石井光太 − 旅の物語、物語の旅 −

今年の11月下旬(おそらく第四週目)に、東日本大震災の6年目のルポを書くために取材をしょうと思っています。
原稿については、『遺体』と同様に、「新潮45」という月刊誌に発表いたします。

今回のテーマは、
「ご遺族(特に未だにご家族のご遺体が見つかっていない)にとっての6年間」
になります。

拙著『遺体』では、見つかったご遺体やご遺族を、いかに町の人が支えたかということがテーマでした。
一方で、現実には、震災から6年が経とうとしている今も、たくさんの犠牲者が見つかっていない状況です。
病死などであれば「喪」というものを通して少しずつ故人の死を受け入れていきますが、遺体が見つかっていない、葬儀ができなかったなど特別な理由から、いまだにそれができない方も数多くいらっしゃるでしょう。

では、そうしたご遺族は、この6年間何を思い、どのように犠牲者を弔い、乗り越えようとしてきたか。あるいは、乗り越えられなかったものとは何なのか。
いわば、「喪」ができない、「喪」すら許されないご遺族が何を思って六年を過ごしてきたかが主題になります。
そうしたことを、直接ご遺族にお会いしてインタビューさせていただきたいと思っています。

今回、インタビューをお願いしたいと思っている方は以下になります。

・ご遺体が見つかっていない方のご家族、ご親戚、ご友人様
・ご遺体は見つかっているけど、発見までに3か月以上の時間が経った方
・ご遺体は見つかっているけど、自分にとっては「喪」が済んでいないという思いを抱いている方
・ご遺体が見つかっているにせよ、いないにせよ、いまだに死を受け入れられない方
・あるいは、インタビューというものを通してご自身のことを語りたい方

予定では、釜石市に拠点を置いて、主に岩手県内の方々にインタビューをしたいと思っています。
(車で移動していますので、釜石市から離れていても問題ありません)
もしこうしたインタビューに応じても構わないという方がいらっしゃいましたら、どうか私のところまでご連絡いただけないでしょうか。
改めて取材の趣旨をご説明させていただいた上で、匿名などのご希望があればお聞きしたいと思っています。

一応、釜石に拠点を置いて岩手県内で取材、と書きましたが、たとえば内陸の盛岡や花巻などにお住いの場合でも、日程を合わせてお目にかかることはできますし、東京近郊であれば上記の日程とは別にご都合の良い日にお目にかかることは可能です。
(たとえば、震災二年目のルポの時は、都内在住の方や、関西在住の方への取材も何度かしました)

従って、まずはご連絡をいただければ嬉しいです。
連絡先は、以下になります。

石井光太
kota_ishii@yahoo.co.jp
もしくは
postmaster@kotaism.com

その際は、以下をお書きいただけると嬉しいです。

・お住まいの場所(インタビュー可能な場所)
・家族構成と、犠牲になった方との関係(犠牲者が親戚やご友人であっても構いません)
・インタビューにあたってご希望されること

何卒よろしくお願いいたします。

『「鬼畜」の家〜わが子を殺す親たち』が、順調に増刷しています。
以下のようなポスターも作成されました。
児童虐待という問題が、「親=鬼畜」という単純な図式で描かれてほしくないという思いを込めて書いた本なので、それが少しでも広まればと願っています。
(だから、「」で鬼畜というタイトルになっているのです)


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さて、今回は、執筆に当たっての葛藤について書きたいと思います。

本をご覧になった方はおわかりになるかと思いますが、本書の核となっているのは、三件の児童虐待事件の加害者である親が語った次のような言葉です。

「私なりに愛していたけど、殺してしまいました」

拘置所で面会を重ねたりするなかで、この「私なり」というのが、胸にひっかかりました。
我が子を残虐な方法で殺しておいて、愛していたとはどういうことなのだろう。
「私なりの愛」、とは一体何なのか。
私はその答えが、彼らの成育歴にあるのではないかと思う。
そして、虐待家庭の家系を三代にまでさかのぼって、その要因を見つけようと考え、一族への取材をするのです。

