石井光太 − 旅の物語、物語の旅 −

カテゴリ: お知らせ


「日本のクリエーターズ・ドキュメント」
〜作り手の「言葉」を通して創作を考える〜


2012年はシーズンおきに「ノンフィクション連続講座」を開催してきました。
来年2013年は、その新バージョンとして「日本のクリエイターズ・ドキュメント」と名前を変えて、フィクションの分野の人にも登場いただこうと思っています。
主催は、再びYoulaboとシナリオセンターで、同じく僕が総合ナビゲーター役になります。

来年第一弾は、「プリンセストヨトミ」などベストセラー小説で知られる万城目学さん(小説家)と、大ヒット映画「踊る大走査線」シリーズの知られる本広克行さん(映画監督)をお招きします。

ぜひお越しください。

詳細↓
http://youlabo.net/



追記
こちらは、僕がナビゲーターになって、ゲストの方々の作品世界の裏を聞いていく企画です。
僕自身の取材の裏などについて知りたい方は、朝日カルチャーセンターの講座にご参加いただけると嬉しいです。
朝日カルチャーセンター「ノンフィクションの作り方」
http://www.asahiculture.com/LES/detail.asp?CNO=190046&userflg=0


『遺体』の映画版の予告編が公開されました。
公開は、2013年2月23日からです。追ってまたお知らせいたしますが、僕としてはこの映画にかかわってくださった方々が本当に真摯につくってくださったと思っています。
一番安堵したのは、本で描いたモデルとなった方々が試写を見て同じような感想をくださったことです。





映画の試写はだいぶ前に見ましたが、正直シーンを見ているとモデルとなった人々と初めて会った時のことを思い出します。
主人公の千葉さん(西田敏行さん)と会ったのは、遺体安置所の入り口でした。彼はものすごく忙しく動き回っていて話をする暇もない。それで長い間安置所で震えながら待っていて出棺が一段落したときに、何度も頭をさげて頼んでようやく話をする時間を少しだけとってもらったのです。
その日はものすごく寒く、外で話をすることができないほどだったので、千葉さんの車に乗って話を聞いた。僕が助手席、彼が運転席。その時、千葉さんの上着には遺体を運んでついたヘドロがたくさんついていて、ポケットの手ぬぐいや防腐剤や手袋もすべて遺体のヘドロで汚れていた。千葉さんはそのままの姿で一度も僕の方を見ずに真正面を向いて涙を流しながらいろんなことを語ってくれた。5分の約束だったのに20分になり、30分になり、40分になり。それから個人的な仲になって毎日会うようになりました。

歯科医の鈴木勝先生(柳葉敏郎さん)も同じ。
あまりに忙しいので、地元の福成先生(歯科医)に紹介していただいて、いきなり家に行って話を聞かせてくださいと頼んだ。
勝先生も同じく遺体安置所で働いていた福成先生の頼みだったので断れなかったんだと思う。それで2Fのリビングルームにあげてもらって初めて話をした。
勝先生は話をしているうちに、津波に流されて行方不明の親友のことを思い出して、闇に閉ざされた窓の外を見つめて泣きながらずっとその人の思い出を語り続けていた。結局ホテルにもどったのは深夜3時か4時だった。それから仕事が終わってから歯科助手の大谷貴子さんとともに夜更けまで話すようになった。

仙寿院の住職柴崎さん(国村隼さん)と会ったのは停電の最中の夜だった。
お寺に行ったら外でたき火の前に立っていた。これまたお願いして、まっ暗な中で、頭にライトをつけてノートを照らしながら柴崎さんが語ることを必死にノートに書きつづった。あとでそのノートを見たら、僕の手は泥だらけだったらしく、ノートが泥で汚れていた。
そのほか、市の職員の松岡さん、葬儀社の土田さん、医師の小泉先生、野田市長……。

そういう出会いの積み重ねで、何度も会っているうちに、この人たちの公にならない言葉を絶対に活字にしたいと思った。
僕は本当にいろんな人に恵まれて、なんとか体験を活字にすることができる仕事につかせてもらっている。
それであれば、その幸運を最大限につかって、この方々たちの体験を活字にしたいと思った。それで全力で書いたのが『遺体』という本だった。
それが書籍になって、映画になって、それを取材させていただいた方々がそれらを見て「良かった」と思ってもらえて、全身の力が抜けるほど安堵した。
本当にありがとうございます。

なお、『新潮45』の一月、二月発売号に「『遺体』その後ルポ」を掲載予定でいます。
その後の話しもあわせて読んでいただけると嬉しいです。

朝日カルチャーセンター(新宿)での冬季講座のお知らせです。

これまでのゼミ形式とは違い、今回は授業形式で行います。
現実を切り取って描くことについては、ノンフィクション、ルポルタージュ、ジャーナリズム、ドキュメンタリー、私小説などいろんな名前がついています。
ただ、実態や境界はとても曖昧です。そこで、本講座では「私的・メディア入門講座」としてあらゆる角度からこの仕事についてお話をしていきたいと思います。
主なことは、以下のようなことです。

・現実を切り取る作業は、メディアや人によってどう違うのか。
・取材と呼ばれるものでも千差万別。そもそも取材とは何なのか。
・取材したことを作品に落とすにはどのようなプロセスを経ているのか。

基本的には、すべて私自身の体験からお話していきます。
これまでの仕事のことはもちろん、現在行っている尼崎事件などの取材の裏側や、『遺体』が映画になるまでのプロセスなどもお話します。
学生からプロまでが、現実を映し出すメディアとは何か、ということを考えられる講座にできればと思いますし、ご質問にはなんでもお答えします。
大体いつも終わってから飲み会もやるので、ふるってご参加下さい。


■朝日カルチャーセンター『ノンフィクションの作り方』

○概要
世界の現実を切り取り、作品化された書籍を「ノンフィクション」と呼びます。
どのように現実を切り取ればいいのか、事実の奥にある真実を見つける方法とは何か、いかにして取材が行なわれているのか、取材した材料をどのように作品化するべきなのか、作品はいかにして発表されるのか。
ノンフィクションの発想から取材法、そして発表までの方法を事細かに説明します。
本講座は、ノンフィクションを中心に話を展開しますが、新聞やテレビといったマスメディアのジャーナリズム、写真家のフォトジャーナリズム、テレビにおけるドキュメンタリーとも通底するものがあります。学生から社会人までが、広い意味で「メディア報道とは何か」を考え、最後に自分のテーマを持ち帰られる内容にします。

○カリキュラム
2013/01/19(18:00-21:00)
.離鵐侫クションとは何か:ノンフィクション、ジャーナリズム、ドキュメンタリーの方法論。メディアごとの特徴。作品発表の仕方。業界の現状。
⊆荳爐諒法:日本、海外における取材の方法。どのように人にアプローチし、話を聞き、作品にしていくか。取材費の問題。

2013/02/02(18:00-21:00)
テーマと作り方:テーマの見つけ方。取材で培ったものをいかに作品として作り上げるのか。作家論。デビューまでの道のり。
ご覯茲鬚弔ってみよう:これまでの講義を踏まえ、それぞれご自身のテーマ・企画をつくる。他にない企画をいかに練り上げるか。

○お申込み
http://www.asahiculture.com/LES/detail.asp?CNO=190046&userflg=0

※電話で申し込んでもOKらしいです。

『レンタルチャイルド』が、二年半ぶりに文庫となりました。
2002年から10年ちかくインドのストリートチルドレンを追った物語です。

レンタルチャイルド: 神に弄ばれる貧しき子供たち (新潮文庫)
レンタルチャイルド: 神に弄ばれる貧しき子供たち (新潮文庫)
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<内容>
二〇〇二年、冬。
インドの巨大都市ムンバイ。路上にたむろする女乞食は一様に乳飲み子を抱えていた。だが、赤子はマフィアからの「レンタルチャイルド」であり、一層の憐憫を誘うため手足を切断されていたのだ。時を経て成長した幼子らは生き抜くため“路上の悪魔”へと変貌を遂げる――。
三度の渡印で見えた貧困の真実と、運命に翻弄されながらも必死に生きる人間の姿を描く衝撃作。


新潮文庫としては『神の棄てた裸体』『絶対貧困』につづいて3冊目ですね。
ここでちょっと豆知識。新潮文庫というのは、本の背表紙(本棚に並べた時にタイトルと筆者名が見える部分)の色が2段階に分かれています。
白か著者ごとの色です。
これは新潮文庫の決まりで、一作目は全員白色で統一されます。そして二作目以降は、背表紙の色を自分で決めることができるのです。逆に言えば、一作文庫にしただけで消えていく著者が多いので、色を付けるのは二作目からということなのでしょう。
ただ、もし二冊目で色が決まり、その後一作目も増刷すれば、一作目であってもその色の背表紙になります(一作目だけではいくら増刷しても色は変わりません)。

ところで、どういう風に自分の色を決めるのか。
他の著者さんについては知りませんが、僕の場合はかなりいい加減でした。
二作目の『絶対貧困』のゲラが終わったころ、僕は河出書房新社の1Fにあるレストランで中日新聞社のインタビューを受けていました。
そしたら担当の松本さんから連絡があり、こう言われたのです。

「二作目から背表紙の色をつけなければならないので、何色がいいですか」

僕は思いつかなかったので、インタビューをしてくれていた記者の女性に事情を話して「何色がいいですかね」と訊いてみました。
すると、彼女はこう答えました。

「赤がいいんじゃないですか。石井さんって赤のイメージです」

で、僕はそのまま電話で「赤が良いって言われたんですがどうでしょう」と尋ねました。
松本さんいわく、「同じ『い』の著者で赤をつかっている人がいないのでいいと思う」。それで、赤に決まったのです。
という感じで、意外に簡単に決まってしまいました。

