2010年01月

2010年01月31日

甘い誘惑

貧しい国を回っていると、「エネルギーが足りねえ〜」と思うことがある。
食事自体にカロリーがほとんどないので、ちょっと動くと疲労感が半端ないのである。

コカコーラの「力」を感じるのは、そんなときである。
ご存じ、コーラには半端ない糖分が入っており、カロリーが非常に高い。
貧民街を取材して、体力がなくなり、死にそうだー、と思った時、瓶入りのコーラを飲むと、一気に体力が回復する。本当に実感できるぐらいカロリー=エネルギーが高まっていくのである。
糖分こそがブドウ糖(エネルギーの元)なので当然といえば当然だろう。
そうしてみると、貧しい国にはかならずコーラや甘ったるい紅茶なんかが溢れているし、現地の人もそれを求めているが、普段食事からカロリーをとれない人にとって、あれは生きるのに必要なものなのだろう。
貧しい国の人々にとって、コカコーラというのは「命の水」でもあるわけだ。

そういえば、食べ物や飲み物は、カロリーが高いものでなければ、「中毒」にはならないそうだ。
コカコーラ中毒とか、ポテトチップス中毒とか、アイスクリーム中毒という人はいる。
しかし、ダイエットコーク中毒というのはほとんどいない。あるいは、コンニャク中毒とかワカメ中毒というのもほとんどいない。

なぜか?

人間は無意識のうちに、生物的な意味でエネルギーを欲している。
そのため、ダイエットコークを「うまい」とは思っても、体はそこにカロリーが含まれていないことを感づいている。だから、生き物の本能として、ダイエットコークを本能で渇望するということはないのだそうだ。そうなると、当然ダイエットコーク中毒者というのはいないということになる。
(逆に、定番のコーラであればカロリーが高いので、体は無意識のうちに必要とする)
こうしてみると、私たちが太るものを欲するのは、カロリー=エネルギーを欲する人間の本能といえる。

甘さといえば、甘さを感じない動物もいるそうだ。
たとえば、犬なんかは甘いものが大好きである。甘いという感覚があるのだろう。
だが、猫にはそれがない。味覚神経の中に、甘さを感じるものがほとんどないのだそうだ。動物の多くは、木の実などの中に含まれる糖分を食べることで、その神経を発達させる。しかし、肉食(野生猫は肉食動物)であると、その経験がないために、甘さを感じる神経がかなり鈍ってしまうらしい。そのため、甘いものに対して人間や犬ほど興味を示さないのだという。
猫も、甘さに不感症とは、なかなか悲惨な生き物である。

甘いものか、甘くないものか、といえば、人間の「酒のつまみ」についても同じことが言える。
たとえば、つい先日、某雑誌の元編集長と飲みに行った。以前、その雑誌に連載していたこともあり、何度も飲んだことがある。その方は、一軒目が終わった後にたいていオシャレなバーにいく。その時、かならずフルーツを注文する。つまみで、かならずフルーツ(とくにドライフルーツ)を頼むのである。先日も、バーへ行ったら、やはりフルーツの盛り合わせを頼んでいた。

編集長さんがフルーツを頼むのは、「疲れていて糖分を欲している」のか、「脳に二軒目のつまみ=フルーツ系」というプログラムがインプットされているかなのだろう。あるいは、ウイスキーなどは、甘いつまみと非常に相性がいいということもある。
そうしてみると、正当な理由があって、ウイスキーを飲みながら、甘いものを頼んでいるということになる。

ただし、ビールや日本酒を飲んでいる時に、甘いおつまみを頼む人はすくないだろう。
ビールや日本酒のときは、たいていナッツとか、チーズとか、漬物など、塩分のきいたものである。僕も、日本酒を飲んでいるときは塩分のきいたものしか食べたくない。

これはなぜなのか。

実は、塩分というのは、ビールや日本酒を飲んだ時にのどに残る応答をリセットする機能をもっているのだ。
ビールや日本酒を飲むと、その応答がのどに残る。その時、塩分をとると、それが一度消えて、また最初から新鮮な感覚でビールや日本酒を飲めるようになるのである。
だから、人間はビールや日本酒を飲むとき、無意識のうちに塩分のきいたおつまみを頼んで、交互に飲み食いしているのである。

