石井光太 − 旅の物語、物語の旅 −

先日書いた入試問題が我が家に届いたので、早速解いてみた。
「この時著者はどう思ったか」とか「なぜ著者はこうしたのか」というような質問がくると我ながら照れる。
しかし、さすがに僕が書いていて、さらに登場人物の一人でもあるので、解けないということはなかった。
けど、中学生3年生にとって「インドの根底で生活する人と日本人の交流」の話なんて相当難しいだろうな、と思った。

で、ちょっと意地悪をして、周りの友人にも解かせてみることにした。
だが、何人かにやらせてみて、それがすごくツマラナイことに気がついた。
周囲の人たちの「偏差値」が異様に高いことに気がついたのである。

たとえば、僕が「数学が苦手」というと、本当に苦手なのである。
それこそ成績が「1」だったりするので、今でも分数の計算すらできない。
嫌いなものはとことんやらない主義で、好きなものだけをとことんやる主義だったのだ(だから成績は1か5しかなかった→笑)。
なので、「いや、この科目は苦手で無理ですよ」というのは、本当に無理であることを示しているのだ。

ところが、僕の周りの人たちはみんな東大・京大、あるいはオックスフォード、コロンビアの出だったりする。
悪くても早慶上智のレベルである。
彼らの「嫌い」とか「苦手」というのはまったくもって信用がならない。

たとえばつい先日も、「刺青」の話に登場した友達に「おい、おれの問題を解いてみろよ」といった。
その人は桜蔭を卒業して、国立大学の医学部に入った経歴をもっている。となると、「国語は不得意」といっても、僕なんかにしてみると全然苦手科目じゃないのだ。
数学や理科や英語なら100点を取れるが、国語なら95点、といったレベルなのである。
95点のどこが苦手なんだ、と言いたくなるが、その人にとっては苦手なのである。

ふと考えてみると、出版社の人なんかも同じである。
みーんな偏差値的には最高値である。最低で70ぐらいのレベルである。たぶん、僕がこれまで本名で仕事をした時の担当者の最低学歴レベルが早稲田と慶応だと思う。

正直にいって、僕はまともに就職したことがない。
なので、偏差値とか学歴というのが、どれだけ意味のあるものなのか、かいもく見当もつかない。
僕が生きてきた世界は登校拒否児だろうと大学教授だろうと、すべて「平等」だったのだ。「面白きゃいい」ので当然といえば当然だ。
そこには学歴の壁なんてまったくない。

しかしふと気がつくと、周りには超高学歴の人しかいない。少なくとも一緒に仕事をしている人はみんなそうだ。

僕は仕事の取材中「世界最低レベルの偏差値の人々」と一緒に暮らしている。
文字も読めないような人たちである。いや、自分の年齢や名前すら知らないような人たちである。
そう考えると、僕は日常的に「世界最低レベルの偏差値の人々」と「世界最高レベルの人々」と触れ合っていることになる。

ただ、この二極を見ている限り、僕は一度として「違い」を見出したことはない。
「世界最低レベルの偏差値の人々」におけるダメンズのパーセンテージも、「世界最高レベルの人々」におけるダメンズのパーセンテージもまったく同じなのだ。
バカはバカだし、いい人はいい人だ。
どっちがその率が高いかなんてことはない。同じぐらいバカもいい人もいる。
何にも「差」なんてない。

たぶん、違うのは給料の値段ぐらいである。
会社に勤めている人と話をするとよく年収の話がでる。
つうか、サラリーマンが2人集まって酒を飲めば、確実に一度は「年収」という言葉がでる。
それを考えると、たぶん「年収」がアイデンティティになっているのだろう。

だろう、というのは僕自身がその経験がないので知らないのだ。
僕は月給もボーナスももらったことがない。生まれて一度もない。
その年の収入もまったく違う。もちろん、日給だって、時給だって違う。

人のことだけじゃなくて自分のことも言えといわれるだろうから、ぶっちゃけると、たとえば今日は昼に一本簡単な仕事をした。時間にして1,2時間だろうか。
正確にはわからないけど、たぶんそれだけで5〜10万円ぐらい入ってくると思う。
明日は二つの出版社に顔をだして打ち合わせをするが時給ゼロ円である。もちろん、交通費は自腹。(しかし、晩しゃぶしゃぶを食えるらしい)
明後日は時給4万円。けど、同じ日の午前中に出す予定の企画書は何枚つくっても一円にもならない。
こんな状態なので、僕にはまったく年収アイデンティティというのがないのだ。そもそも確定申告で計算してみなきゃ、自分がその年にいくら稼いだのか想像もつかない。だから「たぶん」としか言いようがない。
(確定申告つったて、源泉徴収をださない会社も意外にあるので正確には永遠にわからない)

ともあれ、偏差値の差が生み出すものなんて、年収ぐらいだろう。
それも、日本においてはせいぜい3倍とか、4倍ぐらいの差だと思う。
(実は年収の平均もよく知らない。30代の契約社員が300万だとして、30代の一流企業の社員が1000万だとしてそれぐらいの計算になるのではないか?)

