石井光太 − 旅の物語、物語の旅 −

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12月22日発売の『小説宝石』(1月号)で、ライターの瀧井朝世さん(@asayotakii)による『砂漠の影絵』(光文社)についての著者インタビューが掲載されました。
版元と瀧井さんの了承の上、こちらに転載させていただきます。
なぜイラクの日本人人質事件をテーマに長編小説に挑んだのか。その思いを述べています。


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――石井さんの小説第二作『砂漠の影絵』、もう夢中になって一気に読みました。エンターテインメント小説として見事ですが、題材は実際にあったイラク人質事件です。なぜこのテーマを小説という形で書かれたのでしょう。

イスラム過激派組織による事件って、世界の構造を変えましたよね。
それまでは国家と国家、軍隊と軍隊が戦っていたのが、9・11以降はテロ対国家という構図になり、少数の人がテロや人質を使って国家を動かすようになった。
その歴史のエポックメイキングな変化を何らかの形で表現しておきたかったんです。
でも、ずっとノンフィクションを書いてきたとはいえテロリストに会いに行って人質になるわけにはいかない。
小説だったらテロリストの立場からも、人質の立場からも、それを批判する人たちの立場からも書けると思いました。

――物語の主軸は二〇〇四年、イラクのファルージャで日本人五人が“首切りアリ”が率いる武装組織に拉致された事件の顛末です。実際にあったどの事件が念頭にありましたか。

最初は二〇〇四年の香田証生さんがザルカウィの組織の人質となって殺害された事件をモデルにするつもりでした。
でも集団が捕まる設定のほうがいろんな関係が書けると思い、複数が人質になる話にしました。
二〇〇七年にアフガニスタンで韓国のキリスト教の集団が拉致された事件や、チュニジアでの銃撃事件などが頭にありましたね。

――拉致された五人は一室に監禁され、心理的に追い詰められていく。そこで人間として醜い部分も見せるし、壮絶な場面もあります。

五人のなかにジャーナリストは当然入れるとして、日本の企業の対応が書けるので商社マン、公務員はどう動くのかということで外務省の職員も出しました。
恋人に会いにイラクに来た二十二歳の女性は、香田証生さんの立場に当たります。
韓国人の集団が頭にあったので、クリスチャンでNGO活動をしている看護師の女性も出しました。
いろんな立場を象徴する五人にして、重層的にしたかったんです。
ノンフィクションだと実際の人物の言動をそのまま書くことしかできないけれど、小説上の人物の場合はうんと負荷をかけて、読者に「あなたならどう思うか」を問いかけられますから。

連載第一回を書き、掲載誌の発売まで数日という時にイスラム国に日本人二人が拉致されたというニュースが流れたんです。
それで、単行本にする際にプロローグとして現代の話を書き加えました。
ザルカウィの残党がイスラム国を形成しているので、触れないわけにはいきませんでした。


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――新たに取材はされたのでしょうか。

これまでのノンフィクションの仕事で実際に行ったり、取材して得た知識が基になっています。
たとえば最初のほうでタイ人の人質が殺される場面は、実際に殺されたネパール人がモデルです。
イラク戦争の時のアメリカ基地では、働き手が足りないのでネパールなどから貧しい人を雇っていたんです。
直接雇うことができないので間にインドやサウジアラビア、ドバイなどの会社をいくつも介在させ、給料も天引きしていた。
で、そうした人たちが拉致されたら、彼らは見捨てたんです。
それでネパール国内で反有志連合のデモが起きた。
僕はデモがアメリカ大使館を囲んでいるところに居合わせました。
パキスタンではペシャワールでタリバンと同じ民族の人たちに話を聞きました。
彼らからすれば「ビン・ラディンのやったことはひどいけれどアメリカがやっていることはもっとひどい」。
難民は難民でまた違うことを言うので、それらをまとめたくて、こんなに分厚い本になってしまいました(笑)。

――武装集団の動きが描かれるほか、アリが自らを語る声明も挿入されますね。パレスチナ難民の孤児である彼の生涯の物語も読み応えがありました。

香田さんを殺害したザルカウィをアリのモデルにするのが自然なんでしょうけれど、彼の思想はともかく、ヨルダンで生まれ育ったその人生は、かならずしも中東全体の問題を象徴しているわけではない。
それよりもっとアラブ人一般の考えを象徴する人物にしたかった。

中東の問題の根底にはあるのはパレスチナですよね。
だからアリはレバノンでパレスチナ難民が虐殺された事件の犠牲者の子どもという設定にしました。
後にアフガニスタンに行ったのはザルカウィと同じですが、アリにはアラブ人の多くが持っている反欧米感情をインプットしました。
欧米がバックアップしてイスラエルが入植して以降、アラブ人たちは追い出され、それに対して文句を言うと殺されてきた。
しかもさまざまな利権をイスラエルが持っていってしまう。
欧米はそれを黙認している。アラブの人たちには、そこに対する怒りがあるわけです。

