僕は漫画の原作の仕事をしているけど、あまり漫画を読まない。
読む方か、読まない方かと問われれば、読まない部類に入ると思う。
中学生ぐらいまではちょっと読んでいたけど、高校以降はまったく読まなくなった。大学に入って間もなく、同級生に紹介されてちょこちょこ読んだものの、またすぐに手に取らなくなった。
嫌いというわけではない。単純に、本に時間をとられて、漫画を読む余裕がないだけだ。

ただ、今は仕事としてやっているので、たまに読まざるを得なくなる時もある。
先日、ある漫画の原作を依頼されて「参考に」ということで、編集者からある漫画を送ってもらった『性別が、ない!』(新井祥)とういう本だ。
作者は、いわゆる両性具有。で、元風俗嬢。ところが、成人してから突然男性化がはじまり、病院で検査してもらったところ病気に気がつく。それで、意を決して、男性へと性転換(?)した。そんな人が、自分の性生活を面白おかしく漫画にしているのである。

漫画を読んでいて、あるいは漫画の原作を書いていて「いいな」と思うことがある。
それは、漫画にしか出せないユーモアというものがあるためだ。あるいは、漫画でしかできない描き方があるためである。

漫画と文章では、そもそも読者の前提が違う。

たとえば、ユーモアが通じるか通じないかということがある。
先述の『性別が、ない!』には、男性になった主人公がホストクラブで働き、そこでホストの男性の「美」に心を奪われるなんていうシーンが面白おかしく書いてある。男性であるはずの作者の中に残る女性の心がそうさせているのだろう。
しかし、これを文章でやったとする。小説でも、エッセーでもいい。ちゃかすように面白おかしく書いたとする。
残念ながら、これは、ナカナカ「作品」にはなりにくい。漫画ではユーモアになる部分が、文章にすると、シリアスな問題か、笑えないジョークになってしまうことがあるのだ。
(そのギリギリの路線で文章を書いている人もいるけど)

もう一つ。
漫画の場合、話を大袈裟にしても問題ない。
たとえば、ある事件が起きたとする。漫画であれば、その事件を描くときでも、様々なフィクションを入れて、テーマを大きくすることができる。
しかし、文章でやると、厳密な意味で「ノンフィクション性」が求められたり、「フィクションはフィクションなりに取材対象の名誉を重んじる」ということが言われたりする。もちろん、漫画でもそれはあるけど、漫画の方がずっと敷居が低い。
そう考えると、漫画という媒体においては、曖昧なことを膨らませて、話をつくていくことが許される。ゆえに、作り手としては、文章よりも、いろんな意味でアプローチの仕方が多いといえるのだ。

もちろん、映画にしても、演劇にしても、小説にしても、漫画にしても、そしてノンフィクションにしても、様々な方法論の違いがある。
演劇などはものすごく表現の方法が限られる。小説はそれに比べればずっと多い。漫画はもっと多いかもしれない。
ただ、多ければ多いほどいいというわけではない。
選択肢が少ないからこそいいという人だっているだろう。あるいは、多いからやりがいがあるという人だっている。
結局は、その人に何があっているか、という話になってしまう。

ただ、異業種でものをつくるという楽しみというのもある。
ずっと文章を書いている中で、ふと漫画の仕事をしたりすると、頭の切り替えにもなるし、とても楽しい。漫画でしかできないことを思う存分やりたいと思ったりもする。肩の力が抜けているから意外に次から次にアイディアが浮かんだりすることもある。
そういう意味では、末永く、いろんなことをやりたいな、と思う。

性別が、ない!