石井光太 − 旅の物語、物語の旅 −

今月発売の文芸誌『読楽』(徳間書店)で、松本仁一さんと対談しました。
<完全現場主義>と題して、事実を取材して書くとはどういうことかということを話しています。
編集長と担当編集者の厚意により、全4、5回にわたって、ネットでも少しずつ内容を掲載していきますので、よろしければお読みください。

<完全現場主義>

■マスメディアが伝えないこと

松本 
新作の『津波の墓標』、拝読しました。
東日本大震災関連では前作『遺体』(新潮社)も非常によかったのですが、今作にはより生々しい話がたくさん盛り込まれていて、個人的にはこちらのほうが引き込まれました。

石井 
ありがとうございます。

松本 
印象的だったのは、はじめの部分に書かれていた「津波の臭い」という表現(第一話)。
津波の被害を伝えるとき、われわれは「瓦が礫れきが散らばる」など目で見えるものを真っ先に書いてしまう。
でも、あの瓦礫の山からはひどい臭いがするんです。
瓦礫に臭いがあるということを書いたのは、石井さんがはじめてじゃないかな。
ほかにも、遺体を覆うブルーシートをめくって写真を撮るカメラマン(第五話)や瓦礫をバックに記念撮影をするボランティア(第四話)、自転車に乗って金目のものを漁あさりに来る近隣の少年グループ(第二話)など、マスメディアの報道からは伝わってこない、被災地で起こっていたありのままの現実をちゃんと記録しているのもさすがだと思いました。

石井
テレビや新聞などのマスメディアが伝えないことを書いてこそのノンフィクションですからね。

松本
石井さんが『津波の墓標』で書かれたようなことは、新聞では書けないと思うんです。
というのも、新聞が書いてしまうと、被災地以外の人々に「新聞に書かれているぐらいだから、日常的に行われているんだ」という印象を与える可能性がある。
たとえば被災地で起こっている窃盗の記事を載せたとしたら、なかには「みんながやっているなら、自分も一回ぐらい……」と考える人が出ないとも限らない。
「援助交際」も、今でこそ一般の人にも知られていますが、もともとはアンダーグラウンドで行われているものでした。
ところが、マスメディアが大々的に報道したことで、実際に援助交際をする人が一気に増えたそうです。
大手紙と呼ばれるようなメディアは、世の中への影響の出方が大きいので、書く内容や書き方にかなり気を遣わなければなりません。
ただ、そのことにあまりとらわれすぎると、今度は記者が勝手に自主規制をはじめて、伝えるべきことが伝わらなくなる。
どこに線引きをするかは難しい問題ですが……。

石井 
ノンフィクションの場合は、一冊千五百円、二千円の値段がついているし、そのお金を出して本を読もうという読者はある程度世の中に対する問題意識が高いという面があります。
本の読者というだけでかなり選別されているわけです。だから、出来事をありのままに書いても、読者が「だったら自分も……」という発想に陥るケースは極めて少ないといえます。
ところが、新聞の場合は読んでいる層がかなり広いし、さらにテレビともなれば不特定多数に無料で情報を流している。となると、記事化することにおいて最低限の規制はどうしても必要になってきますよね。

松本
規制は必要ですが、それは「取材しなくていい」ということではありません。
取材は徹底的に、可能な限りしなければならない。現場へ行って、瓦礫の中に放置されている金庫を開けている人たちがいたら、「お前たちは何をやっているんだ」と話を聞かなければならない。
そうした取材で自分の手持ちのカードを増やし、集まったカードをどう表現していくかを考えることが、われわれジャーナリズムの世界で生きている人間の任務だと思います。

