石井光太 − 旅の物語、物語の旅 −

カテゴリ: 漫画

ある人が、子供を出産することになった。
その人は小児科医で、「無痛分娩」をするらしい。
「無痛分娩」とは、麻酔して痛みを取り除いたうえで、出産をするものだ。

この無痛分娩、欧米では普通に行われている。
局所麻酔ならほとんど赤ちゃんに影響はないし、何よりもお産が楽だ。
なので、欧米の女性はそれを選ぶ傾向にあるらしい。国によっては8割がたの人がそうしているところもある。

では、日本はどうかといえば、無痛分娩はほとんど行われていない。
5万円ぐらいで楽になるのに、なぜか欧米のように広まらないのだ。日本人は米国でウオッシュレットがはやらない理由が理解できないが、米国人は日本で無痛分娩が行われない理由がわからないかもしれない。

そんななかで、その人にプレゼントしようと思って、先日「私たちは繁殖している」(内田春菊、角川文庫)を購入した。
出産&育児本としては、傑作といっていいぐらい面白い漫画だ。

僕がこれを読んだのは大学生の頃。
で、プレゼントする前に自分でも読みなおそうと、ページをめくってみた。
すると、面白いことが書いてあった。

日本では、「お腹を痛めてうんだ子」という言葉がある。
お腹を痛めて産んだから、母親は特別な存在なのだ、ということだ。
離婚で親権が母親にある時などもよくこの言葉がつかわれたりする。男としては、確かにそう言われればどうしようもない。
実際、日本のママさんは、「お腹を痛めて産んだ」ことにプライドをもっていて、何かとそれについて語りたがるのだそうな。
たぶん、ここらへんの考え方が、日本で無痛分娩が広がらない理由なのだろう。

しかし、無痛分娩や、帝王切開はどうなるのか?
「お腹を痛めていないから、特別ではない」ということになるのか?

もちろん、ママさんたちは、そんなことはないと分かっている。
しかし、それでも心の底では「腹を痛めて産んだ人がワンランク上」みたいに思っているに違いない。だからこそ、「言いたがる」のだろうし、「無痛分娩」をしない人が多いのだろう。
そういう意味でいえば、「言葉」というのは、実に恐ろしいものである。

ともあれ、もし僕が女性だったら、どうするだろう……。
たぶん一度目は自然分娩してみるだろうな。「ためしに」やってみたい。
でも、二度目からは確実に「無痛」にすると思う。一度わかれば、十分だ。とかいいながら、予防接種の注射も「痛いからやだなぁ」とためらっているのだが。。



追伸1
昨日と今日、「アマゾンで本が買えなかった」という問い合わせメールが来ました。
さっき見てみたら、品切れ状態になっていました。ありがたや、ありがたや。
実は、昨日「物乞う仏陀」ともども重版がかかりました。もうしばらくすると、また買えるようになると思います。本当に、ありがとうございます。
ちなみに、品切れをいいことに、一冊三千円強で売っているお店がありますが、「無視」ですな。無視。紀伊国屋のウェブ販売などでは定価で買えます。


追伸2
先日、千葉そごうの中にある「三省堂」の方とお会いしてきました。
とても良い方で、サイン本を数冊つくらせていただきました。宜しければ、一度行ってみてください。
ちなみに、三省堂本店で「神の棄てた裸体」の写真パネルを多数展示しています。こちらもよろしければご覧下さいませ。


私たちは繁殖しているレッド (角川文庫)


僕の回りには、文章が上手な人がたくさんいる。
よくぞそんなに上手に書けたものだと関心してしまうほどだ。

昔から、僕はとても文章が下手だ。
ほんの少しは上達したかもしれないけど、今もかなり下手だと自分で思っている。

ただ、言い訳じゃないけど、文章が上手だからって、その人の書くものが面白いとは限らない。
文章を書くというのは、そもそもかけて当たり前という前提がある。その上で、その他の要素がどれぐらいあるか、ということが作品の良し悪しになってくる。

では、その他というのは一体何なのか。
これは膨大にある。「視点」もあれば、「知識」もあるし、「耳の鋭さ」もあるし、「舌の良さ」もある。しかもどれか一つが秀でているのではなく、これらが複数にわたって秀でている必要がある。
小説でも、ノンフィクションでも、エッセーでも、面白いものには、かならず上記のものすべてが当てはまるし、それ以外にも様々な要素を持っている。

そうはいっても、「その他」の中でも、「さらに抜きに出たもの」というのも必要だ。
それが、作者を作者たらしめる最大の要素であり、魅力なのだから。そして、この「さらに抜きに出たもの」というのは技術ではない。これこそが、<才能>だと思っている。

先日、たまたまある人と漫画の話をしていた。
漫画の原作をやっているといったところ、「最近映画で漫画が原作になっているものが多いですね、何か面白いものありますか」といわれた。
前にも書いたように、僕はあまり漫画を読まない。だが、ふと思いついたものがあった。一年ほど前、キネマ旬報に勤める後輩に、「面白い漫画があります。今度映画化されるんですよ」といわれた貸してもらったものだ。それが下記である。

