僕の回りには、文章が上手な人がたくさんいる。
よくぞそんなに上手に書けたものだと関心してしまうほどだ。

昔から、僕はとても文章が下手だ。
ほんの少しは上達したかもしれないけど、今もかなり下手だと自分で思っている。

ただ、言い訳じゃないけど、文章が上手だからって、その人の書くものが面白いとは限らない。
文章を書くというのは、そもそもかけて当たり前という前提がある。その上で、その他の要素がどれぐらいあるか、ということが作品の良し悪しになってくる。

では、その他というのは一体何なのか。
これは膨大にある。「視点」もあれば、「知識」もあるし、「耳の鋭さ」もあるし、「舌の良さ」もある。しかもどれか一つが秀でているのではなく、これらが複数にわたって秀でている必要がある。
小説でも、ノンフィクションでも、エッセーでも、面白いものには、かならず上記のものすべてが当てはまるし、それ以外にも様々な要素を持っている。

そうはいっても、「その他」の中でも、「さらに抜きに出たもの」というのも必要だ。
それが、作者を作者たらしめる最大の要素であり、魅力なのだから。そして、この「さらに抜きに出たもの」というのは技術ではない。これこそが、<才能>だと思っている。

先日、たまたまある人と漫画の話をしていた。
漫画の原作をやっているといったところ、「最近映画で漫画が原作になっているものが多いですね、何か面白いものありますか」といわれた。
前にも書いたように、僕はあまり漫画を読まない。だが、ふと思いついたものがあった。一年ほど前、キネマ旬報に勤める後輩に、「面白い漫画があります。今度映画化されるんですよ」といわれた貸してもらったものだ。それが下記である。

自虐の詩 (上)


これは、面白かった。本当に、面白かった。
パッと見て、上手な絵ではない。物語も、基本的には四コマ漫画で、荒くれ旦那が、幸の薄い妻と喧嘩してひたすらちゃぶ台をひっくり返すだけだ。
こう書くと、何が面白いのか、と疑問に思われるだろう。

何が魅力なのか。

登場人物を描く目がとにかくやさしいのだ。
いや、人間に対する眼差しが、こちらが恥ずかしくなるぐらいやさしいのである。
だからこそ、ダメ男、ダメ女をひたすら書いているだけなのに、思わずほろりとさせられるのだ。

僕は、これこそが、作者がもっている「才能」だと思う。

10年ぐらい前に売れた、AV女優 (文春文庫)
を書いた永沢光雄も同じだ。
あの後、たくさんそれに類した本がでた。雑誌の記事にもなった。その中には超有名な作家もいた。
けど、絶対にあの本のような魅力は出せない。それは、あの本の面白さが題材にあるのではなく、作者のやさしさにあるためだ。それをもたない人間がいくら上手な文章で書いても、魅力的な本にはならない。
真似して書いた人たちは、そんなことにも気付かないで読んでいたのだろうか。

この前、『自虐の詩』を貸してくれた後輩と会ったら、映画版がもうすぐ上映されるのだとか。
原作にあるにじみ出るような人間に対するやさしい視点が少しでも映画に反映されていたら見てみたいと思う。

しかし、あれが漫画だからいいけど、本だったら確実に、嫉妬、するね。