普通に暮らしている人たちは不満を抱えながらも「平和が大切だよね」と言って大ごとにはしていない。
でも社会からあぶれたり、イスラエルに家族を殺されたりした難民や孤児たちは我慢できる範囲を超えてしまい、それがテロに結びついている。
特にパレスチナ難民二世三世が抱いている大きな矛盾は描いておきたかったんです。

――最初は恐ろしい存在だったアリも、生い立ちが分かると生身の人間に見えてくる。ただ、人は互いにとっての正義があまりにも違うから衝突するんだとよく分かります。

そう、それぞれ生まれた土地によって、違う正義を持っているんですよね。
本の中では人質の優樹が「日本もアメリカに叩かれたけれど黙っていた、我慢したから日本は繁栄した」というようなことを言いますよね。
クサイにしてみたら「自分たちも耐えた、だから難民キャンプに行った。
そうしたら虐殺された」ということです。
「黙っていても殺されるんだったら損だ」となる。
日本は運がよかったんです。
パレスチナ難民だってタリバンの人たちだって、みんな最初は黙って我慢していた。
にもかかわらず殺されたから立ち上がるしかなかった。
彼らからするとそれはやむをえないことなんです。

――テロリスト側のパートはアリではなく部下のクサイの視点で描かれますね。また、少年・少女兵たちの存在も強烈でしたが。

アリの視点で書くと客観性がなくなって、アリを慕っている人たちの気持ちが分からなくなってしまう。
クサイの視点にしたほうが、彼らがなぜアリの突拍子もない命令に従うのかが伝わると考えました。
少年兵には以前取材したことがあるんです。
その時に思ったのは、これが日本だったら不良になる程度ですむということ。
日本にはそういう悪のセーフティネットがある。でも彼らの国では社会からこぼれ落ちたら、簡単に少年兵になってしまうんです。
ただ、ここでは可哀相な子どもだけを書くつもりではありませんでした。
取材をしていると、殺人鬼でありつづけるのを願う子もいるんですよ。
捕虜にして更生施設に入れて街に戻しても、施設を出たとたんに武装集団に戻ってしまう。
社会からこぼれ落ちたところにしか自分が活躍できる場所がない、という人っている。
それがこの世界の人間の面白さでもあるのかなとは感じています。

――テロリスト集団にも様々な人がいますよね。アリが率いる集団も一枚岩ではない。物語の最初のうちから副官ユニスが何やら企んでいるふしがあって、不穏ですよね。

たとえば自由シリア軍にも、分派が無数にあるんです。
戦争ってやっぱりきれいごとではなくて、ひとつの集団がひとつの方向に向かっているかというと全然そんなことはないんですよね。
集団の中でも喧嘩したり分裂したり再統合したり何回も名前を変えたりして、入れ替わりも激しい。
武装集団というと考え方が統一されたブラック集団というイメージを持つ人も多いけれど、全然そんなことはないんです。

いろんな考え方や利権争いがあってひとつにまとまらないのは日本政府もそう。
本当なら身代金を払って助けたいのに、なぜ助けないのかというと国際関係があるからです。

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――その日本側のパートに関しては、商社勤務の人質、橋本優樹の夫妻の友人である新聞記者の白木奈々が視点人物になりますね。人質の家族の反応、マスコミの対応、沸き起こる「自己責任論」の騒ぎを彼女は目の当たりにすることになる。

家族の視点だけでは狭くなるので外の目も入れたかったんです。
両者を俯瞰できるのはメディアの人間ですよね。
それと、あの時に自己責任問題が噴出しましたが、どの立場から見たら一番考えさせられるのかを考えました。
家族が犠牲になるのも評論家が文句を言うのも想像つく。
じゃあそれを発信しているメディア側はどう思っているのか。
奈々には過去に取材で人を自殺に追い詰めたことがあり、自身もそれで一回病んでいる。
その罪悪感を抱えながら、知人家族に対し自己責任だと言えるかどうか。言えないならどういう行動に出るのか。

僕は、すべての人間が社会問題と関わり合いがあると思っています。
虐待問題だっていじめ問題だって、同じ社会で生きているという形で関わっている。
でも、「当事者がいけない」と言った瞬間、問題を自分から切り離せるんですよね。
人質事件の時だって、デモをしたり国に訴えたりして活動することはできた。
それが面倒くさい時、「あの人たちの責任でしょ」と言えば自分たちの責任が切り離されたように思えた。自己責任という魔法のアイテムを使うことによって、多くの人は責任回避しているんです。
でも、「誰かのせい」というのはまさしく「自分のせい」ですよ。

