石井光太 − 旅の物語、物語の旅 −

2012年05月

職業病なのだろう、ニュースを見て気になると、すぐに名前を検索してみる。

若い人だと、たいていツイッターやフェイスブックをやっている。
なので、顔写真、経歴、友達、そして直前までの投稿がぜんぶみられる。殺人犯なら殺人犯が出てくるし、殺人の被害者なら被害者が出てくる。
それでその内容と事件を考えてみて、記事になりそうな感じがすれば調べ始めるし、そうじゃないと調べない。

麻薬の運び屋なんかのフェイスブックを見ると、たいてい当人がジャンキーか、本当に騙されてやらされたのかはたいていわかる。
たまらないのは、その「友達」「フォロアー」の方だろう。ここから共犯であることがバレたり、関係ないのに疑われたりするに違いない。
ツイッターやフェイスブックには、落とし穴もたくさんある。

しかし、これは自業自得なので仕方がない。
つらいのは、事件の被害者や、津波などの死亡者だ。
たとえば、震災取材の時、どうしても必要だったため、死亡者リストに載ってくる名前をかたっぱしから調べていくのだが、その人の友人のツイッターやフェイスブックを見てみると、必死になって探したりしている。
家族や友人や恋人が「●●が見つかっていません。海辺にいたはずです。お願いですからどなたか情報をください。ほんのわずかな情報でもいいです」などと書いている。
しかし、亡くなった本人のツイッターやフェイスブックは3.11以降まったく更新されていない。
それを見続けるのが本当につらかった。

そうそう、ある人の書き込みに、津波が来ていることを書いているものがあった。
たまたま通信がつながり、そっちに書いたのだろう。だが、それきり書き込みは途切れていた。そして、その書き込みの主は、津波の死亡者リストに名前が載っていた。
きっと書き込んだ後に、津波に呑みこまれて亡くなったにちがいない。
それがずっと文字として残っているのだ。やりきれなかった。

さらに、一年が経ち、一周忌の際に再び検索してみなければならないことがあった。
そうすると、かわいそうなことに、それらの書き込みはまだそのままになっている。登録者が死んでしまっているので、ずっと残り続けてしまっているのだ。

ネットの事業者は、「透明性」とかそういう言葉で自己媒体を肯定する。
もちろん、私もそれは間違っていないと思うし、いいこともたくさんあると思う。

しかし、家族や友人は、それを見てどんな気持ちになるのだろう、と考えてしまう。


春の朝日カルチャーセンターの最終講座のあと、飲み会をやりました。
講座は4、50人でやり、飲み会の参加者はその半分ぐらいだったかな。講座の終了時間が8時過ぎだっため、9時スタートの飲み会になってしまったことは、ちょっと申し訳なく思っています。

次回のカルチャーセンターは7月です。
7月も希望者がいればやりますので、初回の時に申し出てください。
(僕からは企画しませんので。ちなみに、申し出た人に幹事をしていただきます)
7月の講座は内容に意見交換をたくさんいれていくので、今回の半分の25名の定員としていますので、ご了承ください。

※詳細は、以下。
http://kotaism.livedoor.biz/archives/2012-05.html#20120525

DSC_0177

最近、「正論」を振りかざす人間がやたらと多い。多すぎる。

インターネットの書き込みなんかでは、「正論」がまかり通る。
「正論」をいう人間が正しく、そうじゃない人間はエチケットもモラルもない奴だとなる。

しかし、だ。

世の中、いつでもどこでも「正論」が通じるわけがない。
いや、むしろ「正論」なんてつうじなかったり、言ったって仕方がない部分があまりに多い。

昔から、「若いうちに経験をつめ」といわれる。
それは現実の世界では必ずしも「正論」が通じないことを体験を通して知り、その中で自分はどう生きていくかを考える力を持て、ということ。
「正論」が通じない現実で何をどうすべきかは、現実と対峙しなければわからないわけで、その経験をできるだけ多くつまなければ、現実を生きることにならないということだ。

にもかかわらず、現実を見つめず、「正論」ばかり語る人間が多すぎる。
きっと現実と対峙して傷つくことが怖いのだろう。だからこそ、現実を避け、「正論」という鎧で必死に弱い自分を守ろうとする。
そして、そんな連中ばかりで群れて、お互いの「正論」をほめたたえあう。

正直、最近そういう人たちにうんざりしている。

朝日カルチャーセンターで、「ノンフィクション集中講義 世界をいかに切り取るか」を行います。

朝日カルチャーセンター新宿教室
第1回目 7月14日 18:00〜21:00(休憩あり)
第2回目 7月21日 18:30〜20:00

今回は、世界をどのような目で切り取っていくかということをテーマにしています。
ノンフィクションを書くときも、ドキュメンタリー番組をつくるときも、写真を撮るときも、常に<世界をどう切り取るか>ということが重要になってきます。
切り取り方によって、一つの世界が180度違うように見え、それがまったく新しい価値を生み出すのです。

これは創作者だけの仕事ではありません。本来は誰もがしなければならないことです。
たとえば、テレビや新聞のニュースを見るとき、みなさんはそれをそのまま受け取ってはいませんか?
本当はそうするのではなく、与えられたニュースを自分なりに切り取って、自分なりの価値を読み取らなくてはならないのです。
それが「ニュースを見る」ということなのです。

あるいは、会社で企画をだせ、と言われて、よくあるテーマをそのままぶつけていませんか?
本来はよくあるテーマを自分なりに切って新しい価値を作ったものこそが「企画」なのです。本を編集する際、商品を作る際、営業法を考える際に必要になることですよね。

今回のテーマは、そんな世界の切り取り方です。
第一回目は、物事を作る際、世界を切り取る方法にはどのようなものがあるのか。切り取ったところから、何が見えてくるのか、ということについてお話しします。
その上で、みなさんにも、それぞれ自分なりに世界を切り取ってもらい、話し合っていきたいと思います。

第二回目は、みなさんが興味のあるテーマを教えていただき、第一回目の方法論を生かして、それを新たに切ることによって、違う価値観を探し出してもらいます。
そして、それをさらにみなさんで、他にどのような切り口があるかを考えていきます。

世界の切り取り方を学ぶことによって、ノンフィクションの作り方を根本から考え、さらにみなさまのお仕事にも応用できるアイディアの思考術をおつたえできればと思っています。
大学のゼミのように意見交換を活発にしていきたいと思っていますので、どうぞよろしくお願いいたします。


■講座のお申込みは以下
http://www.asahiculture.com/LES/detail.asp?CNO=167328&userflg=0



本日発売の『ビッグコミック・スペリオール』(小学館)より、エッセーの新連載を開始します。

タイトルは「ちいさなかみさま」。

人間はとても弱い存在です。
だからこそ、人生の折々で、名もなき小さな神様にすがって生きています。
そうすることで、くじけそうな心を支えたり、悲しみを和らげたりして、再び生きていこうとするのです。

では、その「ちいさなかみさま」とは何なのか?

この連載では、私がこれまでの取材を通して見てきた「ちいさなかみさま」を毎回一つずつ紹介していきます。
隔週の雑誌で、さらに二回に一回の連載なので、月に一度の掲載となりますが、思い出した時に手に取って読んでいただけると嬉しいです。



このページのトップヘ