ちなみに、僕は文春文庫でも処女作『物乞う仏陀』を文庫化していますが、こっちは何も言われずに勝手に黄緑色にされました。文春文庫は最初から作家のカラーをつけられるので1作でも色アリなのです。

ともあれ、僕はできるだけ若い方に読んでもらいたいと思っているので、文庫化はとてもうれしい。
単行本の方が思い入れはあるけど、文庫になって広く読んでもらいたいという気持ちがあるのです。

もし書店で赤い背表紙の「レンタルチャイルド」というタイトルを見かけたら、ぜひ一度手に取ってみてください。



追記
表紙は、僕の本はすべて文庫化にあたって変えています。
ハードカバーのサイズでちょうどいいデザインと、文庫本にあったデザインというのは違いますし、読者層もかなり違ってくるので、変えることが多いのです。

『戦場の都市伝説』が発売されました。
以下が、本書の内容です。よろしければ書店等で手に取っていただければ幸いです。



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内容紹介
世にも奇妙な戦地の噂
・中東では出稼ぎ労働者に死体修復の仕事が割り当てられる?
・アフガニスタンの空き地に「小さい女」の幽霊が現れる?
・遺体にコカインを詰めて密輸する麻薬密売組織がある?
・コンゴの少年兵が幽霊になっても捜し歩く、弾除けのお守り
・ヒットラーは密かにアルゼンチンに落ち延びていた?

常に狂気に包まれた戦地や紛争地帯では、多くの都市伝説や怪談が生まれる。
ウガンダ・ビクトリア湖の「死体を食べて大きくなった巨大魚」、パレスチナの「白い服を着た不死身の自爆テロ男」、カンボジアの「腹を切り裂こうとする幽霊」、ナチス・ドイツの「ユダヤ人の脂肪でつくった人間石鹸」──。
これらの噂話が妙に生々しいのには理由がある。その裏側には、往々にして、軍や政府、ゲリラ組織が隠蔽した「不都合な真実」があるからだ。
海外取材経験豊な気鋭のノンフィクションライターが「都市伝説」から解き明かす、人間の心の闇と、戦争のリアル。



僕にとって、これが幻冬舎での最初の仕事ですね。
担当の高部さんに声をかけていただいたのは、3、4年ぐらい前だったと思いますが、企画が一転二転して、いつの間にか年月が経ってしまい、とりあえず新書でやろうということになり、本書が生まれました。

戦地と呼ばれるところへいくと、様々な怪談や噂や呪術があふれています。
その呪術こそが兵士の心の支えになっていたり、噂こそが戦意高揚に役立っていたり、怪談こそ戦争を如実に語っていたりします。
大戦中に日本兵が「神風」を信じたり、「千人針」を所持することで弾除けにしたり、「アメリカ兵が日本に上陸したら女はすべて犯される」と言って恐れたりしたのと同じですね。あるいは、空襲後に「空襲で死んだ死体が東京湾に流れて、東京湾の魚が巨大化した」なんて噂もありました。
これらも当時の時代の戦場の都市伝説だといえるかもしれません。極限状態だからこそ、人々の間に特殊な感情や信念や話が生まれるのです。

こうしたことから、かねてよりそうした戦場の都市伝説を集め、そこから見えてくる「本当の戦争」を描いてみたいと思っていました。
それを担当の高部さんにはなしたところ、「うちの新書にぴったり!」と言われて、WEB連載した後に本にまとめることになったのです。

実は、僕の書斎には、戦場から持って帰ったお守りがたくさんあります。
戦場でつかわれていた「呪いの人形」、「兵士の戦闘能力を上げるためのお守りとしての動物のミイラ」、ゲリラ兵がつかう「呪いの仮面」など。怪しいものばかりですが、戦争の真実を現す資料としてはとても貴重なものだと思っています。
本書もそういう意味で、戦争を別の角度から見た「もう一つの本当の戦争」として読んでいただければ嬉しいです。

え? 読むのが怖いって?

読み終わった後、「ちちんぷいぷい」と唱えれば、きっと大丈夫でしょう。

東日本大震災から一年半が過ぎましたが、二周忌に向けて「その後のルポ」を書くことになりました。
この一年半から二年の間、遺体安置所にかかわってきた方々やご遺族の方々がどのように過ごしてきたかということをお聞きしてまとめたいと思っています。
発表媒体は、『遺体』の原稿を連載した『新潮45』(新潮社)になります。

滞在日程は11月ということで、詳しい日程は決まっていませんが、一定期間、釜石市に宿泊する予定です。
もしお話をお聞かせいただけるという方がいらっしゃいましたら、メールにてご連絡をいただけないでしょうか。
釜石市が中心となりますが(鵜住居など中心以外も含む)、大槌町や大船渡など近隣の町でも日程さえ合えばお話をお伺いできればと思っています。
また、釜石でご家族が被害をうけたものの、自分は遠野や盛岡、あるいは東京に暮らしているという方でも、ご連絡をいただければお会いしに行きたいと考えています。

今更思い出したくないという方もいらっしゃると思いますので、ご無理を申し上げるつもりはありません。
ただ、可能な範囲でご協力いただける方がいらっしゃいましたら、ご一報くださいますようお願い申し上げます。
むろん、文章に掲載するうえでプライバシー保護のご希望がございましたら、それはすべて守るつもりです。

何卒よろしくお願いいたします。

●連絡先
kota_ishii@yahoo.co.jp



※取材に関しては、拙著「遺体」をご参考にしていただければ幸いです。

朝日カルチャーセンターの秋の講座のご案内です。

前回は少数精鋭のゼミ形式の講座を行いました。
どのようにテーマを選び、世界をどう切り取っていけば、作品につながるかという内容でした。
実際の事件をみなさんで多方向から考えていったり、一人ひとりが本にしたいというテーマを持ち寄って意見を申し上げました。

すると、講座の担当の方から、「前回と同じような一人ひとりのテーマに合わせて意見交換ができる講座をもう一度やってもらいたい」との要請がありました。
それで、前回行った講座の反省点を生かし、さらに肉付けした講座を開くことにしました。

前回は、学生から、ノンフィクション作家や写真家を希望する方、あるいはすでに著作を出されている方などいろんな方のご参加がありました。
今回も少数精鋭で、それそれのテーマ選びや手法に意見交換ができるような講座にするつもりです。

ぜひご参加下さい。



■講座
ノンフィクション集中講義
「テーマの選び方/世界の切り取り方」

■日時
10/6(土)、10/13(土)
18:00-21:00

※間に10分ぐらいの休憩を入れます。


■講座内容
ノンフィクション、ジャーナリズム、紀行文、エッセー。
実際に起きた出来事をテーマにして文章を書く機会はたくさんあるはずです。
しかし、これでもっとも重要なのは、<現実をどのような角度で切り取るか>ということです。

現実というのは、料理で言えば素材です。
どのように切って、どのように料理して、どのように味付けするかが勝負の分かれ目です。
ここを間違えてしまうと、素材がいくら面白くても、作品は良いものにはなりません。

本講座では、講師がテーマや世界の切り取り方の方法を教えます。
その上で、実際に起きた出来事を例にして、みなさんに実際に切り取ってもらいます。
講座は大学のゼミのように人数を絞っており、その場で活発な意見交換もしていただきます。
講座が終わった時、参加者の方々が「今すぐに執筆できるテーマ」を持ち帰ってもらうのが目的です。

※定員25名。


■詳細・お申込みはこちら
http://www.asahiculture.com/LES/detail.asp?CNO=176051&userflg=0

好評の「ノンフィクション連続講座」の第四回が開催されます。
このたび出版した「ノンフィクション新世紀」との連動企画になります。

今回のゲストは、ベトナム戦争をはじめとして数々の戦場で報道カメラマンとして活躍した石川文洋氏。
高校生の時に私は石川さんの「戦場カメラマン」という本を読み、いわゆるジャーナリストやノンフィクション作家とは比較にならないぐらいの「現場に近い視点」に脱帽し、こういう目線で世界を見てみたいと思った記憶があります。
僕は日本の報道カメラマンで最高峰の方だと思っています。その方の戦争写真のスライドショーをお付けしながら、「報道カメラマンとは何か」ということについてお話しをうかがいたいと思います。

もう一人は、国分拓さんです。
NHKの番組「ヤノマミ」をご覧になった方は多いでしょう。僕もはじめ「なんじゃこの世界は!」と驚愕し、本がでた時は真っ先に「週刊文春」に書評を書いた記憶があります。
劇場版「ヤノマミ」(2時間)を上映した後、国分さんに「ヤノマミ」の取材の裏側について語ってもらいたいと思います。

今回は、石川文洋さんの写真のスライドといい、「ヤノマミ」の上映といい、すごく贅沢な企画です。
丸一日、「リアル」の世界にどっぷりと浸ってください。

※この企画では、僕はナビゲーターですが、以下の企画ではトークを行います。
朝日カルチャーセンターで教えているのですが、番外編としての一回限りの講座「現代リアル戦争学」を行います。あわせて来ていただけると嬉しいです。
http://www.asahiculture.com/LES/detail.asp?CNO=173466&userflg=0

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■タイトル
ノンフィクション連続講座 第4回

■開催日時
2012年10月7日(日)11:00〜17:30(開場10:30〜)

