2008年07月24日

相撲

僕はけっこう相撲が好きだ。
テレビをつけてやっていると、思わず見てしまう。
昔、卒業式の日が千秋楽で、卒業式に出席するか、千秋楽を見るかで悩んで、結局卒業式をサボって千秋楽を見ていた記憶がある。

先日、『力士の世界』(文春新書)という本を読んで面白いことを知った。
実は、小結、関脇、大関の三役の呼び名の由来がわかっていないそうなのである。
相撲というのは、神事だったころからつづくもので、意外にも色んな名称の由来が不明のままだったりするそうである。

また、懸賞についての面白い話もあった。
そもそもの始まりは、勝者が弓、矢、弦を褒美にもらうものだった。
それが、ソバや米の商品券や目録になり、やがて今の現金になったのだそうだ。
ソバや米の商品券なんてもらっても使い道がないだろうにと思うが、おそらく部屋に寄付して弟子たちの食費となっていたのだろう。
ちなみに、今の懸賞金は六万円。税金など諸々引かれて手に入るのは一本の懸賞につき三万円だそうだ。さらにいうと、横綱の年収は大体一億円らしい。

僕がこの本を読んで一番、おお、と思ったのは横綱についてである。
常識では、横綱が相撲取りの最高位である。いわずとしれたNO1である。
しかし、本来は大関が最高位なんだそうな。大関が最高位で、その大関たちの中でもっとも「技量・品格に優れた大関」を横綱と呼んでいたのだという。
その名残は今でも残っていて、大関とその一つ下の関脇の待遇の違いは天と地ほども違うそうな。それは、もともと大関が最高位だったためらしい。そういわれてみると、大関の桁違いの待遇の理由がわかってくる。

来年、新書の企画を一本やるので、最近仕事関係の本とは別に一日一冊新書を読むようにしているのだが、新書の面白さというのは、難しい論考云々よりも、「豆知識」を得ることにあるのではないかと思っている。

そーいえば、今日電車の中で読んでいた「名字と日本人―先祖からのメッセージ」も豆知識として面白かった。

ま、とはいっても、やはり理想は古典的名作「バナナと日本人」なんだけどね。


力士の世界 (文春新書 603) (文春新書 603)


名字と日本人―先祖からのメッセージ (文春新書)


バナナと日本人―フィリピン農園と食卓のあいだ (岩波新書)


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2008年07月20日

戦場から生きのびて

文藝春秋社から「物乞う仏陀」の単行本が増刷されると言われて本が届いた。
すでに文庫化しているのに、単行本が増刷されるというのは、不思議なことだ。
「深夜特急」みたいな永遠のベストセラーじゃあるまいし、文庫があるのにわざわざ単行本を買う人なんているのかな、と心配してしまう。
ただ、先日ある人から聞いたのだが、「本はハードカバーじゃなきゃダメ」という人もいるそうだ。そういう人向けの増刷なのだろうか(まさかなぁ)。
しかし、この増刷の冊数が意外に多い。そんなにハードカバーファンがいるのかなと思ってしまう数であるが、まぁ、増刷したらした分だけお金が入ってくるので、僕は得することはあっても、損することはない。なので、全然問題はないのだけれど。

ハードカバーの本といえば、ちょっと前に『戦場から生きのびて−ぼくは少年兵士だった』という本をもらった。
アフリカのシエラレオネの内戦の中、誘拐されて少年兵になった子供が自分の体験を書いた本だ。
洗脳される前から殺人を犯していた頃のことや救出された時のことを事細かに書いてある。少年兵が生き延びて、なおかつ自分の筆でその体験を客観的に書けるようになるのは、奇跡のようなものだ。そういう意味でも、とても貴重な本だと思う。

こういう本を読むと、証言ノンフィクションというのは実につよいなと思う。
外部の人間がいくらがんばって取材しても、内戦で生活を破壊され、誘拐されて洗脳され、少年兵士たちがどういう思いで人殺しをしているのか、なんてことは書けない。
予算的にも、期間的にも無理だし、そもそもそんなことをしたら90%以上の確率で死ぬに決まっている(実際少年兵のほとんどは死んでいるわけだから)。つまり、奇跡的に生き残り、奇跡的に立ち直り、奇跡的に教育をうけ、奇跡的に機会を得た者にしか書けないものなのだ。

これはシエラレオネの本に限ったことではない。
日本だって犯罪者や犯罪被害者の証言ノンフィクションというものがある。
ちょっと有名な事件になれば、すぐに手記やら何やらというものがでて反響を呼ぶ。実際読んでみると、覗き見趣味的な面白さがあったりする。実際に普通に作家やら記者やらが書いたものよりも面白いことがしばしばある。
僕の周りには「下手な小説を読むよりノンフィクションを読む方が好き」という人がいるが、それと同じ理由で「下手なノンフィクションを読むよりも、告白本を読む方が好き」という人も多いだろう。

しかし、ここ数年出版された告白本とか体験本を思い浮かべてみると、あまり面白いものが浮かんでこない。
なぜかと考えてみると、最近どうにもこういう告白本がどれも似ているように思えるのだ。
もしかしたら、告白本とか、体験本というジャンルにも、また「ひな形」のようなものができつつあるのかもしれない。
だから、告白本を書けとか、体験本を書けといわれたら、著者はその「ひな形」に自分の体験や意見を当てはめて書くようになるのではないか。その結果、どれも似たようなものになり、結果として面白さが失われてしまうように思える。

僕はこれの典型が「旅行本」だと思っている。
巷に流布している旅行本ってどれを読んでも同じように旅行をして、同じような体験をして、同じようなことを書いている。
みんな椎名誠さんであり、沢木耕太郎さんであり、蔵前仁一さんなのだ。こういうふうに旅をして、こういう体験をして、こう書くという「ひな形」ができあがっていて、それをなぞることしかしない。だから全部同じに見える。違いといえば、イラストつきなのか、写真つきなのか、漫画つきなのか、ぐらいだ。
たぶん、これと同じような「ひな形」の波が、告白本とか体験本というジャンルにも押し寄せているのかもしれない。

なんだか、話がそれてしまった。
『戦場から生きのびて−ぼくは少年兵士だった』という本も、ある意味ひな形にはめられていると言えなくもないけど、それでも型破りの証言&体験が最初から最後まで書かれているという意味では、とても興味深い本である。

戦場から生きのびて ぼくは少年兵士だった


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2008年07月12日

財布の中身

先日、中野で人と会った。
仕事の打ち合わせを兼ねた食事会みたいなものだった。
メンバーは以下である。

・出版社の編集者
・漫画家
・女性AV監督
・僕

まぁ、いろいろとあってこの組み合わせになったのだが(「フツーならないだろ」という声が聞こえてきそうだが)、詳しい説明は割愛させていただく。

人にもよるだろうけど、僕はあまり異業種の人と会うことがない。
基本的に家で一人で仕事をしているし、会ってもその打ち合わせなので出版社や番組制作会社などといった人と会うぐらいである。なので、他の分野で活躍している人の話を聞くのは楽しい。

そのなかで、ふとした拍子に「漫画のページ単価」の話になった。

漫画雑誌のページ単価が驚くほど低いということは、前に出版社の人から聞いたことがあった。
昨日一緒にいた漫画家さんの証言もあわせていえば、小さな漫画雑誌だと1ページ1万円〜2万円。誰もが知っている大きな雑誌でも3万円程度。超がつく大御所でも10万円程度だそうだ。

客観的に考えれば、これは驚くほど安い。
漫画の場合、ストーリー考えて(原案・原作がいるケースもあるが)、ラフを書いて、絵を書いて、さらにはアシスタントを雇ってこの値段なわけである。
媒体にも書き手にもよるけど、一人で書いて、ラフのようなものもないことを考えれば、活字主体の雑誌の方がページ単価では上だと思う。
しかし、市場としては明らかに漫画の方が大きい。読者数だけ考えても桁がひと桁ぐらい異なるものだ。にもかかわらず、ページ単価が、活字媒体と同じか、それより低いなんて。。。

というような話をしていたら、その漫画家さんがいうには「すべては手塚治虫のせい」らしい。
手塚治虫はとにかく漫画を書きまくりたかった。もしページ単価が高いと、どこの雑誌も書かせるのを渋る。そのために、手塚治虫は自らページ単価をさげて、いろんな雑誌に書きまくったのだそうだ。
こうなると、当然手塚治虫以上の漫画家はいないわけで、彼のページ単価が「業界最高値」となる。それで他の人たちのページ単価まで低く設定されることになったのだそうな。

