本日より、『津波の墓標』(徳間書店)が書店に並びます。

一年半近く前に出した『遺体』は、釜石市の遺体安置所を舞台に、そこで働いていた方たちがどのように犠牲者の尊厳を守り、ご遺族を支えたかということに焦点をあてたルポでした。
この本を三人称で描いたのは、そこにいた方々の思いを明確に、読んでくださった方々に伝えるためでした。

ただ、釜石市での取材は、私にとって震災体験のごく一部でした。
震災直後から最後までずっと釜石市にいたわけではなく、釜石市の取材をする一方で様々な被災地を回っていました。
合計すれば、そちらの時間が半分を占めます。

当初、私はそれらの体験を書籍にまとめようとは思っていませんでした。
一つ一つの体験があまりに重く、『遺体』を完成させて一段落させたいという思いがあったり、被災者の中で震災の傷がまだなまなましく残っている時点で書くべきことではない現実もたくさんあったからです。
しかし、『遺体』を完成させてからも、私の胸の中で本に描かなかった体験がフラッシュバックのように思い出されました。
名取市、東松島市、女川町、石巻市、南三陸町、陸前高田、気仙沼……そこで出会った人々の姿や、交わした言葉が記憶の奥でずっと響いていたのです。

きっとあの体験に区切りをつけるには、何かしらの形で外に出すしかないのではないか。

私はそう考え直すようになりました。
体の中に蓄積された記憶を外に出さなければ、自分自身がその重さに耐え切れなかったのです。
それで、私は徳間書店が出している『読楽』という文芸誌に毎月三十枚ほどそれらの体験を書き綴ることにしました。
それは、私にとって震災での体験を一つ一つ確認し、整理し、外へと出していく作業でもありました。
こうしてまとまったのが、今回の『津波の墓標』という本なのです。

この本には、私がずっと書くべきかどうか迷っていたことも書いてあります。
あるいは、匿名にしなければ書けなかったことも書いてあります。
二度と思い出したくないことも書いてあります。

ただ、この本を刊行する際、取材させてもらったご遺族の方がこう言ってくれました。

「私は石井さんに自分の体験をしゃべらなければ、自分自身が耐えられなかった。だから取り乱しながらも語らせてもらったんだ。きっとそれを受け取った石井さんも文章にしなければ耐えられなかったと思う。そういう意味では、活字にはなるべくしてなったのではないか」

これは私がどうしても一人で抱えていくことのできなかった記憶の集積であることだけここに書かせていただければと思います。


津波の墓標
津波の墓標