■開催場所
シナリオセンター (東京都港区北青山3-15-14 http://www.scenario.co.jp/
アクセス:東京メトロ表参道駅から徒歩5分


■開催内容

<第1部>
パート1 11:00〜13:00
国分拓『ヤノマミ 奥アマゾン 原初の森に生きる[劇場版]』 上映

○13:00〜14:00 休憩
※外で昼食をとられる方は半券を用意しております。
※教室内でも持ち込みによる簡単な飲食は可能ですが、ゴミに関しては各自の責任でお持ち帰りください。

○パート2 14:00〜15:30
国分 拓 氏(TVディレクター)×石井 光太 氏 
「ヤノマミ 〜剥き出しの <生と死>に向き合う〜」

<第2部>
16:00〜17:30
石川 文洋 氏(報道カメラマン)×石井 光太 氏 
「戦場の最前線を活写する」

■詳細
http://youlabo.net/

「ノンフィクション新世紀」(石井光太責任編集・河出書房新社)が発売になりました。
本日より、順次書店に並ぶことになります。ノンフィクションは、小説と違って文学史のようにまとめられることが少ないうえ、ガイドのような指標もほとんどありません。
また、実際にノンフィクションの書き手はどのようにノンフィクションをつくっているのか、編集者は現場でどんな仕事をしているのか、書店員はノンフィクションをいかにとらえているのか、そして海外ノンフィクションとはどのようなものなのか、ということも表に出てきません。
そこで、「ノンフィクション入門ガイド」としての役割を担える本をつくりたいと思い立ち、ノンフィクション界で活躍する大勢の方々のご協力のもと本書をつくることになりました。

私はまえがきで以下のように書いています。

「ノンフィクションは、読者の人生や、世の中の潮流をたった一冊で激変させてしまうほどの力を持つものだ。作家が描く『真実』は、ニュースなどが流す事実の何倍もの重みをもって人々の心に訴えかける。
ノンフィクションはジャーナリズムの延長でもなければ、インテリの知的玩具でもなければ、評論家や政治家の屁理屈でもない。学生から大人まですべての人間が夢中になって読めて、しかも真実の力によって人生観や世界観を変えていくだけの力を持つものでなければならない。
情報化社会になり、現実と対峙する機会が減った今だからこそ、ノンフィクションの持つ役割はこれまで以上に大きいはずだ」

内容は、以下になります。
書店、オンラインショップなどでお求めの上、「真実」を作り出す現場を感じていただければ幸いです。


石井光太責任編集 ノンフィクション新世紀 ---世界を変える、現実を書く。
石井光太責任編集 ノンフィクション新世紀 ---世界を変える、現実を書く。
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【内容紹介】
石井光太責任編集による超強力ノンフィクション・ガイド。
連続インタビュー、書き下ろし原稿、ノンフィクションベスト30、海外ノンフィクション新潮流、ノンフィクション30年史、……この1冊で、ノンフィクションの過去・現在・未来、その全てが見えてくる。ノンフィクションって、こんなに面白い!

【目次】
■ノンフィクション連続講座
松本仁一(ジャーナリスト) 現場の「臭い」を書くということ
森達也(映画監督/作家) ノンフィクションはフィクションなのか?
高木徹(TVディレクター) ドキュメンタリーとノンフィクションは相反しない
藤原新也(作家/写真家) 現実を熟視し続ける身体性

■石井光太 書き下ろしルポ
雑誌編集者の軌跡 〜ノンフィクションが生まれる現場で働く〜

■ノンフィクション・ベスト30
青山南/稲泉連/上杉隆/大崎善生/角田光代/角幡唯介/鎌田慧/河瀬直美/国分拓/西原理恵子/高野秀行/中村秀之/花田紀凱/藤井誠二/柳田邦男/柳下毅一郎

■スペシャル・インタビュー
田原総一朗『常識を疑うことそのものがノンフィクションである』
猪瀬直樹『ノンフィクションが「新製品」であり続けるために』

■若手訳者競作! 海外ノンフィクション新潮流
『ゲッティング・ビンラディン 〜あの晩、アボタバードで何が起きたか〜』
ニコラス・シュミドル/桑垣孝平・訳
『ババダグに向かって』 (抄訳)
アンジェイ・スタシュク/加藤有子・訳
『メキシコを殺す者たち』
アルマ・ギリェルモプリエート/樋口武志・訳

完全保存版 ノンフィクション年表 1980ー2011

ほか

『遺体――震災、津波の果てに』(新潮社)が、映画化されることになりました。

制作はフジテレビで、公開は来年3月の予定。
主演は西田敏行。その他、柳葉敏郎、緒形直人、酒井若菜、國村隼、佐藤浩市、佐野史郎、沢村一樹、志田未来、筒井道隆など。

詳細については、以下の記事をご覧ください。

・シネマトゥデイ記事

あの作品を映像化するにあたって、様々なご意見があることでしょう。
ただ、記事中にもコメントしたように、君塚良一監督はじめ、スタッフの方々がものすごく真摯に映画をつくられていたことに僕は感動しました。
試写を見た時、いろんな思いが込み上げてしばらく動けなったほどでした。

公開は来年なので、詳しいコメントは差し控えます。
順をおって映画に関する情報はこのブログかツイッターで出していきますので、温かく見守っていただければと思います。




遺体―震災、津波の果てに
遺体―震災、津波の果てに
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朝日カルチャーセンターの文化祭「オトナの文化祭」というのが催されます。
普段、僕は朝カルではノンフィクション作法を教えているのですが、文化祭ということもあり、違う講座を1回限定でやることになりました。

名付けて「戦争って何? 現代リアル戦争学講義」。
なぜこんなものをやるのかといえば、戦争をしている国へ行ってその実情を見ると、報道されている現実とは全然違う絵があるからです。
僕はずっと「報道される戦争」と「戦争の現場での光景」との落差にあれこれ考えていました。
来年、それについての本を出す予定なのですが、その内容を60分に凝縮してダイジェストとして語りたいと思います。
以前、僕が出した貧困学の本『絶対貧困』が「世界リアル貧困学講義」だとしたら、こちらは「世界リアル戦争学講義」という感じかな。
お時間のある方はぜひいらしてください。


■タイトル
戦争って何? − 現代リアル戦争学講義

■講座内容
多くの人が戦争を知った気になっているが、実際の戦争とはニュースで報じられるものとはまったく違う。
子供兵の7割が女の子だったり、ゲリラ組織が宗教団体だったり、国立動物保護区の動物たちが戦争の軍資金になっていたり、戦争によって生まれる料理や文房具が日本の食卓に並んでいたり……。
日本人だけが知らない戦争の現実を教えます。

■日時
9/17(月曜=休日・敬老の日)
17:00-18:00

■場所
新宿住友ビル(都庁前)

■受講料
会員 1,000円
一般 1,000円

■詳細&申し込み
http://www.asahiculture.com/LES/detail.asp?CNO=173466&userflg=0


ノンフィクション連続講座3回目が迫ってきています。
さて、講座では最初に質問を受け付けていますが、僕はナビゲーター役であるため、僕に対して寄せられた質問に対して答えるのは限界がありました。
なので、前回のも含め、僕個人に対して寄せられたご質問についてお答えいたします。




■質問
石井さんは様々な分野のノンフィクションに挑んでいらっしゃいますが、フィクション、つまり小説を書こうと思ったことはありますか? またこの先書く予定などございますか?

■回答
ありますよ。
これまでノンフィクションの他、漫画原作、絵本、写真などをやってきました。
まだまだ他に面白いことをしたいと思っているので、小説のとどまらず、シナリオや脚本もやってみたいなー、とも思っています。



■質問
ノンフィクションの作品を作るときに、これだけは気をつけていると言うことがあったら聞きたいです。

■回答
批判をしない、ということですかね。何かの文句を言ったり、批判する人ってかっこ悪いと思うので。



■質問
この仕事を選んだ理由は、義務感と傾向性ではどちらが大きいと思われますか?

■回答
病気です。書かずにはいられない病。



■質問
世界の現実の大きさと、現実の自分の小ささとの間で、自暴自棄になったり、日本の人に知らせない方がいいのではないかと迷うことはありますか?

■回答
ないです。そのギャップが現実であり、それをつたえるのが仕事なので。



■質問
ノンフィクション作家として、『見るという行為』『書くという行為』はそれぞれ、他のどんな行為(あるいは、どんな感覚)ともっとも近いものと捉えていますか?

■回答
僕にとっては、呼吸をすることと同じです。



■質問
石井氏は活字と写真によるノンフィクションに活路を見いだし、見識を広げているが、「映像によるノンフィクション」に対しては、どのような考えをお持ちか?石井氏の中で「ノンフィクション」と「ドキュメンタリー」の概念に違いはあるのか?

■回答
まったく違うでしょうけど、根本では同じかな。
どちらも「取材」では生のリアルに向かうことになります。つくっている側はそれが一番面白いですからね。そこは変わらない。
ただ、その後、どのように作品として成立させていくかは、活字と映像とでは裏舞台で展開されることがまったくちがいます。僕の場合、自由気ままに勝手なことをやりたいから活字でやっていますが、映像の方がベターと判断したらたぶん映像もやるでしょうね。



■質問
石井氏へ。路上で生活している障害者について、質問があります。自閉症でこだわりが強かったり、プラダウィリーで食欲に歯止めが利かなかったりする人は、路上でどのような生活を送っているのでしょうか?

■回答
死んでいるケースも多いでしょうね。路上は自然と同じで淘汰があります。
昆虫や動物で、何かしらの問題がある個体が淘汰によって消滅していくのと同じように、路上の人間も淘汰されるケースが多いです。



■質問
石井氏へ。生まれ育った環境や風土というものは、その人が出会うさまざまな現実を、どう見つめどう捉えるものなのか、関わりがあるものでしょうか?