石井
たくさんのカードを持つのは非常に重要だと思います。
カードとは多様な価値観や視点を持つことであり、その数が作品の良し悪あしを決めるものになりますから。
震災後間もなく被災地の現場に入り、さまざまな人の話を聞きさまざまな光景を見てきました。
私はそうすることでカードを集めてきました。
そして今回の震災取材では、二冊の性格の異なる本としてまとめることになりました。
『遺体』は遺体安置所に焦点を絞り、そこで奮闘する人々の姿を描いています。
その光景を見ていた「私」という存在は作品から排して、現場で起こっていたことをドキュメントとして描くことに専念しました。
一方『津波の墓標』では、『遺体』では書けなかった、「私」という存在を通して見た震災を描きたかった。自分を媒介することでしか書けないこともあるんです。
今回の本で出てくる幽霊の話(第三話)も、自分を媒介することでしか書けなかった話です。
ある日、被災者数人が、幽霊が出るという噂のある河原に行くというので私も同行しました。
彼らは懐中電灯であたりを照らしながら必死に幽霊を探している。
「津波で死んだ人間の幽霊だったら会いたかったのに」
そんな言葉を聞いて、まだ行方不明の家族に幽霊であってもいいから会いたい、という彼らの気持ちが痛いほど伝わってきました。
その光景を見ながら、私はただ、その場にたたずみ、それを懸命に理解することしかできませんでした。
現実の中にはそんな私を含めて描くことでしか伝えられないことがある。
もし「私」を排除してしまうと、とても冷たいレポートになってしまう。
この物語は「私がどう感じたか」を含めて描かなければならない。
そうした体験を数多くしたので、一冊にまとめておきたかった。

松本
今おっしゃったことは、個人のジャーナリストだからこそできることだと思うんです。
新聞記者のような組織に所属するジャーナリストは、「私は」と書くことを意識的に避けるよう教育を受けて育っています。
というのも、「私は」と書いてしまうと、読者は書かれている内容よりも「私」に感情移入してしまうから。
今回の石井さんの本でいえば、読者は石井光太が被災地で何を考え、どう動いたのかを見ようとする。
でも、新聞のスタンスは違います。
たとえば、私も関わっている朝日新聞の連載記事「プロメテウスの罠」では、各シリーズで主人公を決め、その人物の思いや行動を三人称で書いています。
読者には、主人公の内面にまで入り込んでそこで起こっていたことを追体験してほしいという狙いがあります。
あるシリーズでは福島県双葉町の井戸川克隆町長を取り上げています。
もともと原発推進派でした。ところが三月十二日、福島第一原発一号機で水素爆発が起こった直後、双葉町に放射性物質を含んだぼたん雪のようなものが降りしきる。
原発の建材の破片です。屋外で炊き出しや作業をしていた町民たちはみんな、その「雪」をかぶってしまった。
その瞬間、井戸川町長は「もうこの町は終わりだ」とショックを受け、町民を守るためにも「みんなを連れて逃げなければ」と考えます。
井戸川町長の一連の思いや行動を読者が追体験するためには、「私」という存在はかえって邪魔になります。
だから、「プロメテウスの罠」では、一貫して三人称での記述にこだわっているんです。

(つづく)

出典
「読楽」2013年2月号(徳間書店/2013年1月22日発売)

本日より、『津波の墓標』(徳間書店)が書店に並びます。

一年半近く前に出した『遺体』は、釜石市の遺体安置所を舞台に、そこで働いていた方たちがどのように犠牲者の尊厳を守り、ご遺族を支えたかということに焦点をあてたルポでした。
この本を三人称で描いたのは、そこにいた方々の思いを明確に、読んでくださった方々に伝えるためでした。

ただ、釜石市での取材は、私にとって震災体験のごく一部でした。
震災直後から最後までずっと釜石市にいたわけではなく、釜石市の取材をする一方で様々な被災地を回っていました。
合計すれば、そちらの時間が半分を占めます。

