ撤去されているのだ。
あと一週間もすれば、被災地は今に比べればずいぶんきれいになるに違いない。
これが「復興」へのプロセスだ。
そして、「復興」は、大勢が望むことである。
だが、全員が全員「復興」を望んでいるのだろうか。
今日、ある被災地に行ったら、倒壊した町に被災者が袋を持って集まっていた。
明日、この村にブルドーザーが入ってすべてを片付けてしまうのだという。
被災者たちは、その前までになんとか思い出の品を見つけ出してひとつでも持っていこうと、避難所から何時間もかけて歩いてやってきて、見渡す限りの瓦礫の山の中から自分のものを必死に探しているのである。
夕方になると、年老いた被災者が、周囲にいた作業員に「死んだ息子や孫との思い出の品がまだ見つからない。明日の撤去作業の際は、うちだけはそのままにしてくれないか。明日も探したいから」と訴えていた。その目は涙ぐんでいた。
震災と津波は、家や人間を飲み込んで、瓦礫の山だけを築き上げた。
だが、その直後にやってきた「復興の津波」は、その瓦礫すら被災者から奪っていこうとしている。
あまりに、すべてがはやい。一瞬である。
津波も無常なら、復興もまた無常なのかもしれない。
少なくとも、あの年老いた被災者はそう感じているだろう。
追記
前回のブログで書いたように、『飢餓浄土』(河出書房新社)が発売になりました。
実は、この発売日が、ちょうど今回の震災のあった日でした。
世界の戦場や密林で生きる人々の「祈り」をテーマにして書いた本が出た日に、こんな大惨事が日本で起こるとは想像だにしていませんでした。
日本の被災者たちの祈りも、海外の人たちの祈りと同じなのか、それともまた別の祈りがあるのか。
それを確かめるべく、これからも被災地に残って取材をつづけようと思います。

飢餓浄土
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2011年03月10日
『飢餓浄土』刊行直前インタビュー
新刊『飢餓浄土』が明日より発売になります。
それに合わせてフリーペーパーと河出書房新社HP掲載のために、編集担当の武田君にインタビューを受けました。
以下、インタビューをそのまま掲載します。
■神々しさ自体を露にする一冊
武田 昨年の春から河出書房新社のWEBマガジンで連載していただいた『飢餓浄土』が、いよいよ単行本で発売されます。連載時の原稿を大幅に加筆修正し、書き下ろしを加えて一冊にしています。
一言で言い表すのは難しい作品ですが、敢えて簡略化して言うならば、石井さんがこれまで見聞きし体感してきた異国での噂・幻の深層を追い、そこで露になった貧困地・途上国の実像を描き出した、これまでの石井さんの本とは別のベクトルでぶつかった一冊です。全四章・計一六本の物語が収められています。
石井さん自身が、改めてこの『飢餓浄土』に流れる一本の線を指し示すとなると、どのように言い表せるのでしょう?
石井 書くにあたって、始めから下地に敷かれていた一本の大きな定義として、「人間というのは、何かにすがりついたり祈ったりする生き物だ」という定義がありました。僕は昔からその存在を「小さな神様」と呼んできました。
武田 小さな神様?
石井 そうです。人間というのは、宗教という大きな枠組みだけではなく、一瞬一瞬でその場限りの神様を作っていくものです。例えば試験に受かりますようにと手を合わせるその瞬間、受験生の大半は「キリスト様」やら「アッラー様」以外の何か漠然としたものに祈っていますよね。頭の中で、その場限りの名もない神様を作って祈っているのです。
あるいは、実在の人間や生き物が小さな神様になることもある。たとえば、本当に悲しいとき、人は友人や恋人にすがりつきたくなることがあるでしょう。この人にすがりつきたい。そう思うことがあります。その瞬間、その友人や恋人は、小さな神様になるのです。あるいは、ホームレスが寂しさのあまり子犬を飼っていたとしましょう。冬の寒い夜、ダンボールハウスでその子犬を抱きしめて眠ってぬくもりを分かち合う。そのとき、きっとホームレスにとって子犬は小さな神様になっているはずです。
このように、人間は想像の中であろうが、対人や動物であろうが、その瞬間に必要なかけがえのない存在をつくりあげることがあります。そのかけがえのない存在こそが、私が「小さな神様」と呼ぶものなのです。もちろん、その小さな神様に裏切られることもあれば、嫉妬することもあるし、激怒することもあるでしょうけどね。
武田 『飢餓浄土』では、その小さな神様を描きたかった、と。
石井 これまでも僕は書いてきたつもりです。ただ、具体的な形としては書いてこなかった。
具体的にいえば、バングラデシュの路上で暮らすストリートチルドレンの小学生ぐらいの女の子が寂しさを紛らわすために、ロリコン男たちに無償で体を提供しているのに遭遇したことがありました。あの少女にとってロリコン男たちは「小さな神様」だったに違いありません。ただ、僕はそれをあえて小さな神様とはいわず、少女と買春客の疑似恋愛として描きました。
しかし、今回の『飢餓浄土』はそうした描き方ではなく、具体的に人々が『小さな神様』としてつくりあげた《イメージ》そのものを描きたかったのです。たとえばバングラデシュの少女が寂しさを紛らわすためにロリコン男ではなく、幻想のなかの友人をつくっていたとしましょう。幻想の友人と遊ぶことで寂しさを紛らわしているということです。
本作品で僕が挑戦したのは、その「幻想の友人」そのものを描いたということです。小さな神様が幻の中で形となった瞬間がどういうものかをテーマにしたのです。
武田 『飢餓浄土』の内容に即して具体的に例をあげれば、どうなるのでしょう。
石井 たとえば、ベトナム戦争の後、生まれてきた奇形児を産婆が家族のためを思って次々と谷底へ落として殺しました。産婆はその奇形児の亡霊に怯えている。ではその産婆と亡霊との関係を描こうということです。
あるいは、スリランカの内戦中、庶民たちは平和の象徴として、海から聞こえる音を「歌う魚」だとしていた。海に歌う魚が住んでいて、それらがうたっているのだ、と。しかし、戦争が激しくなるにつれ、人々はその「歌う魚」の声が聞こえなくなってしまいます。では、その戦地の人々と「歌う魚」の関係を描こうということです。
■人それぞれにある弱さの多様性を写し出す
武田 『飢餓浄土』のもう一つのテーマは、人間の中にある多様性だと思います。
日本人は世界の人々を見るとき、どうしても一つの視点で考えようとします。たとえば、貧困といえば、アフリカの飢えた子供を想像する。それは、テレビや新聞がそれをひたすら映し出しているからであり、それを我々がそのまま鵜呑みにしているからでしょう。
しかし、『飢餓浄土』ではそれを真っ向から否定する部分が出てきます。軽薄な理解に対する根本的なアンチテーゼというのでしょうか。現地の実生活に忍び込んで、そこに流れる噂や幻を追うことで、これまで人々が考えてきた「世界」とはまるっきり違うものを形にしています。
たとえば本の中に、タイにいる難民たちが自分のペニスにココナッツのエキスを注射して、ペニスを大きくしようと試みる話がありますよね。それで、エイズが広まっているという事実もある。
冷静に考えれば、何じゃそりゃという話です。でも例えば、日本にだって外国人が見て「なんじゃこりゃ」という世界はたくさんある。東南アジアの人が正月に日本にやってきて、新年早々から男どもがふんどし締めて極寒の海に入っていく姿を見たら、何をやってんだこいつらは、と思うはずですよね。僕らはそのふんどし姿を「うん、まあ、これは伝統行事だし、」と何とも思わずに毎年眺めているのだけれども、これって冷静に考えれば、「なんで寒いのに入ってんの?」という疑問が涌いてしまうわけです。
石井 そうですね。僕たち日本人は、勝手に社会的な視点だけで世界を見ようとしている。たとえば、「アフリカの子供はお腹をすかせて死にかけているんだ」とか「東南アジアでは女性が人身売買にあい、売春を強いられてエイズになっているのだ」とか。
もちろん、そういうケースもあるでしょう。しかし、それだけであるはずがない。アフリカの栄養失調の子供だって性欲はあってオナニーをするし、タイの若者がペニスを大きくしようと変な注射を売ってHIV感染することもある。世界は僕たちが思っている以上に「多様」なものなのです。僕は、社会的な視点だけでなく、それとはまったく違った視点で世界で起きていることを描きたかった。
武田 『飢餓浄土』の中に、チベット寺院に長年住まう老女の話がありますね。いろんな証言者がその老女について語りますが、その証言者によって全く印象が異なっている。老女を慕う浮浪児がいれば、邪険に扱う周辺の人々もいる。語り手ごとに異なる老女の姿を、石井さんは、これはその語り手の写し鏡なのではないか、そして、それは自分自身も同様であると書かれていますよね。
これはこの本全体に共通することだと思っていて、僕たちが、対・貧困、対・戦争を問われた時にどう思考していくのかが、この本の中に登場する「小さな神様」によって明らかになり読み手に問われてくる。これまで距離をとってこちらの都合で眺めていられた事象が、向こうから距離を縮められた上で放たれてきますね。
石井 そうですね。ある一つのことがあっても、百人がそれに直面すれば百通りの解釈がある。それを無理に一つにするのではなく、百あれば百をすべて描いてみよう。この作品はそういう試みでもあります。
■戦争を、国家ではなく個人で見る
武田 ジャンルを問わず、作家が記す文章には様々な見方が提示されていて、その見方を味わうことで、読者は心を動かし、知識を得て、或いは苛立ちを覚えたりするわけです。そこが読書の心地良さに繋がっていく。
でも、石井さんの作品というのは、既に文章の中に、こちらが想定する以上のカメラが仕込まれていて、あらゆる角度から次々と視線が投げ込まれてくる。だからなのでしょう、著者を前にしてこう言うのもなんですけど、石井さんの文章を読むのって疲れるんですよね(笑)。いや、疲れるというより、体力を使う。
僕らはどうしても自分の考えを補完する為に本を読んでしまいがちですよね。笑いたいなら笑えそうな本を選ぶし、顔を顰めたいなら顰めさせてくれそうな本を選ぶ。
でも石井さんの本はそうはさせてくれない。今回の本の場合でも、顔を顰めさせてくれと思いながら読んでもニヤッとしてしまうし、ニヤって笑おうと思っても、やはり考え込まなきゃならない場面が出てくる。こんなこと言って良いのかな、石井さんって疲労を感じさせる作家だと……。
石井 それは確かでしょうね。僕は常に、物語ごとに、或いは一行ごとに読者を裏切ることだけを考えています。書いていると、読者が寄りかかってくる瞬間というのがあるんです。これは不思議な感覚なんですけども、そう感じる瞬間が必ずある。著者の僕としては、じゃあ、それを裏切ってやろうと、踏み台を外してしまう。でも、救ってやんなきゃ可哀想だと思って、救ってあげる。だけど気が変わって、また引く(笑)。僕にとって、書くという作業はこの繰り返しなのです。
ノンフィクションの面白さは、人の価値観を壊して再構築すること、これは現実を知る愉しみそのものだと思っています。自分の価値観が変わらない読書なんて、楽かもしれないけど、ちっとも面白くない。その本のことって、忘れちゃいますよね。固定観念をぶち壊してくれた本しか記憶に残らないはずです。
武田 石井さんは、新たに本を書く段階で、前に書いた本を一度ぶっ壊してから書き始めますよね。書き手の多くは一つ前の拡大再生産を狙いますし、読者もそれを望んでいるでしょう。でも、石井さんはわざわざプレス工場で一つ前の作品を思いっきり潰してきて、更地に座って一から書き始めようとする。
石井 タイプなんでしょうけどね。でも、いわせてもらえば、拡大再生産は自らをつぶすだけです。企業だってそうでしょ。ソニーがラジオをつくった後に、ウオークマンをつくって、さらにゲームをつくっていた頃は売れていた。けど、プレステからプレステ2をつくり、プレステ3をつくりはじめている今は落陽でしょう。ウオークマンから現在のMP3のウオークマンをつくたってiPodには勝てていない。拡大再生産をやったって、そりゃ、何回かは成功するかもしれませんが、いつかは終わりますよ。やるなら、過去の自分をつぶして新しいところからはじめなきゃ。
似たようなことは、取材をしている自分に対しても言えることです。取材というのは自分が築き上げた価値感を一度ぶち壊した上に、あたらしい価値感を築き上げなければならない。それにつきるのです。
たとえば、取材へ行って何かを見て誰かに話を聞く、新聞記者であれば、これは自分の立てた仮説が正しいかどうかを証明する為の手段でしかない。Aという仮説があって、そのAが本当にあったことを証明して文章にするんです。自分の価値観を大切に守る取材ですね。しかし、そんなふうに書かれた記事を読んだところで、「裏切られる瞬間」なんて生じようがない。
一方、僕の目指すノンフィクションというのは、その価値感を壊し、新しくつくりあげたものを作品にしようという試みです。つまり、作者である僕が一度すべての価値観を壊されたところから物語がはじまっていく。新しい価値観の物語を築き上げていく。だからこそ、読者は本を読むことで作者が体験した価値感の崩壊と新しい価値観の創造を追体験することができるのです。それこそが、ノンフィクションを読む醍醐味だと思っています。少なくとも、僕はそれを目指しています。
読者にとっては疲れるかもしれませんが、その疲れるというのが「個性」なのです。疲れない本を読みたいなら別に僕以外にそういう本を書いている人は大勢いる。でも、疲れる本を書く人はあまりいない。ならば、僕がその一人になろう、と。疲れない読書はたしかに心地いいですが、すぐに忘れちゃいますよ。
武田 そういう意味で、今回の第一章に収められている残留日本兵の話は、象徴的ですよね。太平洋戦争が終結してもう六五年が経過している。その中で、その語り部達の言質がどうしても老人の戯言として片付けられてしまいがちです。今回は残留日本兵、そしてその亡霊という見地からあの戦争を再度照射している。内々で歴史化している戦争の記憶が、外地から生臭く漂ってくる。外地で日本の戦争の姿を見聞きしてきたわけですが、外の声を聞き、その声を日本の内側で語られる戦争に合わせていくことで見えた日本の戦争、或いは戦後への新たな感触というのはありましたか?