■回答
あります。もちろん。
しかし、似たような環境や風土で生まれ育った人なんてごまんといる。
だから、たんに育つということより、その環境や風土でその人が何を目指してどう生きてきたか、ということのかかわりの方が大きいと思います。



■質問

生活保護など、生きていくうえで最低限の生活が保証される制度のある日本ですが、住むにあたり皆さんの今まで見てきた国々と比べ、魅力を感じる部分はどこですか?(食べ物以外で)"

■回答
人が優しい。



■質問
「神の棄てた裸体」を読んで、石井さんにお尋ねしたいことがあります。ここに描かれた現状を改善しうるとしたら、何によって可能であるとお考えでしょうか?また、特にウワイダに見られるような信仰の在り方を描いたうえでこのタイトルをつけたのはなぜですか?

■回答
改善策は、人それぞれが考えることであり、誰かが答えを出すことではないと思います。
タイトルについては、あくまで全体を総合したイメージとしてつけています。個別の作品については考慮に入れていません。でも、たしかに指摘されてみれば、個別のものに照らし合わせて変なものもありますね。


ご好評いただいている「ノンフィクション連続講座」の第三回目を開催します。

今回のゲストは吉岡忍さんと角幡唯介さん。

前回までと同様に、すぐに満席になってしまう可能性がありますので、早めにお申込みいただけると嬉しいです。

詳細は以下になります。


開催日時:7月22日(日)14:00 〜 17:30(開場13:30〜)
開催場所:シナリオセンター (東京都港区北青山3-15-14)
アクセス:東京メトロ表参道駅から徒歩5分
http://www.scenario.co.jp

開催内容:
パート1 14:00〜15:30
角幡 唯介 氏(ノンフィクション作家)×石井 光太 氏
「“未踏の世界”を書くという冒険」

パート2 16:00〜17:30
吉岡 忍 氏(ノンフィクション作家)×石井 光太 氏 
「人間の小さな声を拾い上げるために」

参加費:3500円(当日会場支払い)
定員:100名

■申し込み
http://youlabo.net/

主催:youlabo
共催:河出書房新社 シナリオセンター

本講座は、河出書房新社より8月刊行予定の
『石井光太責任編集 ノンフィクション新世紀』との連動企画です。
[本書には、当講座の第1回・第2回の模様が収録されます]

朝日カルチャーセンターで、「ノンフィクション集中講義 世界をいかに切り取るか」を行います。

朝日カルチャーセンター新宿教室
第1回目 7月14日 18:00〜21:00(休憩あり)
第2回目 7月21日 18:30〜20:00

今回は、世界をどのような目で切り取っていくかということをテーマにしています。
ノンフィクションを書くときも、ドキュメンタリー番組をつくるときも、写真を撮るときも、常に<世界をどう切り取るか>ということが重要になってきます。
切り取り方によって、一つの世界が180度違うように見え、それがまったく新しい価値を生み出すのです。

これは創作者だけの仕事ではありません。本来は誰もがしなければならないことです。
たとえば、テレビや新聞のニュースを見るとき、みなさんはそれをそのまま受け取ってはいませんか?
本当はそうするのではなく、与えられたニュースを自分なりに切り取って、自分なりの価値を読み取らなくてはならないのです。
それが「ニュースを見る」ということなのです。

あるいは、会社で企画をだせ、と言われて、よくあるテーマをそのままぶつけていませんか?
本来はよくあるテーマを自分なりに切って新しい価値を作ったものこそが「企画」なのです。本を編集する際、商品を作る際、営業法を考える際に必要になることですよね。

今回のテーマは、そんな世界の切り取り方です。
第一回目は、物事を作る際、世界を切り取る方法にはどのようなものがあるのか。切り取ったところから、何が見えてくるのか、ということについてお話しします。
その上で、みなさんにも、それぞれ自分なりに世界を切り取ってもらい、話し合っていきたいと思います。

第二回目は、みなさんが興味のあるテーマを教えていただき、第一回目の方法論を生かして、それを新たに切ることによって、違う価値観を探し出してもらいます。
そして、それをさらにみなさんで、他にどのような切り口があるかを考えていきます。

世界の切り取り方を学ぶことによって、ノンフィクションの作り方を根本から考え、さらにみなさまのお仕事にも応用できるアイディアの思考術をおつたえできればと思っています。
大学のゼミのように意見交換を活発にしていきたいと思っていますので、どうぞよろしくお願いいたします。


■講座のお申込みは以下
http://www.asahiculture.com/LES/detail.asp?CNO=167328&userflg=0



本日発売の『ビッグコミック・スペリオール』(小学館)より、エッセーの新連載を開始します。

タイトルは「ちいさなかみさま」。

人間はとても弱い存在です。
だからこそ、人生の折々で、名もなき小さな神様にすがって生きています。
そうすることで、くじけそうな心を支えたり、悲しみを和らげたりして、再び生きていこうとするのです。

では、その「ちいさなかみさま」とは何なのか?

この連載では、私がこれまでの取材を通して見てきた「ちいさなかみさま」を毎回一つずつ紹介していきます。
隔週の雑誌で、さらに二回に一回の連載なので、月に一度の掲載となりますが、思い出した時に手に取って読んでいただけると嬉しいです。



今月から月刊誌「新潮45」(毎月18日発売)で、<浮浪児1945―彼らはどこへ消えたか>という連載を開始しています。

太平洋戦争末期から、1950年ごろまで、上野の地下道で暮らしていた浮浪児=ストリートチルドレンたちへのインタビューをもとにして、歴史から消された浮浪児たちがどう生きてきたかを描いています。
連載の冒頭で書いた、この原稿についての思いは以下です。(そのままコピー)


これから私が書くのは、戦後の上野駅の地下道に暮らしていた浮浪児たちの記録である。敗戦後、焼野原となった日本には家族を失った浮浪児が少なく見積もっても五千人はいたとされている。彼らは戦後の日本が生み出したもっともか弱い棄民だったにもかかわらず、それに関する記録がほとんど残されていない。
 浮浪児たちは誰からも見捨てられる中で、地下道で知り合ったヤクザやパンパンや傷痍軍人たちと地べたを這うように生き抜いた。そして焼野原から上野の町が復興するまでを根底で支えてきたのである。
 元浮浪児たちは現在、八十歳前後を迎えようとしている。私は当時の話を聞かせてもらう度に、これまで出会ったインドのストリートチルドレンを思い出した。インドが現在のような経済発展を遂げる前、汚れきった路地ではストリートチルドレンがマフィアや街娼や物乞いとともに必死になって生きていた。彼らの活力が倒壊しかけた貧しい町を根底から支えていたのだ。だが、町が発展しだすと、美しい町づくりを掲げて彼らを放逐した。
 これは戦後の日本でも同じだった。浮浪児は敗戦の象徴であり、上野の町の復興を根底から支えた存在だったにもかかわからず、日本は復興と同時に彼らを追い払い、歴史から抹殺した。そして日本人もそれを良しとして戦後の「美しい日本」をつくってきた。私はここにこそ、汚点をひた隠しにして偽りの美しさを演出しつづけてきた日本の原点があるように思う。私たちが偽りの美しさと引き換えに切り捨てて目をそらしてきたものとはどんな風景だったのか。私はそのことを考え直すためにも、今浮浪児たちの証言を集め、その記録をここに書き残そうと思う。


連載は一年ほど続けた後に、単行本化する予定です。
もしみなさんの周りに元浮浪児、あるいは浮浪児と関わっていたことのある児童福祉施設の関係者などがいらっしゃいましたら、ぜひメールでご連絡下さい。
可能ならば、お伺いしてお話を聞ければと思っています。
どうぞよろしくお願いいたします。

朝日カルチャーセンター新宿教室で、3回に分けてノンフィクション講座を開きます。
小説講座とか、自伝講座というのはよくありますが、ノンフィクションをきちんと教える講座というのはほとんど初めての試みなんだそうです。
それを聞いて、「ならば、やってみよう」と思い立ちました(笑)。

隔週で土曜日の夜、毎回1時間半行います。
ノンフィクション作家、ジャーナリスト、カメラマンなどになりたい人はもちろんですが、そうではなく出版の仕事をしたい、とか、単純にノンフィクションの世界に興味があるので知りたい、という人も参加できるような内容にしたいと思います。
メディアとは何か。僕の知っているノンフィクション世界の「裏の裏」までご案内します。

カルチャーセンターは少数精鋭で、和気あいあいゼミのような感じで進めていくことが多いらしいので、この講座でもみなさんと近い形で行いたいと思います。
個人的に色々としゃべったり、考えたり、検討したりしていく時間も十分作れると思います。お気軽にご参加ください。


■講座名
「メディア報道って何? ノンフィクションの作り方」
日時
2012年 4/7、4/21、5/12 合計3回
土曜日 18:30-20:00

■概要
講師 ノンフィクション作家 石井 光太 
ノンフィクションはいかにしてつくられるのか。
テーマの発見から下調べ、取材、執筆までの流れを実体験を用いてお話します。その上で、みなさんには毎回1テーマでグループセッションを行ってもらいます。ノンフィクションに限らず、ジャーナリズム、編集、カメラマンなどを志したり、興味を持っている方にご参加いただければ幸いです。学生や別の職業の方から、現在メディアに勤めている方までが平等に楽しめてためになれる講座にします。