また、その雑誌の大御所の性格で価格が決まることもあるらしい。
たとえばAという創刊40年の漫画雑誌があったとする。創刊の時から書いている人が最初3万円で請け負っていた。この人は性格がよく、原稿料をあげろとはいわないまま、40年が過ぎて大御所となった。
雑誌の側からすれば、当然この大御所が「最高のページ単価」になるわけで、それより小粒な漫画家に大御所以上のお金を払えない。
そのため、Aという漫画雑誌では、最高のページ単価が3万円になり、それ以外はすべてそれ以下の値段となった、というわけだ。

いずれにせよ、このような流れで、今もって漫画雑誌のページ単価は、実際の市場よりもかなり低く設定されているらしい。

そんな話をしていたら、今度はAV監督から面白い話を聞かされた。
AVの女優なんて、普通は1日拘束されて何発も絡みまくって、20万円ぐらいだそうだ。この半分以上がプロダクションなどにはいるため、女優の懐に入るのは5万とか、7万とからしい。
また、レズもののビデオだと、男役の女優と、女役の女優のギャラは10万ぐらい違うらしい。前者が20万ぐらいで、後者が10万ぐらい(レズの場合は絡みがないので)。しかし、これまたプロダクションが半分以上とるわけで、結局は数万円のギャラにしかならないという。
ちなみに、男優なんかは1万か2万円ぐらいだそうだ。汁男優の場合は一発数千円という計算らしい。

また、フリーのスタッフの値段もさまざまだそうな。
AVには、フリーのADというのがいて、これが日給で2万円ほどなんだそうな。
しかし、フリーのADならプロダクションをはさんでいないので、手取りのお金はレズ物のAV女優とほとんどかわらないということになる。しかも仕事はAV女優よりもあるわけで、総収入では女優より上なわけだ。

監督の場合は、ちょっと別格。企画から編集までからんで、2、30万円ぐらいだそうな。
昔はカリスマ監督なんかがいて、一人で膨大なお金をとっていた。しかし、今はAVの不況なのでそういう監督は外されてとにかく安くあげることになっているらしい。
そのため、AV監督の中には職を失って、病気になって入院してしまったり、失踪してしまったりする人もいるんだそうな。まさしく下剋上ではないか。

漫画にしても、AVにしても、なかなか彼らの財布の中身は表にでてこない。
一見するととても華やかな感じがするけど、裏を返して見ると、シビアな世界が広がっていたりする。
でも、だからこそ、話として面白い。



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2008年06月26日

才女と悪童

小学生の時、背が高くて頭のいい女性がいた。松岡さんという人だ。
担任の先生は相当その子を気にっていて、毎日のように「お前ら授業を聞く気はあるのか! 俺は松岡と二人で授業をやってんじゃねえぞ」と怒鳴り散らしていた。それが先生の口癖だった。
まあ、才色兼備そろった女性である。中学二年の時から違うクラスになり、その後風の噂で早稲田に進学したということを聞いていた。

一方、そのクラスにとんでもない悪ガキがいた。
ケンカはするわ、先生の煙草を盗んで吸うわ、しょっちゅう万引きでつかまるわ、学校でウィスキーを一気飲みして泥酔してゲロを吐いて見つかるわ、学校の便所に火をつけてボヤを起こすわ、あげくの果てに全科目テストを白紙でだすわ。
そういえば、そいつは小学校から盗んできたカラースプレーで、通学路の途中の電柱という電柱に「SEX」と書きまくった。その後、その悪事がバレて、親と一緒に除光液をもって消しに行く羽目になった。さすがに彼は「SEX」という文字が恥ずかしく、思わず「これ、SFXと書いたんだよ」と必死に言い訳をしたという。
まったく目も当てられない&救いようのないバカである。
だが、実は、そいつが私なのである。

まあ、今からさかのぼること二十年前、松岡さんが「才女」だったら、私は「悪童」以外の何者でもなかった。対照的な二人である。
もちろん、こんな二人の人生がどこかで重なるわけもない。まったく違う道を歩いていくのだろう。疑いもなくそう信じていた。つい先日まで。

ところが、である。

先日、真夜中にうちの弟からメールが来た。
「実は、たまたま光太の小中学校の同級生の松岡さんという人と酒を飲んだ。ムチャクチャ美人だった。今は、旅物の本をだして、色んな雑誌に旅行を中心とした文章を書いているんだそうだ。光太に会いたがっていたぞ」

え? 松岡って、あの松岡?
驚いた。まさか「才女」と「悪童」が二十年後に同じ出版業界で、同じように海外を舞台に文章を書いているとは想像だにしなかったからだ。
しかし、思い出してみたら、松岡さんというのは、才女は才女でも一風変わった人だった。なんというか、「わが道を行く」タイプだった。いわゆるエリート路線をひた走るような人ではなかった。不思議なオーラをもっていた人だった。

名前を検索してみたらホームページがあったので、それを見て「やはり、思った通りだ」と思った。
七年前、ちょうど私が処女作の取材をするためにアジアを旅していた時、彼女は新婚旅行で二百日かけて世界中を回ってそれを本にしていたのである。
もしかしたらどこぞやの国ですれ違っていたかもしれないな。そう思ったら、おかしくなった。

弟に松岡さんのメールアドレスを教えてもらって連絡をとってみた。
そしたら、才女から返信が来て、悪童に会ってくれるとのことだった。うれしいことに、私の本も読んでいてくれていたらしい。ありがたいことだ。
私も早速松岡さんの本を注文してみた。才女が二年間かけて回った足跡を本でたどれるのかと思うと今から楽しみである。

こういう「再会」があるたびに、人生っていうのは面白いものだな、と思う。
他の業界のことは知らないが、出版の世界では本当に人と人がつながっていく。ありとあらゆる人が「友達の友達」だったり「兄弟の友達」だったり「昔の友達」だったりする。怖いぐらいつながっていく。でも、それを体験する度にうれしくなる。幸せな気持になる。

くだんの才女に会うのは、来月である。
それまでに「俺は昔の悪童時代とは違うんだぞ」と思わせる再開の言葉でも用意しておきたいところだが、いまだに才の字ひとつない私には過去を覆すセリフがまったく思いつかない。悪童は所詮いつまでたっても悪童のままなのである。
たぶん、15年ぶりに会って、また醜態を見せて別れることになるんだろうな、と思う。
でも、まあ、何年経っても「才女」と「悪童」の関係が変わっていないと認識するのも、また良いものなのかもしれない。


勝手に紹介しますが、もしご興味があれば↓

してみたい!世界一周


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2008年06月15日

本の削除&訂正

さて、今日は「物乞う仏陀」の文庫版で収録したハンセン病の話についてご説明します。

この話は、単行本の刊行の際にも用意されていました。
しかし、その中の一部の記載が問題になったのです。文庫版でも削ってありますが、僕がハンセン病の村にいった時に、患者たちの子供にも少なからず同じ病気の人が含まれていたのです。

しかし、今のハンセン病の建前では、ハンセン病は基本的に感染しないものとされています。
(詳しいことは専門書などをご覧ください。ここらへんは非常にデリケートで複雑な問題ですので)
そのため、もし実際にハンセン病患者の子供に患者が含まれていたとしても、ノンフィクションといえどそれを書くのはマズイだろいう、という判断になったのです。
それでこの原稿は初めの段階で用意されていたにもかかわらず、まるごとカットということになりました。
万が一「出版さしどめ」なんてことになった日には目も当てられませんからね。

しかし、いろんな理由から、今回の文庫化に当たってはその話を復活させることにしました。
ただ問題がなくなったわけではありません。従って、収録が決まったとき、問題となった箇所をごっそり削るということになりました。
しかも、その時僕がアフリカに滞在していたため、大幅に書き換えることもできず、とりあえず削ったものをそのまま掲載ということになりました。
もしかしたらそのせいで文章がちぐはぐになっていたり、あるいは流れがうまくいっていない箇所もあるかもしれません。その点については、どうぞご容赦ください。

このほかにも、ハンセン病については、本当に問題が多いですね。
実は、その話の次に収録されているキリスト教関連の施設についての短編でもハプニングがありました。
「聖書」のなかには、むかしからよく引用されていたハンセン病についての記述があります。
ハンセン病患者は衣服を破いて、鈴を鳴らしながら「私は汚れている」といって歩かなければならない、みたいな文章があったんです。
僕はその文章に対応するような形で、ミャンマーにおけるキリスト教系の施設についての短編を書いたのです。