――確かに。奈々は責任回避するどころか、なんとかして、どこかから身代金を捻出させようと一計を案じますね。

今のイスラム国もそうですが、フランスやドイツのように身代金を払ったという国がある一方で、日本のように政治的な関係でそれができなかった国もある。
そうしたことを含めて身代金の交渉については書くつもりでした。
ただ、金額の問題だけでなく、テロリスト側のタイミングもあるんですよね。
ここではアリとユニスが対立して状況が変わっていくなかで、彼らが交渉に応じる時もあれば応じない時もある。
本当に紙一重です。運命のいたずらとしかいいようがない。

――でも、もし助かったとしても、殺されしまった人たちへの罪悪感は残りますね…。

遺された人が罪悪感を抱くのは震災だけじゃないんですよね。
こうした事件もそうだし、交通事故ですら遺された人たちは「気を付けて」と言わなかった自分を責める。
そういう重みは絶対ある。香田さんのご両親も、背負っていかなければいけないものがあったと思う。
この物語でも、生き残る人がいるとしたら重いものを背負うことになるのは分かっていました。

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――香田さんの事件は、石井さんにとっても大きなものでしたか。

あの時、ちょうど外国にいたんです。
行く先々で「日本人が亡くなったよ」と言われ、ニュースを見た時に、一歩間違えたらこうなっていたなと、自分を投影しました。
彼は年齢も僕と少ししか違わないし、僕も同じように外国をふらふらしていましたから。
新聞社の記者だったら取材先で死んだことになる。
でも僕や香田さんのような人間は、大志を抱いてそこに行っても、何かあれば自己責任だと言われるんだと思いました。

――もしも自分が捕まったらどう振る舞うだろうか、などと考えますか。

今回、書きながらずっとそれを考えていました。
僕は普段、冗談を言って笑っていたいタイプなので、強がると思う。
それが精神のバランスを保つ方法なので。
それと、伝達手段が限りなくゼロに近いなかで、何をどう残せるかも考えました。
それで、この本にも書きましたが、もしも伝えられる手段があるならば、「彼らを恨まないでくれ」と言い残すだろうと思って。
彼らも悪い人間じゃないなんていう奇麗ごとを言いたいのではなく、自分の死を正当化したいからなんですよ。
自分の死を肯定したい、国際問題の中で意味を持たせたいという気持ちからです。
実際は無駄死にかもしれませんが。

――さて、ここまで密度の濃い小説を書き上げてみて、今の感触は。


小説のほうが達成感がありますね。
ノンフィクションって、書いた後も解決できないと目に見えていることも沢山あるけれども、物語はすぱっと終わらせることができますから。
書き上げた感があります。

――石井さんは書くならノンフィクション、というこだわりがないですよね。今回とても面白かったので、今後完全なフィクションも書かれたらいかがでしょうか。

こだわりはないですね。
いわば人間オタクで、ある状況の中で人間がどう動き、考え、感じるのかを知りたいし、そこにある感動を人に伝えたいんです。
だからノンフィクションでも小説でもいいんです。
でも自分の場合、小説でもある程度事実に基づく題材を求められていますよね。
僕がいきなりSFを書いたって誰も読まない(笑)。
ただ、今後は一年に一本くらいのペースで書いていけたらとは思っています。

(インタビュー:瀧井朝世、初出:「小説宝石 1月号」)




本日、長編小説『砂漠の影絵』が発売になりました。

これは、イラク戦争における日本人拉致殺害事件を題材に、「テロリスト」「五人の日本人の人質」「人質の家族」の三者の話が交互に合わさって進む国際事件ドラマです。

帯の文は以下です。

2004年、イラク・ファルージャ。「首切りアリ」率いるイスラーム武装組織「イラク聖戦旅団」 に5人の日本人が拉致された。
アリたちの要求は、 自衛隊のイラクからの即時撤退。しかし、 日本政府はこの要求を突っぱねる。日本国内では、人質の「 自己責任論」が巻き起こり、処刑の期日は刻一刻と迫ってくる…… 。
テロリスト集団、彼らはいったい何を考え、 何を目的にこのような組織となったのか?
日本人被害者、テロリストの双方の立場から描かれる、 現実にギリギリまで肉薄したストーリー。 闇に包まれた身代金交渉の実態や、イスラーム過激派組織の内情、 テロリスト一人ひとりの実人生、 そして戦争から遠く離れた私たち日本人の生き様が、 鮮明にあぶりだされる!
この物語は、あなた自身の言い方を大きく左右する。


この小説の構想は、2013年に生まれ、2014年に連載が決定、第一回の原稿が2015年の一月発売の『小説宝石』に掲載されました。
実は、その掲載とほぼ同時に、イラク・シリア内戦におけるIS(イスラム国)による後藤健二氏、湯川遙菜氏の拉致事件が起きたのです。