■4月7日 「アイディアの技術」
ノンフィクション、新聞ジャーナリズム、テレビニュース、雑誌ジャーナリズムは、発想も作り方も異なります。たとえば、同じ事件や災害を取材するにしても、企画の出し方も、立ち位置も、描き方もすべて異なるのです。まずは実体験からこれらの違いを明確にします。その上で、ノンフィクションとはどのようなものか、その魅力とは何なのかについて詳しくご説明していきます。
グループセッション:グループをつくり、「企画」を考えていきます。そしてそれをメディアに合わせて磨いていきます。

■4月21日 「取材の技術」
ノンフィクションでは、下調べと取材が非常に重要になってきます。各メディアごとにそれは異なります。全体を説明した後、私自身は国内取材においてどのように取材をしているのかについてお話します。たとえば、東日本大震災の取材とは何だったのかについて説明します。
グループセッション:グループごとにあるテーマに対して、どうすれば良い取材ができるかを考えてもらいます。

■5月12日 「執筆の技術」
前半は、海外取材の方法についてお話します。言葉の問題、取材の危険、外国だからこそのデータ集め特別な方法などです。また、写真を撮る際の方法についてもお話します。後半は、ノンフィクションの書き方についてお話します。作家によって書き方は違います。その違いが<作品の個性>となり、その作者であることに必然性が生まれるのです。様々な作家の例を挙げて、文章表現における個性の出し方を解説します。
グループセッション:グループに分かれて、自分たちが編集者になり、「どの作家に何を書かせたいか」といことを発表していただきます。


★申込み、詳細については、以下からお願いいたします。
朝日カルチャーセンター
http://www.asahiculture.com/LES/detail.asp?CNO=153624&userflg=0

【ノンフィクション連続講座 第2回】

開催日時
3月25日(日)14:00 〜17:30(開場13:30〜)

開催場所
シナリオセンター
東京都港区北青山3-15-14
http://www.scenario.co.jp/


開催内容
〇パート1 14:00〜15:30
高木 徹 氏(TVディレクター)×石井 光太 氏
「ドキュメンタリーとノンフィクションは相反しない」

〇パート2 16:00〜17:30
藤原 新也 氏(写真家/作家)×石井 光太 氏 
「現実を熟視し続ける身体性」

参加費:3500円(当日会場支払い)
定員:100名

主催:youlabo
共催:河出書房新社 シナリオセンター

お申込み・詳細
http://youlabo.net/


本日より、幻冬舎のWEBマガジンでの連載が開始されました。

「世にも奇妙な≪世界の戦争都市伝説≫」

世界には戦争にまつわる様々な怪談、噂、都市伝説があります。
しかし、それをきちんと読み解いていくと、隠されていた戦争の真実、戦災者たちの心情、加害者の罪の意識などが浮かび上がってきます。
毎回2つずつ戦争都市伝説を挙げ、そこからその戦争の裏を考えていく企画です。
更新は、毎月1日と15日の2回です。どうぞご覧ください。

なお、昨年12月より徳間書店の文芸誌『読楽』で津波の直後の体験を記した「津波の墓標」の連載を行っています。
4月からは新潮社の総合誌『新潮45』で日本の戦後の浮浪児の連載を開始。おそらく同じ月には某漫画誌でエッセーの連載も開始します。
お楽しみに。

1月14日に岩手県釜石市で行った『遺体――震災、津波の果てに』(新潮社)のトークイベントの動画の【完全版】がUPされました。
本に出てくる千葉さんと柴崎さんが「3.11の遺体安置所の光景」を1時間ほど語っています。
本に描いたエピソードやそれ以外の話など、本人たちの口から生で聴けます。
3.11から早くも11カ月。今一度、あの日の出来事を考えていただければと思います。

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先日、『遺体―震災、津波の果てに』(新潮社)関連のイベントを釜石市で行ってきました。

被災した桑畑書店さんから呼ばれ、本で書いた野田さん(市長)、千葉さん(民生委員)、芝崎さん(住職)をお招きし、僕がナビゲート役になり、お三方に遺体安置所での出来事を語っていただきました。
実際に、津波で家族を失われた方々も多く来てくださっていました。みなさん、自分のご家族が安置されていた「遺体安置所」で何が起きていたのかがわからず、それを知りたいという思いで聞きに来てくださったようです。

今回、ニュース記事として、イベントの様子が公開されました。
2時間のうち、たった10分程度のダイジェスト版ですが、動画も入っています。
千葉さん、芝崎さんの名前の声が入っていますので、よろしければご覧ください。


■報道されなかった「遺体安置所」の現実 ノンフィクション作家・石井光太らが釜石市でトークイベント開催
2012/1/23 12:04

東日本大震災から10か月以上が経過した。住民4万人のうち1100人以上の死者・行方不明者の犠牲が出た岩手県釜石市では、いまもなお行方不明者の遺体捜索が行われている。その釜石の遺体安置所を基点にして、膨大な死とそれに直面する人々の取材を重ねて書き上げたルポルタージュ『遺体 ―震災、津波の果てに』(新潮社)の著者でノンフィクション作家の石井光太さん(34)が、2012年1月14日に岩手県釜石市の青葉公園商店街、復興ハウスでトークイベントを行った。

「神も仏もないのか…」

イベントでは、石井光太さんがナビゲート役となり、野田武則釜石市長の他に、同書に登場する仙寿院僧侶の芝崎惠應さん(55)や民生委員の千葉淳さん(71)らが登壇。甚大な被害を受けた釜石市の遺体安置所をめぐって、ご遺体のため、そして遺族のために、ひたすら奔走してきた当事者たちが個人的な体験や想いを語った。

僧侶の芝崎さんは、目の前でおばあさんが助けを求めて手を振りながら津波に流されるのを黙って見ているしかないという経験をしたという。「その様子を見ていた近所の男性が『神も仏もないのか』と横でつぶやいた時、返事をすることができませんでした。僧侶として本当は言ってはいけないことですが、まさしくその通りだと思ってしまった。人間は非常に無力で、無情を感じました」と当時の状況を振り返った。


イベントのお知らせです。


■タイトル
「ノンフィクション連続講座」

※主催・河出書房新社、シナリオセンター、YouLabo


■内容
著名なノンフィクション作家やジャーナリストは数多くいます。
しかし、その作品がどのように企画され、取材が行われ、執筆されているのかという「舞台裏」についてはほとんど知られていません。
そこで、石井光太が聞き手となり、四名の著名なノンフィクション作家、ジャーナリストをお招きし、その一部始終を詳しくお聞きします。


■日程
第一回 2月19日
 松本仁一氏、森達也氏

第二回 3月25日
 藤原新也氏、高木徹氏

※聞き手はいずれも石井光太。


■開催場所
シナリオセンター@表参道
(東京都港区北青山3-15-14 http://www.scenario.co.jp/


■詳細&申込み
http://youlabo.net/


これだけの方々から貴重なお話をうかがえる機会はめったにありません。
上記の四氏に憧れてきた僕としては、思う存分いろんなことをお聞きして勉強したいと思います。
ノンフィクション、ジャーナリズムといったものに興味のある方は、ぜひお越しくださいますようお願いいたします。

拙著『地を這う祈り』(徳間書店)は、世界の最底辺の暮らしぶりを写真とエッセーで紹介するフォト・エッセー集です。
これまで僕の本は活字がほとんどで写真はつかってきませんでしたが、本書ではまったく反対に、路上生活者、物乞い、スラム、戦場、虐殺、物売り、恋愛、排せつ、遺体、祭り、麻薬など貧困にある生活のすべてを写真とともに紹介しています。
もちろん、これまで『物乞う仏陀』『神の棄てた裸体』『レンタルチャイルド』などで描いた人々も登場します。

実は、先日この『地を這う祈り』という本をめぐって、「旅行人」の蔵前仁一さんとの対談が行われました。
蔵前さんにこの本の中から気になる写真を何枚か選んでもらい、そこから二人で「旅で直面する衝撃・旅を活字にすること・現実を映像化すること」などについてとことん話し合っています。

蔵前仁一さんは、僕が作家として処女作を出す前から縁があり、応援してくださいました。
そのことについてもちょっと触れていますが、いずれにせよ、僕のことをもっともよく知る方の一人だと思います。
お時間のある時に、見ていただければ嬉しいです。

■対談パート1
http://youtu.be/Jdx5jI_IcK4

■対談パート2
http://youtu.be/Yh-o-1GF6Hc


地を這う祈り
地を這う祈り
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『遺体――震災、津波の果てに』関連のお知らせです。


■動画

UstreamTVにて、『遺体』の取材裏や遺体安置所や遺体捜索のこびれたエピソードを話しました。
一時間ほどの番組ですが、もしご興味にある方がいらっしゃいましたら、ご覧ください。

J−cast「ザ・フライデー」
http://bit.ly/v81Ok4


■トークイベント

・11月13日(日) 立川
オリオン書房
http://www.orionshobo.com/topix/story.php?page=3&id=1604

※最初から最後まで僕がずっとしゃべりつづける感じのイベントです。『新潮45』の担当編集者も一緒に来るので(一緒に取材した方)、もしかしたらちょっと間に入ってもうこともあるかも(?)。

※「こういう話が聞きたい」というのがありましたら、事前にドシドシメールでもなんでもご連絡下さい。そちらを優先してお話ししますので。



■『遺体』のプロローグ

新潮社のHPにて、PC上から「立ち読み」が可能です。
まえがきや目次が気になる方は、以下をご覧ください。

http://www.shinchosha.co.jp/books/html/305453.html



そうそう、昨日新宿東口の紀伊國屋書店(本店)でトークイベントをした際、サイン本をたくさんつくってきました。
紀伊國屋書店の1Fに並んでいると思いますので、もしご興味のある方は是非。

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本日、新刊『遺体――震災、津波の果てに』(新潮社)が発売になりました。