ところが、校了の前夜になって、編集を担当してくださった方から連絡がありました。
なんと「聖書」の記述がいつの間にか変わっていることが発覚したのです。
少し前の「聖書」にはたしかにハンセン病と書いてあるのに、最新版の「聖書」のなかには「ハンセン病」とか「らい病」といった記述が一切なくなり、その代わりにその箇所がすべて「重い皮膚病」になっていたのです。

これには本当に参りました。
重い皮膚病ってなんだよ、って感じですよね。
ハゲでしょうか? 水虫でしょうか?
だったら、僕も衣服を割いて、鈴をならして「私は汚れている」といわなきゃなりません。そんな。。

※とはいえ、これには、いろんな深い議論があります。たとえば以下をご覧ください。
http://www.eonet.ne.jp/~libell/8meisyou.htm
僕は「思い皮膚病」だろうと「らい病」だろいうと、要はそういう歴史があったことが問題なわけで、病名云々の議論じゃないと思っているのですが。

しかし、まぁ、いくらブーブー言っても、聖書からハンセン病という言葉が消えた事実がゆらぐことはありません。
編集を担当してくださった方はこういいました。

<「聖書」の記述が返られてしまっている。「聖書」のなかの差別表現がなくなってしまっているのだ。こうなってしまった以上、本のなかにそれを記すことはできない。万が一文句を言われて出版差し止なんてなることもあるから。前後のバランスはくずれるけど、とにかくこれに関連する箇所を削ったり、書きなおさなければならない。しかし時間がない。数時間後には出さなきゃならない。なので、それらの作業はこっちですべてやっておきます>

仕方ありませんよね。
ただ、ハンセン病が関係するミャンマーの章は次々とこんなことが起こり、削りに削り、書き換えに書き換え、原型をとどめないばかりか、筋すら通らない箇所まででてきてしまいました。
単行本をだしたとき、何度か「あのミャンマー編だけ『浮いている』のはなぜか」といわれましたが、そこらへんに理由があるのです。

まぁ、それでも懸命に調べたことが文章になるのは嬉しいことですね。
どれだけ体裁が悪くなっても、やはり文庫化に際してあの短編が復活したのはうれしいことです。
何よりも、インタビューをしたハンセン病の人たちに「悪いなー」と思っていたので、ようやく恩返しができたというような気持ちでいます。



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2008年06月10日

『物乞う仏陀』文庫版

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物乞う仏陀 (文春文庫 い 73-1)



この度、処女作『物乞う仏陀』が文庫になりました。
文春文庫です。むかしから、「文庫」というものに憧れていたのでうれしい限りです。
とはいっても、実はアフリカにいる間に文庫化が決まり、校正も何もかも全部出版社任せで、僕はちょっとした言葉の訂正ぐらいしかしていないんですが(苦笑)。

文庫化に際しての変更点は以下です。

・ミャンマー編にハンセン病の短編を追加
・表紙の写真を並べ替えた
・誤字脱字の訂正などをした

大きな違いはありませんね。
新しく追加したハンセン病の短編については、後日このブログで簡単にご説明いたします。



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2008年06月02日

絵描き

旅行人158号特集グアテマラ

旅行人の今年の号がでた。
表紙の絵、素敵じゃないだろうか?

旅行人では、昔からこうした絵がよく紹介されている。
バングラデシュのリキシャの後ろに描かれた絵などもガイドブックで紹介していたっけ。
校正のやりとりをメールでしていたとき、蔵前さんに素敵な絵ですねといったところ「この絵は本当に絵が好きじゃなければ描けないですよ」とおっしゃっていたけど、そのとおりだと思う。
可笑しい絵である。だけど、見る人に可笑しいと思わせるというのはものすごく大変なことである。ちょっとやそっとの才能があってできることじゃない。ものすごい努力を積み重ね、絵に対する愛情をもっていなければできることじゃないのだ。

そういえば、蔵前さんもご自身で絵を描く。
多くの本では、文章とともに絵も載せている。この絵がまたいい。
そういえば、前回紹介した映画監督になった友達も大手漫画雑誌で漫画を描いている。立派な漫画家でもある。

僕は絵を描ける人にあこがれる。
自分の親父が舞台美術家で、絵を描いているのを見て育ってきたからだろうか。
だけど、残念なことに、絵だけはだめである。絵と短距離走と数学だけは、涙が出てくるぐらいヒドイ。
だからこそ、逆に憧れも人一倍あるのだ。

ともあれ、僕も連載の二回目を書いていたりしますのでご興味があれば。



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2008年05月30日

海外の食

ここに変なものを飲んで体調を崩したと書いたからだろうか。
知り合いから、何度か大丈夫か、といわれた。大丈夫なわけがないが、いつものことである。


そもそも、現地の人たちのなかに溶け込むということは、どれだけ食うか、飲むか、歌うかということである。
非合法酒を飲んだと書いたけど、別に珍しいことではない。まぁ、二日に一度は飲む羽目になる。(ただ、今回のは洒落にならなくヒドイ品だったというだけの話だ)
朝市で真っ赤にさびた水を飲み、下水でつくった紅茶を飲み、ゴミからひろってきた朝食を食べる。それが連日朝から晩まで。なので、最近は腐ったものを食べたぐらいじゃビクともしなくなった。


そんなことしてたらいいダイエットになるでしょ、ともいわれる。


これがとんでもない。逆に太って帰るのが常である。
取材をしている時は朝五時に起きる。路上で寝ている場合は暑くて、痒くてそれ以上寝ていられない。宿に泊まっている場合も、彼らがおきる時間に合わせなければならない。だから大体五時起きなのである。
人々が寝るのは、大体夜の10時、11時である。本や原稿のなかだと、一人、あるいはひとつの場所に滞在しているように描いている。しかし、実際は同時進行でさまざまな人や場所を取材している。(そのなかで使えるものだけをピックアップしているのである)
たとえば朝5時から7時は乞食、8時から10時は福祉施設、11時から1時は麻薬の売人、それから3時までは売春宿、といった感じである。
で、ここでやっかいなのが、どこへいっても食べ物を出されるのである。
乞食だろうと、麻薬中毒者だろうと、娼婦だろうと、とりあえず食べ物でもてなしてくる。
特にイスラームの場合はすごい。イスラームでは食べきれないだけのものを出すというのが客への礼儀なのである。
もちろん、現地に溶け込みたい僕としては断るわけには行かない。それで2時間ごとに腐った飯やら果物やらを食べる羽目になるのである。酒もしかりである。
いくら腐ったものとはいえ、これだけ食っていれば、ちょっとやそっと下痢してもまだ体重はプラスである。
困ったことだ。


これと似たようなことで、さらに困るのが麻薬である。
読者のなかには、さぞかし僕が酒を飲んだり、麻薬をやって楽しげに見えるのかもしれない。
しかし、とんでもない。麻薬というのは、気持ちよくなるには、それ相応の環境とブツが必要なのである。
いつ殴られて殺されるかもしれないような場所で、取材対象者の悲しみや苦しみを全部背負った上で、とんでもなく質の悪い麻薬を吸ってみたらどうなるか。
バッドトリップするのである。
バッドトリップというのは、わかりやすくいえば麻薬の効果が逆に出ることだ。究極のパニック状態である。これはなったことのある人にしかわからないと思うが、言葉にできない苦しみだ。地獄の苦しみである。体の毛穴という毛穴から血が噴出してもだえ苦しむような状態に何時間も陥る。
不法地帯の人々を取材していれば、当然のごとく麻薬を差し出されて、「さあ、お前もやれよ」とすすめられる。
断れば、相手は信用してくれない。
それで、やる。
泣いて土下座して勘弁してくれ、といいたいが、いえない。
で、地獄を見る。


ちなみに、よく「どうやって現地の人のなかに溶け込むのですか」と聞かれる。
いろいろと方法はあるけど、最低条件は「彼らでもやりたがらないことを積極的に彼らのためにやる」ことである。
売春婦の取材なら売春宿の掃除になるだろうし、乞食の取材ならひどい感染症の物乞いの身の回りの世話ということになるだろう。
とにかく彼らでもやりたくないと思うことを率先してやるしかない。
そこで信頼がうまれる。そして、飯と酒が出される。
当然、食い、飲む。
倒れる。
で、描く。


まぁ、外国にいる間はほとんどこんな毎日である。
なので、たまに「好きなときに海外にいけていいですね」とか言われると、殴り飛ばしたくなる。
だったら、お前がやってみろ、と言いたくなる。
「取材が浅い」なんていわれた日にゃ、ドロップキックものである。
けど、人間不思議なもので、嫌な思い出つうのは数日すると忘れてしまうものである。そして、また行きたくなる。

