石井光太 − 旅の物語、物語の旅 −

このたび、『感染宣告』が講談社より文庫になりました。

本作は、2010年9月に雑誌「g2」の創刊号に100枚ほどのルポとして掲載され、同年11月に大幅に加筆して<講談社創業100周年記念書き下ろし作品>として刊行したものです。

この本の思い出は、とにかくHIV感染者や関係者に話を聞かせてもらうことが大変だったことです。
最初は闘病ブログを作っている方々に連絡してインタビューをお願いし、その後は病院やSNSやNPO経由で少しずつ広げていきました。私の読者から直接連絡をいただいたこともあります。
東北から中国までまわり、地域によって受け止め方がまったく違うことも知りました。

みなさんは、HIVのことをご存知でしょうか。
HIVの方はどのように感染をつげられ、受け止め、悩み、恋人や夫婦の関係を維持し、子供をつくろうとしているかを知っていますか?

私は大勢の関係者に話を聞かせていただきながら、彼らの体験は人間が再生していく物語ではないかと思いました。。
人間が絶望の底から再生して生を歩んでいく極限のドラマのように感じたのです。そして、私はこのテーマを描くためにはそのような視点から描かなければならないと考えました。
それは性と生の業から逃れられない、すべての人間に通底する大きなテーマを含んでいます。

本の医療的な内容については、2名のHIVでは高名な医師に監修していただいています。
ご興味のある方は、ぜひ手に取っていただければ幸いです。


感染宣告 エイズウィルスに人生を変えられた人々の物語 (講談社文庫 い 130-1)
感染宣告 エイズウィルスに人生を変えられた人々の物語 (講談社文庫 い 130-1) [文庫]



【内容紹介】
感染を告げられたとき、妻は? 家族は? 恋人は?
HIVという幻に翻弄される人々の絶望と希望──

エイズが「死の病」ではなくなった現在も、日本人HIV感染者の多くは人生を大きく狂わされ絶望のなかを生きている。恋愛、結婚、出産、家族関係……、決して語られることのない生と性の現実とは!? 世界の奈落を追った気鋭の作家が百名以上の感染者と家族に取材を敢行し世に問う、衝撃と感動のノンフィクション。

「エイズは男女にとって一番大切なところに忍び込み、彼らを極限の状態にまで追いつめます。弱さや醜さや高慢さといった負の内面をむき出しにし、人間性を試してくるのです。(中略)こんな底意地の悪い病気はありません。試された人間がボロボロになっていくのを眺めているのですから」(エイズ患者の妻)──本文より

貧困といっても、具体的にどのようなものなのか具体的なイメージがつかない人が大半だと思います。

途上国のスラムと言っても、家の中がどうなっているのか。
ドヤ街といっても、そこで暮らしている人たちはどのような食生活をしているのか。
生活保護を受給しているといっても、家計簿はどうなっているのか。

こうしたものを具体的に映像として見せる場をつくりたい。
そう考えて貧困博物館なるものを作れたらいいなー、とずっと思っていますが、その布石として、まずWEB上でそうしたものをビジュアル的に見せるサイトを作りたいと思っています。
今年から少しずつスタートして、来年には始動できればいいですね。

とはいえ、その映像を集めるのは、一人ではなかなか難しいもの。

そこで、いろんな方とともにやっていければと思っています。
まずは、以下の方を募集しています。

・映像を持っていて、提供してくださる方。
(※細かな規定についてはのちに相談できればと思います。研究などで使用したものから写真展などで使用したものまで、映像であれば写真でも動画でもOK)

・今は映像を持っていないが、これを期に参加して撮ってみたいという方。
(学生から大人まで。趣味でも、研究でも、なんでもいいです。やる気があるかどうかだけです)

上記に当てはまる方がいれば、来月か再来月にでも一度お会いできればと思っています。
個別に一人ひとりあうのは時間的に難しいですし、かといって全員とまとめてお会いするのも難しと思います。
なので、何名かまとめてうまい形でお会いできて、諸々相談できればと考えています。

われこそは! という方がいらしたら、ぜひ下記までご連絡下さい。

石井光太
hinkon_m@yahoo.co.jp

「いま、被災地はどうなっていますか」

ここ一カ月ぐらい、インタビューを受ける度に訊かれる質問です。

よく「癒える」という言葉を使う方がいます。
しかし、「癒える」ということなどあるのでしょうか。
考えてみてください。自分の肉親が不慮の死を遂げたとして、二十年、三十年経って思い出して悲しくないわけないですよね? 人間というのはずっと傷を抱えて生きていくものなのです。