当初、私はそれらの体験を書籍にまとめようとは思っていませんでした。
一つ一つの体験があまりに重く、『遺体』を完成させて一段落させたいという思いがあったり、被災者の中で震災の傷がまだなまなましく残っている時点で書くべきことではない現実もたくさんあったからです。
しかし、『遺体』を完成させてからも、私の胸の中で本に描かなかった体験がフラッシュバックのように思い出されました。
名取市、東松島市、女川町、石巻市、南三陸町、陸前高田、気仙沼……そこで出会った人々の姿や、交わした言葉が記憶の奥でずっと響いていたのです。

きっとあの体験に区切りをつけるには、何かしらの形で外に出すしかないのではないか。

私はそう考え直すようになりました。
体の中に蓄積された記憶を外に出さなければ、自分自身がその重さに耐え切れなかったのです。
それで、私は徳間書店が出している『読楽』という文芸誌に毎月三十枚ほどそれらの体験を書き綴ることにしました。
それは、私にとって震災での体験を一つ一つ確認し、整理し、外へと出していく作業でもありました。
こうしてまとまったのが、今回の『津波の墓標』という本なのです。

この本には、私がずっと書くべきかどうか迷っていたことも書いてあります。
あるいは、匿名にしなければ書けなかったことも書いてあります。
二度と思い出したくないことも書いてあります。

ただ、この本を刊行する際、取材させてもらったご遺族の方がこう言ってくれました。

「私は石井さんに自分の体験をしゃべらなければ、自分自身が耐えられなかった。だから取り乱しながらも語らせてもらったんだ。きっとそれを受け取った石井さんも文章にしなければ耐えられなかったと思う。そういう意味では、活字にはなるべくしてなったのではないか」

これは私がどうしても一人で抱えていくことのできなかった記憶の集積であることだけここに書かせていただければと思います。


津波の墓標
津波の墓標

昨日、小学校の同窓会があった。
24年ぶりである。僕はパーティーの類は基本的に参加しないのだが、このような同窓会が今回の1回限りだったらもう二度と会わない人もいるんだろうなー、と思い、行ってみることにした。

京王プラザホテルの会場にいくと、懐かしい顔がたくさんあった。
約40人ぐらいが参加したらしい。1学年4クラスだったから1クラス分ということになる。仲良くしていた人がたくさんいたので、昔の話やら今の話やらで盛り上がった。

今日の朝、実家に寄ったついでに同窓会のことをチラッと話した。
親は喜んでいたが、一言こんなことをつぶやいた。

「同窓会に来る人って、社会でうまくいっている人とか、学生時代に良い思い出があった人に限られちゃうかもしれない」

それを聞いてふと思ったのが、2、3年前に大学のゼミの人たちで集まった時のことだ。
担当教授を挟んで何人かで飲んだのだが、一人男の子が終わる直前になってフラッと現れた。閉店間際だったので15分ほど飲んでほとんど会話もできなかった。
その後、彼は帰りの方向が同じということで教授と一緒に帰ったのだが、あとで教授から聞いたところによれば、彼は帰路にこんなことをつぶやいていたらしい。

「自分はいまだに定職につけずにフラフラしているので、同級生と顔を合わせる勇気がなく、ずっと一人で別の店で酒を飲んでいた。それで終わる直前に勇気を出して来たんです」

僕はそれを聞いて、あることを後悔した。
彼が遅くにやってきた時、私は何も考えずに「いま、何やっているの?」と訊いてしまったのだ。
彼はあまりはっきりとしたことは言わなかった。きっと言い出せなかったのだろう。
もし彼の気持ちをわかっていれば、訊かなかったにちがいない。

同窓会に来られない理由というのは、人によって様々だと思う。
上記のような人もいれば、単に忙しいという人だっているだろうし、同級生に嫌な思い出しかない人だっているだろう。
来られる人には来られる人の物語があり、来られない人には来られない人の物語がある。
そして、その時々によって両者が逆転することもある。