これだって、タクシーで帰るか、電車で帰るかの違いだろう。
あるいは、ビールを飲むか、ウィスキーを飲むかの違いだろう。
もしくはクラブでバカみたいにホステスの足をさわるか、頑張って出会い系サイトでメールをだしまくって相手を見つけるかの違いだろう。

僕のようないい加減な人間には、この差がまったくわからない。
たしかにタクシーなら寝れるけど、電車なら本を読むことができる。
酒なんて二杯目以降はドンペリを飲もうと、発泡酒を飲もうと同じだ。
クラブのホステスの足を触ってエロ親父と思われるのと、毎日せっせとメールを出して「キモイ」と思われるのとどっちが良いかなんかわからない。

けど、たぶん、彼らにとっては「差」が見えるのだろう。
だから今でも一生懸命に塾通いをさせる親がいるのだと思う。
そういえば、昨日駅から家に帰る途中の有名進学塾の前に親が百人以上行列をつくって子供がでてくるのを待っていたっけ。

しかし、僕にはまったくわからない。
普通に社会人として生きるには必要なのかもしれないけど、そもそも僕にその経験がないので、「いい子に育てば何でもいいんじゃん」と思ってしまう。
僕は「いい人」の条件は、金があるなしじゃなく、やはり「思いやりがあって、夢があって、勇気があるか」だけだと思う。
それさえあれば、どんな国でも、どんな社会でも、必要とされるだろうし、信頼されると思う。
もし僕が親になったら、単にそれだけしか望まないだろうなー。
たぶん、「能天気なバカ親父」なんだろうけど。

先日、祖母が倒れて、病院に担ぎ込まれた。
いま、僕は確定申告やらゲラの校正やら取材やら雑務を片付けるために帰国しているのだが、その翌日にぶっ倒れたのである。僕の保持する「アフリカ菌」にやられたのかもしれない。

それはともかく、件のばあ様が検査ということでMRIを受けることになった。
その時、医者が突然こんなことを訊いてきた。

「おばあ様に刺青はありませんか?」

90歳ぐらいのばあ様である。まさか「ヨサク命」などというような刺青はあるまい。
なぜ刺青のことを訊くのかと尋ねると、医者いわく「刺青の墨には鉄分が入っていて、それがMRIに反応して火傷をしたりするんです」とのこと。
つまり、刺青をしている人というのはMRIが受けられないのである。

え? まじ?

という感じである。
早速翌日、仲の良い医者にその話をしてみた。
彼女は小児科医で、MRIも日常的につかっているらしい。
彼女いわく、「MRIは強力な磁力をつかうので、髪のピンなんかをつけたりすると、飛んでいって刺さってしまうこともあるから、絶対に金属は身につけちゃいけない」のだそうな。
また、もっと驚いたのが、彼女が刺青に鉄分が含まれていて、それゆえMRIがNGになることを知らなかったということだ。
MRIと日常的に接する医者ですら知らないのである。刺青屋が知っているわけがない。あるいは刺青をいれたいと思っている人が知るわけがないのだ。

これって、すごい大きな問題ではないだろうか。

MRIを受けられないというのは、命にかかわることだ。
もし刺青をすることで、そんな事態になるなら、事前に説明を義務付けるべきだ。
刺青屋が客にちゃんと説明をして、同意書を書いてもらう。そうでなきゃ、刺青なんてさせるべきじゃない。
なのに、今はすべて野放し。専門医以外だれも知らない。刺青屋も、刺青を入れたいと願う人も、まるで知識がないままに、体に絵を描いている。
おそらく刺青という世界が一種のグレーゾーンになっているからこそ、そうした問題が起きてしまっているのだろう。
刺青がいいとか、わるいとかいうことではなく、こうしたことはちゃんと広く伝えられるべきことだろう。

というわけで、今度ちょっとこれを調べてみたくなった。
刺青もそうだし、似たようなものも結構ありそうな感じがするからだ。
これについての情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、教えて下さい。コラムみたいなもんで、どこかで書かせてくれないかなー。

