おば捨山伝説というのがある。

研究者たちの間では、おば捨山伝説は「伝説」にすぎないとされている。
昔話としては有名だが、実際にこういう山があったか否かが証明できていないのである。
なので、研究者の間では「伝説」にすぎないのだ。

だが、「山」はなくても、小屋などはあった。
年をとると、老人には「死の不浄」がつく。そのため、けがれたものとして、共同体から外され、老人専用の小屋に住まわされたことがあったのだ。
並列に述べていいかどうかは別にしても、インドには今でも「死を待つ家」のようなものがあるから、世界各地でこうしたものは少なからずあったのだろう。

(女性の場合「血の不浄」ということで、月経の時に「月経小屋」ともいうべきところに閉じ込められていた。それと似たようなものである)

ただ、先日、ちょっと面白い本を読んだ。
『老いと看取りの社会史』(新村拓、法政大学出版局)という本である。
この本の中に、次のようなことが書いてあった。

☆ ☆ ☆

人間が年をとって痴呆になると、知能の低下ばかりでなく、異常行動をするようになる。
徘徊や不潔行為をはじめとして、幻覚や幻聴による明らかに常軌を逸した行為をすることがあるのだ。

かつては、こうした老人が出ると、家庭は完全な修羅場になる。
ただでさえ、貧しい家が、この老人によって振り回され、崩壊してしまうことがあるのだ。

そのため、こうした異常行動をとるようになった老人を「鬼」とみなすことがあった。
家族は、老人が「鬼」になった、あるいは悪いモノに憑かれたと考え、村から離れた所に捨ててしまったり、殺害してしまったことがあった。
実際、近世の民話の中には、百歳を超えた老人が異常行動に出て、それを猟師が弓矢で殺害したという物語がある。

かつて老人がこのように「処分」されていたことがあったのだ。

☆ ☆ ☆

ざっと要約するとこんな感じである。

なるほど、と思った。

実は、こうしたことは今でも外国で行われている。
アフリカのタンザニアやコンゴなどでは、今でも時々老人が「魔女」とされて殺害されることがある。
ど田舎のアミニズムの中で暮らしている人たちが、老人を「魔女」として大量に殺害したというニュースが頻繁にあるのだ。
かつて日本で異常行動をするようになった痴呆老人が「鬼になった」とされて処分されたのと同じように、アフリカでは「魔女になった」とみなされて処分されているのかもしれない。

私たちは「鬼」とか「魔女」とかいうと、「なんだ、架空の物語の話じゃん」と思ってしまう。
だが、その裏にあるものを見つめると、簡単な言葉で片付けられないほどの現実が横たわっていたりする。

わかりやすい世界情勢によって世界を語るのも一つだろう。
目に見える銃撃戦、目に見える暴動、目に見える経済力などでオピニオンを語るのがその典型だ。
だが、実際はそれだけでは語りえないものの方が多い。
現地に足を運んで、人と接すると、つくづくそれを感じる。

それをクローズアップすると、絵空事と言われるが、人間一人に焦点を当てた時はそういうことの方が大きいのだ。
こうしたものを通して、人間あるいは世界を見つめてみるというのも、また一つだと思う。


追記
5月10日スタートの河出書房のWeb連載はこうしたことをテーマにしたものです。
お楽しみに。



老いと看取りの社会史
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