詳しくは本書をお読みいただきたいのですが、ここから見えてきたのはあまりに悲しい彼らの人生でした。
そして、そこが本書の一番重要な部分ともなる。

しかし、それと同時に私の中で非常に大きな葛藤が生まれました。

虐待親たちの悲しい人生に目を向ければ、彼らに対する「同情」の感情が芽生える。
正直に言えば、彼らなりにけなげに生きようとする姿に、「いとおしさ」のようなものまで感じてしまうこともありました。

一方で、彼らはあくまでわが子を信じられないような残酷な方法で殺害した殺人者でもあります。
虐待親を擁護するということは、殺されてしまった子供たちの死を肯定することになりはしないか。

それまでは、加害者である親を「鬼畜」と捉えて、批判していれば楽だった。
しかし、加害者である親のことを知れば知るほど、それができなくなり、かといって彼らの行為を認めることもできずにもがき苦しむようになるのです。

通常、本と言うのは、ある程度どちらかの立場に感情移入して書きます。
100%味方につくというわけではありませんが、ある程度意図的にどちらかに感情を込めなければ、物語としてのカタルシスを作り出すことができないのです。

たとえば、難民の女の子が売春していれば、その女の子に感情移入するからこそ、カタルシスが生まれる。
もし、「いや、売る方も売る方だし、買う方も買う方だよ」と言ってしまえば、それで終わってしまう。
著者が自分の名前で売る「本」には、どうしても著者の感情から生まれるカタルシスが必要なのです。

しかし、今回は、加害者の立場になっても、被害者の立場に立っても、見えなくなってしまう事実がたくさんある。
では、どう書けばいいのか。

その結果出した結論は、故意にどちらにも感情移入はしない代わりに、加害者の成育歴を掘り起こせるだけ掘り起こしてみようということでした。
そうやって得た事実を、「ナマの素材」のままどさっと読者にお渡しして、その重みや、においや、悲しみを感じてもらおう。
その戸惑いや葛藤といったものこそが、児童虐待事件の本質であり、それを読者につたえなければ、本当の意味で虐待事件を描くことにはならないのではないか。
そう考えたのです。

そのため、読者のみなさんは、おそらくこの本を読んで、ものすごく重いモノを渡された気持ちになると思います。
そして、事実を知ってカタルシスを得るのではなく、その重いモノとどうやって対峙していくかを問われるはずです。
もっと言ってしまえば、本書を読んで、読者がどう思うのかが問われるのです。

・それでも加害親を「鬼畜」だと考えるのか。
・加害親に同情するのか。
・だとしたら、殺された児童の気持ちをどう考えるのか。
・そして、貴方は、この問題にどう取り組むのか。
・あるいは、貴方は子供にどう接するのか。

こうしたことについて、私個人として考えていることもあります。
その話については、トークイベントや、インタビューなどで、随時語っていければと思っています。


★『「鬼畜」の家』の発売に際して、9月2日、9月11日にトークイベントを行います。
以下をご覧ください。
http://kotaism.livedoor.biz/archives/52024240.html





今回、虐待事件を取材していて、裁判でもメディアでも常に問題となっていたのが次のことでした。

「なぜ、事件は未然に防げなかったのか」

事件が発覚すると、かならずと言っていいほど問われることです。
そして、今回の三件すべてにおいても、一様にこのことが議論になりました。
その結果、児童相談所の判断の甘さ、システムの未整備などが理由として挙げられ、まるで吊し上げのように謝罪を強いられました。

もちろん、児童相談所にまったく落ち度がないとはいいません。
しかし、私が実際取材をしていて感じるのは、児童相談所にしても市にしても、すごくよくやっているということです。
厚木市の齋藤理玖君の事件、そして下田市、足立区の事件においても、すべて事件前に児童相談所や市が介入しています。

では、なぜ未然に防げなかったのか。
某児童相談所の元所長さんは、次のように語っていました。

「事件を起こす家庭の親っていうのは、児童相談所ではマークしながらコントロールできていると思っている人なんです。1〜5までリスクのレベルがあるとしたら、高リスクの4、5の人ではなく、低リスクの1とか2ぐらいの人が事件を起こす。ごく普通で、仕事もしていて、周りからの評判もよく、子どもを愛しているという家庭。それが、私たちには想像もつかない理由で起こすんです」

