石井光太 − 旅の物語、物語の旅 −

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前回のおすすめを何冊かお読みくださったでしょうか。
今回は、学校司書の方々がすすめてくださった本の第二弾の紹介です。
僕も知らない本がたくさんありました。


『光のうつしえ 廣島 ヒロシマ 広島』(朽木祥)
『アウシュヴィッツの囚人写真家』(ルーカ・クリッパ)
『サラの鍵』(タチアナ・ド・ロネ)
『クロニクル千古の闇』(ミシェル・ペイヴァー)
『みかづき』(森絵都)
『罪のあとさき』(畑野智美)
『アラヤシキの住人たち』(本橋成一)
『ホワット・イフ? 野球のボールを光速で投げたらどうなるか』(ランドール・マンロー)
『ドーナツを穴だけ残して食べる方法 越境する学問ー穴からのぞく大学講義 』
『暗幕のゲルニカ』(原田マハ)
「みをつくしシリーズ」(高田郁)
『NO.6』(あさのあつこ)
『The MANZAI』(あさのあつこ)
『ツバキ文具店』(小川糸)
『マチネの終わりに』(平野啓一郎)
『天と地の方程式』(富安陽子)
『メディチ家の紋章』(テレサ・ブレスリン)
『テンプル・グランディン 自閉症と生きる』(サイ・モンゴメリー)

今日は、震災から三年目です。

改めて謹んで哀悼の意を表します。

いまの私の気持ちは、先日新潮社から文庫として出した『遺体』の「文庫版あとがき」に書きました。
以下にそれを転載することで、三年目の思いを表したいと思います。


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あの日から、三年が過ぎようとしている。

東日本大震災が起きて間もなく釜石の地に着いたとき、私は三年後の釜石を想像することができなかった。
あまりに凄惨な現実に圧倒され、目の前にある光景以外のものを思い浮かべる力が木端微塵に砕け散ってしまっていたのである。
異臭と寒さと瓦礫が私にとっての被災地すべてだった。

本書の執筆は、そんな私にとって祈りともいうべき作業だった。
壊滅した町にあっても、生き残った人々は遺体を捜索し、搬送し、検案し、なんとか人間の尊厳を保ったまま家族のもとへ送り返そうとしていた。
私にはそうした行為が真っ暗な闇に灯る、一つの小さな光のように思えた。
この光が少しずつ大きくなっていけば、釜石が再び歩み出す力となりえるのではないか、いや、どうかなってほしい。
そんなふうに自分に言い聞かせながら、人々とともに過ごし、話を聞き、書き綴っていったのが本書なのである。

最近、三年が経とうとして釜石がどうなっているかとよく尋ねられる。
だが、これはあまりに大きく重要な話であり、あとがきのような限られた場所で書けることではないし、書くべきことでもない。
もし述べようとするなら、もっと長い年月のなかでしっかりと一冊の本としてまとめるべきことだ。
従って、今この場で私が記せるのは、本書の登場人物たちが三年を経た今どうしているかということだろう。



遺体安置所の管理を市長に申し出た千葉淳。

彼は今なお釜石市内に民生委員として地域の高齢者のために活躍する傍ら、葬儀会社の釜石支部を設立して亡き人のために働いている。
きっかけは、震災の後にある葬儀会社の代表者が遺体安置所での千葉の活動に目を止めたことだった。
千葉なら誠意をもって遺体を扱ってくれるはずだと考え、知人を介して依頼してきたそうだ。

千葉は、遺体安置所での悲惨な記憶がまだ鮮明に残っていたが、年をとっても釜石の力になれるのなら、と思って引き受けたという。
業務内容は、病院で亡くなったり、自室で孤独死したご遺体を清め、専用の車で葬儀社へ搬送することである。
この仕事をする一方で、遺体安置所で一緒に働いた鎌田葬祭会館から依頼を受けて、納棺の手伝いをすることもある。遺体の死後硬直をほぐし、仏衣を着せ、棺に納める仕事だ。

私自身何度かそれにも立ち会った。
彼はスーツ姿で遺体の硬直した手足をさすりながら、安置所でしていた時と同じように語りかけていた。
その穏やかで優しい口調は三年前のままだった。



遺体搬送班として尽力した松岡公浩。

震災前は生涯学習スポーツ課で国体関係の業務についていたが、二〇一一年の夏に遺体搬送の任務を終えた後、町の復興計画の任に当たることとなった。

釜石では、震災後犠牲者が多数に上ったのは市の責任だとする声が上がっていた。
実際に、釜石市鵜住居地区防災センターでは、市の職員が津波避難所ではなかったこの場所に住民を誘導したことで百名以上にのぼる死者が出ていた。マスコミもそれを重ねて批判的に報じた。

私にしても、松岡にしても、同じことが二度と起こらぬように十分な議論がなされるべきだという点では一致している。
ただ、私がこの話をふった際、松岡が声をふり絞るようにして次のようにつぶやいたのが印象に残っている。

「あれは大変な出来事でした。ただね、大勢の市民と同時に市の職員だって亡くなったんです。あそこへ避難した人は、誰一人として死にたくて行ったんじゃない。それは誘導した市の職員も同じなんです。助かろう、助けようとしてあのときの精一杯の判断であそこへ行ったんです」

彼には、市の職員として運命の糸が少しでも違っていれば、自分があの場にいたかもしれないということが痛いほどわかっている。
だからこそ、彼は凍えるような寒さのなかトラックに乗って遺体の搬送業務を、ただ一人最初から最後までやり遂げたのだろう。



検案を行った医師の小泉嘉明。

二〇一一年の四月からは、県外から支援にやってきた大学の医学部チームに検案を頼み、小泉は地域医療に専念することとなった。

チームは六月には任務を終えてそれぞれの大学等へ帰っていったが、夏以降も月に数体の遺体が発見された。
被災した釜石警察署は旧二中のグラウンドに移され、体育館が再び検案の場所として使用されることとなった。
小泉は医院で働く傍ら、遺体が見つかる度にそこへ赴いては検案を行った。

震災から半年以上経ち、家屋の取り壊し工事の際に瓦礫の下から見つかるのは、ほとんどが手足や頭部だけといった部分遺体だった。
それでも小泉は傷んだ遺体を前にして、「見つかってよかったな」と思ったそうだ。どんな形であれ、家族のもとに帰れることが1番なのだ。
現在に至るまで、小泉一人で約三百もの死体検案書を作成している。

二〇一三年、こうした功績が認められたこともあり、第二十回ノバルティス地域医療賞が小泉に授与された。



歯科医師として歯科所見を任された鈴木勝。

中妻町にある鈴木歯科医院では、今一人の女性が働いている。
津波の犠牲になった親友佐々木信彦の妻である。勝は信彦に代わって、できるかぎり家族の力になりたいと考えたそうだ。
二人の娘のことも気にかけ、よく食事に呼んだりしている。

私自身、信彦の娘二人とは何度か会食をした。
次女桃子は市内の保育所で働く二十代半ばの女性だ。ある日、勝と彼女と3人で会食をしていた時、彼女がこんなことを言っていた。

「勝先生は、死んでしまったお父さんの代わりだと思っています。だから、私が結婚しようと思う男性が現われたら、お父さんの代わりに会ってもらうって決めています。勝先生が『この人で大丈夫』って言ってくれたら結婚するんです」

勝はそれを聞いて照れ臭そうに、「俺はノブ(信彦)より厳しいぞ」と笑った。嬉しいと思うのと同時に、背筋を正される気持ちだったにちがいない。

二〇一三年の父の日、桃子は姉の春奈とともに勝に花を贈った。オレンジや、白や、ピンクの美しい花だった。



歯科助手として勝とともに歯科所見の作業をした大谷貴子。

震災の後、彼女は当時交際していた男性と再婚し、相手の実家である遠野市へと引っ越した。
鈴木歯科医院は退職したものの、実家のある釜石へは時折帰ってきており、勝と食事をすることもあるそうだ。

二〇一三年一月、彼女は夫との間に一児を産んだ。二千七百八十二グラムの元気な男の子だった。



旧二中の体育館に、祖母によって運ばれた赤ん坊、雄飛君。

安置所に置かれていた際、遺体には職員の誰かによって〈生後100日〉と記されていたが、実際はわずか五十四日だった。
本書の単行本を刊行した直後、父親から連絡をいただいた。刊行当初は雄飛君の名前を仮名にしていたが、父親と何度も話し合った結果、「雄飛が生まれてきたことが記録に残るなら」ということで、5刷から本名に訂正した。

父親は雄飛君の火葬以来、千葉に感謝の言葉をつたえたいと思っていたそうだが、名前も連絡先もわからなかった。
そこで一年が経とうとする二〇一二年の一月、釜石のホテルで私が千葉を紹介した。
父親は妻とともに千葉と再会した瞬間に大粒の涙を流し、彼の手を握りしめて言った。

「あのとき、雄飛のことを本当にありがとうございました。声をかけてくださって、本当にありがとうございました」

千葉もあふれる涙をぬぐって「お父さんも、お母さんも、よく頑張ったね」といたわっていた。

一週間ほどして、千葉は雄飛君の実家を訪ねた。
雄飛君が迎えられなかった1歳の誕生日に、線香を上げに行ったのである。
ご両親からは、千葉さんが来てくださった、という喜びの連絡が私のもとにあった。



釜石仏教会を設立した仙寿院の芝 恵應。

仙寿院の本堂の裏には、今でも棚があり、そこに震災で犠牲になった人々の骨壺が安置されている。
名前がわかっている遺骨は少ない。大半が腕だけなどの部分遺体であったり、未だに遺骨が発見されておらず、骨壺に遺族が遺品を入れているだけのものであったりする。
惠應は毎日棚を訪れては手を合わせている。

震災から一年と少しが経った七月、北上に暮すお年寄りが手作りの小さなお地蔵さんのぬいぐるみを贈ってくれたそうだ。
八十体ほどあり、手縫いでそれぞれ表情が違う。
このぬいぐるみを骨壺の前に飾ったところ、訪れた遺族が「これは死んだ息子に似ている」とか「行方不明の母に似ている」と言いだした。
故人を小さなぬいぐるみに投影したのだろう。惠應はぬいぐるみを箱に入れて自由に持って行ってもらえるようにした。
遺族はそれぞれ故人に似ていると思うものを捜し出して家に持ち帰ったという。

惠應は次のように語る。

「いまでも、寺には市内外の方がお参りに来てくださいます。月日が経っても、震災のことを憶えていてそうしてくださる方がいるのは嬉しいことです。亡くなった方やご遺族は喜んでくれると思います」



あとがきを執筆している今は震災から三年が経とうとしているが、この先五年、十年、二十年などあっという間に過ぎていくにちがいない。
それが時の流れというものだし、そうすることによって人間は一歩一歩前に進んでいくものだ。

ただ、読者の皆様には、二〇一一年の三月十一日に起きた出来事をどうか記憶の片隅にとどめていただけたらと願う。生きたいと思いながらも歯を食いしばって亡くなっていった人々がいたこと、遺体安置所で必死になって働いて町を支えようとした人々がいたこと、そして生き残った人々が今なお遺族の心や生活を支えていること。
それらを記憶することが、これからの釜石、東北の被災地、そして日本を支えるものになるはずだと確信するからだ。

最後に改めて、震災で亡くなられたすべての方々のご冥福と、釜石の未来への歩みを心からお祈り申し上げます。

一月に出した新刊2冊の広告です。

『ニッポン異国紀行』は、NHK出版の福田直子さんと日本各地を飛び回り、在日外国人の生態を負った異色ルポです。
新書なんですが、紀行&ルポ形式で、約300ページとボリューム満点です。日本各地で出会った在日外国人も面白かったけど、ルポをしている最中の珍道中も思い出があって面白かった。
また、バタバタと取材したいなー。

『アジアにこぼれた涙』は、2011年12月で休刊となった『旅行人』に連載していたものです。
編集長の蔵前仁一さんからは、処女作を出す前から応援していただいていて、この作品も処女作以前の作品がたくさん盛り込まれています。僕にとっての、いわば「第二の処女作」です。
写真70枚付なので、写真紀行文みたいな感じです。


ニッポン異国紀行―在日外国人のカネ・性愛・死 (NHK出版新書 368)
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異郷で亡くなったら遺体は冷凍空輸される!?
夜逃げ補償つきの結婚仲介ってどういうこと??
タイ人ホステス御用達の「美女になる油」とは!? ――――
海外のスラムや路上を数多く取材してきたノンフィクションの俊英が、
在日外国人たちの知られざる生態を追って全国を駆け巡る。
そこに浮かび上がってきたのは、日本人も知らない、この国のもう一つの姿だった!
「グローバル化社会」「異文化交流」のスローガンが取りこぼしてきた
リアルな人間模様をすくい上げ、
新しい視点から、変容しつつある日本文化に光を当てた迫真のルポ。



アジアにこぼれた涙
アジアにこぼれた涙
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アフガントラックに絵を描く父子、
ジャカルタのゲイ娼婦、
インド、フィリピンのストリートチルドレン、
テロリストに息子をさらわれたイラク人。
アジアの底で生きる人々の希望と絶望を描き出した10の物語。

