先日、「戦場の現在」(加藤健二郎)という本を出版社の人にもらって読んだ。
15年以上、戦争現場で仕事をしてきた人がその体験をもとに「戦争の裏話」を書いている本である。

このなかに、面白い一節があった。
著者の加藤さんがチェチェンで取材をしていた時、脱出不可能な包囲網をくぐって逃げた人々がいた。
どうやって逃げたのか不思議に思っていたら、敵であるロシア兵に包囲された時、チェチェン人たちはロシア人に「賄賂」を渡して逃してもらっているという話につきあたった。「包囲網からの脱出は十〜二十万ドルが相場だろう」ということである。

これを受けて著者は次のように書いている。

「戦場で戦い続ける戦士たちは、平和な日本に暮らす人々とは別物のような人たちだと思われることが多いが、人間の欲求は似たようなものなのだ。金で命を失わずに済むのならそのほうがいいし、それは包囲している側のロシア兵も同様で、無駄な戦闘は避けたいという気持があったのだろう」

戦争というと、生きるか死ぬかの過酷なシチュエーションばかりがとりあげられる。
テレビ報道なんかを見ていると、ロシア人は何が何でもチェチェン兵を殺そうとしているように見えるし、チェチェン人は最後の一人になるまで徹底抗戦する意思があるかのように見える。
しかし、現場にいってみると、包囲されても、敵にお金を払って逃がしてもらうような「ドロドロの人間臭い喜劇としての現実」がある。
僕の体験でいえば、前線で兵士は敵対しているのに、お互いの国の娼婦は味方の国と、相手の国との前線を行き来して二股かけて商売をしていた。
兵士に「戦線」はあっても、娼婦には「ボーダレス」なのだ。
なので、前線にいる兵士は味方側の娼婦とも、敵側の娼婦とも遊べるらしい。支払のお金はどっちの国のものでもOKだそうだ。ドルが一番喜ばれるみたいだけど。

なんつーか。僕はこういうフザケタ現実が大好きだ。


戦場の現在(いま)―戦闘地域の最前線をゆく (集英社新書)