石井 戦争の世界が、一つの見方でしか語られていないことに大きな違和感があります。太平洋戦争を描こうとすれば、大抵の人は「被害者としての日本人」「加害者としての日本人」「戦争責任・戦後補償」という見方ですよね。しかし、本当に現地で戦争を体験した人がそんなことを大きな問題として考えているかは疑問です。
実際に、フィリピンの戦争の舞台となった密林の村へ行ってみると、それを実感できます。村に暮らす人々は戦後補償とか戦争責任なんてややこしいことはほとんど議論していない。その代わり、どこそこに日本兵の亡霊が出るんだ、とかそういう話で盛り上がっているわけです。彼らにとっては政治的な問題より、お化けのことの方が重大なわけです。
僕はなぜそういう現実を描かないのかと常々疑問だったんです。戦後補償とか戦争責任について考えるなといっているわけではありません。それを議論することはおおいに大切です。
しかし、実際に現地へ行ってみると、そういう議論よりお化けの議論の方が圧倒的に大きい。そのお化けから身を守ってもらいたいがために新興宗教に入ったり、怯えてアルコール中毒になってしまったり、ノイローゼになってしまったりしている。ならば、そういう現実だって描いたっていいんじゃないか。むしろ、「現地へ足を運び、現地の生の声をすくい取るのがノンフィクションだ」というなら、そういう現実を描くのはありじゃないか。
そう思ったのです。それが、おっしゃるような「戦争への新たな感触」ということだと思います。
■人間とは何ぞや、という問い
武田 石井光太という作家は、貧困を書く作家だとか、辺境地に行ってモノを書く作家だとあちこちで言われてきたと思うのですが、そうじゃない。石井さんは、人間って何なんだ、ということを書く作家だと思うんです。その人間って何なの、というのがクリアに見えるのが貧困地にいる人間だと。そして、人間が作り出す「小さな神様」だと。今回はそこにいる人間への視座がこれまた別の角度で明らかになった一冊ですよね。
石井 そうですね。人間に興味があるのです。貧困より、人間そのものの方にずっと関心はありますね。
武田 前に、「海外に行くのもそんなに好きじゃない」っておっしゃっていましたよね。あれには驚きました(笑)。
石井 戦争と貧困は全てを剥き出しにします。豊かな人間は剥き出しにするのに体力を使う。隠し通そうとしますから。でも貧乏であれば、剥き出しにせざるを得ないわけです。人間とは何ぞや、という問い、これはまだよく分からない。で、それを分からない、と放っておくのではなくて、僕は愛おしく感じているわけです。
武田 石井さんは、貧困の世界に対して、冷たいのでしょうか、それとも優しいでしょうか?
石井 どうなんでしょう。この場合、冷たさが温かさだとも言えます。オカマバーに通う女の人っているじゃないですか。あれは大抵、オカマに怒られたくって通ってくるわけですよ。
武田 あんた、ダメよ、こんなんじゃ、って。
石井 そうですそうです。あれって、一応、突き放しているわけですよね。私フラれちゃったんです、と言えば、オカマのママは「なによあんたがブスだからよ」とか「化粧がなってないからよバカッ」とか言ってくる。でもそう言われながら、女の人は結局の所喜んでいるわけですよね。それを冷たいと言うのか温かいと言うのかは、分からない。
こういう例をそのまま貧困の世界に当てはめるのは野暮だけれど、助けること、手を差し伸べることが優しいのか、となると、決してそうではないと僕は思っている。求められることに対して、いやそれは出来ないとはっきり言ってあげるほうが優しいという場合もあるわけです。同情を望んでくる人もいれば、それを極端に嫌がる人もいる。
人間は一種類ではない。でも、一種類だと思わければ救済ビジネスは成り立たない。では、そこから漏れる人はどうするのか。やっぱり、その人も見ていかなきゃいけない。それをビジネスにお願いするのは無理です。だって、そういうことにしておかないと成り立たないから。そのビジネスを否定するつもりは全くありませんが、いずれにせよ、押し付けるものではないのです。
武田 この『飢餓浄土』に通底しているのは、人は最後に何を信用するのか、何を支えにするのか、ということだと思います。その信頼や支えの実像が、前もってこちらが予想している姿とは見事に違う。次々と裏切られる。
去年、頻繁に見かけた広告があります。アフリカかどこかの小さな子どもがウルウルした目で写真におさまっている。そこには、「クリスマスまでにあと七〇〇〇人の命を救いたい」というコメントが載っている。そのコメントは明らかにこちら側で作られた文脈です。では、写真に写る子ども当人の文脈とは何なのだろうか。そのウルウルした子どもを泣き止ますには、どうすればいいのか。マフィアから褒められれば泣き止むのかもしれない。もちろん、ワクチンだって必要かもしれない。でも、マフィアかワクチンかは、その子次第なのです。
この『飢餓浄土』が、その選択肢を刺激的に考え直す本になることを祈っています。『飢餓浄土』、是非ご一読下さい!

飢餓浄土
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それに合わせてフリーペーパーと河出書房新社HP掲載のために、編集担当の武田君にインタビューを受けました。
以下、インタビューをそのまま掲載します。
■神々しさ自体を露にする一冊
武田 昨年の春から河出書房新社のWEBマガジンで連載していただいた『飢餓浄土』が、いよいよ単行本で発売されます。連載時の原稿を大幅に加筆修正し、書き下ろしを加えて一冊にしています。
一言で言い表すのは難しい作品ですが、敢えて簡略化して言うならば、石井さんがこれまで見聞きし体感してきた異国での噂・幻の深層を追い、そこで露になった貧困地・途上国の実像を描き出した、これまでの石井さんの本とは別のベクトルでぶつかった一冊です。全四章・計一六本の物語が収められています。
石井さん自身が、改めてこの『飢餓浄土』に流れる一本の線を指し示すとなると、どのように言い表せるのでしょう?
石井 書くにあたって、始めから下地に敷かれていた一本の大きな定義として、「人間というのは、何かにすがりついたり祈ったりする生き物だ」という定義がありました。僕は昔からその存在を「小さな神様」と呼んできました。
武田 小さな神様?
石井 そうです。人間というのは、宗教という大きな枠組みだけではなく、一瞬一瞬でその場限りの神様を作っていくものです。例えば試験に受かりますようにと手を合わせるその瞬間、受験生の大半は「キリスト様」やら「アッラー様」以外の何か漠然としたものに祈っていますよね。頭の中で、その場限りの名もない神様を作って祈っているのです。
あるいは、実在の人間や生き物が小さな神様になることもある。たとえば、本当に悲しいとき、人は友人や恋人にすがりつきたくなることがあるでしょう。この人にすがりつきたい。そう思うことがあります。その瞬間、その友人や恋人は、小さな神様になるのです。あるいは、ホームレスが寂しさのあまり子犬を飼っていたとしましょう。冬の寒い夜、ダンボールハウスでその子犬を抱きしめて眠ってぬくもりを分かち合う。そのとき、きっとホームレスにとって子犬は小さな神様になっているはずです。
このように、人間は想像の中であろうが、対人や動物であろうが、その瞬間に必要なかけがえのない存在をつくりあげることがあります。そのかけがえのない存在こそが、私が「小さな神様」と呼ぶものなのです。もちろん、その小さな神様に裏切られることもあれば、嫉妬することもあるし、激怒することもあるでしょうけどね。
武田 『飢餓浄土』では、その小さな神様を描きたかった、と。
石井 これまでも僕は書いてきたつもりです。ただ、具体的な形としては書いてこなかった。
具体的にいえば、バングラデシュの路上で暮らすストリートチルドレンの小学生ぐらいの女の子が寂しさを紛らわすために、ロリコン男たちに無償で体を提供しているのに遭遇したことがありました。あの少女にとってロリコン男たちは「小さな神様」だったに違いありません。ただ、僕はそれをあえて小さな神様とはいわず、少女と買春客の疑似恋愛として描きました。
しかし、今回の『飢餓浄土』はそうした描き方ではなく、具体的に人々が『小さな神様』としてつくりあげた《イメージ》そのものを描きたかったのです。たとえばバングラデシュの少女が寂しさを紛らわすためにロリコン男ではなく、幻想のなかの友人をつくっていたとしましょう。幻想の友人と遊ぶことで寂しさを紛らわしているということです。
本作品で僕が挑戦したのは、その「幻想の友人」そのものを描いたということです。小さな神様が幻の中で形となった瞬間がどういうものかをテーマにしたのです。
武田 『飢餓浄土』の内容に即して具体的に例をあげれば、どうなるのでしょう。
石井 たとえば、ベトナム戦争の後、生まれてきた奇形児を産婆が家族のためを思って次々と谷底へ落として殺しました。産婆はその奇形児の亡霊に怯えている。ではその産婆と亡霊との関係を描こうということです。
あるいは、スリランカの内戦中、庶民たちは平和の象徴として、海から聞こえる音を「歌う魚」だとしていた。海に歌う魚が住んでいて、それらがうたっているのだ、と。しかし、戦争が激しくなるにつれ、人々はその「歌う魚」の声が聞こえなくなってしまいます。では、その戦地の人々と「歌う魚」の関係を描こうということです。
■人それぞれにある弱さの多様性を写し出す
武田 『飢餓浄土』のもう一つのテーマは、人間の中にある多様性だと思います。
日本人は世界の人々を見るとき、どうしても一つの視点で考えようとします。たとえば、貧困といえば、アフリカの飢えた子供を想像する。それは、テレビや新聞がそれをひたすら映し出しているからであり、それを我々がそのまま鵜呑みにしているからでしょう。
しかし、『飢餓浄土』ではそれを真っ向から否定する部分が出てきます。軽薄な理解に対する根本的なアンチテーゼというのでしょうか。現地の実生活に忍び込んで、そこに流れる噂や幻を追うことで、これまで人々が考えてきた「世界」とはまるっきり違うものを形にしています。
たとえば本の中に、タイにいる難民たちが自分のペニスにココナッツのエキスを注射して、ペニスを大きくしようと試みる話がありますよね。それで、エイズが広まっているという事実もある。
冷静に考えれば、何じゃそりゃという話です。でも例えば、日本にだって外国人が見て「なんじゃこりゃ」という世界はたくさんある。東南アジアの人が正月に日本にやってきて、新年早々から男どもがふんどし締めて極寒の海に入っていく姿を見たら、何をやってんだこいつらは、と思うはずですよね。僕らはそのふんどし姿を「うん、まあ、これは伝統行事だし、」と何とも思わずに毎年眺めているのだけれども、これって冷静に考えれば、「なんで寒いのに入ってんの?」という疑問が涌いてしまうわけです。
石井 そうですね。僕たち日本人は、勝手に社会的な視点だけで世界を見ようとしている。たとえば、「アフリカの子供はお腹をすかせて死にかけているんだ」とか「東南アジアでは女性が人身売買にあい、売春を強いられてエイズになっているのだ」とか。
もちろん、そういうケースもあるでしょう。しかし、それだけであるはずがない。アフリカの栄養失調の子供だって性欲はあってオナニーをするし、タイの若者がペニスを大きくしようと変な注射を売ってHIV感染することもある。世界は僕たちが思っている以上に「多様」なものなのです。僕は、社会的な視点だけでなく、それとはまったく違った視点で世界で起きていることを描きたかった。
武田 『飢餓浄土』の中に、チベット寺院に長年住まう老女の話がありますね。いろんな証言者がその老女について語りますが、その証言者によって全く印象が異なっている。老女を慕う浮浪児がいれば、邪険に扱う周辺の人々もいる。語り手ごとに異なる老女の姿を、石井さんは、これはその語り手の写し鏡なのではないか、そして、それは自分自身も同様であると書かれていますよね。
これはこの本全体に共通することだと思っていて、僕たちが、対・貧困、対・戦争を問われた時にどう思考していくのかが、この本の中に登場する「小さな神様」によって明らかになり読み手に問われてくる。これまで距離をとってこちらの都合で眺めていられた事象が、向こうから距離を縮められた上で放たれてきますね。
石井 そうですね。ある一つのことがあっても、百人がそれに直面すれば百通りの解釈がある。それを無理に一つにするのではなく、百あれば百をすべて描いてみよう。この作品はそういう試みでもあります。
■戦争を、国家ではなく個人で見る
武田 ジャンルを問わず、作家が記す文章には様々な見方が提示されていて、その見方を味わうことで、読者は心を動かし、知識を得て、或いは苛立ちを覚えたりするわけです。そこが読書の心地良さに繋がっていく。
でも、石井さんの作品というのは、既に文章の中に、こちらが想定する以上のカメラが仕込まれていて、あらゆる角度から次々と視線が投げ込まれてくる。だからなのでしょう、著者を前にしてこう言うのもなんですけど、石井さんの文章を読むのって疲れるんですよね(笑)。いや、疲れるというより、体力を使う。
僕らはどうしても自分の考えを補完する為に本を読んでしまいがちですよね。笑いたいなら笑えそうな本を選ぶし、顔を顰めたいなら顰めさせてくれそうな本を選ぶ。
でも石井さんの本はそうはさせてくれない。今回の本の場合でも、顔を顰めさせてくれと思いながら読んでもニヤッとしてしまうし、ニヤって笑おうと思っても、やはり考え込まなきゃならない場面が出てくる。こんなこと言って良いのかな、石井さんって疲労を感じさせる作家だと……。
石井 それは確かでしょうね。僕は常に、物語ごとに、或いは一行ごとに読者を裏切ることだけを考えています。書いていると、読者が寄りかかってくる瞬間というのがあるんです。これは不思議な感覚なんですけども、そう感じる瞬間が必ずある。著者の僕としては、じゃあ、それを裏切ってやろうと、踏み台を外してしまう。でも、救ってやんなきゃ可哀想だと思って、救ってあげる。だけど気が変わって、また引く(笑)。僕にとって、書くという作業はこの繰り返しなのです。
ノンフィクションの面白さは、人の価値観を壊して再構築すること、これは現実を知る愉しみそのものだと思っています。自分の価値観が変わらない読書なんて、楽かもしれないけど、ちっとも面白くない。その本のことって、忘れちゃいますよね。固定観念をぶち壊してくれた本しか記憶に残らないはずです。
武田 石井さんは、新たに本を書く段階で、前に書いた本を一度ぶっ壊してから書き始めますよね。書き手の多くは一つ前の拡大再生産を狙いますし、読者もそれを望んでいるでしょう。でも、石井さんはわざわざプレス工場で一つ前の作品を思いっきり潰してきて、更地に座って一から書き始めようとする。
石井 タイプなんでしょうけどね。でも、いわせてもらえば、拡大再生産は自らをつぶすだけです。企業だってそうでしょ。ソニーがラジオをつくった後に、ウオークマンをつくって、さらにゲームをつくっていた頃は売れていた。けど、プレステからプレステ2をつくり、プレステ3をつくりはじめている今は落陽でしょう。ウオークマンから現在のMP3のウオークマンをつくたってiPodには勝てていない。拡大再生産をやったって、そりゃ、何回かは成功するかもしれませんが、いつかは終わりますよ。やるなら、過去の自分をつぶして新しいところからはじめなきゃ。
似たようなことは、取材をしている自分に対しても言えることです。取材というのは自分が築き上げた価値感を一度ぶち壊した上に、あたらしい価値感を築き上げなければならない。それにつきるのです。
たとえば、取材へ行って何かを見て誰かに話を聞く、新聞記者であれば、これは自分の立てた仮説が正しいかどうかを証明する為の手段でしかない。Aという仮説があって、そのAが本当にあったことを証明して文章にするんです。自分の価値観を大切に守る取材ですね。しかし、そんなふうに書かれた記事を読んだところで、「裏切られる瞬間」なんて生じようがない。
一方、僕の目指すノンフィクションというのは、その価値感を壊し、新しくつくりあげたものを作品にしようという試みです。つまり、作者である僕が一度すべての価値観を壊されたところから物語がはじまっていく。新しい価値観の物語を築き上げていく。だからこそ、読者は本を読むことで作者が体験した価値感の崩壊と新しい価値観の創造を追体験することができるのです。それこそが、ノンフィクションを読む醍醐味だと思っています。少なくとも、僕はそれを目指しています。
読者にとっては疲れるかもしれませんが、その疲れるというのが「個性」なのです。疲れない本を読みたいなら別に僕以外にそういう本を書いている人は大勢いる。でも、疲れる本を書く人はあまりいない。ならば、僕がその一人になろう、と。疲れない読書はたしかに心地いいですが、すぐに忘れちゃいますよ。
武田 そういう意味で、今回の第一章に収められている残留日本兵の話は、象徴的ですよね。太平洋戦争が終結してもう六五年が経過している。その中で、その語り部達の言質がどうしても老人の戯言として片付けられてしまいがちです。今回は残留日本兵、そしてその亡霊という見地からあの戦争を再度照射している。内々で歴史化している戦争の記憶が、外地から生臭く漂ってくる。外地で日本の戦争の姿を見聞きしてきたわけですが、外の声を聞き、その声を日本の内側で語られる戦争に合わせていくことで見えた日本の戦争、或いは戦後への新たな感触というのはありましたか?