アジアの路上や売春宿やスラムで生きる人たちは、どんな涙を流しながら生きているのだろうか。それは、喜びなのか、絶望なのか、希望なのか。著者が海外で撮ってきた写真をふんだんに紹介しながら、アジア各地を歩き回るビジュアル・ルポルタージュ。『旅行人』に5年にわたって連載したものに書き下ろしを加えて単行本に。未発表写真70枚収録。

おば捨山伝説というのがある。

研究者たちの間では、おば捨山伝説は「伝説」にすぎないとされている。
昔話としては有名だが、実際にこういう山があったか否かが証明できていないのである。
なので、研究者の間では「伝説」にすぎないのだ。

だが、「山」はなくても、小屋などはあった。
年をとると、老人には「死の不浄」がつく。そのため、けがれたものとして、共同体から外され、老人専用の小屋に住まわされたことがあったのだ。
並列に述べていいかどうかは別にしても、インドには今でも「死を待つ家」のようなものがあるから、世界各地でこうしたものは少なからずあったのだろう。

(女性の場合「血の不浄」ということで、月経の時に「月経小屋」ともいうべきところに閉じ込められていた。それと似たようなものである)

ただ、先日、ちょっと面白い本を読んだ。
『老いと看取りの社会史』(新村拓、法政大学出版局)という本である。
この本の中に、次のようなことが書いてあった。

☆ ☆ ☆

人間が年をとって痴呆になると、知能の低下ばかりでなく、異常行動をするようになる。
徘徊や不潔行為をはじめとして、幻覚や幻聴による明らかに常軌を逸した行為をすることがあるのだ。

かつては、こうした老人が出ると、家庭は完全な修羅場になる。
ただでさえ、貧しい家が、この老人によって振り回され、崩壊してしまうことがあるのだ。

そのため、こうした異常行動をとるようになった老人を「鬼」とみなすことがあった。
家族は、老人が「鬼」になった、あるいは悪いモノに憑かれたと考え、村から離れた所に捨ててしまったり、殺害してしまったことがあった。
実際、近世の民話の中には、百歳を超えた老人が異常行動に出て、それを猟師が弓矢で殺害したという物語がある。

かつて老人がこのように「処分」されていたことがあったのだ。

☆ ☆ ☆

ざっと要約するとこんな感じである。

なるほど、と思った。

実は、こうしたことは今でも外国で行われている。
アフリカのタンザニアやコンゴなどでは、今でも時々老人が「魔女」とされて殺害されることがある。
ど田舎のアミニズムの中で暮らしている人たちが、老人を「魔女」として大量に殺害したというニュースが頻繁にあるのだ。
かつて日本で異常行動をするようになった痴呆老人が「鬼になった」とされて処分されたのと同じように、アフリカでは「魔女になった」とみなされて処分されているのかもしれない。

私たちは「鬼」とか「魔女」とかいうと、「なんだ、架空の物語の話じゃん」と思ってしまう。
だが、その裏にあるものを見つめると、簡単な言葉で片付けられないほどの現実が横たわっていたりする。

わかりやすい世界情勢によって世界を語るのも一つだろう。
目に見える銃撃戦、目に見える暴動、目に見える経済力などでオピニオンを語るのがその典型だ。
だが、実際はそれだけでは語りえないものの方が多い。
現地に足を運んで、人と接すると、つくづくそれを感じる。

それをクローズアップすると、絵空事と言われるが、人間一人に焦点を当てた時はそういうことの方が大きいのだ。
こうしたものを通して、人間あるいは世界を見つめてみるというのも、また一つだと思う。


追記
5月10日スタートの河出書房のWeb連載はこうしたことをテーマにしたものです。
お楽しみに。



老いと看取りの社会史
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先日、仲良くしている河出書房のT氏から本が送られてきた。
『コンドームの歴史』
古代から現代までのコンドームの歴史を書いたものだ。「石井さんなら絶対に面白がるはず」と言われた。
先日このブログでも書いたように、最近「下ネタ」にはうんざりしているので、「また、シモかよ」と思った。だが、もともとが助べえなので、すぐにページを開いて読み始めてしまう。で、読んでみたら、案の定、面白い。T君に「いやー、傑作だったよ」とメールする。下ネタ万歳である。

本を読んでいて、へぇー、と思ったのが、人間の体からつくったコンドームが存在したということだ。

時は、ローマ帝国時代。
ローマ帝国の兵士たちは、敵国に勝利すると、自分たちの強さを証明するために、「勝利のコンドーム」をつくったという。
捕えた敵の兵士の筋肉(あるいは、皮膚という説も)を引っぺがし、それにオイルを付けて柔らかくして、コンドームをつくるのだという。
いってしまえば、「人肉コンドーム」である。

いやはや、人間というのは、すさまじいことを考えるものだ。
このコンドームを使う側の兵士はいいだろうが、つかわれる女性の方は、たまったもんじゃないだろう。
最近の若い女性は「ナエル」という言葉をよく使うが、なえないわけがない。男ならヘナヘナ、女ならカラカラであろう。
少なくとも、僕は絶対につかえない。

ともあれ、コンドームはもともと避妊具というより、性病予防の道具だった。
おそらく、今だってそういう意味がつよいだろう。
欧米なんかでは、HIVの流行とともに、コンドームの使用率が高まっている。

面白いことに、この本によれば、HIVがはやっている国がコンドームを生産しているのだそうな。

たとえば、リベリアという内戦で有名な国が、コンドームの材料ラテックスの生産地になっている。
また、僕が別の本で読んだところでは、東南アジアのタイなんかがラテックスの一大生産地となっているらしい。

これらの国では、国内需要に応じての生産ではなく、輸出用としてつくっている。
だから、自国のHIV感染予防にあまりつかわれていない。
15年ぐらい前のタイのHIVブームは本当にひどかったし、リベリアの兵士の半数がHIV感染していたなんていう話もあった。
まぁ、いろんな要素があるのだろうけど、先進国が途上国から買ったコンドームで病気の予防をしている一方で、それをつくっている途上国で病気が広まっているというのは、ありがちと言えばありがちな不条理である。

コンドームの歴史を見た時にも、そういう不条理が垣間見えるのは、興味深いものだ。



コンドームの歴史
コンドームの歴史
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太平洋戦争のことで気になることがある。
戦争中、いったいどれだけ同性愛行為が行われていたか、である。

戦争が激化する前は、戦地へ赴く前に、父親が息子を花街へつれていって童貞を捨てさせるのが常だったそうな。
花街から遠く離れたところにある村では、年上の女性が筆おろしを手伝ったり、夜這いがその代わりをしたのだという。
だが、戦争が激しくなってくると、国がそれをとがめるようになった。

なぜか?

性病にかかる人間が増えたのである。
淋病などならともかく、梅毒なんかにかかると兵士として使えなくなってしまう。
赤紙が来て筆おろしをしたついでに梅毒なんかにかかってしまうと、兵役取り消しなんてことになりかねない。
そこで、国は出兵前の売春や夜這いを禁じたのだそうな。

どれぐらいの兵士たちが出兵前に童貞を捨てたのかは定かではない。
だが、十代後半から二十代の若者が、性の衝動を抑えることができるわけがない。
そのために生まれたのが、従軍慰安婦ということになるのだが、軍隊全体でいえば、従軍慰安婦を利用した人は一部でしかないだろう。
そう考えると、「それ以外はどうしていたのか」という疑問にたどり着く。
当然、仮説として出てくるのは、男同士でやっていたのではないか、ということだ。

実際、海外取材のついでに元兵士に話を聞くと、たいてい同性愛行為の経験を聞かされる。
上官が同性愛者で夜な夜な襲われたとか、それに味をしめた部下たちが仲間内でやりはじめたとか、そういう話である。
戦場というのは、実際はすごくヒマなところである。ドンパチが行われたとしても、数分ないしは数十分に過ぎない。あとは一日中ボーとしている日々だ。そんな状況では、ついつい男同士でつつきあいたくもなるのだろう。

と、考えれば、やはり太平洋戦争でも同じことがあったのではないか、と思う。
だが、なかなかその証言に出くわさない。ロシアや東南アジアのB、C級戦犯たちが、戦後白人たちに収容所で犯されたというような証言があるぐらいで、自分たちから積極的にやったという話がナカナカ見つからないのだ。
まぁ、太平洋戦争の負け戦のなかで、「実は戦場の隅で同性愛にふけっていました」とは言えるものではないだろう。

ところが、である。

去年の末ぐらいに手にした「女装と日本人」(講談社新書)という本に、ちょっとした記述があった。
それによれば、太平洋戦争が終わった後、1945年から1950年ごろにかけて、上野駅にたくさんの女装した男たちが売春している光景が見られたというのである。
当時、上野駅はその手のメッカとなっており、売春婦にまぎれて女装男性が立っており、春をひさいでいたらしい。
興味深いことに、そうした女装男性の中には、太平洋戦争の中でオカマをほられた人たちもまじっていたそうな。その時の体験をきっかけにして、女装男性として生きようと決めたのかもしれない。
僕自身、パキスタンの国境の町で、アフガニスタン戦争で兵士として働いている最中に、仲間の兵士からオカマをほられて「おんな」に目覚めて、パキスタンに逃げてきた後にヒジュラになったという難民に出会ったことがある。
おそらく、それと同じような経緯で、戦後の混乱期に女装した男娼になった元兵士もいたのだろう。

また、僕がとても面白いと思ったのは、45年〜50年の上野という時代&空間である。

戦争浮浪児がいたのも、まったく同じ時期なのである。
浮浪児たちは、朝鮮戦争が勃発して日本が豊かになるにつれ、警察によって捕まったり、追い出されたりして50年には街から消えてしまう。全国へ散らばってしまうのである。
女装男性たちもこれと同じだと言う。50年以降は各地に散らばり、それぞれの街でオカマバーをつくったり、温泉街で働くようになったりするのである。

僕はこの45年から50年の上野の群像に非常に興味がある。
海外取材の経験からいって、おそらく浮浪児たちは売春をしていたはずだ。その中には、男としての男娼ではなく、女装した男娼も混じっていただろう(世界のストリートチルドレンは9割がたそうしたことをしている)。
浮浪児と女装男性が入り混じり、さらに時代のなかで街から追い出されて消えていく過程というのは、なんともいえないドラマがあるように思える。

ちょっと前に、ある出版社で浮浪児についてやろうという話が持ち上がった。
テーマとして何か一つ足りない気がして放っておいていたのだが、あらためて、浮浪児だけでなく、女装した男娼なんかと絡めてみると、よりいっそう深みが出てくるような気がしてきた。
もし65年前に、オカマをやっていたような人間を見つけられれば面白いのだが、さすがに難しいだろう。今ならともかく、あの年代の人たちが自ら口を開くとは思えないし……

うーむ。

誰か、この手の情報を知っている人がいたら教えてください。

ともあれ、「女装と日本人」という本は非常に面白い。
前に、この著者が書いた共著の論文を読んで、「面白いことを書く学者さんだなー」と感心して、知り合いの編集者数人に「この人に書かせてみたら面白いんじゃないか」と言いまくっていたのだが、いつの間にか講談社現代新書になっていた。講談社メチエから共著で出しているので、たぶんその関係で新書に話がいったのではないだろうか。
ともあれ、これまでの小論文が一冊の本として形をなしたことで、とても有意義なものになったと思う。正直、去年僕が読んだ新書の中で、三本の指に入るほど興味深かった。
女装に興味もない人も是非読んでみてほしい。
(念のため、僕も女装それ自体にはまったく興味がない)



女装と日本人 (講談社現代新書)
女装と日本人 (講談社現代新書)
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むかし、僕が海外へ行き始めた頃、メールなんぞほとんどなかった。
そのため、日本にいる友人や恋人とやり取りする時はすべて手紙だった。
インドやミャンマーの田舎から出すと、3、4通に1通しか届かなかったものだ。ひどい時には郵便局の局員が手紙を渡したとたんに、印を押さずに目の前で、切手をはがしはじめたこともある(それを売って金にするのである)。
しかも、届いたとしても、2ヶ月後とか3ヵ月後。
ノートを破って恋人に手紙をしたためて満足して帰国したものの届いておらず、それから2ヶ月ぐらいしてようやくパラパラと届いて、恥ずかしい思いをしたこともあった。
今となってはよき思い出である。

メールが悪いというわけではない。
しかし、僕は手紙が大好きだ。なんつーか、味がある。
僕は、今でも手紙は大好きで、お礼状なんかはかならず手書きで書いている。たぶん、年間200通ぐらい手紙を書いているのではないだろうか? 現代人としては珍しいかもしれない。
ただ、出版業界の人は、手紙を書く人が結構いる。
僕がそうしているからかもしれないけど、新潮社の担当編集者はいつも独特の字で葉書をくれるし、講談社の担当編集者もこれまたすごーく独特な字を万年筆でしたためて送ってくれる。
そうそう、講談社の局長さんにお会いした翌日に、「当社で宜しくお願いします」という葉書が届いた時は恐縮した。たぶん、その夜に書いて送ったのだろう。僕のような若輩者にそこまで心配りをするのはすごいことだ。なかなか真似できることではない。