ともあれ、こういう形で海外について描くのは、たぶん、これが最後だろうと思う。
いま進んでいるいくつかの企画が終了したら、日本を題材にするつもりだ。もしその後にまた海外をやろうとしても、また別のやり方になるだろう。
そう思うと、ちょっと寂しく感じたりする。



そーいえば、すっかり忘れていたことがありました。
前もちょっと書きましたが、僕の大学時代の友達が映画監督になって、ハリウッドのワーナーブラザーズの配給をうけて映画をつくりました。以下です。

http://www.shinigaminoseido.jp/

もう終わっちゃったかな(笑)。ま、DVDになったら借りてみてみてください。
大学一年のころから仲良くしていて、学生時代は一緒に同人誌なんかをつくっていました。
そーいえば、彼がこの映画をつくっているときに、一度赤坂で飯を食いながら映画の話をしました。
そしたら、ビデオレンタル屋って、ちゃんと作り手に著作権の費用を払っているそうですね。何枚借りられたらいくらという具合に監督にもお金が支払われるそうです。
うらやましい(笑)。本とぜんぜん違います。本なんて、図書館でいくら借りられても一円も入ってきませんからね。

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2008年05月24日

インドネシア人看護師

日本では、ついにインドネシアからの看護師の受け入れが決まったようですね。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080523-00000921-san-soci

すでにほかの国では同じことやってますよね。
インドネシアで思い出すのは、「神の棄てた裸体」の取材でスラムに泊り込んでいた時のことです。

ある美しいインドネシアの姉ちゃんが僕を見つけると走ってやってきて、突然中国語でしゃべりかけてきました。
実は、この女性、看護師の資格をもっていて、出稼ぎ看護師として台湾に長い間滞在していて、帰ってきたばかりだったのです。
それで僕を台湾人か中国人と間違えて、うれしそうに話しかけてきたのです。

話を聞いてみると、このスラムで生まれ育ったとのこと。
一日中数センチのところで電車が猛烈なスピードで通り抜け、時には警察が火をつけて追い出そうとする。夜は売春外に変貌。
そんななかで、それこそ月の明かりで教科書を読むようにして勉強して、なんとか看護師の資格をとって、海外に出稼ぎにいけるまでになったのだとか。
本当にすごいことです。

おそらく、インドネシアについでフィリピンが解禁になるでしょう。
その時、あのスラムで出会った女性のような人が海を渡って、日本の地方病院なんかに勤めるんだろうな、と思うと、いろいろと考えさせられます。

もちろん、文化の違いなどいろんな問題があるでしょう。
けど、鉄道沿いのスラムで暮らしながら死に物狂いの努力をして看護師の資格をとった彼女たちにしかできないこともたくさんあるはずだと思うのです。
あと何年もすればいろんな文化摩擦がうまれて問題になるでしょうけど、マイナスの部分だけじゃなく、彼女たちがもっているプラスの部分にスポットライトをあててくれる記者がいればいいなと思います。
それこそメディアに携わる人間がやるべきことだと思うんですけどね。

ともあれ、がんばれ、インドネシア人!

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2008年05月07日

参ったなぁー

いやはや、今回は本当に参った。
行く先々で、とんでもないことが起きまくる。調べ物どころじゃない。

ケニアにいた時は、暴動がおきて、スラムでムチャクチャな虐殺が起きた。
パキスタンの時は、ブットが暗殺され、政府はそれに乗じてアフガン国境で激しいオペレーションを展開。
ウガンダにいた時は、なんとエボラ出血熱が流行。
さすがにトルコは大丈夫だろうと思ったら、数十年ぶりの大雪で身動きとれず。
イエメンでは、日本の船がロケットランチャーで狙われた影響でビザをとるのにやたらと時間がかかった。
ジンバブエに行こうとしたら、例の選挙の不正である。秘密警察がウヨウヨしている中で調べ物などできるはずがない。諦めた。
インドだってそうだ。調べ物がようやく終わり、いざ必要な写真を撮りにいこうとしたら細菌性のムチャクチャな下痢。3週間も日に20回も便所にいく状態で写真撮影などまったくできなかった。
そして、いま、ミャンマーに向かおうとしている。ところが、前代未聞のサイクロンである。あの国で公表死亡者が2万人だったら、実際の数字はどれぐらいになるのか。現地で通訳をしてもらう予定の十年来の友達には連絡すらつかない。たぶん家が崩壊して路頭をさまよっているのだろう。ビザは下りないだろうなー。

今回は、本当にヒドイ。
どこへ行ってもムチャクチャである。

おかげで当初の予定の7割を変更する羽目になった。
一体これでどこまで面白いものが書けるのか不安だが、そんなもの言い訳にならない。失敗すりゃ、こっちが大赤字をだして終わりである。
つくづく、「勘弁してくれよ、世界情勢&異常気象」と思う。こういうときほど文献を駆使して書く人を羨ましいと思うことはない。それはそれで大変なんだろうけど。

このなかで、唯一世界情勢&異常気象でないのが、インドである。
下痢ぐらい気をつけろ、といわれるかもしれない。
しかし、これがやむを得ぬ「名誉の負傷」なのである。

実は、ある人たちを調べていたところ、そいつらが密造酒をつくっていることがわかった。
当たり前だが、路上生活者たちがつくっている密造酒なんて、想像だにできないほどヒドイものだ。
私が見たのは、なんと下水で薄めた椰子の果実に、錆だらけの鉄片を沈めて、そのばい菌で発酵(というより、腐敗)させたものである。
ペットボトルのなかの液体は白というより黄ばんでいて、脂と錆とゴミとハエの死骸が浮かんでおり、ニオイは下水や公衆便所よりも悲惨なものだ。どう考えても一発即死の代物であった。
たぶん、日本の公衆便所の水の方が10000倍清潔だと思う。

実は、一身上の都合により、これを飲まなくてはならなくなったのである。
これを飲まなければ、ある調べものができない。それができなければ話がつづかない。そういう壁にぶち当たったのである。
もちろん「飲めませんでした。だから調べられませんでした。よって書けませんでした」なんつう言い訳が通じるはずもない。
「客がきませんでした。売れませんでした。利益でませんでした」と言うようなものである。そんなバカな雇われ店長を許す社長はおらんだろう。出版社だって読者だって同じだ。
なので、ヒンドゥの神々に祈ってから鼻をつまんで目を閉じて一気に飲んだ。1リットルを5秒で飲み干した。他に選択肢がなかった。
密造酒が胃に落ちた瞬間に、「こりゃ、ヤバイ」と感じた。私だって伊達に外国をふらふらして調べ物をしているわけではない。イカンという瞬間ぐらいわかるものだ。これは、本気でイカンものであった。けしからんぐらいにイカンのである。

翌日の昼から悪夢がはじまった。これが、本当にすさまじい。
ゴロゴロとかいうかわいい下痢じゃない。まるで独裁政権が民主化運動をする民衆を弾圧するためにつかう強力な水攻撃である。消防車の噴射の100倍は激しいものである。「バスッ」という発射音とともに一瞬で全身の水分が飛んでミイラになる。そんな下痢である。

私は激しい下痢はなんども経験がある。一度は死に掛けたこともある。だから対処法はある程度わかっている。
あらかじめ買っておいたミネラルウォーターに塩をいれて食塩水をつくる。体が吸収しやすい水をつくるのである。そしてあとは断食。ひたすらその食塩水を一日に何リットルも飲む。そうやって菌をすべて排出してしまうのである。プラス日に三回抗生剤を飲む。これで一週間我慢すれば、まずほとんどの下痢は治る。

ところが、今回の菌は、どうも予想だにできないほどのツワモノらしい。
どれだけ水で流そうとしても、ばい菌どもはまるで鯉の滝登り、あるいはハワイの高波に挑むサーファーのように、食塩水の洪水に抗って胃や腸にとどまりつづける。
2日目には熱がでて、全身の関節痛。クラビット、ロキソニン、ラックビーを胃に投下するが、泣きたくなるほど効果なし。挙句の果てには、日本から仕事の催促はくるわ、別のハプニングは起きるわ、もうムチャクチャである。
肛門の水噴射は30分おきに来るので、その短い間に、それらを処理していかなくてはならない。

便所→メール打ち→便所→原稿を書き→便所→失禁・驚愕→便所→パンツ洗濯・屈辱の涙→便所→校正→便所→食塩水作り→便所→仕事仲間に指示→便所

こんな状態である。
まぁ、今はようやく峠を越えたが、それでもまだ一日に15回ぐらい便所へ行っている。
1時間取材して、ホテルに買って便所にいって、また1時間取材して、ホテルに帰る。そんな状態である。ウルトラマンになった気分だ。