そう考えると、僕たちは知らず知らずのうちに、体の動物的な本能によって食生活をコントロールされているといえる。
なんか、ちょっと悔しい気がしないでもない。


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2010年01月25日

お尻の問題

ウォッシュレットは、非常に使い勝手がいい。
アメリカ人はウォッシュレットが嫌いでつかわないという話が聞いたが、馬鹿げているとしか思えない。これをつかわずして、どうやって生きる、と言いたい。
僕はウォッシュレットがなければ、たぶん発狂する。たまに公衆便所で大便をしてやむなくウォッシュレットがつかえないことがあるが、そんな時はずっとケツに一物が残っているような気がして仕方がない。むず痒くて仕方ない。
たぶん、僕のケツは恥ずかしいほど敏感なのだろう。

ただ、20年ほどウォッシュレットに依存しすぎたせいで、様々な苦悩もある。

海外旅行でウォッシュレットのない国へいくと、トイレットペーパーをつかわなければならない。
これが問題なのである。
普段日本でウォッシュレットを使い慣れてしまっているせいか、ケツの皮膚がやわらかくなっており、トイレットペーパーで何度もゴシゴシ拭くと皮膚が切れたり、荒れたりしてしまうのである。
ウォッシュレットが出る前(僕が小学生の頃)は、トイレットペーパーをいくらつかってもケツが切れるなんてことはなかったように思う。そうしてみると、ウォッシュレットの登場によってケツの皮が退化したということになるのだろうか。

もう一つ、問題もある。
前に取材をしたAV監督が言っていたのだが、AV女優の中には、性行為が終わった後に、ウォッシュレットで手軽に洗おうとする人が増えてきたそうだ。
男性が次の撮影に備えてシャワーで下半身を洗った後、女優さんに「あなたも洗ってきなよ」という。すると、女優さんは「面倒だからウォッシュレットで洗うわ」と言ってトイレへいって5秒で済ましてしまうそうだ。
男優からすれば、[たった今ウォッシュレットで下半身を洗浄したばかりのオンナとプレイするのかよ」とどん引きしてしまう。ウォッシュレット=便所の水に触れたくないのだろう。そのため、なかなか撮影に集中できなくなる男優もいるそうだ。
なんとなく、わかる気がする。。。

ちなみに、世界的にみれば、「ウォッシュレット」の国の方が多いだろう。
「手で拭く」というのも「ウォッシュレット」だからである。

日本人の中には勘違いしている人が多いのだが、外国で「お尻を手で拭く」という時は、「手で直接うんこを拭う」というわけではない。
右手で持ったジョウロでからケツにむけて水を流す。そして、その水をつかいながら、左手で尻を拭くのである。なので、左手で尻を拭いても、うんこはつかない。なぜならば、水がすべて流してくれるからである。
こうしてみると、「手で拭く」というのは「パワフル版ウォッシュレット」なのである。

(ちなみに、都市部ではジョウロではなく、勢いのあるホースでもってケツを流す。これを使うときは手を使う必要がない。水の勢いがつよいので、肛門に噴射するだけでうんこが落ちるからである)

ただし、外国のウォッシュレットはウォッシュレットで、意外な問題もあるらしい。

農村地帯などでは、そもそも便所がなかったりすることがある。
では、どうするか。
川や田んぼにためた水の上にしゃがみ、脱糞した後、その田んぼの水で尻を洗うのである。
ところが、である。
この水の中に、よくヘビが交じっていることがあるのだ。
そのため、お尻を吹く落とした時に、ヘビにがぶっと噛まれることになる。
女性の場合は、アソコにヘビが潜り込んだなんていう笑い話もよく語り継がれている(これは日本も含めて世界各国の民話に同じ話がある)。

事実、僕も似たような経験がある。
田圃でうんこをしてケツを洗ったら、そこにヒルがいたのである。おかげで、僕の乳のような白い美尻に黒々としたヒルがべったりとはりつき、血を吸われてしまった。
泣きたくなるほどの屈辱である。