そういえば、手紙といえば、作家から頂いたこともある。梯久美子さんという方である。
読売新聞に書評を書いてくださったのでお礼の葉書を書いたら、数日後分厚い原稿用紙の束が入った封筒が送られてきた。
中をのぞいてみると、梯さんからだった。原稿用紙にペン筆(だと思う)であたたかい言葉が書かれていた。原稿用紙に筆といえば、谷崎潤一郎の原稿を思い出してしまうが、まさしくそんな感じで、内容ともどもものすごく素敵なものだった。
その一年後、梯さんが『世紀のラブレター』(新潮新書)という本を出していたのを見て、この方は手紙が好きなんだろうなー、としみじみ思ったものだ。
ちなみに、『世紀のラブレター』というのは、数十人の有名人が書き残したラブレターを紹介した本だ。女から男にあてた怖いラブレターから幼児回帰してしまったような政治家のラブレターまで盛りだくさんなので、興味があれば読んでみて下さい。

あれ、なんで「手紙」のことを書いたんだっけ。。。

そうそう、手紙についての本の企画をやることになったのである。
先日、光文社の担当編集者さんと、編集長さんに護国寺の酒屋に呼ばれ、「何か新しい企画をやれ」と言われた。
もし若い美女に囲まれて企画の相談をしていたら話も弾んだだろう。しかし、いかんせん男三人である。いい案がなかなか出てこない。
僕は鱈をつつき、焼酎を飲んで、おでんを頼み、また焼酎を飲み、そしてさらに焼酎を飲みつづけた。男三人だと飲まないとやってられない。編集長さんが「何でも飲んでくれ」というので、遠慮もへったくりもなく調子に乗ってどんどん飲んだ。飲みまくった。
ほどよく酔っ払ってきた時、ふと僕はわけのわからないことを言った。

「いやー、僕は最高の感動物語を一度やってみたかったんです。極上の純粋な人間ドラマです。そうだな、たとえば手紙をつかってやりましょう。感動の手紙……よし、遺書をやりましょう! 編集長、僕が遺書の代筆をします!」

なぜそんなことをいったのだろう。
実は「感動企画をやる」と勢いに任せて言った途端に、ふと『21世紀への手紙』(文春新書)という本が思い浮かんだのである。
1985年のつくば万博で「21世紀の手紙」という企画があった。そこで手紙をだせば、15年後に届くという企画だ。『21世紀の手紙』という本はその15年後に届いた手紙を集め、それぞれのエピソードを記したものだった。
末期癌の親が小学生の子供に当てて書いた手紙、親が障害児として生まれたばかりの子供に宛てた手紙……
僕は、これを読んで、ひじょーに感動した。思わず泣いてしまった。5歳で死別した親から15年後に「息子よ、私は末期がんの宣告をうけています。4歳のあなたは、今私の横で何も知らずに無邪気に遊んでいます。この手紙をあなたが読むとき、私はこの世にいないと思いますが、これから書き記すことに耳を傾けてください」なんて書かれていて、息子へのあふれんばかりの愛がつづられていれば、泣かない方がヘンである(この本は名作だと思う)。
僕は光文社の編集者と話をしていた時、ふとこの本の手紙を思い出して、「僕が死にゆく人々の遺書を代筆したらどうか?」と言ったのである。

死を目の前にした人には、いろんな思いがある。
余命宣告を受けた人でも、なかなか家族にいえないことがある。あるいは言い残したいことがある。
妻への愛、自分が犯した失敗、謝罪、原爆の思い出、心配、愛人や隠し子への伝言……おそらく、人の数ほど言いたいことはあるだろう。しかし、なかなか言えないし、言う機会がない。
そこで、僕が余命宣告を受けた人のところへいって、最期に立会いながら、そのドラマとともに遺言を「代筆」したらどうだろうと思ったのである。それこそ、人の心を打つことのできるものになるのではないか。
また、そこで出会う証言は、健康な「僕」の認識を壊すものになるかもしれない。僕が壊されるということは読者も壊されるということである。そうして、はじめて何かを考えるきっかけが生まれる。

で、ほとんどそれを言うだけ言い、そのまま小便をしに便所へ行った。
すっきりしてトイレから戻ってきたら、編集長が瞳をキラキラさせている。編集者も深くうなずいている。

「石井さん! それいい。是非やりましょう。僕がすぐに社内で話をつけます!」

編集長さんが、非常に盛り上がっているのである。
僕も焼酎のおかわりを頼み「いいですよ。絶対いきましょう!」と調子のいいことを言いはじめた。
で、翌日編集長さんが局長さんに話を通して実現が決まった。

(よく「出版とか連載の企画ってどうやって決まるんですか?」とたずねられることがあるが、大抵このような感じで決まるのだ)

まだ公表できないが、本日打ち合わせをしたところ、雑誌で何回かにわけてやることになると思う。かなり大きな雑誌である。
やるとしたら相当大掛かりなものになるし、ライフワークぐらいの覚悟でやりたいな、と思う。全身全霊をこめてやったら、非常に有意義なものになる。
できればシリーズとして何冊もやっていこうと話し合っている。今から楽しみである。

正式に決まればこちらで報告しますが、もし余命宣告を受けていたり、あるいはその関係者の方で(親族、医療関係者など)、このような企画にご協力してもいいと考えくださる方がいたら教えてください。
メールさえいただければ、相談ベースで企画の内容も含めて詳しいご説明いたしますので。

しかし、本日、光文社での打ち合わせの後、斜め前にある講談社へ行ったのだけど、こっちでも別の企画にGOサインが出た。なんと、「日本における障害者の見世物」についてである。昭和40年代から50年代にかけて社会的風潮で障害者の見世物たちがどんどん首を切られ、見世物自体が推定していったのだが、その衰退の歴史を障害者見世物にスポットをあてて行うのである。
今現在、何本の企画が進行しているんだ?と考えたら不安になってきた……
しかも、講談社の編集者は2カ月後ぐらいを目処に新雑誌「G2」でやろうと言いはじめている。マジかよ……
まぁ、とにかくやれるうちにやりまくりたい。やるぞ〜。うぉ〜りゃ〜。

世紀のラブレター (新潮新書)
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21世紀への手紙―ポストカプセル328万通のはるかな旅 (文春新書)
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「浮気は男の甲斐性だ」とか「不倫は文化だ」と言われる。
文字通りの<純愛>なんてかなかなか存在しないと思うが、実際はどうなんだろう?

生き物を調べて見ると、一夫一妻制のモノと、一夫多妻制のモノとは明らかな違いがあるのだそうだ。
わかりやすく、簡単な例を二つ紹介しよう。

その1 体の大きさ
動物は一般的に、一夫多妻の傾向がつよいほど、オスの体がメスよりはるかに大きくなる。また、角などの形態において、性的二型が大きくなる。
これは、オス同士がメスをめぐって戦いが激しくなるためである。
(一夫一妻の場合は、戦いがないので、身体的特徴が逆になる)

人間の場合、アウストラロピテクスの時は性的二型が大きかったが、ホモサピエンスなどになるにつれて性差は縮まってきているのだそうだ。
それを考えると、250万年前ぐらいを境に、一夫多妻から一夫一妻にゆっくりと移り変わり始めた可能性があるという。

その2 精巣の大きさ
一夫多妻の場合、精子間競争が起こるため、オスの精巣は大きくなる。
一方、一夫一妻の場合は、競争がないために、自然と精巣は小さくなる。

現在の人間の体重に対する相対的な精巣の大きさは、0.79。
現在の人間では、一夫多妻の生物ほど大きくはない者の、完璧な一夫一妻の生物よりは大きい。それを考えると、ある程度の精子間競争があったことがわかるらしい。

まぁ、他にもいくつかあるのだが、こうしたことを考え合わせると、次のことが導き出されるそうだ。

・人間はもともと一夫多妻制だったのではないか。

・人間は今もって複数の異性と交わることが前提で身体構造がつくられているのではないか。

と、すると、そもそも、人というのは<純愛>に適さない生き物だと言えるのかもしれない。
少なくとも、身体の構造だけを考えれば一生涯に一人のパートナーという想定にはなっていないようだ。

論より証拠。

20世紀前半までの世界における「配偶システム」を調べてみると、一夫一妻制より、一夫多妻制の方が圧倒的に多いことがわかるそうだ。
世界の社会を849にわけて、配偶システムを調べると、次のようになるらしい。

1位 一夫多妻 83%
2位 一夫一妻 16%
3位 一妻多夫 1%

一夫一妻制より、一夫多妻制の方が格段に多いのである。これもまた、現実なのだろう。
嗚呼、<純愛>よ、いずこへ。



追記
データは、『オスの戦略 メスの戦略』(長谷川眞理子)を参考にしました。面白いので読んでみて下さい。

オスの戦略メスの戦略 (NHKライブラリー)
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パレスチナでとんでもないことになっている。
戦車部隊がつっこんで、市街戦にまで発展しているという。まったくどうなってしまうのか。

しかし、「空爆」と「市街戦」とでは、闘う側の心理も天と地ほども違う。
「空爆」であれば罪悪感をほとんどともなわずに人殺しができるが、「市街戦」であればそうではない。兵士はすさまじい心理的プレッシャーを負いながら人殺しをしなければならない。

『戦争における「人殺し」の心理学』 (ちくま学芸文庫)という本をご存じだろうか。
僕はこれはものすごい本だと思っている。タイトルだけみると「うわっ、グロそう」と思うかもしれない。が、中身はそうではない。

この本の作者は膨大な兵士へのインタビューから「殺人を避けたいと思う人間心理」を兵士の中から読み取って、それを実際の戦争のデータに当てはめて検証していく。
たとえば本来は数発の十で人を一人殺せるのに、兵士の中に「殺人を避けたい」という心理がはたらくことによって、これが何十倍にもなって100発撃っても一人も殺せないなんていう状況も生まれるらしい。実際に、戦争でつかわれた弾丸と戦死者数を比べると、それが裏付けられるそうだ。

本書を読むと、人間はもともと人間を殺すことのできない生き物だということがわかる。
戦争映画や、一部の戦争報道、あるいは歴史の記録だけ見れば、人は戦争によってたやすく人を殺せるように錯覚しがちだ。実際に戦争を知らない人たちはそういうふうに描きたがるのだろう。
ところが、人間はそんな単純なものではない。
戦争では、たしかに人が人を殺す。しかし、人の中には人殺しをしたくないという心理がある。戦争というのは、その葛藤の連続なのである。

戦争に希望があるとしたら、この「葛藤」だけなのかな、と思う。
たぶん、いまパレスチナにいる兵士たちも、敵と面と向かった時、この葛藤にさいなまれているのだろう。こういうご時世だからこそ、今一度この「葛藤」について考えてほしいと思う。


追記
「迷子の警察音楽隊」というとてもいい映画がある。
エジプトのアラブ人警察官が、イスラエルの見知らぬ街に迷い込んでしまう。そこで、イスラエル人たちの温かさに触れる。
ただ、それだけの映画なんだけど、「国家と国家」と「人と人」とがまったく違うものであることを痛感する。よろしければ、こちらもDVDでご覧あれ。


戦争における「人殺し」の心理学 (ちくま学芸文庫)
戦争における「人殺し」の心理学 (ちくま学芸文庫)
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迷子の警察音楽隊 [DVD]迷子の警察音楽隊 [DVD]
出演:サッソン・ガーベイ
販売元:Nikkatsu =dvd=
発売日:2008-06-13
おすすめ度:4.0
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インフルエンザで倒れていた間に、またイスラエルが空爆なんかしている。
まったくどうなっているんだ、と思いながら、病身でセコセコと大掃除を開始。すると、机の裏から、DVDが30本ほど。

「はて、何だっけ」

そう思って見てみた。

アフガニスタンの少年兵が出てきた。
十二歳ぐらいの、男児か、女児かもよくわからないような幼い子供が数人現れて、敵の捕虜の首を生きたまま切断している。顔も丸映しだ。キレの悪い包丁で首を切っていくが、最後骨がうまく切れないらしく、ナタで何度もたたいた挙げ句に、足で骨をへし折って首を切断している。そして、まだ血が滴れるそれを胸を張ってかかげるのだ。

何年か前にアフガニスタンの武器商人のところへ行ったときに、購入したアルカイダの戦争激励DVDである。
こういうものをアングラ世界にバラばいて、戦争への意思を駆り立てて、人を戦場に送るのである。たぶん、同じような子供の闘志に火をつけたり、成人の兵士に対して「子供でもこれぐらいのことをやっているんだ」と知らしめるためにつくったビデオなのだろう。
我が家には、こういう「裏DVD」が山ほどある。アフガンでもイラクでもどこでもそうなのだが、戦争をしている国やその周辺には、かならずこうしたものが売っているのだ。パレスチナだって、人が自爆テロを行うまでの24時間を追った「自爆テロビデオ」なるものが山ほどある。
日本の茶の間には絶対に流れない、あるはほとんど報道もされない、「戦争感化メディア」。人々は子供のころからこうした映像を見ながら育ち、やがて自分もやるようになるのだ。