しかし、この激しい下痢を体験しながら「20代のときは同じことをしていても、ここまでひどくならなかったよな」と思った。

そういえば、20代の前半、どうしても外国を舞台にしたノンフィクションを3作やりたいと思った。
自分なりの方法論をつくって1作やっても「石井の方法」にはならない。けど、3作やれば、賛否はあれど「石井の方法」として認めてもらえる。誰かに真似されても「け、俺の考えた方法でやりやがって」と言える。だから自分なりの方法で3作連続してやりたかったのである。
ただ、そのとき、なんとなく「20代で全部片付けないといけないな」と思った。30過ぎてやったら体がもたないと思ったのである。
計算上、1作目を25歳で取材し、2作目を27歳で取材し、3作目を29歳で取材する。そうすれば間に合う。そう考えた。

1作目、2作目は20代のうちにできた。
だが、1作目と2作目の間で予定外のハプニングが起きて1年半を棒に振った。
正確にいえば、1作目は25歳でやったが、2作目は28歳になってしまったのである。
そのせいで、3作目は30歳になってしまった。
で、今このザマである。

そう考えると、20代の前半で漠然と「30過ぎたからこの方法は体力的に無理だな」と思っていたことが的中したのかもしれない。
直感というのは、的を得ていたりするものなのである。

僕は今年の2月で31歳になった。
たぶん、ノンフィクションを書く人間としては、若い部類に入ると思う。自分が歳をとっているという意識は皆無である。
ただ、調べる題材、方法においては、その年齢が合っているかどうかということが別にある。いまやっていることは、題材においては合っていると思うのだけど、方法においてはちょっとズレがあるかもしれない。薄々そう感じている。
もちろん、そのズレというのは、たぶんどんな人にも起こりえることで、これからも起こるはずのことだと思う。何の仕事だってそうだ。要は、そのズレをどうやって違うもので補い、修正していくかということだと思う。
これがベテランの味となっていくのだろう。

早くそうなりたいものだが、残念ながらわが肛門はそんな余裕がうまれるほどに締まりをよくしてくれない。緩みっぱ、ひらきっぱ、である。恥ずかしいほど開放的である。
このままじゃ、成田で検疫行き、挙句の果てに隔離病棟である。
実に、参った。


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2008年04月29日

ガンダムエースの思い出

コメントに質問がありましたので、こっちに回答を書きます。

「ガンダムエース」という漫画雑誌に、ガンダムの作者の富野由悠季さんとの対談が載っています。
(ただ、僕は海外にいるので確認していません。こちらのブログのコラムで質問をうけて初めて発売日を知りました。3月の一時帰国のときに対談し、先月メールで校正したので、そろそろだとは思っていたのですが→いい加減でスミマセン)
お察しのとおり、富野さんが「神の棄てた裸体」を読んで対談の話をもってきてくれたのです。

富野さんは、一言でいえば、とても誠実な方でした。
あれほど繊細で、やさしくて、気を遣っている方は珍しいと思います。
富野さんといえば、それこそ宮崎駿さんに匹敵するようなアニメ界の「巨人」です。
(一説によると、なんとガンダム市場だけで4兆円にもなるそうです。これは出版業界全体の市場よりもはるかに大きなものです。すごいですよねー)
にもかかわらず、2、3時間の対談の間、ずっと人一倍ライターの方や、角川の編集の方や、カメラマンの方に気をつかっておられたのが印象的でした。自分の子供よりも年齢が離れているような僕に対しても終始敬語で話してくださいました。
正直、どんな一般社会で考えても、あんなに立派な方はそうそういません。

実は、対談する前に知り合いから「相当パワルフな方らしい」と聞かされていました。
たしかに「パワフル」だと思います。
だけど、それは本当に世の中をどうにかしなきゃならないという思いを真剣に抱いているからこそ、自分の繊維のような細くてやわらかい心を隠して、目の前にあるテーマに打ち込まれているからだと思います。しかし、その一方で内面に繊細さとやさしさを抱えている。
そこがものすごく魅力的でした。

ひとつ記憶に残っているのは、富野さんが終始「自分はディスクワークの人間で世の中を知らない。だから外に出ている人に色んなことを教えてもらいたい」と仰っていたことです。
僕は世の中を知るには必ずしも現実的な意味で「外にでる」必要なんてないと思いますし、そもそも富野さんぐらいの人であれば否応にも「外の世界」の方から接触してくることになると思います。
それに外の世界を知らない人があんなに長年にわたって人の心を揺り動かすものをつくれるはずがありません。また、あの方の活動を知っている人なら、あの人ほど外の世界を知っている人も珍しいと思います。
にもかかわらず、いまだに「自分は外の世界を知らない」といい、30歳以上も離れているガキのような僕に対して「教えてください」と敬語でいう。
これは、ものすごいことですよね。

考えてみてください。
一般企業でいえば、本田宗一郎が世界のホンダをつくりあげたあとに、31歳の無名の営業マンに「自分は機械屋なので、営業のことはわかりません。どうぞ営業について教えてください」と頭を下げるようなものですよ。
おそらく富野さんが、人の何倍も真剣に物事にとりくみ、向上心をもって、人の気持ちを考えることができるからこそ、そういう姿勢を貫けるのでしょう。
本当にすごいことです。

正直な話、僕はアニメに詳しくありません。
ぶっちゃけいうと、ガンダムについてはまるで知りません。
しかし、仮に富野さんから「ガンダムの作者」という肩書きをはずしたとしても、上に書いたような意味で、僕は「人」として富野さんほどすばらしい人は滅多にいらっしゃらないと思っています。



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2008年04月22日

改めてお願い

かねてから「ハンセン病」「お遍路」「被差別部落」をキーワードに本をつくりたいと考えていました。
時折その旨をホームページやブログで書いているため、各方面から何件かお返事を頂いております。
なかには療養施設でご勤務された経験がある方や、ハンセン病を専門に研究なさっている方からのご連絡などもありました。
本当にありがたい限りです。

これについて少々ご説明したいと思います。
現在、アフリカを中心にした書き下ろしのノンフィクション、インドに焦点にしぼった雑誌連載のノンフィクションを執筆のために海外に滞在しています。
おそらく夏前ぐらいに帰国し、この二つの執筆にとりかかることになるかと思います。
予定では来年の春から夏ぐらいまでに一段落つけるつもりです。

また、これとは別に、2冊ほど単行本と新書の企画が通っています。
こちらは帰国後に打ち合わせをして、スケジュール等を決めていくような運びになりますが、おそらく上記ノンフィクションの執筆とある程度重ねて行うことになると思います。

こうしたことを考えると、来年の春から夏にかけて、現在進行中の仕事にある程度の見通しをつける。
その上で、「ハンセン病」「遍路」「被差別部落」をキーワードにした取材を開始するという流れになるかと思います。
(あくまでも、すべてが順調にいくことが前提ですが)

そこで私の希望を述べさせていただくと、今年の秋から来年の春ぐらいにかけて、上記テーマの取材の下準備をはじめたいと思っています。
希望というか、まぁ、出版社ありきの仕事ですので、大体どこでどれぐらいの取材をするかをあらかじめ決めておかなければならないためです。
このため、これまでご連絡をくださった方々には、すでに上記旨を簡単にご説明し、秋から春にかけての間に当方よりご連絡を差し上げるということになっています。

また、すでにご連絡くださった方とは別に、現在もご協力していただける方を探しています。
もし上記テーマについて何かしらのかかわり、あるいはご関心をお持ちの方で、取材にご協力いただけるようなことがございましたら、ぜひご連絡をいただけないでしょうか。
取材地は四国が中心になる予定ですが、それ以外の地域を舞台にする可能性もありますので、「ハンセン病」「被差別部落」などのテーマにかかわりさえあれば、どんな情報でも頂きたいと思っています。
何卒よろしくお願い申し上げます。


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2008年04月07日

海外からの手紙

外国で日本語のメールを打てるというのは、とても幸運なことだ。
特に僕のような人間にしてみれば、日本にいなくても外国である一定の仕事ができる。
打ち合わせもメール、原稿提出もメール、校正もメール。それだけで一つの仕事が完了してしまう。
外国で仕事をしながら旅ができるのだから、これほど便利なことはない。

旅先でパソコンがつかえるようになったのはいつごろだろう。
90年代の終わりにもバンコクなどにはネットカフェがあった。ただ、ひどく遅く、まったくつかいものにならなかった。もちろん、日本語なんぞ打てなかった。
それができるようになったのは、2000年を過ぎたあたり。02年ごろにはほとんどすべての国でつかえるようになった。一部の国を除いてスピードも特に問題はなくなった。