こうしてみると、ウォッシュレットはウォッシュレットでも、世界各国さまざまな「問題」に悩まされていることがわかる。
だが、それをなかなか口外できないことが、さらに「問題」を助長させているのだろう。
ケツの問題は実に難しい。

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2010年01月20日

2月27日イベント&交流会

2月17日に、新書でエンターテイメント本を出す。
これまでのようなガンガンのノンフィクションではなく、読み物としての娯楽本である。

テーマは、外国人がする日本人についての噂や都市伝説やデマ。
外国人の間に、どのような日本人についての噂や都市伝説やデマが広がっているのか。
笑い話も、怪談も、差別的なデマも、政治的な話も、とにかく徹底的に集めてみることで、世界の中で、日本がどのように受け止められているのか、を紹介していく本である。

このブログでも、ずいぶん前にちょっと触れたと思うが、たとえば、以下のようなものだ。

「日本人女性はとてもモテル。なぜなのか。実は、日本人女性の性器は縦に割れているのではなく、横に割れているのである。そのために、セックスがとても気持ちいい。あるインタビューアーがジョンレノンに『オノ・ヨーコのどこがいいのか』と尋ねたところ、ジョンは『ヨーコのアソコだよ』と答えたらしい」

まったく、バカっぽい。
しかし、この噂には、意外な「裏」があるのである。その裏とは何か?

あるいは、えげつない怪談もある。

「広島には、古い風俗店がたくさんある。そこは暗くて、どんな売春婦がいるのかよく見えない。その中に、被曝してケロイドだらけになった老婆の売春婦がいる。彼女はアメリカ人客が来と、フェラチオすると見せかけて、ペニスを食いちぎってしまう。そうやって原爆の恨みを晴らしているのだ」

これは米軍基地の兵士たちの噂である。いったい、なぜこのような話が生まれたのか。

と、こんな感じで、エッチな話からデマまで、たくさんある。
もちろん、真面目な政治や戦争にまつわる話もたくさん盛り込まれている。
それを紹介しながら、その話の裏に隠された真相を掘り下げていくのである。
光文社新書は、どちらかというとマジメなラインナップが多いが、この話は笑いあり、涙あり、でも勉強もありのエンタメ本である。

出版情報については、また来月ここで記すが、本の刊行に合わせて、東京・池袋のジュンク堂でトークイベントをやることになった。
イベントは1時間ほどだが、そのあと、参加者の中から有志を募って「飲み会」をやりたいと思っている。交流型トークイベントとでも言うのだろうか? まぁ、単純に酒を飲みたいだけだが。

参加していただける方は、以下の詳細をご確認してほしい。
記載してある池袋のジュンク堂の受付に電話予約を入れればOKである。その際、トークイベント後の飲み会に参加される方は、電話の担当者に「交流会参加希望」とつたえてほしい。
まぁ、酒をグビグビ飲みながら、適当にお話しましょう。
その際、面白い話があったら、どんどん聞かせてくださいな。楽しみにしています。

(ちなみに、飲み会には参加費が別途かかります。「普通の居酒屋で」と言っているので、二時間飲み放題ぐらいの定番の価格だと思いますが)


※マジメ本の情報
真面目なノンフィクションは、3月に「g2」でウガンダ取材の原稿を発表。
4月には、「新潮45」で連載中の「レンタルチャイルド」が単行本として発売。同じ月に、「神の棄てた裸体」の文庫版が出ます。お楽しみに。


<イベント情報>

★僕たちの知らないオドロキの日本人像
『日本人だけが知らない日本人のうわさ』(光文社新書)発刊記念

2/27(土) @ジュンク堂書店池袋本店

世界各地に旅に出ると、さまざま異文化に出会います。しかし、よく考えてみると、現地の人たちもまた、旅人を通して異文化に出会っているとも言えます。
世界各地の人々にとって、「日本人」はどう見られているのか? あるいは、まだ見ぬ国・ニッポンは、どんな風にイメージされている? 意外な反日国、好日国とは?
自らの身をもって世界の貧困層や底辺をルポする、ノンフィクション作家の石井光太さん。いつもより少し肩の力が抜けた新刊の内容に合わせて、世界各地の恐るべき(?)日本人像について、実体験を交えつつ語ってもらいたいと思います。