よく少年兵の話をすると、「あれだけは、かわいそうで見ていられない。助けてあげたい」という。
しかし、それは戦争を知らない人の言葉だ。少年兵ほど恐ろしいものはない。なんせ、死というものを何なのかほとんどわかっておらずに人殺しをしているのだから。
取材をしていてよく思う。大人の兵士なら全然怖くない。向こうが麻薬をやっていたり、集団心理になって興奮していなければ、話は通じるし、向こうだって人を殺そうなんて思わない。命の重さを知っている大人なら、誰だってできることなら殺したくないし、そうした現場を見たくないという思いがあるのだ。
ところが、子供というのは違う。命の重さをわかってない。だから、本当の「殺人鬼」になってしまうのだ。常に麻薬に酔っていたり、集団心理で興奮しているような状態なのである。だから、蚊でも叩くように平気で引き金を引くのだ。
そのため、僕はどんな状況にあっても、絶対に少年兵にだけは近付かないようにしている。遠くに見かけたら、すぐに身を隠し、Uターンしてしまう。それが町のど真ん中であってもだ。それだけ怖い。

そういえば、昔、何かのドキュメンタリ番組で見た。
アフリカのどこかの少年兵たちが、麻薬の代わりに、銃弾の火薬を食べているのだ。僕は火薬を食べて酩酊するのかどうかわからない。中毒性があるのかもわからない。
ただ、映像の中の子供たちは、弾丸の火薬を食べ、千鳥足になりながら、カラシニコフを撃ちまくっていた。銃弾が飛び交う中を普通に歩いて銃を撃ち続けるのだ。死の恐怖が微塵もないのだろう。

世界にはこうした子供が20〜80万人ぐらいいるんだそうな。
僕は生涯でそのうち100人ぐらいを目撃したけど、たぶん、みんなもう死んでいるだろう。少年兵の「狂気」を知っているぶんだけ、少年兵が死んでも人間が死んだとは思えない。機関銃を持った亡霊が消えた、としか思えない。これまた、不思議なものである。

少年兵について知りたければ、以下の本をぜひ一読を。

子ども兵の戦争
子ども兵の戦争
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時々、世界の路上生活者や物乞いについての参考文献はないのですかと尋ねられる。
正直に言えば、ほとんどない。驚くぐらいにない。まぁ、だから僕がそこに目をつけたということもあるんだけど。

ただ、あえて一点挙げれば、面白い体験談が書かれた本がある。
「乞食の子」である。ハードカバー版は表紙があまりにひどかったが、文庫になってすっきりした。
内容は、台湾の物乞いの子として生まれた人が、その半生を書いたものだ。後半部分の立身出世物語はありふれているが、前半部分の物乞いの体験談は圧巻である。

僕が一番リアリティを感じたのは、「精神薄弱者の母親」と「暴力的な盲目の父親」の関係だ。
盲目である父親が、精神薄弱者の母親を勝手に妻にして、ボンボン子供を産ませて、DVを行う。
正直、物乞いを取材をしていると、実にこういうケースが多い。「身体障害者の男」と「精神薄弱者の妻」という関係がありふれているぐらいあるのだ。どこの国でもそうだった。
障害者だって性欲はあるわけで、しかし障害のある物乞いがつかまえられるのなんて精神薄弱者の女性ぐらいしかいない。良くも悪くもそれが路上の現実であり、それがそうしたカップルが多くなる原因になっているのだろう。
ま、お互いが幸せだと思えれば、それでいいんだけど。

乞食といえば、以前ちらっと日本のホームレスについて何かやろうと思ったことがある。
が、なんとなくやる気がなくなって、来年の初めからHIVについて一本取材を開始することになった。
今年の初めにK社のIさんから連絡をもらって以来、毎回朝までお酒を飲んで何かやろうと話し合ってきた。それがうまい具合に実現することになったのだ。
さて、企画はどうするか。
先日、Iさんと深夜まで高田馬場ジャズバーでウダウダと話し合い、帰りのタクシーの中でふと思いついたのがHIVだった。ただ、HIVはHIVでも、切り口は従来のものとはまったく違うものになる。
来年からできる限りHIV患者へのインタビューをしたいと思っている。もし何かつながりのある方がいらしたらぜひご連絡下さい。企画の詳細など改めてご説明したうえで取材のご協力などをお願いしたいと思いますので。


乞食の子〔文庫版〕 (小学館文庫)
乞食の子〔文庫版〕 (小学館文庫)
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『発達障害と少年非行 司法面接の実際』という本がなかなか面白い。
その世界ではかなり有名な方なのだが、その人が書いた論文集が本書である。
テーマは、表題の通り、少年が発達障害を抱えた時、それがどのようにして犯罪に結びつくかということだ。

TVニュースや新聞のコメントなんかを見ていると、有識者はすぐに事件を時代と結びつける。
「この事件は現代の若者がゲームやネットによって生命の尊さを忘れている証拠」だとかいう。まったくバカバカしい。
偉そうなことをいう人は、なんだって時代と結びつける。時代と結び付けて結論をだせばすぐれた意見だと思いこんでいる。
しかし、時代ほど大きな概念はないだろう。「時代」なんて言えば、何だって当てはまるし、何だってもっともらしくなってしまうのだ。だが、実際はそんな広い概念をひっぱりだして当てはめたところで何の意味もなさない。
飛ぶ鳥を指さして、「あれは、鳥だから飛んでいるのだ」と言っているようなものだ。本来考えなければならないのは、その鳥がどのような種類で、どのような身体構造をもって、なぜ飛ぶのかを考え、説明することではないか。

僕は、事件についてもまったく同じだと思うのだ。
ひとつの事件が起きた時、「時代」のような大きな概念をもちだしてきて容易な結論をだすのはナンセンスだと思っている。
もしその事件について考えたいならば、個人を徹底的に分析して、その個人の中に何があり、それがどうなり、どのようなことにつながったのかを考えることだ。できるかぎり「個」につきつめていったところにしか、事件の真相はないと思う。

そういう意味では、この本はとても参考になる。
事件をミクロ的につきつめて考えていく。犯人の心の内面まで踏み込んで原因を見つけていく。
特に、発達障害という最近注目されている病理がどのように犯罪に結びついているかということを様々なケースから考えている。
僕がもっとも「なるほどー」と思ったのは、発達障害が「間接的」に事件に結びついているケースだ。
子供が障害をもっているがゆえに、そのまわりの生活環境がどんどん悪くなっていき、結果としてその環境が子供を犯罪に追いやるというパターンである。
たしかに、そういうことってあまり気づかれないけど、かなりあるだろうな、と思う。

ともあれ、この本は論文集だけど、実例がたくさん載っているので、とても読みやすい。
犯罪に興味のある人なら誰でも読めると思う。是非、一読を。

発達障害と少年非行―司法面接の実際
発達障害と少年非行―司法面接の実際
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大統領選挙に関する記事を読むたびに思う人もいるだろう。

一体、なぜあんなに中絶問題がクローズアップされるのだろうか……

ウィリアム・R.ラフルーアという研究者はこうした日米の違いを取り上げて、両国の間には中絶に関する決定的な考え方の違いがあるという。

大方の日本人は、中絶の是非について厳格な意見をもっていないだろう。
大半の人は「必要に迫れれば仕方ないじゃないか」というような認識ではないだろうか。少なくとも僕はそうだ。

が、アメリカでは異なる。いや、ヨーロッパだってそうだ。
キリスト教でも、イスラーム教でも、何かあればすぐに中絶の是非がまるで「〜主義」のように議論のテーマとなる。
これには様々な政治的な問題もたくさん含まれているということもあるだろう。だが、ウィリアム・R.ラフルーアさんは、政治問題は別にしても、やはり欧米人が考える中絶は、日本のそれよりはるかに厳格だというのだ。

たしかに寺院や教会をとって考えてもそうかもしれない。
欧米の教会は断固ととして殺生を禁じて中絶に反対論を示すところも多い。
が、日本の寺は殺生を禁じながら、一方で、水子供養などといって膨大な利益をそこからむさぼっている。

一体、なぜ日本だけが、こんなに特殊なのだろう?

ウィリアム・R.ラフルーアさんによれば、日本は「水子」という独自の概念をつくりだし、それによって中絶という行為を殺生、つまり殺人から切り離しているのだという。このために、日本では中絶に対する寛容さがあるのではないか、と。

たしかに……

日本には、世界でもまれな「水子」というものが存在する。
胎児の霊は「幽霊」でなく「水子の霊」なのである。つまり、人間の霊でなく、あくまでも胎児という人間とは異なるものの霊なのだ。そして、その霊はなぜか地蔵のように神格化してしまうことさえある。
日本人は中絶の問題を考える時、「人を殺している」とはあまり考えない。少なくとも、欧米人よりそういう意識が薄いように思える。それは、水子という概念をつくりだし、「そもそも中絶とは殺人とは別モノ」という立場をとっているからかもしれない。

とはいえ、これは、あくまで文化論的な捉え方にすぎない。
この本の著者は、こうした考え方ゆえに、日本ではかつてすごい数の間引きが行われていたという論を展開している。
ただ、僕はかならずしも、そういう話に直結するものでもないと思う。
たしかに水子という日本特有の概念があるのはたしかだろう。しかし、だからといって、日本の女性とアメリカの女性を比べて、日本の女性の方が罪悪感が薄いなんてことはないように思うのだ。ましてや、罪悪感がないからこそ、たくさんの間引きが行われていたなんて論はナンセンスであるように思う。
僕の回りには何人か中絶手術をうけたことのある人がいるし、むかし僕もそれに付き合ってあげたことがある(念のため言っておくが、僕が孕ませたわけではない)。
その時の話や体験を考えても、比較してどうのこうのということは言えないような気がするのだ。

ともあれ、ウィリアム・R.ラフルーアさんの日本文化論はナカナカ面白い。
今回紹介したような話は、「水子―“中絶”をめぐる日本文化の底流」という本に載っている。
かなり極端な意見もあるので、学術本としては難点があってあまり話題になっていないようだが、一般読者が外国人が書いた日本文化論を読むという意味ではとてもいい本だと思う。
興味あれば読んでみてください。


水子―“中絶”をめぐる日本文化の底流
水子―“中絶”をめぐる日本文化の底流

「月刊PLAYBOY」10月号は、「人生が変わる旅の本100」だった。
ペラペラとめくってみると、本当に懐かしい本がでてくる。僕は「旅の本」と気にとめてまとめて読んだことはない。基本は濫読なので、折に触れて読むぐらいだ。それでもタイトルを写真とともに並べられるとドキドキする。

掲載されているものの中から適当に紹介する。

僕が生まれて初めて「旅の本」として読んだのは、指揮者小澤征爾の『ボクの音楽武者修行』だ。
これは、僕が小学生か中学生の時に、母親に勧められて読んだのだ。
小澤征爾が一流の指揮者を目指して欧州へ渡り、コンサートを渡り歩く。コンサートからコンサートへいく途中の電車の中で楽譜を見てそれを全部頭に叩き込んでしまう。そうしてコンサートでタクトをふって喝采を浴びたり、コンクールで一位を取ってしまったりする。
天才が天才として認められていくまでの青春の記録がそこにある。
これを読んだ時は、子供ながらに「天才の成長期」に感動したものだ。

ボクの音楽武者修行 (新潮文庫)


平尾和雄さんの『ヒマラヤの花嫁 (中公文庫 M 184)
』と、近藤紘一さんの『サイゴンから来た妻と娘』は同時期に読んだ。高校生の頃だったか。
前者は著者が旅の途中でヒマラヤの山岳部に暮らすネパール人女性と恋に落ちて結婚しロッジを経営しながら現地に溶け込んでいく話、後者はベトナム戦争中に日本人記者の著者が陥落寸前のサイゴンで現地の女性と結婚し日本へ移住する話だ。
作品の空気は異なるものの、著者が現地の女性と結婚し、やすやすと現地社会に溶け込んでいく姿にあこがれた(本当は「やすやす」ではなかっただろうけど)。自分はきっとそうはできないだろう。そう思っていたからこそ、なおさら羨ましく思った。

サイゴンから来た妻と娘 (文春文庫 こ 8-1)


高校生の時に読んだ辺見庸さんの『もの喰う人びと』、宮本常一の『忘れられた日本人』。
この二冊は、僕をノンフィクションの世界に引き込んだ本だ。十代でこの本と出合っていなければ、僕は絶対に今のようなことはしていなかった。
ついでにいうと、僕をノンフィクションの道にすすめたもうひとつの本は『異人論序説 (ちくま学芸文庫)
』という本だった(これは旅の本ではなく、民族学の本)。
高校生の時にこれを読んでから民俗学、人類学、宗教学に興味をもち、その関連の本をむさぼり読むようになって、フィールドワークを知り、憧れ、学び、やってみようと思ったのだ。
大学に入ったばかりのころ、この「マイブーム」のせいで、彼女と一週間旅行している間、一言もしゃべらずにひたすら柳田國男全集とフレイザーの『金枝篇』の読破にいそしんだおかげで、最終日にふられたのを憶えているなぁ(笑)。