自虐の詩 (上)


これは、面白かった。本当に、面白かった。
パッと見て、上手な絵ではない。物語も、基本的には四コマ漫画で、荒くれ旦那が、幸の薄い妻と喧嘩してひたすらちゃぶ台をひっくり返すだけだ。
こう書くと、何が面白いのか、と疑問に思われるだろう。

何が魅力なのか。

登場人物を描く目がとにかくやさしいのだ。
いや、人間に対する眼差しが、こちらが恥ずかしくなるぐらいやさしいのである。
だからこそ、ダメ男、ダメ女をひたすら書いているだけなのに、思わずほろりとさせられるのだ。

僕は、これこそが、作者がもっている「才能」だと思う。

10年ぐらい前に売れた、AV女優 (文春文庫)
を書いた永沢光雄も同じだ。
あの後、たくさんそれに類した本がでた。雑誌の記事にもなった。その中には超有名な作家もいた。
けど、絶対にあの本のような魅力は出せない。それは、あの本の面白さが題材にあるのではなく、作者のやさしさにあるためだ。それをもたない人間がいくら上手な文章で書いても、魅力的な本にはならない。
真似して書いた人たちは、そんなことにも気付かないで読んでいたのだろうか。

この前、『自虐の詩』を貸してくれた後輩と会ったら、映画版がもうすぐ上映されるのだとか。
原作にあるにじみ出るような人間に対するやさしい視点が少しでも映画に反映されていたら見てみたいと思う。

しかし、あれが漫画だからいいけど、本だったら確実に、嫉妬、するね。

僕は漫画の原作の仕事をしているけど、あまり漫画を読まない。
読む方か、読まない方かと問われれば、読まない部類に入ると思う。
中学生ぐらいまではちょっと読んでいたけど、高校以降はまったく読まなくなった。大学に入って間もなく、同級生に紹介されてちょこちょこ読んだものの、またすぐに手に取らなくなった。
嫌いというわけではない。単純に、本に時間をとられて、漫画を読む余裕がないだけだ。

ただ、今は仕事としてやっているので、たまに読まざるを得なくなる時もある。
先日、ある漫画の原作を依頼されて「参考に」ということで、編集者からある漫画を送ってもらった『性別が、ない!』(新井祥)とういう本だ。
作者は、いわゆる両性具有。で、元風俗嬢。ところが、成人してから突然男性化がはじまり、病院で検査してもらったところ病気に気がつく。それで、意を決して、男性へと性転換(?)した。そんな人が、自分の性生活を面白おかしく漫画にしているのである。

漫画を読んでいて、あるいは漫画の原作を書いていて「いいな」と思うことがある。
それは、漫画にしか出せないユーモアというものがあるためだ。あるいは、漫画でしかできない描き方があるためである。

漫画と文章では、そもそも読者の前提が違う。

たとえば、ユーモアが通じるか通じないかということがある。
先述の『性別が、ない!』には、男性になった主人公がホストクラブで働き、そこでホストの男性の「美」に心を奪われるなんていうシーンが面白おかしく書いてある。男性であるはずの作者の中に残る女性の心がそうさせているのだろう。
しかし、これを文章でやったとする。小説でも、エッセーでもいい。ちゃかすように面白おかしく書いたとする。
残念ながら、これは、ナカナカ「作品」にはなりにくい。漫画ではユーモアになる部分が、文章にすると、シリアスな問題か、笑えないジョークになってしまうことがあるのだ。
(そのギリギリの路線で文章を書いている人もいるけど)

もう一つ。
漫画の場合、話を大袈裟にしても問題ない。
たとえば、ある事件が起きたとする。漫画であれば、その事件を描くときでも、様々なフィクションを入れて、テーマを大きくすることができる。
しかし、文章でやると、厳密な意味で「ノンフィクション性」が求められたり、「フィクションはフィクションなりに取材対象の名誉を重んじる」ということが言われたりする。もちろん、漫画でもそれはあるけど、漫画の方がずっと敷居が低い。
そう考えると、漫画という媒体においては、曖昧なことを膨らませて、話をつくていくことが許される。ゆえに、作り手としては、文章よりも、いろんな意味でアプローチの仕方が多いといえるのだ。

もちろん、映画にしても、演劇にしても、小説にしても、漫画にしても、そしてノンフィクションにしても、様々な方法論の違いがある。
演劇などはものすごく表現の方法が限られる。小説はそれに比べればずっと多い。漫画はもっと多いかもしれない。
ただ、多ければ多いほどいいというわけではない。
選択肢が少ないからこそいいという人だっているだろう。あるいは、多いからやりがいがあるという人だっている。
結局は、その人に何があっているか、という話になってしまう。

ただ、異業種でものをつくるという楽しみというのもある。
ずっと文章を書いている中で、ふと漫画の仕事をしたりすると、頭の切り替えにもなるし、とても楽しい。漫画でしかできないことを思う存分やりたいと思ったりもする。肩の力が抜けているから意外に次から次にアイディアが浮かんだりすることもある。
そういう意味では、末永く、いろんなことをやりたいな、と思う。

性別が、ない!

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