当初、このテーマで小説を書こうと思ったきっかけは、一つでした。
2001年に起きた9.11は紛れもなく世界の戦争の歴史を変えました。それまでは国家対国家、民族対民族だった戦争の構図が、テログループ対国家と変わったのです。
その歴史上の大きな転換が、どう日本に影響を及ぼしたのか。
それがもっとも顕著に現れたのが、2004年に起きた日本人拉致殺害事件でした。香田証生さん殺害事件です。
ならば、日本人としてどうしてもその歴史を何かしらの形で本に残したい。私はずっとそういう思いを抱いてきました。

ただし、このテーマで本を執筆するならば、どうしてもテロリストの目線を入れなければならない。
日本あるいは、欧米にとってのテロ戦争という目線で描けば、それはテロリスト側が否定している戦争そのものにほかならないからです。
テロリストたちの生い立ち、彼らにとっての戦争の必然性、彼らが外国人を殺す理由、そして、彼らにとって「生きる」とは何なのか。その目線が必要不可欠なのです。

しかし、私自身がテロリストにインタビューをして、それをノンフィクションにすることはできません。
それであれば、これまで私が中東を取材してきた経験をすべて投入して、それを小説として描けないだろうか。
それが本書の執筆の一番の動機だったのです。

そして、本書の連載の開始と同時に起きた、イラク・シリア内戦における日本人拉致事件。
当時、私はNHKのニュース番組のナビゲーターをして、それをテレビの前で報じなければなりませんでした。
しかし、そこにはテロリスト側の目線はありません。欧米からの情報、日本人としての目線、それだけを何十万、何百万人の人につたえなければならなかったのです。
そこで欠けていたのは、テロリスト側の目線でした。

『砂漠の影絵』は、2004年のイラク戦争における日本人拉致殺害事件をテーマにしたものです。
しかし、上記のような理由から、私はこの小説に現代におけるテロ戦争の意味も盛り込まざるを得ませんでした。
それは、時として現実と想像力の戦いであり、時として想像力に現実を宿してくれる力となりました。
そして、一年の連載を経て完成したのが本書『砂漠の影絵』です。

本書は、エンターテイメントとして書いていますが、私がいま、現代に生きる人々にもっとも伝えたいテーマをすべて盛り込みました。
この本を通じて、みなさまが「戦争」「生きる」「家族」「国際関係」「友情」など何か一つのことでも考えていただければ幸いです。



★イベント情報
『砂漠の影絵』の発売に合わせて、フォトジャーナリストの林典子さんとトークイベントをいたします。
●場所 三省堂書店池袋本店(池袋) 書籍館4F イベントスペース「Reading Together」
●日時 1月15日(日曜日) 14時〜(90分)
●条件 書籍購入
●申込 http://ikebukuro.books-sanseido.co.jp/events/1901



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本日、新刊『レンタルチャイルド―神に弄ばれる貧しき子供たち
』(新潮社)が発売になりました。

処女作『物乞う仏陀』で、簡単にレンタルチャイルドの存在を描きました。
マフィアによって手足を切断されて物乞いをさせられる子供たちについてです。

あの取材をした後、僕はレンタルチャイルドたちが成長してどうなっていくかが気になり08年まで断続的に取材を行っていきました。

レンタルチャイルドの多くは路上で死んでいきますが、生き残った数名の子供たちは「路上の悪魔」へと変貌を遂げていきます。
マフィアに虐げられていた子供たちが城を築き上げ、悪魔として路上に君臨し、次々に犠牲者を生んでいく。
犠牲者となっていくのは、さらに弱い子供たちです。

しかし、数年すると、インドは経済発展の怒涛の波に飲まれました。
町は繁栄に歓喜し、悪魔となって路上を占拠する子供たちを押し流していきます。
ある者は殺され、ある者は捕えられ、ある者は臓器を売られていく。その中で生き残った者はどうなっていくのか……。

本作は「レンタルチャイルドのその後の人生」を10年がかりで描いたものです。
海外を舞台とした作品の集大成という位置づけであり、現在出しうる限りのすべての力を振り絞って書きました。
今後、僕は作品の舞台を少しずつ日本へとシフトしていくと思いますが、一つの国を舞台にして、長期間にわたってここまで踏み込んだ形で作品を書き上げるのは最後になるかもしれません。

是非、ご覧いただければと思います。
ご感想等お待ちしておりますので、宜しくお願いいたします。



※注
本書は『月刊PLAYBOY』『新潮45』に連載したものに大幅に手を加えたものです。
この本に関するトークイベントを、6月5日(土)に阿佐ヶ谷のロフトで行いますので、是非遊びに来て下さい。未公開写真等もお見せいたします。詳細はこちらをご覧ください。