もの食う人びと (角川文庫)


忘れられた日本人 (岩波文庫)


開高健の旅行記を読んだのもこの頃だっただろうか。
その前に一連の小説を読んだ時はたいして思わなかったのだが、旅行記を読みだしてその文体と洞察力に圧倒された。ちょうど初めて文章というものを書き始めたときだったから相当へこたれた。
けど、今はあの人が「釣り」と「戦争」に没頭してくれたことをホッとしている。もし彼がノンフィクション作家だったら、もう誰一人として海外ノンフィクションなんてできなかっただろうと思う。

開高健と双璧をなす人物といえば、やはり金子光晴だろう。『どくろ杯』『マレー蘭印紀行』だ。
昭和の初期の臭いが半世紀以上たった今もプンプン臭う。たぶん、時がたてばたつほどいい臭いになっていくだろう。100年後も200年後も読者がつくだろうと想像できるような本はなかなかお目にかかれるものではない。

オーパ (集英社文庫 122-A)


どくろ杯 (中公文庫)


今回の特集では紹介されていなかったけど、僕は加賀乙彦の『頭医者 (中公文庫)
』シリーズも旅の本としては傑作だと思っている。
著者が精神科医として大学を卒業し他、フランスへ留学し、そして処女作の題材を見つけるまでの記録である。
笑いあり、涙ありの、隠れた傑作だと思う。是非、読んでほしい。

ともあれ、改めて考えてみると、「旅の本」というのは特別なものだ。
何がいいって、「青春」なのだ。青春には、死と性と生の香りがプンプンしているものだ。
『ボクの音楽武者修行』にでてくる小澤征爾も、『頭医者』シリーズにでてくる加賀乙彦もまだ無名の時代。だからこそ、泥の中でピカピカと宝石のように光りながらガムシャラに努力して浮き上がろうとしている姿がある。
『もの喰う人びと』『忘れられた日本人』『オーパ!』、いずれも芥川賞作家、民俗学の巨人となってから書いた本だが、旅の中で彼らは地位も名誉も捨てて泥だらけになって苦しみ、悩む。
『ヒマラヤの花嫁』、『サイゴンから来た妻と娘』の著者たちは、ひたすら現地の中で汚れながら文化とまじわり、まじわれず、くっつき、はなれる。

これ、すべて年齢を問わない作者の青春である。
プライドも名誉もかなぐり捨てた泥だらけの青春である。
そして、その青春にこそ、本音の人生がある。

旅の本の醍醐味というのは、著者とともに読者がそれを共有できることだと思っている。

先日、「戦場の現在」(加藤健二郎)という本を出版社の人にもらって読んだ。
15年以上、戦争現場で仕事をしてきた人がその体験をもとに「戦争の裏話」を書いている本である。

このなかに、面白い一節があった。
著者の加藤さんがチェチェンで取材をしていた時、脱出不可能な包囲網をくぐって逃げた人々がいた。
どうやって逃げたのか不思議に思っていたら、敵であるロシア兵に包囲された時、チェチェン人たちはロシア人に「賄賂」を渡して逃してもらっているという話につきあたった。「包囲網からの脱出は十〜二十万ドルが相場だろう」ということである。

これを受けて著者は次のように書いている。

「戦場で戦い続ける戦士たちは、平和な日本に暮らす人々とは別物のような人たちだと思われることが多いが、人間の欲求は似たようなものなのだ。金で命を失わずに済むのならそのほうがいいし、それは包囲している側のロシア兵も同様で、無駄な戦闘は避けたいという気持があったのだろう」

戦争というと、生きるか死ぬかの過酷なシチュエーションばかりがとりあげられる。
テレビ報道なんかを見ていると、ロシア人は何が何でもチェチェン兵を殺そうとしているように見えるし、チェチェン人は最後の一人になるまで徹底抗戦する意思があるかのように見える。
しかし、現場にいってみると、包囲されても、敵にお金を払って逃がしてもらうような「ドロドロの人間臭い喜劇としての現実」がある。
僕の体験でいえば、前線で兵士は敵対しているのに、お互いの国の娼婦は味方の国と、相手の国との前線を行き来して二股かけて商売をしていた。
兵士に「戦線」はあっても、娼婦には「ボーダレス」なのだ。
なので、前線にいる兵士は味方側の娼婦とも、敵側の娼婦とも遊べるらしい。支払のお金はどっちの国のものでもOKだそうだ。ドルが一番喜ばれるみたいだけど。

なんつーか。僕はこういうフザケタ現実が大好きだ。


戦場の現在(いま)―戦闘地域の最前線をゆく (集英社新書)


何年か前に、防衛庁のキャリア組の人と知り合った。
その人は、防衛庁に籍を置きながら大学院で勉強をしていた。

何を研究しているのかと尋ねたところ、その人はこんなことを言っていた。

「日本が中国へ攻め込んだ時のシュミレーションを研究しているんです。特に日本がチベットに入った時のことを博士論文でまとめようと思っています。チベットは標高が高いですよね。おそらく自衛隊がチベットに入れば、高山病が大きな問題になると思うのです。それによって戦争の方法が変わると思うんです。それをどうすればいいかを研究しているんです」

自衛隊がチベット遠征……
その時は、「うーん、税金つかってそんなこと研究されてもなー」なんて思った。

ただ、よくよく考えると、戦争って「戦死」するのと同じぐらい「病死」が多かったりするのだ。
いや、むしろ戦闘死より、病死の方が多い場合があるのだ。前に、太平洋戦争中に軍医をしていた人のインタビューをテレビで見た時、「戦闘で死ぬより、マラリアや栄養失調で死ぬ人の方がずっと多かった」と言っていたっけ。

つい先日、「旅と病の三千年史」という本を読んでいたら、戦争における戦闘死数と病死数の比較が載っていた。

クリミア戦争
ロシア 戦闘死数4万人  病死数9万人
フランス戦闘死数2万人  病死数7万人

ボーア戦争
イギリス戦闘死数6千人  病死数1.1万人

日露戦争
ロシア 戦闘死数3.1万人 病死数8千人
日本  戦闘死数5.8万人 病死数2.2万人

これを見ると、20世紀の初めまでは、戦争において戦闘で死ぬ人の倍以上も病死していたことになる。
日露戦争でようやく病死者数より戦闘死者数の方が多くなるものの(医学の発達によるものだろう)、戦争の形によっては病死数の割合は高まるに違いない。
おそらく先の太平洋戦争における地上戦や、ベトナム戦争のようなゲリラ戦では病死数はかなり多いはずだ。

戦争というと、なんだかドンパチやって人が死んでいくことばかりが思い浮かぶ。
また、そうやって死んだ方が「名誉」と見なされるので、病死や事故死は隠ぺいされる傾向にある。
しかし、ちょっと観光旅行へ行っても下痢をしたり感染症にかかったりするぐらいなのだから、極限状態で戦争などやれば病死する人はすごい数になるはずだ。

戦争における病死が注目されることなんて、まずないとは思う。
でも、だからこそ、軍医なんかに実態を証言を集めたりすれば、いわゆる戦争とはかなり違った視点での「戦争」を見ることができるのかもしれないとも思う。


旅と病の三千年史―旅行医学から見た世界地図 (文春新書)

世界の肥満度を測った統計というのがある。
日本は世界でもトップクラスの「痩せ大国」である。
一方、面白いことに、アフリカの貧しい国々は、肥満大国アメリカとほとんど変わらないぐらいの肥満度だったりする。
日本の何倍もの「肥満度」だったりするのだ。

なぜだろうと考えてみる。
体質とかいろんな問題があるだろうが、ちょっと前に話題になった『貧困大国アメリカ』という本があった。
この中に、「貧しいからこそ肥満が増加する。貧しければ食生活のバリエーションをつくれない。安くてカロリーだけがあるジャンクフードばかり食べることになる。それゆえ、貧しければ貧しいほど太ることになる」というような趣旨の話が載っていた。
なるほどなー、と思った。

ちょっと状況は違うけど、途上国のスラムで暮らしていると、貧しい人たちが肉しか食べていないことに気が付く。
朝から晩までひたすら肉しか食わないのだ。野菜のビタミンなんかはビタミン剤でまかなってしまう。お金がないから、カロリーの高い肉だけ食べて、カロリーがあまりない野菜などは錠剤で補ってしまうという考え方なのだ。
それゆえ、スラムの住人といえども、ぶくぶくと太っていく。おかげで、アフリカのスラムには肥満の人ばかりで足の踏み場もない。

先日、ある原稿のためにそんな話をだらだらと書きながら、なにげなく「性風俗史年表 明治編」という本をめくっていた。
これは明治期の性に関する事件などを年表にして記した本で、各ページに参考資料として様々な明治期の女性のヌード写真などが載っている。ほとんどが当時の娼婦の写真である。
それを見ていて思ったのだが、明治時代の娼婦、つまり貧しい女性なのに、あきらかに今の日本人女性よりも太っているのだ。骨太というのもあるかもしれないが、全体に肉がついてふっくらして見える。
それを見て、ふと「日本も貧しかった時、食生活の片寄りから太った人が結構いたのかもしれない」と思った。

たぶん、貧しい国の人は痩せている、というのは間違った固定観念なのだろう。
食べ物がなければ痩せるだろうが、まったく食べ物がないという状況は起こりにくいものである。自然の動物もいれば、果物もある。飢餓状態なんていうのは、まず起こらないものだ。
であれば、場合によっては、貧しくて痩せるより、貧しくて太る人いる方が可能性として高いといえるのかもしれない。

いずれにせよ、貧乏⇒痩せ、金持ち⇒デブ、といった考え方が、必ずしも正しいわけではないことは事実だろう。

ルポ貧困大国アメリカ (岩波新書 新赤版 1112)


性風俗史年表 明治編―1868-1912

名前というのは、本人にとって大きなものだ。
変な名前をつけられると、あとあとまでコンプレックスになる。
実際、僕の知り合いにも名前コンプレックスをもっている人は意外にいて、そういう人はかならず初対面の時に「自分の名前が嫌いでね」というような言い方をする。そして自分の親への恨みをこぼすのである。
何度そんな愚痴をこぼされたことか。

これは僕の全くの偏見だと思うが、どうにも名前が嫌いだという人は女性が多い。
少なくとも、僕は男性が自分の名前がいやだといって愚痴をこぼしたのをみたことがない。
そして名前が嫌いだという女性は、たいていその話の中で、その名前をつけた親についての文句をいう。「こんな名前をつけやがって」みたいな言い方をするのだ。
名前が嫌いで親を恨んでいるのか、親が嫌いでその親がつけた名前を恨んでいるのか知らないが、僕自身の経験だけでいえばそうなのだ。
(僕はひそかに後者ではないかと思っているのだが)

そーいえば、むかし『スローなブキにしてくれ!』という青春映画があった。
あの映画でも、主人公の不良少女である浅野温子が口癖のように「あたい、自分の名前が嫌いなんだ」といってたっけ。映画の中での娘と母の仲もとてもわるい。
これなんかも、「名前ぎらい」と「親ぎらい」が一致した例なのかもしれない。

名前といえば、僕はむかしから黒人の名前が変わっているにを不思議に思っていた。
『人名の世界地図』(文春新書)なんかを読むと、その理由がわかる。奴隷制度があったとき、白人が黒人にわざと奇妙奇天烈な名前をつけたんだそうだ。
たとえば、奴隷に対して「プリンス(王子)」や「キング(王)」なんて名前をつけてからかっていたんだとか。そのおかげで、今でも黒人には英語の妙な名前が多いのだという。
こんな黒人たちも、やはり白人を恨んでいるのだろうか。
しかし、今なお「プリンス」「キング」なんて名前が結構残っているのを見ると、まんざらでもないのかもしれない。

ちなみに、僕が知った風変わりな名前ベスト1は、「三んト」君である。
親は考え抜いてつけたのかもしれないし、本人も気に入っていたりしたら申し訳ない。
けど、もし僕が「石井三んト」だったら辛いな〜と思う。辛いというのは、一々説明しなきゃならなくなりそうなのでいやなのだ。
やはり一発で覚えてもらって、それなりにいい名前であるのが一番なような気もするが、いかんせんこればかりは親のセンスになるのでなんともいえない。やはり、日本語のセンスというのは大事だと思う。

もっとも、これからはこうした近未来的(?)な名前が主流になるのかもしれない。
「三んト」君のような名前が9割ををしめて、「由紀」とか「加奈」といった名前が古臭い名前になる。
こうなったら「三んト」君は自分の名前を誇りに思って、後者のような名前の人が劣等感をいだくのかもしれない。
名前なんて、その時代の流行によってつけられるものだから、それが当然ではある。そういう意味では、「変」だと思う僕の方がおおいに間違っているということになる。