石井 戦争の世界が、一つの見方でしか語られていないことに大きな違和感があります。太平洋戦争を描こうとすれば、大抵の人は「被害者としての日本人」「加害者としての日本人」「戦争責任・戦後補償」という見方ですよね。しかし、本当に現地で戦争を体験した人がそんなことを大きな問題として考えているかは疑問です。
実際に、フィリピンの戦争の舞台となった密林の村へ行ってみると、それを実感できます。村に暮らす人々は戦後補償とか戦争責任なんてややこしいことはほとんど議論していない。その代わり、どこそこに日本兵の亡霊が出るんだ、とかそういう話で盛り上がっているわけです。彼らにとっては政治的な問題より、お化けのことの方が重大なわけです。
僕はなぜそういう現実を描かないのかと常々疑問だったんです。戦後補償とか戦争責任について考えるなといっているわけではありません。それを議論することはおおいに大切です。
しかし、実際に現地へ行ってみると、そういう議論よりお化けの議論の方が圧倒的に大きい。そのお化けから身を守ってもらいたいがために新興宗教に入ったり、怯えてアルコール中毒になってしまったり、ノイローゼになってしまったりしている。ならば、そういう現実だって描いたっていいんじゃないか。むしろ、「現地へ足を運び、現地の生の声をすくい取るのがノンフィクションだ」というなら、そういう現実を描くのはありじゃないか。
そう思ったのです。それが、おっしゃるような「戦争への新たな感触」ということだと思います。
■人間とは何ぞや、という問い
武田 石井光太という作家は、貧困を書く作家だとか、辺境地に行ってモノを書く作家だとあちこちで言われてきたと思うのですが、そうじゃない。石井さんは、人間って何なんだ、ということを書く作家だと思うんです。その人間って何なの、というのがクリアに見えるのが貧困地にいる人間だと。そして、人間が作り出す「小さな神様」だと。今回はそこにいる人間への視座がこれまた別の角度で明らかになった一冊ですよね。
石井 そうですね。人間に興味があるのです。貧困より、人間そのものの方にずっと関心はありますね。
武田 前に、「海外に行くのもそんなに好きじゃない」っておっしゃっていましたよね。あれには驚きました(笑)。
石井 戦争と貧困は全てを剥き出しにします。豊かな人間は剥き出しにするのに体力を使う。隠し通そうとしますから。でも貧乏であれば、剥き出しにせざるを得ないわけです。人間とは何ぞや、という問い、これはまだよく分からない。で、それを分からない、と放っておくのではなくて、僕は愛おしく感じているわけです。
武田 石井さんは、貧困の世界に対して、冷たいのでしょうか、それとも優しいでしょうか?
石井 どうなんでしょう。この場合、冷たさが温かさだとも言えます。オカマバーに通う女の人っているじゃないですか。あれは大抵、オカマに怒られたくって通ってくるわけですよ。
武田 あんた、ダメよ、こんなんじゃ、って。
石井 そうですそうです。あれって、一応、突き放しているわけですよね。私フラれちゃったんです、と言えば、オカマのママは「なによあんたがブスだからよ」とか「化粧がなってないからよバカッ」とか言ってくる。でもそう言われながら、女の人は結局の所喜んでいるわけですよね。それを冷たいと言うのか温かいと言うのかは、分からない。
こういう例をそのまま貧困の世界に当てはめるのは野暮だけれど、助けること、手を差し伸べることが優しいのか、となると、決してそうではないと僕は思っている。求められることに対して、いやそれは出来ないとはっきり言ってあげるほうが優しいという場合もあるわけです。同情を望んでくる人もいれば、それを極端に嫌がる人もいる。
人間は一種類ではない。でも、一種類だと思わければ救済ビジネスは成り立たない。では、そこから漏れる人はどうするのか。やっぱり、その人も見ていかなきゃいけない。それをビジネスにお願いするのは無理です。だって、そういうことにしておかないと成り立たないから。そのビジネスを否定するつもりは全くありませんが、いずれにせよ、押し付けるものではないのです。
武田 この『飢餓浄土』に通底しているのは、人は最後に何を信用するのか、何を支えにするのか、ということだと思います。その信頼や支えの実像が、前もってこちらが予想している姿とは見事に違う。次々と裏切られる。
去年、頻繁に見かけた広告があります。アフリカかどこかの小さな子どもがウルウルした目で写真におさまっている。そこには、「クリスマスまでにあと七〇〇〇人の命を救いたい」というコメントが載っている。そのコメントは明らかにこちら側で作られた文脈です。では、写真に写る子ども当人の文脈とは何なのだろうか。そのウルウルした子どもを泣き止ますには、どうすればいいのか。マフィアから褒められれば泣き止むのかもしれない。もちろん、ワクチンだって必要かもしれない。でも、マフィアかワクチンかは、その子次第なのです。
この『飢餓浄土』が、その選択肢を刺激的に考え直す本になることを祈っています。『飢餓浄土』、是非ご一読下さい!

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2011年02月23日
「浮浪児取材」協力者大募集
現在、戦後の上野を舞台にして、「浮浪児」についてのノンフィクションを書くための取材を行っています。
東京大空襲が終わってから1950年ごろまで、上野には地下道を主にして大勢の浮浪児たちが暮らしていました。
彼らは戦後のもっとも日本が貧しかった時代を、丸裸で生きてきました。現在ご存命であれば、70代半ばから80代前半になっているはずです。
戦後の浮浪児たちが、何をしてどのように生きてきたかということを調べております。もしこれを読んでいる方で、身内に元浮浪児の方がいらっしゃるとか、それに関係する情報があるという方は、ぜひご一報下さい。
また、作品では上野駅周辺を舞台にする予定です。
浮浪児たちは、この地で様々な人たちとかかわっていきてきました。
パンパンと呼ばれる売春婦、上野公園を根城にしていたオカマ、アメ横周辺の在日朝鮮人、駅前に並んでいた傷痍軍人などです。
こうした方がへの取材や資料集めも行っています。
というわけで、もし以下に当てはまる方がいらっしゃいましたら、ご連絡いただけないでしょうか。
・昭和20年代の上野駅周辺に詳しい方を知っている。
(基本的に、70代半ば以上の年齢で上の周辺で生まれ育っていれば、直接浮浪児を知らなくても該当します)
・当時の珍しい資料を持っている。
・浮浪児をしていた方を知っている。
・上の周辺のパンパン、在日、傷痍軍人等の情報がある。
★特に上の周辺の在日韓国人・朝鮮人の方々の情報を求めています。
この企画は、新潮社が発行する「新潮45」という雑誌に連載し、単行本化する予定でいます。
何卒ご協力のほど、よろしくお願いいたします。
2011年02月21日
シナリオセンター講演
講演やトークイベントのお誘いがよくある。
自分でテーマを決める形のイベントではなく、依頼者側がテーマを決める場合は、大抵「貧困について」か、「新刊本について」である。
ただ、実際にそこで貧困やら新刊本について話をしても、質疑応答のときにだされるのは、取材の裏側についてのことが多い。
どうやって取材をしているのか、どのようにテーマを選んでいるのか、一風変わった視点はどうやってつくりあげたのか、企画はどうやって通しているのか……。
ノンフィクションというのは取材ありきなので、そういうことに興味がある人も多いのだろう。あるいは、質問者が僕がやっているようなことをしたいと思っているのかである。
こういうことについての講演もなくはない。
たとえば、大学で講演をしたりするときは半分ぐらいがこうしたことである。
ただ、大学の講演の場合は学生だけしか参加できないので、なかなか一般には公開されない。
そんなとき、たまたま先日専門学校から同じようなテーマで依頼があった。きいてみると、専門学校の生徒だけでなく、一般の方の参加者も受け付けているという。
以下である。
シナリオセンター「達人の根っこ」
http://www.scenario.co.jp/miso/top.html
ここでは貧困云々というより、ひたすら「ものづくり」の裏側について話をするので、ご興味のある方はどうぞご参加ください。
一応、1時間半ということになっていますが、なんと質問が終了するまでエンドレスでつづきます。
(といいつつ、1時間が過ぎた時点で、どうせなら飲みに行こう、と言い出して、そこらへんの酒屋に突入することになるかもしれませんが)
2011年02月03日
『おかえり、またあえたね』秘話
本づくりは、ノリである。
ノリという言葉がわるければ、衝動である。
作品をつくる人とつくらない人の大きな違いは、その「ノリ」や「衝動」があるかどうか。
これは普通の仕事だっていえるだろう。出版社の人を見ていて思うのは、優秀な人はみんな「ノリ」や「衝動」がものすごく大きい。それで最後までガツンとやり遂げてしまうのだ。
『おかえり、またあえたね』も、いろんな意味で「ノリ」の作品だった。
絵を描いてくれたのは、櫻井敦子さんというイラストレイターの方。彼女と知り合ったのは、『絶対貧困』という本を出したとき。この本のイラストを、彼女が担当してくれたのだ。
二度目に会ったのは、『絶対貧困』の出版の打ち上げのときだった。
二次会でバーに行ったとき、僕が櫻井さんに「次に何したいの?」と尋ねたら、櫻井さんが「絵本」と言ったのだ。
僕もいつか子供むけの本をつくりたかった(これについてはすでにブログで散々書いた)。だが、絵本は絵を描いてくれる人がいないと完成しない。波長があって、優秀なイラストレイターを探すのは難しい。
で、あらためて彼女が描いた絵を見せてもらうと、これまが素晴らしい。見れば見るほど素晴らしい。で、僕はその場で「そんじゃ、一緒に絵本をつくちゃおうぜ」といったのだ。
とはいえ、僕は漫画の原作なら死ぬほどやったことがあるが、絵本は一度もない。
しかも、絵本というのはそんなに売れる物ではないので、出版までの壁がかなり高い。さらに困ったことに、絵本の出版を手がけている出版社自体が少ない。
たとえば、光文社や新潮社や文藝春秋などでも毎月定期的に絵本を出してはいない。たまーに超有名な人の作品をだすぐらいではないだろうか。講談社や集英社は出しているが、そっちは絵本の専門部署があり、まったく知り合いがいない。
あら、困った。
が、そこであきらめたら終わりである。なんでも、なせばなる。
そんなとき、ある出版社の編集者から連絡があった。「私の担当している荒井さんという作家兼編集者が石井さんに会って話してみたいと言っているので、いかがですか」ということだった。
そこで下北沢の喫茶店で会ってみることにした。
そしたら、その方が荒井さんといって東京書籍で仕事をしていたのである(彼は別のペンネームで作家業をしている)。
で、荒井さんにその場でこう言った。
「なんかやりましょう、とりあえず、絵本なんぞどうでしょう? 東京書籍といっちゃ、教科書NO1の会社じゃないっすか。子供に読ませる本をつくらなきゃ!」
荒井さんはいい方なので(たぶん、荒井さんは「は? 絵本? マジで?」と思っただろうが)、「じゃあ、企画を提出してみます」とのこと。
そしたら後日連絡があり、「絵本OKになりましたので、改めて打ち合わせをしましょう」となったのである。
とはいえ、ここからが地獄だった。
僕が大雑把なストーリーを考え、櫻井さんがラフを書いてくるのだが、僕はその場その場で意見がコロコロ変わり、「やっぱり、こうしよう」「絵本はこうでなきゃ」「角度がわるいねー」と好き勝手なことばかり言う。
櫻井さんは心の底で「100回ぐらい死ね、このハゲ」と思っていたと思うが、ぐっとこらえて、毎回丁寧に直してくれた。
この作業をおそらくは15回ぐらい通してようやく完成というところまでこぎつけた。
そしたら、また僕の気が変わった。
最初は章と章の間に長い解説をはさむことになっていたのだが、絵が素晴らしいのでそれを殺したくないと思い、必要最低限の「データ」だけしか載せないことにしないかと言いだしたのだ。当然、データなんてものは、まるで用意していない。
(迷惑がかかるとわかっているならコロコロ意見を変えるな、と言われるかもしれないが、できるだけ良いものをつくるには仕方がないのだ)
しかも、僕は『地を這う祈り』と『感染宣告』を立てつづけに出す準備の最中でまったくもって時間がない。今度は、担当の荒井さんがあくせくしはじめた。「とりあえず、僕も集めるから一緒にデータを何とかしましょう」ということに。
しかも、もっと最悪なことに、僕が突然日本からいなくなった。12月から年明けまでコロンビアへ行くことになったのだ。
(最初の予定では、11月に校了にして12月に出版のスケジュールだったので、僕が12月にいなくなることは無問題だった。しかし、ある事情からスケジュールが変わって12月校了、2月2日出版になったのである)