その時、市役所で福祉の仕事をしている方が、そうそう、と言ってこんな例を紹介してくれました。

Aさんという独居老人がいた。アパート暮らし。
彼女は痴呆もないし、受け答えも立派だし、これまで特に事故を起こしたことがあったわけでもないので安心していた。
ただ、一応、事故を起こさないようにと、コンロをIHに変えるなど様々な予防策をとったうえで、家庭訪問も定期的に行っていた。

ところが、ある日、Aさん家から火があがり火事になってしまう。
住んでいたアパートは全焼。Aさんはかろうじて一命は取り留めた。
あれだけ予防をしたのに、よりによってなぜAさんの家が火事になったのか。

原因を調べてみると、Aさんはこう言った。

「寒かったんです。だから、オーブントースターを布団の中に入れて寝ていたんです。そしたら布団に火がついて火事になりました」

市役所の人は、考えられる範囲ですべての予防策をしたつもりだった。
だが、さすがに寒いからと言って、オーブントースターを布団に入れて寝るようなことをするとは思わず、オーブントースターはそのままにしていた。
それが原因で火事になってしまったのだ。

この例からわかるように、事件の多くは、「想定外」のところから起きます。
児童相談所にしても、市役所にしても、マニュアル通りに動いてきちんと対処している。それでも事故が起きてしまうのは、「想定外」のことが、現実の中に起こるからなのです。

同じことは児童虐待においても当てはまります。
厚木市の事件、下田市の事件、足立区の事件、ともに児童相談所が事件前に介入している。
厚木市の事件、下田市の事件の犯人は、仕事の上では本当にちゃんとやっていて評価の高い人たちだった。
にもかかわらず、事件を未然に防げなかったのは、本書でも述べたように、犯人たちが本当に子供たちを「愛」していて、「想定外」の行動をとったからなのです。

足立区の取材をしていた時、区の某関係者がこう語っていました。

「児童相談所は、事件のあった家にくり返し家庭訪問を行い、県をまたいで追跡をしていた。そういう意味では、本当によくやっていたと思う。けど、まさか犯人があんなふうに子供の死を隠しているとは思いもしませんでした」

読んでいいただいた方はわかると思いますが、まさに「想定外」のことが起きていたのです。
齋藤幸裕の住んでいた家、高野愛の妊娠を否定する驚きの言葉、皆川夫婦が子供を隠すためにしたこと……。
しかし、同時にその「想定外」まで未然に防いでいかなければ、なかなか事件を減らしていくことはできません。
それは、自治体や児童相談所のマニュアルにそった取り組みだけではなかなか難しい。
マニュアルの中には「想定外」まで含まれていないからです。だからこそ、違った考え方での取り組みが大切になってくる。
本書を通して、そうした事実も提示できればと思っています。



★『「鬼畜」の家』の発売に際して、9月2日、9月11日にトークイベントを行います。
以下をご覧ください。
http://kotaism.livedoor.biz/archives/52024240.html




『「鬼畜」の家〜わが子を殺す親たち』(新潮社)の発売に合わせて、二つのトークイベントを行います。


●9月2日(金)

場所 三省堂書店池袋本店
時間 19時〜
費用 無料
条件 同店での『「鬼畜」の家』の購入、あるいは購入予約。
相手 相場英雄さん(小説家、経済ジャーナリスト)
詳細 http://ikebukuro.books-sanseido.co.jp/events/1382

相場英雄さんが聞き手になってくださいます。
相場さんは数々のミステリを書かれている上に、記者として活躍していた経歴もお持ちです。
様々な角度から虐待、あるいは取材というものについて一緒にお話をしていきたいと思います。


●9月11日(日)

場所 紀伊國屋書店新宿本店
時間 15時〜
費用 1000円
相手 清水潔さん(ジャーナリスト)
詳細 https://www.kinokuniya.co.jp/c/store/Shinjuku-Main-Store/20160821100000.html

こちらは、清水潔さんのベストセラー事件ノンフィクション『殺人犯はそこにいる』の文庫化記念も兼ねたイベントになります。清水さんはほかに『桶川ストーカー事件』という名作も書いてらっしゃいます。
二人で「殺人事件取材」について語りたいと思っています。
ちなみに、清水さんとは『殺人犯はそこにいる』の出版の際、対談の電子本をだしたことがあります。→『対談 殺人犯はそこにいる