河出書房新社のWebマガジン連載「飢餓浄土」がスタートしました。
途上国で語り継がれている様々な話から、人間の内面をえぐっていこうという企画です。
発展途上国の民族誌として、楽しんでいただければ幸いです。
毎週月曜日の更新。予定では、半年ほどつづけることになります。
閲覧は無料ですので、Webから、携帯から、そしてi-Padから、ぜひご覧ください。ご感想等もいただければ幸いです。

■タイトル
「飢餓浄土」

■概要
間引かれた奇形児の幽霊に悩まされるベトナムの貧困地、人肉を食った日本兵の亡霊を語り継ぐフィリピン山奥の村、人間の死体を食い散らかしたルワンダの犬……途上国の人々の内面をえぐり出す、残酷で、悲しく、せつない、途上国の地べたを往く民俗誌。

■更新
毎週月曜日

■URL
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http://mag.kawade.co.jp/kigajoudo/

なお、連載終了ののち、大幅に加筆訂正し(おそらく倍ぐらい話を付け加えます)、来年早々にでも単行本として河出書房新社から出版の予定です。
写真をたくさん載せる予定ですので、是非楽しみにしていてください。

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神の棄てた裸体―イスラームの夜を歩く』が文庫になりました。
4月24日、新潮文庫として発売になりますので、どうぞ宜しくお願いいたします。

ついでなので、本書成立の裏話を。

処女作『物乞う仏陀』が、たしか05年の10月に発売。
実は、その前からイスラーム圏における性の問題は興味があり、ちょくちょくと取材をしていた。
建前としては06年1月から取材した記録となっているけど、全16話のうち5話ぐらいはその前に取材したものなのである。

最初、僕は1月になってすぐに取材に行き、『物乞う仏陀』と同じ文藝春秋から出そうと思っていた。
しかし、文藝春秋で編集を担当してくれた方が大きな仕事に追われていて、それについて打ち合わせをするスケジュールが組めなかった。

新潮社の足立さんから連絡があったのは、本を出して2、3週間後だったと思う。
『物乞う仏陀』に感銘を受けたので一度会って企画の相談をしたい、というようなメールをいただいたのだ。
で、11月の終わりか12月の初めぐらいに、新宿の椿屋珈琲で会った。
その時に、「いやー、年明け早々二作目の本のためにイスラーム圏を回ろうと思っていまして」という話をした。
そしたら、足立さんが「じゃあ、二作目は新潮社で」と言ってくれ、僕は旅に出たのである。

ただ、この時は、まだ新潮社で出すのかどうかはっきりとはわからなかった。

ところが、海外に行っている間、足立さんから頻繁にメールをもらった。
また、新潮社の別の部署にいる方からもメールやエッセーの依頼をもらった。
で、3月に一時帰国した時に、足立さんと食事に行ったり、別の部署の方と夜中まで飲んだりして、『神の棄てた裸体』の企画を話すようになった。
そんなこんなしているうちに、新潮社とのつながりが強くなっていったのである。

一方、文藝春秋はどうかというと、なかなか話が進まなかった。
担当の方が猛烈に忙しかったのだろう。たまにメールのやりとりはしていたが、具体的な新企画の話にはならなかった。
(あとで聞いたところ、文藝春秋の方は「二作目も文藝春秋から出すのは既定路線」と考えており、あえて触れなかっただけのようだ。ここでお互いの認識のズレが生じたのである。後日新潮社から出すと決まった時、編集の方は「ええ! 上司に怒られる」と叫んでいた)

で、僕が取材を終えて帰国した時には、すっかり新潮社で出すという話になっていた。
このような流れで、新潮社から『神の棄てた裸体』という本が出ることになったのである。

この本のおかげで、色んな繋がりができた。
たとえば『絶対貧困』を一緒にやった光文社のTさんはこの本を読んで声をかけてくれたし、『レンタルチャイルド』の連載もこの本を読んだ『月刊PLAYBOY』の編集長から声をかけてもらった。
講談社の『G2』で一緒に仕事をしているI氏も、この本を読んで話をくれた。
そうそう、今度Webマガジンの連載をやる河出書房『文藝』のTさんもこの本が切っ掛けで会うことになった。
大きな仕事は、ほとんどこの本からはじまっている。
そういう意味では、僕は新潮社の足立さんには頭が上がらないわけで、「姉貴」的存在なのである。

と、まぁ、そんなこんなで、「神の棄てた裸体」という本には、色んな思い出がある。

是非ご贔屓に。

トークセッションを、新宿にある紀伊國屋本店で行います。

タイトルは、「人間をえぐる取材力」。
このセッションでは、僕が海外や日本でした取材の裏側を赤裸々に語ります。

どうやって対象者に会って、話を聞いてきたのか。
その時、どんなことが起きたのか。何を見て、何を感じたのか。
体験を本に書くことにおける葛藤とはどういうものなのか。
本では決して描くことのできなかった体験とは何か。

