石井光太 − 旅の物語、物語の旅 −

あけましておめでとうございます。

昨年はみなさまのおかげで、ノンフィクション、小説、児童書、そして文庫本とたくさんの本を出すことができました。
心から感謝致します。

今年は、昨年で連載が終了した『世界の産声に耳を澄ます』(本のタイトルは変更する可能性あり)という世界のお産ルポの単行本化をはじめとして、いくつかの本を刊行、また連載企画も複数スタートする予定です。
新連載のノンフィクションだけでいえば、「小児の難病」「難民」「少年事件」「原爆」をテーマにした連載が春頃から次々とスタートする予定です。もちろん、それ以外も複数新しい連載がスタートする予定です。

そして、それとは別に、僕は毎年、何かしらに「挑戦」することにしています。
昨年は児童書のシリーズを3冊同時刊行、海外を舞台にした長編小説の刊行と、新しい試みをしました。
今年も、それに負けじと劣らぬ、そしてまたこれまでとはちがう挑戦をいくつか用意していますので、楽しみにしていただければと思います。
成功しても、失敗しても、全力でそこにぶつかっていくから、何かしらのものが見えてくるし、次につながると確信しています。
良いところも、悪いところもさらけ出し、それでも前に突き進んでいきますので、どうぞあたたかく見守ってください。

そして、ついに、僕も今年で40歳です。
40歳には30歳前後の若々しさはありませんし、5、60歳の円熟味も持ち合わせていません。
しかし、そのぶん、強烈な大砲をいくつも社会に向かって撃ち込める年齢だと思っています。
40代の10年間、僕なりに、やるべきことを全身全霊を込めてやっていきますので、応援のほどをよろしくお願い致します。

最後になりましたが、今年がみなさんにとって最良の年になるよう、心から願っています。



石井光太

12月22日発売の『小説宝石』(1月号)で、ライターの瀧井朝世さん(@asayotakii)による『砂漠の影絵』(光文社)についての著者インタビューが掲載されました。
版元と瀧井さんの了承の上、こちらに転載させていただきます。
なぜイラクの日本人人質事件をテーマに長編小説に挑んだのか。その思いを述べています。


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――石井さんの小説第二作『砂漠の影絵』、もう夢中になって一気に読みました。エンターテインメント小説として見事ですが、題材は実際にあったイラク人質事件です。なぜこのテーマを小説という形で書かれたのでしょう。

イスラム過激派組織による事件って、世界の構造を変えましたよね。
それまでは国家と国家、軍隊と軍隊が戦っていたのが、9・11以降はテロ対国家という構図になり、少数の人がテロや人質を使って国家を動かすようになった。
その歴史のエポックメイキングな変化を何らかの形で表現しておきたかったんです。
でも、ずっとノンフィクションを書いてきたとはいえテロリストに会いに行って人質になるわけにはいかない。
小説だったらテロリストの立場からも、人質の立場からも、それを批判する人たちの立場からも書けると思いました。

――物語の主軸は二〇〇四年、イラクのファルージャで日本人五人が“首切りアリ”が率いる武装組織に拉致された事件の顛末です。実際にあったどの事件が念頭にありましたか。

最初は二〇〇四年の香田証生さんがザルカウィの組織の人質となって殺害された事件をモデルにするつもりでした。
でも集団が捕まる設定のほうがいろんな関係が書けると思い、複数が人質になる話にしました。
二〇〇七年にアフガニスタンで韓国のキリスト教の集団が拉致された事件や、チュニジアでの銃撃事件などが頭にありましたね。

――拉致された五人は一室に監禁され、心理的に追い詰められていく。そこで人間として醜い部分も見せるし、壮絶な場面もあります。

五人のなかにジャーナリストは当然入れるとして、日本の企業の対応が書けるので商社マン、公務員はどう動くのかということで外務省の職員も出しました。
恋人に会いにイラクに来た二十二歳の女性は、香田証生さんの立場に当たります。
韓国人の集団が頭にあったので、クリスチャンでNGO活動をしている看護師の女性も出しました。
いろんな立場を象徴する五人にして、重層的にしたかったんです。
ノンフィクションだと実際の人物の言動をそのまま書くことしかできないけれど、小説上の人物の場合はうんと負荷をかけて、読者に「あなたならどう思うか」を問いかけられますから。

連載第一回を書き、掲載誌の発売まで数日という時にイスラム国に日本人二人が拉致されたというニュースが流れたんです。
それで、単行本にする際にプロローグとして現代の話を書き加えました。
ザルカウィの残党がイスラム国を形成しているので、触れないわけにはいきませんでした。