時々、講演をしろ、という話が来る。
僕なんかビジュアル的によろしくないし、年寄りでもないので何を発言しても説得力に欠ける。
なので、僕なんかが話をしても意味ないんじゃないかなと思うのだが、意外にそういう話がくるのである。

一番多いのが、医療系の施設だろうか。
たぶんアジアの障害者についての本を書いているからだろう。
日本の最先端医療に携わっている人にとっては、180度異なる世界について知りたいという思いがあるのかもしれない。

話の内容については、色々と困ることがある。
本ならば相手が見えないので、何だって書ける。雑誌だって僕が書かせてもらえるような媒体なら相当自由がきくので、そんなこと考える必要はない。
不機嫌になる人は僕の知らないところで不機嫌になっているし、悲しむ人は僕の知らないところで悲しんでいる。

が、実際に人の前で話をするとなると、事情が異なってくる。
たとえば障害者のいる施設で「障害者になると物乞いをせざるをえなくなる」なんて話はしにくい。
まぁ、それはよしとしても、たとえばそうした障害をもった物乞いたちがお互いにレイプし合っていたりする現実も話しにくい。
もっというと、海外への援助金が、現地の人の買春費用に消えているなんて話はNGOなんかじゃしにくい。
話が重いぶん、直接人を前にすると、「いやー、これ以上はマズイかな」と思うことが多々あるのだ。

それに、僕は実際に体験している人間なので、たぶん感覚的には相当ズレていると思う。
この話なら問題ないだろ、と思ってしゃべると、相手がドン引きしていたりする。
女性からデートに誘われて、一流レストランで食事をしている最中に、「いやー、この食事うまいね。先週まで乞食と残飯食ってたからな―。残飯っていうのは、ネズミ殺し用の毒が入っていることがあるんだよ。運悪くそれにあたると死んじゃうんだよね。それに比べ日本の飯は安全で、うまい! 最高!」なんて言おうものなら、食事もデートもジ・エンドである。
講演となると、いわずもがな、である。

そんな時は、一般的に「ジョークでごまかす」という方法がとられる。
だが、講演に参加される方は意外にまじめだったりするので、僕のおっさんギャグが通じないことがしばしばある。
つまらないギャグやくだらないギャグならまだいい。僕の場合、一般社会と接点のない生活を送っているので、自分のギャグがまったく理解されないのである。
「つまんねー」という反応ではなく、ひたすら「?」という反応なのである。こういう視線は痛すぎる。
かなり悲惨なことになる。
ず〜ん、というムードと視線が僕に長らく直撃する。自己嫌悪に陥るしかない。

今回の一時帰国は2週間ほどだが、その間に2回話をすることになった。
初回は医療の専門家だけが集まって聞くもの。もう一つはNGOが主催する講座である。
前者はなんとか平穏無事にクリアした(と思っている)。後者は今週の末にある。
なんとか、うまく終わらせて、再び海外に飛びたいものだが、いったいどうなるのやら。

国境なき子どもたち10周年記念公開講座『シリーズ アジア』
http://www.knk.or.jp/japan/com/event/2007/series_asia.htm

先日、ある出版社からメールがきた。

本年度のある学校の入試問題にあなたの文章が使用されたので、テキストに使用する許可を頂きたい、とのことだった。

都内にあるかなり有名な進学校の入試問題だったらしい。
毎年東大に数十人も入学者を送り込むようなところである。

正直、自分の文章が入試問題になるなんて、これっぽっちも考えたことがなかった。
そもそも入試問題といえば、文豪の作品か、小林秀雄などの格調高い評論がほとんどである。

一方、私の文章なんて、例えて言えば、生ゴミのようなものだ。
股間だの、垢だの、精力剤だのという描写が最初から最後まで並んでいて、品もクソもない。むしろ、下品である。
どう贔屓目に見ても、入試問題に適しているなんてお世辞にもいえない。
なのに、名門高校の入試問題になってしまったのである。

件の作品は、『布団乞食』というものだ。
インドのコルカタにいた布団を買ってもらっては売っている乞食の女性についてのエッセーである。
ちょうど二年ほど前に文芸誌『新潮』に書いて、去年の春だったか夏だったかに『ベストエッセー2006』という本に掲載された。
考えてみると、この本は光村図書という教材関係もあつかっている出版社である。
もしかしたら、学校の先生というのは、こういう本から入試問題に適した文章を探しているのかもしれない。(まったくの推測である)

ともあれ、自分の文章がテストになったという思いがけない話をきいて、ふと思った。

これは喜んで良いものなのだろうか?

