石井光太 − 旅の物語、物語の旅 −

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『「鬼畜」の家〜わが子を殺す親たち』が、順調に増刷しています。
以下のようなポスターも作成されました。
児童虐待という問題が、「親=鬼畜」という単純な図式で描かれてほしくないという思いを込めて書いた本なので、それが少しでも広まればと願っています。
(だから、「」で鬼畜というタイトルになっているのです)


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さて、今回は、執筆に当たっての葛藤について書きたいと思います。

本をご覧になった方はおわかりになるかと思いますが、本書の核となっているのは、三件の児童虐待事件の加害者である親が語った次のような言葉です。

「私なりに愛していたけど、殺してしまいました」

拘置所で面会を重ねたりするなかで、この「私なり」というのが、胸にひっかかりました。
我が子を残虐な方法で殺しておいて、愛していたとはどういうことなのだろう。
「私なりの愛」、とは一体何なのか。
私はその答えが、彼らの成育歴にあるのではないかと思う。
そして、虐待家庭の家系を三代にまでさかのぼって、その要因を見つけようと考え、一族への取材をするのです。

詳しくは本書をお読みいただきたいのですが、ここから見えてきたのはあまりに悲しい彼らの人生でした。
そして、そこが本書の一番重要な部分ともなる。

しかし、それと同時に私の中で非常に大きな葛藤が生まれました。

虐待親たちの悲しい人生に目を向ければ、彼らに対する「同情」の感情が芽生える。
正直に言えば、彼らなりにけなげに生きようとする姿に、「いとおしさ」のようなものまで感じてしまうこともありました。

一方で、彼らはあくまでわが子を信じられないような残酷な方法で殺害した殺人者でもあります。
虐待親を擁護するということは、殺されてしまった子供たちの死を肯定することになりはしないか。

それまでは、加害者である親を「鬼畜」と捉えて、批判していれば楽だった。
しかし、加害者である親のことを知れば知るほど、それができなくなり、かといって彼らの行為を認めることもできずにもがき苦しむようになるのです。

通常、本と言うのは、ある程度どちらかの立場に感情移入して書きます。
100%味方につくというわけではありませんが、ある程度意図的にどちらかに感情を込めなければ、物語としてのカタルシスを作り出すことができないのです。

たとえば、難民の女の子が売春していれば、その女の子に感情移入するからこそ、カタルシスが生まれる。
もし、「いや、売る方も売る方だし、買う方も買う方だよ」と言ってしまえば、それで終わってしまう。
著者が自分の名前で売る「本」には、どうしても著者の感情から生まれるカタルシスが必要なのです。

しかし、今回は、加害者の立場になっても、被害者の立場に立っても、見えなくなってしまう事実がたくさんある。
では、どう書けばいいのか。

その結果出した結論は、故意にどちらにも感情移入はしない代わりに、加害者の成育歴を掘り起こせるだけ掘り起こしてみようということでした。
そうやって得た事実を、「ナマの素材」のままどさっと読者にお渡しして、その重みや、においや、悲しみを感じてもらおう。
その戸惑いや葛藤といったものこそが、児童虐待事件の本質であり、それを読者につたえなければ、本当の意味で虐待事件を描くことにはならないのではないか。
そう考えたのです。

そのため、読者のみなさんは、おそらくこの本を読んで、ものすごく重いモノを渡された気持ちになると思います。
そして、事実を知ってカタルシスを得るのではなく、その重いモノとどうやって対峙していくかを問われるはずです。
もっと言ってしまえば、本書を読んで、読者がどう思うのかが問われるのです。

・それでも加害親を「鬼畜」だと考えるのか。
・加害親に同情するのか。
・だとしたら、殺された児童の気持ちをどう考えるのか。
・そして、貴方は、この問題にどう取り組むのか。
・あるいは、貴方は子供にどう接するのか。

こうしたことについて、私個人として考えていることもあります。
その話については、トークイベントや、インタビューなどで、随時語っていければと思っています。


★『「鬼畜」の家』の発売に際して、9月2日、9月11日にトークイベントを行います。
以下をご覧ください。
http://kotaism.livedoor.biz/archives/52024240.html





本日、新刊『「鬼畜」の家〜わが子を殺す親たち』が新潮社より発売になりました。

この本は、「厚木市幼児餓死白骨化事件」(ネグレクト)、「下田市嬰児連続殺害事件」(嬰児殺し)、「足立区ウサギ用ケージ監禁虐待死事件」(身体的虐待)の三つの事件からなる、事件ルポです。

この本の取材をはじめたきっかけの一つは、日本小児科学会が年間に殺害されている児童は、現在事件化されているものの3倍から5倍になると発表したことです。
毎年警視庁が発表する児童の殺害事件は60件から100件ほど。これが3倍から5倍になるということは、年間350件ぐらいは赤ん坊を含む児童が殺されているのです。