僕が卒業した小学校は、世田谷区にある公立だった。
卒業年は昭和64年。
昭和最後の年だ。

きっと何度同窓会を開いても、その度に来る人は変わるのだろう。
それが時の流れなのだ。

ただ、その流れを思うと、やはり卒業というのは悲しくも切ないものだとつい感傷にひたってしまう。

明けましておめでとうございます。

去年は『遺体』ではじまり、いろんなことに挑戦した一年でした。
『遺体』と表裏一体となる「津波の墓標」を連載開始。つづいて、上野の地下道で戦後暮らしていた浮浪児たちの連載「浮浪児1945」を開始。
それから事件モノの取材をはじめ、夏から秋にかけては今年の目玉「××」(まだ内緒)の執筆。同時進行で3冊連続で本をだし、そのうちの一冊が『ノンフィクション新世紀』(河出書房新社)。これは、僕にとって最初の編著でした。
そして、それが終わったと思うと、尼崎の角田美代子事件の取材開始。

では、今年はどんな年になるのでしょう。
まったく想像もつきませんが(毎年そうですが)、とりあえず、1月の予定は以下(去年からの連載分は除く)。

・「週刊ポスト」にて尼崎事件のルポを発表。
・「新潮45」にて「『遺体』その後の物語 前編」を発表。
・「エレガンス・イブ」にて、震災関連の漫画原作を発表。
・徳間書店より『津波の墓標』の単行本を刊行。

です。
もちろん、その他連載している「浮浪児1945」や「ちいさな神さま」など複数の作品は継続します。

毎年言っていますが、僕が目指すことは変わりません。すなわち、

「人の人生を変えるほどの感動をつくりだしたい」

ということです。これ一点。
そのためなら、何を投げ打ってでも全力でやっていきますので、今後ともよろしくお願いいたします!



追記
1月は上記の作品発表に加えて、朝日カルチャーセンターでの「ノンフィクション連続講座」を開催します。
こちらは、尼崎事件の取材なども含め、前年よりパワーアップした形での講義形式の企画です。いろんな方のご参加をお待ちしています。
http://www.asahiculture.com/LES/detail.asp?CNO=190046&userflg=0
なお、2月にはノンフィクション連続講座から発展した「日本のクリエイターズ・ドキュメント」を開催します。こちらもご興味があればぜひ。
http://youlabo.net/


「日本のクリエーターズ・ドキュメント」
〜作り手の「言葉」を通して創作を考える〜


2012年はシーズンおきに「ノンフィクション連続講座」を開催してきました。
来年2013年は、その新バージョンとして「日本のクリエイターズ・ドキュメント」と名前を変えて、フィクションの分野の人にも登場いただこうと思っています。
主催は、再びYoulaboとシナリオセンターで、同じく僕が総合ナビゲーター役になります。

来年第一弾は、「プリンセストヨトミ」などベストセラー小説で知られる万城目学さん(小説家)と、大ヒット映画「踊る大走査線」シリーズの知られる本広克行さん(映画監督)をお招きします。

ぜひお越しください。

詳細↓
http://youlabo.net/



追記
こちらは、僕がナビゲーターになって、ゲストの方々の作品世界の裏を聞いていく企画です。
僕自身の取材の裏などについて知りたい方は、朝日カルチャーセンターの講座にご参加いただけると嬉しいです。
朝日カルチャーセンター「ノンフィクションの作り方」
http://www.asahiculture.com/LES/detail.asp?CNO=190046&userflg=0


あまりに心のこもったコメントだったので、こちらに掲載してご返答します。

こんにちは、ぴるむと申します。
石井光太さんの「遺体」映画化しましたね。
私は釜石市民として悲惨だったあの頃を映画にするのは初めはどうかと思いました。
震災直後の何もない釜石を、家族を失った悲しみからまだ立ち直れていない人をたくさん見てきた中で、この映画は悲しくなる一方ではないかとばかり思っていました。
しかし、西田敏行さんを初め、たくさんの豪華な方たちが本気でこの映画に取り組んでいる姿を拝見し、涙が止まりませんでした。
実際、私は祖母と叔母を震災で失い、何度も遺体安置所へ行きました。
釜石第二中学校や大槌などに行き、沢山のご遺体を見てきましたが、今でも見つかっていません。
当時、中学二年生だった私は何が起こっているのか分かりませんでした。
このような悲しみを味わった人は釜石にまだたくさんいます。
そんな人たちの思いを届けてくれたこの映画を本当に嬉しく思います。

