去年の日本映画で一番面白いと思ったのが『ハチミツとクローバー』だ。
美大生の男三人と女二人が三角関係を繰り広げる、青春恋愛映画である。漫画が原作なので、キャラクターに特徴があって、とても印象に残る。

「お前がこんな映画を観るなんて」と言われるかもしれない。
しかし、僕はそもそもラブコメが大好きなのだ。ラブコメの古典的名作『アパートの鍵貸します』なんて何十回観たか知れない。
むかし、ある小説家に、「石井君は、ドロドロの現実を描くくせに、意外にロマンチストだよね」と言われたことがある。
たしかに、そうかもしれない。どこかに、そういうものを見出そうとしていることは事実だ。

とまれ、僕はこの映画の主人公と同じく、芸術系の大学に通っていた。
物心ついた時から映像をやりたいと思っていた。けど、中学か高校ぐらいで濫読している時に、文章を書くということに魅力を感じた。それで、芸術系の大学へ入ったのだ。

しかし、大学へはまったくと言っていいほど行かなかった。
いや、厳密にいえば、図書館だけに行った。本を借りて授業には出ずに帰った。授業に出たのは二週間に一度ぐらいだと思う。学期中に何週間も海外へいったりしていたから、実質的にはもっと少ないだろう。

なので、映画の主人公のように、大学で恋愛ドラマを繰り広げた記憶がない。
それでも、大学四年間(厳密には、一年休学しているので五年)で、同じ大学の女性数人と付き合ったことがある。
『ハチミツとクローバー』では、学生たちが、お互いに創作意欲を刺激し合い、支え合い、作品をつくったり、スランプになったり、成功したりする。
けど、現実的には、これはとてもありえないと思う。そもそも、同じことをやっている人同士が一緒にいてうまくいくはずがない。

モノづくりというのは、人のやっていることを全面否定するものだと思っている。
人のやっていることを100パーセント否定して、まったく白紙にしたところで、モノをつくりあげる。あるいは、反ソレとして、モノをつくっていく。そういう作業だと思っている。だから、「創造」であり、「独創的」なのだ。それができなければ、ただの「マネ」になってしまう。
絵でも、写真でも、なんでもそうだけど、モノづくりをしたいと思っている人は、心のどこかで他のものを否定する精神があると思う。

そういう意味では、もし恋人が同じことをやっていれば、それを否定することになる。
事実、僕も当時付き合っていた人が文章を書いていた。しかも、むちゃくちゃ上手い。色んな賞までもらっていた。(それでも芸術の壁は高いのか、今は大手出版社に勤めている)
こうなると、面白くない。全然面白くない。「よかったね〜」「じょうずだね〜」なんていうけど、心の底では全面否定してる。しまいには、相手の人格まで否定しようとする。

もちろん、こんなんで恋愛関係がうまくいくはずがない。ありえない。

その後、ジャズをやっているボーカリストと付き合った時もそうだった。
文章ではなく、音楽なのに、とにかく敵対心を抱いてしまう。こんちくしょう、と思う。彼女が歌をうたっていれば、僕はそれを聴きながら「そうじゃない、俺だったらこうする」と思ってしまう。そうなると、いつかボロがでる。うまくいくはずがない。

芸術系の大学にいて、あるいはモノづくりをしている人といて学んだのは、そのことだ。
恋人には、絶対になれない。

ただ、悪いことばかりではない。
恋人関係は最悪だが、友人関係は最高である。
芸術系の大学へ行くと、良い友人にも恵まれる。一学年に数人その道に進む人がいる。写真家とか、画家とか、そういう職業につく人がいるのだ。こういう人と青春時代を一緒に過ごせるのは幸せだ。

僕の友達でも、ひとり映画監督になった人がいる。
先日その友人から近状報告を受けた。来年の3月に、伊坂幸太郎原作の『死神の精度』の映画版を全国公開するそうだ。なんと、ハリウッドのワーナーブラザーズの配給である。
彼とは大学一年の時に知り合い、『アパートの鍵貸します』の話で盛り上がり、一緒に同人誌を創刊したことがある。同人誌では、僕がノンフィクションを書いて、彼が漫画を描いていた(彼は漫画家でもあり、メジャー誌でも描いている。映画の原作にもなった)。

僕も本名でやるノンフィクションは今回で二冊目。彼も映画監督としてやる仕事は二本目だ。
がんばってるなーと思うと同時に、がんばんなきゃなー、とも思う。
そう思えるのは、幸せである。

ハチミツとクローバー ~恋に落ちた瞬間~