ともあれ、僕は自分の名前を気に入っている人に会うのは大好きだ。
自分の名前を気に入っている人というのは、なんだか家族と仲が良いような気がして感じがいい。

自分の名前を気にいっている人は、いろんなところに何気なく名前をだす。
たとえばメールにフルネームで自分の名前を書いたりする人は自分の名前を気に入っている人であることが多い。
タイトルに「石井です」じゃなく、「石井光太です」とかそういうふうに書くということだ。自分の名前に誇りをもっているからそう書けるのだろう。しいては、その名をつけた親にも感謝の気持ちがあるのだろう。だから、そういうのを見るとうれしくなる。

他には、メールアドレスに自分の名前をもじった文字をつけたりする人がいる。
「光太」だったら「high light」とかにするということだ。こういうのも、自分の名前に誇りをもっているからできるのだろう。
メールアドレスを見ているだけでうれしくなる。

僕自身はといえば「光太」という名前を気に入っている。
最近は「こうた」という名前がずいぶん多くなったが、僕ぐらいの年齢の人ではなかなかいない。
また、「浩太」「康太」などはいるが、「光」での「光太」は少ない。だから、ありふれているわけではない。ユニークである。
そういえば、我が家のとなりには芸大の教授の絵描きが住んでいた。その人は高村光太郎の弟子だったらしく、僕の名前を見て同じ「光太」だといって喜んだらしい。そのせいで、なんとなく、今に至るまで高村光太郎が身近に感じられる。
これもまた、名前からうけた恩恵だろうか。

このように、名前一つとっても、いろんなものが見えてくる。
そういう意味では、僕は「苗字」よりも「名前」の方が好きだ。苗字はどうにも学術的な話になってしまうが、「名前」にはいろんなドラマがある。なんつーか、それがとても気になる。

人名の世界地図 (文春新書)

僕はけっこう相撲が好きだ。
テレビをつけてやっていると、思わず見てしまう。
昔、卒業式の日が千秋楽で、卒業式に出席するか、千秋楽を見るかで悩んで、結局卒業式をサボって千秋楽を見ていた記憶がある。

先日、『力士の世界』(文春新書)という本を読んで面白いことを知った。
実は、小結、関脇、大関の三役の呼び名の由来がわかっていないそうなのである。
相撲というのは、神事だったころからつづくもので、意外にも色んな名称の由来が不明のままだったりするそうである。

また、懸賞についての面白い話もあった。
そもそもの始まりは、勝者が弓、矢、弦を褒美にもらうものだった。
それが、ソバや米の商品券や目録になり、やがて今の現金になったのだそうだ。
ソバや米の商品券なんてもらっても使い道がないだろうにと思うが、おそらく部屋に寄付して弟子たちの食費となっていたのだろう。
ちなみに、今の懸賞金は六万円。税金など諸々引かれて手に入るのは一本の懸賞につき三万円だそうだ。さらにいうと、横綱の年収は大体一億円らしい。

僕がこの本を読んで一番、おお、と思ったのは横綱についてである。
常識では、横綱が相撲取りの最高位である。いわずとしれたNO1である。
しかし、本来は大関が最高位なんだそうな。大関が最高位で、その大関たちの中でもっとも「技量・品格に優れた大関」を横綱と呼んでいたのだという。
その名残は今でも残っていて、大関とその一つ下の関脇の待遇の違いは天と地ほども違うそうな。それは、もともと大関が最高位だったためらしい。そういわれてみると、大関の桁違いの待遇の理由がわかってくる。

来年、新書の企画を一本やるので、最近仕事関係の本とは別に一日一冊新書を読むようにしているのだが、新書の面白さというのは、難しい論考云々よりも、「豆知識」を得ることにあるのではないかと思っている。

そーいえば、今日電車の中で読んでいた「名字と日本人―先祖からのメッセージ」も豆知識として面白かった。

ま、とはいっても、やはり理想は古典的名作「バナナと日本人」なんだけどね。


力士の世界 (文春新書 603) (文春新書 603)


名字と日本人―先祖からのメッセージ (文春新書)


バナナと日本人―フィリピン農園と食卓のあいだ (岩波新書)

文藝春秋社から「物乞う仏陀」の単行本が増刷されると言われて本が届いた。
すでに文庫化しているのに、単行本が増刷されるというのは、不思議なことだ。
「深夜特急」みたいな永遠のベストセラーじゃあるまいし、文庫があるのにわざわざ単行本を買う人なんているのかな、と心配してしまう。
ただ、先日ある人から聞いたのだが、「本はハードカバーじゃなきゃダメ」という人もいるそうだ。そういう人向けの増刷なのだろうか(まさかなぁ)。
しかし、この増刷の冊数が意外に多い。そんなにハードカバーファンがいるのかなと思ってしまう数であるが、まぁ、増刷したらした分だけお金が入ってくるので、僕は得することはあっても、損することはない。なので、全然問題はないのだけれど。

ハードカバーの本といえば、ちょっと前に『戦場から生きのびて−ぼくは少年兵士だった』という本をもらった。
アフリカのシエラレオネの内戦の中、誘拐されて少年兵になった子供が自分の体験を書いた本だ。
洗脳される前から殺人を犯していた頃のことや救出された時のことを事細かに書いてある。少年兵が生き延びて、なおかつ自分の筆でその体験を客観的に書けるようになるのは、奇跡のようなものだ。そういう意味でも、とても貴重な本だと思う。

こういう本を読むと、証言ノンフィクションというのは実につよいなと思う。
外部の人間がいくらがんばって取材しても、内戦で生活を破壊され、誘拐されて洗脳され、少年兵士たちがどういう思いで人殺しをしているのか、なんてことは書けない。
予算的にも、期間的にも無理だし、そもそもそんなことをしたら90%以上の確率で死ぬに決まっている(実際少年兵のほとんどは死んでいるわけだから)。つまり、奇跡的に生き残り、奇跡的に立ち直り、奇跡的に教育をうけ、奇跡的に機会を得た者にしか書けないものなのだ。

これはシエラレオネの本に限ったことではない。
日本だって犯罪者や犯罪被害者の証言ノンフィクションというものがある。
ちょっと有名な事件になれば、すぐに手記やら何やらというものがでて反響を呼ぶ。実際読んでみると、覗き見趣味的な面白さがあったりする。実際に普通に作家やら記者やらが書いたものよりも面白いことがしばしばある。
僕の周りには「下手な小説を読むよりノンフィクションを読む方が好き」という人がいるが、それと同じ理由で「下手なノンフィクションを読むよりも、告白本を読む方が好き」という人も多いだろう。

しかし、ここ数年出版された告白本とか体験本を思い浮かべてみると、あまり面白いものが浮かんでこない。
なぜかと考えてみると、最近どうにもこういう告白本がどれも似ているように思えるのだ。
もしかしたら、告白本とか、体験本というジャンルにも、また「ひな形」のようなものができつつあるのかもしれない。
だから、告白本を書けとか、体験本を書けといわれたら、著者はその「ひな形」に自分の体験や意見を当てはめて書くようになるのではないか。その結果、どれも似たようなものになり、結果として面白さが失われてしまうように思える。

僕はこれの典型が「旅行本」だと思っている。
巷に流布している旅行本ってどれを読んでも同じように旅行をして、同じような体験をして、同じようなことを書いている。
みんな椎名誠さんであり、沢木耕太郎さんであり、蔵前仁一さんなのだ。こういうふうに旅をして、こういう体験をして、こう書くという「ひな形」ができあがっていて、それをなぞることしかしない。だから全部同じに見える。違いといえば、イラストつきなのか、写真つきなのか、漫画つきなのか、ぐらいだ。
たぶん、これと同じような「ひな形」の波が、告白本とか体験本というジャンルにも押し寄せているのかもしれない。

なんだか、話がそれてしまった。
『戦場から生きのびて−ぼくは少年兵士だった』という本も、ある意味ひな形にはめられていると言えなくもないけど、それでも型破りの証言&体験が最初から最後まで書かれているという意味では、とても興味深い本である。

戦場から生きのびて ぼくは少年兵士だった

僕の本を読んだ人が抱く否定的な感想というのは、大体以下の二つになる。
これまでメールでも何件が問い合わせがあった。なので、ちょっとここで答えたいと思う。


>旅行している時、言葉の問題があると思います。
>本ではスラスラ書いていますが、実際はそうならないはずです。
>そこが疑問です。

これは、こんどメールマガジンに細かく書く予定だ。
ただ、ちょっと触りの部分だけ言うと、バラバラの言葉をどうやってまとめるか、というのが「書く」という技術でもある。

週刊誌のインタビューを思い描いてもらいたい。
たとえば10月に僕は「週刊現代」でインタビューを受けた。その記事では、僕が一人称で語っているように書かれている。
しかし、実際は、その場には僕の他に、フリーライター、講談社の編集者、カメラマン、新潮社の編集者、新潮社の宣伝部の方がいた。みんながバラバラにしゃべって、そのなかで僕がそれについて相槌をうったり、説明をしたり、編集者が補足説明をしたりしている。
だが、こうしたことをすべて時系列にまとめたら記事にはならない。そんな「事実」を書かれたら、読者は誰が何を話しているのかまったくわからなくなるだろう。
だからこそ、ライターはそこでの発言をすべてまとめて、僕の一人語りとして記事を作成する。僕が話したことを少し変形させ、人が話したこともまじえ、「僕の言葉」として描くのである。
つまり、記事というのは一つの事実を一度<再構成>して読みやすくするように形を変えたものなのである。
そして、それをどうやってうまく<再構成>できるかが、そのライターの「技量」ということになるのである。
(実際、一言一句同じもの、時系列どおりのもの、というのは存在しない)

これは海外ルポにしてもまったく同じことだ。
本のなかでは、僕がいて、取材対象者がいる。しかし実際はそれだけじゃない。通訳もいれば、近隣の住人もいるし、タクシー運転手もいたりする。みんなが勝手に思ったことを話したりやったりする。英語もあれば、現地語もあるし、ジェスチャーもある。
しかしそれを全部書いていても記事にはならない。誰がどう訳してくれて、どのジェスチャーが何を意味していたかなんて書いたら、読み手は何がなんだか理解できない。
だからこそ、余分なところを全部排除していって<再構成>し、僕と取材対象者の関係を浮き彫りにする。これが記事になる。

つまり、書くという方法は、このように一つの出来事を読者が理解できるように、あるいは読者にテーマがつたわりやすくするように描くものなのだ。それをしなければ、そもそも記事として成立しない。
これは書き手にとってみれば、当たり前のことである。

もちろん、そうした書くという作業の裏側を知らなければ、「一体何ヶ国語話せるのか」という疑問を抱のは当然だ。
ただ、上記のことを理解していただければ事情をわかってもらえると思う。
「書く」ということは、書き写すことではなく、「描く」ことなのである。

※これ以上細かいことはメルマガで書いているので、興味のある人はそちらをご参照ください。


>とても小説的に書かれていて物語風でした。
>どこからどこまでが本当なのか疑問です。

こちらも時々訊かれることだ。
珍しい書き方なのでそう思うのだろう。

つうか、こういう話を聞くと、「その気なら小説書いてるよ」と思う(笑)。
そもそもノンフィクションなんて書くだけで数百万円の赤字である。メルセデスベンツ一台買えるぐらいの赤字である。そんな大金をはたいて、命の危険を冒してまでフィクションを書くバカがどこにいるのだろう?
どうせフィクションを書くなら、「フィクションだ」と最初から宣言して、取材費もかけず、危険もおかさず、日本の書斎で筆だけとっていた方がいいに決まっているじゃないか。

と、まぁ、そんなふうに憤慨しても仕方ないのでちょっと説明しよう。

前にもチラッとブログで書いたが、要は書き方の問題である。
事実をどう料理するかということが、「書く」という作業なのである。
前にテレビの例をだしたが、それをもう一度書こう。

たとえば、あなたが旅行をして、人と出会い、別れたとする。
ここに一つの体験としての事実の塊がある。
しかし、その体験を表現する方法は何千通りとある。たとえば次のような例を出したい。

 崗霰大陸」として人を追ってみる
◆屮廛蹈献ДトX」として紹介する
「報道ステーション」の報道にする
ぁ崢まで生テレビ」で討論してみる

どうだろう?
すべて事実の話である。
しかし、事実は事実でも、それをどう構成するかで、我々の目に映る形がまるで違う。
ある方法をつかえば事実が物語にもなるし、ニュースにもなるし、討論にもなるのだ。
そして作り手というのは、何を訴えたいかによって、作り方を変えるのである。