「新潮45」に書いたルポ「『遺体』それからの物語」でも書きましたが、ご遺族の胸にはまだ悲しみがたくさん残っています。
普通に主婦として暮らしている方でも、数カ月に一度イタコのようなおがみ屋のところへ通って、未だに行方不明の父親の霊を下してきてもらっています。そうやって行方不明の父と話をしているのです。
また、別の主婦はご両親のご遺体は見つかったにもかかわらず、夜になると遺体安置所で目にした数々の遺体になり代わって、その人たちの無念をしゃべりつづけています。
どちらも、現在進行形で起きていることです。
みなさん、一見すれば普通に暮らしているのですが、胸には一生背負って行かなければならない悲しみを抱えたままなのです。

人は、「被災地に対してどうすればいいだろう」という疑問を抱きます。
私は何より大切なことは、一番の犠牲者、つまりご遺族の気持ちに立って何ができるかを考えることだと思っています。

数カ月に一度おがみ屋さんに行っている主婦に対して何をすべきか。
それは「おがみ屋なんかに行っても意味がないよ」ということではなく、彼女の心情を理解して「おがみ屋さんの口を借りてお父さんがしゃべっていることは、その通りなのかもしれないね」と言ってあげることなのです。
あるいは、毎晩亡くなった人になり代わって無念をしゃべる女性にすべきことは、「PTSDだよ。病院へ行けば」と言うことではありません。あの日彼女が何を見て何を感じてきたのかを理解し、その思いを共有して彼女を理解することなのです。

原発を何とかする、政治を何とかする、瓦礫を何とかする。
もちろん、それらは大切なことです。やらなければなりません。
しかし、それ以前に、そこに住んでいる犠牲者の気持ちを理解することが重要なのです。
彼らなくしては、いくら建物がもとにもどって、原発がなくなったからといって、町が前に進んでいくことなんてないのです。

私は自分にできることは何かと考えた時、作家という立場から「あの日起きたこと」「今起きていること」「これから起きること」を書きつづけることだと思っています。
現実を知らなければ、そこに生きる人たちを理解することはえきない。ならば、その理解するきっかけを、文章という形で残しておきたい。
それが私の役割だと思っています。

今年も3月11日が来ました。

二年が経ち、少しずつ震災を考えることも少なくなってきていると思います。
それは決して悪いことではありません。人間には必要なことです。
しかし、日本には何十万人という東日本大震災のご遺族がいます。この先、何十年も彼らはあの日の体験を背負って生きていくのです。

私としては、みなさんに一年に一回でもいいですから、今もあの災害を体験している人が生きていること思い出してほしいと思います。
そのために、私はそれを知るきっかけだけは作りつづけていきます。
それが回り回って、日本各地に暮らしているご遺族や、亡くなった方々のためになればと願っています。
きっとそれはこれからの日本を支えることにもつながるのですから。



追記
上記「新潮45」の「『遺体』それからの物語」については以下の電子書籍にも掲載しています。拙著『遺体』のその後の物語です。

『遺体』それからの物語―新潮45eBooklet
『遺体』それからの物語―新潮45eBooklet [Kindle版]





このブログを読んだ方から以下のようなコメントを頂きました。

映画『遺体』まだ見ていないけど、見に行きます。
2012年1月に手術のため東京から移動し、北海道帯広の病院におりました。震災の影響はあまりない実家の地でした。
同室の頑張り屋さんの70歳くらいの女性の方。娘さん御夫婦とお孫さんを津波でなくされたそうです。
「でも、うちはみんな帰ってきたから」微笑みながら話していました。
ある日、その方に本が届きます。ベッドに寝転んで読みながら号泣されていました。
「大丈夫ですか?」と声をかけると、石井さんの『遺体』の表紙を見せてくれました。
「娘がどこかに載ってるんじゃないかと思って‥」
言葉が出ませんでした。
石井さんのブログを見つけて、何か伝えずにはいられなくてコメントさせて頂きました。


この女性の気持ちを想像すると、涙がにじんできます。
微笑みながらも、ずっと心の深いところで娘夫婦と孫の「あの日」のことを考えていたのでしょう。

ふと思い出したことがあります。
先日、別の読者からメールを頂きました。そこには次のようなことが記されていました。

「私は釜石で生まれましたが、震災当時は海外にいました。
震災で親を失いましたが、直後ということもあって駆け付けることができず、親戚に火葬までを頼みました。しかし、仕方がなかったとはいえ、2年間ずっと遺体のそばにいてあげられなかったことを悔やんできました。
そんなとき、『遺体』を読み、安置所の人たちがどんなふうにご遺体を送ったかを知ることができました。
ただ、一つだけどうしても知りたいことがあります。うちの親はちゃんと声をかけてもらったのでしょうか。
衣服を洗ってもらっていたのでしょうか。
名前は××と言います。どうかうちの親がどのように葬られたかを教えていただけないでしょうか」