私は常々「中学生でも読んで何かを感じられる文章」を目指して書いている。
だから、一般的なノンフィクションにあるような時代背景の説明や、引用・統計や、国の事情などは極力排除している。小難しい話も一切しない。
その国がどこにあるのかも、その国の人間の肌が何色をしているかも知らない人にも、読んで何かを感じてもらいたいと思っているからだ。
そこがノンフィクションらしくないといわれるゆえんなのだろうが、私はそんな権威的なくだらないことよりも、誰もが読めて、誰もが何かを感じられるものをつくることを最優先しているのである。

恥ずかしながら本音をいえば、特に中学生、高校生に一番読んでもらいたいと思っている。
これまで私にとって一番うれしかった「書評」は、朝日新聞に高校生が拙著についての感想を投稿してくれた時のことだ。
どんなに有名な作家や評論家に賞賛されるよりも、そっちの方が何千倍もうれしい。

だが、テストに出題されるということは、「問題になるぐらいの理解しにくいもの」があるということになる。
もちろん、入試問題には吉本ばななさんのような文章も使われているわけだから、必ずしも難儀なものである必要はないのかもしれない。
そういう意味では、ちょっと安心していいのだろう。

けど、少なくとも文章を読んで、受験生が眉間にしわをよせてアタマをひねっている様子を思い浮かべると、複雑な気持になる。
「大丈夫だよ、そんな難しくないよ、肩の力を抜いて読んでくれ」と声をかけたい気持になる。
受験生の息子や娘をもつ親のような心境である。

ともあれ、今度入試問題をもらって、ちょっと解いてみようと思う。
自分の文章なので、まさか漢字の読み書きや指示語問題を間違えることはないと思うが、なんか不安だ。

人間の体というのは、自然に「適応」してつくられたものだ。
皮膚の色も、体系も、なにもかも環境に適応して進化した形である。

が、それが悲しい。
とくに、僕のような純日本人的な体格の場合は悲しい。

僕は丸坊主なので、日光と、寒風にとても敏感だ。
なので、旅に出るときは、帽子をもっていくようにしている。
しかし、僕は物忘れがひどく、こと帽子に限っては、確実になくす。
今回は2つもっていったのにもかかわらず、到着後一週間で両方ともなくしてしまった。

前回はイスラームの取材だった。中東の人間は頭がデカイ。
なので、僕のような頭デッカチでも、ちゃんとサイズのあう帽子がある。
しかし、黒人は頭が小さい。僕がかぶると、まるでプロレスラーが子供用の帽子をちょんと頭にのせたような感じになってしまう。頭がでかくて被れないのだ。
おかげで頭皮を日焼けしまくって、一日が終わると、ペリペリと頭の皮をはがす毎日がつづいた。
時には、まだ死んでいない皮膚をはがしてしまい、頭皮から血を流してバンドエードを貼ることもあった。
宿の主人にギョッとした目で見られたが、仕方ない。
日本人(いや、僕の頭が特別なだけか)と黒人の体格の違いというのは、こんなところにも現実問題としてでるのである。

体格の問題で一番なのは、足の長さだろう。

外で飯をくうときは、テーブルというものが存在しない。
高い椅子の上にすわり、皿を膝に置いて、左手でコップをもち、右手で食べる。
黒人たちは足が長いので、高い椅子にすわっても、膝がつんと上を向くぐらいに立つので皿を乗せられるのだ。
しかし、足の短い僕はそうはいかない。座ると、膝が下を向いてしまう。黒人なら頭と膝の角度がL字型になるのだが、僕の場合は足が短いので「く」の字型である。そこに皿をおくと、落ちてしまう。
なので、一人で地面にすわって、あぐらをかいて食べなければならない。
地面は人々がすてた骨やら残飯やらで散らかっている。そこにすわり込んでたべなければならないのだ。

足の長さといえば、小便が痛い思い出としてある。
アジアや中東の場合は、いわゆる和式便所のようなところに小便すればいい。
しかし、アフリカはちゃんと小便用の便器がある。これが、非常に「高い」のだ。
彼らの足が長いからだろう。
(まさか、アソコが長いから、ということはあるまい。そうだったら実にショックである)
短足の僕には高さがあわず、しかたなくイチモツを握って、上にむけて、聖水を発射するしかない。