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――新たに取材はされたのでしょうか。

これまでのノンフィクションの仕事で実際に行ったり、取材して得た知識が基になっています。
たとえば最初のほうでタイ人の人質が殺される場面は、実際に殺されたネパール人がモデルです。
イラク戦争の時のアメリカ基地では、働き手が足りないのでネパールなどから貧しい人を雇っていたんです。
直接雇うことができないので間にインドやサウジアラビア、ドバイなどの会社をいくつも介在させ、給料も天引きしていた。
で、そうした人たちが拉致されたら、彼らは見捨てたんです。
それでネパール国内で反有志連合のデモが起きた。
僕はデモがアメリカ大使館を囲んでいるところに居合わせました。
パキスタンではペシャワールでタリバンと同じ民族の人たちに話を聞きました。
彼らからすれば「ビン・ラディンのやったことはひどいけれどアメリカがやっていることはもっとひどい」。
難民は難民でまた違うことを言うので、それらをまとめたくて、こんなに分厚い本になってしまいました(笑)。

――武装集団の動きが描かれるほか、アリが自らを語る声明も挿入されますね。パレスチナ難民の孤児である彼の生涯の物語も読み応えがありました。

香田さんを殺害したザルカウィをアリのモデルにするのが自然なんでしょうけれど、彼の思想はともかく、ヨルダンで生まれ育ったその人生は、かならずしも中東全体の問題を象徴しているわけではない。
それよりもっとアラブ人一般の考えを象徴する人物にしたかった。

中東の問題の根底にはあるのはパレスチナですよね。
だからアリはレバノンでパレスチナ難民が虐殺された事件の犠牲者の子どもという設定にしました。
後にアフガニスタンに行ったのはザルカウィと同じですが、アリにはアラブ人の多くが持っている反欧米感情をインプットしました。
欧米がバックアップしてイスラエルが入植して以降、アラブ人たちは追い出され、それに対して文句を言うと殺されてきた。
しかもさまざまな利権をイスラエルが持っていってしまう。
欧米はそれを黙認している。アラブの人たちには、そこに対する怒りがあるわけです。

普通に暮らしている人たちは不満を抱えながらも「平和が大切だよね」と言って大ごとにはしていない。
でも社会からあぶれたり、イスラエルに家族を殺されたりした難民や孤児たちは我慢できる範囲を超えてしまい、それがテロに結びついている。
特にパレスチナ難民二世三世が抱いている大きな矛盾は描いておきたかったんです。

――最初は恐ろしい存在だったアリも、生い立ちが分かると生身の人間に見えてくる。ただ、人は互いにとっての正義があまりにも違うから衝突するんだとよく分かります。

そう、それぞれ生まれた土地によって、違う正義を持っているんですよね。
本の中では人質の優樹が「日本もアメリカに叩かれたけれど黙っていた、我慢したから日本は繁栄した」というようなことを言いますよね。
クサイにしてみたら「自分たちも耐えた、だから難民キャンプに行った。
そうしたら虐殺された」ということです。
「黙っていても殺されるんだったら損だ」となる。
日本は運がよかったんです。
パレスチナ難民だってタリバンの人たちだって、みんな最初は黙って我慢していた。
にもかかわらず殺されたから立ち上がるしかなかった。
彼らからするとそれはやむをえないことなんです。

――テロリスト側のパートはアリではなく部下のクサイの視点で描かれますね。また、少年・少女兵たちの存在も強烈でしたが。

アリの視点で書くと客観性がなくなって、アリを慕っている人たちの気持ちが分からなくなってしまう。
クサイの視点にしたほうが、彼らがなぜアリの突拍子もない命令に従うのかが伝わると考えました。
少年兵には以前取材したことがあるんです。
その時に思ったのは、これが日本だったら不良になる程度ですむということ。
日本にはそういう悪のセーフティネットがある。でも彼らの国では社会からこぼれ落ちたら、簡単に少年兵になってしまうんです。
ただ、ここでは可哀相な子どもだけを書くつもりではありませんでした。
取材をしていると、殺人鬼でありつづけるのを願う子もいるんですよ。
捕虜にして更生施設に入れて街に戻しても、施設を出たとたんに武装集団に戻ってしまう。
社会からこぼれ落ちたところにしか自分が活躍できる場所がない、という人っている。
それがこの世界の人間の面白さでもあるのかなとは感じています。

――テロリスト集団にも様々な人がいますよね。アリが率いる集団も一枚岩ではない。物語の最初のうちから副官ユニスが何やら企んでいるふしがあって、不穏ですよね。

たとえば自由シリア軍にも、分派が無数にあるんです。
戦争ってやっぱりきれいごとではなくて、ひとつの集団がひとつの方向に向かっているかというと全然そんなことはないんですよね。
集団の中でも喧嘩したり分裂したり再統合したり何回も名前を変えたりして、入れ替わりも激しい。
武装集団というと考え方が統一されたブラック集団というイメージを持つ人も多いけれど、全然そんなことはないんです。