相場英雄さん、清水潔さんという、超一流の書き手との「殺人事件対談」になります。
このテーマで、この方々と、しかも事件取材の内容をつぶさに話すのは、めったにないことだと思います。
事件について、虐待について、取材について、知りたい方は、ぜひ、ご来場ください。

『「鬼畜」の家〜わが子を殺す親たち』の発売に際して、これから何回かにわけて取材の思い出を書いていきます。

最初は、よくインタビューで聞かれる「取材のモチベーション」です。

今回この児童虐待をテーマにしたのには、いくつか理由があります。

まず、親に殺された子供の数が、巷で言われている以上になることを知りました。
警察の発表では、毎年六十人〜百人が殺されているとされますが、日本小児科学会の推計では、一日一人の子供が親に殺されていて、その六割から八割が闇に葬られているとされたのです。
それとほぼ同時期に、「居所不明児童」の問題が日本を席巻しました。行方が分からない子供が日本に百人以上いるということが報じられたのです。

この二つを知ったとき、私はこれまで自分が虐待に対して目をそらしていたことを認めずにいられませんでした。
虐待のニュースは、ほとんど毎週のようにマスメディアを駆け巡っています。そのたびに、私は、「なぜ実の親が子供を殺すのか」ということに疑問を抱いていた。
しかし、同時に「どうせ鬼畜のような親なんだろう」と思って、それ以上深く探ろうとはしませんでした。事実を見るのが怖い。だから、わかった気になって目をそらしていたのです。

ところが、一日一人の子供が殺されていて、多数の児童が行方不明のままになっている。
そのことを知った時、犯人の親を「鬼畜」と考え、問題から目をそらしつづけることに、罪の意識を覚えずにはいられなかったのです。
そして、このテーマに取り組まなくてはと思い、雑誌で連載をはじめることを決めました。

取材開始時点では、事件ルポですからすでに被害者の子供たちは殺害されていました。
そのため、親たちが子供たちを殺すプロセスを明らかにするところからの取材になりました。

正直、犯人と話をしていても、親族と話をしていても、心が引き裂かれるような気持ちの連続でした。

たとえば、厚木市事件の犯人は、齋藤幸裕です。
その長男・齋藤理玖君(三歳)は、二年間も真っ暗な部屋に閉じ込められ、ネグレクトの末に寒さと飢えで死んでいきます。
その時、理玖君は一人でドアに向かってこう叫んでいました。

「パパ、パパ、パパ……」

そして、死体はゴミ屋敷と化したアパートに放置。
七年間も、そのままにされて発覚しなかったのです。

理玖君の気持ちを思うだけでたまらなくなりました。
闇の中で死んで行き、そしてミイラとなった後も、放置されつづけていた理玖君は、何のために生まれてきたのか、と。

でも、だからこそ、私は理玖君のために、彼が生まれてきた意味を見い出してあげたかった。
せめて彼の小さな命の記録を、書物の中に活字として残してあげたかった。
悔しさ、悲しさ、孤独すべて含めて生きた証を記したい。
そういう気持ちから、私は歯を食いしばって取材を進つづけたのです。

やがて、私は事件を追う中で、ある大きなテーマを見つけます。
それは後に本書のテーマとなる、犯人たちが一様に口をそろえて言った言葉です。

「私は子どもを愛していました。宝のように育ててました。それでも、殺してしまったのです」

愛していたのに、殺した……。

信じられない言葉ですが、取材を進めれば進めるほど、その言葉が真実だったということが明らかになってくる。
そして、私はこの言葉の意味を確かめるべく、さらに事件の深淵へ足を踏み入れるのです。





本日、新刊『「鬼畜」の家〜わが子を殺す親たち』が新潮社より発売になりました。

この本は、「厚木市幼児餓死白骨化事件」(ネグレクト)、「下田市嬰児連続殺害事件」(嬰児殺し)、「足立区ウサギ用ケージ監禁虐待死事件」(身体的虐待)の三つの事件からなる、事件ルポです。

この本の取材をはじめたきっかけの一つは、日本小児科学会が年間に殺害されている児童は、現在事件化されているものの3倍から5倍になると発表したことです。
毎年警視庁が発表する児童の殺害事件は60件から100件ほど。これが3倍から5倍になるということは、年間350件ぐらいは赤ん坊を含む児童が殺されているのです。