あげく、河出の武田君は「出発する前に『飢餓浄土』の原稿をそろえろ」と言ってくるし、筑摩の橋本君は「帰国したら『餓死現場で生きる』の原稿を出せ」という。僕をコロンビアへ派遣した講談社の石井克尚氏は「傑作を書くための取材をしてこい」という。
ここまできたら、焦るより、笑うしかない。
もう何とでもなれ、という感じですさまじい勢いでこなし、コロンビアで原稿を書き、データを探し、日本へ送り、帰国した翌日に新宿で絵本の最終的な校了作業。
そして、なんとか出版に相成ったのである。
今からふりかえれば、非常に面白い仕事だった。
なんでも終わってしまえばいい思い出で、「大変だったけど、また絵本をつくろう」という気になるものだ。
(その証拠に、『地を這う祈り』を死ぬ思いでつくったとき、徳間書店の編集者みっちゃんは半ベソ書いて死にそうな顔をしていたが、完成したらコロッと変わって、4月から一緒に新作の連載をはじめることになった。ま、そんなものである)
考えてみれば、160ページの長編絵本なんて見たことがない。
さらに、フルカラーで1300円という格安さである。
イラストレイターの櫻井さんいわく「こんなモン、ありえない」作品である。当然だろう。彼女にとってみれば、絵本五冊分ぐらいの分量の絵を1冊で書いてしまったんだから。
(僕がコロンビアへ行っている間、彼女はあまりにも仕事のプレッシャーがつよすぎて「廃人化」していたらしい)
しかし、終わってみればハッピーである。
いやー、楽しかった。再来週には偉そうに「絵本で子供に世界のリアルをつたえるにはどうすべきか」などという講演までやることになっている。
(こちらは、会員制の講演なので、たぶん一般の方は参加できない。一般の方でご興味があれば、少々テーマはずれますが、こちらへご参加ください。少数精鋭のトークイベントです⇒http://kokucheese.com/event/index/7682/)
もちろん、絵本はこれで終わらせるつもりはない。
次は『100万回生きたねこ』ぐらいの名作をつくる気満々である。

おかえり、またあえたね ストリートチルドレン・トトのものがたり
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ノリという言葉がわるければ、衝動である。
作品をつくる人とつくらない人の大きな違いは、その「ノリ」や「衝動」があるかどうか。
これは普通の仕事だっていえるだろう。出版社の人を見ていて思うのは、優秀な人はみんな「ノリ」や「衝動」がものすごく大きい。それで最後までガツンとやり遂げてしまうのだ。
『おかえり、またあえたね』も、いろんな意味で「ノリ」の作品だった。
絵を描いてくれたのは、櫻井敦子さんというイラストレイターの方。彼女と知り合ったのは、『絶対貧困』という本を出したとき。この本のイラストを、彼女が担当してくれたのだ。
二度目に会ったのは、『絶対貧困』の出版の打ち上げのときだった。
二次会でバーに行ったとき、僕が櫻井さんに「次に何したいの?」と尋ねたら、櫻井さんが「絵本」と言ったのだ。
僕もいつか子供むけの本をつくりたかった(これについてはすでにブログで散々書いた)。だが、絵本は絵を描いてくれる人がいないと完成しない。波長があって、優秀なイラストレイターを探すのは難しい。
で、あらためて彼女が描いた絵を見せてもらうと、これまが素晴らしい。見れば見るほど素晴らしい。で、僕はその場で「そんじゃ、一緒に絵本をつくちゃおうぜ」といったのだ。
とはいえ、僕は漫画の原作なら死ぬほどやったことがあるが、絵本は一度もない。
しかも、絵本というのはそんなに売れる物ではないので、出版までの壁がかなり高い。さらに困ったことに、絵本の出版を手がけている出版社自体が少ない。
たとえば、光文社や新潮社や文藝春秋などでも毎月定期的に絵本を出してはいない。たまーに超有名な人の作品をだすぐらいではないだろうか。講談社や集英社は出しているが、そっちは絵本の専門部署があり、まったく知り合いがいない。
あら、困った。
が、そこであきらめたら終わりである。なんでも、なせばなる。
そんなとき、ある出版社の編集者から連絡があった。「私の担当している荒井さんという作家兼編集者が石井さんに会って話してみたいと言っているので、いかがですか」ということだった。
そこで下北沢の喫茶店で会ってみることにした。
そしたら、その方が荒井さんといって東京書籍で仕事をしていたのである(彼は別のペンネームで作家業をしている)。
で、荒井さんにその場でこう言った。
「なんかやりましょう、とりあえず、絵本なんぞどうでしょう? 東京書籍といっちゃ、教科書NO1の会社じゃないっすか。子供に読ませる本をつくらなきゃ!」
荒井さんはいい方なので(たぶん、荒井さんは「は? 絵本? マジで?」と思っただろうが)、「じゃあ、企画を提出してみます」とのこと。
そしたら後日連絡があり、「絵本OKになりましたので、改めて打ち合わせをしましょう」となったのである。
とはいえ、ここからが地獄だった。
僕が大雑把なストーリーを考え、櫻井さんがラフを書いてくるのだが、僕はその場その場で意見がコロコロ変わり、「やっぱり、こうしよう」「絵本はこうでなきゃ」「角度がわるいねー」と好き勝手なことばかり言う。
櫻井さんは心の底で「100回ぐらい死ね、このハゲ」と思っていたと思うが、ぐっとこらえて、毎回丁寧に直してくれた。
この作業をおそらくは15回ぐらい通してようやく完成というところまでこぎつけた。
そしたら、また僕の気が変わった。
最初は章と章の間に長い解説をはさむことになっていたのだが、絵が素晴らしいのでそれを殺したくないと思い、必要最低限の「データ」だけしか載せないことにしないかと言いだしたのだ。当然、データなんてものは、まるで用意していない。
(迷惑がかかるとわかっているならコロコロ意見を変えるな、と言われるかもしれないが、できるだけ良いものをつくるには仕方がないのだ)
しかも、僕は『地を這う祈り』と『感染宣告』を立てつづけに出す準備の最中でまったくもって時間がない。今度は、担当の荒井さんがあくせくしはじめた。「とりあえず、僕も集めるから一緒にデータを何とかしましょう」ということに。
しかも、もっと最悪なことに、僕が突然日本からいなくなった。12月から年明けまでコロンビアへ行くことになったのだ。
(最初の予定では、11月に校了にして12月に出版のスケジュールだったので、僕が12月にいなくなることは無問題だった。しかし、ある事情からスケジュールが変わって12月校了、2月2日出版になったのである)
あげく、河出の武田君は「出発する前に『飢餓浄土』の原稿をそろえろ」と言ってくるし、筑摩の橋本君は「帰国したら『餓死現場で生きる』の原稿を出せ」という。僕をコロンビアへ派遣した講談社の石井克尚氏は「傑作を書くための取材をしてこい」という。
ここまできたら、焦るより、笑うしかない。
もう何とでもなれ、という感じですさまじい勢いでこなし、コロンビアで原稿を書き、データを探し、日本へ送り、帰国した翌日に新宿で絵本の最終的な校了作業。
そして、なんとか出版に相成ったのである。
今からふりかえれば、非常に面白い仕事だった。
なんでも終わってしまえばいい思い出で、「大変だったけど、また絵本をつくろう」という気になるものだ。
(その証拠に、『地を這う祈り』を死ぬ思いでつくったとき、徳間書店の編集者みっちゃんは半ベソ書いて死にそうな顔をしていたが、完成したらコロッと変わって、4月から一緒に新作の連載をはじめることになった。ま、そんなものである)
考えてみれば、160ページの長編絵本なんて見たことがない。
さらに、フルカラーで1300円という格安さである。
イラストレイターの櫻井さんいわく「こんなモン、ありえない」作品である。当然だろう。彼女にとってみれば、絵本五冊分ぐらいの分量の絵を1冊で書いてしまったんだから。
(僕がコロンビアへ行っている間、彼女はあまりにも仕事のプレッシャーがつよすぎて「廃人化」していたらしい)
しかし、終わってみればハッピーである。
いやー、楽しかった。再来週には偉そうに「絵本で子供に世界のリアルをつたえるにはどうすべきか」などという講演までやることになっている。
(こちらは、会員制の講演なので、たぶん一般の方は参加できない。一般の方でご興味があれば、少々テーマはずれますが、こちらへご参加ください。少数精鋭のトークイベントです⇒http://kokucheese.com/event/index/7682/)
もちろん、絵本はこれで終わらせるつもりはない。
次は『100万回生きたねこ』ぐらいの名作をつくる気満々である。

おかえり、またあえたね ストリートチルドレン・トトのものがたり
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2011年02月02日
長編絵本『おかえり、またあえたね』が出版

おかえり、またあえたね ストリートチルドレン・トトのものがたり
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長編絵本「おかえり、またあえたね」(東京書籍)が発売になりました。
海外のスラムで生まれた少年トト。
彼が家族を失ってストリートチルドレンとなり、仲間と知り合い、試練を乗り越え、どうやって大人になっていくのか。
それをいくつかの衝撃的な統計とともに、物語によって描いています。
小学生から大人までが読める本を目指してつくったつもりです。
どうか、一度手にとっていただければ嬉しいです。
前回も書きましたが、僕はノンフィクションという枠の外にも、いろんな見方や考え方をつたえていきたいと思っています。
その一つが、今後もつづけていこうと思っている絵本など児童書の世界でもあります。
本書では、普通に人が死んでいくし、つらいこともたくさん描いてあります。
(もちろん、楽しいこともありますが→笑)
僕は、子供向けの本だからといって、「内容」まで簡単にする必要はないと思っています。
つたえる方法を簡単にすればいいだけで、子供だって求めている内容は大人とそう変わらないはずなのです。
いや、ときとして子供の方がずっと深いものを求めることがあるでしょう。
僕はノンフィクションでもそうなのですが、決してうわべだけのものをつくりたくありません。
重い、痛い、臭い、いろいろと言われますが、子供にとってもそういうものをつくりたい。
なぜならば、僕自身が自分の読書経験を振り返って、そういうものしか記憶に残っていないからです。
(これは難しい内容ということではなく、内容のあるものということです)
ならば、絵本においてもそれを貫いて、子供が一生記憶してくれて、さらに将来何かを考えるきっかけになる本をつくりたいと思ったのです。
この本は、子供のための貧困学と冒険ドラマです。
もちろん、大人だって読むことができます。もしご興味があれば、手にとっていただければ幸いです。
2011年01月17日
醍醐味
今年は、絵本を筆頭に、漫画やコミックエッセーもやる。
読者のなかには、「そんないくつもやらないで、図太いノンフィクションだけ書けよ」という人もいるだろう。
それはそれで、一つの意見だと思う。
ただ、僕がこうやるのにはワケがある。
いくつかワケはあるが、その一つとして、今のノンフィクションのありか方に疑問を抱いているのだ。
非常にヘンな話だが、ノンフィクションというのは「知的階級のためのオモチャ」となっている。
頭が良くて、お金のある人たちが、理論をこねくりまわしたり、より頭がよくなるためにつくられていて、それをそのなかでほめたり、けなしたりしているだけなのだ。
(極端な言い方であるのは重々承知しているが、そういう見方だってできるだろう)
そもそも、出版の市場は、とても狭い。
本の世界なんて、固定ファンが数万人いればベストセラー作家になってしまう。
だから、全員にウケる必要は全くなく、知的階級のオモチャとして一万人に支えられていれば十分に成り立ってしまう。
だから、知的階級のためのオモチャであってぜんぜん問題ないわけだ。
僕はそれを否定するつもりはない。
それはそれで、有意義なものだと思う。そういう形だってあってもいい。
しかし、それがゆえに、ノンフィクションの単行本をつくると、書店の本棚ではどうしてもノンフィクション・コーナーに置かれてしまう。
本のカバーもそれらしい感じになり、価格もそんな値段になる。
そして、本棚のまわりには、知的階級の大人たちが集まり、自然と買う人もほとんどそうなってしまう。
そこに、中学生や高校生がフラッとやってきて手にとって読むということはほとんどないだろう。
自ら読者を切り分けして、「知的階級のためのオモチャ」の枠にとどまってしまうのだ。