いろんな考え方や利権争いがあってひとつにまとまらないのは日本政府もそう。
本当なら身代金を払って助けたいのに、なぜ助けないのかというと国際関係があるからです。

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――その日本側のパートに関しては、商社勤務の人質、橋本優樹の夫妻の友人である新聞記者の白木奈々が視点人物になりますね。人質の家族の反応、マスコミの対応、沸き起こる「自己責任論」の騒ぎを彼女は目の当たりにすることになる。

家族の視点だけでは狭くなるので外の目も入れたかったんです。
両者を俯瞰できるのはメディアの人間ですよね。
それと、あの時に自己責任問題が噴出しましたが、どの立場から見たら一番考えさせられるのかを考えました。
家族が犠牲になるのも評論家が文句を言うのも想像つく。
じゃあそれを発信しているメディア側はどう思っているのか。
奈々には過去に取材で人を自殺に追い詰めたことがあり、自身もそれで一回病んでいる。
その罪悪感を抱えながら、知人家族に対し自己責任だと言えるかどうか。言えないならどういう行動に出るのか。

僕は、すべての人間が社会問題と関わり合いがあると思っています。
虐待問題だっていじめ問題だって、同じ社会で生きているという形で関わっている。
でも、「当事者がいけない」と言った瞬間、問題を自分から切り離せるんですよね。
人質事件の時だって、デモをしたり国に訴えたりして活動することはできた。
それが面倒くさい時、「あの人たちの責任でしょ」と言えば自分たちの責任が切り離されたように思えた。自己責任という魔法のアイテムを使うことによって、多くの人は責任回避しているんです。
でも、「誰かのせい」というのはまさしく「自分のせい」ですよ。

――確かに。奈々は責任回避するどころか、なんとかして、どこかから身代金を捻出させようと一計を案じますね。

今のイスラム国もそうですが、フランスやドイツのように身代金を払ったという国がある一方で、日本のように政治的な関係でそれができなかった国もある。
そうしたことを含めて身代金の交渉については書くつもりでした。
ただ、金額の問題だけでなく、テロリスト側のタイミングもあるんですよね。
ここではアリとユニスが対立して状況が変わっていくなかで、彼らが交渉に応じる時もあれば応じない時もある。
本当に紙一重です。運命のいたずらとしかいいようがない。

――でも、もし助かったとしても、殺されしまった人たちへの罪悪感は残りますね…。

遺された人が罪悪感を抱くのは震災だけじゃないんですよね。
こうした事件もそうだし、交通事故ですら遺された人たちは「気を付けて」と言わなかった自分を責める。
そういう重みは絶対ある。香田さんのご両親も、背負っていかなければいけないものがあったと思う。
この物語でも、生き残る人がいるとしたら重いものを背負うことになるのは分かっていました。

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――香田さんの事件は、石井さんにとっても大きなものでしたか。

あの時、ちょうど外国にいたんです。
行く先々で「日本人が亡くなったよ」と言われ、ニュースを見た時に、一歩間違えたらこうなっていたなと、自分を投影しました。
彼は年齢も僕と少ししか違わないし、僕も同じように外国をふらふらしていましたから。
新聞社の記者だったら取材先で死んだことになる。
でも僕や香田さんのような人間は、大志を抱いてそこに行っても、何かあれば自己責任だと言われるんだと思いました。

――もしも自分が捕まったらどう振る舞うだろうか、などと考えますか。

今回、書きながらずっとそれを考えていました。
僕は普段、冗談を言って笑っていたいタイプなので、強がると思う。
それが精神のバランスを保つ方法なので。
それと、伝達手段が限りなくゼロに近いなかで、何をどう残せるかも考えました。
それで、この本にも書きましたが、もしも伝えられる手段があるならば、「彼らを恨まないでくれ」と言い残すだろうと思って。
彼らも悪い人間じゃないなんていう奇麗ごとを言いたいのではなく、自分の死を正当化したいからなんですよ。
自分の死を肯定したい、国際問題の中で意味を持たせたいという気持ちからです。
実際は無駄死にかもしれませんが。

――さて、ここまで密度の濃い小説を書き上げてみて、今の感触は。


小説のほうが達成感がありますね。
ノンフィクションって、書いた後も解決できないと目に見えていることも沢山あるけれども、物語はすぱっと終わらせることができますから。
書き上げた感があります。

――石井さんは書くならノンフィクション、というこだわりがないですよね。今回とても面白かったので、今後完全なフィクションも書かれたらいかがでしょうか。

こだわりはないですね。
いわば人間オタクで、ある状況の中で人間がどう動き、考え、感じるのかを知りたいし、そこにある感動を人に伝えたいんです。
だからノンフィクションでも小説でもいいんです。
でも自分の場合、小説でもある程度事実に基づく題材を求められていますよね。
僕がいきなりSFを書いたって誰も読まない(笑)。
ただ、今後は一年に一本くらいのペースで書いていけたらとは思っています。