僕は、本を読んでくださった方から、こういうメッセージを頂戴すると、書くことの責任を考えずにはいられません。
もちろん、すべてをすべて描くことはできません。しかし、血眼になって死んだ自分の娘夫婦や孫のことが載っていないかと探したり、自分の親がどのように葬られたか書かれていないかを知ろうとしたりしている人がいると考えた時、どんな姿勢で文章を書き続けていくべきかを改めて考えさえられます。

このようなコメントやメールをくださることは、何よりありがたいことです。

この場をかりて、上記だけでなく、これまでコメントやメールをくださった多くの方々に、厚くお礼を申し上げます。

むかしから「貧困博物館」をつくりたいな、と思っていました。
寄生虫博物館や切手博物館や恐竜博物館があるのに、貧困博物館がないのは変じゃないか、と。

世界のスラムや日本の貧困の様子など、ぜんぶ再現したりしてみたら、それはそれで面白いのではないかと思うのです。
一言でいば、貧困世界の暮らしがどういうものであるかということを五感で理解できる空間をつくりたいということです。
建物、トイレ、遊び、お酒、料理、水の浄水、性生活、結婚、出産、埋葬何もかも再現してみたらどうか。

僕は大学一年生の時に初めてアフガニスタンの難民キャンプを目にして、心を突き動かされて、世界各国を舞台にして文章を書いてきました。
文章でできることは徹底的にやりながら、一方で「博物館(期間限定のイベントでも)」という小学生でも、見れて、触れて、心を動かされるものをつくりたいという気持ちがあったのです。
で、ちょっとずつそれに向けて動いて行きたいなと思っています。

まずは僕が資料として持っている膨大な世界の貧困の写真などをインターネット上で展開する「貧困WEB博物館」としてつくり、さらに専門的に研究している学者の方をはじめ、実際に貧困地域で活動している人など様々な人の協力を得てそれを膨らましていきたいと思います。
で、ゆくゆくは、本当の博物館として、「貧困リアル博物館」へと発展させたいなと考えています。

それで一つお願い。

これに協力してくださる人を募集いたします。
むろん、最初は利益なんてまったく出ないでしょう。それは念頭に置いてください。
ただやるなら本気でやるので、「自分ならこれができる」というものを持っていてどんどんそれをやっていただける方がいれば手を上げていただきたいのです。

とはいえ、現時点では、まだ立ち上げたばかりですので、 「講演のお手伝いぐらいならできます」「イラストなら描けます」というような方に対しては募集をかける余裕がありません。
具体的に「自分はWEB関連の事業をやっていて、その中でパートナーとしてこういうことができる」というご提案、もしくは「大学で働いているのでゼミと共同でこういうことをしたら面白いのではないか」というご提案など、何かしらに根づいていて具体性のあるご提案をいただければと思っております。
特にすでに動いている事業やプロジェクトの中で融合できれば面白いと思っています。
もちろん「自分はこんなに貧困地域の資料を持っているので提供したい」という方は是非です。
こちらはこちらでアイディアがあるので、それをうまく取り入 れて、お互いの希望がかなう形でできればと思っています。

※WEBを作っていただける方は急募です。

どれだけ手を上げて下さる方がいらっしゃるかわかりませんが、僕も時間に限りがありますので、全員に対応することはできません。
数週間いただいたご提案を見た上で、集まりを開くか、もしくは僕と別の協力者でここに対応するかいたします。

もちろん、いったんやりはじめれば責任を持って数年間はやっていただくことになります。
「我こそは」と思う方は、以下にご連絡いただければ幸いです。

石井光太
kota_ishii@yahoo.co.jp

★メールには以下を書き添えてください。
・本名
・性別
・年齢
・略歴
・連絡先
・貴方がやりたいこと

映画版『遺体』が23日から全国公開となっています。

いろいろなところでお話ししてきましたが、映画化は僕のルポルタージュ『遺体』(新潮社)がでた1カ月後ぐらいに話がありました。
新潮社の会議室で監督やプロデューサーと話をしたとき、僕がお願いしたのは以下の一つでした。

「被災地に行って、ご遺族や遺体安置所の関係者に会っていただけませんか」

現実を作品にするということは、そこにいた大勢の人々の思いを背負うことです。それなしにはつくることはできません。
君塚良一監督はその場で「わかりました」と言ってくださり、翌月には僕といっしょに岩手県釜石市へ行きました。
そしてそれから数カ月、大勢のご遺族や関係者から話を聞き、一人ひとりと信頼関係を築き、さらに映画化の承諾を得て作品をつくったのです。
モデルになった方が一人でも反対すればつくるのはよそうと考えたそうですが、最終的に反対意見が出ることはありませんでした。