僕はそれが嫌だと言っているわけではない。
そういう読者に読んでいただくことは嬉しいし、ありがたいことだ。
ただし、それとは別の思いもある。
ノンフィクションをつくる醍醐味というのは、読者に新しい現実を提示し、価値観をガラリと変えられることである。
その人のもっている人生観、世界観、価値観を変化させ、何かしらの行動につなげることができることだ。
「おお、こんな現実があるのか。よし、僕もこれからこういう夢を抱いて、こういうふうに動いていこう」
自分が指示した現実が、そんなふうに行動につながることが嬉しいのだ。
その行動は何だっていい。
学校の先生になって世界の現実を子供につたえようという夢を抱いてくれるのでもいい、自分も海外をまわってみようと考えてくれるのでもいい、とにかく価値観の変化によって何かしらの行動に出てくれることが一番嬉しいのだ。
しかし、「知的階級のためのおもちゃ」にとどまる限り、なかなかそうなることは少ない。
たとえば、60歳過ぎの財力のある知的階級の人たちがそれを読んでも、価値観を一変させることはあまりない。「うむ、この若造はいい仕事をやっておるな。よしよし」といった程度である。
あるいは、40歳、50歳の人たちが読んでも、価値観は変わるかもしれないが、なかなかそこから「今からこういう夢いを抱いて、こうしよう」という発想にはならない。
むろん、価値観の変化から何かしらの行動に移してくれる年配の読者だっているだろう。だが、若い学生の読者(中高生など)と比べると、どうしても年配の読者の方が「鈍い」ことは認めざるを得ない。地位や家庭をもっているのだから、一々感動して行動に移していたらキリがないのだから、当然といえば当然なのだろうけど。
こうした現実を受けて、「知的階級のためのオモチャ」をつくりつづける人もいるだろう。
だが、僕はそうではなく、「知的階級のためのオモチャ」をつくる一方で、もっと若い人たちにも読めるものをつくりたいと考えるのである。
小学生のためにストリートチルドレンを主人公とした絵本をつくろう、中高生のためにこれまでの作品を漫画化しよう、ノンフィクションコーナーにいかない人のためにコミックエッセーにしよう……。
そうした僕の発想は、ここからきているのである。
つまり、単純に何でもやってみたいと考えているわけではない。
ノンフィクションの棚に置いてもらい、それなりの読者に読んでいただくことはありがたいし、嬉しい。
しかし、そこにとどまっている間はその世界でしか回っていかない。
それより、僕としてはそういう世界で作品をつくりつづける一方で、違う形によって読者を広げていきたいと考えるのだ。
絵本をつくることで小学生に広げ、漫画化することで中学生に広げる。
そうやっていくことで、より若い人に価値観を変えてもらい、何かしらの夢を与えて、行動に移してもらいたいと思うのだ。
それが、僕が今年いろんな形でものをつくっていきたいと考えている理由である。
最近、街を歩いている小学生や中学生を見るたびに思う。
「あと、わずか15年~20年ぐらいしたら、彼らは今の僕と同じ年齢になって、前線でバリバリ活躍するんだろうなー」と。
そんな年代の人たちに一生忘れられない「読書体験」とそこから生み出された「夢」を与えるのが、作り手である僕にとっての最大の目標なのである。
読者のなかには、「そんないくつもやらないで、図太いノンフィクションだけ書けよ」という人もいるだろう。
それはそれで、一つの意見だと思う。
ただ、僕がこうやるのにはワケがある。
いくつかワケはあるが、その一つとして、今のノンフィクションのありか方に疑問を抱いているのだ。
非常にヘンな話だが、ノンフィクションというのは「知的階級のためのオモチャ」となっている。
頭が良くて、お金のある人たちが、理論をこねくりまわしたり、より頭がよくなるためにつくられていて、それをそのなかでほめたり、けなしたりしているだけなのだ。
(極端な言い方であるのは重々承知しているが、そういう見方だってできるだろう)
そもそも、出版の市場は、とても狭い。
本の世界なんて、固定ファンが数万人いればベストセラー作家になってしまう。
だから、全員にウケる必要は全くなく、知的階級のオモチャとして一万人に支えられていれば十分に成り立ってしまう。
だから、知的階級のためのオモチャであってぜんぜん問題ないわけだ。
僕はそれを否定するつもりはない。
それはそれで、有意義なものだと思う。そういう形だってあってもいい。
しかし、それがゆえに、ノンフィクションの単行本をつくると、書店の本棚ではどうしてもノンフィクション・コーナーに置かれてしまう。
本のカバーもそれらしい感じになり、価格もそんな値段になる。
そして、本棚のまわりには、知的階級の大人たちが集まり、自然と買う人もほとんどそうなってしまう。
そこに、中学生や高校生がフラッとやってきて手にとって読むということはほとんどないだろう。
自ら読者を切り分けして、「知的階級のためのオモチャ」の枠にとどまってしまうのだ。
僕はそれが嫌だと言っているわけではない。
そういう読者に読んでいただくことは嬉しいし、ありがたいことだ。
ただし、それとは別の思いもある。
ノンフィクションをつくる醍醐味というのは、読者に新しい現実を提示し、価値観をガラリと変えられることである。
その人のもっている人生観、世界観、価値観を変化させ、何かしらの行動につなげることができることだ。
「おお、こんな現実があるのか。よし、僕もこれからこういう夢を抱いて、こういうふうに動いていこう」
自分が指示した現実が、そんなふうに行動につながることが嬉しいのだ。
その行動は何だっていい。
学校の先生になって世界の現実を子供につたえようという夢を抱いてくれるのでもいい、自分も海外をまわってみようと考えてくれるのでもいい、とにかく価値観の変化によって何かしらの行動に出てくれることが一番嬉しいのだ。
しかし、「知的階級のためのおもちゃ」にとどまる限り、なかなかそうなることは少ない。
たとえば、60歳過ぎの財力のある知的階級の人たちがそれを読んでも、価値観を一変させることはあまりない。「うむ、この若造はいい仕事をやっておるな。よしよし」といった程度である。
あるいは、40歳、50歳の人たちが読んでも、価値観は変わるかもしれないが、なかなかそこから「今からこういう夢いを抱いて、こうしよう」という発想にはならない。
むろん、価値観の変化から何かしらの行動に移してくれる年配の読者だっているだろう。だが、若い学生の読者(中高生など)と比べると、どうしても年配の読者の方が「鈍い」ことは認めざるを得ない。地位や家庭をもっているのだから、一々感動して行動に移していたらキリがないのだから、当然といえば当然なのだろうけど。
こうした現実を受けて、「知的階級のためのオモチャ」をつくりつづける人もいるだろう。
だが、僕はそうではなく、「知的階級のためのオモチャ」をつくる一方で、もっと若い人たちにも読めるものをつくりたいと考えるのである。
小学生のためにストリートチルドレンを主人公とした絵本をつくろう、中高生のためにこれまでの作品を漫画化しよう、ノンフィクションコーナーにいかない人のためにコミックエッセーにしよう……。
そうした僕の発想は、ここからきているのである。
つまり、単純に何でもやってみたいと考えているわけではない。
ノンフィクションの棚に置いてもらい、それなりの読者に読んでいただくことはありがたいし、嬉しい。
しかし、そこにとどまっている間はその世界でしか回っていかない。
それより、僕としてはそういう世界で作品をつくりつづける一方で、違う形によって読者を広げていきたいと考えるのだ。
絵本をつくることで小学生に広げ、漫画化することで中学生に広げる。
そうやっていくことで、より若い人に価値観を変えてもらい、何かしらの夢を与えて、行動に移してもらいたいと思うのだ。
それが、僕が今年いろんな形でものをつくっていきたいと考えている理由である。
最近、街を歩いている小学生や中学生を見るたびに思う。
「あと、わずか15年~20年ぐらいしたら、彼らは今の僕と同じ年齢になって、前線でバリバリ活躍するんだろうなー」と。
そんな年代の人たちに一生忘れられない「読書体験」とそこから生み出された「夢」を与えるのが、作り手である僕にとっての最大の目標なのである。
2010年12月28日
年末のご挨拶
今年は、いろいろとお世話になりました。
相変わらず、好きなことを思う存分やらせていただいた年でした。
みなさんのご支援のおかげです。ありがとうございました。
今年は新書『日本人だけが知らない日本人のうわさ』を筆頭として、『レンタルチャイルド』『地を這う祈り』『感染宣告』と重〜い本をだしました。
これだけ重い本を半年の間につぎつぎと書いていけたのは、僕にとっていい経験でした。
さすがに、途中から何が軽くて、何が重いのかの感覚が完全に麻痺しましたが。(編集者ともども)
来年は、ちょっと多様性をだそうかな、と考えています。
一月には長編絵本『おかえり、また会えたね』、2月は海外に流布する幻の数々を追った『飢餓浄土』、その後は新書『ルポ 餓死現場で生きる』『ニッポン異国紀行』などを春ぐらいまでに出して、それからはコミックエッセー、漫画、新書、短編絵本などを手がけていきます。ミシマ社の企画や、「旅行人」での連載も今年中に形にするつもりです。
もちろん、頭が痛くなる重いものもやっていきます。
いま取材している子供兵のルポは今年中にすべて雑誌『g2』に掲載する予定です。
日本の戦後の浮浪児たちを追ったルポも新潮社の雑誌で今年中に連載をスタートするつもりです。
その他、2、3本、重い作品の連載を予定しています。
ただ、これらが本になるのは、来年末か、再来年ぐらいでしょうか。
ともあれ、様々な分野と方法に挑戦してみる一年にしたいと思います。
そうそう、それと「貧困学会」(仮名)を来年の夏か秋ぐらいから始動していきます。
貧困を文化として位置づけていろんな試みをやってみようと思っています。
すでに学生から大学の教員の方まで、様々な方からの参加希望をいただいています。
基本的には、参加されるみなさんが好きなことをやってくれるのが一番ですが、僕としては研究にとどまらず、ビジネスを派生させていったり、展覧会をやったり、ミニ学校でもつくったりしたいなと思っています。
短い人生。とにかくやりたいことをガンガン実行にうつしていくつもりです。
われこそは、と思う方は、学生、お年寄り問いませんので、いつでもご連絡ください! だれもが、みんな平等です。やりたい人だけどうぞ!
ともあれ、今年は本当にお世話になりました。
また来年、よろしくお願いいたします!
相変わらず、好きなことを思う存分やらせていただいた年でした。
みなさんのご支援のおかげです。ありがとうございました。
今年は新書『日本人だけが知らない日本人のうわさ』を筆頭として、『レンタルチャイルド』『地を這う祈り』『感染宣告』と重〜い本をだしました。
これだけ重い本を半年の間につぎつぎと書いていけたのは、僕にとっていい経験でした。
さすがに、途中から何が軽くて、何が重いのかの感覚が完全に麻痺しましたが。(編集者ともども)
来年は、ちょっと多様性をだそうかな、と考えています。
一月には長編絵本『おかえり、また会えたね』、2月は海外に流布する幻の数々を追った『飢餓浄土』、その後は新書『ルポ 餓死現場で生きる』『ニッポン異国紀行』などを春ぐらいまでに出して、それからはコミックエッセー、漫画、新書、短編絵本などを手がけていきます。ミシマ社の企画や、「旅行人」での連載も今年中に形にするつもりです。
もちろん、頭が痛くなる重いものもやっていきます。
いま取材している子供兵のルポは今年中にすべて雑誌『g2』に掲載する予定です。
日本の戦後の浮浪児たちを追ったルポも新潮社の雑誌で今年中に連載をスタートするつもりです。
その他、2、3本、重い作品の連載を予定しています。
ただ、これらが本になるのは、来年末か、再来年ぐらいでしょうか。
ともあれ、様々な分野と方法に挑戦してみる一年にしたいと思います。
そうそう、それと「貧困学会」(仮名)を来年の夏か秋ぐらいから始動していきます。
貧困を文化として位置づけていろんな試みをやってみようと思っています。
すでに学生から大学の教員の方まで、様々な方からの参加希望をいただいています。
基本的には、参加されるみなさんが好きなことをやってくれるのが一番ですが、僕としては研究にとどまらず、ビジネスを派生させていったり、展覧会をやったり、ミニ学校でもつくったりしたいなと思っています。
短い人生。とにかくやりたいことをガンガン実行にうつしていくつもりです。
われこそは、と思う方は、学生、お年寄り問いませんので、いつでもご連絡ください! だれもが、みんな平等です。やりたい人だけどうぞ!
ともあれ、今年は本当にお世話になりました。
また来年、よろしくお願いいたします!