12月15日に釜石高校で映画を見てきました。
被災者の実際の生の声を生かしてくれている嬉しさとあの頃の自分に思いを重ねてしまい悲しみがあふれ出てきたことを今でも思い出します。

釜石はまだ震災の爪痕がくっきりと残っています。
その釜石を私たち子供が将来作っていく役目を背負っていると思います。
私たちに今でも支援をしてくださる心優しい方々の思いを無駄にしないよう精一杯頑張っていきたいと思います。
そして、復興した釜石を皆様に見せられるようにしたいと思います。
どうか、震災のことを被災した方もそうでない方にも忘れないでください。


中学二年生であの現場にいらっしゃったんですね。
震災の直後に、釜石など被災地へ行った時のことは忘れられません。
あの時、私の胸にあったのは、「被災地はこんな状態なのに自分が住む東京はほとんど無傷」ということに対する罪悪感と、だからこそ自分に出来ることを何か一つでもやらなければ、という気持ちでした。
結果として、それが『遺体』という作品を描くことにつながりました。

それは、きっと映画の君塚監督や出演者の方々も同じ気持ちだったと思います。
みなさん一人ひとりが「自分の出来ること」として考え、あの映画をつくりあげてくださったのだと思います。
私自身、映画製作の最初の段階から関わらせていただいていたので、出来あがった作品を観た時は、その気持ちをストレートに感じ、本当にここまで丁寧につくってくれたんだ、という思いで涙が出てきました。

私たち作り手にとって、なによりも大切なのは当事者の方々がどう感じるかという点です。
そういう意味では、あなたがこのようなメッセージを寄せてくださったことは、何にも勝る喜びです。
本が出版され、映画の公開が終わっても、あなたはずっと釜石の人であり、釜石と関わりながら生きていくことと思います。
もしかしたら、いつか「釜石のことが忘れられているのではないか」とか「自分に出来ることに限界がある」と感じることもあるかもしれません。
そんな時は、いつでも声をかけて下さい。
本はいつか書店からなくなりますし、映画の公開も終わりますが、僕自身はあなたと同じようにずっとあの日の記憶を持ちつづけていますし、微力ですが何かしらできることがあるかもしれません。

いつかそんな形で、成長したあなたとお会いできれば嬉しいです。

『遺体』の映画版の予告編が公開されました。
公開は、2013年2月23日からです。追ってまたお知らせいたしますが、僕としてはこの映画にかかわってくださった方々が本当に真摯につくってくださったと思っています。
一番安堵したのは、本で描いたモデルとなった方々が試写を見て同じような感想をくださったことです。





映画の試写はだいぶ前に見ましたが、正直シーンを見ているとモデルとなった人々と初めて会った時のことを思い出します。
主人公の千葉さん(西田敏行さん)と会ったのは、遺体安置所の入り口でした。彼はものすごく忙しく動き回っていて話をする暇もない。それで長い間安置所で震えながら待っていて出棺が一段落したときに、何度も頭をさげて頼んでようやく話をする時間を少しだけとってもらったのです。
その日はものすごく寒く、外で話をすることができないほどだったので、千葉さんの車に乗って話を聞いた。僕が助手席、彼が運転席。その時、千葉さんの上着には遺体を運んでついたヘドロがたくさんついていて、ポケットの手ぬぐいや防腐剤や手袋もすべて遺体のヘドロで汚れていた。千葉さんはそのままの姿で一度も僕の方を見ずに真正面を向いて涙を流しながらいろんなことを語ってくれた。5分の約束だったのに20分になり、30分になり、40分になり。それから個人的な仲になって毎日会うようになりました。

