石井光太 − 旅の物語、物語の旅 −

先日、文芸誌で企画されたイタコとの対談した際に、「口寄せ」をやっていただきました。

その時の画像。対談内容は、来月22日発売の『読楽』をご覧ください。


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昨日、青森のイタコと対談をした。

イタコというのは、故人の霊をおろす「口寄せ」で知られている。
が、実際はイタコは治療などもする人であり、「口寄せ」はそのうちの一つにしかすぎない。
また、恐山に常駐しているわけでもなく、10月の祭りのときだけやってきて、あとは地元で地元の人たちのために生きているのだ。
今年は来月の10日ごろからあるそう。

とはいせ、せっかくなので、恐山の写真を公開する。

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「霊場アイス」が売っています。あんまりおいしくありませんでした。

いま、新書の市場は、飽和状態です。
が、その新書市場に、児童書の老舗ポプラ社が参入。
9月18日をもって、創刊シリーズを発売。11月からは毎月定期刊行します。

その中で、僕の本も創刊シリーズに入っています。
「世界の美しさをひとつでも多く見つけたい」
というタイトルです。
僕の半生を描きつつ、極限状況の中からいかに「感動」を見つけ出し、その「感動」を一つの文学として表現していったかという体験を書いています。
僕の本を読んだことのない人に向けて、あるいは石井とは何ぞやと思っている人に向けて、「感動の探し方」というテーマで書いた本です。
すでに発売予約が開始されていますので、宜しければお手に取ってみてください。



なお、この創刊を記念して、「創刊ドキュメント」を書きました。
ポプラ社の新書創刊に携わった編集者や社長にインタビューをして、ポプラ社としては「書いてほしくないこと」満載の連載です。
(おいおい、ポプラ社で本を出すのにこんなこと書いてだいじょうぶか、という話も)
毎日(営業日)更新、全10回にわたって書きますので、宜しければご覧ください。どのようにシリーズが創刊され、編集者や筆写がどのような気持ちで、どのようなことに巻き込まれて本が出ていくのかがわかると思います。

ポプラ新書創刊カウントダウン集中連載

そろそろ夏が終わる。

夏というのは、あまりの暑さで頭があまり働かない。
文章を書くにはあまり適した季節ではないのだ。特に重い作品には適さない。文章に体重がのっからないのである(ボクサーのパンチみたいだな)。

ともあれ、この夏は、正直細かい仕事がつづいた。
突発的に文庫の刊行が決まったり、Q&A形式の新書をまとめたり、2年前に書いたエッセーをまとめたり。

ただ、これももうすぐ一段落。

11月からは、一転して、超ヘビー級の作品に取り組んでいくつもりです。

11月はまず、先月「小説新潮」での連載が終わった『蛍の森』の刊行。
これは僕が学生時代からずっと取り組んできたテーマであり、去年の夏から全身全霊を込めて書いた小説です。
四国遍路の森にあった、ハンセン病患者たちの隠れ里の話。
この2年間は、この作品を出すために費やしてきたと言っても過言ではないですね。
何より読んで頂きたい作品です。

年明けは、ヘビーな作品の文庫化があります。

『飢餓浄土』→河出文庫、1月
『遺体』→新潮文庫、2月

です。
思えば、『飢餓浄土』は3.11が発売日で、くしくもその日から取り組むことになったのが『遺体』でした。
3.11の翌週からは『飢餓浄土』関連の刊行イベントがたくさんつまっていたのですが、それをすべて捨てて東北へ行った時のことが思い返されます。
この二つはすでに出来上がっている作品なので、おそらく『蛍の森』のゲラを終えてから細かな作業に取り掛かることになるでしょう。
問題は『遺体』の文庫版に、いま電子書籍で発売している続編『「遺体」それからの物語』を入れるかどうかですが、これについては熟考します。また決めていません。

文庫が終わり、春〜夏は取材・執筆に4年を要したドキュメンタリーの刊行です。
今年の春まで「新潮45」に連載していた『浮浪児1945』です。
これは、太平洋戦争のあと、家族を失った孤児(浮浪児)たちが、上野の地下道に住み着いた時のドキュメントです。
彼らは闇市やパンパンやヤクザとともに戦後の時代を生き抜きました。その生き残りの人たちを訪ね、当時を活写した作品で、僕にとっては初めての「歴史ドキュメンタリー」です。
『蛍の森』と同じく、十年以上前からやってみたいと思っていたテーマです。