事件が表ざたにならない背景には、いくつかの理由があります。
・母親が病院にかからずに赤ん坊を産んで殺害しても死体が見つからないかぎり事件化されない。
・赤ん坊を虐待死させても、その多くが証拠をつかめない。医師がそれと疑っても、なかなか子供を失った遺族に「あなたは虐待しましたよね」とはいえない。
などです。
それが事件の大半を闇に葬らせてしまっているのです。
実際、本書で取り上げる三つの事件はすべて一年以上発覚しませんでしたし、足立区の事件にいたっては裁判が終わった今も児童の遺体は見つかっていません。

近年、マスメディアによって頻繁に報じられる虐待関連の事件。
私たちは何気なくその事件を見聞きし、親を「殺人鬼」、あるいは「鬼畜」のように考え、自分とは関係のない人間だと思い込みます。
だからこそ、これだけの子供が殺され、その多くが闇に葬られているのにかかわらず、他人ごとのように受け止められる。
マスコミがニュースを流しても、数日すればニュースどころか話題からも消えてしまうのは、私たちがこういう事件を聞き流すことに慣れてしまったことを意味するのではないでしょうか。

しかし、一日一人の児童が殺され、その多くが闇に葬られているとしたら、今のままでいいのだろうか。

そうした思いが取材へと私を駆り立てたのです。
正直、取材には胸をえぐられるような苦しいことが多々ありました。
ただ、わが子を殺害した親たちと拘置所の面会室で会い、周辺の取材を進めていく中で、私は衝撃的な一つの共通点を発見します。
それは、犯人である親たちが口をそろえてこう言ったのです。

「私は子供を愛していました。これ以上ない宝だと思っていました。しかし、殺してしまったのです」

調べてみると、親がわが子を愛していた形跡は数えきれないほど見つかりました。
厚木市の事件の容疑者・齋藤幸裕は、妻に逃げられた後、トラック運転手として働きながら一人で二年間も長男と寝起きを共にして世話していました。
下田市の高野愛は、息子をかわいがる子煩悩として知られ、息子もまたママっ子として有名でした。
足立区の皆川忍・朋美夫婦が残した家族写真には、一緒にお風呂に入ったり、誕生日パーティーをしている幸せそうな光景が記録されていました。

しかし、彼らはわが子を、信じられないような残忍な形で殺してしまったのです。
だとしたら、本当に彼らはマスコミが報じるような「鬼畜」なのでしょうか。
彼らはどんな家庭で育ったのか。

なぜ、彼らは子供を殺さなければならなかったのか。
彼らにとって子供への「愛」とは何だったのか。

そうしたことを明らかにするために、私は事件だけにとどまらず、犯人たちの家系を三代までさかのぼり、その成育歴を明らかにすることを決めました。
そうして書いたものが、本書なのです。

これは表向きは「事件ルポ」ですが、私としては「ヒューマン・ドラマ」として書いたつもりです。
犯人の家庭や、人格や、事件へ向かうプロセスを知れば、決して赤の他人とは思えないはずです。
そして、その思いが、悲惨な事件を減らすヒントになるのではないか。

そんな願いで二年間をかけて取材し、本書を世に出しました。
ぜひ書店等でお見かけした際は、手に取っていただければ幸いです。


追記
9月2日に三省堂書店池袋本店で、本書に関するトークイベントを開催いたします。
http://ikebukuro.books-sanseido.co.jp/events/1382





『「鬼畜」の家」〜わが子を殺す親たち』の発売が残すところあと二日になりました。
(都内の大型書店とかは、明日ぐらいからならびはじめるかもしれません)

今回の本は、主に虐待によって親が子供を殺した三つの事件を取り上げています。
これら親が自分の子供を殺害するというショッキングな事件は、いずれもマスメディアによって大々的に報じられました。

今回はそれらの事件は何だったのかということを知っていただくため、事件のニュースをご紹介いたします。
マスメディアが報じたニュースは次の通りです。


厚木市幼児餓死白骨化事件(ネグレクト)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201510/CK2015102302000136.html

下田市嬰児連続殺害事件(嬰児殺し)
http://www.sankei.com/region/news/150526/rgn1505260051-n1.html

足立区ウサギ用ケージ監禁虐待死事件(身体的虐待)
http://www.sankei.com/affairs/news/150530/afr1505300004-n1.html