歯科医の鈴木勝先生(柳葉敏郎さん)も同じ。
あまりに忙しいので、地元の福成先生(歯科医)に紹介していただいて、いきなり家に行って話を聞かせてくださいと頼んだ。
勝先生も同じく遺体安置所で働いていた福成先生の頼みだったので断れなかったんだと思う。それで2Fのリビングルームにあげてもらって初めて話をした。
勝先生は話をしているうちに、津波に流されて行方不明の親友のことを思い出して、闇に閉ざされた窓の外を見つめて泣きながらずっとその人の思い出を語り続けていた。結局ホテルにもどったのは深夜3時か4時だった。それから仕事が終わってから歯科助手の大谷貴子さんとともに夜更けまで話すようになった。

仙寿院の住職柴崎さん(国村隼さん)と会ったのは停電の最中の夜だった。
お寺に行ったら外でたき火の前に立っていた。これまたお願いして、まっ暗な中で、頭にライトをつけてノートを照らしながら柴崎さんが語ることを必死にノートに書きつづった。あとでそのノートを見たら、僕の手は泥だらけだったらしく、ノートが泥で汚れていた。
そのほか、市の職員の松岡さん、葬儀社の土田さん、医師の小泉先生、野田市長……。

そういう出会いの積み重ねで、何度も会っているうちに、この人たちの公にならない言葉を絶対に活字にしたいと思った。
僕は本当にいろんな人に恵まれて、なんとか体験を活字にすることができる仕事につかせてもらっている。
それであれば、その幸運を最大限につかって、この方々たちの体験を活字にしたいと思った。それで全力で書いたのが『遺体』という本だった。
それが書籍になって、映画になって、それを取材させていただいた方々がそれらを見て「良かった」と思ってもらえて、全身の力が抜けるほど安堵した。
本当にありがとうございます。

なお、『新潮45』の一月、二月発売号に「『遺体』その後ルポ」を掲載予定でいます。
その後の話しもあわせて読んでいただけると嬉しいです。

朝日カルチャーセンター(新宿)での冬季講座のお知らせです。

これまでのゼミ形式とは違い、今回は授業形式で行います。
現実を切り取って描くことについては、ノンフィクション、ルポルタージュ、ジャーナリズム、ドキュメンタリー、私小説などいろんな名前がついています。
ただ、実態や境界はとても曖昧です。そこで、本講座では「私的・メディア入門講座」としてあらゆる角度からこの仕事についてお話をしていきたいと思います。
主なことは、以下のようなことです。

・現実を切り取る作業は、メディアや人によってどう違うのか。
・取材と呼ばれるものでも千差万別。そもそも取材とは何なのか。
・取材したことを作品に落とすにはどのようなプロセスを経ているのか。

基本的には、すべて私自身の体験からお話していきます。
これまでの仕事のことはもちろん、現在行っている尼崎事件などの取材の裏側や、『遺体』が映画になるまでのプロセスなどもお話します。
学生からプロまでが、現実を映し出すメディアとは何か、ということを考えられる講座にできればと思いますし、ご質問にはなんでもお答えします。
大体いつも終わってから飲み会もやるので、ふるってご参加下さい。


■朝日カルチャーセンター『ノンフィクションの作り方』

○概要
世界の現実を切り取り、作品化された書籍を「ノンフィクション」と呼びます。
どのように現実を切り取ればいいのか、事実の奥にある真実を見つける方法とは何か、いかにして取材が行なわれているのか、取材した材料をどのように作品化するべきなのか、作品はいかにして発表されるのか。
ノンフィクションの発想から取材法、そして発表までの方法を事細かに説明します。
本講座は、ノンフィクションを中心に話を展開しますが、新聞やテレビといったマスメディアのジャーナリズム、写真家のフォトジャーナリズム、テレビにおけるドキュメンタリーとも通底するものがあります。学生から社会人までが、広い意味で「メディア報道とは何か」を考え、最後に自分のテーマを持ち帰られる内容にします。