2010年12月01日
新刊発売『感染宣告−エイズなんだから、抱かれたい』

感染宣告――エイズなんだから、抱かれたい
クチコミを見る
このたび、『感染宣告−エイズなんだから、抱かれたい』が発売になりました。
本作品は、これまで海外の貧困を舞台に作品を書いてきた私が、初めて国内を舞台にして書いたルポです。
・タイトル
『感染宣告−エイズなんだから、抱かれたい』
・詳細
出版社 講談社
価格 1500円
発売日 11月30日より全国の書店で順次発売
テーマは、HIV感染者の性愛と家族についてです。
日本で初めて患者が発見されてから約25年が経ちました。
医学の進歩のなかで、HIVはちゃんと薬を服用していれば死なない病気になったばかりか、妊娠したり、出産したりすることもできるようになりました。
医者のなかには、「糖尿病と同じような慢性疾患であり、場合によっては恋人にカミングアウトせずに交際をしてもいいと思う」という人も出てきたほどです。
実際、男性から女性に感染する可能性は0.05%。薬を服用していれば、ウイルスは検出限度以下まで抑えられます。
日本の若い人はこうした現状をなかなか知りません。
いまだに、「致死の病」だと考えている人も多く、それゆえHIV感染者が「エイズは怖い病気じゃないんだからセックスをしようよ」と言っても、それができないこともあります。
ゆえに、HIV感染者たちはいまなお恋愛に対して高い壁を感じており、なかにはそれを拒絶したり、患者同士の恋愛しかしなくなったり、自ら命を絶ってしまったりする人もいます。
致死の病だと考えられていたHIV感染症。
これは、いまどのような病気になっているのでしょうか。
また、患者たちはどうしてこの感染率の低い病気に感染し、どんなふうに恋人をつくり、セックスをし、そして結婚して子供をうんでいるのでしょうか。
あるいは、その恋人や家族は患者に対して何を思っているのでしょう。
私は『感染宣告−エイズなんだから、抱かれたい』という本のために、二百人以上の関係者にインタビューをしてきました。
多くの患者が言っていたのが、「HIVは人間を裸にする」ということでした。感染したとたん、飾っていたものをすべて引っぺがされて人間性をむき出しにされ、恋愛とは何なのか、性とは何なのか、そういうことを問われるのです。
たとえば、ある女性は、妊娠した際の検査でHIVが発覚しました。
彼女はそれでも出産を決意し、HIVであることと同時に、かつて売春をしていたことを夫に告げなければなりませんでした。
そのときの思いとは何だったのか。そして、夫はそれを聞いた時、何を思い、どう行動したのでしょう。
また、同性愛の男性は、封建的な地方で生まれ育ち、その性癖を隠してきました。
彼は親に強いられ、性癖を隠すために女性と偽装結婚し、四半世紀「夫婦生活」を送ります。
しかし、定年間近になってHIVが発覚。妻に隠れて男性とまじわっていたために感染してしまったのです。
そのことを妻に言うということは、これまでの三十年の夫婦生活がすべて偽りであったと打ち明けるに等しいです。
はたして、男性はどう説明したのか。そして、妻はどう受け止めたのか。
あるいは、薬害エイズの時代、ある感染者がHIVであることを公言しました。
すると、彼の周りにいた支援する側の女性たちが、一斉に彼に「恋」をし、告白をしてきました。たくさんの女性が、HIV感染症の男性を好きになったのです。
もうすぐ国家の犠牲となって死んでいくか弱い男性にひかれるものがあったのでしょう。
女性たちは「あなたを最期まで看病する。だから結婚して」とか「あなたと一緒に死ぬ。一緒に暮らそう」などと言って、男性に寄って行きました。
男性はそうした女性たちと次々と関係していきます。
しかし、やがて薬害エイズ事件は和解となり、HIVも致死の病ではなくなります。
そのとき、HIVの男性に恋した女性たちは、どんどん彼のもとから去って行きました。HIVが死なない病気になったとたん、彼は魅力のない男になってしまったのです。
そんな現実の前で、感染した男性は何を思ったのでしょう……。
私が、『感染宣告』で描いたのは、人間がHIVに感染したとき、どのように人生の根底をゆるがされるのかということです。
HIVの啓発的な知識ではなく、裸にされた人間たちの極限の恋愛ドラマであり、人間ドラマです。
人間とはかくももろく、かくも強く、かくも悲しいものなのか。
本書に登場する複数の感染者たちのドラマを通して、人間とは何なのかという根源的なことについてお考えいただければと思います。
あしかけ二年、全力で取材をし、全力で描きました。
一人でも多くの方に読んでいただければ嬉しいです。
よろしくお願いいたします。
2010年11月01日
貧困学会
「貧困学会」というものをつくろうと思います。
拙著『絶対貧困』でも書いたのですが、貧困に対するアプローチとして、学問では「開発学」とかそういったものはあるものの、もっと<現場>に近いところで、貧困を分析しようとする考え方がほとんどありません。
「貧困学会」では、そうしたものを収集しようと思います。
たとえば、日本の国内外問わず、貧困地域で起きている以下のようなことを集めるということです。
・貧困地域での民話、怪談、伝説、噂。
・スラムの作り方、トイレや食器などの詳細。
・貧困フード、スラング、酒。
・医療、障害、老人福祉。
・仕事の構造、職業の種類。
・写真収集。
・民謡、替え歌、子守唄。
・服装、髪型、エチケット。
・宗教、言語、民族、人口、歴史。
・寝場所、稼ぎ場所、結婚、恋愛、セックス。
・事件、犯罪、紛争。
・占い、呪術、迷信、お守り。
・遊び、ゲーム。
たとえば、NGOやボランティアをしている人たちは、貧困現場の人たちと深くかかわっています。
しかし、世界をとらえる目線として「開発学」とかそういうマクロの視点しかないがゆえに、なぜかミクロの視点を全部すてて、わざわざマクロの視点でしか物事を考えないし、まとめようとしない。
具体的にいえば、NGOの人がインドで医療ボランティアを一週間だけしたとします。
そうすれば、その患者さんたちがぼそっとつぶやく「ハンセン病差別の噂」だとか「子守唄」だとか「身体的特徴」だとかがわかる。
あるいは、スラムに行けば、「スラムの作り方」だとか「便所の形」だとか「料理」なんかを目にすることができる。
そういうものが貧困を理解するには非常に大切です。
なのに、開発学のようなマクロの視点に頼ってしまうあまり、そうした情報をまとめることなく捨ててしまい、<援助>だとか<政治>だとかいった大きな話にばかりなってしまう。
僕は、こういう現状が、とても「もったいない」と思うのです。
現地へ行ったことのある人なら、スラムの人たちが何を食べているのかなんて見ることができるし、写真に撮ることもできる。
どういうお店があって、子供たちがどういう遊びをしているかだってわかる。
あるいは、現地の新聞をインターネットを通して読んでいるだけで、どういう事件が起きているのかがわかる。
日本でもそれは同じで、山谷やあいりん地区に詳しい人は、どういう怪談がささやかれ、どんなお守りが流行し、泥棒市場には何が売られているかがわかる。
そういう小さなマクロの情報を少しずつ収集できないかと思うのです。
もちろん、いきなり個々が一冊の本や論文にまとめる必要なんてありません。
みんながブログやツイッターに書いているような情報を、どこかで一か所にあつめるだけでいい。
ツイッターぐらいの一言の情報が300個集まれば本と同じぐらいの分量になるし、3000個集まればミニ辞典ぐらいの分量になる。
写真だって300枚集まれば、写真集ぐらいの分量になります。
そういうものを集めることによって、いわゆる「世界(日本も含める)の貧困民俗誌」のようなものができないかなと思うのです。
「学会」とつけていますが、内容はそんな堅苦しいものにするつもりはありません。
大学生でも、会社員でも、旅人でも、NGOの方でも、大学教授でも、思いついたことや、体験したこと、あるいは撮った写真なんかを好きなように送ってくれればいいのです。
メールマガジンをつくり、それを「会報」として、まとまった分だけ定期的に配信し、年に何度か飲み会をやったり、イベントをやったりすればいい。もちろん、それを定期的に受け取って楽しむだけでもいい。
最初はそんなふうにして、「情報を集める場所」をつくるだけでいいと思うのです。
もし大きくなっていったり、やる気のある人たちがどんどん増えていけば、ちゃんとした形にすれば十分なわけですから。
僕としては、とりあえず興味のある人が集まって、何か面白そうなことをやろー、という感じです。
やらないと、何も始まらないわけですから。
とりあえず、始動は2011年の夏を予定しています。
もしご興味のある方は、以下にメールを送って下さい。
■メールアドレス
postmaster@kotaism.com
■以下を記入して下さい。
・メールアドレス
・氏名(匿名でも可)
・お住まいの地域(都道府県だけで結構です)
・簡単なプロフィール(学歴や職業など書ける範囲で)
※いただいた情報を公開するつもりはありません。
ただし、不安に思われる方は、最初からその旨を記し、書けるところだけ書いて送って下さい。メールアドレスだけは必須でお願いいたします。
メールをいただければ、まずはこちらでその情報をストックいたします。
そして、実際にスタートする時に、あらためてメールで一斉にご連絡いたしますので、そこから改めてご参加いただければと思います。
また、ブログやツイッターなどで書きためた体験記や研究があるとか、ちょっとした情報だけどこういうものがある、という方がいたら、どしどし送って下さい。
開始の際には、第一弾としてそれをまとめて配信いたしますので。
国内外の貧困を、ひとつの「文化」として、新しい目線をつくっていければと思います。
楽しんでやりたいと思いますので、ぜひよろしくお願いいたします。
2010年10月20日
新刊『地を這う祈り』のお知らせ

地を這う祈り
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初めての写真エッセー集『地を這う祈り』が刊行されました。
これが発売されたのは、みなさまが支えて下さったからだと思っています。先ずは、厚くお礼を申し上げます。
『地を這う祈り』
(石井光太、徳間書店)
定価 1600円+税
形式 写真エッセー集(カラー&モノクロ)
この『地を這う祈り』という本は、カラー写真をふんだんにつかった、写真エッセー集です。
写真もそうですが、文章の量も多く、海外で体験した話から、旅や取材の裏側についての話まで盛りだくさんです。
『物乞う仏陀』『神の棄てた裸体』『レンタルチャイルド』が<表>の作品だとしたら、『絶対貧困』につながる<裏>の作品群の一つだとお考えいただければと思います。
ただ、『絶対貧困』が講義形式だったのに対し、今回の『地を這う祈り』は写真をつかった心に訴えるエッセー集というイメージです。
実は、前々から写真をつかった作品をつくってみたいと思っていました。
文章でしか表わせないことがあるのと同様に、写真を合わせることでしか訴えられないこともあるのではないか。そう考えていたのです。
ただ、単なる「写真集」だと、いろんな意味で限界がある。
値段は高額になってしまうし、入れられる言葉が限られてしまう。
ならば、写真をつかったエッセー集にしてみてはどうか。それならば、これまでの本とは違うメッセージを届けることができるのではないか。
そんなことを、出版社の人たちと話し合った末に、今回の写真エッセー集が生まれたのです。
この『地を這う祈り』という本が、これまでの本とは違った形で、世界の現実の一つを垣間見る機会を提供することができればと願っています。
追記?
以下の書店で、フォトフレームをつかった写真の展示を行っています。
・紀伊國屋書店 新宿本店
・三省堂 神保町店
・三省堂 大宮店
・三省堂 成城店
・芳林堂 高田馬場店
・リブロ 松戸店
このフォトフレームには、本には未収録の写真&キャプションもたくさん入っており、書店によってすべて映し出される写真も違います。
書店の店長さんや担当の方が選んだオリジナル写真なのです。
三省堂神保町店ではすでにサイン本が並んでいますし、紀伊國屋書店(本店)でも今週末からサイン本が並ぶと思います。
宜しければ、お立ち寄りの際に、フォトフレームの写真もご覧下さい。
追記?
『地を這う祈り』に合わせて、10月31日(日)の午後から阿佐ヶ谷のロフトでトークセッションを行います。ミシマ社との共同企画で、名付けて「地を這う三時間」。是非ご来場下さい。
詳細はこちら
http://kotaism.livedoor.biz/archives/2010-09.html#20100930
2010年10月01日
新連載「ルポ 餓死現場で生きる」
筑摩書房のウェブマガジン「Webちくま」にて、連載を開始します。
■タイトル
「ルポ 餓死現場で生きる」
■期間
10月〜12月の3カ月
毎週金曜日の更新
■URL
Webちくま
http://www.chikumashobo.co.jp/new_chikuma/ishii/index.html?101001
■概要
世界では、10億人が栄養不足に悩まされており、その中で毎日2500人の人々が栄養不良が原因で命を落としています。
これを時間に計算すると、1分で10人、1時間で600人になります。
栄養不良の現場で、人々はどうやって生きているのか。そこで起きている問題とは何なのか。
特に、「栄養不良の現場に生きる子供」に限定し、そういったことを、僕自身の体験や統計を駆使して、中高生でもわかるように、説明していきたいと思います。
■アプローチ法
これまで、僕は比較的僕自身の視点でテーマを切り分けてきました。
今回は、どちらかというと、既存の切り分け方を前提にして、僕の視点を入れていくというやり方になります。
たとえば、「栄養不良」「児童労働」「子供兵」「児童婚」といった、すでにあったテーマに対して、僕がいろんな形でそれをひっくり返したり、直球で深めていったりします。
■書籍化予定
2011年の春ごろに、「ちくま新書」として刊行を予定しています。
連載とは違い、統計を見やすい地図にしたり、イラストを載せたりしていく予定です。楽しみにしていて下さい。
というわけで、3カ月間の短期集中連載ですが、「ルポ 餓死現場を生きる」を楽しんでいただければ幸いです。
今後ともよろしくお願いいたします。
追記
河出書房新社でのWeb連載「飢餓浄土」は10月4日の更新が最後になります。
こちらは、2011年の2月末〜3月にかけて単行本として刊行する予定です。ご愛読、ありがとうございました。
■タイトル
「ルポ 餓死現場で生きる」
■期間
10月〜12月の3カ月
毎週金曜日の更新
■URL
Webちくま
http://www.chikumashobo.co.jp/new_chikuma/ishii/index.html?101001
■概要
世界では、10億人が栄養不足に悩まされており、その中で毎日2500人の人々が栄養不良が原因で命を落としています。
これを時間に計算すると、1分で10人、1時間で600人になります。
栄養不良の現場で、人々はどうやって生きているのか。そこで起きている問題とは何なのか。
特に、「栄養不良の現場に生きる子供」に限定し、そういったことを、僕自身の体験や統計を駆使して、中高生でもわかるように、説明していきたいと思います。
■アプローチ法
これまで、僕は比較的僕自身の視点でテーマを切り分けてきました。
今回は、どちらかというと、既存の切り分け方を前提にして、僕の視点を入れていくというやり方になります。
たとえば、「栄養不良」「児童労働」「子供兵」「児童婚」といった、すでにあったテーマに対して、僕がいろんな形でそれをひっくり返したり、直球で深めていったりします。
■書籍化予定
2011年の春ごろに、「ちくま新書」として刊行を予定しています。
連載とは違い、統計を見やすい地図にしたり、イラストを載せたりしていく予定です。楽しみにしていて下さい。
というわけで、3カ月間の短期集中連載ですが、「ルポ 餓死現場を生きる」を楽しんでいただければ幸いです。
今後ともよろしくお願いいたします。
追記
河出書房新社でのWeb連載「飢餓浄土」は10月4日の更新が最後になります。
こちらは、2011年の2月末〜3月にかけて単行本として刊行する予定です。ご愛読、ありがとうございました。
2010年09月30日
イベント告知 10月31日
昨夜、飲んだ際に、「この世で一番最悪だった対談」について熱く語る。
詳しく書くと、誰、とわかってしまうので、書かないが、その人との対談は本当にうんざりだった。
自分から一言もしゃべらないし、何かを考えようともしないし、これまでしゃべってきたことを、機械のように繰り返すだけ。
そもそも、何の準備もしてきてないので、自分のことしか話さないので会話にならないのだ。
こっちの話とは全然ちがう話を能面のような顔でしているだけ。
なんつーか、ぶっ壊れたロボットである。
さらに、こっちが何かを指摘したら、近くにいたその人の編集者がいきなり「●●先生はそんなんじゃないんです!」と言いはじめる始末。
(あんたは、●●氏の恋人か?)