君塚さんは映画化とはいえ、事実にできるだけ忠実に描いてくださいました。
初めて作品を見た時、君塚さんや俳優さん、そしてスタッフの方々が良心をかけてつくってくれたのだと思いました。
それはご覧になった方ならきっと感じ取ってくださるでしょう。

今でも覚えている光景があります。
映画の撮影現場を訪れた時、遺体安置所のセットが作られている体育館の入り口に、ご焼香できるスペースが設けられていたのです。
監督、俳優、スタッフ、みなさん一人ひとりがセットであるにもかかわらず、しっかりと手を合わせてから中に入り、映画の撮影を進めていたのです。
僕はそれを見た時、みなさんの良心を感じ、思わず心の中で「ありがとうございます」と言ったほどでした。

RIMG0329



スタッフの方々がつくった焼香所










映画が完成した後、西田敏行さんとお話しする機会が何度かありました。
西田さんは実際に撮影に入る前に、主人公のモデルとなった千葉さんに会っています。
そして、映画の撮影の時を振り返ってこう言っています。

「あの映画は特別なんですよ。演技じゃないんです。あの場にいたら演技なんてできないんです。西田敏行という一人の人間として、遺体安置所で何ができるかを考えて自然に出たものなんです。安置所に入るときに靴を脱ぐシーンだって、シナリオにはなかったですけど、自分なら決して土足であがれないと思って脱いだんです」

他にも酒井若菜さんなど出演された方々に対談などで会ってお話しを聞きましたが、同じようなことを語っていました。
演じるのではなく、自分だったらどう遺体や遺族と向き合うかと考えて動く。そうした思いが良心に満ちた映画をつくったのだと思っています。

最後に、映画のモデルとなった実際に安置所で働いていた人々が映画を見て「こういう映画を作ってくれてありがとう」とおっしゃってくれたことが、何より安心しました。

この映画が、あの日被災地にいなかった人々に「何か」を伝えられるものになったのだとしたら、原作のルポルタージュを書き、映画化に微力ながら協力させていただいた僕としては、一つ役割を果たせたのかなと思います。


RIMG0120






実際の遺体安置所「旧二中」

朝日カルチャーセンターの5月のお知らせです。

これまでは、ずっと「ノンフィクションの作り方」という講座を担当していました。
今回は一度休憩して、昨年末に1回限定で行った「戦争って何? − 世界リアル戦争講義」という講座を3回にわけて徹底的にやってみたいと思います。
(「ノンフィクションの作り方」は、また夏期に行います)

以下が要綱になりますので、ご覧ください。


●概要
ニュースによって戦争が起きていることは知っていると思います。
しかし、戦場というのがどういう現場であり、兵士たちの日常がどのようなものかをご存知の方はどれだけいるでしょう。
子供兵の中に大勢の女の子が交じっていることをご存知ですか?
アフリカの内線のゲリラ組織が新興宗教団体だということをご存知ですか?
電子レンジやネクタイといった日用品が戦争から生まれたことをご存知ですか?
本講座では、3回にわけて、これまで語られてこなかった「戦争とは何か」ということを考えていきたいと思います。

●詳細
一般http://www.asahiculture.com/LES/detail.asp?CNO=198655&userflg=0
学生http://www.asahiculture.com/LES/detail.asp?CNO=199419&userflg=0

映画『遺体 ― 明日への十日間』の監督・脚本の君塚良一さんと公開対談をします。
この映画は、僕が『遺体』を発表した一カ月後に、映画化の話をいただきました。それから一緒に釜石へ行き、その後も君塚さんは何度も足を運んで現地の人々と信頼を築いて映画にしました。

なぜ『遺体』を原作にして映画を撮ろうとしたのか。
発案から映画完成までの過程はどのようなものだったのか。
スタッフ、役者にとって、『遺体』をつくるとは、どういうことだったのか。
モデルになった人々、被災地の人々、そして海外の人々の反応はどういうものなのか。

当事者にしかわからない思いや体験を、公開対談という形でお伝えします。
なお、第二部では、君塚さんのこれまでの作品(『踊る大捜査線』『ずっとあなたが好きだった』『誰も守ってくれない』など)を振り返り、ドラマと脚本とはなんなのかということについてもお話ししていただく予定です。

詳細・お申込みについては以下をご覧ください。

http://youlabo.net/

■現場主義を貫け


松本
私が今の若い記者に言いたいのは、とにかく現場に行け、ということです。
現場に行かず、自治体や国の記者会見で何かがわかると考えているとしたら、それは思い上がりです。