3.11で亡くなった人の数は約二万人。
津波によって一瞬のうちにこれだけの人間が命を落としました。

死者数でいえば、原爆投下以来の数であり、天災でいえば関東大震災以来のものです。
つまり、天災でいえば100年に1度の規模で、私たちの目の前に遺体が横たわることになったのです。

しかし、メディアは<遺体>については極力報じるのを規制しました。
「がんばれ」「復興」「いい国日本」の掛け声ばかりを流し、深刻な事態はすべて原発という「見えない災害」ばかりを論じてきました。

なぜか。

端的に言えば、現実を映して批判されたり、スポンサーが離れたりするのが怖かったということもあるでしょう。
あるいは原発の方が「現場に行かずに、遠くからいくらでも偉そうに論じらえるネタ」だったということもあります。
また今度機会を設けてお話しますが、様々な理由から被災地の<遺体>は消し去られたのです。

が、これは被災地の前線では、まったく違う光景がくり広げられていました。
被災地の最前線では、日夜人びとが遺体捜索、検死、遺族との対面、身元確認などに奔走していたのです。

自衛隊や警察はそこらに転がる遺体を回収したり、瓦礫の下から腐敗しはじめた遺体を掘り起こしていました。

市役所の職員や消防団員はそれらの遺体を安置所へ運んで泥を洗い落とし、遺族と対面させていました。

医師や歯科医は検死を行ったり、歯型確認を行ったりしていました。

遺族は、100体以上の遺体を一体ずつ見ていきながら家族を探していました。

安置所の管理人は、新しい遺体が運ばれてくるたびに「寒かったろ、ごめんね」とか「見つかってよかったね。なんとか家族を見つけるからね」と遺体に向かって語りかけることで尊厳を保ってあげようとしていました。

つまり、最前線の現場で繰り広げられていたのは、多くの日本人がそれ以外の場所で議論していることとはまったく違う世界だったのです。
そして現地の人々にとっての「復興」とは、2万の死をいかに見つけ出し、埋葬し、受け入れていくかということに他なりませんでした。

そうしたことから、私は今回<遺体>に着目して、被災者たちがこの2万の遺体にどう立ち向かい、受け止め、克服していったのかということを克明に描きました。

雪の降る中を、無言で赤ちゃんの遺体を運んで行った人々の嗚咽。
安置所で毎日遺体に向かって語りかけていた管理人の言葉。

そうした決して報じられることのなかった「姿」や「声」をつたえたいと思ったのです。
そこにこそ、震災の恐ろしさ、津波の被害、そして人間の天災に立ち向かう生き方があるように思えてならなかったのです。

この本が、100年に一度の大災害の真実を記録し、その事実をつたえる役割を担えればと思っています。
どうぞ本書をご一読の上、私たちが目をそらしていた「本当の被災地での出来事」を見つめて下さい。


★『遺体』の販売について
地域によって多少発売日が前後いたします。ご了承ください。
Webでは以下
アマゾン
楽天ブックス
紀伊国屋bookWeb

最近、「いいちこスペシャル」という酒が非常においしいことに気付いた石井です。
とにかく味が絶品で、ふわ〜とした甘さが口に広がるのです。ありゃ、やばいうまさですな。焼酎好きな人は何かのお祝いの時にでも買うとよいでせう。

さて、今日はイベントの告知です。

10月27日発売の新刊『遺体――震災、津波の果てに』(新潮社)の発売に合わせて、まずは神戸と東京で震災に関するトークイベントを行います。


<東京 ★ 紀伊國屋書店 新宿本店>

http://www.kinokuniya.co.jp/store/Shinjuku-Main-Store/20111014191606.html



<神戸 ★ 海文堂書店>

http://www.kaibundo.co.jp/


どちらも取材の裏側を徹底的にお話しします。
ご質問、ご要望等なんでも承りますので、ご遠慮なくおっしゃってください。
ちなみに、最近大学やらなんやらで頻繁に「津波と遺体」についての講演をしています。
その時、よく尋ねられるのが、「メディアはどうして遺体を隠したのか。あれは自主規制だったのか」という問題です。
これについてはいろんな見方があると思いますが、そういったこともトークイベントでは詳しくお話しするつもりです。

あと、ミシマ社のHPで今週から3週にわたって『遺体――震災、津波の果てに』についてのインタビューが掲載されることになりました。
発売前の特別インタビューです。
ここでは、ざっくりとどんな思い出取材をしたのか、現地はどういう状況だったのかということについて話をしています。
よろしければ、ご覧ください。

『遺体』インタビュー
http://www.mishimaga.com/hon-watashi/062.html


では、トークイベントの会場でお会いできるのを楽しみにしています。

さて、本日で『遺体―震災、津波の果てに』の再校が終了。
基本的に僕の行う作業はこれで終わり。あとは、10月27日の発売日まで出版社や印刷所の方々が必死になって動いてくれるということになる。
取材開始から半年ちょっとか。長かったけど、もう突進でやったなー、という感じである。
今後は、ほかの単行本の仕事をまとめながら、いくつかの雑誌で開始する予定の新企画の取材へと取りかかる。ようやく、次のステップだな、と思う。

さてさて、10月〜12月は毎年トークイベントやら講演が多く(この時期は、特に大学や高校での講演が多い)、この3か月間で20本近くある。
ほとんどが大学内や勉強&研究会内だけの講演なので一般の人が入れるかどうかはわからないが、こちらとしては気分転換にはなる。

そういえば、その一つに、新しく発足するプロジェクトがある。
「世界の多様性プロジェクト」といって、いろんなテーマをワークショップ形式で行うものだ。仲のいい編集者山ちゃんの主催で行う。
以下、詳細なので、「話し合い」「ベンキョー」好きな人はふるってご参加してほしい。

■世界の多様性プロジェクト
http://youlabo.net/event/111015_poverty.htm


※今後、1、2カ月に1度の割合でテーマを変えてつづけられるそうです。
※ただ聞くだけでなく、一緒にあれこれ考えたり、ベンキョーが好きだという方はぜひ。

このプロジェクトは来年ミシマ社の戦争文化プロジェクト(プロジェクトがそのまま本になる)やさまざまな学術プロジェクトと融合して行われる予定なので、今後どうなっていくのか楽しみだ。


こんにちは。
Youlaboというイベント企画団体のお招きで、東日本大震災についての講演を行うことになりました。

以下詳細です。

宜しければ、お申し込みください。
終わってから、居酒屋で懇談会もあるそうです。


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■[緊急開催] ノンフィクション作家・石井光太氏が語る
被災地で見た「3・11」と「今」


東日本大震災により亡くなられた方のご冥福をお祈りしますとともに、被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。
3月11日に起きた東日本大震災から2カ月以上が経ち、マスメディア報道をはじめ、「復興」が語られるなか、
改めて東日本大震災とは何だったのかを立ち止まって、
そして被災者という人に立ち返って、考えるイベントを開催いたします。



開催日時:5月14日(土) 19:00〜21:00 (開場18:30〜)
開催場所:北沢タウンホール ミーティングルーム
(東京都世田谷区北沢2-8-18 http://kitazawatownhall.jp/map.html)

内容:
第1部 19:00 〜 20:00
「人間群像から被災地を見る〜「3・11」「今」の被災地風景〜」
講演: 石井 光太 氏 (ノンフィクション作家)

第2部 20:00 〜 21:00
「メディアは何を報じて、何を伝えなかったのか」
対談: 石井 光太 氏 × 武田 浩和 氏 (河出書房新社『飢餓浄土』担当編集者)



東日本大震災直後から被災地に足を運び、被災者ひとりひとりを追った、ノンフィクション作家・石井光太氏。
あの日、被災地では、何が起きていたのか。遺された人々は何に思いを馳せ、生き続けているのか。
支援者はどのような思いで、復興活動をしているのか。
そして今、被災地で暮らす人々は、何を思い、どのような生活を送っているのか。
石井氏が、被災地取材を通して、そして被災者という人間を通して見た「東日本大震災」について語る。


石井光太氏(ノンフィクション作家)
1977年生まれ。世界の貧困地域から国内HIVルポまで幅広く現場を歩き、『レンタルチャイルド――神に弄ばれる子供たち』(新潮社)、『感染宣告――エイズなんだから抱かれたい』(講談社)などのノンフィクションを発表。3月には、異国での噂・幻の深層を追った『飢餓浄土』(河出書房新社)を出版。震災直後から被災地取材を行い、週刊ポスト、月刊WiLLなどに寄稿。被災地取材については、積極的にブログ、ツイッターを通しても発信している。
http://www.kotaism.com/



参加費:2000円
定員:60名
※定員になり次第、締め切らせていただきます。
※終了後、近くの居酒屋で懇親会も行う予定ですので、
 そちらもふるってご参加いただければ幸いです。


★申し込みは以下。
http://youlabo.net/

ルポ 餓死現場で生きる (ちくま新書)
ルポ 餓死現場で生きる (ちくま新書)
クチコミを見る



新刊のお知らせです。

本日より、『ルポ 餓死現場で生きる』(ちくま新書)が発売になります。
本作品は昨年の10月〜12月に連載していた作品に新たに二章付け加え、大幅な加筆、そして図録や地図を載せたものです。


『ルポ 餓死現場で生きる』(ちくま新書)

1章 餓死現場での生き方
2章 児童労働の裏側
3章 無教養が生むもの、奪うもの
4章 児童婚という性生活
5章 ストリートチルドレンの下剋上
6章 子供兵が見ている世界
7章 なぜエイズは貧困国で広がるのか

