先日、友達と話をしていたら、「嫌われ松子の一生」の話で盛り上がった。
もちろん、面白い、という内容だ。

僕はDVDで観たのだが、最初の10分は、いつ消そうかと思った。
だが、途中からむちゃくちゃ面白くなってきて、最後は夢中になってしまった。

内容は、かなり重い。
トラウマをもつ女性が人に好かれたいと言う思いを胸に秘めて育っていく。
彼女は、その思いゆえに、人生の要所要所で様々な失敗をし、転落をしていく。
教師になったものの同僚の金を盗み、家を出ればトルコ嬢となり、悪い男につかまってDVを繰り返され、しまいにはゴミ屋敷の住人となって、中学生に殴り殺される……。

こう書くとただただ暗い話なのだが、それをものすごくコミカルに描いている。
暗い部分をすべて「笑い」に変えてしまっている。それゆえ、単に暗い話だけを書く以上に、人間の生きる力のようなものが描かれているようにも感じる。
人生ってたしかに悲劇だけど、それ以上にそれって喜劇でもあるんじゃないか。
そんな視線が、いやおうなしに登場人物への愛情をかきたてる。

僕は、このコメディ的な表現にものすごく憧れる。
暗いものを暗く書くのはとても簡単なことだ。悲惨と悲惨と描くのは楽なのだ。
しかし、「悲惨だけど……」という、「……」の部分にあたるものを見極めて、描くのは非常に難しい。
描こうと思えば描けるのかもしれないけど、失敗したら、それこそ目も当たられないことになる。これで失敗するなら悲惨を悲惨として描いた方がマシだ。
(だから「だけど……」を書くときは死ぬほど勇気がいる)
けど、本当はこの「……」という言葉にならないものこそが、人を人たらしめ、現実を現実たらしめている部分だと思っている。
そして、映画でも、文学でも、芸術といわれるものの優れている点は、その「……」を描けることだと思う。

映画監督の今村昌平は、戦後の人間群像を描いた重くて濃厚な作品を「重喜劇」と呼んだ。
まさしくその通りだと思う。人生とは「悲劇」ではなく、「重い喜劇」である。

しかし、喜劇を書くには、どうしても「センス」が必要だ。
オヤジギャグと同じで、センスのないやつが人に「喜」びを与えようとすると、かなり悲惨なことになる。それこそ悲劇だろう。

ちなみに、僕が好きな映画ペスト5を聞かれて、かならず出す一作が「アンダーグラウンド」である。
「重喜劇」の傑作中の、傑作ともいえる作品なので、もし興味があれば、ぜひ一度ご覧あれ。
(あまり映画を見ない人は、同じ監督の「黒猫白猫」という映画の方が面白いかも)


追伸
24日付でメールをくださった方へ。
何を血迷ったか、24日付でいただいたメールを間違えて消してしまいました。
(なぜか迷惑メールのフォルダに入っていて、それを全部削除してしまったので、復活できないのです)
なので、申し訳ありませんが、24日付のメール、もしくは25日の朝までにメールをくださった方は、もう一度送信してください。タイトルは「石井光太へ」みたいな感じでお願いします。
なんか、普通のメールまで迷惑メールフォルダに入ってしまうことが多くて。。。
すみませんが、よろしくお願いいたします。


嫌われ松子の一生 通常版



アンダーグラウンド



黒猫白猫