こうしたことを、2時間ぶっつづけで、ガッツリ話をしていきます。
ご参加された方からのご質問にも答えていきますが、聞き手としてゲストに雑誌や本やラジオで活躍する山崎まゆみさんを迎えます。
山崎さんご自身も、23カ国もの取材をしている方です。温泉関連のベストセラーも出している上に、『ラバウル温泉遊撃隊』(新潮社)というノンフィクションも書いています。
山崎さんとのやりとり、ご参加された方とのやりとりを通じて、人間をえぐり取って描く舞台裏に迫っていければと思います。

以下が詳細になります。

ふるってご参加下さい。
なお、2時間のトークセッションが終了した後、近くの居酒屋でご参加された方との交流会も行います。
トークセッションでは、真面目な話がつづくと思いますが、こちらの交流会ではお酒や食事でもしながら、楽しく話ていきましょう。山崎さんもご参加の予定です。
交流会の参加は、トークセッションが終わった後に、参加希望者をつのります。こちらも、ご興味がありましたら、是非ご参加下さい。



★「人間をえぐる取材力」★
石井光太さんVS山崎まゆみさん
『絶対貧困』『日本人だけが知らない日本人のうわさ』大増刷記念トークセッション


『物乞う仏陀』『神の棄てた裸体』『絶対貧困』『日本人だけが知らない日本人のうわさ』など、話題のノンフィクションを世に問い続ける石井光太さんが、自らの取材手法を赤裸々に紹介。
世界中の貧困・危険地帯を歩き、売春婦、男娼、物乞い、障害者、少年・少女兵などの話を聞き、その実態を淡々と、時にユーモアを交えて書き綴る氏は、言葉や習慣、治安や経済状況がまったく異なる地で、どのように取材対象者と接触し、打ち解け、話を聞くのか?生命の危険にさらされたことはないのか?
ライターの山崎まゆみさんを聞き手に、様々な疑問に答えます。

■日時 5月9日(日) 16:00〜18:00(予定)/開場15:30
■会場 紀伊國屋書店新宿本店 9階特設会場
http://www.kinokuniya.co.jp/04f/d03/tokyo/01.htm
■定員 ◎30名(お申し込み先着順。定員になり次第終了させていただきます。)
■参加方法 ◎入場料:500円(前払い不可。当日会場にて、現金にて承ります。)
◎整理券などは発行しません。事前お申し込みの上、会場まで直接お越しください。
■お申し込み先 紀伊國屋書店新宿本店5階人文書カウンター、またはお電話でお申し込みください。
■お問合せ 代表03-3354-0131(10:00〜21:00) こちらにお電話の上、ご予約をお願いします。

■出演者プロフィール
石井光太(いしいこうた)さん
1977年東京生まれ。日本大学芸術学部文芸学科卒業。国内外の文化、歴史、医療などをテーマに執筆活動を行う。そのほか、ペンネームでの写真発表やラジオ、漫画のシナリオなども手掛ける。5月18日には『レンタルチャイルド』が待望の書籍化。

山崎まゆみ(やまざきまゆみ)さん
1970年新潟県長岡市生まれ。新聞、雑誌、TV、ラジオなどで温泉の魅力を紹介するフリーライター。現在まで23カ国、800カ所以上の温泉を訪ねる。著書に『ラバウル温泉遊撃隊』『だから混浴はやめられない』など。


■交流会開催
◎トーク終了後、石井光太さん・山崎まゆみさんを交えて居酒屋での「交流会」を予定。直接お話しする機会を設けます。
◎トーク終了後に希望者を募ります。
◎別途、飲食代(約4,000円)がかかります。




12日の夕方をもって、定員に達したため募集を打ち切ってしまいました。
6月5日に都内で別のトークセッションを行う予定です。出来るだけ早くブログやツイッターで告知いたします。
ふるってご参加下さい。


拙著『神の棄てた裸体―イスラームの夜を歩く』(新潮社)についてのお知らせです。

書店での写真の展示が以下で行われています。

紀伊国屋本店(新宿駅)
八重洲ブックセンター(東京駅)

本に掲載していない写真などを含めて10点以上展示しています。
また、各店とも内容のことなるキャプションがついていますので、そちらも合わせてご覧ください。

今後も、「ジュンク堂本店(池袋)」「ジュンク堂新宿店(新宿)」などを初めとした都内の大型書店で続々と写真展示が行われます。

なお、「紀伊国屋本店(新宿)」「紀伊国屋南店(新宿)」「三省堂本店(神保町)」「丸善丸の内(東京)」にて、サイン本を各20冊ずつ販売しています。
(三省堂、丸善丸の内でも、写真の展示を予定しています)