石井 
現場を見ることによって、現代の世相や社会の構造も浮かび上がってくるし、今という時代が抱えているさまざまな問題も見えてくる。
たとえば、「死体の写真を撮る」というとすごく悪いイメージがある。
悪いカメラマンがとんでもないことをして金を儲けている、みたいな。
しかし現場に行くと、そのカメラマンは会社からの命令で半泣き状態で撮影をして苦しんでいる。
その苦しみこそが現場なんですよね。

あるいは遺体を土葬にするか火葬にするかで揉めた自治体がありましたが(第七話)、現場の状況を知らない人は「昔は土葬だったのに、なんで反対するんだろう?」と考えてしまう。
でも、現場を取材すると土葬予定地とされていた場所が元リサイクルセンターの跡地であることがわかります。
つまり、ペットボトルなどが埋まっている横に遺体を埋めようとしていたのです。
それがわかると、地元の人が土葬に反対することにも納得できます。
さらにこの問題をより深く探っていけば、そんな場所にしか土葬用の土地を用意できなかった自治体の問題も出てくるかもしれない。

現場へ足を運んで入念に取材していけば、それまで見えなかった人間や社会の別の一面が良くも悪くも出てきます。
それを記事や本にして伝えていくことで、読者の中にもまったく違った視点が生まれ、自分たちが生きている世の中について考えるきっかけになってくれると思うんです。

松本
先ほどから話題に上っているように、組織ジャーナリズムの中ではむしろその逆の傾向が出ています。
幹部が「俺に責任を取らせるな」「俺にけがをさせるな」と言いはじめたら、下の記者たちはもう前には出ませんよ。
でも、それじゃ「現場から報道する」というジャーナリストとしての仕事は何もできません。

石井
上の世代の新聞記者はそうじゃなかったですよね。

松本 
ええ。朝日新聞の編集委員だった本多勝一さんは、ベトナム戦争のときには最前線のゲリラ基地に住み込んで取材をして、『戦場の村』(朝日新聞社)を書きました。
あの人は本当に現場以外では書かない人でした。

「朝日ジャーナル」の編集長をやった伊藤正孝さんも、徹底して現場にこだわった人です。
彼は六〇年代後半のビアフラ戦争を取材して『ビアフラ潜入記』(朝日新聞社)を書いていますが、そのときも最後の最後まで現場に残りました。
戦況が激化して各国のジャーナリストがほとんど退去してしまい、最後に残ったのはフリーの記者二人とロイター通信の記者一人、そして伊藤さんの計四人。
その最後の四人は、赤十字の最終チャーター便で脱出します。

身の安全を考えれば適切な判断でした。
伊藤さんたちが乗った赤十字機も、地上からの銃撃を受けて機体の床に穴が開いた、と記事に書いています。
けれど、伊藤さんはあのとき国外に出たことを死ぬまで後悔していました。
なぜなら、記者たちがいなくなったあとも何人かのNGOスタッフが残っていたからです。
NGOが残っていたのに、なぜ俺は出てしまったのか、と伊藤さんは自問を続けていましたね。

石井 
壮絶な話ですね。

松本 
そんな修羅場をいくつも経験してきた伊藤さんが、危険を伴う取材のときに組織がどう対応すべきかについて、実に適切なことを言っています。

「危険かどうかは東京にいてはわからない。現場の人間が一番よく知っている。だったら現場に判断を任せろ。現場の人間が行けると思ったら、行かせればいいじゃないか。それに東京はいちいち口を出すな」
「現場の記者にもし万が一のことがあったとしても、会社は上司に責任を取らせるな。行ったのは現場にいる本人の判断なんだから、その責任を上司が取る必要はない。ただし、遺された記者の家族が生活に困らないよう、保険金などの手配だけはきっちりしておけ」
 
理にかなっていると思いますね。組織ジャーナリズムのあり方として、もっとも正しい方法だと思います。
上司に責任を取らせようとするから、結果として部下も自由に動けなくなるのです。
上司に責任を求めず、現場の人間に判断を任せてくれれば、組織ジャーナリストももっと自由に動けるようになると思いますがね。


■善悪、両方を見つめる

石井 
現場に行くと「片方が善で、片方が悪」という二元論的発想も完全に消えますよね。それも現場を取材することの意義だと思います。
『ノンフィクション新世紀』(河出書房新社)の連続講座で松本さんが話してくれた交通事故の記事のエピソードはその好例でした。

