映画版『遺体』が23日から全国公開となっています。

いろいろなところでお話ししてきましたが、映画化は僕のルポルタージュ『遺体』(新潮社)がでた1カ月後ぐらいに話がありました。
新潮社の会議室で監督やプロデューサーと話をしたとき、僕がお願いしたのは以下の一つでした。

「被災地に行って、ご遺族や遺体安置所の関係者に会っていただけませんか」

現実を作品にするということは、そこにいた大勢の人々の思いを背負うことです。それなしにはつくることはできません。
君塚良一監督はその場で「わかりました」と言ってくださり、翌月には僕といっしょに岩手県釜石市へ行きました。
そしてそれから数カ月、大勢のご遺族や関係者から話を聞き、一人ひとりと信頼関係を築き、さらに映画化の承諾を得て作品をつくったのです。
モデルになった方が一人でも反対すればつくるのはよそうと考えたそうですが、最終的に反対意見が出ることはありませんでした。

君塚さんは映画化とはいえ、事実にできるだけ忠実に描いてくださいました。
初めて作品を見た時、君塚さんや俳優さん、そしてスタッフの方々が良心をかけてつくってくれたのだと思いました。
それはご覧になった方ならきっと感じ取ってくださるでしょう。

今でも覚えている光景があります。
映画の撮影現場を訪れた時、遺体安置所のセットが作られている体育館の入り口に、ご焼香できるスペースが設けられていたのです。
監督、俳優、スタッフ、みなさん一人ひとりがセットであるにもかかわらず、しっかりと手を合わせてから中に入り、映画の撮影を進めていたのです。
僕はそれを見た時、みなさんの良心を感じ、思わず心の中で「ありがとうございます」と言ったほどでした。

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スタッフの方々がつくった焼香所










映画が完成した後、西田敏行さんとお話しする機会が何度かありました。
西田さんは実際に撮影に入る前に、主人公のモデルとなった千葉さんに会っています。
そして、映画の撮影の時を振り返ってこう言っています。

「あの映画は特別なんですよ。演技じゃないんです。あの場にいたら演技なんてできないんです。西田敏行という一人の人間として、遺体安置所で何ができるかを考えて自然に出たものなんです。安置所に入るときに靴を脱ぐシーンだって、シナリオにはなかったですけど、自分なら決して土足であがれないと思って脱いだんです」

他にも酒井若菜さんなど出演された方々に対談などで会ってお話しを聞きましたが、同じようなことを語っていました。
演じるのではなく、自分だったらどう遺体や遺族と向き合うかと考えて動く。そうした思いが良心に満ちた映画をつくったのだと思っています。

最後に、映画のモデルとなった実際に安置所で働いていた人々が映画を見て「こういう映画を作ってくれてありがとう」とおっしゃってくれたことが、何より安心しました。

この映画が、あの日被災地にいなかった人々に「何か」を伝えられるものになったのだとしたら、原作のルポルタージュを書き、映画化に微力ながら協力させていただいた僕としては、一つ役割を果たせたのかなと思います。


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実際の遺体安置所「旧二中」