ただ、それだけならいい。
が、黒人つうのは黄色人種が珍しいのか、小便をしていると黄色いイチモツのサイズをチェックするために覗き込んでくる(インド人もコレをやってくる)。
僕はイチモツを握り締めて、懸命に上に向けて発射している最中である。
黒人は驚きのあまり絶句して、「おまえ、なにやってんだ」という同情のまなざしで僕を見つめてくる。
こんな時である。自己嫌悪に陥るのは。
欧州でもこういうことはあるが、のぞきこまれて、陵辱されたためしはない。実に、みじめである。
ちくしょう、この野郎、と心の中で叫ぶが、足の長さも、アソコの長さも勝てぬのだから、それを声にだせるわけがない。
俺の馬鹿野郎、である。

まぁ、明日からちょっとアフリカ滞在を中断して、パキスタンへ入るから、この屈辱とはしばしオサラバである。
ただ、パキスタンでは18日に大統領選挙が控えている。どうせ爆弾テロがおきまくるだろう。
その前になんとか脱出したいけど、まぁ、そんなうまくいくわけがない。まったく、どうなることやら。
今年一通りアフリカを終えたら、しばらくは日本を舞台にしたいと思っている。
ま、神様仏様、僕のアフリカでの屈辱を考慮して、何とか無事に終わらせてくれよ、と願う日々である。

インシャ・アッラー

アジアの人間は、若くみえる方だと思う。
アフリカにうろうろしている中国人を見ると本当にそう思う。たぶん、20代半ばぐらいの女性でも中学生のように見える。30代でも20歳そこそこに見える。

僕は、日本ではかなり老けている方だ。
中学生のときに、すでに「おじさん」と呼ばれ、高校の時にキャバクラにつれていかれて社長と呼ばれた。しかも、流行にうといので、確実におっさんキャラである。
いまは、昔よりマシになったが、それでも7,8歳上に見られる。実年齢30歳だが、外見は38歳前後である。下手をすると、40歳以上にも見られる。

しかし、中東やアフリカにくると、それが逆転する。
なんと、若く(!)見られるのである。

何歳ぐらいに見られるかといえば、20歳そこそこに見えるらしい。
大学生か、それよりちょっと上ぐらいに思われる。日本だと8歳ぐらい上に見られるのが、逆に8歳ぐらい年下に見られるのである。
しかもアフリカの女性は、中東の女性と違って、すぐに「結婚しよう」といってくる。もちろん、日本に行きたいだけである。なので、口癖のように知り合ったそばから「結婚して日本へつれていってよー」という。
それでも、若く見られ、さらに「結婚しよう」とくるものだから、なぜか自分がイケ面になったような気になってくる。
しかも、ずっと黒人のなかにいるものだから、自分まで黒人のようなすらっとした8頭身のハンサムボーイになった気がするのである。

が、そんなときである。地獄を垣間見るのは。

町を歩いていて、ショーウィンドーに自分が映るのである。
それまで、20歳の8頭身のイケ面だと思い込んでいたのに、そこに映っているのは薄汚く日焼けしてメガネをかけた浮腫んだ男なのである。
腹が出て、脂ぎったエロい中国商人としか見えない。

まさか、これが自分じゃないだろ、と否定する。
現実と格闘する。
だが、ガラスに映った野郎は、まさしく自分そのものなのである。

海外はいろんな夢をもたせてくれるところであるが、一方で非情な現実も見せてくれるところである。
つくづく、若気の至りともいうべき思い上がりはしたくないものだ。

ごぶさたしています。

実は、いまアフリカにおります。
(詳細はメルマガに書きましたので詳しくは割愛)
まぁ、わけあって、アフリカで年を越しちゃいます。

しかし、アフリカというのは、日本からはずいぶん遠いものですねぇ。
距離ではなく、いろんな意味での「感覚」が。

ともあれ、こっちに来て思うのが、とにかく中国の力がスゴイことです。
中国の経済力がそのまま溢れ出して、アフリカに流れてきているような気がします。
その昔、日本がどっと東南アジアに進出して無茶をやったように、今中国がアフリカに押し寄せています。
それと同時にわずかにあったアフリカにおける「日本」がどんどん消えていっているように思えます。

あと、十年、いや五年したら、アフリカにおける「中国」がものすごく大きな問題になってでてきそうな気がします。

では、みなさん、良いお年を。





先日、朝日新聞でパキスタンのペシャワールという町についての紹介文が載っていた。
そこに、アフガニスタン難民キャンプが次々とつぶされて、人々が帰還しているというようなことが記されていた。