ただし、事件によって起きたことは表面的な事象にすぎません。
事件のあった家庭を三代までさかのぼると、報道ではわからなかった事実が明らかになってきます。

彼らは本当に「鬼畜」なのか。
なにが、彼らを殺人者にさせたのか。

殺人事件におけるもっとも重要な問いに、この三つの事件を通して向き合いたいと思っています。

なお、この本に発売に当たって三省堂書店池袋本店でトークイベントが開催されます。

場所 三省堂書店池袋本店
日時 9月2日 19時〜
条件 書籍の購入
詳細 http://ikebukuro.books-sanseido.co.jp/events/1382

なんと、小説家の相場英雄さんが聞き手役になってくださいます。
実は、相場さんとは5年くらい前に知り合いました。ある編集者に紹介され、四谷で飲んだのです。
たしか東日本大震災があったばかりの頃で、相場さんも精力的に取材されていて、そういう話になったのを覚えています。
相場さんは拙著『遺体』をあちこちで薦めてくださり、その後、相場さんが『共震』という震災をテーマにした小説を出した時は、私が解説を書かせていただきました。
相場さんは元時事通信の記者で、あらゆる取材にものすごく詳しい方です。
二人で、拙著を題材に、事件とは何か、取材とは何かということを語りたいと思っています。
どうぞよろしくお願いいたします。





フォトジャーナリストの安田菜津紀さんと、JIM−NETさんと行う新プロジェクトが、来週8月1日(月曜日)からスタートします。

安田さんと会ったのは、7年ぐらい前かな。
たしか、あるNGOの人から、安田さんが連絡先を知りたがっているので教えていいか、と言われてOKしたんだと思う。
それで、連絡が来て新宿の酒屋で会ったのが最初。

僕は何人か編集者をつれて、安田さんは今の旦那さんと一緒に来たと思う。
で、ピーチクパーチク話をした。話の内容は覚えてないけど、僕が酔っ払ってある企画を提案した。そしたら、翌日、安田さんから連絡があって、いろいろと考えたけどやはりこれは自分にはできない、と言われた記憶がある。
まぁ、僕と安田さんは、物の見方や世界観がまったくちがうので、さもありなん、と思っただけだけど、それ以上に、二十代の前半なのに自分のスタンスをしっかり持っててブレない子だなー、と感じた記憶がある。この子は、絶対にうまくいくな、と直感した。

その後、東日本大震災が起きた後に、「写真やるなら、一日でも早く東北へ行けー」と連絡したり、結婚したと聞いて盛岡でメシを食ったりはしたが、たまーに会うぐらいで仕事の話には結びつかなかった。

それがひょんなことから、今回のプロジェクトの事務局の古田さんという、元JICAの広報誌の編集長と仲良くなったのをきっかけに、また安田さんと時々会うようになった。そして去年、日本に海外の貧困の現場を再現しようという話になり、今年初めにそれをVRでやろうということで一致した。
それからいろんな方が協力してくれることとなって、今回のプロジェクトがはじまったのである。

ここらへんの詳しいエピソードは、8月3日の安田さんが担当しているラジオ番組に僕が出演して話すし、8月20日(恵比寿)、8月28日(鎌倉)のイベントの時にでも話す予定。

イベントの詳細
http://kotaism.livedoor.biz/archives/52021662.html

ともあれ、初めはクラウドファンディングでやろうとは思わず、某企業のお金でやろうと思っていた。
けど、著作権を取られてビジネス化されるより、いろんな形で自由に人が映像をつかえて広められるようにした方がいいのではないかという話にもなって、今回の運びとなった。

スタートは、8月1日。

まったくもってどうなるかわからないけど、僕も安田さんも、日本の人たちに「世界の現状を体感してもらいたい」という思いは一緒。
そのために、イラクという舞台で、JIM−NETさんと一緒に、それをつたえる活動をしたいと考えています。
クラウドファンディングの期間は約二カ月。不明点がありましたら、恵比寿や鎌倉のイベントで直接説明いたします。
可能ならば、ご協力ください。

