おかげ様で、本の販売がなかなか好調らしい。
本屋さんでサイン本などをつくっていると、かならず訊かれることがある。以下の三つだ。

ー,呂匹海惺圓のですか。
危険な目にあったのではないですか。
F本の娼婦をテーマにしないのですか。

もしかしたら、一番気になる点なのかな、とも思う。なので、ここで答えてしまおう。


ー,呂匹海悗いのですか

すでに頭のなかにはある。
ただ、やはり今回同様に半分ぐらいはアジア地域になるだろう。これは、単に予算と時間の問題なのである。

たとえば、アジアで半年かけて300万円で取材をしたとする。もし同じことをアフリカや南米でやれば、一年の時間と600万円以上の予算がかかる。
「言葉の問題」「安全性を確保するための手段」「航空チケットを含めた移動代」「日本人への親近感」など無数の要因がからみあって、期間もお金も倍以上かかるということになるのだ。

その期間のお金と書いた後の保障を誰かがしてくれるなら、どこへでも行くし、なんでもやる。
しかし現実はそうではない。
なので、予算や時間のことを考えれば、どうしても最低でも半分はアジアを入れなければならない。
それが、アジアを入れざるを得ない理由なのだ。


危険な目にあったのではないですか。

「あんまりないですね。僕は楽観主義ですから」と答えている。
けど、本当は、危険な目にあったことはある。
ただ、そういう話をすると「危険自慢」になってしまう。よくジャーナリストと名乗る人々が「遺書を書いて取材にいった」とか「死を覚悟した」なんていう話をしたり、書いたりしている。
結局ああいう話っていうのは「だから俺はすごいんだぜ〜」みたいな自慢話でしかない。非常にウザイ。みっともない。
なので、僕は訊かれる度に、適当に返答してごまかしているのだ。


F本の娼婦をテーマにしないのですか。

僕は、以前感染症の仕事をしていた。
そのため一日に何人もの風俗嬢と言われる人と顔を合わせていたことがある。
なので、そこらへんについては非常に詳しいし、やろうと思えばやれる自信がある。

しかし、逆に言えば、それがやらない理由でもある。

本の中には、テキト―な品物がたくさんある。
どうでもいいことを書きちらしてお金を儲けているのだ。
薄利の仕事であることを考えれば、そうしなければ食っていけないのも事実だろう。
事実、僕だって取材費を集めるためや、生活のために、ペンネームでいろんな仕事をしている。なかには、書き散らしているものだってたくさんある。

けど、僕は、ノンフィクションとして、そういうものを作りたくない。「作品」としてはやりたくないのだ。
「作品」として発表するなら、読んだ人の心の中に一生残るようなものを書きたい。それが叶わなくても、そうする姿勢だけは崩したくない。古い考えなのかもしれないけど、僕が目指しているのはそれだけだ。

そのためには「できると思うテーマ」に取り組んでも仕方ない。
「絶対に誰もやらないし、できないほど大きなテーマ」に全身全霊で立ち向かって、文字通り全財産と命をかけて格闘したい。

有態に言って、僕には才能の「さ」の字もない。「い」の字もない。
だから、それだけ自分を追いつめて、120%の能力を振りしぼらなければ、大手出版社が目をとめてくれるようなものは書けないし、人の心を動かすこともできない。
こて先の技術でモノを書けるほどの才能なんてないし、器用さも持ち合わせていないのだ。

『物乞う仏陀』のテーマは「アジアの障害者と物乞い」だった。
今回の『神の棄てた裸体』は「イスラームと難民と性」がテーマである。
両方とも、我ながら立ちくらみがしそうなほど大きなテーマで、つかみどころがない。
取材に行く前に、新聞記者や出版社の人に話をした時、一様に絶句されたのを覚えている。
けど、逆に言えば、「絶対に誰もやらないし、できないほど大きなテーマ」だからこそやったのだ。

もちろん、『仏陀』においても、『裸体』においても、テーマを描ききれたかと問われれば、否と答えるしかない。
しかし、ここにおいて、僕なりの方法論がある。

「どうせテーマが大きすぎてまとめきれないのならば、そのまとめきれない世界の多面性、複雑性、不条理を浮き彫りにし、そしてその前で格闘して、もだえ苦しんむ自分自身を克明に描けば、実はそのテーマを描いたことになるのではないか」

逆説的な方法論だ。とても危うい。
けど、これが巨大なテーマに立ち向かう僕なりの唯一の「武器」なのだ。
「武器」の使い方を誤ったら、一撃のもとにつぶされて、死んでしまう。現実的にも、比喩的にも。けど、僕にはその「武器」しかないのだから、駆使して死に物狂いで立ち向かう他にない。
そして、たぶん、ただ一つそこにこそ、僕の存在価値があると思っている。

話を最初にもどそう。

「なぜ、日本の売春をテーマにしないのか」

繰り返すが、僕には、このテーマを描ける自信があるからだ。
だから、それをやったところで、僕は120%の力を振りしぼれないし、僕の武器を使うことができない。
となると、そこに僕の存在価値がなくなる。

もちろん、パパッと書いて、数十万なり、数百万なりのお金を儲けることはできるだろう。
しかし、僕はまだ30歳だ。そんな若造が、今のうちからそんなことをして、いったい何の意味があるのだろう。
40歳、50歳になって、全身全霊で巨大なテーマに立ち向かう気力がなくなれば、それをやることもあるかもしれない。
しかし、今、一年も二年もかけてやることではない。

それが、答えである。