御存じ、アフガンは30年近く戦乱がつづいた。
そのため、数百万という難民が国境を渡って隣国のパキスタンとイランに逃げた。
(一説には一千万人を優に超すともいわれている)
ペシャワールというのは、その国境の町の一つで、数十万人というアフガニスタン難民が暮らしている。
僕が生まれて最初にした本格的な海外旅行で目にして世界観を覆されたのは、その難民キャンプだった。もう十年以上前のことだ。

これまで、僕は本やらエッセーやらで何度かペシャワールの町について書いてきた。
本でいうと、『神の棄てた裸体』の「兄弟の秘め事」というのが、それである。ただ、「難民」をとりあげる以上、いつか「父と子」をテーマにしたものを書きたいと考えていた。
そうしたところ、旅行人の蔵前さんから「好きなことを書いていいよ」ということでスペースをいただけることになった。それで意気込んで、やらせていただくことにした。

それが以下の雑誌に掲載した「アフガントラックの絵師」という作品だ。アフガニスタン難民の絵師である父と、パキスタンで育ったその子供の話である。枚数でいえば、原稿用紙40枚ほどである。
ご興味があれば、読んで頂ければ幸いです。

旅行人157号インド最奥部グジャラート

僕の本を読んだ人が抱く否定的な感想というのは、大体以下の二つになる。
これまでメールでも何件が問い合わせがあった。なので、ちょっとここで答えたいと思う。


>旅行している時、言葉の問題があると思います。
>本ではスラスラ書いていますが、実際はそうならないはずです。
>そこが疑問です。

これは、こんどメールマガジンに細かく書く予定だ。
ただ、ちょっと触りの部分だけ言うと、バラバラの言葉をどうやってまとめるか、というのが「書く」という技術でもある。

週刊誌のインタビューを思い描いてもらいたい。
たとえば10月に僕は「週刊現代」でインタビューを受けた。その記事では、僕が一人称で語っているように書かれている。
しかし、実際は、その場には僕の他に、フリーライター、講談社の編集者、カメラマン、新潮社の編集者、新潮社の宣伝部の方がいた。みんながバラバラにしゃべって、そのなかで僕がそれについて相槌をうったり、説明をしたり、編集者が補足説明をしたりしている。
だが、こうしたことをすべて時系列にまとめたら記事にはならない。そんな「事実」を書かれたら、読者は誰が何を話しているのかまったくわからなくなるだろう。
だからこそ、ライターはそこでの発言をすべてまとめて、僕の一人語りとして記事を作成する。僕が話したことを少し変形させ、人が話したこともまじえ、「僕の言葉」として描くのである。
つまり、記事というのは一つの事実を一度<再構成>して読みやすくするように形を変えたものなのである。
そして、それをどうやってうまく<再構成>できるかが、そのライターの「技量」ということになるのである。
(実際、一言一句同じもの、時系列どおりのもの、というのは存在しない)

これは海外ルポにしてもまったく同じことだ。
本のなかでは、僕がいて、取材対象者がいる。しかし実際はそれだけじゃない。通訳もいれば、近隣の住人もいるし、タクシー運転手もいたりする。みんなが勝手に思ったことを話したりやったりする。英語もあれば、現地語もあるし、ジェスチャーもある。
しかしそれを全部書いていても記事にはならない。誰がどう訳してくれて、どのジェスチャーが何を意味していたかなんて書いたら、読み手は何がなんだか理解できない。
だからこそ、余分なところを全部排除していって<再構成>し、僕と取材対象者の関係を浮き彫りにする。これが記事になる。

つまり、書くという方法は、このように一つの出来事を読者が理解できるように、あるいは読者にテーマがつたわりやすくするように描くものなのだ。それをしなければ、そもそも記事として成立しない。
これは書き手にとってみれば、当たり前のことである。

もちろん、そうした書くという作業の裏側を知らなければ、「一体何ヶ国語話せるのか」という疑問を抱のは当然だ。
ただ、上記のことを理解していただければ事情をわかってもらえると思う。
「書く」ということは、書き写すことではなく、「描く」ことなのである。

※これ以上細かいことはメルマガで書いているので、興味のある人はそちらをご参照ください。


>とても小説的に書かれていて物語風でした。
>どこからどこまでが本当なのか疑問です。

こちらも時々訊かれることだ。
珍しい書き方なのでそう思うのだろう。

つうか、こういう話を聞くと、「その気なら小説書いてるよ」と思う(笑)。
そもそもノンフィクションなんて書くだけで数百万円の赤字である。メルセデスベンツ一台買えるぐらいの赤字である。そんな大金をはたいて、命の危険を冒してまでフィクションを書くバカがどこにいるのだろう?
どうせフィクションを書くなら、「フィクションだ」と最初から宣言して、取材費もかけず、危険もおかさず、日本の書斎で筆だけとっていた方がいいに決まっているじゃないか。