期間や、サイン本の残り冊数については、各書店にお問い合わせ下さいますようお願いいたします。

みなさまのおかげで、書店での反応もよく、いろんな反響があります。
今後、雑誌や新聞などにて書評・インタビュー・グラビアなどが予定されています。随時、HPやブログにてご報告いたします。

ちなみに、いつも御贔屓にしていただいている『旅行人』の蔵前さんがコラムに本の感想を書いて下さっています。(9月20日付)
次号(12月発売)に「峠のすれ違い」という40枚ほどの作品を掲載する予定です。ご期待下さい。

今後ともよろしくお願いいたします


神の棄てた裸体―イスラームの夜を歩く

おかげ様で、本の販売がなかなか好調らしい。
本屋さんでサイン本などをつくっていると、かならず訊かれることがある。以下の三つだ。

ー,呂匹海惺圓のですか。
危険な目にあったのではないですか。
F本の娼婦をテーマにしないのですか。

もしかしたら、一番気になる点なのかな、とも思う。なので、ここで答えてしまおう。


ー,呂匹海悗いのですか

すでに頭のなかにはある。
ただ、やはり今回同様に半分ぐらいはアジア地域になるだろう。これは、単に予算と時間の問題なのである。

たとえば、アジアで半年かけて300万円で取材をしたとする。もし同じことをアフリカや南米でやれば、一年の時間と600万円以上の予算がかかる。
「言葉の問題」「安全性を確保するための手段」「航空チケットを含めた移動代」「日本人への親近感」など無数の要因がからみあって、期間もお金も倍以上かかるということになるのだ。

その期間のお金と書いた後の保障を誰かがしてくれるなら、どこへでも行くし、なんでもやる。
しかし現実はそうではない。
なので、予算や時間のことを考えれば、どうしても最低でも半分はアジアを入れなければならない。
それが、アジアを入れざるを得ない理由なのだ。


危険な目にあったのではないですか。

「あんまりないですね。僕は楽観主義ですから」と答えている。
けど、本当は、危険な目にあったことはある。
ただ、そういう話をすると「危険自慢」になってしまう。よくジャーナリストと名乗る人々が「遺書を書いて取材にいった」とか「死を覚悟した」なんていう話をしたり、書いたりしている。
結局ああいう話っていうのは「だから俺はすごいんだぜ〜」みたいな自慢話でしかない。非常にウザイ。みっともない。
なので、僕は訊かれる度に、適当に返答してごまかしているのだ。


F本の娼婦をテーマにしないのですか。

僕は、以前感染症の仕事をしていた。
そのため一日に何人もの風俗嬢と言われる人と顔を合わせていたことがある。
なので、そこらへんについては非常に詳しいし、やろうと思えばやれる自信がある。

しかし、逆に言えば、それがやらない理由でもある。

本の中には、テキト―な品物がたくさんある。
どうでもいいことを書きちらしてお金を儲けているのだ。
薄利の仕事であることを考えれば、そうしなければ食っていけないのも事実だろう。
事実、僕だって取材費を集めるためや、生活のために、ペンネームでいろんな仕事をしている。なかには、書き散らしているものだってたくさんある。

けど、僕は、ノンフィクションとして、そういうものを作りたくない。「作品」としてはやりたくないのだ。
「作品」として発表するなら、読んだ人の心の中に一生残るようなものを書きたい。それが叶わなくても、そうする姿勢だけは崩したくない。古い考えなのかもしれないけど、僕が目指しているのはそれだけだ。

そのためには「できると思うテーマ」に取り組んでも仕方ない。
「絶対に誰もやらないし、できないほど大きなテーマ」に全身全霊で立ち向かって、文字通り全財産と命をかけて格闘したい。

有態に言って、僕には才能の「さ」の字もない。「い」の字もない。
だから、それだけ自分を追いつめて、120%の能力を振りしぼらなければ、大手出版社が目をとめてくれるようなものは書けないし、人の心を動かすこともできない。
こて先の技術でモノを書けるほどの才能なんてないし、器用さも持ち合わせていないのだ。

『物乞う仏陀』のテーマは「アジアの障害者と物乞い」だった。
今回の『神の棄てた裸体』は「イスラームと難民と性」がテーマである。
両方とも、我ながら立ちくらみがしそうなほど大きなテーマで、つかみどころがない。
取材に行く前に、新聞記者や出版社の人に話をした時、一様に絶句されたのを覚えている。
けど、逆に言えば、「絶対に誰もやらないし、できないほど大きなテーマ」だからこそやったのだ。