・内容紹介
飢餓に瀕して、骨と皮だけになった栄養失調の子供たち。
外国の貧困地域の象徴としてメディアに描かれている彼らも、ただ死を待っているわけではなく、日々を生き延びている。お腹がふくれた状態でサッカーをしたり、化粧をしたりしているのだ。
ストリートチルドレンや子供兵だって恋愛をするし、結婚をするし、子供を産む。「餓死現場」にも人間としての日常生活はある。
世界各地のスラムで彼らと寝起きを共にした著者が、その体験をもとに、見過ごされてきた現実を克明に綴る。



この本は、筑摩書房の橋本君から話をいただいて始まった企画です。
拙著『絶対貧困』(光文社)の姉妹編として、貧困地域に生きる子供にスポットを当てて、新書としてきちんとデータを入れながら描いてみよう。
そういう意図で始めました。

貧困国における子供の「栄養不良」「児童労働」「教育」「児童労働」「ストリートチルドレン」「子供兵」「エイズ」という七つの問題を、私なりの体験から統計をもとにして解説したものです。
作品のテイストとしては、3月11日に出した『飢餓浄土』などのような物語形式のルポルタージュというより、『絶対貧困』のような解説本としてお考えいただければと思います。世界の貧困国に生きる子供についての入門テキストです。
私として珍しく、NGOなどが語るテーマを真正面からついた本になりますが、NGOが決して語ることにない「子供兵の率直な感情」「子供たちの性生活」などについて赤裸々に論じています。
私たちが「餓死現場」だと思っている貧困地域。そこで子供が生きるとは、どういうことなのか。
世界の実情と多様性を、少しでも多くの方に知っていただければと思います。

4月7日より、全国の書店に一斉に並ぶ予定です。




追記
アジアンカンフージェネレーションの後藤さんとの対談がアップされました。ご覧ください。
http://bit.ly/eP6MaB

新刊『飢餓浄土』が明日より発売になります。
それに合わせてフリーペーパーと河出書房新社HP掲載のために、編集担当の武田君にインタビューを受けました。
以下、インタビューをそのまま掲載します。


■神々しさ自体を露にする一冊

武田 昨年の春から河出書房新社のWEBマガジンで連載していただいた『飢餓浄土』が、いよいよ単行本で発売されます。連載時の原稿を大幅に加筆修正し、書き下ろしを加えて一冊にしています。
 一言で言い表すのは難しい作品ですが、敢えて簡略化して言うならば、石井さんがこれまで見聞きし体感してきた異国での噂・幻の深層を追い、そこで露になった貧困地・途上国の実像を描き出した、これまでの石井さんの本とは別のベクトルでぶつかった一冊です。全四章・計一六本の物語が収められています。
 石井さん自身が、改めてこの『飢餓浄土』に流れる一本の線を指し示すとなると、どのように言い表せるのでしょう?

石井 書くにあたって、始めから下地に敷かれていた一本の大きな定義として、「人間というのは、何かにすがりついたり祈ったりする生き物だ」という定義がありました。僕は昔からその存在を「小さな神様」と呼んできました。

武田 小さな神様?

石井 そうです。人間というのは、宗教という大きな枠組みだけではなく、一瞬一瞬でその場限りの神様を作っていくものです。例えば試験に受かりますようにと手を合わせるその瞬間、受験生の大半は「キリスト様」やら「アッラー様」以外の何か漠然としたものに祈っていますよね。頭の中で、その場限りの名もない神様を作って祈っているのです。
 あるいは、実在の人間や生き物が小さな神様になることもある。たとえば、本当に悲しいとき、人は友人や恋人にすがりつきたくなることがあるでしょう。この人にすがりつきたい。そう思うことがあります。その瞬間、その友人や恋人は、小さな神様になるのです。あるいは、ホームレスが寂しさのあまり子犬を飼っていたとしましょう。冬の寒い夜、ダンボールハウスでその子犬を抱きしめて眠ってぬくもりを分かち合う。そのとき、きっとホームレスにとって子犬は小さな神様になっているはずです。
 このように、人間は想像の中であろうが、対人や動物であろうが、その瞬間に必要なかけがえのない存在をつくりあげることがあります。そのかけがえのない存在こそが、私が「小さな神様」と呼ぶものなのです。もちろん、その小さな神様に裏切られることもあれば、嫉妬することもあるし、激怒することもあるでしょうけどね。

武田 『飢餓浄土』では、その小さな神様を描きたかった、と。

石井 これまでも僕は書いてきたつもりです。ただ、具体的な形としては書いてこなかった。
 具体的にいえば、バングラデシュの路上で暮らすストリートチルドレンの小学生ぐらいの女の子が寂しさを紛らわすために、ロリコン男たちに無償で体を提供しているのに遭遇したことがありました。あの少女にとってロリコン男たちは「小さな神様」だったに違いありません。ただ、僕はそれをあえて小さな神様とはいわず、少女と買春客の疑似恋愛として描きました。
 しかし、今回の『飢餓浄土』はそうした描き方ではなく、具体的に人々が『小さな神様』としてつくりあげた《イメージ》そのものを描きたかったのです。たとえばバングラデシュの少女が寂しさを紛らわすためにロリコン男ではなく、幻想のなかの友人をつくっていたとしましょう。幻想の友人と遊ぶことで寂しさを紛らわしているということです。
 本作品で僕が挑戦したのは、その「幻想の友人」そのものを描いたということです。小さな神様が幻の中で形となった瞬間がどういうものかをテーマにしたのです。

武田 『飢餓浄土』の内容に即して具体的に例をあげれば、どうなるのでしょう。

石井 たとえば、ベトナム戦争の後、生まれてきた奇形児を産婆が家族のためを思って次々と谷底へ落として殺しました。産婆はその奇形児の亡霊に怯えている。ではその産婆と亡霊との関係を描こうということです。
 あるいは、スリランカの内戦中、庶民たちは平和の象徴として、海から聞こえる音を「歌う魚」だとしていた。海に歌う魚が住んでいて、それらがうたっているのだ、と。しかし、戦争が激しくなるにつれ、人々はその「歌う魚」の声が聞こえなくなってしまいます。では、その戦地の人々と「歌う魚」の関係を描こうということです。



■人それぞれにある弱さの多様性を写し出す

武田 『飢餓浄土』のもう一つのテーマは、人間の中にある多様性だと思います。
 日本人は世界の人々を見るとき、どうしても一つの視点で考えようとします。たとえば、貧困といえば、アフリカの飢えた子供を想像する。それは、テレビや新聞がそれをひたすら映し出しているからであり、それを我々がそのまま鵜呑みにしているからでしょう。
 しかし、『飢餓浄土』ではそれを真っ向から否定する部分が出てきます。軽薄な理解に対する根本的なアンチテーゼというのでしょうか。現地の実生活に忍び込んで、そこに流れる噂や幻を追うことで、これまで人々が考えてきた「世界」とはまるっきり違うものを形にしています。
 たとえば本の中に、タイにいる難民たちが自分のペニスにココナッツのエキスを注射して、ペニスを大きくしようと試みる話がありますよね。それで、エイズが広まっているという事実もある。
 冷静に考えれば、何じゃそりゃという話です。でも例えば、日本にだって外国人が見て「なんじゃこりゃ」という世界はたくさんある。東南アジアの人が正月に日本にやってきて、新年早々から男どもがふんどし締めて極寒の海に入っていく姿を見たら、何をやってんだこいつらは、と思うはずですよね。僕らはそのふんどし姿を「うん、まあ、これは伝統行事だし、」と何とも思わずに毎年眺めているのだけれども、これって冷静に考えれば、「なんで寒いのに入ってんの?」という疑問が涌いてしまうわけです。

石井 そうですね。僕たち日本人は、勝手に社会的な視点だけで世界を見ようとしている。たとえば、「アフリカの子供はお腹をすかせて死にかけているんだ」とか「東南アジアでは女性が人身売買にあい、売春を強いられてエイズになっているのだ」とか。
 もちろん、そういうケースもあるでしょう。しかし、それだけであるはずがない。アフリカの栄養失調の子供だって性欲はあってオナニーをするし、タイの若者がペニスを大きくしようと変な注射を売ってHIV感染することもある。世界は僕たちが思っている以上に「多様」なものなのです。僕は、社会的な視点だけでなく、それとはまったく違った視点で世界で起きていることを描きたかった。

武田 『飢餓浄土』の中に、チベット寺院に長年住まう老女の話がありますね。いろんな証言者がその老女について語りますが、その証言者によって全く印象が異なっている。老女を慕う浮浪児がいれば、邪険に扱う周辺の人々もいる。語り手ごとに異なる老女の姿を、石井さんは、これはその語り手の写し鏡なのではないか、そして、それは自分自身も同様であると書かれていますよね。
 これはこの本全体に共通することだと思っていて、僕たちが、対・貧困、対・戦争を問われた時にどう思考していくのかが、この本の中に登場する「小さな神様」によって明らかになり読み手に問われてくる。これまで距離をとってこちらの都合で眺めていられた事象が、向こうから距離を縮められた上で放たれてきますね。

石井 そうですね。ある一つのことがあっても、百人がそれに直面すれば百通りの解釈がある。それを無理に一つにするのではなく、百あれば百をすべて描いてみよう。この作品はそういう試みでもあります。