(インタビュー:瀧井朝世、初出:「小説宝石 1月号」)




本日、長編小説『砂漠の影絵』が発売になりました。

これは、イラク戦争における日本人拉致殺害事件を題材に、「テロリスト」「五人の日本人の人質」「人質の家族」の三者の話が交互に合わさって進む国際事件ドラマです。

帯の文は以下です。

2004年、イラク・ファルージャ。「首切りアリ」率いるイスラーム武装組織「イラク聖戦旅団」 に5人の日本人が拉致された。
アリたちの要求は、 自衛隊のイラクからの即時撤退。しかし、 日本政府はこの要求を突っぱねる。日本国内では、人質の「 自己責任論」が巻き起こり、処刑の期日は刻一刻と迫ってくる…… 。
テロリスト集団、彼らはいったい何を考え、 何を目的にこのような組織となったのか?
日本人被害者、テロリストの双方の立場から描かれる、 現実にギリギリまで肉薄したストーリー。 闇に包まれた身代金交渉の実態や、イスラーム過激派組織の内情、 テロリスト一人ひとりの実人生、 そして戦争から遠く離れた私たち日本人の生き様が、 鮮明にあぶりだされる!
この物語は、あなた自身の言い方を大きく左右する。


この小説の構想は、2013年に生まれ、2014年に連載が決定、第一回の原稿が2015年の一月発売の『小説宝石』に掲載されました。
実は、その掲載とほぼ同時に、イラク・シリア内戦におけるIS(イスラム国)による後藤健二氏、湯川遙菜氏の拉致事件が起きたのです。

当初、このテーマで小説を書こうと思ったきっかけは、一つでした。
2001年に起きた9.11は紛れもなく世界の戦争の歴史を変えました。それまでは国家対国家、民族対民族だった戦争の構図が、テログループ対国家と変わったのです。
その歴史上の大きな転換が、どう日本に影響を及ぼしたのか。
それがもっとも顕著に現れたのが、2004年に起きた日本人拉致殺害事件でした。香田証生さん殺害事件です。
ならば、日本人としてどうしてもその歴史を何かしらの形で本に残したい。私はずっとそういう思いを抱いてきました。

ただし、このテーマで本を執筆するならば、どうしてもテロリストの目線を入れなければならない。
日本あるいは、欧米にとってのテロ戦争という目線で描けば、それはテロリスト側が否定している戦争そのものにほかならないからです。
テロリストたちの生い立ち、彼らにとっての戦争の必然性、彼らが外国人を殺す理由、そして、彼らにとって「生きる」とは何なのか。その目線が必要不可欠なのです。

しかし、私自身がテロリストにインタビューをして、それをノンフィクションにすることはできません。
それであれば、これまで私が中東を取材してきた経験をすべて投入して、それを小説として描けないだろうか。
それが本書の執筆の一番の動機だったのです。

そして、本書の連載の開始と同時に起きた、イラク・シリア内戦における日本人拉致事件。
当時、私はNHKのニュース番組のナビゲーターをして、それをテレビの前で報じなければなりませんでした。
しかし、そこにはテロリスト側の目線はありません。欧米からの情報、日本人としての目線、それだけを何十万、何百万人の人につたえなければならなかったのです。
そこで欠けていたのは、テロリスト側の目線でした。

『砂漠の影絵』は、2004年のイラク戦争における日本人拉致殺害事件をテーマにしたものです。
しかし、上記のような理由から、私はこの小説に現代におけるテロ戦争の意味も盛り込まざるを得ませんでした。
それは、時として現実と想像力の戦いであり、時として想像力に現実を宿してくれる力となりました。
そして、一年の連載を経て完成したのが本書『砂漠の影絵』です。

本書は、エンターテイメントとして書いていますが、私がいま、現代に生きる人々にもっとも伝えたいテーマをすべて盛り込みました。
この本を通じて、みなさまが「戦争」「生きる」「家族」「国際関係」「友情」など何か一つのことでも考えていただければ幸いです。



★イベント情報
『砂漠の影絵』の発売に合わせて、フォトジャーナリストの林典子さんとトークイベントをいたします。
●場所 三省堂書店池袋本店(池袋) 書籍館4F イベントスペース「Reading Together」
●日時 1月15日(日曜日) 14時〜(90分)
●条件 書籍購入
●申込 http://ikebukuro.books-sanseido.co.jp/events/1901