とりあえず、11月から半年ほどの間、全力で『蛍の森』(新潮社)、『浮浪児1945』(新潮社)に取り組んでいきますので、どうぞお楽しみに。

朝日カルチャーセンターの講座のお知らせです。

10月の講座では、「絶対貧困と相対貧困」というテーマで行います。

途上国では一日1ドル以下で暮らす人々を絶対貧困と呼んで貧困層として区別します。
一方、物価の高い先進国では、相対貧困として貧困層を割り出します。

どちらも、貧困には違いありません。
しかし、みなさんは、その違いがどのようなものかご存知でしょうか。

私たちは簡単に途上国の人々を「貧困に苦しむ人」と考えます。
また、日本の貧困問題については「外国に比べれば日本の貧困なんてマシ」という言い方をします。

でも、本来は、外国の貧困と日本の貧困とはまったく別のものなのです。
貧困のあり方も、そこから引き起こされる問題も、そこで生きる人々の方法もまったく違う。
スポーツといっても、カーリングと空手がまったく違うのとおなじように、貧困といっても国によってまったく違うものなのです。

そこで、大きく途上国の貧困を「絶対貧困」として、日本の貧困を「相対貧困」として、具体的に何がどう違うのか考えてみようというのが、本講座の目的です。

日本の貧困を知るには、まず世界の貧困がどのようなものであり、その中で日本の貧困はどういうものなのかということを、しっかりと認識しなければなりません。

本講座ではそれをすることによって、貧困とは何かということを、みなさんと一緒に広く考えていきたいと思っています。



■テーマ
絶対貧困と相対貧困

■内容
日本における貧困率は約15%にも上ると言われています。
しかし、同じ日本に暮らしながら貧困の実態を感じることはあまりありません。
世界の貧困において、日本の貧困とは、どのように異なるのか。一日一ドル以下の暮らしをする絶対貧困の生活と、約一二〇万円以下の年収での暮らしをする日本の相対貧困の生活を比較することで、それを明確にします。そして、その上で、それぞれの小さな問題点を見つけ出していくことで、貧困問題への取り組み方を考えていきたいと思います。

■日時(全3コマ)
10/19 土 16:00〜19:30
10/26 土 18:00〜19:30

■カリキュラム
19日
第一講座
「居住地、路上、婚姻」途上国のスラムの生活と、日本の低所得者の生活を居住空間を中心に考察します。
第二講座
「教育・労働・犯罪」教育を受けられないとはどういうことか。そこから派生する労働問題から貧困ビジネスまでを説きます。

26日
第三j講座
「食生活、医療、死」貧困の食卓は様々な病を産みます。貧困者における医療の問題点から死の受容まで。


■お申込み詳細
http://www.asahiculture.com/LES/detail.asp?CNO=220504&userflg=0

毎年、8月の中旬を過ぎると、中高生から本の感想メールがよく届く。
きっと夏休みの間に、課題なり、趣味なり何なりで、本を読んでくれるのだろう。
特に新潮社の夏の100冊に選ばれている本について感想が多いのは、そのためだと思う。

考えてみれば、僕も中学生ぐらいのときは、夏の100冊から面白そうな本を選んで読んでいた。
そこで好きになり、そのあとも読みつけたり、そのときは読まなくても記憶のどこかに残っていて、あとで読んだりしたものだ。
なんにせよ、若い人にできるだけ多く読んでもらいたいと思って常に書いているので、これほど嬉しいことはない。

ただ、日本では、年間400件以上もの書店がつぶれているそうだ。
いろんな事情があるだろうけど、それでもつぶれる店があれば、時代に逆らうように新規に店舗を立ち上げるところもある。

そんな一つが東京堂書店のアトレヴィ東中野だ。
100年以上つづく老舗書店が、去年東中野に新たに新規開店したのである。

この1周年イベントの一つとして、僕がトークイベントをすることになった。
8月30日(金)の夜である。

厳しいご時世に立ち向かう書店様を何とか盛り上げたい。
ぜひお越しください。

申し込みの詳細は以下です。
http://www.tokyodoshoten.co.jp/floor/higashinakano/

いまから10年以上前、『物乞う仏陀』という処女作を書くためにミャンマーへ行った。
僕がまだ20代半ばの時だ。

実は、この旅でミャンマーへは2回行っている。
1回目は途中で雇ったガイドが逃げ出してしまった。ハンセン病患者や路上に座り込む障害のある物乞いなどを訪ねて話を聞くことに耐えられなくなったのだ。
政府が認めた公認の優秀な通訳だったのだが……。

そこで、数カ月別の国を回った後、ミャンマーへ行った。再挑戦である。
今度は、ヤンゴンの路上で偶然出会った10代の青年2人を雇った。名前は、ミンミンとアウンアウン。
2人はガイドになるために独学で一生懸命に日本語を勉強していた。ガイド料はいらないので、とにかく日本語を教えてほしい。そう言ってきたのである。
私は一か八か、2人を雇った。彼らと再挑戦しようと思ったのだ。