たとえば、「人の一瞬の輝き」を描きたければ,最良だ。い任賄底描けない。
「人間ドラマ」を描きたければ△いい。にしてしまったら味けのない説明になってしまう。

わかっていただけただろう。
事実というのは事実としてある。しかし、それをどうやって構成するかによって、まったく形が変わるのだ。
そして、これこそが「描く」という作業なのだ。
僕は『神の棄てた裸体』を書いた時、テーマを<それでも人を愛さずにはいられない人>としていた。さらに、それを疑似体験させるような作品にしたかった。
そうするには伝記的な形でもダメだったし、新聞報道的な書き方でもダメだった。そういう方法では絶対に描ききれないと判断した。それで考え抜いて小説風の描き方にした。だからああなった。ただそれだけの話である。

(今でも憶えているが、原稿自体は2006年の12月頃に提出する予定だった。最初はいわゆるノンフィクション的な方法で書いた。しかし、どうしても僕の意図通りにならなかった。登場人物の「心」が浮き彫りにならないのである。それで12月に担当編集者から原稿催促の電話をもらった時、考え抜いて「もう数カ月待ってほしい。全面的に書き直す。これまで書いたのはすべてボツにして、吉行淳之介がやったような性の描き方に全面変更したい。そうしなきゃテーマがつたわらない」といって提出を2007年の春まで遅らせてもらった。この時、徹底的に文学的な書き方にしようと決心したのだ)

僕は「ノンフィクション」という形がこれまでとても狭い意味合いでしか使われてこなかったと思っている。
本当にいくつかの方法論だけをもって「ノンフィクション」といっていたように思える。
だからこそニッチな分野としてニッチな人たちに支持されることに成功したんだろう。

しかし、テレビでいえば「情熱大陸」だって、「プロジェクトX」だって、「報道ステーション」だって、「朝まで生テレビ」だって全部、ノンフィクション=ドキュメンタリだろう。
どれか一つだけがノンフィクションで、あとは全部「つくりものだからノンフィクションではない」なんていうほどバカバカしい話はない。

僕は自分のやり方が正しいと思っているわけでもないし、いいと思っているわけでもない。

ただ、いろんな形があるべきだと思っている。
書き手が100人いれば、100通りの描き方があるべきだと思っている。
事実が1つであっても、書き手が100人いれば、100通りの方法で現実を提示すべきだと思っている。
100人が100人同じ方法で、同じ視点で、同じ結論をだしてどうなるというのだろう?

「この方法論こそがノンフィクションで、他はNGだ」といいたくなる人の気持ちがわからないでもない。

しかしそういう人は結局のところ事実=ノンフィクションの多様性を狭めているだけではないだろうか。

※こちらもメールマガジンで細かく書いていくつもりだ。
 現実という塊をどう切り分けていけば<形>になるかということについて。



追記

ところで、なぜこういう話になるのだろうか?
文章表現は大きく二つに分かれる。
「フィクション」と「ノンフィクション」である(分けること自体バカバカしいけど)。
「フィクション」のなかには、SFだったり、ミステリだったり、純文学だったり、エロ小説だったりがある。
「ノンフィクション」のなかには、伝記だったり、報道だったり、紀行だったり、告白だったりという分野がある。
だからこそ、「SFはフィクションである」とか「告白本はノンフィクションである」といえるのである。
だが逆にこれは弊害もある。「告白としての純文学=私小説は、フィクションじゃない」とか、「小説の文体で書いた紀行文はノンフィクションじゃない」という変な話がでてくるのである。
あるいは、こういう見方も出来る。
「フィクションはつくりもの」で「ノンフィクションは事実」という分け方だ。
こういう強引な分け方をするから、「私小説は小説らしくない」とか、「紀行文はノンフィクションらしくない」となる。
じゃあ、この二つは、どっちになるというのだろうか?
いや、そもそもどっちかに分けなければならないものなのだろうか?
人は何でもカテゴリ分けしたがる。そっちの方がわかりやすいからだ。
しかし、そもそも物事というのはそんな簡単にカテゴリ分けできるものではない。
それを強引にしようと思うところに「ひずみ」が生まれるのではないか。

数日前に、こんなニュースがあった。

米国のホームレス、4人に1人が退役軍人 イラク・アフガン従軍者増(産経新聞)

【ニューヨーク=長戸雅子】
米国のホームレスの4人に1人は退役軍人が占めていることが、ワシントンに本部を置くホームレス支援団体の調査で分かった。AP通信によると、退役軍人が成人人口に占める割合は11%に過ぎず、彼らがホームレスとなる割合の高さがうかがえる。中高年世代だけでなく、イラクやアフガニスタンに従軍した若い世代が増えているのが特徴だという。  
 支援団体は、退役軍人省や2005年の国勢調査のデータをもとに、全米の約74万4000人のホームレスのうち、約19万人が退役軍人であるとの推計を算出。2006年には、一時的にホームレスとなった者も含めると、退役軍人は約50万人にものぼったという。
 退役軍人の多くがホームレスとなってしまうのは、収入の道が閉ざされ、また戦場という極度の緊張下で過ごしたことによる精神的な後遺症で社会に適応できなくなるためだ。2度の世界大戦やベトナム戦争でも大きな社会問題となった。退役軍人省によると、同省の支援プログラムに参加している退役軍人の45%が精神的な後遺症に悩み、4分の3以上が薬物問題を抱えている。
 ホームレスになるまでの期間も変化してきている。支援団体関係者によると、ベトナム戦争のときは除隊後10年程度でホームレスになる場合が多かったが、イラク戦争では除隊後間もないケースが目立つという。


ひと言いうと、アジアから中東にいたるまでの物乞いだって同じだ。
戦争の被害者あるいは、元兵士というのが圧倒的に多い。拙著『物乞う仏陀』の取材をしたとき本当にそう思った。本では傷痍軍人の話はひとつしかとりあげなかったが、実はタイのバンコクやベトナムのホーチミンシティなどでも同じだった。

では、なぜ傷痍軍人のホームレスが多いのか?
理由はたくさんある。今度、メルマガで詳しいことを書くつもりだが、一番の要素はPTSDである。
日本の障害者だって同じだろう。精神的な問題とその他の問題が重なり合ってはじめてホームレスになる。
単なる経済的な問題や身体の問題「だけ」で物乞いやホームレスになる人というのは少ないのだ。

物乞いを論じる時は、何よりもそうした「精神」の問題に目を向けるべきだとおもうのだけれど。。。

すこし前に、新潮社の方から「逝きし世の面影」という本をいただいた。
ものすごく面白い本だ、と。

読んでみた。おったまげた。夢中になった。で、また仰天した。
僕は読む本の6割ぐらいが学術書だが、ここまで心が動かされたそれは数年ぶりだ。

簡単に言ってしまえば、江戸から明治にかけて来日した外国人たちの目に、当時の日本がどう映ったかという本だ。

ある人は、日本を身分社会制度はあるものの、これ以上自由な国はないと語る。
ある人は、路上の病気の物乞いたちがどれだけ明るく生きているかを語る。
ある人は、日本人が羞恥心なく裸を見せる大らかさに心を打たれたと語る。

僕はアジアを中心にいろんな国を見聞して、それを文字にしている。
百数十年前、欧米の人間は日本にやってきて、それと同じことをやった。
路上のハンセン病の物乞いを見つめ、貧しい人たちにもてなされ、様々なことを教えられた。

著者の渡辺京二さんは欧米人たちの残した膨大な文献を整理して、彼らの目に映った日本の姿並べていく。
かつて柳田國男がやったように様々な例を並べながら重層的な世界を示してくる。
だからこそ、研究書なのに、きらめくような生きた人の姿が折り重なって見える。

そして、そこに描かれる、その欧米人たちの目に映った日本は、まぎれもなく「美しい」。
その美しさとは、人間が生きる姿そのものである。
そこには紛れもない「原日本人」の姿がある。
たとえ、西洋人の目が偏見というフィルターを通しているにせよ、それも含めた意味での「原日本人」があるのだ。

たった百数十年前の日本人がどのように生きた人々だったのか。

それを知るだけで、自分を恥じつつも、日本人であることに誇りをもてる。
そんな素晴らしい本だった。

是非、この方の次の本を読みたい。
書いてくださらないかなー。

逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)

今日、読売新聞と産経新聞で同時に拙著の書評が載った。
書いてくれたのは、二人の著名な女性ノンフィクション作家。
読売新聞は、「散るぞ悲しき」で大宅賞をとった梯久美子さん。産経新聞は、「でっちあげ」で新潮ドキュメント賞をとった福田ますみさん。
どちらの本も腰を抜かすほど面白い。

そういえば、「散るぞ悲しき」を読んだのは「神の棄てた裸体」の取材中だった。
新聞のインタビューを受けたり、ゲラを出したりしなければならず、途中十日ほど帰国した。三月だったと思う。その時、「神の棄てた裸体」の編集を担当してくださった方が「散るぞ悲しき」をくれたのだ。

「散るぞ悲しき」は本当に評判がよかった。群を抜いていた。
大宅賞の候補にあがっていたのだが、その中でもひとつ突出していると言われていた。

毎日新聞の記者の方は「『散るぞ悲しき』とあともうひとつのW受賞になるのではないか」と予想していた(事実そうなった)。
文藝春秋の方も「『散るぞ悲しき』が頭一つ抜きに出ている。あとは横一線なので誰がとっても不思議じゃない」とといってた。
文芸誌の編集者も「梯さんは群を抜いて優秀なライター。あの人だけ桁が違う」といっていた。

一時帰国した折にそんな話を方々から聞かされれば読みたくなる。それで、わがままをいって一冊もらったのである。

感想は、なんというか、「完璧」というものだった。
取材内容にしても、構成にしても、文章にしても、完璧なのである。文句を言う隙すらない。
しかも、綿密な取材を緻密な文体で描いているにも関わらず、登場する人々に「血」が吹きこまれているため、読んでいる人の心を否応なくゆさぶる。

あまりにも感動した僕は、再出発の前夜にあわてて感想ハガキを書いて本をくれた編集者にわたした。
ただ、その時、僕の処女作も賞の候補にあがっていたので、余計な気づかいをされないようにと、「匿名希望」と書いて出した。

翌日、僕はまた旅立って、インドの取材をしていた。「神の棄てた裸体」の<切除>という話の取材だ。
モスクと呼ばれる売春宿に寝泊まりしながら取材をつづけている最中、文藝春秋の人から「散るぞ悲しき」が受賞したというメールがきた。
単純にとてもうれしかった。これでまたドンドン書かれるんだろうし、それを読めるんだろうなと思うと、うれしかったのだ。

それからおおよそ、一年半後の今日。
朝起きたら、知り合いからその梯さんが拙著の書評を読売新聞に書いてくれているという知らせが届いた。
読んでみると「物乞う仏陀」のことまでも記されてあった。梯さんは感想ハガキの一枚に僕が書いたものがあるとは知らないはずだ。なのに、わざわざ前作まで読んでくれていた。
それが、なんか、とてもうれしく、心の中で感謝した。

今度は、本名でお礼状を書こうと思う。


<追記1>
ちなみに、福田さんの「でっちあげ」もすごく面白い本です。
教師の暴行事件がどのようにマスコミや学校によって「でっちあげ」られ、それゆえその教師がどんな苦悩を体験したのかということが胸が苦しくなるほど書かれています。カフカの小説がそのまま現代でくりひろげられているとは……
<報道>や<教育システム>についてというより、人間が立っている今という時代の危うさがしっかりと書かれています。読んだあと、決して「人ごとじゃない」と思うはずです。

<追記2>
「物乞う仏陀」はどうやれば買えるのかと聞かれました。
いま品切れ中みたいですが、先日文藝春秋社より重版の知らせが来ました。たしか30日付で増刷される予定だったと思います。なので、数日中には買える予定です。

散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道


でっちあげ 福岡「殺人教師」事件の真相

僕は、本名でノンフィクションの仕事をしている。
それ以外では、基本的にペンネームでいろんなことをしている。
言ってしまえば、ペンネームでいろんな仕事を片っ端からこなして取材費をためて旅に出て、本名でノンフィクションを書くという感じだ。

が、先日妙なことが起きた。
ちょっと前に「電子書籍」での書き下ろしの仕事をしたのだが、それがなんと電子本のある部門の売上No1になってしまったのだ。
内容は笑いあり、洒落あり、恐怖ありの、「ふざけたお笑い」的な内容である。
もちろん、僕としては「売れる物をつくろう」と思って、それだけに特化して手掛けたのだが、まさか堂々のNo1になるとは思ってもみなかった。

と、そんなこんなで、エンターテイメント企画をあれこれやることになった。
今年の冬には取材旅行へ行きたいので、あらゆることを手掛けて取材費を稼がなければならないのだ。

で、その一つに、なんと「化粧」に関する本のプロデュースというものがあるのだ。

むろん、化粧なんて、まったく知らない。知るはずがない。
「神の棄てた裸体」で書いたようにインド人娼婦にやられたことはあるが、人にやったことも、自分でやったこともない。人がやることについても全く興味がない。
にもかかわらず、「売れる物を作れ」という至上命令によって「化粧」をやらなけれなならなくなったのだ。