松本 
私が駆け出し記者のころの話ですね。

石井 
ええ。
はじめは記者クラブの黒板に張られている紙だけを見て、「トラック運転手が三歳の女の子をはねて、逮捕された」という記事を書く。
しかし、その記事を見たデスクから「現場に行ったのか? 行ってなければ行ってこい」と言われて、一時間以上かけて現場に行って取材をする。
そこではじめて、加害者であるトラック運転手の話を聞き、被害者の家族の話も聞くんですよね。
そして会社に戻って、改めて事故の記事を書くと、はじめの記事ではトラック運転手の名前が呼び捨てだったのに、書き直した記事には知らず知らずのうちに名前に「さん」がついている、という。

松本 
被害者、加害者両方の立場や気持ちを見てしまったから、どうしたらいいのかわからなくなって、その結果両方に「さん」をつけたんだと思います。
その記事を見たデスクの「現場に行けば何かが違ってくるんだ」という言葉は印象的でした。

石井 
場合によってはそれまで考えられていたこととはまったく異なる現実も見えてきます。
たとえば被災地では、被災者が善良な市民とされている。
しかし、中にはヤクザもいるし、ボランティアにセクハラをする人もいるし、ATM強盗をする人もいる。
その人たちが起こしている問題がたくさんあるのに、「被災者=かわいそうな犠牲者」というイメージの前で注意すらろくにできなくなることもある。
イメージ化というのは二元論化に等しいのではないかという気がします。

松本 
ジャーナリストは本来、いいか悪いかという二元論を超えたところで記事を書かなければなりません。
そのためにも、現場に入って両方を見ることが重要になってきます。
伊藤正孝さんは「人間の目は二つあるんだから、二つの面を見ろよ」と言っていた。
現実は決して一面的なものではなく、常に多面的なものなので、特定の答えを決めつけて書くべきではないし、それをやってしまうと安物の決めつけ報道になってしまう。

石井 
善悪二元論を超えるということでいえば、最近別の媒体で〇五年に起きた自殺サイト殺人事件を取り上げることになり、『殺人者はいかに誕生したか』(新潮社)という本を読みました。
著者の長谷川博一さんは臨床心理士であり、凶悪事件を分析をしていて、そのうちの一人として自殺サイト殺人事件の犯人の話が載っています。

その男は小学生のころから人を窒息させることにある種の興奮を覚える異常な性癖を持っていて、それがどんどんエスカレートして、最終的には自殺サイトで出会った男女三人を窒息死させてしまった。
しかも、ある被害者を殺したあとには、親に対して脅迫文を送って身代金を要求したりしている。
自分の欲望を満たすための殺人、そして遺族への脅迫。
これらのことだけを見れば、この犯人はどう考えても非道な悪人です。
しかし、よく考えてみると、彼の性癖が殺人の動機となっていることはわかりますが、性癖と遺族への脅迫は直接的には結びつかない。
なぜそこまでやったのか。
犯人は取り調べや公判ではそのことについて話していませんでした。

でも、長谷川さんにだけは真実を話すのです。
犯人は、その被害者を殺したあと、彼の持ち物の中から遺書を見つけます。
それを読むと、その被害者が長年にわたって親から虐待を受けていたこと、その虐待を苦にして自殺の決意を固めたことがわかりました。
その事実を知った瞬間、犯人の心には殺した相手の親に対する激しい怒りが燃えさかり、脅迫という行為に至ったのです。
では、なぜ被害者の親に怒りを覚えたのかといえば、実は犯人自身も子供のころに親から虐待を受けていたからではないかという話です。

こうした事実は、警察からもマスメディアの報道からもほとんど出てきません。
もちろん、犯人自身が虐待を受けていたことがわかったからといって、彼の行為が許されるわけではない。
しかし、彼が被害者の親を脅迫した本当の理由が見えてくると、「異常な性癖によって殺人を犯し、その遺族を脅迫した極悪非道な犯人」とは違う人物像が浮かび上がってきます。
そうした別の視点を読者に提供することは非常に重要だと思います。


■割り切れない現実をどう語るか

松本 
今の石井さんのお話はひとりの人間に対する多面的な視点になりますが、同じようなことが社会状況に対してもあてはまります。
たとえば、「プロメテウスの罠」の連載で、除染と瓦礫の引き受けをテーマにしたことがあります。
記者は、瓦礫が積まれたままになっている地域の人たちを取材する一方で、瓦礫の受け入れを拒否する地域の人にも話を聞きにいきました。
前者を取材すると「復興のため一日でも早く瓦礫をどうにかしてほしい」「瓦礫の受け入れ拒否なんて、ひどい!」と訴えてきます。
では、瓦礫の受け入れ拒否をする後者の人々は自分勝手なエゴイストなのかといえば、そうじゃない。
後者の人たちは自分たちの地域を守るために、「除染は本当に効果があるのか」「リスクのある瓦礫をわざわざ分散させて、危険を広げるのは間違っているのではないか」と疑問を投げかけてきます。
両者がそれぞれに自分たちの言い分を必死に語ってくる。
そうなると、どちらが善でどちらが悪、とはいえなくなり、担当記者は困ってしまい、場合によっては書けなくなってしまうこともある。

石井 
そんなとき、松本さんはどんなアドバイスをされるんですか?