※トーク終了後、参加自由の交流会を居酒屋で行います(会費制)
参加ご希望の方は、下記予約時に「交流会参加希望」とお伝え下さい

【出演】
石井光太(ノンフィクション作家)
今田 壮(編集プロダクション風来堂・代表)

【日時】
2/27(土)START 19:00
※1時間程度の予定です

【場所】
ジュンク堂書店池袋本店
4F喫茶コーナー
〒171-0022 東京都豊島区南池袋2-15-5

【料金・予約】
1000円(ドリンク付・当日支払い)
※ジュンク堂池袋店への電話、または1Fサービスカウンターにて予約受付中(先着順。定員の40名になり次第終了)
※予約後、やむを得ずキャンセルされる場合は必ずご連絡下さい
※空席がある場合のみ、当日でも入場可

<予約連絡先>
ジュンク堂書店池袋本店
予約tel:03-5956-6111
営業時間:10〜22時

※イベント終了後の居酒屋での交流会に参加希望の方は、かならず「交流会参加希望」とお伝え下さい


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2010年01月13日

ミシマ社企画について

昨年の12月になるが、ミシマ社でのイベントを行った。
前にもちょっと書いたが、僕と社長の三島さんのノリでスタートした、ノンフィクションのあたらしい試みである。
素人の人に参加してもらい、その人たちと一緒に企画から取材、そして営業までやり遂げようというものである。
以下にレポートがあるので、参照していただきたい。

http://www.mishimaga.com/ishii-terakoya/001.html
(内容については、再来週アップされるらしい)

世界には、「戦争文化」と呼ばれるものがある。
戦争によって生み出されたスポーツや料理やファッション、あるいは企業や広告やスラングなど。
戦争というと否定的な側面ばかりが注目されるが、人間は戦争をも食って生きてしまうという強い性質をもった生き物でもある。
このテーマでは、戦争文化というところから、人間や企業のしたたかさを描くつもりでいる。

前もちょっと書いたが、これは新しいノンフィクションの形だと思っている。
おそらく書き手というのは「これはテーマ的にすごく面白いと思うのだが、一から十まで自分で調べてやるとあまりに時間がかかり過ぎて割に合わない。だから苦渋の決断で諦めている」という企画をたくさんもっている。
実際、現在出版社からOKをもらっていて、そのまんま手付かずになっている企画だけで5、6個あるが、どれも「自分ひとりだと負担が大きすぎるので後回しにせざるを得ない状況になっている」というものだ。

この「戦争文化」を思いついた時もそうだった。
最初は、新潮社か文藝春秋に話をもっていこうと思った。新書とかであれば、おそらく承諾してもらえるだろう。だが、一から十まで自分でやらると、負担が大きすぎて他の仕事に支障をきたしてしまう。それがわかっていたので、大手出版社にはもっていかなかった。
だが、もし何人かで手分けして調べることができるのならば、この企画は一年ほどで本にできるだろう。
そんな時、素人のやる気のある人を集めて、その人たちと一緒につくることで、作業を分担して本を完成させようという企画を、社長の三島さんと考え付いたのである。

もしこれがうまく実現すれば、僕にとって非常に大きい。
同じように「自分ひとりだと負担が大きすぎるために大手出版社にもっていっていない企画」というのは、何十個もある。
この戦争文化の企画がうまくいけば、それらを軒並み実現させることができるかもしれないのである。たとえば、今回の公募という方法はもちろん、大学院の研究室の学生たち全員との共同企画という形でもいいし、日本語学校の外国人生徒全員との共同企画でもいい。テーマによって、方法は数えられないほどある。もちろん、大変なこともたくさんあるだろうが、なんとか第一弾を成功させたい。

ちなみに、この企画の話をした時、ある人に「大手出版社の方が販売や信用度が強いのでは?」と言われた。
僕はこの点はまったく気にしていない。信用度であれば、大手出版社で定期的に仕事をしさえすれば中小出版社でやっても信頼度は揺るがないだろう。また、ミシマ社特有の本の販売方法は、僕の思い描く理想に近い形である。この企画の参加者にも、営業にまで食い込んでもらうことで、それをさらに大きな形にしたいと思っている。さらにいえば、今もっとも注目されているミシマ社だからこそ、こういう斬新な企画をやる意義がある。