若かくてお金もなかった彼らは、一生懸命だった。僕もがむしゃら。
3人で泣きべそをかきながら障害のある物乞いたちに声をかけていった。
そんなこんなで一生懸命に取材した成果が、『物乞う仏陀』の「ハンセン病の村にて」(版元の事情で文庫版のみ収録)の話になる。

早いもので、あれから10年以上が過ぎた。もう彼らも30歳ぐらいだろう。
その後ミャンマーへは『神の棄てた裸体』の旅以降行っていない。その時も2人に手伝ってもらって、大戦の生き残りである老人が一人語りをする「問わず語り」という章の取材をした。以来7、8年になるだろうか。

さきほどそのミンミンからフェイスブックで友達申請が来た。
懐かしい。まったく変わっていない。彼のフェイスブックの友達のところには日本人の名前がずらり。あれから10数年、一生懸命に働いて、ガイドとして自立したのだろうな。

今年の秋、ミャンマーへ行こうかと思う。


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僕らが世界に出る理由 (ちくまプリマ―新書)
僕らが世界に出る理由 (ちくまプリマ―新書) [新書]



『僕らが世界に出る理由』(ちくまプリマ―新書)が発売になりました。

プリマ―新書は、高校生や大学生など若い人たちのための教養シリーズです。
私は高校や大学などでよく講演を行っていますが、講演が終わるとかならずといっていいほど若い方がやってきて質問を投げかけてきます。

「海外の貧しい人のために何かをしたいのですが、どうすればいいのですか」

「私には夢があるのですが、踏み出すかどうか迷っています」

「これから自分が何をしていけばいいのかわかりません。どうやって目標を探すのでしょうか」

筑摩書房のSさんがそうした若い方から私が質問を受けているのを見て、なんとかそういう人たちの心に届く本を作れないかと発案したのが本書です。

未知なる世界へ踏み出す第一歩を作ることができれば。

私自身、そんな思いで、これまで若い方から頂いた質問をまとめ、それに対してどうしていけばいいのかを書き記しました。
いま、ここからなにかをはじめたい人へ向けた一冊です。


新潮文庫の夏の100冊というのは、有名ですね。
僕も、中学生のとき、100冊に選ばれた本をかたっぱしから読んだ記憶があります。

去年まで、夏の100冊はYonda? というパンダを模したキャラクターがキャンペーンをしていました。
が、今年からは「ワタシの一行」というキャンペーンにニューリアルされます。さまざまな業界の有名人が自分の好きな本を一冊選び、それに解説を加えるというキャンペーンです。
これはネットを通じて読者も加わることができ、賞を受賞すると、特別に読者の似顔絵をつけた帯のまかれた本をいただけるのだとか!

で、この夏の100冊、去年は拙著「神の棄てた裸体」が選ばれましたが、今年のワタシの一行キャンペーンから「絶対貧困」が選ばれました。
「絶対貧困」は、僕の海外ルポで一番広く読まれている作品です。
ぜひお手に取っていただければ幸いです。

ワタシノ一行
https://1gyou.jp/detail/index.php?type=famous&id=69

朝日カルチャーセンターの講座のお知らせです。
9月の講座は、『ノンフィクションの作り方』です。この講座を担当してはや一年ですが、受講生の中には単行本をだしたり、新書をだしたり、あるいは大学三年生で出版社を起こしたり……本当にいろいろな方がいらっしゃいます。

講座自体は、専門知識のまったくないという前提で行っています。
これまで高校生や主婦やドキュメンタリーを専門にしている方など様々な方が受講してきました。
いずれにせよ、講座を通して、ノンフィクションとは何か、それを作るとはどういう作業なのか、石井とはどんな人間なのかなど様々な好奇心を満たしていただければと思います。
その上で、作りたい人は作ればいいと思うし、それを実生活に役立てたいと思えば役立てればいい。
私としては、いろんな方がいろんな風に活用できるような講座にしていきたいと思っていますので、ご参加いただければと思います。


◆タイトル
ノンフィクションの作り方

◆日程・場所
9/14、9/21
15:30-18:30
新宿・住友ビル

◆内容
世界の現実を切り取り、作品化された書籍を「ノンフィクション」と呼びます。
どのように現実を切り取ればいいのか、事実の奥にある真実を見つける方法とは何か。いかにして取材が行われているのか、取材した材料をどのように作品化するべきなのか、作品はいかにして発表されるのか。
ノンフィクションの発想から取材法、そして発表までの方法を事細かに説明します。
本講座では、ノンフィクションを中心に話を展開しますが、新聞やテレビといったマスメディアのジャーナリズム、写真家のフォトジャーナリズム、テレビにおけるドキュメンタリーとも通底するものがあります。学生から社会人までが、広い意味で「メディア報道とは何か」を考え、最後に自分のテーマを持ち帰る内容にします。

◆詳細・申し込み
http://www.asahiculture.com/LES/detail.asp?CNO=208880&userflg=0

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