もちろん、『仏陀』においても、『裸体』においても、テーマを描ききれたかと問われれば、否と答えるしかない。
しかし、ここにおいて、僕なりの方法論がある。

「どうせテーマが大きすぎてまとめきれないのならば、そのまとめきれない世界の多面性、複雑性、不条理を浮き彫りにし、そしてその前で格闘して、もだえ苦しんむ自分自身を克明に描けば、実はそのテーマを描いたことになるのではないか」

逆説的な方法論だ。とても危うい。
けど、これが巨大なテーマに立ち向かう僕なりの唯一の「武器」なのだ。
「武器」の使い方を誤ったら、一撃のもとにつぶされて、死んでしまう。現実的にも、比喩的にも。けど、僕にはその「武器」しかないのだから、駆使して死に物狂いで立ち向かう他にない。
そして、たぶん、ただ一つそこにこそ、僕の存在価値があると思っている。

話を最初にもどそう。

「なぜ、日本の売春をテーマにしないのか」

繰り返すが、僕には、このテーマを描ける自信があるからだ。
だから、それをやったところで、僕は120%の力を振りしぼれないし、僕の武器を使うことができない。
となると、そこに僕の存在価値がなくなる。

もちろん、パパッと書いて、数十万なり、数百万なりのお金を儲けることはできるだろう。
しかし、僕はまだ30歳だ。そんな若造が、今のうちからそんなことをして、いったい何の意味があるのだろう。
40歳、50歳になって、全身全霊で巨大なテーマに立ち向かう気力がなくなれば、それをやることもあるかもしれない。
しかし、今、一年も二年もかけてやることではない。

それが、答えである。

新刊の発売のお知らせです。
このたび、新潮社より新しいノンフィクションが刊行されました。


■詳細
『神の棄てた裸体―イスラームの夜を歩く』
発売  新潮社
価格  1575円(税込)
種類  320項、単行本(書きおろし)
詳細  新潮社ホームページ参照
購入  アマゾンはこちらから


■プレスリリース用の紹介文
処女作にして大宅壮一ノンフィクション賞の候補作となった前作『物乞う仏陀』(文藝春秋刊)から約二年。 
28歳の著者は、半年以上にわたってイスラーム諸国を旅しました。日本ではなかなか情報を得る機会のないイスラーム教徒の性に興味を抱いたからです。彼らの性の営みはどのようなものなのか。宗教による抑圧とはどれほどのものなのか。そして、それは本当にあるのか。売春宿に住み、置屋で掃除夫として働き、ときにはバーテンダーになり、ヒジュラ(民俗舞踊を舞う男娼)と共に踊る。
ジャカルタ、クアラルンプール、カブール、アンマン、ベイルートといった大都市に足を運びつつ、古い慣習が強く残るバングラデシュやインドの山村、クルド人の国境の村、アフガニスタンの山中へも身を投じていく著者。売春、戦争、おきて、路上生活……その10カ国に及ぶ捨て身の取材は圧巻です。
ベールに包まれたイスラームの最奥に踏み込むべく、ともに暮らし、ともに味わい、ともに笑う。そして、頭ではなく腹で書く。読み手はいつしか著者と共に、その渦に引き込まれていくことでしょう。新鮮な距離感が心地よい、辺境の暗部を描いた未踏の体験的ノンフィクションです。次世代の書き手の躍動を感じていただければ嬉しい限りです。



本書をご高覧の上、ご高評いただけましたら、ご友人様等にご紹介いただければ幸いです。
また、御感想等も随時お待ちしています(メールにてお願い致します)。

今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。


■追記
八重洲ブックセンター(2F)、紀伊国屋本店(1F新刊コーナー)にて、18日より取材旅行の未公開写真の展示を行っています。HPにも公開していない写真も含まれていますので、興味のある方はご覧下さい。
また、新宿紀伊国屋の南店でサイン本を販売しています。今後、本店などでも販売する予定です。詳細は書店にお問い合わせ下さいませ。

神の棄てた裸体―イスラームの夜を歩く

ホームページを全面的に更新いたしました。
新刊『神の棄てた裸体―イスラームの夜を歩く』(新潮社)の内容を盛り込んだものとなっています。

『神の棄てた裸体』は、正式には9月18日の発売です。
個人的には、拙著を読んでからHPの新しいページを参照していただければ、いろんな意味で有意義かと思います。

ちなみに、書店によっては、15日あたりから発売しているところもあります。
連休ということもあり、日数に若干ズレが生じますが、基本的には18日発売とお考えください。
インターネット販売に関しては、アマゾンなどはまだですが、紀伊国屋新潮社のHPで購入することができます。
もし宜しければ、ご覧下さい。

本の内容などについてのお知らせは、18日に改めて行います。

なお、HPは全面更新したこともあり、色々と誤字脱字などもあるかと思います。
(時間がなく、ほとんどチェックしていません→笑)
もしお気づきの点がございましたら、メールにて教えていただければと存じます。

今後も宜しくお願い致します。

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