松本 
どちらかに答えを決めて書く必要はない、といいます。
両方ともが涙を流して訴えかけてくるんだから、両方が語っている内容をきちんと聞いてきちんと書けばいい。
それぞれの立場に言い分や状況があり、その両方が合わさって全体の現状を作っているんだから、その両方をあるがままに書けばいい。
そうすることによって、読者には「状況が混乱し、さまざまな問題が起きていること」そして「この混乱した状況こそ、津波や原発が引き起こした現実であること」を正しく伝えることができます。

石井 
たしかに、答えなんて、そう易々と出るものではないですからね。
だからこそ取材者は、まずは現場に入って、見たこと、感じたことを、そのまままっすぐに読者にぶつけるしかない。
現場の状況をどのようにまとめればいいのかわからなければ、「自分はここまで取材したけど、やっぱりわからないし、答えも出ません」と正直に書く。
そうすると読者も何かを感じてくれて、「じゃあ、どうすればいいんだろう?」と悩んでくれる。
現実を知ってもらい、一緒に悩んでもらうことにこそ、ジャーナリズムやノンフィクションの真の意義があると僕は思っています。

(終了)


「読楽」2013年2月号(徳間書店/2013年1月22日発売)

■現場の生々しさを切り取る


石井
被災地で強く感じたのは、マスメディアの記者は「どこへ行き、何を聞くか」というマニュアルを作っている人が多いということです。
たとえば遺体安置所では、ほとんどの記者が入口にいる市の職員などに立ち話で「何人亡くなりましたか?」「何人運ばれてきていますか?」「今後どうなっていきますか?」などの決まった質問をして、答えを聞くと帰ってしまう。
その取材方法が間違っているということではないんですが、たとえば安置所の中に入って遺体の搬送を手伝うなど、より現場に近いところに身を置くことでまったく違うものも見えてくると思うんです。

松本
そういう取材に対する記者の姿勢は、火災現場などでも顕著に表れます。
火事が起こったとき、記者には消防指令車のところに行く者と、火災現場により入り込んでいく者の二つのタイプに分かれる。
指令車には情報が集まっているので、建物の構造や広さ、世帯主の名前や年齢、けが人の数、出火原因など、火事の概略がわかる。
それらの情報をまとめると「本記」、つまり「いつ、誰が、どこで、何を、どのようにしたか」というニュースの骨格をつくることができる。
火事が大きければ、本記は一面に載ります。ところが、現場に張りついていると、建物の構造も何人焼け出されたのかもわからない。
だから、現場に入り込んだ記者には本記は書けません。
その代わり、現場でしか見られないものがある。

私がある火災現場で見たのは、火の手が上がる建物に飛び込もうとするお母さんの姿でした。
彼女は半狂乱になって「中に子供がいるんです!」と叫び、まわりの人が必死になって押さえていました。
そこにひとりの消防士がやってきて、いきなり建物の中に駆け込んでいったんです。
しかし、すでに炎は燃え盛っており、彼はすぐに出てきてしまった。
すると彼は、ホースを持っている別の消防士に「俺に水をかけろ!」という。
全身に水を浴びて、ふたたび建物の中に飛び込んだ。
そして数分後、子供を抱えて出てきたんです。

石井
現場には必ずそういう生々しい場面がありますよね。

松本
でも、そのシーンを記事にしても本記にはならないし、一面には載りません。
記者は、早く会社に戻って本記を書かなければと考えて、現場ではない場所に行きます。
そして、何世帯に燃え移り何人が焼け出されて大変だったと、いかにも現場に行ってきたかのような記事を書いて、事足れりとしてしまう。
でも、それでいいのかという疑問があるわけです。


■組織と個人

松本
『津波の墓標』で感心したのは、地震が起こった直後、石井さんがほかのすべての仕事をキャンセルして、迷うことなく「被災地の最前線に行く」と決断したことです(第一話)。
そういった判断力こそが、個人のジャーナリストのすごさだなと感じました。
人間という生き物はだいたいが保守的なので、基本的には動きたくないんです。
組織ジャーナリストも然しかり。
すでに決まっている仕事がある状況だと、その当面の仕事を口実にして動かないことの言い訳をする。
でも、石井さんたち個人ジャーナリストの場合には、たとえ仕事を抱えていたとしても、それにとらわれていては取材のチャンスもタイミングも逃してしまうと考えて、すぐに現場に入る判断ができる。
その差は大きいですね。

石井
なぜ組織ジャーナリストの多くは、マニュアル通りの取材しかできなかったり、すぐに現場に入る判断ができないのでしょうか?