■戦争を、国家ではなく個人で見る

武田 ジャンルを問わず、作家が記す文章には様々な見方が提示されていて、その見方を味わうことで、読者は心を動かし、知識を得て、或いは苛立ちを覚えたりするわけです。そこが読書の心地良さに繋がっていく。
 でも、石井さんの作品というのは、既に文章の中に、こちらが想定する以上のカメラが仕込まれていて、あらゆる角度から次々と視線が投げ込まれてくる。だからなのでしょう、著者を前にしてこう言うのもなんですけど、石井さんの文章を読むのって疲れるんですよね(笑)。いや、疲れるというより、体力を使う。
 僕らはどうしても自分の考えを補完する為に本を読んでしまいがちですよね。笑いたいなら笑えそうな本を選ぶし、顔を顰めたいなら顰めさせてくれそうな本を選ぶ。
 でも石井さんの本はそうはさせてくれない。今回の本の場合でも、顔を顰めさせてくれと思いながら読んでもニヤッとしてしまうし、ニヤって笑おうと思っても、やはり考え込まなきゃならない場面が出てくる。こんなこと言って良いのかな、石井さんって疲労を感じさせる作家だと……。

石井 それは確かでしょうね。僕は常に、物語ごとに、或いは一行ごとに読者を裏切ることだけを考えています。書いていると、読者が寄りかかってくる瞬間というのがあるんです。これは不思議な感覚なんですけども、そう感じる瞬間が必ずある。著者の僕としては、じゃあ、それを裏切ってやろうと、踏み台を外してしまう。でも、救ってやんなきゃ可哀想だと思って、救ってあげる。だけど気が変わって、また引く(笑)。僕にとって、書くという作業はこの繰り返しなのです。
 ノンフィクションの面白さは、人の価値観を壊して再構築すること、これは現実を知る愉しみそのものだと思っています。自分の価値観が変わらない読書なんて、楽かもしれないけど、ちっとも面白くない。その本のことって、忘れちゃいますよね。固定観念をぶち壊してくれた本しか記憶に残らないはずです。

武田 石井さんは、新たに本を書く段階で、前に書いた本を一度ぶっ壊してから書き始めますよね。書き手の多くは一つ前の拡大再生産を狙いますし、読者もそれを望んでいるでしょう。でも、石井さんはわざわざプレス工場で一つ前の作品を思いっきり潰してきて、更地に座って一から書き始めようとする。

石井 タイプなんでしょうけどね。でも、いわせてもらえば、拡大再生産は自らをつぶすだけです。企業だってそうでしょ。ソニーがラジオをつくった後に、ウオークマンをつくって、さらにゲームをつくっていた頃は売れていた。けど、プレステからプレステ2をつくり、プレステ3をつくりはじめている今は落陽でしょう。ウオークマンから現在のMP3のウオークマンをつくたってiPodには勝てていない。拡大再生産をやったって、そりゃ、何回かは成功するかもしれませんが、いつかは終わりますよ。やるなら、過去の自分をつぶして新しいところからはじめなきゃ。
 似たようなことは、取材をしている自分に対しても言えることです。取材というのは自分が築き上げた価値感を一度ぶち壊した上に、あたらしい価値感を築き上げなければならない。それにつきるのです。
 たとえば、取材へ行って何かを見て誰かに話を聞く、新聞記者であれば、これは自分の立てた仮説が正しいかどうかを証明する為の手段でしかない。Aという仮説があって、そのAが本当にあったことを証明して文章にするんです。自分の価値観を大切に守る取材ですね。しかし、そんなふうに書かれた記事を読んだところで、「裏切られる瞬間」なんて生じようがない。
 一方、僕の目指すノンフィクションというのは、その価値感を壊し、新しくつくりあげたものを作品にしようという試みです。つまり、作者である僕が一度すべての価値観を壊されたところから物語がはじまっていく。新しい価値観の物語を築き上げていく。だからこそ、読者は本を読むことで作者が体験した価値感の崩壊と新しい価値観の創造を追体験することができるのです。それこそが、ノンフィクションを読む醍醐味だと思っています。少なくとも、僕はそれを目指しています。
 読者にとっては疲れるかもしれませんが、その疲れるというのが「個性」なのです。疲れない本を読みたいなら別に僕以外にそういう本を書いている人は大勢いる。でも、疲れる本を書く人はあまりいない。ならば、僕がその一人になろう、と。疲れない読書はたしかに心地いいですが、すぐに忘れちゃいますよ。

武田 そういう意味で、今回の第一章に収められている残留日本兵の話は、象徴的ですよね。太平洋戦争が終結してもう六五年が経過している。その中で、その語り部達の言質がどうしても老人の戯言として片付けられてしまいがちです。今回は残留日本兵、そしてその亡霊という見地からあの戦争を再度照射している。内々で歴史化している戦争の記憶が、外地から生臭く漂ってくる。外地で日本の戦争の姿を見聞きしてきたわけですが、外の声を聞き、その声を日本の内側で語られる戦争に合わせていくことで見えた日本の戦争、或いは戦後への新たな感触というのはありましたか?

石井 戦争の世界が、一つの見方でしか語られていないことに大きな違和感があります。太平洋戦争を描こうとすれば、大抵の人は「被害者としての日本人」「加害者としての日本人」「戦争責任・戦後補償」という見方ですよね。しかし、本当に現地で戦争を体験した人がそんなことを大きな問題として考えているかは疑問です。
 実際に、フィリピンの戦争の舞台となった密林の村へ行ってみると、それを実感できます。村に暮らす人々は戦後補償とか戦争責任なんてややこしいことはほとんど議論していない。その代わり、どこそこに日本兵の亡霊が出るんだ、とかそういう話で盛り上がっているわけです。彼らにとっては政治的な問題より、お化けのことの方が重大なわけです。
 僕はなぜそういう現実を描かないのかと常々疑問だったんです。戦後補償とか戦争責任について考えるなといっているわけではありません。それを議論することはおおいに大切です。
 しかし、実際に現地へ行ってみると、そういう議論よりお化けの議論の方が圧倒的に大きい。そのお化けから身を守ってもらいたいがために新興宗教に入ったり、怯えてアルコール中毒になってしまったり、ノイローゼになってしまったりしている。ならば、そういう現実だって描いたっていいんじゃないか。むしろ、「現地へ足を運び、現地の生の声をすくい取るのがノンフィクションだ」というなら、そういう現実を描くのはありじゃないか。
 そう思ったのです。それが、おっしゃるような「戦争への新たな感触」ということだと思います。



■人間とは何ぞや、という問い

武田 石井光太という作家は、貧困を書く作家だとか、辺境地に行ってモノを書く作家だとあちこちで言われてきたと思うのですが、そうじゃない。石井さんは、人間って何なんだ、ということを書く作家だと思うんです。その人間って何なの、というのがクリアに見えるのが貧困地にいる人間だと。そして、人間が作り出す「小さな神様」だと。今回はそこにいる人間への視座がこれまた別の角度で明らかになった一冊ですよね。

石井 そうですね。人間に興味があるのです。貧困より、人間そのものの方にずっと関心はありますね。

武田 前に、「海外に行くのもそんなに好きじゃない」っておっしゃっていましたよね。あれには驚きました(笑)。

石井 戦争と貧困は全てを剥き出しにします。豊かな人間は剥き出しにするのに体力を使う。隠し通そうとしますから。でも貧乏であれば、剥き出しにせざるを得ないわけです。人間とは何ぞや、という問い、これはまだよく分からない。で、それを分からない、と放っておくのではなくて、僕は愛おしく感じているわけです。

武田 石井さんは、貧困の世界に対して、冷たいのでしょうか、それとも優しいでしょうか?

石井 どうなんでしょう。この場合、冷たさが温かさだとも言えます。オカマバーに通う女の人っているじゃないですか。あれは大抵、オカマに怒られたくって通ってくるわけですよ。

武田 あんた、ダメよ、こんなんじゃ、って。

石井 そうですそうです。あれって、一応、突き放しているわけですよね。私フラれちゃったんです、と言えば、オカマのママは「なによあんたがブスだからよ」とか「化粧がなってないからよバカッ」とか言ってくる。でもそう言われながら、女の人は結局の所喜んでいるわけですよね。それを冷たいと言うのか温かいと言うのかは、分からない。
 こういう例をそのまま貧困の世界に当てはめるのは野暮だけれど、助けること、手を差し伸べることが優しいのか、となると、決してそうではないと僕は思っている。求められることに対して、いやそれは出来ないとはっきり言ってあげるほうが優しいという場合もあるわけです。同情を望んでくる人もいれば、それを極端に嫌がる人もいる。
 人間は一種類ではない。でも、一種類だと思わければ救済ビジネスは成り立たない。では、そこから漏れる人はどうするのか。やっぱり、その人も見ていかなきゃいけない。それをビジネスにお願いするのは無理です。だって、そういうことにしておかないと成り立たないから。そのビジネスを否定するつもりは全くありませんが、いずれにせよ、押し付けるものではないのです。

武田 この『飢餓浄土』に通底しているのは、人は最後に何を信用するのか、何を支えにするのか、ということだと思います。その信頼や支えの実像が、前もってこちらが予想している姿とは見事に違う。次々と裏切られる。
 去年、頻繁に見かけた広告があります。アフリカかどこかの小さな子どもがウルウルした目で写真におさまっている。そこには、「クリスマスまでにあと七〇〇〇人の命を救いたい」というコメントが載っている。そのコメントは明らかにこちら側で作られた文脈です。では、写真に写る子ども当人の文脈とは何なのだろうか。そのウルウルした子どもを泣き止ますには、どうすればいいのか。マフィアから褒められれば泣き止むのかもしれない。もちろん、ワクチンだって必要かもしれない。でも、マフィアかワクチンかは、その子次第なのです。
 この『飢餓浄土』が、その選択肢を刺激的に考え直す本になることを祈っています。『飢餓浄土』、是非ご一読下さい!



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