前回のおすすめを何冊かお読みくださったでしょうか。
今回は、学校司書の方々がすすめてくださった本の第二弾の紹介です。
僕も知らない本がたくさんありました。


『光のうつしえ 廣島 ヒロシマ 広島』(朽木祥)
『アウシュヴィッツの囚人写真家』(ルーカ・クリッパ)
『サラの鍵』(タチアナ・ド・ロネ)
『クロニクル千古の闇』(ミシェル・ペイヴァー)
『みかづき』(森絵都)
『罪のあとさき』(畑野智美)
『アラヤシキの住人たち』(本橋成一)
『ホワット・イフ? 野球のボールを光速で投げたらどうなるか』(ランドール・マンロー)
『ドーナツを穴だけ残して食べる方法 越境する学問ー穴からのぞく大学講義 』
『暗幕のゲルニカ』(原田マハ)
「みをつくしシリーズ」(高田郁)
『NO.6』(あさのあつこ)
『The MANZAI』(あさのあつこ)
『ツバキ文具店』(小川糸)
『マチネの終わりに』(平野啓一郎)
『天と地の方程式』(富安陽子)
『メディチ家の紋章』(テレサ・ブレスリン)
『テンプル・グランディン 自閉症と生きる』(サイ・モンゴメリー)

本日、学校司書の方々の前でお話をさせていただきました。
その際に、「僕にお勧めの本を教えてください」と言ったところ、学校司書の方々がいろんな本を勧めてくださった。
それを掲載したいと思います。

ちょっと多いので、わけて紹介しますね。まずは第一弾。(順不同)

『太陽の草原を駆けぬけて』(ウーリー・オルレブ)
『父さんの手紙はぜんぶおぼえた』(タミ・シェム=トヴ)
『ぼくたちに翼があったころ コルチャック先生と107人の子どもたち』(タミ・シェム=トヴ)
『MAGNUM CONTACT SHEETS(マグナム・コンタクトシート) 写真家の眼―フィルムに残された生の痕跡』(クリステン・リュッベン)
『科学者と戦争』(池内了)
『16歳の語り部』(雁部那由多、津田穂乃果)
『片手の郵便配達人』(グードルン・パウゼヴァング)
『子どもたちの遺言』(谷川俊太郎)
『ワーキング・ホリデー』(坂木司)
『カインの末裔』(有島武郎)
『生まれいずる悩み』(有島武郎)
『東京會舘とわたし』(辻村深月)
『島はぼくらと』(辻村深月)
『クシュラの奇跡―140冊の絵本との日々』(ドロシー・バトラー)
『ZOOM』(イシュトバン・バンニャイ)
『水はみどろの宮』(石牟礼道子、 山福朱実)
『郊外少年マリク』(マブルーク・ラシュディ)
『ゲルニカ』(原田マハ)
『みをつくし料理帖』(高田郁)
『きみの膵臓を食べたい』(住野よる)
『NO.6』(あさのあつこ)
『MANZAI』(あさのあつこ)
『ふたり 皇后美智子と石牟礼道子』(高山文彦)
『柄本明「絶望」の授業―課外授業ようこそ先輩』(柄本明)
『図書館ノート―沖縄から「図書館の自由」を考える』(山口真也)

今年の11月下旬(おそらく第四週目)に、東日本大震災の6年目のルポを書くために取材をしょうと思っています。
原稿については、『遺体』と同様に、「新潮45」という月刊誌に発表いたします。

今回のテーマは、
「ご遺族(特に未だにご家族のご遺体が見つかっていない)にとっての6年間」
になります。

拙著『遺体』では、見つかったご遺体やご遺族を、いかに町の人が支えたかということがテーマでした。
一方で、現実には、震災から6年が経とうとしている今も、たくさんの犠牲者が見つかっていない状況です。
病死などであれば「喪」というものを通して少しずつ故人の死を受け入れていきますが、遺体が見つかっていない、葬儀ができなかったなど特別な理由から、いまだにそれができない方も数多くいらっしゃるでしょう。

では、そうしたご遺族は、この6年間何を思い、どのように犠牲者を弔い、乗り越えようとしてきたか。あるいは、乗り越えられなかったものとは何なのか。
いわば、「喪」ができない、「喪」すら許されないご遺族が何を思って六年を過ごしてきたかが主題になります。
そうしたことを、直接ご遺族にお会いしてインタビューさせていただきたいと思っています。

今回、インタビューをお願いしたいと思っている方は以下になります。

・ご遺体が見つかっていない方のご家族、ご親戚、ご友人様
・ご遺体は見つかっているけど、発見までに3か月以上の時間が経った方
・ご遺体は見つかっているけど、自分にとっては「喪」が済んでいないという思いを抱いている方
・ご遺体が見つかっているにせよ、いないにせよ、いまだに死を受け入れられない方
・あるいは、インタビューというものを通してご自身のことを語りたい方