○カリキュラム
2013/01/19(18:00-21:00)
.離鵐侫クションとは何か:ノンフィクション、ジャーナリズム、ドキュメンタリーの方法論。メディアごとの特徴。作品発表の仕方。業界の現状。
⊆荳爐諒法:日本、海外における取材の方法。どのように人にアプローチし、話を聞き、作品にしていくか。取材費の問題。

2013/02/02(18:00-21:00)
テーマと作り方:テーマの見つけ方。取材で培ったものをいかに作品として作り上げるのか。作家論。デビューまでの道のり。
ご覯茲鬚弔ってみよう:これまでの講義を踏まえ、それぞれご自身のテーマ・企画をつくる。他にない企画をいかに練り上げるか。

○お申込み
http://www.asahiculture.com/LES/detail.asp?CNO=190046&userflg=0

※電話で申し込んでもOKらしいです。

『レンタルチャイルド』が、二年半ぶりに文庫となりました。
2002年から10年ちかくインドのストリートチルドレンを追った物語です。

レンタルチャイルド: 神に弄ばれる貧しき子供たち (新潮文庫)
レンタルチャイルド: 神に弄ばれる貧しき子供たち (新潮文庫)
クチコミを見る


<内容>
二〇〇二年、冬。
インドの巨大都市ムンバイ。路上にたむろする女乞食は一様に乳飲み子を抱えていた。だが、赤子はマフィアからの「レンタルチャイルド」であり、一層の憐憫を誘うため手足を切断されていたのだ。時を経て成長した幼子らは生き抜くため“路上の悪魔”へと変貌を遂げる――。
三度の渡印で見えた貧困の真実と、運命に翻弄されながらも必死に生きる人間の姿を描く衝撃作。


新潮文庫としては『神の棄てた裸体』『絶対貧困』につづいて3冊目ですね。
ここでちょっと豆知識。新潮文庫というのは、本の背表紙(本棚に並べた時にタイトルと筆者名が見える部分)の色が2段階に分かれています。
白か著者ごとの色です。
これは新潮文庫の決まりで、一作目は全員白色で統一されます。そして二作目以降は、背表紙の色を自分で決めることができるのです。逆に言えば、一作文庫にしただけで消えていく著者が多いので、色を付けるのは二作目からということなのでしょう。
ただ、もし二冊目で色が決まり、その後一作目も増刷すれば、一作目であってもその色の背表紙になります(一作目だけではいくら増刷しても色は変わりません)。

ところで、どういう風に自分の色を決めるのか。
他の著者さんについては知りませんが、僕の場合はかなりいい加減でした。
二作目の『絶対貧困』のゲラが終わったころ、僕は河出書房新社の1Fにあるレストランで中日新聞社のインタビューを受けていました。
そしたら担当の松本さんから連絡があり、こう言われたのです。

「二作目から背表紙の色をつけなければならないので、何色がいいですか」

僕は思いつかなかったので、インタビューをしてくれていた記者の女性に事情を話して「何色がいいですかね」と訊いてみました。
すると、彼女はこう答えました。

「赤がいいんじゃないですか。石井さんって赤のイメージです」

で、僕はそのまま電話で「赤が良いって言われたんですがどうでしょう」と尋ねました。
松本さんいわく、「同じ『い』の著者で赤をつかっている人がいないのでいいと思う」。それで、赤に決まったのです。
という感じで、意外に簡単に決まってしまいました。

ちなみに、僕は文春文庫でも処女作『物乞う仏陀』を文庫化していますが、こっちは何も言われずに勝手に黄緑色にされました。文春文庫は最初から作家のカラーをつけられるので1作でも色アリなのです。