で、出来上がった対談は、当日の話を強引につぎはぎしたもの。
会話になっていないし、内容がさっぱりわからない。しかも、赤字を入れろと言われたので入れたら、今度はいきなり、その●●先生とやらの編集者が「●●先生の意図はこんなんじゃないんですぅ!」と怒りっぽい小学生のような言いがかりをつけはじめて、勝手に僕のセリフを変えてしまう始末。
(「こんなんじゃない」というのはあんたが決めることじゃないだろ。それに、●●先生とやらは、一人で的外れなことばかり言ってたじゃないか。それを強引に対談としてまとめたら、うまくいかないに決まってるだろ)
まぁ、言い出すときりがないけど、本当にうんざりだった。
●●先生とやらも、その担当編集者とやらも、自分たちのことしか考えず、わけのわからないことをやって、場を無茶苦茶にしてしまうだけ。
はっきりいって、事前に何の準備もできないなら、仕事を受けるな。
会話の流れに関係なく、ロボットのように決まり切ったことしか言えないなら、講演でもしてればいいだろ。
原稿だって、つぎはぎしてもムチャクチャで形になっていないなら掲載をやめるか、もう一度話をさせるべきだ。「それは●●先生に悪いから」なんていうのなら、「それは読者に悪いから」と思わないのか。
(そもそも、出版物は読者のためにあるのであって、●●先生のためにあるわけじゃないだろ。そういう当たり前のことを当たり前のこととして考え、実行できないから、出版業界がボロボロになっていくんだ)
そういう常識があまりにもなさすぎる。本当に散々だった。
と、僕はいまだにプイプイ怒っている。
まぁ、わかる人にはわかってくれるだろう。
さて、そんなことはどうでもいい。
10月19日に徳間書店より、写真エッセー集『地を這う祈り』を刊行することになりました。
これまで十数年の旅の写真をカラーで載せ、その思い出をいろいろと書きつづったものです。
詳しくは発売の際にお知らせしますが、この本の刊行を記念して、イベントを行うことになりました。
が、講演じゃないので、僕がひたすらしゃべりつづけても、飽きてくる。
そこで、僕は最初から最後まで出るものの、いろんなスパイスを混ぜてやっていこうということになり、ミシマ社の全面協力を得て行うことにしました。
題して、「地を這う三時間」
イベント内容は以下になります。
■タイトル
写真エッセー集『地を這う祈り』刊行記念
「地を這う3時間!」
――変人旅人三本勝負!エロ・グロ・血 これがほんとに「旅」なのか!?
旅のスタイルがまったく違う、同郷・同級生の二人が初対決!!
‘善人旅人’近藤雄生に‘無敵のヒール’石井光太が歯をたて嚙みつく――。はたして二人は生きて、再び「旅人」に戻ることはできるのか? 抱腹絶倒、悶絶必至、お下劣御免…「旅」の想像をはるかに超える、壮絶・凄惨トークイベント。
第1ラウンド:グロテスクvsさわやか
…旅で撮影した写真を見せ合い、どちらがエグいか、笑えるかを競い合う。
(石井光太、近藤雄生)
第2ラウンド:観客参加型バトルロワイヤル
…レフリー‘Mr’三島が加わり、観客も巻き込み「ぶっちゃけトーク」を展開。
(石井光太、近藤雄生、三島邦弘)
第3ラウンド:旅とエロ(欲情)
…同じく同郷・同級生の松岡絵里さんを司会に迎え、旅とエロについて赤裸々に語り合う。
(石井光太、近藤雄生、松岡絵里)
【出演】
石井光太(『地を這う祈り』、『レンタルチャイルド』)
近藤雄生(『遊牧夫婦』)
松岡絵里(『世界の市場』、『してみたい!世界一周』)
企画:徳間書店+ミシマ社
販売協力:旅の本屋 のまど ※会場で新刊本『地を這う祈り』を発売しています!
日程
10月31日(日)
OPEN12:00 / START13:00
前売¥1,500 / 当日¥1,600(ともに飲食代別)
場所
Loft A
166-0004 杉並区阿佐谷南1−36−16−B1
TEL:03-5929-3445
http://www.loft-prj.co.jp/lofta/
前売チケットは10/2(土)より、ローソンチケット、ロフトAウェブ予約、ロフトA電話予約にて発売!
※ご入場順はローソンチケット→web予約→電話予約 の順になります。
ローソンチケット:Lコード【L:32778】
web予約:http://www.loft-prj.co.jp/lofta/reservation/
電話予約:03-5929-3445 (17:00〜24:00)
という感じです。
実は、近藤さんと松岡さんとは同級生で、育った場所も同じ。
松岡さんと僕は小中学校の同級生で、近藤さんは隣の学校でした。
そんな近くで生まれ育って、まったくつながりのなかったところから、海外を舞台にした本を書いているのは、ちょっと不思議。
ということで、一緒にイベントをすることになったのです。
上記のイベントの概要は、なんかプロレス&サブカル的なニオイがしますが、これは、プロレス好きの三島さんが概要を書いたためでしょう(笑)。
別に殴り合いをするわけではなく、本音のぶっちゃけトークをするだけです。ご安心あれ。
ちなみに、なぜ僕が「無敵のヒール」なのだろう? 三島さんの中では、僕は「ヒール」のイメージなのだろうか(笑)。
まぁ、僕は結構ズケズケと物を言ってしまう性格なので、近藤さんや松岡さんには迷惑をかけてしまうかもしれないけど……
では、会場でお会いできるのを楽しみにしています!
詳しく書くと、誰、とわかってしまうので、書かないが、その人との対談は本当にうんざりだった。
自分から一言もしゃべらないし、何かを考えようともしないし、これまでしゃべってきたことを、機械のように繰り返すだけ。
そもそも、何の準備もしてきてないので、自分のことしか話さないので会話にならないのだ。
こっちの話とは全然ちがう話を能面のような顔でしているだけ。
なんつーか、ぶっ壊れたロボットである。
さらに、こっちが何かを指摘したら、近くにいたその人の編集者がいきなり「●●先生はそんなんじゃないんです!」と言いはじめる始末。
(あんたは、●●氏の恋人か?)
で、出来上がった対談は、当日の話を強引につぎはぎしたもの。
会話になっていないし、内容がさっぱりわからない。しかも、赤字を入れろと言われたので入れたら、今度はいきなり、その●●先生とやらの編集者が「●●先生の意図はこんなんじゃないんですぅ!」と怒りっぽい小学生のような言いがかりをつけはじめて、勝手に僕のセリフを変えてしまう始末。
(「こんなんじゃない」というのはあんたが決めることじゃないだろ。それに、●●先生とやらは、一人で的外れなことばかり言ってたじゃないか。それを強引に対談としてまとめたら、うまくいかないに決まってるだろ)
まぁ、言い出すときりがないけど、本当にうんざりだった。
●●先生とやらも、その担当編集者とやらも、自分たちのことしか考えず、わけのわからないことをやって、場を無茶苦茶にしてしまうだけ。
はっきりいって、事前に何の準備もできないなら、仕事を受けるな。
会話の流れに関係なく、ロボットのように決まり切ったことしか言えないなら、講演でもしてればいいだろ。
原稿だって、つぎはぎしてもムチャクチャで形になっていないなら掲載をやめるか、もう一度話をさせるべきだ。「それは●●先生に悪いから」なんていうのなら、「それは読者に悪いから」と思わないのか。
(そもそも、出版物は読者のためにあるのであって、●●先生のためにあるわけじゃないだろ。そういう当たり前のことを当たり前のこととして考え、実行できないから、出版業界がボロボロになっていくんだ)
そういう常識があまりにもなさすぎる。本当に散々だった。
と、僕はいまだにプイプイ怒っている。
まぁ、わかる人にはわかってくれるだろう。
さて、そんなことはどうでもいい。
10月19日に徳間書店より、写真エッセー集『地を這う祈り』を刊行することになりました。
これまで十数年の旅の写真をカラーで載せ、その思い出をいろいろと書きつづったものです。
詳しくは発売の際にお知らせしますが、この本の刊行を記念して、イベントを行うことになりました。
が、講演じゃないので、僕がひたすらしゃべりつづけても、飽きてくる。
そこで、僕は最初から最後まで出るものの、いろんなスパイスを混ぜてやっていこうということになり、ミシマ社の全面協力を得て行うことにしました。
題して、「地を這う三時間」
イベント内容は以下になります。
■タイトル
写真エッセー集『地を這う祈り』刊行記念
「地を這う3時間!」
――変人旅人三本勝負!エロ・グロ・血 これがほんとに「旅」なのか!?
旅のスタイルがまったく違う、同郷・同級生の二人が初対決!!
‘善人旅人’近藤雄生に‘無敵のヒール’石井光太が歯をたて嚙みつく――。はたして二人は生きて、再び「旅人」に戻ることはできるのか? 抱腹絶倒、悶絶必至、お下劣御免…「旅」の想像をはるかに超える、壮絶・凄惨トークイベント。
第1ラウンド:グロテスクvsさわやか
…旅で撮影した写真を見せ合い、どちらがエグいか、笑えるかを競い合う。
(石井光太、近藤雄生)
第2ラウンド:観客参加型バトルロワイヤル
…レフリー‘Mr’三島が加わり、観客も巻き込み「ぶっちゃけトーク」を展開。
(石井光太、近藤雄生、三島邦弘)
第3ラウンド:旅とエロ(欲情)
…同じく同郷・同級生の松岡絵里さんを司会に迎え、旅とエロについて赤裸々に語り合う。
(石井光太、近藤雄生、松岡絵里)
【出演】
石井光太(『地を這う祈り』、『レンタルチャイルド』)
近藤雄生(『遊牧夫婦』)
松岡絵里(『世界の市場』、『してみたい!世界一周』)
企画:徳間書店+ミシマ社
販売協力:旅の本屋 のまど ※会場で新刊本『地を這う祈り』を発売しています!
日程
10月31日(日)
OPEN12:00 / START13:00
前売¥1,500 / 当日¥1,600(ともに飲食代別)
場所
Loft A
166-0004 杉並区阿佐谷南1−36−16−B1
TEL:03-5929-3445
http://www.loft-prj.co.jp/lofta/
前売チケットは10/2(土)より、ローソンチケット、ロフトAウェブ予約、ロフトA電話予約にて発売!
※ご入場順はローソンチケット→web予約→電話予約 の順になります。
ローソンチケット:Lコード【L:32778】
web予約:http://www.loft-prj.co.jp/lofta/reservation/
電話予約:03-5929-3445 (17:00〜24:00)
という感じです。
実は、近藤さんと松岡さんとは同級生で、育った場所も同じ。
松岡さんと僕は小中学校の同級生で、近藤さんは隣の学校でした。
そんな近くで生まれ育って、まったくつながりのなかったところから、海外を舞台にした本を書いているのは、ちょっと不思議。
ということで、一緒にイベントをすることになったのです。
上記のイベントの概要は、なんかプロレス&サブカル的なニオイがしますが、これは、プロレス好きの三島さんが概要を書いたためでしょう(笑)。
別に殴り合いをするわけではなく、本音のぶっちゃけトークをするだけです。ご安心あれ。
ちなみに、なぜ僕が「無敵のヒール」なのだろう? 三島さんの中では、僕は「ヒール」のイメージなのだろうか(笑)。
まぁ、僕は結構ズケズケと物を言ってしまう性格なので、近藤さんや松岡さんには迷惑をかけてしまうかもしれないけど……
では、会場でお会いできるのを楽しみにしています!
2010年09月20日
中国製
中国製の商品がアフリカになだれ込んでいる。
日本人や欧米人は「中国製は安いけど、品質がぜんぜんダメ」とひがむように言う。
15年ぐらい前までは市場のほとんどを日本や欧米の製品が占めていたのだから、そう文句を言いたくなる気持ちもわかるだろう。
しかし、本当にそうなのだろうか?