なので、個人的には、とても楽しみである。
12月12日のイベントで、一度大雑把に参加者を集めたが、随時「途中参加」ということで受け付けている。是非、僕と一緒にベストセラーをつくってみようという気概のある人は、ミシマ社へドシドシ応募してもらいたい。
(参加希望者は、最後に記す<企画内容>をご参照の上、ミシマ社へご連絡下さい)

ちなみに、12月のイベントで、何人かの読者から「思っていた石井像と現実の像が違った」という意見があった。
実際、これは様々な所で言われてきた。読者は「この文章を書いている人は、こんな感じの体で、こんな感じの声で、こんな感じの性格だろう」と思って読む。それはそれで仕方のないことなのだろう。

読者が抱く、僕のイメージというのは以下のようだ。

・巨体
・ドスの聞いた声
・無口
・真面目で、気難しい
・怖い、野性的
・さわがしく、安い居酒屋を好む
・ナイーブ

だが、実際は以下のような感じである。

・170cm、70キロ
・声は高め
・常に馬鹿なことばかり喋ってゲラゲラ笑ってばかりいる
・世間知らずのお坊ちゃん
・どうせ飲み食いするなら、ちゃんとした店の方がいい
・超大雑把であり、超ナイーブである。二重人格か!?

会合の時に、「会ってみてビックリ」とならぬように一応記しておく。

今回の企画に参加してくださっている方は、若い方が多い印象がある。
20代から30代がほとんどで、半分強が女性といった感じだろうか。ただ、最後の最後まで残る方が誰かはわからないので、高齢の方も、男臭い方もご参加いただきたい。


追記
12月のイベント終了後、暇な人ばかり集まって居酒屋で飲み会をやった。
「学生の参加者がいるので、安い店にした方がいい」と三島さんに言ったところ、本当に安いチェーン店の居酒屋になった。
手羽先は凍りついており、ハイボールなんか水かと思うほど味気ないし、店内がうるさくて怒鳴らないと聞えない。
が、久々に行ってみて学生時代にもどったようで非常に面白かった。それに、参加者もいろんな業種の人がいるので、話の内容も多岐にわたる。こういう体験ができるのも、またイベントの楽しみである。
楽しみながら、ベストセラーを出したいと思う。


★参加希望の方は以下をご参照下さい★

<企画内容>

ミシマ社と石井光太が、共同企画で「新しいノンフィクション」をつくります。
素人の有志をつのり、企画段階から取材、そして営業までを実際に行おうというものです。
第一回の集まりが09年12月に行われましたが、その後も随時参加者を募集しています。本物の本作りに携わり、一緒にベストセラーを出してみたいと考えている方は、以下の要綱を参照の上、是非ご参加下さい。


■タイトル
「戦争文化」(仮)


■趣旨
戦争は、様々な文化を生み出してきました。
食生活、ファッション、遊び、ゲーム、ブランド、性風俗、企業、薬、方言、商品、CMなどです。

たとえば、原爆投下によって焼け野原になった広島で人々が生きていくために生み出した食事が「お好み焼き」だと言われています。
太平洋戦争後、軍隊で同性愛行為に目覚めたり、女装趣味に興味を抱いた人たちが、上野公園で売春をしはじめ、やがてそれが同性愛風俗へとつながっていったと言われています。
あるいは、腕時計が戦争のために生み出されたり、世界的カメラメーカーのニコンが戦争中にスコープなど軍需製品をつくっていたり、オカモトが陸軍の依頼によって軍事用コンドームをつかって発展したという事実もあります。
言わば、戦争というのは、様々な「文化」をも生み出すのです。

戦争において生み出された「文化」には、人間のたくましさ、したたかさなどが凝縮されています。
今回の企画では、参加者の方々が、どのような「戦争文化」があったのかを取材し、レポートとしてまとめ、それを石井光太さんに書籍としてまとめていただき、みんなで売っていこうというものです。
参加者は、石井さんにとっての「編集者」であり、「広報」であり、「営業」でもあります。大手出版社にいても絶対に体験できない「企画から営業までのプロセス」を実際にミシマ社の社員たちとともに行っていただきます。