そのおかげで海外にいても海外にいるような感覚じゃなくなった。
僕が大学生の頃は、連絡の手段は手紙しかなかった。インドの田舎なんかだと、5通だして1通届くか届かないかだった。
けど、だからこそ、その手紙がやたらと重要なのである。とくに恋人宛の手紙などは本当に貴重アイテムだ。
まず、これをださなきゃフラれる。しかし、単に出せば良いというわけじゃない。短い文面にいかにうまい言葉を凝縮するかが問題なのだ。
手紙というのは何度も読まれる。そして相手が海外でフラフラしている場合はすぐに返せない。だから一方通行のメッセージなのである。
このメッセージをいかにうまく書くかが彼女を引き止めておく方法だった。下手なことを書くと、その場でフラれる。しかし、うまいこと書くと、涙を流して手紙を飾ってもらえる。そして、語り継がれる。
文字通り「勝負」なのである。

両方の良いところを味わえたという点では、とても運がいいのかもしれない。

僕は今でも、この手紙というのが大好きである。
お礼状なんかは、手紙で出すようにしている。もちろん、手書きである。
メールでお礼を言われても、「ああ、この人は律儀なんだな」と思うだけだが、手紙だとなんだか嬉しくなるものだ。
また、手紙を書いている時というのは、なんだか自分まで嬉しくなるものだ。相手が喜ぶ姿を想像しているだけで心が小躍りする。

僕は海外へ行って自分のためにお土産を買うことはない。
しかし、葉書だけは別である。外国で面白い葉書を見つけるたびに、お礼状用に買っておく。
これは誰々にいなー、これは何々用にいいなー、と思って選ぶ。選んでいる最中に、手紙に書く文章まで思いつく。そして、一人ニタニタする。
僕の旅は楽しいことより辛いことの方が圧倒的に多く、旅を始めてから文章を書き終えるまではひたすら不眠症との闘いなのだが、この手紙を選んでいる時だけは旅の楽しさを感じられるのである。


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2008年03月20日

インド

久々にムンバイに来ています。
空港に降りた瞬間に、湿気と熱風とカレーのにおい。
懐かしいですなぁ。

実は、いま、同時に二つの企画を進めています。
ひとつがアフリカ〜アジアを舞台にしたもの。こちらは旅行記の三部作(と勝手に思っていますが)の最後になる予定です。
もうひとつが『物乞う仏陀』のラストのインドの話だけをクローズアップしたもの。予定では夏ごろから雑誌に連載します。
前者は書き下ろしの予定、後者は月刊誌で2年ぐらいの連載が終わった後に単行本化の予定となっています。どちらもうまくいけばいいですけどね。

しかし、今回インドに来た瞬間、ふと「これでインドは終わりになるかもなー」と思いました。
講演でも、エッセーでも、よく「インドについて何かできないか」と言われることがあります。
雑誌に書くときも「インド特集をやるので、そこで一筆」という具合に話がくることが多いです。
おそらく、もともとインドの需要が大きいのと、あまり人がやっていない分野について書いてきたからでしょう。

とはいえ、僕はインドの専門家ではありません。
インドだけにすべてを注ぐつもりはありませんし、そこまで思い入れもありません。
漠然と、「処女作のクライマックスを提供してくれた国」という印象があるぐらいです。
もちろん、ネタも多いですし、勝手知ったる土地なので、やりやすいことはやりやすいのですが。

ただ、個人的には、ここでど〜んとインドについて「僕なりの決定版」をやって、ひと段落つけたいと思っています。
もし成功すれば色んなところからこれまで以上にインドについての依頼がくるでしょうし、そうじゃなければインドとはしばしお別れということになるでしょう。
そんなものです。

僕はインドを好きでも嫌いでもありません。ただ、愛着はあります。
なんつうか、好きでも嫌いでもなかった昔の同級生と久しぶりに会うような感じです。
日常的に変な思い入れはないのですが、来てみると色んな懐かしさや思い出があふれてくる。
これはインドだけでなく、何度も訪れたことのある国はすべてそうですね。ミャンマーとか、パキスタンとか、イランとか、スリランカとか、タイとか。特に一度でも取材をしていると、すごくそんな感じがつよまります。
僕には田舎というものがありません。そう考えると、たぶん、インドをはじめとした僕にとってはお馴染みの国が「田舎」なのかもしれませんね。

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2008年03月13日

入試問題・続編

先日書いた入試問題が我が家に届いたので、早速解いてみた。
「この時著者はどう思ったか」とか「なぜ著者はこうしたのか」というような質問がくると我ながら照れる。
しかし、さすがに僕が書いていて、さらに登場人物の一人でもあるので、解けないということはなかった。
けど、中学生3年生にとって「インドの根底で生活する人と日本人の交流」の話なんて相当難しいだろうな、と思った。

で、ちょっと意地悪をして、周りの友人にも解かせてみることにした。
だが、何人かにやらせてみて、それがすごくツマラナイことに気がついた。
周囲の人たちの「偏差値」が異様に高いことに気がついたのである。

たとえば、僕が「数学が苦手」というと、本当に苦手なのである。
それこそ成績が「1」だったりするので、今でも分数の計算すらできない。
嫌いなものはとことんやらない主義で、好きなものだけをとことんやる主義だったのだ(だから成績は1か5しかなかった→笑)。
なので、「いや、この科目は苦手で無理ですよ」というのは、本当に無理であることを示しているのだ。

ところが、僕の周りの人たちはみんな東大・京大、あるいはオックスフォード、コロンビアの出だったりする。
悪くても早慶上智のレベルである。
彼らの「嫌い」とか「苦手」というのはまったくもって信用がならない。

たとえばつい先日も、「刺青」の話に登場した友達に「おい、おれの問題を解いてみろよ」といった。
その人は桜蔭を卒業して、国立大学の医学部に入った経歴をもっている。となると、「国語は不得意」といっても、僕なんかにしてみると全然苦手科目じゃないのだ。
数学や理科や英語なら100点を取れるが、国語なら95点、といったレベルなのである。
95点のどこが苦手なんだ、と言いたくなるが、その人にとっては苦手なのである。

ふと考えてみると、出版社の人なんかも同じである。
みーんな偏差値的には最高値である。最低で70ぐらいのレベルである。たぶん、僕がこれまで本名で仕事をした時の担当者の最低学歴レベルが早稲田と慶応だと思う。

正直にいって、僕はまともに就職したことがない。
なので、偏差値とか学歴というのが、どれだけ意味のあるものなのか、かいもく見当もつかない。
僕が生きてきた世界は登校拒否児だろうと大学教授だろうと、すべて「平等」だったのだ。「面白きゃいい」ので当然といえば当然だ。
そこには学歴の壁なんてまったくない。

しかしふと気がつくと、周りには超高学歴の人しかいない。少なくとも一緒に仕事をしている人はみんなそうだ。

僕は仕事の取材中「世界最低レベルの偏差値の人々」と一緒に暮らしている。
文字も読めないような人たちである。いや、自分の年齢や名前すら知らないような人たちである。
そう考えると、僕は日常的に「世界最低レベルの偏差値の人々」と「世界最高レベルの人々」と触れ合っていることになる。

ただ、この二極を見ている限り、僕は一度として「違い」を見出したことはない。
「世界最低レベルの偏差値の人々」におけるダメンズのパーセンテージも、「世界最高レベルの人々」におけるダメンズのパーセンテージもまったく同じなのだ。
バカはバカだし、いい人はいい人だ。
どっちがその率が高いかなんてことはない。同じぐらいバカもいい人もいる。
何にも「差」なんてない。

たぶん、違うのは給料の値段ぐらいである。
会社に勤めている人と話をするとよく年収の話がでる。
つうか、サラリーマンが2人集まって酒を飲めば、確実に一度は「年収」という言葉がでる。
それを考えると、たぶん「年収」がアイデンティティになっているのだろう。

だろう、というのは僕自身がその経験がないので知らないのだ。
僕は月給もボーナスももらったことがない。生まれて一度もない。
その年の収入もまったく違う。もちろん、日給だって、時給だって違う。

人のことだけじゃなくて自分のことも言えといわれるだろうから、ぶっちゃけると、たとえば今日は昼に一本簡単な仕事をした。時間にして1,2時間だろうか。
正確にはわからないけど、たぶんそれだけで5〜10万円ぐらい入ってくると思う。
明日は二つの出版社に顔をだして打ち合わせをするが時給ゼロ円である。もちろん、交通費は自腹。(しかし、晩しゃぶしゃぶを食えるらしい)
明後日は時給4万円。けど、同じ日の午前中に出す予定の企画書は何枚つくっても一円にもならない。
こんな状態なので、僕にはまったく年収アイデンティティというのがないのだ。そもそも確定申告で計算してみなきゃ、自分がその年にいくら稼いだのか想像もつかない。だから「たぶん」としか言いようがない。
(確定申告つったて、源泉徴収をださない会社も意外にあるので正確には永遠にわからない)

ともあれ、偏差値の差が生み出すものなんて、年収ぐらいだろう。
それも、日本においてはせいぜい3倍とか、4倍ぐらいの差だと思う。
(実は年収の平均もよく知らない。30代の契約社員が300万だとして、30代の一流企業の社員が1000万だとしてそれぐらいの計算になるのではないか?)