たしかに、中国製は品質が悪い。
プラスチック製のバケツなどもあっという間に壊れてしまう。これは現地の人にとっても、不評である。
しかし、忘れてはならないことがある。
つい10年ぐらい前まで、アフリカでは女子供が重たい壺に水を入れ、それを頭にのせて運んでいた。
これによって、脊髄を損傷したり、熱射病で熱中症で命を落としたりする人が大勢いた。
壺であることが、様々な弊害を生んでいたのである。
ところが、中国製の安価なプラスチックの容器が入ってきた途端、それが一変した。
酷暑の荒野で毎日何時間も水運びをしていた女子供にとって、5キロの壺が1キロ以下のプラスチックの容器になることが、どれだけいいことか。
しかも取っ手があるので手で持てたりする。
現地の人間が、多少品質が悪くても、それを選ぶのは当然だろう。
そういう意味では、粗悪な中国製品も、現地の生活や健康に大きく貢献している面があるのである。
粗悪品だけども、安くて、軽くて、便利なものが、どれだけ現地の人たちのためになるか。
(同じものを日本がつくっても、「安くならない」「便利すぎて使えない」などの問題が出てくるかもしれない)
私たちは「中国製品が売れている」と聞くと、すぐに「でも、品質が悪いからな」という。
しかし、「売れている」のには、かならずわけがある。
僕は中国のことを好きでも嫌いでもないけど、そういう角度から中国製品をいま一度見直してみてもいいんじゃないかな、とも思う。
なぜ、10億人ともいわれる絶対貧困の人々が、中国製を求めるのか。
それは、単純に「安い」ということだけじゃ片づけられない一面もあると思う。
日本人や欧米人は「中国製は安いけど、品質がぜんぜんダメ」とひがむように言う。
15年ぐらい前までは市場のほとんどを日本や欧米の製品が占めていたのだから、そう文句を言いたくなる気持ちもわかるだろう。
しかし、本当にそうなのだろうか?
たしかに、中国製は品質が悪い。
プラスチック製のバケツなどもあっという間に壊れてしまう。これは現地の人にとっても、不評である。
しかし、忘れてはならないことがある。
つい10年ぐらい前まで、アフリカでは女子供が重たい壺に水を入れ、それを頭にのせて運んでいた。
これによって、脊髄を損傷したり、熱射病で熱中症で命を落としたりする人が大勢いた。
壺であることが、様々な弊害を生んでいたのである。
ところが、中国製の安価なプラスチックの容器が入ってきた途端、それが一変した。
酷暑の荒野で毎日何時間も水運びをしていた女子供にとって、5キロの壺が1キロ以下のプラスチックの容器になることが、どれだけいいことか。
しかも取っ手があるので手で持てたりする。
現地の人間が、多少品質が悪くても、それを選ぶのは当然だろう。
そういう意味では、粗悪な中国製品も、現地の生活や健康に大きく貢献している面があるのである。
粗悪品だけども、安くて、軽くて、便利なものが、どれだけ現地の人たちのためになるか。
(同じものを日本がつくっても、「安くならない」「便利すぎて使えない」などの問題が出てくるかもしれない)
私たちは「中国製品が売れている」と聞くと、すぐに「でも、品質が悪いからな」という。
しかし、「売れている」のには、かならずわけがある。
僕は中国のことを好きでも嫌いでもないけど、そういう角度から中国製品をいま一度見直してみてもいいんじゃないかな、とも思う。
なぜ、10億人ともいわれる絶対貧困の人々が、中国製を求めるのか。
それは、単純に「安い」ということだけじゃ片づけられない一面もあると思う。
2010年09月03日
美しく描くや否や
いま、12月に刊行する絵本の企画を進めている。
僕は「文」はもちろん、原案、コマワリ、それに絵の構図や細かな描写の指定まですべてをやっている。
僕が「こうしてくれ」と言い、絵本作家が「まったく、注文ばかりで困るわ」と言いながら描き直し、編集者がフォローし、三人で進めているのである。
(途中で、もう一人の編集者が入って四人で行うこともある)
物語の絵だけで、80Pの長編。これをラフの時点から、なんだかんだ、5、6回描き直してもらっている。絵本作家には、本当に頭が下がる。
と、まぁ、そんな感じで進めているのだが、いざ、色づけした絵を描く、という段階になり、ひとつ大きな問題に突き当たった。
「ヒロインの女の子を美人に描くか否か?」
という問題である。
具体的にいえば、外国で暮らす10歳ぐらいの女の子だ。
僕と編集者(男)は、初めから「美人」だと想定していた。
だが、絵本作家(女)が、描いてきた絵は、お世辞にもカワイイとは言えない顔だった。
彼女はかわいい女の子を描くのが非常にうまい作家である。なのに、わざわざヒロインをかわいくない顔にしている。
一体どういうことか。
さっそく、僕はちょっとしたショックを受け、女の子の顔に五十回ぐらい◎を書いて、「ここを、直して下さいよ。なんで、こんな顔にするんですか。ヒロインなんだから美人じゃなきゃ!」と言った。
すると、絵本作家は、次のように言った。
絵本作家「いや、女性の読者は、ヒロインが美人だとひいちゃいますよ。色気のある女性はNGなんです。ヒロインを描く時は、わざと美人じゃない感じに描かなきゃいけないんです」
石井「いやいや、ヒロインっすよ。ヒロインが美人でなくて、どうするんですか。しかも、この登場人物は子供ですよ。なんで、絵本を読む子供や大人が嫉妬するんですか」
絵本作家「嫉妬するんです。女性というのは、そういうモノなんです。絵本を買うのは、母親です。母親の感情を逆なでするようなことはやめた方がいいですよ」
石井「まじっすか。じゃあ、たとえば宮崎駿のアニメとかどうなんですか。主人公は美人ですよ。半ケツだったり、パンツ見えてたりするし。でも、女性ファンは多いですよ」
絵本作家「あれは、中性的だからいいんです。宮崎駿の主人公は中性的なので、女性の嫉妬の対象にはならないんです」
石井「う〜ん(頭を抱えて)。仕方ない。そこまで言われては、僕も返す言葉がないっす。しかし、ヒロインがぜんぜん美しくないというのは、どうしても受け入れられません。中性的な感じでOKなら、せめて中性的な感じにして下さい」
こんな会話が交わされ、主人公の女の子は、不本意にも(めでたく?)、中性的な顔になることになったのである。
今もって、男の僕としてはヒロインがかわいくないのが腑に落ちないのだが、ただ、こういうことは今までにも何度かあった。女性読者を想定した時、「美人はやめろ」という声がどこからかかかるのである。
僕はひそかに、この現象を「かもめ食堂現象」と呼んでいる。
「かもめ食堂」という邦画がある。
非常にいい映画なのだが、男性から見ると、どうも登場人物が物足りない。次の三人である。
小林聡美
片桐はいり
もたいまさこ
三人とも、男性が好きな「美人」ではないのは明らかだ。
そのためか、男性でこの映画をいいという人はほとんどいない。
しかし、女性の多くは、この映画を絶賛する。僕も女性に勧められてみたし、上記の絵本作家や、その後に打ち合わせをしてこの話をした別の出版社の女性編集者も「あの映画はいい!」と言っていた。
この映画の監督は、女性の荻上直子。原作は、群ようこである。つまり、女性の心を女性の作り手たちがガッチリつかんで、いい映画に仕上げたのだろう。
だが、男からすると「…………」なのである。
こういう問題は、作り手の側にはいつも、「壁」として存在するある。
今回の絵本はもちろん、これまで手掛けてきた漫画でも、テレビでも、そういう問題が発生するのだ。
(文章だけの場合だと、読者の想像の世界になるので、こうした問題はあまり発生しない。僕が本にあまり写真を載せたがらないのは、このような理由もある。写真をつけてイメージを固めてしまうと、逆につまらなくなってしまうケースがあるのだ)
何が成功なのか。たぶん、それは「最善をつくした後の結果論」でしかない。
しかし、モノを作る時というのは、最善をつくすために、「ああしろ、こうしろ」と果てしない議論をつづけ、悩み、ぶつかり、また議論をする。
その時、いつもこの「かもめ食堂現象」にぶつかる。
漫画の場合は男性向け漫画か、女性向け漫画かという区別が一応はあるのでいいのだが、絵本となると、そうはいかない。
たぶん、絵本をやり続ける限り、ずっとこの「壁」に悩まされるのだろう。
ただ、僕は最終的に顔だけは、「画家」の感性に委ねることにしている。画家が登場人物に感情移入できなければ、絵に魂が宿ることがないからだ。
ま、どうなるか、楽しみにして下さい。
実際、僕もどういう絵になるのか、すっごく楽しみだ。
僕は「文」はもちろん、原案、コマワリ、それに絵の構図や細かな描写の指定まですべてをやっている。
僕が「こうしてくれ」と言い、絵本作家が「まったく、注文ばかりで困るわ」と言いながら描き直し、編集者がフォローし、三人で進めているのである。
(途中で、もう一人の編集者が入って四人で行うこともある)
物語の絵だけで、80Pの長編。これをラフの時点から、なんだかんだ、5、6回描き直してもらっている。絵本作家には、本当に頭が下がる。
と、まぁ、そんな感じで進めているのだが、いざ、色づけした絵を描く、という段階になり、ひとつ大きな問題に突き当たった。
「ヒロインの女の子を美人に描くか否か?」
という問題である。
具体的にいえば、外国で暮らす10歳ぐらいの女の子だ。
僕と編集者(男)は、初めから「美人」だと想定していた。
だが、絵本作家(女)が、描いてきた絵は、お世辞にもカワイイとは言えない顔だった。
彼女はかわいい女の子を描くのが非常にうまい作家である。なのに、わざわざヒロインをかわいくない顔にしている。
一体どういうことか。
さっそく、僕はちょっとしたショックを受け、女の子の顔に五十回ぐらい◎を書いて、「ここを、直して下さいよ。なんで、こんな顔にするんですか。ヒロインなんだから美人じゃなきゃ!」と言った。
すると、絵本作家は、次のように言った。
絵本作家「いや、女性の読者は、ヒロインが美人だとひいちゃいますよ。色気のある女性はNGなんです。ヒロインを描く時は、わざと美人じゃない感じに描かなきゃいけないんです」
石井「いやいや、ヒロインっすよ。ヒロインが美人でなくて、どうするんですか。しかも、この登場人物は子供ですよ。なんで、絵本を読む子供や大人が嫉妬するんですか」
絵本作家「嫉妬するんです。女性というのは、そういうモノなんです。絵本を買うのは、母親です。母親の感情を逆なでするようなことはやめた方がいいですよ」
石井「まじっすか。じゃあ、たとえば宮崎駿のアニメとかどうなんですか。主人公は美人ですよ。半ケツだったり、パンツ見えてたりするし。でも、女性ファンは多いですよ」
絵本作家「あれは、中性的だからいいんです。宮崎駿の主人公は中性的なので、女性の嫉妬の対象にはならないんです」
石井「う〜ん(頭を抱えて)。仕方ない。そこまで言われては、僕も返す言葉がないっす。しかし、ヒロインがぜんぜん美しくないというのは、どうしても受け入れられません。中性的な感じでOKなら、せめて中性的な感じにして下さい」
こんな会話が交わされ、主人公の女の子は、不本意にも(めでたく?)、中性的な顔になることになったのである。
今もって、男の僕としてはヒロインがかわいくないのが腑に落ちないのだが、ただ、こういうことは今までにも何度かあった。女性読者を想定した時、「美人はやめろ」という声がどこからかかかるのである。
僕はひそかに、この現象を「かもめ食堂現象」と呼んでいる。
「かもめ食堂」という邦画がある。
非常にいい映画なのだが、男性から見ると、どうも登場人物が物足りない。次の三人である。
小林聡美
片桐はいり
もたいまさこ
三人とも、男性が好きな「美人」ではないのは明らかだ。
そのためか、男性でこの映画をいいという人はほとんどいない。
しかし、女性の多くは、この映画を絶賛する。僕も女性に勧められてみたし、上記の絵本作家や、その後に打ち合わせをしてこの話をした別の出版社の女性編集者も「あの映画はいい!」と言っていた。
この映画の監督は、女性の荻上直子。原作は、群ようこである。つまり、女性の心を女性の作り手たちがガッチリつかんで、いい映画に仕上げたのだろう。
だが、男からすると「…………」なのである。
こういう問題は、作り手の側にはいつも、「壁」として存在するある。
今回の絵本はもちろん、これまで手掛けてきた漫画でも、テレビでも、そういう問題が発生するのだ。
(文章だけの場合だと、読者の想像の世界になるので、こうした問題はあまり発生しない。僕が本にあまり写真を載せたがらないのは、このような理由もある。写真をつけてイメージを固めてしまうと、逆につまらなくなってしまうケースがあるのだ)
何が成功なのか。たぶん、それは「最善をつくした後の結果論」でしかない。
しかし、モノを作る時というのは、最善をつくすために、「ああしろ、こうしろ」と果てしない議論をつづけ、悩み、ぶつかり、また議論をする。
その時、いつもこの「かもめ食堂現象」にぶつかる。
漫画の場合は男性向け漫画か、女性向け漫画かという区別が一応はあるのでいいのだが、絵本となると、そうはいかない。
たぶん、絵本をやり続ける限り、ずっとこの「壁」に悩まされるのだろう。
ただ、僕は最終的に顔だけは、「画家」の感性に委ねることにしている。画家が登場人物に感情移入できなければ、絵に魂が宿ることがないからだ。
ま、どうなるか、楽しみにして下さい。
実際、僕もどういう絵になるのか、すっごく楽しみだ。