予定では、釜石市に拠点を置いて、主に岩手県内の方々にインタビューをしたいと思っています。
(車で移動していますので、釜石市から離れていても問題ありません)
もしこうしたインタビューに応じても構わないという方がいらっしゃいましたら、どうか私のところまでご連絡いただけないでしょうか。
改めて取材の趣旨をご説明させていただいた上で、匿名などのご希望があればお聞きしたいと思っています。

一応、釜石に拠点を置いて岩手県内で取材、と書きましたが、たとえば内陸の盛岡や花巻などにお住いの場合でも、日程を合わせてお目にかかることはできますし、東京近郊であれば上記の日程とは別にご都合の良い日にお目にかかることは可能です。
(たとえば、震災二年目のルポの時は、都内在住の方や、関西在住の方への取材も何度かしました)

従って、まずはご連絡をいただければ嬉しいです。
連絡先は、以下になります。

石井光太
kota_ishii@yahoo.co.jp
もしくは
postmaster@kotaism.com

その際は、以下をお書きいただけると嬉しいです。

・お住まいの場所(インタビュー可能な場所)
・家族構成と、犠牲になった方との関係(犠牲者が親戚やご友人であっても構いません)
・インタビューにあたってご希望されること

何卒よろしくお願いいたします。

『「鬼畜」の家〜わが子を殺す親たち』が、順調に増刷しています。
以下のようなポスターも作成されました。
児童虐待という問題が、「親=鬼畜」という単純な図式で描かれてほしくないという思いを込めて書いた本なので、それが少しでも広まればと願っています。
(だから、「」で鬼畜というタイトルになっているのです)


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さて、今回は、執筆に当たっての葛藤について書きたいと思います。

本をご覧になった方はおわかりになるかと思いますが、本書の核となっているのは、三件の児童虐待事件の加害者である親が語った次のような言葉です。

「私なりに愛していたけど、殺してしまいました」

拘置所で面会を重ねたりするなかで、この「私なり」というのが、胸にひっかかりました。
我が子を残虐な方法で殺しておいて、愛していたとはどういうことなのだろう。
「私なりの愛」、とは一体何なのか。
私はその答えが、彼らの成育歴にあるのではないかと思う。
そして、虐待家庭の家系を三代にまでさかのぼって、その要因を見つけようと考え、一族への取材をするのです。

詳しくは本書をお読みいただきたいのですが、ここから見えてきたのはあまりに悲しい彼らの人生でした。
そして、そこが本書の一番重要な部分ともなる。

しかし、それと同時に私の中で非常に大きな葛藤が生まれました。

虐待親たちの悲しい人生に目を向ければ、彼らに対する「同情」の感情が芽生える。
正直に言えば、彼らなりにけなげに生きようとする姿に、「いとおしさ」のようなものまで感じてしまうこともありました。

一方で、彼らはあくまでわが子を信じられないような残酷な方法で殺害した殺人者でもあります。
虐待親を擁護するということは、殺されてしまった子供たちの死を肯定することになりはしないか。

それまでは、加害者である親を「鬼畜」と捉えて、批判していれば楽だった。
しかし、加害者である親のことを知れば知るほど、それができなくなり、かといって彼らの行為を認めることもできずにもがき苦しむようになるのです。

通常、本と言うのは、ある程度どちらかの立場に感情移入して書きます。
100%味方につくというわけではありませんが、ある程度意図的にどちらかに感情を込めなければ、物語としてのカタルシスを作り出すことができないのです。

たとえば、難民の女の子が売春していれば、その女の子に感情移入するからこそ、カタルシスが生まれる。
もし、「いや、売る方も売る方だし、買う方も買う方だよ」と言ってしまえば、それで終わってしまう。
著者が自分の名前で売る「本」には、どうしても著者の感情から生まれるカタルシスが必要なのです。

しかし、今回は、加害者の立場になっても、被害者の立場に立っても、見えなくなってしまう事実がたくさんある。
では、どう書けばいいのか。

その結果出した結論は、故意にどちらにも感情移入はしない代わりに、加害者の成育歴を掘り起こせるだけ掘り起こしてみようということでした。
そうやって得た事実を、「ナマの素材」のままどさっと読者にお渡しして、その重みや、においや、悲しみを感じてもらおう。
その戸惑いや葛藤といったものこそが、児童虐待事件の本質であり、それを読者につたえなければ、本当の意味で虐待事件を描くことにはならないのではないか。
そう考えたのです。

そのため、読者のみなさんは、おそらくこの本を読んで、ものすごく重いモノを渡された気持ちになると思います。
そして、事実を知ってカタルシスを得るのではなく、その重いモノとどうやって対峙していくかを問われるはずです。
もっと言ってしまえば、本書を読んで、読者がどう思うのかが問われるのです。

・それでも加害親を「鬼畜」だと考えるのか。
・加害親に同情するのか。
・だとしたら、殺された児童の気持ちをどう考えるのか。
・そして、貴方は、この問題にどう取り組むのか。
・あるいは、貴方は子供にどう接するのか。

