むかし、僕が海外へ行き始めた頃、メールなんぞほとんどなかった。
そのため、日本にいる友人や恋人とやり取りする時はすべて手紙だった。
インドやミャンマーの田舎から出すと、3、4通に1通しか届かなかったものだ。ひどい時には郵便局の局員が手紙を渡したとたんに、印を押さずに目の前で、切手をはがしはじめたこともある(それを売って金にするのである)。
しかも、届いたとしても、2ヶ月後とか3ヵ月後。
ノートを破って恋人に手紙をしたためて満足して帰国したものの届いておらず、それから2ヶ月ぐらいしてようやくパラパラと届いて、恥ずかしい思いをしたこともあった。
今となってはよき思い出である。

メールが悪いというわけではない。
しかし、僕は手紙が大好きだ。なんつーか、味がある。
僕は、今でも手紙は大好きで、お礼状なんかはかならず手書きで書いている。たぶん、年間200通ぐらい手紙を書いているのではないだろうか? 現代人としては珍しいかもしれない。
ただ、出版業界の人は、手紙を書く人が結構いる。
僕がそうしているからかもしれないけど、新潮社の担当編集者はいつも独特の字で葉書をくれるし、講談社の担当編集者もこれまたすごーく独特な字を万年筆でしたためて送ってくれる。
そうそう、講談社の局長さんにお会いした翌日に、「当社で宜しくお願いします」という葉書が届いた時は恐縮した。たぶん、その夜に書いて送ったのだろう。僕のような若輩者にそこまで心配りをするのはすごいことだ。なかなか真似できることではない。

そういえば、手紙といえば、作家から頂いたこともある。梯久美子さんという方である。
読売新聞に書評を書いてくださったのでお礼の葉書を書いたら、数日後分厚い原稿用紙の束が入った封筒が送られてきた。
中をのぞいてみると、梯さんからだった。原稿用紙にペン筆(だと思う)であたたかい言葉が書かれていた。原稿用紙に筆といえば、谷崎潤一郎の原稿を思い出してしまうが、まさしくそんな感じで、内容ともどもものすごく素敵なものだった。
その一年後、梯さんが『世紀のラブレター』(新潮新書)という本を出していたのを見て、この方は手紙が好きなんだろうなー、としみじみ思ったものだ。
ちなみに、『世紀のラブレター』というのは、数十人の有名人が書き残したラブレターを紹介した本だ。女から男にあてた怖いラブレターから幼児回帰してしまったような政治家のラブレターまで盛りだくさんなので、興味があれば読んでみて下さい。

あれ、なんで「手紙」のことを書いたんだっけ。。。

そうそう、手紙についての本の企画をやることになったのである。
先日、光文社の担当編集者さんと、編集長さんに護国寺の酒屋に呼ばれ、「何か新しい企画をやれ」と言われた。
もし若い美女に囲まれて企画の相談をしていたら話も弾んだだろう。しかし、いかんせん男三人である。いい案がなかなか出てこない。
僕は鱈をつつき、焼酎を飲んで、おでんを頼み、また焼酎を飲み、そしてさらに焼酎を飲みつづけた。男三人だと飲まないとやってられない。編集長さんが「何でも飲んでくれ」というので、遠慮もへったくりもなく調子に乗ってどんどん飲んだ。飲みまくった。
ほどよく酔っ払ってきた時、ふと僕はわけのわからないことを言った。

「いやー、僕は最高の感動物語を一度やってみたかったんです。極上の純粋な人間ドラマです。そうだな、たとえば手紙をつかってやりましょう。感動の手紙……よし、遺書をやりましょう! 編集長、僕が遺書の代筆をします!」