・クラウドファンディングページ
https://readyfor.jp/projects/sekaimedialabo

このたび、新しいプロジェクトを立ち上げます。
「セカイ・メディアラボ」と称して、主に映像をつかった活動をします。

セカイ・メディアラボは、私やフォトジャーナリストの安田菜津紀をはじめとして、テレビや出版の関係者で構成されています。

目的は、世界や日本のリアルを映像や活字を駆使して教育の中でつたえ、その中から「しあわせ」とは何かを考えてもらうことです。
もともと、私は取材で世界を飛び回るなかで、活字とは別の形で、「リアル」を日本につたえたいと思っていました。そうすることで、貧困とは何か、戦争とは何か、しあわせとは何かを考えてもらいたいと考えていたのです。
今回、様々な分野の賛同者を得て、そのプロジェクトをスタートさせました。

その第一弾は、VR(バーチャルリアリティ=仮想現実)をつかったプロジェクトです。
イラクで活動する日本のNGOであるJIM-NETと協力し、イラクの難民や病院の生活をVRで撮影し、それを教育の現場に取り入れて、「しあわせ」を考えていこうというものです。

8月1日より、クラウドファンディング「READYFOR?」でみなさんに資金の応援をお願いする予定で、おおよその概要は以下になります。

■タイトル
開発途上国の暮らしがリアルに伝わるVR映像をつくりたい!
 ページ入口
 https://readyfor.jp/projects/sekaimedialabo

■主催
セカイ・メディアラボ×JIM-NET

■主要メンバー
石井光太(作家)
安田菜津紀(フォトジャーナリスト)
古田亜以子(フォーリン・プレスセンター)
佐藤洋輔(NHKエンタープライズ)
四本倫子(朝日新聞出版)

■時期
クラウドファンディング 8月1日から2カ月間
VR映像の完成は来春。
その後、セカイ・メディアラボの活動として教育分野へと拡大させていきます。

今回のプロジェクトに先立ちまして、私や安田さん、それにJIM-NETのみなさんなどとともに説明会を開催いたします。
それが下記になります。

■説明会
第一回 8月20日(土)交流会メイン(恵比寿)
  https://www.facebook.com/events/859328334211188/

第二回 8月28日(日)現地情報メイン(鎌倉)
 https://www.facebook.com/events/1132913710065506/

第一回目は、個人的に交友を結ぶ場を設けるのが目的です。
もしプロジェクトに参加したい、個人的に細かく話を聞きたいという方がいらっしゃいましたら、ぜひこちらにご参加ください。

二回目は、イラクのJIM-NET担当者とネットでつないで質疑応答をしたりと、現地報告や、現地でのプロジェクトの可能性をさぐるイベントになります。

セカイ・メディアラボとしては、今後イラクだけにかぎらず、広く世界のリアルを日本につたえることを目的として活動していきます。
どうぞよろしくお願いいたします。


★情報については、随時こちらでお伝えいたします。
https://www.facebook.com/sekai.medialabo/

二年ぶりのノンフィクション『「鬼畜の家」〜わが子を殺す親たち』(新潮社)の予約が開始されました。
三つの事件のオムニバス事件ルポで、取り上げているのは自分の子供を殺害した親たちです。なぜ親はわが子を殺さなければならなかったのか。
ネグレクト、嬰児殺し、身体虐待の三つの異なる事件を二年間かけて徹底的に取材しました。

「厚木市幼児餓死白骨化事件」(ネグレクト)
未熟な夫婦が3歳の子をアパートに二年間以上にわたって放置。子は「パパ、パパ」と呼びながら絶命。遺体は7年間放置された。

「下田市嬰児連続殺害事件」(嬰児殺し)
奔放な男性遍歴の果てに妊娠を繰り返した一人の女性。彼女は自宅で出産した嬰児を二度にわたってひそかに殺害し、遺体を天井裏や押入れに隠した。

「足立区ウサギ用ケージ監禁虐待死事件」(身体虐待)
夫婦が3歳児をウサギ用ケージに正座させて閉じ込めた末に死亡させた事件。遺体はまだ見つかっていない。2歳の次女には犬の首輪をつけていた。

この本のテーマは、ひたすら残酷性を追うものではありません。
事件の加害者である親は、みな一様に「子供を愛していた」「大切に育てていた」と語っているのです。それが、なぜ殺害に至ったのか。
愛とは何か。
育児とは何か。
そうしたことをテーマに考えていく、ヒューマン・ノンフィクションです。





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