こうしたことについて、私個人として考えていることもあります。
その話については、トークイベントや、インタビューなどで、随時語っていければと思っています。


★『「鬼畜」の家』の発売に際して、9月2日、9月11日にトークイベントを行います。
以下をご覧ください。
http://kotaism.livedoor.biz/archives/52024240.html





今回、虐待事件を取材していて、裁判でもメディアでも常に問題となっていたのが次のことでした。

「なぜ、事件は未然に防げなかったのか」

事件が発覚すると、かならずと言っていいほど問われることです。
そして、今回の三件すべてにおいても、一様にこのことが議論になりました。
その結果、児童相談所の判断の甘さ、システムの未整備などが理由として挙げられ、まるで吊し上げのように謝罪を強いられました。

もちろん、児童相談所にまったく落ち度がないとはいいません。
しかし、私が実際取材をしていて感じるのは、児童相談所にしても市にしても、すごくよくやっているということです。
厚木市の齋藤理玖君の事件、そして下田市、足立区の事件においても、すべて事件前に児童相談所や市が介入しています。

では、なぜ未然に防げなかったのか。
某児童相談所の元所長さんは、次のように語っていました。

「事件を起こす家庭の親っていうのは、児童相談所ではマークしながらコントロールできていると思っている人なんです。1〜5までリスクのレベルがあるとしたら、高リスクの4、5の人ではなく、低リスクの1とか2ぐらいの人が事件を起こす。ごく普通で、仕事もしていて、周りからの評判もよく、子どもを愛しているという家庭。それが、私たちには想像もつかない理由で起こすんです」

その時、市役所で福祉の仕事をしている方が、そうそう、と言ってこんな例を紹介してくれました。

Aさんという独居老人がいた。アパート暮らし。
彼女は痴呆もないし、受け答えも立派だし、これまで特に事故を起こしたことがあったわけでもないので安心していた。
ただ、一応、事故を起こさないようにと、コンロをIHに変えるなど様々な予防策をとったうえで、家庭訪問も定期的に行っていた。

ところが、ある日、Aさん家から火があがり火事になってしまう。
住んでいたアパートは全焼。Aさんはかろうじて一命は取り留めた。
あれだけ予防をしたのに、よりによってなぜAさんの家が火事になったのか。

原因を調べてみると、Aさんはこう言った。

「寒かったんです。だから、オーブントースターを布団の中に入れて寝ていたんです。そしたら布団に火がついて火事になりました」

市役所の人は、考えられる範囲ですべての予防策をしたつもりだった。
だが、さすがに寒いからと言って、オーブントースターを布団に入れて寝るようなことをするとは思わず、オーブントースターはそのままにしていた。
それが原因で火事になってしまったのだ。

この例からわかるように、事件の多くは、「想定外」のところから起きます。
児童相談所にしても、市役所にしても、マニュアル通りに動いてきちんと対処している。それでも事故が起きてしまうのは、「想定外」のことが、現実の中に起こるからなのです。

同じことは児童虐待においても当てはまります。
厚木市の事件、下田市の事件、足立区の事件、ともに児童相談所が事件前に介入している。
厚木市の事件、下田市の事件の犯人は、仕事の上では本当にちゃんとやっていて評価の高い人たちだった。
にもかかわらず、事件を未然に防げなかったのは、本書でも述べたように、犯人たちが本当に子供たちを「愛」していて、「想定外」の行動をとったからなのです。

足立区の取材をしていた時、区の某関係者がこう語っていました。

「児童相談所は、事件のあった家にくり返し家庭訪問を行い、県をまたいで追跡をしていた。そういう意味では、本当によくやっていたと思う。けど、まさか犯人があんなふうに子供の死を隠しているとは思いもしませんでした」

読んでいいただいた方はわかると思いますが、まさに「想定外」のことが起きていたのです。
齋藤幸裕の住んでいた家、高野愛の妊娠を否定する驚きの言葉、皆川夫婦が子供を隠すためにしたこと……。
しかし、同時にその「想定外」まで未然に防いでいかなければ、なかなか事件を減らしていくことはできません。
それは、自治体や児童相談所のマニュアルにそった取り組みだけではなかなか難しい。
マニュアルの中には「想定外」まで含まれていないからです。だからこそ、違った考え方での取り組みが大切になってくる。
本書を通して、そうした事実も提示できればと思っています。



★『「鬼畜」の家』の発売に際して、9月2日、9月11日にトークイベントを行います。
以下をご覧ください。
http://kotaism.livedoor.biz/archives/52024240.html




『「鬼畜」の家〜わが子を殺す親たち』(新潮社)の発売に合わせて、二つのトークイベントを行います。


●9月2日(金)