と、まぁ、そんなふうに憤慨しても仕方ないのでちょっと説明しよう。

前にもチラッとブログで書いたが、要は書き方の問題である。
事実をどう料理するかということが、「書く」という作業なのである。
前にテレビの例をだしたが、それをもう一度書こう。

たとえば、あなたが旅行をして、人と出会い、別れたとする。
ここに一つの体験としての事実の塊がある。
しかし、その体験を表現する方法は何千通りとある。たとえば次のような例を出したい。

 崗霰大陸」として人を追ってみる
◆屮廛蹈献ДトX」として紹介する
「報道ステーション」の報道にする
ぁ崢まで生テレビ」で討論してみる

どうだろう?
すべて事実の話である。
しかし、事実は事実でも、それをどう構成するかで、我々の目に映る形がまるで違う。
ある方法をつかえば事実が物語にもなるし、ニュースにもなるし、討論にもなるのだ。
そして作り手というのは、何を訴えたいかによって、作り方を変えるのである。

たとえば、「人の一瞬の輝き」を描きたければ,最良だ。い任賄底描けない。
「人間ドラマ」を描きたければ△いい。にしてしまったら味けのない説明になってしまう。

わかっていただけただろう。
事実というのは事実としてある。しかし、それをどうやって構成するかによって、まったく形が変わるのだ。
そして、これこそが「描く」という作業なのだ。
僕は『神の棄てた裸体』を書いた時、テーマを<それでも人を愛さずにはいられない人>としていた。さらに、それを疑似体験させるような作品にしたかった。
そうするには伝記的な形でもダメだったし、新聞報道的な書き方でもダメだった。そういう方法では絶対に描ききれないと判断した。それで考え抜いて小説風の描き方にした。だからああなった。ただそれだけの話である。

(今でも憶えているが、原稿自体は2006年の12月頃に提出する予定だった。最初はいわゆるノンフィクション的な方法で書いた。しかし、どうしても僕の意図通りにならなかった。登場人物の「心」が浮き彫りにならないのである。それで12月に担当編集者から原稿催促の電話をもらった時、考え抜いて「もう数カ月待ってほしい。全面的に書き直す。これまで書いたのはすべてボツにして、吉行淳之介がやったような性の描き方に全面変更したい。そうしなきゃテーマがつたわらない」といって提出を2007年の春まで遅らせてもらった。この時、徹底的に文学的な書き方にしようと決心したのだ)

僕は「ノンフィクション」という形がこれまでとても狭い意味合いでしか使われてこなかったと思っている。
本当にいくつかの方法論だけをもって「ノンフィクション」といっていたように思える。
だからこそニッチな分野としてニッチな人たちに支持されることに成功したんだろう。

しかし、テレビでいえば「情熱大陸」だって、「プロジェクトX」だって、「報道ステーション」だって、「朝まで生テレビ」だって全部、ノンフィクション=ドキュメンタリだろう。
どれか一つだけがノンフィクションで、あとは全部「つくりものだからノンフィクションではない」なんていうほどバカバカしい話はない。

僕は自分のやり方が正しいと思っているわけでもないし、いいと思っているわけでもない。

ただ、いろんな形があるべきだと思っている。
書き手が100人いれば、100通りの描き方があるべきだと思っている。
事実が1つであっても、書き手が100人いれば、100通りの方法で現実を提示すべきだと思っている。
100人が100人同じ方法で、同じ視点で、同じ結論をだしてどうなるというのだろう?