なぜそんなことをいったのだろう。
実は「感動企画をやる」と勢いに任せて言った途端に、ふと『21世紀への手紙』(文春新書)という本が思い浮かんだのである。
1985年のつくば万博で「21世紀の手紙」という企画があった。そこで手紙をだせば、15年後に届くという企画だ。『21世紀の手紙』という本はその15年後に届いた手紙を集め、それぞれのエピソードを記したものだった。
末期癌の親が小学生の子供に当てて書いた手紙、親が障害児として生まれたばかりの子供に宛てた手紙……
僕は、これを読んで、ひじょーに感動した。思わず泣いてしまった。5歳で死別した親から15年後に「息子よ、私は末期がんの宣告をうけています。4歳のあなたは、今私の横で何も知らずに無邪気に遊んでいます。この手紙をあなたが読むとき、私はこの世にいないと思いますが、これから書き記すことに耳を傾けてください」なんて書かれていて、息子へのあふれんばかりの愛がつづられていれば、泣かない方がヘンである(この本は名作だと思う)。
僕は光文社の編集者と話をしていた時、ふとこの本の手紙を思い出して、「僕が死にゆく人々の遺書を代筆したらどうか?」と言ったのである。

死を目の前にした人には、いろんな思いがある。
余命宣告を受けた人でも、なかなか家族にいえないことがある。あるいは言い残したいことがある。
妻への愛、自分が犯した失敗、謝罪、原爆の思い出、心配、愛人や隠し子への伝言……おそらく、人の数ほど言いたいことはあるだろう。しかし、なかなか言えないし、言う機会がない。
そこで、僕が余命宣告を受けた人のところへいって、最期に立会いながら、そのドラマとともに遺言を「代筆」したらどうだろうと思ったのである。それこそ、人の心を打つことのできるものになるのではないか。
また、そこで出会う証言は、健康な「僕」の認識を壊すものになるかもしれない。僕が壊されるということは読者も壊されるということである。そうして、はじめて何かを考えるきっかけが生まれる。

で、ほとんどそれを言うだけ言い、そのまま小便をしに便所へ行った。
すっきりしてトイレから戻ってきたら、編集長が瞳をキラキラさせている。編集者も深くうなずいている。

「石井さん! それいい。是非やりましょう。僕がすぐに社内で話をつけます!」

編集長さんが、非常に盛り上がっているのである。
僕も焼酎のおかわりを頼み「いいですよ。絶対いきましょう!」と調子のいいことを言いはじめた。
で、翌日編集長さんが局長さんに話を通して実現が決まった。

(よく「出版とか連載の企画ってどうやって決まるんですか?」とたずねられることがあるが、大抵このような感じで決まるのだ)

まだ公表できないが、本日打ち合わせをしたところ、雑誌で何回かにわけてやることになると思う。かなり大きな雑誌である。
やるとしたら相当大掛かりなものになるし、ライフワークぐらいの覚悟でやりたいな、と思う。全身全霊をこめてやったら、非常に有意義なものになる。
できればシリーズとして何冊もやっていこうと話し合っている。今から楽しみである。

正式に決まればこちらで報告しますが、もし余命宣告を受けていたり、あるいはその関係者の方で(親族、医療関係者など)、このような企画にご協力してもいいと考えくださる方がいたら教えてください。
メールさえいただければ、相談ベースで企画の内容も含めて詳しいご説明いたしますので。

しかし、本日、光文社での打ち合わせの後、斜め前にある講談社へ行ったのだけど、こっちでも別の企画にGOサインが出た。なんと、「日本における障害者の見世物」についてである。昭和40年代から50年代にかけて社会的風潮で障害者の見世物たちがどんどん首を切られ、見世物自体が推定していったのだが、その衰退の歴史を障害者見世物にスポットをあてて行うのである。
今現在、何本の企画が進行しているんだ?と考えたら不安になってきた……
しかも、講談社の編集者は2カ月後ぐらいを目処に新雑誌「G2」でやろうと言いはじめている。マジかよ……
まぁ、とにかくやれるうちにやりまくりたい。やるぞ〜。うぉ〜りゃ〜。

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