場所 三省堂書店池袋本店
時間 19時〜
費用 無料
条件 同店での『「鬼畜」の家』の購入、あるいは購入予約。
相手 相場英雄さん(小説家、経済ジャーナリスト)
詳細 http://ikebukuro.books-sanseido.co.jp/events/1382

相場英雄さんが聞き手になってくださいます。
相場さんは数々のミステリを書かれている上に、記者として活躍していた経歴もお持ちです。
様々な角度から虐待、あるいは取材というものについて一緒にお話をしていきたいと思います。


●9月11日(日)

場所 紀伊國屋書店新宿本店
時間 15時〜
費用 1000円
相手 清水潔さん(ジャーナリスト)
詳細 https://www.kinokuniya.co.jp/c/store/Shinjuku-Main-Store/20160821100000.html

こちらは、清水潔さんのベストセラー事件ノンフィクション『殺人犯はそこにいる』の文庫化記念も兼ねたイベントになります。清水さんはほかに『桶川ストーカー事件』という名作も書いてらっしゃいます。
二人で「殺人事件取材」について語りたいと思っています。
ちなみに、清水さんとは『殺人犯はそこにいる』の出版の際、対談の電子本をだしたことがあります。→『対談 殺人犯はそこにいる


相場英雄さん、清水潔さんという、超一流の書き手との「殺人事件対談」になります。
このテーマで、この方々と、しかも事件取材の内容をつぶさに話すのは、めったにないことだと思います。
事件について、虐待について、取材について、知りたい方は、ぜひ、ご来場ください。

『「鬼畜」の家〜わが子を殺す親たち』の発売に際して、これから何回かにわけて取材の思い出を書いていきます。

最初は、よくインタビューで聞かれる「取材のモチベーション」です。

今回この児童虐待をテーマにしたのには、いくつか理由があります。

まず、親に殺された子供の数が、巷で言われている以上になることを知りました。
警察の発表では、毎年六十人〜百人が殺されているとされますが、日本小児科学会の推計では、一日一人の子供が親に殺されていて、その六割から八割が闇に葬られているとされたのです。
それとほぼ同時期に、「居所不明児童」の問題が日本を席巻しました。行方が分からない子供が日本に百人以上いるということが報じられたのです。

この二つを知ったとき、私はこれまで自分が虐待に対して目をそらしていたことを認めずにいられませんでした。
虐待のニュースは、ほとんど毎週のようにマスメディアを駆け巡っています。そのたびに、私は、「なぜ実の親が子供を殺すのか」ということに疑問を抱いていた。
しかし、同時に「どうせ鬼畜のような親なんだろう」と思って、それ以上深く探ろうとはしませんでした。事実を見るのが怖い。だから、わかった気になって目をそらしていたのです。

ところが、一日一人の子供が殺されていて、多数の児童が行方不明のままになっている。
そのことを知った時、犯人の親を「鬼畜」と考え、問題から目をそらしつづけることに、罪の意識を覚えずにはいられなかったのです。
そして、このテーマに取り組まなくてはと思い、雑誌で連載をはじめることを決めました。

取材開始時点では、事件ルポですからすでに被害者の子供たちは殺害されていました。
そのため、親たちが子供たちを殺すプロセスを明らかにするところからの取材になりました。

正直、犯人と話をしていても、親族と話をしていても、心が引き裂かれるような気持ちの連続でした。

たとえば、厚木市事件の犯人は、齋藤幸裕です。
その長男・齋藤理玖君(三歳)は、二年間も真っ暗な部屋に閉じ込められ、ネグレクトの末に寒さと飢えで死んでいきます。
その時、理玖君は一人でドアに向かってこう叫んでいました。

「パパ、パパ、パパ……」

そして、死体はゴミ屋敷と化したアパートに放置。
七年間も、そのままにされて発覚しなかったのです。

理玖君の気持ちを思うだけでたまらなくなりました。
闇の中で死んで行き、そしてミイラとなった後も、放置されつづけていた理玖君は、何のために生まれてきたのか、と。

でも、だからこそ、私は理玖君のために、彼が生まれてきた意味を見い出してあげたかった。
せめて彼の小さな命の記録を、書物の中に活字として残してあげたかった。
悔しさ、悲しさ、孤独すべて含めて生きた証を記したい。
そういう気持ちから、私は歯を食いしばって取材を進つづけたのです。

やがて、私は事件を追う中で、ある大きなテーマを見つけます。
それは後に本書のテーマとなる、犯人たちが一様に口をそろえて言った言葉です。

「私は子どもを愛していました。宝のように育ててました。それでも、殺してしまったのです」

愛していたのに、殺した……。

信じられない言葉ですが、取材を進めれば進めるほど、その言葉が真実だったということが明らかになってくる。
そして、私はこの言葉の意味を確かめるべく、さらに事件の深淵へ足を踏み入れるのです。





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