松本
組織ゆえに、自分の判断だけで動けないことが大きいと思います。
組織の幹部は基本的に責任を取りたくないんです。
自分の部下が危険な現場に入って、何か事故にでも遭ったら、「上司は何をやっていたんだ」という責任問題に発展してしまう。
それが嫌なんです。
そうすると、前へ出るな、けがをする、となる。
「けがをするな」ということは、上司が「俺にもけがをさせるな」ということであり、組織には必ずそういう発想の人間がいるものです。

個人の場合はそうした制約がないので、迅速かつ自由に動けるという優位性がある。
『津波の墓標』も、まさにそうした個人ジャーナリストの強みが生かされている作品だと思います。

石井 
結局、ノンフィクションがマスメディアに対抗できる部分、個人のジャーナリストの武器になる部分は、そこしかないと思っています。
個人でやっている唯一の特権は、重大な出来事があったときに「あっちに行くから、こっちの仕事はごめんね」とフライングできることです。
ある程度のわがままを許してもらえる。もちろん最低限守ることはあるけど何を優先するかを自らの責任で選ぶことができる。
そしてノンフィクションの中では「今行った」ということが圧倒的なアドバンテージになる。
そこが個人であることの唯一の利点であって、逆にいうとその利点を使わないとどうやってもマスメディアには太刀打ちできません。

ノンフィクションを書く人間として、マスメディアができないこと、やらないことをしようという意識は常にあります。
たとえば、今回の震災にはさまざまな切り口がありますが、僕は原発問題は一切取材しませんでした。爆発事故が起きた瞬間に「これは個人の手には絶対に負えないな」と感じたからです。
もちろん個人で行って見えてくるものもあるでしょうが、政治や経済などさまざまな問題が絡み合っているので、きっと限界があるだろうと。
だから原発はマスメディアに任せて、津波に集中することにしました。
しかもマスメディアが取り上げないだろう、遺体安置所にフォーカスを当てることにしたんです。

松本
その判断は正解かもしれませんね。

石井
逆に、『プロメテウスの罠』を読ませていただいて、やはりあれだけの取材は個人ではできないだろうなと感心しました。

松本
あの連載はすでに一年以上続けていますが、あれほど長期かつ広範囲にわたって取材に行くには、それなりの時間と資金と態勢が必要です。
出版社がフリーのジャーナリストにそれらを提供してくれるかといえば……。

石井 
厳しいでしょうね。

松本
でも、われわれにはそれができるんです。

石井
『プロメテウスの罠』は何人でやっているんですか?

松本
これまでに関わった記者は十四名です。
彼らが所属するのは、主に「特別報道部」という持ち場なしの遊軍部隊。とにかく気になったネタを自由に取材できる態勢になっています。
私はアドバイザーという総監督のような立場です。

石井 
そうしたチームを組める点がまさに組織ジャーナリズムの利点だといえますね。

松本
それからもうひとつ、組織ジャーナリストの利点があります。
二〇〇七年に私は「カラシニコフ」という連載で日本記者クラブ賞をいただいたんですが、その当時インターネット上に「カラシニコフ」に関する匿名の批判記事が上がった。
その記事の書き手は「自分も昔からカラシニコフに関心があり、いつかは取材して本にしたいと思っていた」「でも、会いに行く金もなかったし、名刺もなかったから、のびのびになっていた」「そしたら、朝日のぬるい記者がぬるい取材で本を書いてしまった」「自分だったらもっといい本が書けたはずだ」という。

その批判を読んで「勝った」と思った。
なぜなら、私は朝日新聞のお金と名刺を最大限に利用して、カラシニコフ本人に会いに行き、戦争の現場に行き、記事が書けた。
一方、匿名の彼は会いに行くことさえできず、記事は書けなかった。

大きな組織にいれば、金と名刺が使える。
それが組織ジャーナリストの最大の有利な点です。
大手メディアに属する記者としては、その利点を生かすのが義務なんです。
私は授賞式でこの批判記事のことを披露して、「新聞社の記者は名刺やお金が使えるんだからどんどん使いなさい」「それをやらないと、この匿名の人に負けちゃうよ」と話しました(笑)。



「読楽」2013年2月号(徳間書店/2013年1月22日発売)

このページのトップヘ