「ミシマ社、石井光太と三位一体になって、出版業界を驚かせるベストセラーをつくりたい」

そんな方は是非ご参加下さい。


■章立て

第一章 戦争が生み出した食文化
第二章 戦争によって大きくなったファッションブランド
第三章 戦争とスポーツ
第四章 戦争におけるセックス文化の発達
第五章 戦争と広告の関係
第六章 戦争から生まれた「おみやげ」
第七章 戦争の音楽&アート
第八章 戦争の方言やスラング
第九章 現代の戦争と日本の意外な関わり方

こうした章立てで本をつくっていく予定です。
もちろん、やっていく中で章立てはどんどん変えていきます。


■参加のプロセス(途中参加の場合)
1、ミシマ社へ電話、もしくはメールで応募
※メールの場合は、氏名、年齢、連絡先、略歴を必ず明記下さい。

2、ミシマ社から連絡がいき、詳細を確認します

3、12月に集まったメンバーと途中参加の方が合同で決起ミーティングを行います

4、レポート執筆。実際に取材をし、レポートを執筆していただきます
※すでに参加者は各自で勉強会をひらいたり、情報交換をしたりしています。

5、レポートを2回、3回と繰り返します。

6、春〜夏までにすべての材料を揃える

7、石井さんに執筆していただく

8、参加者は営業方法を相談

9、書籍の出版
※最後まで残った参加者の氏名は本に明記させていただきます。

10、全員で営業、広報などを行う
※出版後のインタビューやイベントに参加していただくこともあるかもしれません。


■注意
・参加資格は特にありません。現在は20代の学生〜40代の主婦まで幅広い参加者がいらっしゃいます。もちろん、出版はど素人という方でも構いません。
・住所は不問です。関西の学生なども参加しています。レポートのみでの参加や、来られる時だけ来るという形での参加で構いません。
・文章力や前知識は一切不要です。こちらで指示いたしますので、やる気のある方だけご参加下さい。



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2010年01月09日

料理を頼む

外国のレストランへ行くと、「引っ掛かった〜」と悔やむことが多々ある。

頻繁に遭遇するのが、中国のレストランである。
僕は中国語がまったくわからない。「ニーハオ」ぐらいしか知らないのだ。
だが、日本人は中国にいても中国人に間違えられて、外国人だと思ってもらえない。
損だなー、と思うのがレストランなどへいった時である。中国人だと思われているから、中国用のメニューしか渡されないのだ(そもそも、中国では中国語のメニューしかないのが普通だ)。

だが、悲しいかな、普段は中国嫌いを豪語しているくせに、レストランにいくと、なぜか「日本人です。中国語がわからないので、メニューの説明をしてください」と言えない。
自分でも訳がわからないのだが、「日本人です」という機会を失い、なぜか中国人のフリをしてしまうのである。つり目になって、「ニーハオ」とか言っちゃうのだ。

当然、中国人に化けているから、メニューに何が書いてあるかが尋ねられない。
中国人は英語がわからない人が多いので、おそらく言ったところで、英語で説明してもらえないだろう。
そのため、漢字を見て、大体の想像をつけて注文する。

ある日、肉料理っぽい字が書いてあったので、それを指さして注文した。
すると、レバーだけが皿に山盛りになって出てきてしまった。僕は仕方なく、あたかもそれを注文したフリをして、深くうなずき、ひたすらレバーを食いつづけた。

次に考えた。
肉を頼むからこんなことになるのだ、と。野菜を頼めばいいではないか。
そこで、翌日の晩、今度は野菜炒めのような字を選んで、指さしてみた。ついでに、ライスも注文した。
すると、出てきたのは、ひたすらキュウリだった。キュウリだけが皿に山盛りになっているのである。悲しいかな、キュウリとライスだけを食べ続けることになった。

