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大島青松園


『蛍の森』に登場する療養所には、ほぼ名称だけ変えただけのモデルとなった場所がいくつも登場する。

その一つが大島青松園である。小説中では「天島青木園」と記しているが、この島の地理、収容規模などはほぼ実在のままだ。
また物語中の療養所内での逸話も、実際の入所者から聞いた話を元にしている。

大島青松園についての資料は多数あるが、入所者の方々の回顧録『島に生きて―ハンセン病療養所入所者が語る』がもっとも詳しいかもしれない。
その他、ネットで手軽に読める入所者の回顧はいくつかある。その一つでは、『蛍の森』がテーマとして扱った「遍路をするハンセン病」のことにも触れられている。以下をお読みいただきたい。


昔はハンセン病を発病すると家を出て、あるいは出されて各地の神社仏閣などへ集まり放浪生活を余儀なくされました。
四国の場合は八十八カ所のお寺を廻ったようです。一般のお遍路さんは一回りすれば家へ帰りますが、ハンセン病の者たちは何回まわっても帰る家はなく、死ぬまで回り続けなくてはなりませんでした。
そうなると心が荒れるのは仕方のないことで、喧嘩も多かったようですし、中には悪事をはたらく者さえいたようです。
開園当初はそうした者たちを主に強制収容したのですから、園内の空気が良いはずはありません。

そこで国はその緩和策の一つとして、結婚を奨励したのです。
ただし、この結婚には絶対の条件が付いていました。国は子どもを絶対に産ませない方針でしたから、それに従って結婚前、男性に断種手術を強制したのです。
これは、人権を無視した本当にひどい話でしたが、当時は黙って従うしかありませんでした。
また、園内の結婚は一般社会の幸せな結婚にはほど遠いものでした。結婚した後も昼間は男性女性それぞれ自分の部屋で過ごします。
男性が夕食を食べずに、奥さんの部屋へ持っていって、一緒に食べ、夜を過ごした後、朝二人でお茶を飲んで、男性は朝食の時間までに自分の部屋に帰るといった毎日でした。
女性の半数くらいは結婚していましたから、夜は24畳の部屋に6組くらいの夫婦と6人くらいの独身者が一緒に寝ていました。何か大事な話をするときは山や海岸へ二人で行って話しました。

引用リンク
http://www.mers.jp/old/newsletter/no_05/05.hansen1.htm


いかがだろう。
すでに『蛍の森』をお読みいただいた方は、既視感のようなものを覚えるのではないだろうか。
遍路をしている最中につかまったハンセン病患者たちの多くは、もっとも近い療養所の一つである大島青松園に収容されていたのである。

こうしたこともあり、大島青松園には、八十八ケ所の札所を模した石仏がある。
療養所の収容された後も「遍路をして回復や来世の幸せを願いたい」というハンセン病患者の要望に応えて石仏に札所のお寺の名前が記されたものが八十八も置いてあるのだ。
この島から出られないと知ったハンセン病患者たちは、どんな思いで八十八の石仏を前に手を合わせていたのだろう。

石仏画像
http://tabiseto.com/ohshimamini88.html


また、登場人物の一人が亡くなった松の木がある。
これも島のフェリー乗り場のすぐ近くに実際にあるものだ。
もともとは「墓標の松」といって源平合戦で敗れた平家の武たちの骨を埋めたものだったという。
だが、この島がハンセン病の療養所となったあと、一部のハンセン病患者たちがこの松の木の枝に縄をかけて首をつって自殺したことがあったそうだ。
取材中にその話を関係者から聞き、私はその光景を『蛍の森』のワンシーンとして描いたのである。

墓標の松画像
http://tabiseto.com/ohshimabohyonomatsu.html


また、舞台となったカッタイ寺は、雲辺寺の近くにあるという設定になっている。
雲辺寺もまた実在のものであり、六十六番の札所として定められており、八十八の札所の中で最も標高の高い場所にあるとされているお寺である。
山の奥まで来るまで行き、さらにそこからロープウェイで行かなければならない札所だが、ロープウェイができるまでは密林の山道を歩きながら行っていたのである。

雲辺寺HP
http://www.shikoku-cable.co.jp/unpenji/tera.htm


このように『蛍の森』には現実と交差する光景が数多くちりばめられている。
もし高松へ行ったついでに大島青松園に寄ってみてはいかがだろうか。
学生の社会科見学はもとより、一般の方も受け入れている。高松市内からであれば、半日で見て帰って来られるので、日本の「過去」ときちんと向き合ってみるのもいいかもしれない。



大島青松園
http://www.hosp.go.jp/~osima/index.html