これだって、タクシーで帰るか、電車で帰るかの違いだろう。
あるいは、ビールを飲むか、ウィスキーを飲むかの違いだろう。
もしくはクラブでバカみたいにホステスの足をさわるか、頑張って出会い系サイトでメールをだしまくって相手を見つけるかの違いだろう。

僕のようないい加減な人間には、この差がまったくわからない。
たしかにタクシーなら寝れるけど、電車なら本を読むことができる。
酒なんて二杯目以降はドンペリを飲もうと、発泡酒を飲もうと同じだ。
クラブのホステスの足を触ってエロ親父と思われるのと、毎日せっせとメールを出して「キモイ」と思われるのとどっちが良いかなんかわからない。

けど、たぶん、彼らにとっては「差」が見えるのだろう。
だから今でも一生懸命に塾通いをさせる親がいるのだと思う。
そういえば、昨日駅から家に帰る途中の有名進学塾の前に親が百人以上行列をつくって子供がでてくるのを待っていたっけ。

しかし、僕にはまったくわからない。
普通に社会人として生きるには必要なのかもしれないけど、そもそも僕にその経験がないので、「いい子に育てば何でもいいんじゃん」と思ってしまう。
僕は「いい人」の条件は、金があるなしじゃなく、やはり「思いやりがあって、夢があって、勇気があるか」だけだと思う。
それさえあれば、どんな国でも、どんな社会でも、必要とされるだろうし、信頼されると思う。
もし僕が親になったら、単にそれだけしか望まないだろうなー。
たぶん、「能天気なバカ親父」なんだろうけど。

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2008年03月08日

刺青

先日、祖母が倒れて、病院に担ぎ込まれた。
いま、僕は確定申告やらゲラの校正やら取材やら雑務を片付けるために帰国しているのだが、その翌日にぶっ倒れたのである。僕の保持する「アフリカ菌」にやられたのかもしれない。

それはともかく、件のばあ様が検査ということでMRIを受けることになった。
その時、医者が突然こんなことを訊いてきた。

「おばあ様に刺青はありませんか?」

90歳ぐらいのばあ様である。まさか「ヨサク命」などというような刺青はあるまい。
なぜ刺青のことを訊くのかと尋ねると、医者いわく「刺青の墨には鉄分が入っていて、それがMRIに反応して火傷をしたりするんです」とのこと。
つまり、刺青をしている人というのはMRIが受けられないのである。

え? まじ?

という感じである。
早速翌日、仲の良い医者にその話をしてみた。
彼女は小児科医で、MRIも日常的につかっているらしい。
彼女いわく、「MRIは強力な磁力をつかうので、髪のピンなんかをつけたりすると、飛んでいって刺さってしまうこともあるから、絶対に金属は身につけちゃいけない」のだそうな。
また、もっと驚いたのが、彼女が刺青に鉄分が含まれていて、それゆえMRIがNGになることを知らなかったということだ。
MRIと日常的に接する医者ですら知らないのである。刺青屋が知っているわけがない。あるいは刺青をいれたいと思っている人が知るわけがないのだ。

これって、すごい大きな問題ではないだろうか。

MRIを受けられないというのは、命にかかわることだ。
もし刺青をすることで、そんな事態になるなら、事前に説明を義務付けるべきだ。
刺青屋が客にちゃんと説明をして、同意書を書いてもらう。そうでなきゃ、刺青なんてさせるべきじゃない。
なのに、今はすべて野放し。専門医以外だれも知らない。刺青屋も、刺青を入れたいと願う人も、まるで知識がないままに、体に絵を描いている。
おそらく刺青という世界が一種のグレーゾーンになっているからこそ、そうした問題が起きてしまっているのだろう。
刺青がいいとか、わるいとかいうことではなく、こうしたことはちゃんと広く伝えられるべきことだろう。

というわけで、今度ちょっとこれを調べてみたくなった。
刺青もそうだし、似たようなものも結構ありそうな感じがするからだ。
これについての情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、教えて下さい。コラムみたいなもんで、どこかで書かせてくれないかなー。


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2008年03月06日

はなし

時々、講演をしろ、という話が来る。
僕なんかビジュアル的によろしくないし、年寄りでもないので何を発言しても説得力に欠ける。
なので、僕なんかが話をしても意味ないんじゃないかなと思うのだが、意外にそういう話がくるのである。

一番多いのが、医療系の施設だろうか。
たぶんアジアの障害者についての本を書いているからだろう。
日本の最先端医療に携わっている人にとっては、180度異なる世界について知りたいという思いがあるのかもしれない。

話の内容については、色々と困ることがある。
本ならば相手が見えないので、何だって書ける。雑誌だって僕が書かせてもらえるような媒体なら相当自由がきくので、そんなこと考える必要はない。
不機嫌になる人は僕の知らないところで不機嫌になっているし、悲しむ人は僕の知らないところで悲しんでいる。

が、実際に人の前で話をするとなると、事情が異なってくる。
たとえば障害者のいる施設で「障害者になると物乞いをせざるをえなくなる」なんて話はしにくい。
まぁ、それはよしとしても、たとえばそうした障害をもった物乞いたちがお互いにレイプし合っていたりする現実も話しにくい。
もっというと、海外への援助金が、現地の人の買春費用に消えているなんて話はNGOなんかじゃしにくい。
話が重いぶん、直接人を前にすると、「いやー、これ以上はマズイかな」と思うことが多々あるのだ。

それに、僕は実際に体験している人間なので、たぶん感覚的には相当ズレていると思う。
この話なら問題ないだろ、と思ってしゃべると、相手がドン引きしていたりする。
女性からデートに誘われて、一流レストランで食事をしている最中に、「いやー、この食事うまいね。先週まで乞食と残飯食ってたからな―。残飯っていうのは、ネズミ殺し用の毒が入っていることがあるんだよ。運悪くそれにあたると死んじゃうんだよね。それに比べ日本の飯は安全で、うまい! 最高!」なんて言おうものなら、食事もデートもジ・エンドである。
講演となると、いわずもがな、である。

そんな時は、一般的に「ジョークでごまかす」という方法がとられる。
だが、講演に参加される方は意外にまじめだったりするので、僕のおっさんギャグが通じないことがしばしばある。
つまらないギャグやくだらないギャグならまだいい。僕の場合、一般社会と接点のない生活を送っているので、自分のギャグがまったく理解されないのである。
「つまんねー」という反応ではなく、ひたすら「?」という反応なのである。こういう視線は痛すぎる。
かなり悲惨なことになる。
ず〜ん、というムードと視線が僕に長らく直撃する。自己嫌悪に陥るしかない。

今回の一時帰国は2週間ほどだが、その間に2回話をすることになった。
初回は医療の専門家だけが集まって聞くもの。もう一つはNGOが主催する講座である。
前者はなんとか平穏無事にクリアした(と思っている)。後者は今週の末にある。
なんとか、うまく終わらせて、再び海外に飛びたいものだが、いったいどうなるのやら。

国境なき子どもたち10周年記念公開講座『シリーズ アジア』
http://www.knk.or.jp/japan/com/event/2007/series_asia.htm



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2008年02月26日

入試問題

先日、ある出版社からメールがきた。

本年度のある学校の入試問題にあなたの文章が使用されたので、テキストに使用する許可を頂きたい、とのことだった。

都内にあるかなり有名な進学校の入試問題だったらしい。
毎年東大に数十人も入学者を送り込むようなところである。

正直、自分の文章が入試問題になるなんて、これっぽっちも考えたことがなかった。
そもそも入試問題といえば、文豪の作品か、小林秀雄などの格調高い評論がほとんどである。

一方、私の文章なんて、例えて言えば、生ゴミのようなものだ。
股間だの、垢だの、精力剤だのという描写が最初から最後まで並んでいて、品もクソもない。むしろ、下品である。
どう贔屓目に見ても、入試問題に適しているなんてお世辞にもいえない。
なのに、名門高校の入試問題になってしまったのである。

件の作品は、『布団乞食』というものだ。
インドのコルカタにいた布団を買ってもらっては売っている乞食の女性についてのエッセーである。
ちょうど二年ほど前に文芸誌『新潮』に書いて、去年の春だったか夏だったかに『ベストエッセー2006』という本に掲載された。
考えてみると、この本は光村図書という教材関係もあつかっている出版社である。
もしかしたら、学校の先生というのは、こういう本から入試問題に適した文章を探しているのかもしれない。(まったくの推測である)

ともあれ、自分の文章がテストになったという思いがけない話をきいて、ふと思った。

これは喜んで良いものなのだろうか?