事件が表ざたにならない背景には、いくつかの理由があります。
・母親が病院にかからずに赤ん坊を産んで殺害しても死体が見つからないかぎり事件化されない。
・赤ん坊を虐待死させても、その多くが証拠をつかめない。医師がそれと疑っても、なかなか子供を失った遺族に「あなたは虐待しましたよね」とはいえない。
などです。
それが事件の大半を闇に葬らせてしまっているのです。
実際、本書で取り上げる三つの事件はすべて一年以上発覚しませんでしたし、足立区の事件にいたっては裁判が終わった今も児童の遺体は見つかっていません。

近年、マスメディアによって頻繁に報じられる虐待関連の事件。
私たちは何気なくその事件を見聞きし、親を「殺人鬼」、あるいは「鬼畜」のように考え、自分とは関係のない人間だと思い込みます。
だからこそ、これだけの子供が殺され、その多くが闇に葬られているのにかかわらず、他人ごとのように受け止められる。
マスコミがニュースを流しても、数日すればニュースどころか話題からも消えてしまうのは、私たちがこういう事件を聞き流すことに慣れてしまったことを意味するのではないでしょうか。

しかし、一日一人の児童が殺され、その多くが闇に葬られているとしたら、今のままでいいのだろうか。

そうした思いが取材へと私を駆り立てたのです。
正直、取材には胸をえぐられるような苦しいことが多々ありました。
ただ、わが子を殺害した親たちと拘置所の面会室で会い、周辺の取材を進めていく中で、私は衝撃的な一つの共通点を発見します。
それは、犯人である親たちが口をそろえてこう言ったのです。

「私は子供を愛していました。これ以上ない宝だと思っていました。しかし、殺してしまったのです」

調べてみると、親がわが子を愛していた形跡は数えきれないほど見つかりました。
厚木市の事件の容疑者・齋藤幸裕は、妻に逃げられた後、トラック運転手として働きながら一人で二年間も長男と寝起きを共にして世話していました。
下田市の高野愛は、息子をかわいがる子煩悩として知られ、息子もまたママっ子として有名でした。
足立区の皆川忍・朋美夫婦が残した家族写真には、一緒にお風呂に入ったり、誕生日パーティーをしている幸せそうな光景が記録されていました。

しかし、彼らはわが子を、信じられないような残忍な形で殺してしまったのです。
だとしたら、本当に彼らはマスコミが報じるような「鬼畜」なのでしょうか。
彼らはどんな家庭で育ったのか。

なぜ、彼らは子供を殺さなければならなかったのか。
彼らにとって子供への「愛」とは何だったのか。

そうしたことを明らかにするために、私は事件だけにとどまらず、犯人たちの家系を三代までさかのぼり、その成育歴を明らかにすることを決めました。
そうして書いたものが、本書なのです。

これは表向きは「事件ルポ」ですが、私としては「ヒューマン・ドラマ」として書いたつもりです。
犯人の家庭や、人格や、事件へ向かうプロセスを知れば、決して赤の他人とは思えないはずです。
そして、その思いが、悲惨な事件を減らすヒントになるのではないか。

そんな願いで二年間をかけて取材し、本書を世に出しました。
ぜひ書店等でお見かけした際は、手に取っていただければ幸いです。


追記
9月2日に三省堂書店池袋本店で、本書に関するトークイベントを開催いたします。
http://ikebukuro.books-sanseido.co.jp/events/1382





二年ぶりのノンフィクション『「鬼畜の家」〜わが子を殺す親たち』(新潮社)の予約が開始されました。
三つの事件のオムニバス事件ルポで、取り上げているのは自分の子供を殺害した親たちです。なぜ親はわが子を殺さなければならなかったのか。
ネグレクト、嬰児殺し、身体虐待の三つの異なる事件を二年間かけて徹底的に取材しました。

「厚木市幼児餓死白骨化事件」(ネグレクト)
未熟な夫婦が3歳の子をアパートに二年間以上にわたって放置。子は「パパ、パパ」と呼びながら絶命。遺体は7年間放置された。

「下田市嬰児連続殺害事件」(嬰児殺し)
奔放な男性遍歴の果てに妊娠を繰り返した一人の女性。彼女は自宅で出産した嬰児を二度にわたってひそかに殺害し、遺体を天井裏や押入れに隠した。

「足立区ウサギ用ケージ監禁虐待死事件」(身体虐待)
夫婦が3歳児をウサギ用ケージに正座させて閉じ込めた末に死亡させた事件。遺体はまだ見つかっていない。2歳の次女には犬の首輪をつけていた。

この本のテーマは、ひたすら残酷性を追うものではありません。
事件の加害者である親は、みな一様に「子供を愛していた」「大切に育てていた」と語っているのです。それが、なぜ殺害に至ったのか。
愛とは何か。
育児とは何か。
そうしたことをテーマに考えていく、ヒューマン・ノンフィクションです。





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