ともあれ、僕はできるだけ若い方に読んでもらいたいと思っているので、文庫化はとてもうれしい。
単行本の方が思い入れはあるけど、文庫になって広く読んでもらいたいという気持ちがあるのです。

もし書店で赤い背表紙の「レンタルチャイルド」というタイトルを見かけたら、ぜひ一度手に取ってみてください。



追記
表紙は、僕の本はすべて文庫化にあたって変えています。
ハードカバーのサイズでちょうどいいデザインと、文庫本にあったデザインというのは違いますし、読者層もかなり違ってくるので、変えることが多いのです。

『戦場の都市伝説』が発売されました。
以下が、本書の内容です。よろしければ書店等で手に取っていただければ幸いです。



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内容紹介
世にも奇妙な戦地の噂
・中東では出稼ぎ労働者に死体修復の仕事が割り当てられる?
・アフガニスタンの空き地に「小さい女」の幽霊が現れる?
・遺体にコカインを詰めて密輸する麻薬密売組織がある?
・コンゴの少年兵が幽霊になっても捜し歩く、弾除けのお守り
・ヒットラーは密かにアルゼンチンに落ち延びていた?

常に狂気に包まれた戦地や紛争地帯では、多くの都市伝説や怪談が生まれる。
ウガンダ・ビクトリア湖の「死体を食べて大きくなった巨大魚」、パレスチナの「白い服を着た不死身の自爆テロ男」、カンボジアの「腹を切り裂こうとする幽霊」、ナチス・ドイツの「ユダヤ人の脂肪でつくった人間石鹸」──。
これらの噂話が妙に生々しいのには理由がある。その裏側には、往々にして、軍や政府、ゲリラ組織が隠蔽した「不都合な真実」があるからだ。
海外取材経験豊な気鋭のノンフィクションライターが「都市伝説」から解き明かす、人間の心の闇と、戦争のリアル。



僕にとって、これが幻冬舎での最初の仕事ですね。
担当の高部さんに声をかけていただいたのは、3、4年ぐらい前だったと思いますが、企画が一転二転して、いつの間にか年月が経ってしまい、とりあえず新書でやろうということになり、本書が生まれました。

戦地と呼ばれるところへいくと、様々な怪談や噂や呪術があふれています。
その呪術こそが兵士の心の支えになっていたり、噂こそが戦意高揚に役立っていたり、怪談こそ戦争を如実に語っていたりします。
大戦中に日本兵が「神風」を信じたり、「千人針」を所持することで弾除けにしたり、「アメリカ兵が日本に上陸したら女はすべて犯される」と言って恐れたりしたのと同じですね。あるいは、空襲後に「空襲で死んだ死体が東京湾に流れて、東京湾の魚が巨大化した」なんて噂もありました。
これらも当時の時代の戦場の都市伝説だといえるかもしれません。極限状態だからこそ、人々の間に特殊な感情や信念や話が生まれるのです。

こうしたことから、かねてよりそうした戦場の都市伝説を集め、そこから見えてくる「本当の戦争」を描いてみたいと思っていました。
それを担当の高部さんにはなしたところ、「うちの新書にぴったり!」と言われて、WEB連載した後に本にまとめることになったのです。

実は、僕の書斎には、戦場から持って帰ったお守りがたくさんあります。
戦場でつかわれていた「呪いの人形」、「兵士の戦闘能力を上げるためのお守りとしての動物のミイラ」、ゲリラ兵がつかう「呪いの仮面」など。怪しいものばかりですが、戦争の真実を現す資料としてはとても貴重なものだと思っています。
本書もそういう意味で、戦争を別の角度から見た「もう一つの本当の戦争」として読んでいただければ嬉しいです。

え? 読むのが怖いって?

読み終わった後、「ちちんぷいぷい」と唱えれば、きっと大丈夫でしょう。

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