『浮浪児1945- 戦争が生んだ子供たち』(新潮社)が発売になりました。
発売にあたって、この本ができた経緯を書きたいと思います。

浮浪児の存在は、子供のときから知っていました。
戦後を記録した写真にもでてきますし、『はだしのゲン』のような漫画、あるいは『火垂るの墓』のような作品にも描かれていますから。

ただし、テーマとして浮かんだのは、二十代の終わりでした。
それまで途上国のストリートチルドレンを追いかけていたのですが、アジアやアフリカ諸国が発展するに伴い、突然街頭から彼らの姿が消えたのです。
なぜか。
端的にいえば、国や町が彼らを排除したのです。町は発展にともなって、町の浄化政策を進めました。それによって、戦争や貧困によって浮浪生活を余儀なくされた子供たちが「消された」のです。

(※ここらへんは、拙著『レンタルチャイルド』にも詳しいです)

私はそれを見た時、日本も同じだったのではないかと思いました。
浮浪児の数は、推計で十万人を超えるといわれていますが、それについての記録はほぼ皆無です。
特攻隊、パンパン、被爆者などの資料は山ほどあるのに、同じ戦争の犠牲者である浮浪児だけは歴史から抹殺されてしまっています。

ならば、物書きとしてそのテーマに挑む意味はあるのではないか。
戦争はいかに子供たちの運命を変え、子供たちはその中でいかにして生き抜いたのか。
そのことに目を向けることが戦争の本質を見ることにもつながるのではないか。

こうした思いで、2009年に取材を開始したのです。

ただし、消された歴史を掘り起こすのは至難の業でした。
某出版社の方と手分けしてあらゆる児童福祉施設に問い合わせてみたり、浮浪児の拠点のひとつ上野のお年寄りにひたすら訊いて回ったり、彼らが逃げ込んだであろうお寺や神社を訪ねてみたり……もう思いつくあらゆる手立てをとって一人、二人と当時の生き残りを探していったのですが、なかなかうまくいきませんでした。

一年ほどして当初予定していた出版社からの話が途中で立ち消えになりました。
予算ばかりかかって、発表のめどがつかなかったのが大きいですね。それにあまりに非効率的なので会社が耐えられなかったこともあったでしょう。
しかし、その頃でしょうか、元浮浪児とつながりのある児童養護施設がいくつか見つかったり、関係者が知り合いを紹介してくれたのです。それで点と点がつながりはじめました。

(とはいえ、この会社の編集者には感謝しています。実際ここよりも大きな出版社の編集者に話しをもっていったこともありましたが、みんなめんどくさがってやりませんでしたから。むちゃくちゃな苦労を承知でやってくれたことは感謝してもしきれません)

時を前後して、新潮社との企画の話し合いがありました。
ちょうど『レンタルチャイルド』を出版し、次のテーマだった母体保護法の作品(障害者に対する強制堕胎)が思うように進んでいませんでした。
そこで方向転換するかと相談していたところ、「じゃあ、この際だから浮浪児を『新潮45』で連載しよう」ということになったのです。それで今度は新潮社のバックアップを受けて取材がまた加速するようになりました。

ところが、予期せぬことが起こるのが現実です。

連載開始の直前、東日本大震災が起こったのです。
僕は連載をいったん中止にしてもらい、すぐに東北へ行きました。そして、浮浪児の連載の代わりに『遺体』のもととなるルポルタージュを『新潮45』に発表するのです。

これによって連載までの時間が延びたのは、不幸中の幸いでした。
その後あらたに元浮浪児や関係者が多数見つかったことで、一気に取材内容が充実していったのです。
そして、連載開始を実質一年先延ばしにしてさらに取材を重ねた上で、満を持して『浮浪児1945』を発表したという経緯がありました。

本書は、実際に手に取ると、かなり斬新な装丁になっています。(個人的には大好きです)
それは「戦争を知らない私のような世代にこそ手にとってほしい」という思いがあってのことです。
戦争の本といえば、戦場の悲惨さや、政治的な話だけがクローズアップされます。
しかし、多くの庶民にとっての戦争とは「日常がいきなり切り裂かれ、その後を生きなければならない宿命を背負う」ことなのです。

ある元浮浪児がこう言っていました。

「子供たちにとっての本当の戦争は、戦後の飢餓の時代を生きることだったんだ。犬を食い、ゴミをあさり、餓死する友人を看取り、自殺した中の遺体を片付けた戦後こそが、ぼくにとって戦争だったんだ」

私が『浮浪児1945-』を通して描きたかったのは、そのような「歴史から消されたもう一つの戦後史」だったのです。