私は常々「中学生でも読んで何かを感じられる文章」を目指して書いている。
だから、一般的なノンフィクションにあるような時代背景の説明や、引用・統計や、国の事情などは極力排除している。小難しい話も一切しない。
その国がどこにあるのかも、その国の人間の肌が何色をしているかも知らない人にも、読んで何かを感じてもらいたいと思っているからだ。
そこがノンフィクションらしくないといわれるゆえんなのだろうが、私はそんな権威的なくだらないことよりも、誰もが読めて、誰もが何かを感じられるものをつくることを最優先しているのである。

恥ずかしながら本音をいえば、特に中学生、高校生に一番読んでもらいたいと思っている。
これまで私にとって一番うれしかった「書評」は、朝日新聞に高校生が拙著についての感想を投稿してくれた時のことだ。
どんなに有名な作家や評論家に賞賛されるよりも、そっちの方が何千倍もうれしい。

だが、テストに出題されるということは、「問題になるぐらいの理解しにくいもの」があるということになる。
もちろん、入試問題には吉本ばななさんのような文章も使われているわけだから、必ずしも難儀なものである必要はないのかもしれない。
そういう意味では、ちょっと安心していいのだろう。

けど、少なくとも文章を読んで、受験生が眉間にしわをよせてアタマをひねっている様子を思い浮かべると、複雑な気持になる。
「大丈夫だよ、そんな難しくないよ、肩の力を抜いて読んでくれ」と声をかけたい気持になる。
受験生の息子や娘をもつ親のような心境である。

ともあれ、今度入試問題をもらって、ちょっと解いてみようと思う。
自分の文章なので、まさか漢字の読み書きや指示語問題を間違えることはないと思うが、なんか不安だ。



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2008年02月06日

カラダの話

人間の体というのは、自然に「適応」してつくられたものだ。
皮膚の色も、体系も、なにもかも環境に適応して進化した形である。

が、それが悲しい。
とくに、僕のような純日本人的な体格の場合は悲しい。

僕は丸坊主なので、日光と、寒風にとても敏感だ。
なので、旅に出るときは、帽子をもっていくようにしている。
しかし、僕は物忘れがひどく、こと帽子に限っては、確実になくす。
今回は2つもっていったのにもかかわらず、到着後一週間で両方ともなくしてしまった。

前回はイスラームの取材だった。中東の人間は頭がデカイ。
なので、僕のような頭デッカチでも、ちゃんとサイズのあう帽子がある。
しかし、黒人は頭が小さい。僕がかぶると、まるでプロレスラーが子供用の帽子をちょんと頭にのせたような感じになってしまう。頭がでかくて被れないのだ。
おかげで頭皮を日焼けしまくって、一日が終わると、ペリペリと頭の皮をはがす毎日がつづいた。
時には、まだ死んでいない皮膚をはがしてしまい、頭皮から血を流してバンドエードを貼ることもあった。
宿の主人にギョッとした目で見られたが、仕方ない。
日本人(いや、僕の頭が特別なだけか)と黒人の体格の違いというのは、こんなところにも現実問題としてでるのである。

体格の問題で一番なのは、足の長さだろう。

外で飯をくうときは、テーブルというものが存在しない。
高い椅子の上にすわり、皿を膝に置いて、左手でコップをもち、右手で食べる。
黒人たちは足が長いので、高い椅子にすわっても、膝がつんと上を向くぐらいに立つので皿を乗せられるのだ。
しかし、足の短い僕はそうはいかない。座ると、膝が下を向いてしまう。黒人なら頭と膝の角度がL字型になるのだが、僕の場合は足が短いので「く」の字型である。そこに皿をおくと、落ちてしまう。
なので、一人で地面にすわって、あぐらをかいて食べなければならない。
地面は人々がすてた骨やら残飯やらで散らかっている。そこにすわり込んでたべなければならないのだ。

足の長さといえば、小便が痛い思い出としてある。
アジアや中東の場合は、いわゆる和式便所のようなところに小便すればいい。
しかし、アフリカはちゃんと小便用の便器がある。これが、非常に「高い」のだ。
彼らの足が長いからだろう。
(まさか、アソコが長いから、ということはあるまい。そうだったら実にショックである)
短足の僕には高さがあわず、しかたなくイチモツを握って、上にむけて、聖水を発射するしかない。

ただ、それだけならいい。
が、黒人つうのは黄色人種が珍しいのか、小便をしていると黄色いイチモツのサイズをチェックするために覗き込んでくる(インド人もコレをやってくる)。
僕はイチモツを握り締めて、懸命に上に向けて発射している最中である。
黒人は驚きのあまり絶句して、「おまえ、なにやってんだ」という同情のまなざしで僕を見つめてくる。
こんな時である。自己嫌悪に陥るのは。
欧州でもこういうことはあるが、のぞきこまれて、陵辱されたためしはない。実に、みじめである。
ちくしょう、この野郎、と心の中で叫ぶが、足の長さも、アソコの長さも勝てぬのだから、それを声にだせるわけがない。
俺の馬鹿野郎、である。

まぁ、明日からちょっとアフリカ滞在を中断して、パキスタンへ入るから、この屈辱とはしばしオサラバである。
ただ、パキスタンでは18日に大統領選挙が控えている。どうせ爆弾テロがおきまくるだろう。
その前になんとか脱出したいけど、まぁ、そんなうまくいくわけがない。まったく、どうなることやら。
今年一通りアフリカを終えたら、しばらくは日本を舞台にしたいと思っている。
ま、神様仏様、僕のアフリカでの屈辱を考慮して、何とか無事に終わらせてくれよ、と願う日々である。

インシャ・アッラー


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2008年02月02日

アフリカの夢

アジアの人間は、若くみえる方だと思う。
アフリカにうろうろしている中国人を見ると本当にそう思う。たぶん、20代半ばぐらいの女性でも中学生のように見える。30代でも20歳そこそこに見える。

僕は、日本ではかなり老けている方だ。
中学生のときに、すでに「おじさん」と呼ばれ、高校の時にキャバクラにつれていかれて社長と呼ばれた。しかも、流行にうといので、確実におっさんキャラである。
いまは、昔よりマシになったが、それでも7,8歳上に見られる。実年齢30歳だが、外見は38歳前後である。下手をすると、40歳以上にも見られる。

しかし、中東やアフリカにくると、それが逆転する。
なんと、若く(!)見られるのである。

何歳ぐらいに見られるかといえば、20歳そこそこに見えるらしい。
大学生か、それよりちょっと上ぐらいに思われる。日本だと8歳ぐらい上に見られるのが、逆に8歳ぐらい年下に見られるのである。
しかもアフリカの女性は、中東の女性と違って、すぐに「結婚しよう」といってくる。もちろん、日本に行きたいだけである。なので、口癖のように知り合ったそばから「結婚して日本へつれていってよー」という。
それでも、若く見られ、さらに「結婚しよう」とくるものだから、なぜか自分がイケ面になったような気になってくる。
しかも、ずっと黒人のなかにいるものだから、自分まで黒人のようなすらっとした8頭身のハンサムボーイになった気がするのである。

が、そんなときである。地獄を垣間見るのは。

町を歩いていて、ショーウィンドーに自分が映るのである。
それまで、20歳の8頭身のイケ面だと思い込んでいたのに、そこに映っているのは薄汚く日焼けしてメガネをかけた浮腫んだ男なのである。
腹が出て、脂ぎったエロい中国商人としか見えない。

まさか、これが自分じゃないだろ、と否定する。
現実と格闘する。
だが、ガラスに映った野郎は、まさしく自分そのものなのである。

海外はいろんな夢をもたせてくれるところであるが、一方で非情な現実も見せてくれるところである。
つくづく、若気の至りともいうべき思い上がりはしたくないものだ。


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