『サマリア』という韓国映画がある。
韓国の援助交際を舞台に、家族の深淵を描いた素晴らしい映画だ。

この映画のなかに、前半だけ登場して強烈な印象を残した女優がいる。
ハン・ヨルムである。
主人公の友達という設定ながら、主人公をも凌駕した存在感を見せつけた。

どの世界でも、その世界の「神様」が宿っている人がいる。
映画でも、文学でも、演劇でも、写真でも、何年に一度輝いている存在が現れる。
脇役であっても、駄作であっても、その人だけ不思議なほどまぶしく輝いているのだ。
ハン・ヨルムという女優さんは、まさしくそんな人だ。
『サマリア』という映画を観た時、まさしくそう思った。大袈裟ではなく、この人には、映画の神様が宿っているな、と。

たぶん、監督もそれを感じたのだろう。いや、監督が一番感じたのだろう。
監督キム・ドクは、『サマリア』を撮り終わった後、ハン・ヨルムを主人公にして『弓』という映画をとった。

もともと、このキム・ドクは、芸術性の非常に高い映画を撮る人だ。
この『弓』という作品もそうだ。
舞台はぼろくて小さな船の上だけ。主人公はひと言も言葉を交わさない。メッセージはすべて抽象的。徹底的に娯楽色を排除した映画である。

こうなると、映画の生命線は、ハン・ヨルムの魅力だけである。
キム・ドクがどれだけ魅力を引き出し、ハン・ヨルムがどれだけそれに応えられるか。いわば、監督と女優のガチンコ勝負なのだ。

はたして、たった一人の女性の魅力だけで、一時間三十分も引っ張れるのか。

いやはや、これがやったのである。
セリフも、ストーリー性もない映画のなかで、ハン・ヨルムがこれでもかというぐらい多様な魅力を見せつける。七変化どころじゃない。七百変化ぐらいして観ているものを圧倒させるのだ。
おそらく、一時間三十分どころか、二時間はゆうにできただろう。

これだけの女優さんが登場することなどめったにない。
あるいは、これだけ才能のある監督と女優さんのガチンコ勝負を観られることはめったにない。

もちろん、いわゆる「映画」としてのエンターテイメント性はまったくない。
なので、それを期待したら、120パーセント裏切られる。

しかし、いわゆる才能と才能のぶつかり合いを楽しみたいなら、ぜひ観るべき映画だと思う。
順番的には『サマリア』を見た後、ハン・ヨルムの存在感に圧倒された人だけ『弓』を観るというのがいいと思うけど。

サマリア