こうした失敗は、英語のメニューでもある。

たとえば、肉料理と一緒にサラダを食べたいな、と思う。
そこで、メニューをひろげて「サラダ」の欄を見てみる。すると、「トマト・サラダ」とか「エッグ・サラダ」と書いてある。「エッグ・サラダ」を注文する。イメージは、キャベツなどいくつかの種類の野菜の中にスライスされたゆで卵がいくつか入っている料理である。
だが、出てきたのは、卵が一つボンと乗っているだけの皿である。

「嗚呼、やられた」と思う。

そこで、もう一度メニューを出してもらう。
「サラダ」の欄に、「ミックス・サラダ」とある。なんだ、これを頼めばよかったではないか、と思う。そこで、注文。
すると、出てきたのは、卵とトマトが丸ごと一つずつ乗っている皿である。

「ファック」と思う。

外国でメニューだけ見て注文をすると、こういうことになるのである。
先日も、ウガンダへ行った時に似たようなことに遭遇した。僕はアフリカへ行った時は、高級の部類に入るレストランに行くことにしている。
アジアなら一食数十円の屋台でもすごく美味しいところがある。だが、アフリカは飯が非常にまずいので、高級レストランにいかない限り、コンフレークスを齧っていた方が100倍マシというような料理にしか出会えないのである。

田舎の高級ホテルへ行った。
とはいっても、一泊二、三千円の宿である。「一応」地元で一番高級なホテルなのだ。観光地でないから仕方がない。
そこのレストランに入りメニューを出してもらった。英語で「カルボナーラ」と書いてあった。数日、ひどいウガンダ料理しか食っていなかったので、思わず期待して頼んだ。
だが、出てきたのは、パスタの面の上に、卵だけがぶっかけられた代物だった。
高級ホテルでこれなら、街のレストランではもっとひどいことになるだろう。そう考えて、我慢して喰うことにした。

こうした類いで、僕が一番これまでに「やられた」と思った体験は次のような話だ。

インドのど田舎のレストランに入った。
英語のメニューがあったが、3種類しかない。2つがまったくおいしくないようなローカル料理。もう一つに「スペシャル」と書いてある。
僕はすがるように「このスペシャルは何か」と尋ねた。
ボーイは次のように言う。

「スペシャルはスペシャルだ。たとえば、鶏の足とかだ」

「鶏の足? そんなもの喰えるのか?」

「だからスペシャルなんだ」

僕は田舎で珍味に出会えたのかもしれない、と思い、その「スペシャル・鶏の足」とやらを頼んでみた。
インド人は怪訝そうな顔をして去って行った。

十分後。

カレーの上に、フライにされた鶏の一本だけ足が乗っかっていた。
僕はあまりの生々しさに「うっ」とこみ上げるものを飲み込んで尋ねた。

「これが、スペシャルなのか。本当に喰えるのか」

ウエイターは答えた。

「知らない。おまえが頼んだから、持ってきたんだ。おまえが、鶏の足を喰いたいと言ったじゃないか」

「いや、あんたが、たとえば鶏の足というから頼んだんだけど」

「だから、『たとえば』って言ったじゃないか」

やむを得ず、鶏の足が浮かんだカレーの知るに、チャパティをつけて食べてみた。
鳥肌が立っただけで、それ以上食べる気力がなくなった。

この時はさすがに、「やられた」とも思えなかった。
ウエイターの言葉を信じた僕が馬鹿だったのだ、と自分に言い聞かせただけだったのである。

しかし、外国のレストランも日本に見習って写真入のメニューをつくってほしいものである。



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2010年01月05日

謹賀新年2010

明けましておめでとうございます。

無事、取材が終了しました。
真冬だというにもかかわらず、スキンヘッドを黒々とてからせております。
目下の悩みは、日焼けした頭の皮膚が、水虫にでもなったかのように、ベロリンと剥けだしていることでしょうか。
新年早々、お肌の問題に苦しんでおります。

ともあれ、昨年は皆様のお陰で、本当に楽しい日々を送ることができました。
今年も初っ端からガンガン、ゴンゴン、ズンズンいければと思います。一緒に人生を楽しんで、「不況だ、不況だ」と愚痴ばかり垂れているオッサン達たちを吹っ飛ばしてしまいましょー。

それでは、本年も宜しくお願いいたします!



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