で、急きょ、古本屋で二十冊ほど化粧の本を読んでいたら、面白いものを見つけた。
「愛と欲望のコスメ戦争」(三田村蕗子、新潮新書)である。

これによると、化粧というのは、その時代に合わせて需要が決まるようだ。

和服から洋服へと服装が変われば、「白塗り」から洋服にあった「肌色」の化粧が必要になる。
(この時代に、その需要をいち早くキャッチして巨大企業となったのが資生堂)。

大戦中は「こぼれにくい化粧」の需要が高まり、白粉と下地クリームが一体化した化粧品や、バッグに入れても粉がこぼれにくい白粉が発売された。

高度経済成長期には、小麦色の肌がもてはやされる。
それにともなって、「日焼けを美しく見せる化粧品」が流行した。

さらにオゾン層の破壊によって紫外線が脚光を浴びると、UVカットの化粧品が売りだされる。
で、エコがはやりだすと、コスメも「ナチュラル」になるのだとか。

「美」というのは、結構奥が深くて、複雑なように思っていた。
けど、こういう流行の裏側を知ると、人間の滑稽さが浮き彫りになって面白い。それがまた、人間のかわいらしいところでもあるのだけど。

ともあれ、化粧については、男は口をはさまないのが無難である。
上記のようなことを偉そうに語れば「嫌味なオトコ」と思われ、まったく無関心でいれば「わたしがこんなに頑張っているのに、なぜ気付かないのか」となる。
化粧の流行は単純だけど、その裏にある女心は至極複雑なのである。ここが、難しいところだ。

一体、そんな女性にウケル化粧の企画なんぞプロデュースできるのだろうか。
なんか、気が重くなるなぁ。僕はただ見ているだけで、あとはすべて他の人に任せるに限るな。

ちなみに、作者である三田村さんの別の本である「ブランドビジネス」(平凡社新書」も、とても面白い内容です。
こちらは、ブランドのマーケティングと歴史についての内容です。
よければ、読んでみてください。


夢と欲望のコスメ戦争 (新潮新書)



ブランドビジネス (平凡社新書)

今日、八重洲ブックセンターが新しい本の発売に合せて、写真の展示をしてくれるとのことだったので挨拶に行ってきた。
出版社の人たちが写真のほかに、キャプションやプロフィールのパネルも用意してくれた。

そのなかに、「平成の深夜特急」というような言葉があった。
「深夜特急」とは言わずも知れた沢木耕太郎さんの本である。
拙い本が、沢木さんの本にたとえられるのは恐縮だ。面目ない気持ちすらある。

たぶん、「旅行」という手段で世界や自分を見るという方法からそうなったのだろう。あと、描写中心の書き方もあるのかな。(名前は関係ないだろう)

ただ、以前、某新聞社の編集者と会った時に、こんなことを言われたことがある。
「沢木さんが目を留めないところに目をとめている。そういう意味では、全然ちがうよね」

僕もそう思う。
たぶん、見るモノも、見る方法も、感性も、全然違うと思う。

正直なことをいうと、僕は「深夜特急」は文庫版で二巻までしか読んでいない。
とても面白いと思った。あんな本は二度とでてこないだろうとも思う。ただ、僕の見たいモノではなかった。だから、二巻までしか読まなかったのだ。

ちなみに、高橋源一郎さんが岩波新書から出している「一億三千万人のための小説教室」小説作法の本に、小説家のDNAについて書いてある。
小説家には、モデルとすべき「親」のような存在の作家あるいは作品があるらしい。
みんな最初はそのモデルとなる「親」の作品を読みまくって、真似しまくる。それをしつづけると、自分の中でドロドロに要素がとけて、DNAとなる。そのDNAによって小説は書かれるのだ、と。

僕は小説家じゃない。けど、もしDNAというのがあるとして、三人あげろといわれたら、たぶん大江健三郎さんと辺見庸さんと谷崎潤一郎(あるいは、開高健、あるいは宮本常一)になると思う。
ベターだけど、正直なところだ。「芽むしり、仔撃ち」や「もの食う人びと」や「春琴抄」(あるいは「夏の闇」「忘れられた日本人」)。これらの本を、丸々模写したこともある。代表作など、それぞれ300回以上読んでいる。十年以上、机の上に置いて数日に一度は開いている。なので、一言一句頭に入っている。
そこらへんを考えると、たぶん、沢木さんのDNAが入っているということはないと思う。

けど、「深夜特急」で一つだけ思いでがある。

たしか一巻だったと思う。
沢木さんがマカオのカジノにいったところ、「あたり」を教えてくれる人間がいたという話があった。
ルーレットゲームを想像してもらいたい。マカオでは、ルーレットではなく、三つのサイコロで行う。その「目」の合計が「あたり」になるのだ。
「深夜特急」には、その「目」をこっそりと教えてくれる人がいると書かれていた。

本を読んだ時、僕はまったく信用していなかった。
もしいたとしても、昔の話だろうぐらいにしか思わなかった。
(そもそも、沢木さんっていうのは、僕の親父と同じ年代である)

大学二年の時、返還前のマカオへ行った。
普段、僕は一切賭け事はしない。パチンコはもちろん、麻雀などルールすら知らない。
ただ、このときは「記念」にちょっとやってみた。
ちょうどサイコロの賭け事をやっていた時のことだ、突然見知らぬ男が現れて、横でぼそっと「××だよ」と教えてくれた。

その時、ふと「深夜特急」のワンシーンを思い出した。
きっと、こいつが「あたり」を教えてくれる男に違いない! で、賭けてみた。
結果は大当たりである。その後、その男の言葉に従って15連続ぐらいで大当たりがでた。

だが、本には「あたりを連発させて、最後の最後で違う目を教えて破産させる」と書いてあった。
なので、僕はそれを予期して、適当にもうけたところで、「勝ち抜け」した。

詳しくは覚えていないが、一晩で数十万円を稼いだ。
このおかげで、予定の倍ぐらいの旅行ができた。

これが、僕にとっての「深夜特急」の思い出ある。


追伸
ちなみに、沢木さんの本が嫌いということではない。
「壇」なんかすごく面白いと思うし、エッセーは全部読んだ。
ただ、なんだかしらないけど、海外を見る目という意味で「深夜特急」が僕には合わなかったというだけだ。それも18歳ぐらいの時の話。

深夜特急〈1〉香港・マカオ (新潮文庫)
一億三千万人のための小説教室 (岩波新書 新赤版 (786))

先日、『退化する若者たち―歯が予言する日本人の崩壊』(PHP新書)という本を読んだ。
ここ数十年の間に日本人の歯並びがどう「退化」し、それによってどんな弊害が生じているのかということを書いた本だ。

近年歯並びが悪くなって、それに伴って骨格がおかしくなるということはよく言われている。
僕自身、これ以外でも、似たような本を何冊か読んだことがある。

ただ、そんななかでも面白い一説があった。
現代のイケメン、とか、美女といわれている顔が、「退化」した顔だというものだ。
いわゆる「モデル体型」とかそういったものが、進化によるものではなく、退化によるものだというとらえ方である。

これでふと思い出したことがある。
ミャマーの友人と話をしていた時、こんなことをいわれた。
「ミャンマー人は、お尻の大きい女に憧れる。それが一番だ。ちゃんと子供を生んでくれると思うから」

僕は納得できた。
個人的に、女性の痩せ身や、胸の大きさなどはどうでもいいと思っている。
逆に、昔から、なんとなくお尻の大きい古典的な体系の女性が「健康美人」と思って、憧れていた。
なんつーか、明治時代の女性みたいな体型である(別にケツ・フェチとかではない)。

しかし、このような意見は少数派だと思われる。
少なくとも、女性などは「小さな尻」に憧れるし、小顔をうらやましいと思う。
男だってそうかもしれない。モデル体型のような女性を美人だと考える人も多いだろう。

そう考えると、ミャンマー人や僕は「退化前の健康美」にあこがれ、現代日本の人々は「退化後の不健康美」にあこがれるということになるのだろうか。

なぜ、こんなことを書いているのかといえば、先日「どんな女性が好きか」といわれて、「健康美人」をあげたところ、「変」といわれたからだ。

僕にとってみれば、「健康的」なのを美人と思って何が悪いのかと思う。
逆に、他の人は「退化体型」のどこに憧れているのだろうか。

まったくもってわからん。


退化する若者たち―歯が予言する日本人の崩壊 (PHP新書)

昨日、両性具有の漫画を紹介した後、ふと面白い話を思い出した。
野村進さんの『脳の欲望 死なない身体―医学は神を超えるか』だったかと思うが、性転換手術をした女性にインタビューをした記事が載っていた。
その中に、おおよそこんなことが書いてあった。

<性転換手術をし、ホルモンをうつことによって性別を変えることがある。その時、女性から男性に変わると、性感帯が薄れていく。女性の時は全身性感帯だったのに、男性に変わっていくにつれて全身が「ゴム」のように何も感じなくなっていく>

これを読んだ時、二つの点で驚いた。
ホルモンを打つことで、性感帯までも変わるということ。
もう一つが、男性と女性とでは「皮膚がゴムになる」ほど違うのかということだ。

いつだったか、脳神経を専門にしている友達の医者にそんなことを話した。
すると、「神経」は男も女もたいして違いはないらしい。
上半身だったら上半身だけで拠点となる神経がいくつかある。
たとえば、腕を触られて感じる場合は、上から二番目か、三番目ぐらいの神経にそれがつたわって痛みなどを感じるという。
「感じる」ということにしても、理屈は同じなのだろうが、それが脳に伝わった時の「処理」の仕方が違うのだろうとのこと。
どう「処理」されるかによって、快感になるのか、くすぐったいになるのか、痛みになるのかに分けられるのだ。

しかし、それを聞くと、ますますホルモンというものが不思議に思える。
ホルモンを投与することで、脳の「処理」の仕方まで変わってしまうということになるのだから。

ともあれ、最近上記に紹介した医者と仲良くなったので、その人の論文を初めとして、色々と脳神経について勉強している。
数カ月前に、別の知り合いの医者にそれを話したところ「一番わけのわからない所っすねー。治らないし、やりがいもないし」と言われてしまった。
けど、僕にとっては、とても面白い分野だ。「わけがわからない」し、「治らない」から面白いのだ。逆に、わかったり、治ったりするようなものには、何の魅力も感じない。

まぁ、治そうとする側の人間と、ミステリアスなものに対して想像力をふくらますことを楽みとする人間とでは、まったく立場が違うのだけれど。

脳の欲望 死なない身体―医学は神を超えるか (講談社プラスアルファ文庫)

先日、二つの出版社から同時に明細が届いた。
一つは、まじめなエッセー集。もう一つは、漫画(僕は原作を担当)。
両方とも、雑誌に発表したものが、本に再録されたものだ。前者は大御所ばかりが書いている単行本。後者は完全な娯楽漫画だ。

ただ、明細を見て、驚いた。

なんと、前者と後者では、ゼロが一つ違うのである。
もちろん、まじめなエッセー集の方が低く、漫画の方が高い。
決して漫画の印税が高いわけではない。エッセーの方が驚くぐらい低すぎるのだ。
(ちなみに、書くのに、エッセーの方が漫画原作より10倍は時間がかかっている)

こういう現状を見ると、人は本を読まないんだなー、とつくづく思う。

僕は、絶対に本を読まなきゃならないとは思っていない。
僕自身日本だと一日一冊〜三冊ぐらい読むけど、海外にいる時は一週間で一冊ぐらいしか読まない。活字中毒というわけでもない。

けど、本を読む人と、読まない人とでは、話をしていて圧倒的に知識が違う。
これはごまかしようがない。どんなにバカを装っていても、本をたくさん読んでいる人はすぐにわかる。物事に対する洞察力あり、多面的に物事を見れているのだ。
逆に、どんなに利口そうな人間でも、どんなエリートでも、本を読まない人は一分話をすればすぐにバレてしまう。言葉は立派でも、まったくもってすべてが表面的なのだ。言葉に深みがないのだ。

では、難しい本を読めばOKで、エンターテイメントや漫画を読んだらNGなのか。

そうとは思わない。
そもそも、両者はまったく違うものだ。
書いている僕からすれば、前者は物事の深みを面白さとして描こうとしている。後者は、単なる情報を面白く思ってもらえるように並べ替えているだけだ。
つまり、どちらが良いか悪いかではなく、情報の質が比較にならないぐらい異なるのだ。

ただ、もちろん、エンターテイメントや漫画でも、深さで勝負しているものはたくさんある。

最近読んだものだと、『パライゾの寺』というのがそれだった。
面白い本があるから、といわれて文芸雑誌の編集をやっている方が送ってくれたのだ。
四国に住む年寄りたちが、歴史にうもれた人生模様を生々しく語っていくという形の短編小説集だ。
特に、表題作の「パライゾの寺」というキリスト教の弾圧をモチーフにした作品は奥が深くて面白かったなー。
僕が四国の遍路を舞台に何かをやりたい、とか、宮本常一の本が好きだといっていたから、これを送ってくれたんだと思う。
けど、誰でも普通に読める本なので、興味があれば、ぜひどうぞ。

パライゾの寺

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