「この方法論こそがノンフィクションで、他はNGだ」といいたくなる人の気持ちがわからないでもない。

しかしそういう人は結局のところ事実=ノンフィクションの多様性を狭めているだけではないだろうか。

※こちらもメールマガジンで細かく書いていくつもりだ。
 現実という塊をどう切り分けていけば<形>になるかということについて。



追記

ところで、なぜこういう話になるのだろうか?
文章表現は大きく二つに分かれる。
「フィクション」と「ノンフィクション」である(分けること自体バカバカしいけど)。
「フィクション」のなかには、SFだったり、ミステリだったり、純文学だったり、エロ小説だったりがある。
「ノンフィクション」のなかには、伝記だったり、報道だったり、紀行だったり、告白だったりという分野がある。
だからこそ、「SFはフィクションである」とか「告白本はノンフィクションである」といえるのである。
だが逆にこれは弊害もある。「告白としての純文学=私小説は、フィクションじゃない」とか、「小説の文体で書いた紀行文はノンフィクションじゃない」という変な話がでてくるのである。
あるいは、こういう見方も出来る。
「フィクションはつくりもの」で「ノンフィクションは事実」という分け方だ。
こういう強引な分け方をするから、「私小説は小説らしくない」とか、「紀行文はノンフィクションらしくない」となる。
じゃあ、この二つは、どっちになるというのだろうか?
いや、そもそもどっちかに分けなければならないものなのだろうか?
人は何でもカテゴリ分けしたがる。そっちの方がわかりやすいからだ。
しかし、そもそも物事というのはそんな簡単にカテゴリ分けできるものではない。
それを強引にしようと思うところに「ひずみ」が生まれるのではないか。


僕の名前は「石井光太」。
本名である。

最近外でよく「こーた」と呼ばれる子供を見かける。
どうにも「こーた」という名前が多くなったようだ。

子供の時「こーた」という名前の人はほとんどいなかった。
親戚が僕の名前を聞いて「こーたろう」じゃないのか。何かの間違いだろ、といって大笑いしたという。

そういえば、「こうたろう」はいた。
「沢木耕太郎」だってそうだし、「高村光太郎」だってそうだ。
しかし「こーた」というのは、あまりいない。つうか、僕はこれまで同じ年代の人で「こーた」という名前に出会ったことがない。
それぐらい「こーた」という名前が不自然だったのである。
たった20年前のことだ。

そういえば、昔の日本では、人は出世の度に名前を変えていった。
身分が一つ変わるごとに、苗字から名前までぜんぶ変えちゃうのである。
たとえば、豊臣秀吉がいい例だ。

日吉丸→木下藤吉郎→羽柴秀吉→豊臣秀吉

たしかに出世するにつれて、カッコよくなっている。
今で言えば、係長→課長→部長となるにつれて名前を変えるような感じだろうか。

あ、そういえば、昔僕の友達で水商売していた子が同じようなことをしていた。
スナック→キャバクラ→クラブと渡り歩く中で、名前を変えていったのである。たしかに、これもソレらしく変えていたっけ。

ちなみに、人っていうのは、なぜか名前を考えるのが好きだ。
仕事で知り合いに文章を書かせたりすることがあるのだが、なぜかペンネームの考案から考えだす。
特に女性がそう。
書く内容すら決まっていないのに、なぜか徹夜してまでペンネームを考える。
「そんな暇があったら、ちゃんと内容を考えろ」といいたくなるが、そうしてくれない。
きっとペンネームを考えることで「何かに浸っている」のだろうが、その「何か」はわからないし、わかりたくもない。

念のため言っておくが、僕は、ペンネームと本名二つで仕事をしているが、まともに考えたためしがない。
ペンネームは母方の苗字に、「光太」の前に候補にあがっていたという名前をつけた。五秒で考えてつけた。

本名をつかったのは『物乞う仏陀』がはじめてだ。
出版が決まった時に文藝春秋の局長さんに「石井光太。いい名前だねー。タイトルにも合う」と言われた。
で、そのまま黙っていたら、本名で掲載されることになった。
なんのこだわりもなかったので、それ以降今に至るまでノンフィクションの仕事は本名で通している。

僕は別に名前にこだわらない。どーでもいいのだ。

しかし、一つだけ名前と言われて思い出すことがある。
小学生の時、放課後になると、同級生の悪ガキ仲間と一緒に、同じクラスの女の子がやっている交換日記をのぞき見した。
好きな女の子が自分の名前を書いていないかどうかをチェックするのが楽しみだったのである。

女の子の机から日記を引っ張り出して開いてみると、悪ガキ仲間の名前は「鈴木」だとか「佐藤」だとか書いてあるのに、僕の名前だけ「コータ」と書いてあった。
かならずカタカナで「コータ」なのである。

それを見るたびに、嬉しさと寂しさが入り混じった不思議な気持ちになった。
「コータ」と書いてあるのは「親しみ」があるからだろうが、はたしてこの女性は僕のことを好きなのか否かと悩んだのである。
今思えば、阿呆な苦悩だ。恥ずかしい。

ただ、そのせいか、いまでも道端の小学生が「こーた」と呼ばれているのを聞くと、交換日記に書かれていた「コータ」の字を思い出す。

ああ、この子も交換日記に「コータ」と書かれているのかな、と。

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